初めてメンタルクリニックに行った日のこと

初めてメンタルクリニックにかかってから、この1月で丸7年が経つ。

もうそんなに経ったのか、という純粋な驚き。

 

あの時の自分と比べて何か変わっただろうか。

高校1年生、学校から段々足が遠のき始めていて、欠席が徐々に増えてきた頃。

中学1年生の頃から、学校のある日は毎日腹痛に襲われていた。

丸3年経ってもそれを親にうまく伝えられなかった。

でも学校に行けなくなってしまったら、理由を言わないわけにもいかない。

意を決して親に伝えて、連れて行ってもらった病院。

消化器内科で検査をしても異常がなくて、ストレスでしょうと言われ紹介状を書いてもらってメンタルクリニックに転院した。

 

初診の日。小さなクリニックの診察室に母と入った。

話している間に涙がこぼれて止まらなくなったわたしに、医師は慣れているとでもいうようにティッシュを渡した。あの時の光景を今でも覚えている。

 

私は自分がいまどういう状態なのか、今の自分に何が必要なのか、これからどうしていきたいのか、まったく分からなかった。

出生歴や成育歴を聞く主治医と、それに答える母をぼーっと見つめていた。

結局心理試験をして、カウンセリングと投薬治療をすることになった。

 

「とりあえずこれを飲んでみてください」

そうとだけ言って渡された薬を飲んだ次の日、わたしは副作用で丸1日布団の中で過ごした。その薬がものすごく強い薬だということを、ずっと後になって知った。

両親はあまりに強い副作用に驚いて、向精神薬を飲むことに否定的な態度を示した。

でもわたしはすごく救われた気がしていた。

 

メンタルクリニックに通院して治療を受けている。薬を飲んでいる。

今までの苦しさは甘えでも怠けでもなかった。

わたしのせいではなかったと思った。

 

先生は診断名を教えてくれなかったけれど、毎月変わらず処方されるその錠剤はわたしを安心させた。

 

 

2021年、いろいろ

前の記事で近況報告をしたので、続けて2021年の目標設定をば。

 

まずは大きくカテゴライズします。

・勉強と進路

・プライベート

 

大まかにはこの2つ。

2020年末の状況も含めて、自分自身の頭の整理のためにもここに記していきます。

 

 

【勉強と進路】

・英検1級

漢検1級

・簿記2級

・TOEIC900超

・内定取得

 

 

・英検1級

高校時代に準2級を取得したのを最後に数年間空白になってしまっている英検。

2021年第1回、6月にまずは準1級、その後進み具合を見てダブル受検なども視野に入れ、年度内に1級の取得を目指します。

 

漢検1級

こちらは休学期間であった2017年に2級を取得した後、3回準1級に挑戦しているのですが、未だ合格できていません。今年は本腰を入れて勉強時間を確保し、準1級、そして1級の取得を目指します。こちらは第1回目からダブル受検を予定しています。

 

・簿記2級

これはかなりの挑戦です。

簿記に触れたことがなく、大学も簿記に関連する学科ではないのですが、単純な興味として取ってみたい、というのが理由です。

知り合いに簿記の勉強をしている方がいて、その方いわく「3級までは独学でなんとかなるかもしれないけれど2級は難しい」とのこと。

これを聞いて、わたしの好奇心はまんまと動かされました。

独学で2級は取れるのか?わたしを突き動かすのはチャレンジ精神ただ一つ。

ということで、挑戦します。

 

・TOEIC900超

2017年初TOEICは550点。2018年12月に2度目を受けるも5点だけ上がって555点。

好きだったはずの英語が「TOEICの点数が取れない」という理由だけで嫌いになりかけていることに気付いて、そこから地道に勉強し、昨年受けた回でようやく700点超を達成しました。

しかし大学に入学してから英語学習のペースは格段に落ち、それに伴って英語力も落ちたことは自明です。更にわたしの就職活動での志望業界を考慮した際、TOEICで少なくとも800点超をマークすることは必須であると考えられるという事実が横たわっております。就活のため、そして自分に自信をつけるため、ここはあえて目標を高く設定し、900点超を狙います。

 

・内定

2022年3月卒業予定なのです、言わずもがな。取ります。

 

 

【プライベート】

・体重を10㎏落とす

スマホタイムを減らす

・コーピングに挑戦

・髪を伸ばす

 

これら。

 

・体重を10㎏落とす。

この間実家に帰ったら、2017年の日付が入っているプリクラを見つけました。

その中のわたし、細い細い。

記録に間違いが無ければ、今より13㎏痩せていたらしいです。まじか。

さすがに13㎏落とすと不健康だと思うのですが、あと10㎏は落としても標準体重内なので自分を好きになるためにも1年ほどかけてゆっくり、健康的に痩せたいものです。

 

スマホタイムを減らす

現状、1日12時間ほどスマートフォンを触っているようです。無自覚って怖い。

そのうち大半を占めるのはYouTube、何をするにも音楽を掛けているのが原因です。

就職活動も資格試験の勉強もあるので、メインはスマホではなく勉強や読書のはず。ということで徐々に徐々に減らしていきたい。目指せ1日1時間以内。

 

・コーピングに挑戦

coping、セルフケアのようなものだと理解しています。

病気になってかなり経つのですが未だに、気分が沈んだときや具合が悪くなったときに具体的にどう対処すればいいのかがよくわかっていないのです。

そこで、(システム手帳も新調したところだし)自分が本当に好きなものは何なのか、どうすれば自分を救ってあげられるのか、気分が沈み切る前に何かできることはあるのか…みたいなことをもう1度洗い直したい、と思ってこの目標を立てました。

コーピング、つまり自己処理、セルフケアの仕方を自分なりに確立したいものです。

 

・髪を伸ばす

今は耳下くらいのショートカットなのです。

周りからもロングよりはショートの方が似合うと言われることが多くて、わたし自身も今の長さが気に入っているのですが、最近挑戦したい髪型ができました。

ずばり「姫カット」です。

常々やりたい髪型を探してネットの海を漁っているのですが、姫カットの画像を見るたびに、日本人形みたいだと感じていました。

わたしの顔面自体、絵にかいたような平安顔なのです。

髪を伸ばして下ろしていると「日本人形みたい」と言われることも多くありました。

その時はそんなに嬉しくなかったのですが、最近、顔立ちが日本人形みたいなんだったら、いっそのこと日本人形を模してしまいたくなってきました。

姫カットというと、アイドルフェイス的な可愛くて儚いお顔立ちの子がやっているイメージなのですが、それとは真反対の、ザ・平安顔がやると一体どうなるのか、自分自身で実験してみようという結論に至りました。

ブリーチも染髪も何度も繰り返しており、毛根は既に死に切っていると推測されるため、ヘアケアを入念に行おうというサブ目標とともにここに記しておきます。

 

最近のこと

もう随分長いこと、ここを更新していませんでした。

ふとブログの存在を思い出して、パソコンのキーを打ちたくなって、今こうして記事を書いています。

 

新型コロナウイルスの影響は大きく、わたしの通う大学では未だオンライン授業がメイン。

そんな中、私自身はどうしているか、という近況報告をしていきたいと思います。

 

病気は未だ良くなる兆しがありません。

過敏性腸症候群パニック障害、そして鬱。この3つが今もわたしのしたい「フツウノセイカツ」を阻んでいます。

 

数日前、「このままひとりでいたら、わたしはだめになってしまう」と直感的に感じました。

そういう時の感覚って、とてもよく当たります。

良くないのは分かっていても、自分の命が最優先だ、と思って、バイトを放棄し、授業を放棄し、自分がいちばん安心できる場所に”避難”をしました。この記事も、その”避難”先で書いています。

だから今は、ものすごく安定して過ごせています。

 

”避難”先に向かう道中、お気に入りのミュージックプレイヤーでヨルシカの「逃亡」をずっとリピートしていました。

 

”誰ひとり人のいない街で気づくんだ

君もいないことにやっと”

 

この歌詞がものすごく好き。

ボーカルのsuisさんの声も重なって、どうしようもなく脆く儚く聞こえて。

 

自分を安心させるために、自分を生かしてあげるために”避難”する。

少し前のわたしにはなかったであろう発想です。

 

ひとり暮らしの部屋にそのまま残って大量の過剰服薬をしていたか、

傷つくと分かっていながら実家に身を寄せてぼろぼろになるか。

その2択しかなかった。

少しだけ、少しだけ強くなれたと思っていいのでしょうか。

 

 

話を最近の趣味のことに移しましょう。

少し前に手帳の沼にはまったわたしは、昨年末、耐え切れずAmazonにていくつかのシステム手帳を購入しました。それも用途も決めないまま。

そして届いた手帳を何に使うかを考えて始めたのが「読書ノート」です。

 

元々読書が好きなわたし。

2020年は月5冊という目標を立てて、無事達成し、1年間で60冊を超える本を読みました。本屋さんでの選書中や、読書をしている時はものすごく多幸感があるのですが、ただひとつ困っていたのがどんどん増えていく本の保管場所と保管方法。

困りごとを一気に解決してくれたのが、アナログなタイプ故購入を渋っていた電子書籍リーダー、kindleです。読書に特化しているためかさばらず読みやすい。それになにより著作権の切れた作品が「青空文庫」に収録されていて無料で読み放題。

kindleを使っていくに当たって自分なりに決めたのは「気になる作品はまずkindleで電子媒体として購入、再読したいと思った作品は紙媒体で購入する」ということ。

 

保管場所にも保管方法にも困ることがなくなりました。

こうなるともう無敵です。

 

使い道の決まったシステム手帳とkindle

2つを抱えて立てた2021年の読書目標はずばり「月10冊」です。

そして決めた通りにシステム手帳を活用して1作1作読書ノートを作成していくことにしました。

使用するのはA5サイズの手帳。

読書中別のノートに書いたメモを参考にしながら、1冊につき片面1ページの分量で、

 

・印象に残ったシーンや言葉

・わからなくて調べたところ

・読了してぱっと浮かんできたイメージ

・感想

 

などをまとめています。

 

これがもう楽しくて仕方がない。

仮に苦手だな、合わないなと思った作品でも、読書ノートを書かないということはせずに、どうして苦手だと思ったのか、どのシーンが引っ掛かったのかをメモしておきます。

読んだ作品を1つも忘れたくない、ただ読書をするだけでは勿体ないという気持ちから始めた読書ノートですが、読書から派生して新たな趣味が持てたような気がしています。

 

以上、最近のわたしの近況報告でした。

 

進路について、今後について、自分のことについて。

色々思うところがあるので、また今年の目標など別記事で綴っていく予定です。

今日のおはなし

眠剤を飲んでもするりと眠ることはできず、結局こうして真っ暗な部屋でパソコンに向かっています。

最近の私は、起きたらお昼を過ぎていることが普通になっている。

携帯ばっかりみて、気付いたら1日終わっている。

英語も教員採用試験の勉強も、ダイエットだってがんばりたいのに、できない、

こころのエネルギーが枯れてしまったかのような感じがする。

 

次にこころの泉に水がほこほこ湧き出てくるまでは、たぶんわたし自身を充電しないといけない期間。好きな音楽を聴いて、YouTubeを見て、ピアノやギターを弾いて、こころにとって栄養になることを沢山やる。勉強より大切なことだ。泉にほこほこ水が湧き始めたらきっと、わたしはまた頑張れる。ただ、がんばるのが今じゃないだけ。

最近のこと

最近のお話。

新型コロナウイルスの影響で大学の授業開始が遅くなり、アルバイトもなくなった。

つまり、なにもすることがない状況になったというわけだ。

 

最初のうちは、「自粛中だから頑張ろう、英語と教員採用試験の勉強をして、ダイエットのために健康的な食事を摂り、適度な運動もしよう」と思っていたし、実際生活はその通りに進んでいた。

朝は7時までに起き、家中のタオルを取り換えシャワーを浴びて着替え、天気のいい日には洗濯機を回して干し、朝食を食べてから3,4時間ほど教員採用試験の勉強をして、昼食をつくって食べる。

お皿を洗って片づけたあとは再び机に向かってまた3,4時間、今度は英語の勉強をする。

それが終わったら1時間ほどのエクササイズ。筋トレ、有酸素運動、ストレッチも念入りに。エクササイズを終えてお風呂へ

。上がって入念にスキンケアを済ませる。

そして夕食の支度をする。食べてお皿を洗い、キッチンをリセットする。

それから部屋全体に掃除機をかけ、水回りも掃除をする。

掃除が終われば1日のタスクは完了。

システム手帳にダイエットと勉強の記録を、ほぼ日手帳に日記を書き綴って、就寝前の服薬を済ませて眠りにつく。

こんな具合に、日々はするすると過ぎて行った。

 

でも昨日の夜ふと「自粛中だからこそ休んでみてもいいのではないか。自分のやりたいことをやって、スナック菓子でもスイーツでも好きなものを食べて、堕落した生活を送ったって別にいいじゃないか」とも思えてきた。

 

頑張りたい自分と、がんばれない自分。闘っていた。

ずっともやもやしたまま、処方薬をほんの少し過剰服薬して寝た。

起きると彼氏さんとの通話履歴が残っていた。

苦しさでこころがいっぱいになっていたわたしは、すがる思いで彼氏さんに連絡したらしい。まったく記憶にない。ということは、飲み合わせが悪くて健忘を起こしたということ。嫌になってしまう。

 

そんなこんなで、「がんばらない」ほうに帰着した今の私の生活はというと。

まず起きるのはお昼くらい。シャワーを浴びて着替え、天気がよければ洗濯機を回す。

食べたいもの(最近はもっぱらスナック菓子とスイーツだ)を食べたいだけ食べる。エクササイズも勉強も。気が向いたときにしかやらない。

日に1冊くらいのペースで小説を読む。今読んでいるのは

村上春樹著「ねじまき鳥クロニクル

高野悦子著「ニ十歳の原点」

の2冊。どっちも明日には読み終わりそう。

 

OD、やめたほうがいいんだろうなと思いつつ、やめられない自分がいる。

ODに縋って、自分を保っているところがあるので、ODをやめてしまうと死にそうだから。自傷行為をやめると死ぬ気がするからやめないなんて、おかしな話だなとふと思う。

 

きっとわたしは明日もこんな生活を送るのだろう。

 

今日のおはなし

年度がかわる夜、ものすごく、すごく深く気分が沈んだ。

 

その日は年度末ということもあって、バイト前に家中の不要物の断捨離、あらゆるものの掃除・洗濯と必要な家事を綺麗に済ませて、バイトから帰った後に追われる家事がないようにとくるくる動いていた。

そしてバイト後。

なにかを書き記すことがだいすきなわたしは、2019年度に使ったほぼ日手帳を見返していた。1年間、ああこんなことがあったな、そんなこともあったかな、と振り返ったりなんかして。

そうして手帳に別れを告げて、次年度の手帳のセットアップを。

2019年に引き続きカズンサイズのほぼ日手帳、そして新しく、システム手帳をお迎えした。これまでほぼ日手帳にスケジュール、食事記録、日記、基礎体温記録をとっていたけれど、少し記録の欄が足りないのと、新しく書き足したいことが増えたのとで、もういっそ気になっていたシステム手帳も買ってみて、2冊使いしてみよう、と思ったのだ。

そんなこんなでスケジュールと日記、基礎体温記録は今まで通りほぼ日に。

そしてシステム手帳には、ダイエットの記録と、勉強系の記録、そして自分がハッピーになれるような内容、自分をより深く知っていくための内容を書き込むことに決めた。

そうと決めて、インデックスをつくったりなんだりしているうちに、なんだかこころがぼやっとする感覚があった。

 

あ、まずいな。気分落ちそうだなと感じた時にはもう手遅れ。

日付が変わる頃、それはそれは深く、深く憂鬱になった。

 

もうこのままこの世界に見切りをつけようとか、今こそ死ぬ時だとか、そういうことしか頭の中になくって。もちろん抗不安剤やら抗鬱剤やら睡眠薬やらは服薬済みだし、頭がぼーっとしていて正常な判断は出来ない。

高校からの友人のひとりがわたしの具合の悪そうなことを察知して「私の負担になるとかそういうの考えなくていいから、とりあえず全部吐いてみ」と連絡をくれて、わたしは頭の整理が全くつかないまま、現状と正直な気持ちを必死で文字に起こした。

日本語も文章もめちゃくちゃで、絶対に読みにくかったであろうわたしのLINEを読んだ彼女は、ろいろを丁寧に汲み取って返信をくれた。それまで泣くことさえできないほどの精神状態だったのに、気付いたら涙が頬を伝っていた。

具合の悪さを心配して連絡をくれる人が、あなたが死んだらわたしは悲しいと伝えてくれる人がいるなら生きようと思った。

 

少し多く薬を入れて起きた4月1日。何もしない日、と決めていた。

自分がやりたいと思ったことだけやって、気分が落ちそうだと思ったら適宜薬を飲んで。

そうしていたら、比較的元気に過ごせた。

天気が悪かったせいか頭痛が酷いことが気がかりだったけれど…

 

日付は変わって4月2日、午前1時頃眠りについたのに、4時には目が覚めてしまった。

朝食と称して過食して、また眠り込み。

7時半過ぎに再度起きて最低限の家事を済ませる。

 

気持ちよく晴れて洗濯に最適。

気分も落ちることなく過ごせている、今日の話。

ブログ更新のお供の音楽は、ヨルシカで「雨とカプチーノ

 

 

 

 

いなくなること 戻らないこと

深夜2時半を過ぎるころ。

 

睡眠薬抗不安剤抗うつ剤を計11錠(MAX量)飲んで1時間目を閉じて横になっても全く眠れない。

仕方なく起き上がって、真っ暗な部屋でこうしてキーを叩いています。

 

ナブナ「メリュー」とSEKAI NO OWARI「銀河街の悪夢」、センチミリメンタル「死んでしまいたい、」をリピートしながら、これまでだったり、これからだったりを考える。

わたしはどこへ向かっているのか。

何者になるべきで、何者になれるのか。

やりたいこと、やるべきこと、できることはそれぞれ違う。

 

2017年4月、入学。直後に1年間の休学を申請。

2018年4月、復学。完全不登校ギリギリラインの五月雨登校ながら進級。

そして2019年4月、2年生になった。

 

実習、選択プログラム。取得単位制限。

3週間の間の色々が身体中の不調となって出てきている。

 

大学に行く支度をしようとして目を覚ますが、身体が動かずベッドから起き上がれない。

泣きながら授業に出席しても、最後まで教室にいることができず途中退室して帰宅。

増える過剰服薬と、新しく腕にできる傷跡。

 

自分の嫌いなところ、病気、自傷行為

そういう色々を、いつか全部。

まるごと「これがわたし」って愛せるようになるといい。

 

…なんて、思っていたけれど。

それが叶う前に、きっと私は自らを殺す。

 

病気垢のタイムラインに、

「明日、死ぬことにしました。 今まありがとうございました」

という知らない人のツイートが流れてきて。

そのリプ欄に

「死もまた救いです。今までお疲れさまでした」

とのコメントがついていて、綺麗な世界だと思った。

 

死を決意した人間に対して、

「死んだら周りの人が悲しむ」

「親不孝」

などと言う人はたくさんいる。

 

その人の背景も、過程も、思考も、絶望も。

何も知らないのに。

 

人がひとり死んだところで世界は変わらない。

お店はいつも通り開店するし、学校だって休みにならない。

 

 

ただ。

残された人は。

 

わたしも、想像力が欠如しているわけではない(と思っている)

 

 

思い出すのは姉と祖父のこと。

 

3つ子だった。

3姉妹。

新生児の出生直後の平均体重は、1人約3000g。

それが、わたしたち姉妹は3人合わせてようやく3000gという小ささだった。

 

1番上の姉は、生まれつき心臓に疾患を抱えていた。

産後、ぼろぼろの身体で母は2日に1回病院に通った。

生後数か月で姉は幾度となく手術を受けた。

 

けれど。

生まれて5か月後。

冬だった。

冷たい病院で、姉は静かに死んだ。

 

母は冷たくなった姉を抱き、自宅に帰ったという。

それが、姉にとっての最初の帰宅だった。

 

もう少し大きくなったら着る予定だった、3着おそろいのベビー服を着て、姉は棺に入れられたという。

 

焼かれた後の骨。

少し力を入れただけで折れそうなほど、細かったんだよ。

父は12歳になったわたしと姉に言った。

 

たった数枚の写真と、血流が悪く赤黒い姉の肌、そして名前。

それがわたしにとっての、姉の記憶のすべて。

 

 

 

そして祖父のこと。

わたしが大学を休学して実家で過ごしていた、2017年。

 

9月の終わりが、もうすぐそこまで来ていた。

その日私は午前中に病院、そして夕方からアルバイトのシフトが入っていたため、朝早くからバスに乗って市街地に向かう予定だった。

 

いつものように交わした「おはよう」

 

 

これが、祖父とした最後の会話になった。

 

病院を出て、夕方のアルバイトまで時間があったので時間を潰そうと、私は通いなれたカラオケボックスに行った。

歌の休憩中、近くのコンビニで買ったポトフを食べていた時に入った母からのLINE。

 

「おじいちゃんが事故に遭って運ばれました。病院に行ってきます」

ちょっとまって、どういうこと?

 

状況が飲み込めなかった私は、今すぐ病院に向かったほうがいいのかを聞いた。

すると母は「まだなんとも言えないし、あなただってシフトに穴をあけられないだろうからバイトは休まないで行きなさい」と言ってきた。

 

言われた通りにその日のバイトをこなし、帰宅。

帰ってきたわたしに父は、「意識はまだ取り戻してないけれど、脳内の出血が収まったから、このまま出血がなけれじきに回復するだろうってさ、介護生活になるかもな」と言った。

病院からの緊急の連絡もなく、その日は就寝。

 

翌日。

その日はお昼過ぎからバイトのシフトが入っていたので、その前に祖父のお見舞いに行くことになった。

母に連れられて行ったのは、集中治療室。

 

沢山の機械に繋がれている祖父がいた。

家族でなければ誰だか分からないほどに顔中傷とあざだらけ、赤紫色にはれ上がっていた。

人工呼吸器の無機質な音が響く異質な空間で、わたしはたまらず祖父の手を握った。

 

あたたかい。

痩せて薄く、骨ばっているそれは、確かに祖父の手だった。

 

家族の中でわたしのことを誰よりも好きでいてくれて、いつも「あんたいい子だね」と頭をなでてくれていた祖父。

昨日の朝、いつも通りおはようのあいさつをしたのに。

 

目の前にいるのは、代わり果てた祖父だった。

 

 

急に涙があふれてきて、止まらなくなった。

父はああ言っていたけれど、わたしには直感で分かった。

 

祖父はもう目覚めることはない。

 

「あんた、バイトあるんでしょ。

行きな」

母が声を掛ける。

 

私が首を振ると、母は声に怒りをにじませた。

「待っている生徒がいるでしょう、責任をもって仕事をしなさい」

 

逆らえなかった。

涙を拭いてバスに乗り、バイト先の予備校に向かった。

 

感情を隠して授業をし、帰りのバスに乗るためにバスターミナルについて、少しした時。

 

 

「亡くなりました」

 

父から、たった一言連絡が入った。

頭の中で、集中治療室で聞いた機械音が響いていた。

 

途中の停留所でバスを降り、病院に向かった。

 

 

ベッドに寝かされた祖父の顔にかかっていた白い布。

母が許可を取ってその布をよけた。

 

顔の傷や怪我、顔色の悪さを除いたら、いつもの祖父となにも変わりはなかった。いますぐにでも、起きて話しかけてくれるんだと思った。

 

 

祖父の薄い手を握った

冷たかった

 

数時間前はあたたかかった手。

いつも私を抱きしめてくれていた手。

 

 

どんなに力を入れて握っても、もう握り返してはくれなかった

 

その日から、わたしたちは「家族」から「遺族」になった

ひとりの人間が死ぬということは、そういうことなのだと、祖父を亡くして知った。

 

 

 

 

ねえ、じいちゃん。

成人式の振袖が見たいってずっと言ってたよね、

わたしたち振袖着たよ、写真も撮ったよ。

ねえ。

なんで。なんで写真にじいちゃんはいないの。

一緒に映ろうよ、ねえ

 

 

叶わなかった、じいちゃんの88歳のお祝いもしたんだよ。

あまり食に興味のないじいちゃんだけど、

あの日の朝おばあちゃんに「うなぎが食べたいなあ」って、言ってたんだってね。

うなぎ、食べたんだよ。

ねえ、どうして、

じいちゃんのお祝いなのに。じいちゃんいないじゃん。

ねえ

帰ってきて

 

学校にいけない日、じいちゃんと猫と一緒に縁側で過ごしながらさ、

「学校に行けなくても、あんたはわしの大切でかわいい孫だ」

ってじいちゃんが笑って言ってくれたから。

だからわたし、今生きてるんだよ。

 

ねえ

戻ってきて

 

いつもそうしていたみたいに、

頭を撫でて

「あんたは本当にいい子だね」って笑ってよ

ねえ

 

 

人が

人間が1人亡くなるということは、そういうことなんだ