覚書:SONIC STUDIO Ⅲをインストールしようとした際に躓いた話

当記事は、2019/01/04時点に書かれています。

使用ボード:rog strix b350-f gaming
OS:Windows 10 最新

状況

1.SONIC STUDIO IIIが起動しない

2.ASUS公式から最新のAudio ドライバーをインスコ

3.インスコするとSONIC STUDIO IIIが消える

4.調べると、Microsoft Storeのアプリ化した際に、ドライバーのパッケージから削除された模様
5.MS Storeからダウンロードを試みる→なぜかダウンロードできない。しかも起動すらままならない模様

f:id:aswynna:20200104143834p:plain

R.I.P.

6.さらに調べると、パッケージに同梱されていた過去のドライバーであればインスコ可能
7.バージョン 6.0.1.8339 をインスコ

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8.ちゃんと起動する

近況報告

就活

エントリー…6社

祈られ…1/6 社

説明会参加中…3/6 社

書類通過…1/6 社

選考中…0/6 社

最終面接…1/6 社(2 月 1dayインターンからの採用直結ルート)

 

博士中退既卒修士の扱われ方

学内合説週間で人事なりキャリア相談会などで聞いて回ってどう扱われるか聞いて回ると、おおよそ以下のタイプに分類された。

1.既卒お断りルート

 既卒を採用するまでもなく上位互換の新卒理系修士が大量に受けにくる企業が当てはまる。主に新卒修士が真っ先に飛びつくであろうBtoC系大企業の大半。マイナビなどで既卒で登録するとエントリーすることすらままならない。そもそもインターンシップを受け入れていない場合が多く、その時点で既卒を弾いていることを知ることができる。

2.見なし新卒(卒業後3年間就労経験のない学生)扱いで、新卒と同様の採用ルート

 大半の中堅以下の規模の企業と、ほんのごく一部の大手企業が当てはまる。共通するのは知名度の問題で優秀な学生が受けに来にくいBtoB系であったり、急成長中なり離職率高いなどで人手が足りていないところである。マイナビなどで既卒可」と書いているところは分かりやすい。また、既卒可と書いていなくても説明会やメールで人事に直接聞くと問題ないと答えられるケースもある。インターンシップにも参加でき、既卒であるからといって選考の形式は変わらないが、やはり「なぜ中退するのか」は毎回のように聞かれる。またどうやら年齢が重要のようで、今いくつなのかを必ず聞かれた。

 転職サイトなどで「第二新卒歓迎、未経験歓迎」みたいに求人を出しているところはほぼ100 %既卒でも新卒扱いで受けさせてくれているので、一つのTipsとして有用だと思われる。

3.通年採用(中途採用)ルート

 そもそも社内に既卒を新卒と同じ採用方法で取るための決まりが存在せず、やむなく通年採用ルートで受ける場合。この場合はそもそも社内の制度や考え方がかなり古いことが予想され、既卒の身としても少し敬遠したくなる。博士課程の学生を新卒扱いで取れるのであれば私のような博士中退の身分でも新卒採用と同様にすれば良いので、そもそもそういった学生を受け入れることを想定していないのだと思われる。

 

まとめ

 2019年でも、既卒になった時点で大きな企業では選考に進めないことが多く感じられた。しかし逆にそれでも受けさせてくれるところはむしろ、ちゃんと一人一人を見ようとしている気概を感じられ、かなり好印象であった。今最終選考まで進めている企業は、説明会で親身に私の話を聞いて頂いて、既卒でも是非とインターンに呼んでいただきと、すごく親切にしていただいている。既卒の身であっても求めてくれる企業がいることに心から感謝している。

 不安なのは手持ちの駒が5つしかないこと。さてどうするか…

私が大学院を辞める理由

ついにこの記事を書くときがきた.

もちろん 数ヶ月後 就職後には新たな気づきなどで 気持ちが変わってるかもしれない.

だが 今ここでまとめておく必要が出てきた.何故ならば就活で聞かれるだろうし 教員に対する説明で 必要であるし,過去の自分が 何を得て 何を失って 前にどうやって進むべきかを今一度振り返っておく必要がある.

はっきり言って 大学院の研究室生活は失敗だった.自分の人生の転換期であったのは間違いない.また過去の嫌な記憶を掘り返すのは非常に苦しいが ここでちゃんと見返しておかねばならない.

ここに書くことは全て事実である.

ことの経緯

研究室配属前

 実験による新たな仮説の検証と理論による説明が,自分に合う,興味があり,得意分野であると判断し,固体材料系の実験系の研究室を志望するようになる.また将来の進路は,アカデミックに残らず企業の技術者,研究者として働くことを考えていたので,なるべく実用研究に近い分野を選ぼうと思った.とある研究室を訪問すると,研究資金もあり,基礎研究から実用化まで推し進めれて,企業との共同研究も盛んに行なっており,スタンスも自分に合っているのがわかった.「拘束時間」という観点ではまあブラックだなってところまでは見抜けていたが,興味があってやりがいがあるならば普通にペイできるだろうと判断した.(そもそも化学系の研究室はどこも拘束時間が恐ろしいことになっている)

 実は他に第一志望の研究室はあった(そこはガチガチの理論でまさに物性化学系であり,物質の熱的,電気的性質を測る,これももちろん興味があった)のだが,学部での成績が足りなかったため(言い訳するとその年は当たり年で学科内でもめちゃくちゃ優秀な人がこぞって応募した)第二志望にまわり,前述の研究室に配属となった.ネタバレになるが,第一志望の研究室の同期は4人中3人が早くに失踪しており,ある意味いかなくて正解だった.まあ俺も失踪したのだが.

研究室配属後:修士1年

  研究テーマ選びについては問題はなかった.

 問題はむしろ人間関係だった.配属後になってわかった,研究室の学生の雰囲気を示す.

体育会系.所属してる学生のほとんどがパリピだし,ガチガチの体育会系サークルの主将を努めてきたような人間ばかりだった.サブカルを好む人間は非常に少なかった.

長く残ることが偉いと思う文化.やることがなければ早く帰っていたがなぜかそれで私の評価がめちゃくちゃ下がった.やることはやっていたし進捗状況も良かったのに.どうも「最後まで残って研究室の片付けや閉めの作業に協力しない」ことが気に食わなかったらしい.

完全な上下社会.実績や実力の有無ではなく年功序列の世界.年下が雑用なりなんなりが発生したら「それに自分から気づいて」やらないと叱責され,また古くから上が守ってきた「お決まりごと」は絶対に正しい世界だった.まあ研究室自体師弟関係のような古い日本社会の体質が濃く残っている文化である.

人格に問題があった.自分の思い通りにならない学生,あるいは自分を気持ちよくさせれない学生には「協調性がない」の一言で人格否定を決めてくる.自分にだけ利するような「協調性」を他人に求めることが既に協調性がないことに気づいていない.その持論を押し通すのにもっぱら使われた論法は「上下関係」だったり,相手を「社会不適合者」として認定することだった.如何にその「人格に問題あり」事例を示す.

 ○同じ研究グループで生じた研究運営上の問題で,新たな装置の立ち上げがあった.その装置の立ち上げは,RAの仕事の一環として,指導教官から給料をもらっている学生に対し指示がなされた.私は同じ研究グループであったがRAの契約はなかった

 もちろん先輩方のみで装置の立ち上げについて議論し,先輩方だけで解決するのが当たり前なのだが,何故か私に「どうしてお前はこの問題を進んで解決しようと協力しないのだ,俺らだけにやらせるな,協力する気がないならお前にはこの装置は使わせない,ペア実験はしない」といった発言をされた.私はRAとかお金の話をしたくはなかったため,「そもそも私は知らされてなかったし,あなた方は私に進捗状況の説明すらなかった.あなた方で全てやっていたではないか.気づいていれば私も同じグループであり,同じ装置を使うことになるのだから問題解決のため協力した」と反論すると「気づかない時点でお前は主体性や協調性が欠けている」との一言.そもそもRAの仕事で上から命令されて動いてる分際のくせに私には主体性を求めるとはどういうことか.こちらとしては研究室入りたてで装置や状況の把握はできていないし,そもそも今回の件以外でも生じた問題は私が気づく前に先輩がとっとと処理してしまうことが多い.根本の原因として「RAを受けているかいないか(これは博士課程に進学する意思があるかないかで決まる不公平要素)」があり,先輩方は研究室の雑用やら研究遂行に必要な作業をすすんでやる代わりに給料をもらっているのだから,自身の義務を後輩に押し付けるならばそれ相応の手続きがあるはずである.もはや何を言っても「言い訳」にしかならなかった.こちらの背景や気持ちを推し量る気はさらさらないし,よりにもよって「他人の研究の足を引っ張ろうとする」という気概さえ感じられた.更にいえば「自分で他人から仕事を奪っておきながら,仕事がなく仕事をしていない人間にヘイトを向けて社会不適合として攻撃するマッチポンプ行為」であり,自分で勝手にイライラして人にヘイトをぶちまけるとんでもない人間性が垣間見えた.また,この件で納得できなかった私は教員と相談すると「後輩にやらせるよりも自分たちで処理した方が早く終わるからそもそもめんどくさい」と普段から言っているというのを聞き,学生は私を教育するという意欲がないことがわかりさらに幻滅した.ヘイトのはけ口にされていただけである.また,この風当たりの強さによって,意図的に私が仕事を全然やっていないなどを言いふらされ,ミーティングで教員の前で炎上させられる事案もあった.(この事情を知っていた教員が見かねて後に私に相当テコ入れするようになったが)

 私にとって「RAの受給の有無(博士進学の有無)」で延々にマウントを取られるし,研究遂行に関連する作業,新たな知見などは全て上だけで共有し,上が勝手に進め,更に私に降ってくる作業はどうでもいいものばかりで,やっても全て無給であり,知識や技術の共有も行われない状況であった.修士課程での研究もこれが原因でノウハウなどを教わることができず,進捗状況もどんどん悪くなっていくのが目に見えていた.結局,修士1年では先輩の再現実験の細かいノウハウは教わることはできず全て我流,全て文献にあたって条件出しに費やされることになった.(おかげで人を信じられなくなったし,全て文献にあたって自分で調べて自分で解決する能力はみっちりついた.末期では装置の使い方も先輩よりも詳しくなっていた)

 ○セミナー発表などで疑問に思った点をいくつも指摘していたが,発表が終わった後に「セミナーなんて教員に対しいい顔をする場」「質問が来ると時間が伸びるし教員から関連の質問が飛んでめんどくさいからやめろ」と言った圧力を受けた.私はもちろん幻滅した.その後セミナーではほとんど質問することはなくなっていた.

 ○組織の愚痴を,組織の中の人に対し言う文化が浸透していた.これは著しく生産性を落とすため決してやってはならない.私に対する愚痴も相当言われてたようである.

 一方的にこちらが要求を飲んで我慢することが頻発し,もはや対等に議論することすらできなかったし,こちらから何か聞きに行くことはなくなっていた.私を教育するつもりのない先輩に聞いてもこちらが不利になるだけだった.「科学者は科学の元で対等」を本気で信じていたのだがはっきりいって幻滅した.修士1年は相当自分の精神をすり減らし,研究室に入った当初のイケイケ感は完全に失っていた.

修士2年

 問題となる先輩の大半は全て卒業し,同じ研究グループの中でも比較的中堅として扱われた.修士1年で地獄を味わったおかげで技術も知識も相当身につき,先輩がいなくても全く問題がなく実験が進められ,むしろ抑圧されることがなくはじめは生き生きしていた.実力や才能を評価されて教授直々に博士後期課程への進学を進められた.同時にRAをやらないかと誘われ,やっていた学外でのアルバイトをやめて研究に専念しつつ給料がもらえる,上から研究に関する雑用が降ってきて自分の経験値になると思い,これを受け入れた.

 博士後期課程への進学を決めた理由は以下の通り.

 ・修士1年でRAの受給の有無でこっぴどく不利な状況に追いやられたため.進学を決意すればRAを受けて研究しながら「他人の仕事を奪って研究室内での発言力を高めつつ」経験値を稼ぐことができた.

 ・単純に民間研究者として研究の道を進むなら博士号は必要だった.グローバル化が進む中,海外で舐められないために博士号は最低限必要だった(ないと損するがあっても得するわけではない)

 ・自分自身の能力は高いと思っていたので,どこまでやれるのかというのが単純に興味があった.

 ・教授の勧め.この研究室の教授は自分から博士進学を勧めることはほとんどないと聞き,それだけ自分の能力が買われていて,向いているんだなと思った.これは以前日記にした「自分の進路を他人の判断に委ねる」悪い癖である.

 修士1年で大きな障壁となった人間関係のもつれは,該当の先輩が卒業することで70 %は解消されていた.(それでも仲の悪い先輩は1人残っていたが) 自分の今後の進路のために必要な投資はいくらでもしたし,学会やインターンシップのような活動も積極的にやった.

 しかし,修士1年で削られた心のダメージは回復しておらず,また蓄積した心身へのダメージにより,あまり気にしていなかった自身の発達障害に由来する特性が牙を剥き始める.当時はまだADHDの診断は降りていなかった(本人が社会生活を送る上で問題にならなければ,障害にはならない) 修士2年になり,卒業した先輩の代わりにやることが増えた.「やるべき仕事が単純に非常に多い」「タスクが多種多様」となり,どこから手をつけていいかわからないし,混乱した.意識が削がれ,集中力も発揮できなくなっていき,期日ギリギリにならないと体が動かないせいで,発表資料などの手直しで先生方から叱られることが多くなった.また,元々持病として持っていた「群発頭痛」がこの一年症状がひどく,群発期には毎朝のように激痛でのたうち回り,研究室に昼から登校したり,薬の副作用で体調を崩し休むことが増えた.この悪循環で,「仕事がたまる」「修士発表に向けた研究が進まない」「心身の状態が悪くなる」「疲労で自分の発達特性が強く現れ仕事が進まない」といったことが重なり,修士2年の11月にはすでに限界を迎えていた.日中歩いているとめまいや聴覚視覚過敏に悩まされ,意味もなく心がしんどくなるなどし,体の異常を感じていた.博士後期課程で受給できる給与型奨学金を3種,及び学振を申請していたが全て落とされ,自分への自信も失っていった.修士発表は修士2年の夏までの成果で乗り切ったが,この頃にははっきりいってひどく疲弊していた.

博士1年

 博士後期課程への入学試験のあと,やるべきことが粗方落ち着いて精神的にも落ち着いたと思っていた.しかし,群発頭痛も収まっていたにも関わらず,夜は眠れない,朝起きることはできなく,遅れて大学にいってもひたすら無気力だった.この頃から,「やらないといけないことがわかっているのに気力がなく体が動かない」「自分自身でものを考えて段取りを組み立てることができない」「調べるだけ調べられるが実行できない」どころか「今日中にやりきらないとならない作業」すらまともにできなくなっていった.心身はもう限界だった.研究室をしばらく休むことを連絡し,泣きつくように心療内科を受診した.結果,「発達障害」及びその二次障害として「睡眠障害」「軽度うつ病」の診断が下り,しばらく休学することになった.限界だった.

 うつ病の根本は発達障害によるものと判断され,発達障害に対する治療薬「ストラテラ」及び睡眠導入剤が処方された.ストラテラを初めて飲んだ時の感覚は今でも覚えている.普段感じていた「生きづらさ」が大きく改善された.何をするにも,自分は人より多大な労力を支払っていることに気づいた.普段意識レベルが低く居眠りしているのも,頭がとりとめのない思考で暴走して集中して一つのことを考えられないのも,情報過多のところで混乱し疲弊するのも,聴覚視覚過敏で意識を削がれるのも,意味もなくそわそわして落ち着かないのも,集中力が外部の刺激で容易に削られるのも,全て薬のおかげで改善した.頭の中の霧が晴れた感覚だった.そして私は,自身の障害のせいでこの20年間人よりも圧倒的に不利な人生を送ってきたことに気づいた.障害に由来する特性で多くの人を傷つけ,また自分に本来得ているはずの利益や機会を逸し続けていたことが耐えれなかった.今更定型に生まれ変わった気分だった.定型の人間が羨ましくて仕方がなかった.自身が今まで気づきあげてきた考えや価値観は全て無に帰した.発達障害を早期に適切に対処していれば,もっとより良い人生を歩めていたはずだ.私は,薬を飲んだ後の自分が受け入れられなかった.どういう顔をして生きていけばいいかもわからなかったし,これからどうすればいいかもわからなかった.過去の経験は全て意味のないもの,トラウマになり,思い返すことはできなくて,将来どうすればいいかの根拠をどこにも求めることはできなかった.そして,発達障害は遺伝しやすい」事実のせいで,自分が発達障害として生まれてきたことを,親の責任として捉えるようになった.心のどこかで,親も発達障害なんじゃないかと疑い,親を憎み始めたとともに,親を憎む自分が憎かった.こうして,私は,ストラテラによって定型っぽくなった自分を受け入れることができず,過去の自分も受け入れることができず,どうすればいいかもわからず,ただひたすら現実逃避を続け,無為に生きる引きこもりと化した.

引きこもり生活(療養)

 引きこもり中はとにかく自分がしたいことをやった.ひたすら寝たし,ひたすらゲームはしたし,意味もなくテレビも見たし,家の猫と遊んだりした.とにかく,自分があの修士生活で受けたダメージの回復が優先だった.そのためには,とにかく研究室から離れ,休むことが必要だった.

 現実世界での拠り所を失った私は,居場所をゲームに求めた.ひたすらゲームして遊んでいた.自信が欲しかった.一つのことを誰よりも極めて,イキリたかった.そうでもしないと自分が壊れてしまいそうだった.ゲームしている時は辛い現実から逃げることができた.

 ネット上で何とは言わない創作活動をしていたのだが,それを機に自分を応援してくれる人が増え,私を中心とまでは言わないが,人脈が広がり,そこそこコミュニティが大きくなった.自分の居場所ができた感覚だった.自分を求めてくれる人たちがたくさんいた.コンテンツを作るのに費やした時間より,それを消費してくれる人々の時間の方が多くなり,自分のおかげで人にエンターテイメントを与えられていると実感することができた.そこで出会う人々は自分より若かったが,全く気にせず遊んでくれた.本当に楽しかった.また私は無限の時間があったから,人の問題を解決するために努力し,感謝された.人脈は広がり,私をきっかけに繋がったおかげで,ネット恋愛を始めイチャイチャし始めるカップルまで現れた.本当に多くの人から感謝された.こうして,私は少しずつであるが,精神的に回復し,自分に自信を持つようになっていった.発達障害として生まれてきたが,薬を飲んだ後の自分も,人に感謝されるようなことができるし,感謝される喜びを思い出し,自分の価値を少し見出せるようになっていた.

 そのうち,ゲームや創作活動をしていると何故か辛くなるようになってきた.自分は,こんなことをしてる場合じゃないのか.もっとやるべきことがあったんじゃないか.人の問題に首突っ込むほど自分に余裕はなかったはずだ.やるべきことが済んでいないと,気持ちよく遊べないんじゃないかと.この頃から,自分の抱える問題を解決しなければならないと思えるようになった.こう思えるようになったのは,完全に凹んでいた頃の自分を支え,応援してくれ,助けてくれた人々のおかげだった.憎んでいた家族も,私が家で療養してることは温かく見守ってくれた.みんな私のことを応援してくれているのに,俺はこのまま落ちぶれていてもいいのかと,心の底から思えるようになっていた.そして私は,支えてくれていたみんなに感謝したい,そのためにも前を向いて頑張らないとならない,この引きこもり状態から脱しないといけないと決意した.

研究室に戻るか,就活か

 引きこもり生活を始め,やっと前が向けるよう回復したころには既に博士1年の12月となっていた.後2年本気で研究すれば,一応留年とかせず卒業は出来ると思っていたし,実際教員もその意見だった.博士号を取る選択はあったが,しかし私は乗る気ではなかった.博士を取れたとしても,それは「教員や研究室がめちゃくちゃ応援してくれて取らせてもらった博士号」でしかない.とったとしても必ず後ろめたい気持ちが自分に残り,自信を持って博士を名乗ることはできないだろう.私は,そんなものは必要ないと感じた.今の自分は,「肩書き」や「自分が他と比べて優れているかどうか」は重要でないと思えた.今私が求めているのは,「自分に自信を持ち,堂々と胸張って幸せに生きること」である.社会人になってから博士号を取りに戻ることは許せるが,こんな中途半端な形で手に入れる博士号に価値は見出せなかった

 私は就活をすることに決めた.既卒で明らかに不利であるのはわかっているが,この困難を乗り越えるために妥協なく努力し,見事就職できた暁には,この就職活動を通して自分に自信をつけることが出来ると思ったのだ.私が「自分に自信を持ち,堂々と胸張って幸せに生きる」ための第一歩として必要不可欠である.そして今,晴れて就活無職と化した私は,図書館に引きこもり,日々自分と向き合っている.

雑記5

ジョギング

style.nikkei.com

 体を引き締める,体力つくり,メンタルトレーニングのためにランニングをすると言っていたが実際やってるのはジョギングである.息が苦しくならない程度の負荷をかけて 30〜40分ほど走っている.5 kmほどのコースなのだが,休憩を挟まないと今のところ走りきることができない.15分は歩いていると思う.

 ルーチンは以下の通り

 ・柔軟,筋トレ.15分以上かけている.体の中の糖類の消費を済ませてから,強度低めの有酸素運動を長時間やると脂肪がよく燃えるらしい.

 ・有酸素運動.呼吸が整うギリギリの強度で.

 ・無理ってなったら早歩きのウォーキングに切り替え.休まぬよう

 ・終わったら柔軟とちょっとの間歩いてクールダウン

 5 km運動することになるが,翌日にそんなに疲れは残っていない.あと,メンタルトレーニングの一環として「可能な限り走り続ける」「目標を決めて あそこまではなんとか走りきる」「できたら自分をせいいっぱい褒めて自信につなげる」ことをしている.ジョギングで鬱になることはまずないはずなので徹底的に自分を痛めつけている.

気づき

 昨日,ジョギングを始めて40分ほど経った頃に「異常な高揚感,全能感」「頭がスッキリする感覚」「体の痛みが疲れが吹き飛ぶ感覚」に襲われた.瞑想が好きなのでよくやっているのだが,意識が吹き飛ぶ寸前のあの全能感とソックリであった.ランナーズハイってやつなのだろうか?ジョギングして合法脳内麻薬でガンギマれるとは思っていなかった.修士1年の時にジョギングで体を絞った時があったのだが,ジョギング後に達成感というか苦行から解放された感じで気持ちよくはなっていたが,走ってる最中にキマったのは初めてである.当時との違いといえばストラテラの服用の有無だが,こいつのせいで脳内物質出やすくなってたらヤベーなって思う.

 ガンギマリたいとはずっと思っていたので,もしジョギングで簡単にキマれる体に生まれてきたのなら,ジョギングジャンキーになってしまうかもしれないな.

 

故障しました

 先日買ったワイヤレスイヤホンですが,早くも電源が入らなくなりお亡くなりになりました.1年保証ですので とりあえずクレーム入れました.勘弁してくれ.

 

買いました

www.amazon.co.jp

 図書館で勉強してますが あまりにも周りの学生の喋る声がうるさすぎて集中できないので ついに頭にきて購入しました.学生たちは楽しんで会話してるだけであり 私が勝手にイライラしてるだけです.しょうがないので自衛します.その日に電気屋に赴き,ノイズキャンセリング機能を色々比較してこれにしました.

 早速使ってますが,めちゃくちゃいいです.私は聴覚過敏があるようで,周りの音などがめちゃくちゃ気になる&意識しなくても無限に騒音にリソースを取られます.特に会話が一番苦手で,人の話し声が聞こえると無視できなくなってしまいます.ノイズキャンセリングのおかげで騒音類はめちゃくちゃ消音され,何も聞こえなくなります(人の声は残念ながら消えませんが,気にならないレベルまで音量が下がります) 聞こえなさすぎて耳が詰まったのかと錯覚するレベルです.すごいです.高級な耳栓って感じで使えます.(耳栓の方が効果高いと思いますがね)

 感動したのは街中とか電車でめちゃくちゃ静かな空間ができること.無限の情報量が頭の中に入ってくるので無限にイライラしてましたが こいつつけてるとかなり軽減されます.音楽流さず耳栓みたいに使えます.耳栓でいい感はもちろんありますが,耳栓よりも自然ですね.これで体力の温存とか 目の前のことに集中とかできそうです.人の声が原因で集中切れてしまうことが非常に多かったので 少しマシになると思います.

雑記4

 ストラテラ

 コーヒー及びストラテラを17時までに飲みきる→寝れるし熟睡してますが 朝のしゃっきり感無し.陽の光で目は覚めてる.とりあえず18時に飲むことにして 早く寝て 早朝覚醒したら朝用のストラテラを突っ込んで仮眠することにした.多分これが答えです.

 ストラテラ飲んだ後効果が感じられるのは体感として1時間後くらい.飲んで仮眠ははっきり言ってめちゃくちゃ効きます.coffee napなる,コーヒー一気飲みして仮眠する方法があるらしい(実際かなり効く)んですが,ストラテラ napとでも名前をつけましょうか.目が覚めたら覚醒度がハンパないです.超絶頭スッキリです.後 空腹時に突っ込むとめちゃくちゃ効きますね.副作用もやばいですが.

gigazine.net

 

noni-no.net

 これ結構当てはまりますね.食欲減退して 食わずにいると エネルギー切れ起こしてどうしようもなくなります.

 

 後さいきん 朝飲むストの量が少ないと感じるようになったので 心療内科で増やしてきます.

 

 気づき

 ・自己分析してると過去のトラウマを掘り起こし続けている.それに耐えかねてSNSに逃げている.心が弱い.受け入れろ.前に進め俺

 ・私はどうも共感性が相当強いらしい.特に 親がもめているところとか 何かストレス抱えてイライラしているところを見ると めちゃくちゃしんどくなる ことがよくわかった.親の幸せや顔を相当伺って生きてきたようだ.

news.livedoor.com

 昔は失敗してる人を見ても「至らないせいだ 自業自得 ザマアミロwwww」って感じで 冷徹に 突き放すように見ていた.だから,警察24時みたいな 悪が正義によって成敗されるところを見るととてもスカッとしていた.ただ,違う側面として「学校で生徒が先生に怒られている」ところを見ると まるで自分が言われてるような感覚を覚え 反面教師として見るとともに なぜか自分まで辛くなっていた.おかげで 何やったら地雷踏むのかとかは 年齢を重ねるうちに いやでも身について行った.失敗に対する異常なまでの警戒心である.

 問題は,自分に余裕があったから共感性羞恥で問題になることは 大学までなかった.それまでは 自分は少なくとも上手くやれていたから,「他人に向けられてる銃口」の標的になっても 我関係なしとして スルーできたからだ.しかしそのうち 自分でも解決が難しい問題で 他の人が怒られる場面が多くなっていく.研究室である.他人が怒られているところで 自分も怒られてるような感覚を受けるだが,自分に余裕がないとスルーできないのである.だって 自分もやらかしそうだったし.自分に自信がなかったし.また 他人から愚痴聞きの便利屋として使われた時は 他人に対する愚痴が まるで自分に言われてるかのように錯覚して MPをすり減らし続けた.他人よりも自分が優れているという実感や自信を喪失していたため,上手くやり過ごすことができなかった.さらに,発達障害特有の「トラウマのフラッシュバック」だったり,切り替えが難しい,耳から入る情報をスルーするのが難しいなどが 悪循環を生んだ.

 大学院に入ってからは,スカッとジャパンであったり 誰かが失敗してバカにされたり 嘲笑されたり 叱責されているテレビ番組を見ることができなくなった.下品なお笑いすら 見るに耐えなくなってしまった.ひどい目にあい続けて 最後はスッキリするといったカタルシスも,辛い気持ちの方が上回った.優しい心を持っているとかではなくて まるで自分が辛い目に遭ってる気分だった.スルーする余裕はなかった.完全に壊れていたと思う.

 共感性羞恥自体は 感性がめちゃくちゃ鋭くなれるのである意味能力の一つなので,伴う苦痛の対処さえできれば 自分の能力として運用できる気がする.何でもかんでも自分に抱え込みすぎないこと,都合よくスルーするとかが対策としてあげられる.ちなみにストラテラの「ニュートラルになって客観視できる」「ボケーっとできる」効果はてきめんに効いている.

雑記3

今日の気づき

 ・図書館に来て(手段)勉強する(目的) が 図書館に来る(目的)となっていた.そのためダラダラ勉強してしまっている.また 時間を気にして タスクをここまでやる!という意識が欠けている.その日その日で小さな目標でいいので それを決めてやらないとダラダラしかしない.

 ・昨日は夜飲むストラテラを16時に設定したが 翌朝楽に起床することができなかった.17時に飲んでみることとする.

 また 家に帰ってから おとなしくリラックスしとけばいいのに 気を入れたり抜いたりをした結果 すごく眠るのがしんどかった.(おとなしく睡眠薬に頼った) 「寝る前に単語をやる!」とか「寝る前にメモを見返す!」みたいなことをすると気が張って寝れなくなります.当たり前です.また気を抜いたり入れたりを短時間でスイッチを入れ替えする行為は 生産性を損なうばかりか ものすごく体力を消耗することがわかった.

 ちなみに 入眠するぶんには ストラテラの覚醒効果やカフェインとる時間を気にしなくても 睡眠薬で全てを解決できるんですが やはり眠りが浅い.睡眠薬あるから入眠は困らないとはいえど 覚醒効果のある薬系は本当に飲むタイミングを考えたほうがいいのは確か.

自己分析「人間関係リセット癖」

 書くだけ書いたが 公開するかすごく悩んだ.だけど真実をここに記す.

 

 今の自分の価値観や 大事なこと 大切にしてること 許せないこと それぞれの転機で 気づいてはいないものの 無意識に思っていたこと あるいは忘れていたことを全て思い出して 見つける作業をしています.今の自分は 過去の自分が作り出しているはずです.今の「25歳の自分」から客観的に 過去にあった経験や その判断や決断は 果たして正しかったのだろうか.そのトラウマなどは 若かった当時の感情であり その当時で時が止まっているのだが 今ならどう判断しただろうか などというのを洗いざらい見直しています.

 そうしているうちに気づいたこと

 

・過去 いいことをしたはずなのに 一つでも「やらかしたこと」「トラウマ」みたいなのがあると その事象に関連する記憶は いいことであっても全て「トラウマ」として処理してしまっている.よって 過去は全部自分の中で「否定」していて まるで過去から成長した実感を持てていない.

 なぜ?

 1.完璧主義.何かが欠けてたら認められない.

 →なんで完璧主義になったかは分析できてない.今度考える 

 2.元々がネガティブ.

 →これは幼少期に色々自由にできなかったからである.

 3.トラウマとか嫌なことがあった時に 自分のせいだとか思っていなかった.プライド.自分を守りたかっただけ.

 →自虐入ってるかも.確かにプライド高いけど.そのプライドの根源はどっちかと言うと「人に期待されてるから」って思い続けてたのが大きかったかもしれない.特に親の期待.

 特に顕著に観られるのは 人間関係リセット癖.

 なぜ人間関係をリセットするのか?誰かともつれた時に 相手と本気の喧嘩をして わかりあうことをしなかった.本心から殴り合いをしなかった.相手に嫌われることが嫌だった.とにかく人の目を気にし続けていた.自分の気持ちはわがままだから 伝えたら嫌われる,相手には理解できないと思い込んで かつ 理解してもらう努力すらしなかった.そうしていくうちに,我慢して我慢して自分が壊れそうになったら その場の人間関係をリセットして 次の界隈でまた新しい人たちと遊ぶのが すごく楽だった.

 でも それを繰り返していると そのうち「自分を理解してくれる人は誰もいない」とか「表面上だけしか仲良くできない」自分に気づいた.喧嘩した結果 仲直りして 本当に心が通った経験が今までなかった.なぜか?これもまた 過去の自分に遡って考える.

 中学や小学は,(田舎なので幼稚園から中学までずっと同じメンツ,全員が幼馴染だった.2+6+3 で なんと11年もの付き合いである.それだけあったら みんな仲よかったのだろうか?いや違う,逆に言えば「何か揉め事があったら いやでも仲良くしないとならない」環境だった.でも 当時はみんな幼くて 衝突することが非常に多かったし,何よりひどいのは「人をからかったり嘲笑したりいじめたりして喜ぶ文化があり,特に意味もなく いじめの対象にされる」ことがあった.いじめの対象は 特定の個人じゃなくて 時間の経過とともに他の人に回っていく,ババ抜きのジョーカーみたいなもんで,いじめてる側が逆にいじめられるみたいなことまで起きた.また 村社会なので 恋愛話とかもドロドロとしか言えなかった.付き合ったり別れたりが同じクラス内で発生するんだからめちゃくちゃでしょう.

 こんな環境だと人を信じることができなくなる.仲良くしてたはずなのに突然いじめのターゲットにされたり ターゲットにしたりすると 信頼関係なんてあってないようなもんである.私も 毎日8年近く仲良く遊んでいた友人に 最終的に仲違いを起こして悲しんだ.むしろ,ターゲットにされないように「相手の顔を伺って生きる」能力の方がみっちりついた.(もちろん昔の私は多動児だったのでひどくしつけられたのもある.) 今でも同窓会で付き合いはない.縁を切っている.誰一人信用できなかった.

 25歳になってようやく自分の特性とか価値観とかを客観視できるようになったんじゃ色々と遅すぎた.私が所属するサークルを転々としたり 遊ぶ界隈をコロコロ変えたのは間違いなくこの人間関係リセット癖のせいである.おかげで人脈は広いんだけど,深い付き合いができる友人はほとんどいない気がする.もちろん数人はいるけどな.

 人間関係リセット癖の根本である「嫌われたくない」は危険で,仕事するときも「相手の目や評価を気にして」主体性のないやつ,自分の意見を持たないやつ,周りに流されるやつ,八方美人してるだけのやつになって幸せになれない.研究室で病んでしまった大きな原因のひとつにつながった.「組織の人間が同じ組織の人間に,組織の人間の悪口をいう」というとんでもないところなのだが,私はいい人を演じすぎて「研究室内部で いろんな人から愚痴を聞かされ いろんな人の板挟みにされ 相手の顔を伺って気分を悪くしないために意見に同調し 自分を偽って 無限にストレスが積もる」状況が出来上がったのである.私は人間関係にひどく疲弊し,相手に合わせて自分を偽るうちに自分を失っていたと思う.結果,辛くなりすぎて,人間関係をリセットしたいが故に 研究室をやめる判断につながったのだと思う.

 ここから少し脱線する.インターネットで人間関係は 自分からトラブりに行っていた.正直「ネット上くらい好きなようにさせろ」としか思ってなかった自分の幼稚さが引き金である.言い訳するならばリアルで異常なまでに抑圧されてるから そのストレスの吐き出し先がネットになっていた.その結果いろんな人ともめた.「ネットの繋がりは 繋がりやすく 切れやすい」を精神に,トラブったら問答無用で繋がりを切る,人間関係リセットをしていた.これは 自分が先に関係を切ったりもあるが 相手から関係をいきなり切られることもあった.そのうち もめたことが引き金となって 界隈でやりにくい環境が生まれることになる.当たり前である.ここで私は「ネットですら俺は抑圧するしかないのか」と正直思った.(実際トラブらないように最低限表面上仲良くすることは正しい,だが当時の俺はあまりにも幼い人間だった.ものすごく反省し 今は成長した.)しかし,そのうちなんと「本心で喧嘩する機会が訪れ,その結果さらに仲良くなる」という体験をした.これは自分にとってある意味転機だったと思う.本心から分かり合えた気分を初めて(あるいは久しぶりに)感じた.ああ,仲直りのために建設的な喧嘩をしてもいいんだって.お互いに意見を言い合って,落とし所を探して互いに納得して もう一度絆を深められるのだと.逆に 喧嘩をきっかけに本心から心が通うことがあるのだと.

 じゃあ どうやったら人間関係リセット癖が治るのだろうか?人の顔を伺った浅い付き合いはできるのだが 深い付き合いをするにはどうするのか?おそらく,自分の本心を隠しすぎないこと,もやっときたらちゃんと相手に言うこと,喧嘩しろとは言わないけど,ちゃんと分かり合えることを前提として 揉めたら本心から話し合うことも大切なんだと思う.我慢し続けられるタフな人間でもなかったのだから ちゃんと自分を持って 自分の許せるところ許せないところの線引きを守って行きたい.今からでもいいから 今まで関わってきた人でも これから関わっていく人でも 本心から友達と思える信頼関係を結べるようになりたい.

 

自己分析「主体性のない自分」

 私は大学をどうやって選んだ?高校はどうやって選んだ?大学院の研究室は?そもそもなんで大学に行こうと思った?なぜ修士で止めず 博士まで行こうとした?

 なんと今の今まで「やりたいこと」がない.美味い飯美味い酒と性欲睡眠欲を満たすことはしたい.好きなゲームはしたい.でもそれでは仕事にはなるわけがない.本当に無難に何も考えず行きていくなら 修士で止めて就職して 適当に歯車になっておけば良かったのだ.なぜ博士まで行った?研究者になりたかったから?本心からそう思えたか?研究と言うか学問にはそもそも相当うんざりしてなかったか?

 なぜ研究者になりたいと思ったか.よくよく考えたら,これ自体「人にそう勧められた」からだった.小学校では理科がめっちゃ好きでそういう本めっちゃ読んでた.小学校の先生からは「科学者」が向いてる,それを夢にしろと言われた.俺は当時本当はお寿司屋さんになりたかったのに.当時から多動癖があった俺は先生や親にめちゃくちゃ厳しく躾けられ,人の顔を伺う精神が少しずつ身についていた.いうこと聞かなかったらめちゃくちゃ怒られたし,またいうことを聞いたらすごく褒められて,気分が良かった.特に学校の成績がいいことはとても褒められた.人の言うことを聞くのが正しいと思っていて,あー科学者になればいいんだなーおkーって思い始めた.

 中学では全部の教科を勉強してて,初めは全教科成績が良かった.でもそのうち科学者になるんだったら「理系」じゃないとだめじゃん,理数系ばっかやればよくね?って思い始めた.全部やるのはしんどいし,なら他の時間遊ぼうぜ的な.でも科学者に対し 本当に憧れを持っていたのだろうか?単に言われたから そうなろうと思ったんじゃないだろうか?ちなみに勉強はしていれば褒められたし それでマウント取れたから楽しかった.でも勉強がしたいとは正直思ってなかった.勉強する動機は「それで褒められて 他人より自分が偉いと感じられるから」だった.

 高校は理数科みたいなところに行き 理科部に入った.調べたわけではなく 教師に聞いたらここがいいんじゃねって言われてそこにしたのと,家から比較的通いやすいところだった.理科部は 言われたままにやった.なんか業績もいっぱい取れた.高校では 理数科の代表みたいにされ 中学生を受験生にもつ保護者向けの学校説明会で スピーチみたいなのをさせられるくらいには.正直気分が良かった.科学者に憧れると言うか 科学者を目指す人間はこうも褒められるのか.かっこいいと言われるのか.実験とか研究自体 楽しかったかと言われると 正直家でゲームしたり寝たりする方がはるかに楽しかった.実のところ「熱意はなかった」.そうしてれば「褒められた」.はっきり言って科学者っぽく振舞うことが心地よかったが,心は科学者じゃなかったと思う.

 大学をどう選んだか.「得意なことができるところ」で学部を選び,「家から近い」で大学を選んだ.今通ってる大学は確かに家からめちゃくちゃ近い.親は下宿させてくれなかったので,選べる選択肢はほとんどなかった.もし仮に俺が本当にやりたい職業とか 憧れることがあったなら 奨学金を大量に借りて バイトして 下宿してまでその大学を受けたはずだ.そんな覚悟はなかったし,この時点で夢はなかった.親の顔を伺った.親の意見に反発することはできなかった.親と喧嘩するのが怖かった.家から近くて いい大学に行けば「褒められた」 

 と言っても,はっきり言って幼い頃から「これだ!」と言う職がみつかってる方が希であろう.やりたいことがみつからず大学にきた人間は多数存在すると言うか みんなだいたいそうである.ここまでは別に レールに乗っかってきただけのただの人間であった.ただ 大学に入った時点である程度覚悟して 「自分は何がしたいのか」を考えないと,今まで積み上げてきたキャリアをそのうち捨てることができなくなっていって,本心とは違う選択をとって,「手遅れ」になる.

 問題の本質は,進路決定が全部自分の意思ではないことだ.ここまでの自分は全部「褒められるから〜する」である.なぜか.そもそも誰に褒められるのか.「」である.

 今思えば,大学に入るまで,私はひたすら「親」の顔を伺って行きてきた.兄がいるがめちゃくちゃひどく,常に親に迷惑をかけ続けていた.とても良い反面教師だった.私はそれを見て育ち,絶対にああはならないと心に決めた.だからとにかく兄が持っておらず自分が持っているもので勝負し,兄が好むものは全て嫌った.そして親に迷惑をかけまい,親に怒られないようにしようとずっと心がけた.もちろん物心着いてからである.私は反抗期がなかった.親と喧嘩したことがほとんどない.親は私をいい息子だと思っているだろう.「人の顔を伺って行きて 自分を殺す」価値観が育ったのは 間違いなく家庭環境である.

 また親の顔を伺わざるを得なかった事情もある.田舎に住んでいるから,街まで出ようとすると必ず親の送り迎えが必要だった.自分で足を手に入れるには大学生になるまで待たねばならなかった.それまでの自分は 全く不自由だった.高校の友人と遊ぶにも送り迎えが必要だったし,通勤時間に合わせて行ったり来たりしてたので 学校帰りに少し遊ぶにもすごく気を使った.親に反発したら 送り迎えしてもらえなくなるのは当然で 社会性を失うことに繋がった.そのため 家で遊ぶ趣味がとても捗ったし(サブカルクソオタク),自由にしている人たちが本当に羨ましかった.内心,「親には従うが」「従ってて自由にできないのが嫌だった」のは間違いない.

 こうして主体性が欠けた状態で大学に放り出されたが 運よく「もっと自由にやりたい」と言う気持ちもあり 特にバイクを手に入れてからは やりたいように自由気ままにやっていた.都会で遊ぶのが本当に楽しかった.趣味に関しては本当に充実した.

 だが学問というか自分のキャリアに関しては結局決めきれずにいた.というか大学入ってから困惑した.大学で色々やってるうちに寝に帰る時間が増え,親と話す時間が減ったりした.また親も大学入学後態度が急変し,何も言わなくなったものすごく自由にさせてくれた.いきなり放り出された気分だった.また褒められるような機会も当然減った.ずっと「親は私に何を求めているのだろう」と思っていた.

 キャリアに悩むにつれて,大学の友人からは「研究者向けっぽい」「教授になってそう」とめちゃくちゃ言われた.だから私はそういうのが向いてるのか〜程度の気持ちで 博士課程に行くことを検討した.もちろん博士に行く決断は他にも金銭的であったり社会的アドバンテージなどを考慮してであるが,最も重要だったであろう「研究や学問が楽しい」という観点が全く欠けていたし,「情熱」はなかった.モチベーションは「自己顕示」と「他人からの期待」だけだったのである!研究分野も結局「自分が得意だから」でしかなかったのである!そして最も問題なのは 今までのキャリアとこれからのキャリアの判断の根拠,いわば責任を自分ではなく「周り」に委ねたことである!間違いなく博士課程の難しさに対し「覚悟」やそれを乗り越える「情熱」は伴っていなかった.親は博士への進学に対し何も言わなかった.

 そして,博士課程の厳しさ,主体性のなさ,そして人間関係で疲弊し,鬱になり研究室を休んで家に引きこもりがちになった.親と少し話した際,言った言葉があった.「両親は俺に何を求めていた,どういう人間になって欲しかった」と.親から帰ってきた言葉は「好きなように生きればよかった.とにかく幸せになってくれればよかった」と.俺はこの言葉を聞いて本当に泣いた.肩の荷が降りた気分だったし,自分の心の弱さを痛感した.

 こうして,俺は目が覚めた.

「自分の人生に対し本気で向き合わず 自由にできないからやりたいこともできないのだと思い込み 自由になるための努力を怠り 常に自分の生きがいを人の目だったり他人からの評価に求め続け 責任を人に押し付けようとした自分の心の弱さ」

「自由になりたいと言いつつ 25歳になってまで 自分の生き方を決めてもらうために親にどうあって欲しかったかを聞き 親に依存していた心の弱さ」

 もの凄く後悔した.親の愛情に気づけなかった.自分は多動児だったのだからしつけは厳しいしそりゃいいことできたら褒めるだろう.むしろ言うこと聞いてくれるよう上手く育って安心して「自由にさせれる」と判断されたから 大学からは何も言わず見守ってくれていたのである.なのに今更息子にこんなこと言われたらびっくりだろう.自由に生きることを本当は望んでいたから 生きれるように育てただけだったのだ.私は愛されていてとてもよくしてくれたのだ.バイクを乗るときもすごく反対された.自由にさせたくないからではなくて,送り迎えするから乗るなと.事故って死なれたから困るから.過保護だったから.だから 私が望めば 60を超えてしんどいだろうに 今でも車で遅い時間まで送り迎えしてくれるのだ.あまりにも自分が不甲斐なさすぎた.

 こうして今自己分析しているが,それでもやはり「自分は本当は何がしたかったのか」はまだ見えてこない.でも,一つわかったことは「自分が生まれ持ってきたこの才能で 人を助けたり貢献する」ことが使命っぽいのだ.私は親にもの凄く助けられた.またうつ病で弱ってる時に私を助けてくれた人がたくさんいた.私の至らなさで迷惑をかけた人もたくさんいた.その人たちに感謝しないとならない.就職して立派な人になって恩返ししないとならないと.今の夢は「博士号をとる」とか「研究者」になるとかではなくて,今まで支えてくれた人や期待に答えて感謝するとともに,幸せに立派に生きることになりつつある.「得意だからこの道を進んだ」もこれなら肯定できる気がするが,もう少し考えたいと思う.なんだかんだで化学は好きだったのは間違いないのだから,化学で食っていければいいとは思うけど.

雑記2

就活サイトの話

 登録したもの

マイナビ2020

・アカリク

・LabBase←New! 

 

LabBaseは日経読んでたら存在を知った.研究内容や業績等をみた企業がスカウトしてくるらしい.修士では結構業績残しているので アピールしてみようと思う.ただ既卒向けなのかどうかがよくわからない.博士課程でヘッドハンティング的な感じになるか?とりあえずアカリクとLabBaseにはちゃんとしたアピール文を近々書いておこうと思う.マイナビみたいにどう見てもお前プロフィール読んでないだろみたいなの来ないと信じてる.博士中途にメール送ってくるんだから採用候補ってことでしょ.

 

 検討しているもの

・理系ナビ2020

既卒okとのこと.

 

 退会したもの

リクナビNEXT

マイナビ転職

マイナビ転職エージェント

いずれも就業経験前提と判断.不要.めっちゃメールきてうざい.

 

今日の気づき

・私は脳内で無限にBGMが流れている.

 なので 耳からBGM入れてあげると逆に落ち着く.おそらく BGMを思い出す行為は 外的刺激に対し反応するよりも頭のリソースを使うのだろう.ストラテラ増やすと少しマシになるらしい.増やすか検討する.

 

・一つのことを考えていると 突拍子も無い 全く関係のない発想が頭の中に現れる.

 いわゆる頭おかしい系なのだが 今集中してることに関連したものであれば劇的に効果を発揮するっぽい.これもストラテラを増やすと大きく改善される.

 

ストラテラについて

 夜飲むタイミングを18時→24時に就寝を測ったが失敗した.やはり寝つきが悪い.今日は17時に突っ込んで見ることとする.カフェインを取るタイミングも少し考える.なるべく夕方までに飲みきってしまって,夜さっくり眠れるようにしたい.

 前日の夜に飲むのと飲まないのでは翌朝の寝起きが段違いである.飲んでいると朝嫌でも目がさめる.日光で外が明るくなって目が覚めているだけであり いたって正常のはず.これに合わせて生活リズムを合わせる(つまり早く寝る)のがおそらくいいのだと思う.

 

ストラテラの副作用について

 私の副作用は (空腹時に飲むと)胃痛,虚無感,イライラ,喉の渇き,便秘,湿疹,食欲不振,勃起不全である.特に量を増やすと強く出るのは「イライラ」「虚無感」.ノルアドレナリンの再取り込みを抑え結果量を増やす薬であるが,そのためか臨戦モードになるらしくてイライラが半端ではない.ストレスではなくて無性にイライラする感じ.

 虚無感は,いわばひどく落ち着いている状態で,脳内の勝手な思考が治るということである.そうなるとクリエイティブな感じが損なわれ,無気力な自分が露呈し死にたくなることがある.ああ自分は薬を飲んでわかったのは無気力だったということか,と.また 楽しいことや嫌なことに対しすごい客観視できるようになって 何も感じなくなるというのもある.この症状は 飲む量を変えることである程度調節できるので,私もメリットデメリットを天秤にかけてうまく量を調整したいと思う.

 

・逆にストラテラのメリット

 ・落ち着きが生まれる.貧乏ゆすりがだいぶ止みました.思考の暴走も減る.情報を探す時に無駄に慌てたりとか 多大な情報量に飲まれて混乱して疲弊することも減る.よって体力に余裕ができる.

 ・覚醒度が上がるので ボケーっとしなくなる.疲れ果てた時以外眠気が来にくくなる.意味もなく寝るみたいなことがなくなる.特に授業とかで人の話が聞けるようになる.

 ・過集中に匹敵しない程度のそこそこの集中力がコントロールして出せるようになる.もちろん過集中も健在.

 ・何か行動を起こす際の心理的障壁が減って取り組みやすくなる.特に習慣づけに有効

 ・血中脂肪酸濃度が上がるらしい.確かにやたら体が動く感がある.

 ・夜飲むと 翌朝非常にスッキリ起きれる.血圧が上がってるからかも?

 このように非常に素晴らしい効果がある.定型が飲んだ場合どうなるかは分からないが,私ははっきり言っててきめんに効いているほうだと思う.

 

【ADHD】ストラテラ(アクセプタ)を普通の人が飲んではいけない理由|【ゆるたぬ】ものづくり系取材ライターの日々

 スマートドラッグとかで 定型が飲んで集中力や記憶力を高めようとする者がいるらしいが,定型ほどおそらく効果を実感しにくいと思います.やったらイライラして不眠になるだけかもしれないね.私はスト飲んでもそのあと普通に仮眠できるし,疲れ果てたら寝れるので特に問題を感じていない.

 しかしこれを読んでる限りADHDの人でも健康リスクありそうで怖い.「寿命の前借り」とかよくいうけども 本当に前借りしてる感がする.飲んでから知人に言われたのは「老けた」と.早死にするのだろうか?

 

ここ最近やってること

 

www.amazon.co.jp

 自己分析してます.アフィリンクではありません.2020ですが昔の年度と内容変わらんので中古で格安で買うことを勧めます.私は2018を中古で324円で買いました.

 ざっくりいうと「就活はあくまで手段 内定は目的じゃない お前は人生でどういう人になりたい,何をしたい,手に入れたい,または何が許せて 何が許せない,どういうことをして人や社会に影響を与えたい,そのために何をする?」という感じで 就活というか人生観について説いてきます.完璧な人間を目指しなさいと言わんばかりに30個項目の訓戒を提示してきます.いわばこの本は空想上の最強の人格を持ち合わせた人間です.そして今のあなたと比較して,ボッコボコにdisってきます.

 スタイルとしては 過去のトラウマや見たくない部分をひたすら掘り起こし 大人になった今から客観的に見直し それを否定せず受け入れて 乗り越えよう,成長しようと思える自分に自信をつけたり 過去の自分が今の自分を形つくっているはずだから その核心となる部分を見つけて 就活で 自分を偽るのではなく ありのままの自分を自信を持ってぶつける といった感じです.なあなあにごまかしてきたから自信がないのだ,過去をちゃんと受け入れろ,そして前に進めってのは理解できます.自信がない人ほどオススメですが,逆にコテンパンにやられてしまう可能性も多くあります.

 この本読んだ瞬間に吐き気がして燃やして芋でも焼いて食うと決意しましたが まあ内容は確かに納得できる部分や賛同できる部分,いいなこれって思う部分もあります.色々おかしいだろ!?って思うところもあります.就活マニュアル本では決してありません.人生観について学ぶ本です.読みながらここは違う,ここはそうだな,みたいな感じで鵜呑みにせず 批評する感じで いいなと思うところだけ採用するのがいいと思います.

 ただ対象がいかにも意識高い系,熱意,体育会系というか 美しい心!人間力!圧倒的感謝!みたいな商社マン向けな感じは否めません.インキャ理系学生にとっては文化が全く違うので 逆に勉強になるかもしれませんが 吐き気を催すのは間違い無いでしょう.

 就活はマニュアル通りにやって鵜呑みにするだけでうまく行くもんではありません.この本ワークシートついてるんですが.それをとりあえず脳死でやれと諭してきます.時間のない理系学生は無理な分量です.無職の私は無限の時間があるので今取り組んでますが.分量多すぎてすでに投げそうです.効果は私の就活の結果を見るなり 今後のブログで報告していきます.とりあえず1冊目に真ん中まで読むぶんにはかなりいいと思います.うまく使えば自信がついて前向きになれると思いますよ.

 「成功体験は目を曇らせる」がぶっ刺さる一冊かも.クソだと思ったら燃やしてしまいましょう.