ドッペルゲンガー①
先日、インターネットでドッペルゲンガーの記事を何気なく閲覧していた。
もう一人の自分の分身・・・そんなものは存在するわけないと思うかもしれないが、
実は有名人の中にも、そんな体験をした人物はいるようだ。リンカーン大統領は自分の分身に出会い、モーパッサン、芥川龍之介も似たような体験をし、後者2人は自身のそうした不思議な体験を作品のモチーフにまでしていた。
くわしい話はネットで検索すると、直ぐにヒットする。
実は自分も、それに近い体験を何度かしたことがあるのだ。
その中の一つを紹介しようと思う。
これはオレが昔、特養ホームで介護福祉士をしていた時の話である。
俺の同僚でAという奴がいた。彼はオレと同期で同じ介護士だった。
Aは国立大卒で、介護には小さいころからずっと憧れがあったと言っていた。
大学も終わり、某有名企業への内定も貰っていたにも関わらず、それを断り、特養へ介護職として入ったのだった。
そして、彼もようやく資格取得に必要な実務経験を満たして、介護福祉士の受験資格を得て、資格取得に挑戦し合格した年だった。
彼の母親が何かの病気で入院したのだ。Aは心配だっただろう、ずっと元気が無かった。
Aは今まで弁当を持ってきていた。しかし毎日弁当を作ってくれる母親は入院している。Aは料理は得意ではないのか、カップラーメンやコンビニもので昼を済ませていた。
仕事中も、いつもの元気もなく皆も心配していた。
それから数日たって、オレが早番の早朝出勤で、職場までの曲がりくねった山の道程を車で上り運転していた時である。
反対車線から同僚のAが、施設の方向から自身の車を走らせ、思い詰めた様子で下って行ったのである。彼は当日、夜勤明けのはずで帰るという事は・・・
「何かあったな」とオレは思った。
心配して出勤すると、Aが「おはよ~っつ」!!!!!!
あれっ?
Aがいるではないか。車いすに利用者さんを移乗している。
「?????????????????」
訳が分からなかった。「さっき車ですれ違ったAは・・・一体・・・・?」
車も確かにAの車だった。運転していたのもAだった。
オレは、何を見たのだろうか・・・・・・?見間違いだったのか?
Aは母親を心配するあまり、無意識に母親の方へ何かを飛ばしていたのだろうか・・・・・?
不思議な事もあったもんだと思った。
それから間もなく、Aのお母さんは無事退院した・・・・。
他の話は、また後日に。
昔、ガングロギャルに言われたこと
若いころの話。
ある休日の事である。
オレは、買い物しようと一人で吉祥寺に来ていた。
駅を出ると平日なのに、すごく混雑していた。商店街の店先ではガングロ女子高生が
2人、座り込んでいた。
オレは人込みを避けながら、商店街をテクテク歩いていると、スーツを着た若い小奇麗なイケメン外人さんが話しかけてきたのであった。
彼は「神様について、しりたくないですか?モルモン教、知ってますか?」と話しかけてきたのであった。
オレは、無視してサッサと行こうとした。
そうしたら、一部始終を見ていたらしい2人組のガングロが、座り込んだままオレに、こう言い放っていた。
「外人さん可哀想、お前みたいなダサいのは、洗脳されてやれよ!!!」
「あんなのに無視されて、あの人、これから自信なくしちゃうよね、可哀想・・・」
彼女らにとって、オレには人権は無いようだ(笑)
オレは気にせず無視して、洋服屋に入って買い物をした・・・・・
夢日記 其の弐
先日、元同僚の夢について書いた。
最近時々、この元同僚の夢を見る。内容は殆ど憶えていないのだが、特に印象に残っている夢を記そうと思う。
内容はこんな感じだ。
真夏の海の家で、オレと元同僚がテーブルにお互いに向かい合ってすわっているのだ。
窓が開いて、風通し良く、風鈴が吊るしてある。
元同僚は、べージュと白い水玉のノースリーブのワンピースを着て、こちらをニコニコして見ている。髪や全体の立体感がすごくリアルであった。
何か話をしていたがほとんど忘れてしまった。憶えているのは、元同僚の苗字が戻っていた事だった。(風のうわさでは当時の同僚の男性と結婚したという。)
オレは尋ねた。「結婚したって聞いたんだけど・・・?」
彼女は「・・・まあ、いろいろあってさ・・・」
オレが深く聞かない。というと、「有難う」と言っていたのは憶えている。
その後の展開はよく覚えていないが何か、2人で宙に浮いていて、お互い体育すわりのまま背中を向けて、背中をくっつけ合って2人で顔を覗き込んでいた。
憶えているのはここまでだった。
なんか不思議な夢だった。
夢日記
この間、おかしな夢を見た。
その夢の内容は、大体こんな感じである。
職場に綺麗な女性のポスターが貼ってあった。新しく入職する職員だという。
見ると、その女性は、オレが20年前、東京の病院で働いていたころの同僚だったのである。彼女は、当時、オレと同じ介護職をしながら通信制大学で社会福祉士を目指して頑張っていた。オレが病院を退職した年に、彼女は大学を卒業して、社会福祉士を受けたらしいのだが、それきり、交流は一切なく、どうしたのか気になっていた。その元同僚が、オレが今、勤務している職場へソーシャルワーカーとして入職してくるというのである。
それを見て、オレは「ああ、この人は努力して…受かって・・・よかったな、」
などと考えながら、ポスターの前で、隣にいた職場の看護師の先輩に、この元同僚の事を話していたところで目が覚めた。
目が覚めて、数日の間、しばらくは・・・何か懐かしさと、不思議な感覚が残っていた。
何で、今更・・・昔の同僚の夢をみたのだろう・・・・?
俺を完全無視してた女
20年位前、東京の病院で介護の仕事をしていた。
同じ病棟に准看護学生のAという女の子がいたのだが、俺が病棟を移動になってから、急にオレを無視するようになった。理由は全く分からない。
オレは当時、ずっと年上の同僚から何年も前から迫られていて、なかなか諦めてくれず、そのことでAに愚痴を聞いてもらっていたことがある。
そのことが、女性として面白くなかったのかもしれない。
いずれにせよハッキリした理由は解らない。
やがて、オレはコミュ障もあって新人集団にもハブられるようになり、鬱になって心療内科へ通うようになり、退職することにした。
退職数日前、オレは駅前の通りを歩いていた。前を見ると、Aが歩いてきた。Aは、あからさまに道の反対側へ移動してサッサと行ってしまった。
それっきりAとは会ってはいなかった。
それから20年、色々あってオレも看護師になった。
先日、看護セミナーへ参加するため、久しぶりに東京へ行った。その帰り、半蔵門線の構内で列車を待っていた際の事である。
停車した車両にAが乗っていた。
年齢相応の雰囲気で若いころと少し雰囲気が違うが、確かにAだった。
Aは車両の手すりにつかまって、こちらを睨んでいた。
オレは車両の入口付近にいた。オレもAをじっと見ていると、Aは目を逸らし、車両を降りると、二度とこちらを見ることなくサッサと行ってしまった。
20年経っても、怒っているのか?
オレは、そんなに恨まれるようなことをしたのだろうか?
何がそんなに嫌なんだ?(笑)
小学校、登校初日の夢の話
小学校、初日前日の事である。
当時、家の事情で私は弟二人と、親せきの家に泊まっていた。
叔母さんが、「明日は一年生初日だから、早めに寝ようね・・・」
私たちはいつもより早く寝床についた。まだ7時40分だったが、疲れていたので早く眠りについた。
その夜、本当に怖い夢を見ることになる。私のこれからの人生を象徴ともいえる夢だった・・・。
夢の中で、私は教室の天井から見下ろすように、浮かんでいた。
下を見ると、給食の時間の様子であった。皆、姿勢よくきっちり席に腰かけて、両手を膝の上に置いていた。机の上には給食があった。パンと牛乳、大皿に、おかずが(中身は憶えていない)皆の机に置いてあった。
生徒たちは、皆、大人しく、じっとしている、その中で、ただ一人私だけが・・・・
怖くて、緊張してキョロキョロして落ち着かない様子でいるのが見えた。このもう一人の自分の気持ちが、天井に浮いているもう一人の自分にも、強く伝わってきた。
先生の「始めっ!!」の合図で皆、一斉に給食を食べ始めた・・・・
恐ろしかったのは、皆が同じものを、口に運んでいるのだ。一斉に牛乳に手を出し、
一斉にパンを食べるという風に・・・
やがて、先生の「終わり!!」と言う合図とともに、皆一斉に「ハイッ!!」と大声を発し、素早く両手を膝に戻し、姿勢を正した。みんなは綺麗に食べ終えていた。
しかし私は、まだパンをくわえながら、周囲をキョロキョロしていた・・・
天井から、その様子を見ながら私は、怖くなった・・・そこで目が覚めた。
登校初日から、周囲に溶け込めず苛めを受けた・・・。給食の時間では、事もあろうに牛乳をこぼしてしまった・・・。周囲に溶け込めず、友達が少ない。忘れ物は多い、整理整頓は下手、勉強、体育もダメ。
常識がないと言われ・・・・
やがて社会人になって、一念発起して看護師を目指す。看護学校では実習仲間と上手くいかず、鬱になり、一年休学。
復帰して残りの実習に新しいクラスメートと参加する。しかしこの時、以前から私は自分は発達障害?と疑っていた。思い切って受診。広汎性発達障害、自閉症スペクトラムとの事。一部の学生は、迷惑がった。
でも、私は元々、周囲と溶け込めていなかったし、あらためて煙たがられても、何とも別に人間関係に変化があったわけではなかった。
自分が周囲と違う理由が解った。肩の荷が一気に無くなったような・・・・
不思議な安心感があった・・・・
それから精神病院に就職。最初は信じてくれなかった。院長があらためて診断するようにと再診。
全く同じ診断だった。
今、思えば、小学校入学前に見た夢は、自分の今後の人生を象徴していたと改めて思う。
これから仕事で障害のせいで看護師が出来ないようなことになったとしても、その時はその時。
別の道もあるだろう・・・・
幸い、取り返しのつかない失敗は、今のところ無い。
今後の事は神様に全て、お任せしようと思っている。
Tさんにとって・・・②
先日、Tさんが、予想以上に早く別の病棟へ転棟された。
Tさんの転棟前日に、私の上司から連絡を受けた妹さんが来院された。今の開放病棟では転んで大けがする危険がある。そうなったら、年齢的にも寝たきりになってしまう危険もあると・・・Tさんを説得してもらうためだ。
私が夜勤で出勤した時、「あす転棟する」と聞かされた。
そして妹さんに、あることを連絡してほしいと言われた。
妹さんが来院された際、Tさんのオヤツを持ち帰ってもらうよう、渡し忘れたとの事だった。
「あなたがTさんの担当だったので、後で家族に連絡しておいて。それと今度の病棟では原則、オヤツやコーヒーは禁止であると、本人と家族に伝えてほしい」との事だった。
Tさんは毎日、3時にコーヒーとおやつを食べていた。ささやかな楽しみである。
今度行く病棟では、オヤツやコーヒーは食べられないことになっている。理由は食べられない患者も多いからか?
禁止・・・・少ない楽しみが更に少なくなる・・・こんなこと本人にどう説明しようか?本人の所へ行って説明した。残念がっていた。翌日は行かなくてはならない・・・
せめて身だしなみをと、以前から気になっていたTさんの伸びた爪を切ろうと思った・・
「大丈夫、自分でやります。」
多少、おぼつかないがご自分で切れる・・
「色々と・・・世話になったね・・一緒に様子を見に行ったけど・・・実際に生活しないと解らんしね。」
切れないところを私がフォローする。
Tさんは「ありがとね。まあ、向こうには知り合いもいるからね・・・」
夜勤の業務は忙しく、じっくり話は出来なかった。消灯時間までには本人は眠られていた。
その後、妹さんに連絡した。コーヒーも飲めないなんて、あまりにも可哀想だと、ずっと訴えられていた。
確かに私もそれは思っていた。妹さんの仰ることは尤もだと思う。何の楽しみもなく、しかも自分の意志に反して別の病棟に移らなくてはならないのだ。コーヒーくらい良いではないかと思う。
まずはご家族から、そうした強い要望があったということを上司に伝えることを約束した。
その後、日勤帯でTさんが行く病棟に掛け合って、毎日は無理だが、できるだけ希望に沿うようにすると約束することが出来た。御家族も承諾されて、その後、Tさんは転棟した。