博士の就活(Amazon Web Services)

前回の記事の続きです。

 

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 2017年2月 重い腰を上げて実際に面接に行き始めた

もうほとんどエネルギーが残っていない状態だったが、研究も全然進んでないししぶしぶ、重い腰を上げて本格的に就活を始めた。

行きたそうな企業にメールを送ってエントリーできそうな企業は目星をつけておいた。

外資系数社と、あとは国内大手企業だ。

就活の軸について

コンピュータができること、英語ができることをメインスキルとして、ある程度合理的あるいは科学的に思考ができることを自分の長所とした。

究極的には、世界中の困っている人を助けたいという夢があるので、この軸に当てはまりそうな会社があるかどうか探した。

IT企業のユーザー系(いわゆる親会社が大会社にいてそのシステムを作っている)企業で、開発ができそうなところを探した。

というのも、僕はあまりお金はもらえなくていいから、とにかく残業が少なくて長続きできる仕事がしたかったからだ。

IT企業で有名なメーカー企業(富士通、日立など)は残業がすごく多いので、できるだけ避けたかった。

もしユーザー系が全滅したらメーカーも受けるしか無いと思っていた。

あまりジャンルは絞りすぎず、金融、化学、鉄鋼、インフラなどなど、いろいろなユーザー系を受けることにした(もちろん、メールが返ってきた企業の中で)。

Amazon Web Services

一番最初はAmazon Web Servicesにエントリーした。新卒枠でとにかく応募。

AWSといえば、クラウドサービスを提供している第一人者だ。

いわゆるインターネットインフラを提供している有名企業だ。

コレ以外のインターネットインフラだと、パブリッククラウドだとMicrosoft Azureなどがある。

応募してみると、入社試験がメールで送られてきた。

なんと、AWSが仕様を決めるのでその仕様を満たすようなWebサイトを作成せよという課題だった。

これにはびっくりした。

大抵の国内企業は、SPI3とか玉手箱とかWeb試験が多い中で、こんなに実践的な課題を出してくるとは全く予想していなかった。

しかし、ちょうどRubyで3年間コーディングの経験もあるし、Ruby On Railsをかじっていたこともあって、ちょうどいい腕試しになった。

猶予期間は1週間。

この課題を1週間で完成するとなると、完全な初心者だとかなり難しい課題だと思うが情報系の人たちを取りたかったということなのだろうか。

それとも、完全にできなくても良いということだろうか。

基準はわからないが、研究をする傍ら1週間ギリギリで僕は出された仕様は全て網羅して提出した。

もし需要がありそうなら、具体的な内容を書いてもいいのかなと思っています(確か試験問題を公表してよいかどうかは規約とか特に書いてなかったし・・・)

すると、面接のための前準備でAWSの人事のリクルーターから電話がかかってきた。

いつ面接するのか、どういう趣旨の面接なのか、疑問点や不安点はあるかなどいろいろ電話で相談。

3月初旬に面接をすることになった。

AWSが一番最初の面接になりそうだ。

自己分析をちょこちょこやって、エピソードをいくつか用意した。

リクルーターの人から、こんな質問がありそうということをいくつか聞き出しておいたので、それに対してもエピソードを用意。

社訓のようなものを暗記して、その社訓に適したエピソードを用意しておく必要があった。

いくつかエピソードを用意して、臨んだ。

当日、緊張した面持ちで目黒にあるAWSのフロアに向かった。

スーツはもちろん、以前に買ったものが入らないので新調している。

ビルの中に入って、1Fでもう一度面接で聞かれそうな内容を空で言う。

時間ギリギリまでそうして復習した。

そして、14FのAWSのフロアに到着すると、面接に通された。

AWS1次面接

1次面接は技術面接なので、技術の話が中心になった。

  • 自己紹介(プログラミングスキルについて)
  • プレゼンテーション5分間
  • 課題1-4の内容についての質疑応答
  • 社員さんとの質疑応答

 

全体的に必死に答えていたし、あまり自信があるようには見えなかったと思う。

~かなと思います

というのが非常に多かった。

自信なさげなのがまるわかり。

 

自己紹介について

あまりまとまって話せなかった。

また予め送っていた職務経歴書に書いたAWSの使用歴についてもアピールできなかった(AWSの経験があるんじゃないの?と突っ込まれた)。

 

プレゼンテーション5分間

あまり洗練されていなかったし、自分自身説明しながらわからないところが多くてきちんと説明できなかった。

また、突っ込まれた質問をされたときにきちんと説明できなかった。

ただ、わからないと断った上で、想像すると~だと思います。

という言い方にした。

 

という感じで、かなりボロボロ。

感触も悪かった。

失意のままAWSを後にした。

 

AWSを一次面接結果

当然、駄目だった。

まぁ落ちても仕方ないだろうなとは思っていた。

とりあえず気にしても仕方ないので、次の企業に向けて企業研究を進めていった。

 

 

博士課程中退を覚悟して就活を始めた

とにかく辛い博士課程

前回の記事に書きましたが、

博士課程に2016年4月入学。

なかなか結果が出ず、とにかく辛いという思いしかなく耐えきれなくなった。

周りに博士課程の友達もいないので、相談もできない。

博士課程に入ってわかったけど、博士ってほんとにすごい。。

実際やってみると僕は研究者には向いていないことがわかった。

 

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 僕が研究者に向かない理由

なぜ僕が研究者に向いていないか考えてみた。

  • エンジニア気質である→これは先輩に指摘されたことで、全体の目標を見失ってどうしてもプロダクトを動かすのに集中してしまい、それで結果が出せなかった。また、エンジニアリングとリサーチは違うものであり、僕は科学をしているとは言い難い。
  • とても悲観的→僕はいつも自信がない。幼少から否定されて育ってきて、何をしても自信がなく、壁を超えられない。転んだらそのまま倒れて起き上がれない事が多い。鬱になる可能性も高い。そして研究というのは、結果がでなくて周りから叩かれようが自分の意思を曲げずにやり抜く勇気と度胸と、知識と理屈に裏付けされた根拠が必要だ。僕はそのどれもがなかった。
  • 興味の幅が狭い→科学するというのは、研究マップの隙間を埋めるか、既存の研究マップを塗り替えることである。これは先生も先輩も言っていた。だから、与えられたテーマを深掘りするだけでなく、周りの研究マップを見渡して自分の研究テーマがどの位置にあって、隙間を埋めるか既存のマップを塗り替えるだけのオリジナリティがあるかどうか常に確認する必要がある。僕はどちらかというと、深掘りしていくのは得意だが、広い知識を得ようとしないために、自分の研究がどれだけ重要なのか理解していなかった。
  • 博士課程のテーマの知識が圧倒的に足りなかった→これは、さほど重要な理由ではないけど、やっぱり全く新しいテーマで博士課程をやろうと思ったら、ある程度バックグラウンドが必要なのは間違いない。3年で博士を取ろうと思ったら、修士から続けないととても間に合わない。僕は、その点で非常に不利であった。きっと、先生から与えられたテーマなら、先生がきちんと考えて与えたテーマのはずだから大丈夫だろうという勝手な期待をしていたので、見立てがとても甘かったといえるだろう。

とまぁ、ここまで分析できてなぜできなかったのか。

それは、精神的に余裕がなかったからだろう。

 

結果が全く出なくて焦っていて、とにかくソフトウェアを動かそうという思考しか働いていなかった。

しかし、上記の条件をクリアしていたとしても結果が出ていた保証はない。

僕のやり方で偶然うまくいくテーマであったなら、ここまで泥沼にはまらずに済んだかもしれない。

しかし、後の祭りだ。

次からの改善点として、やっぱり精神のケアが必要なのは明白だ。

今自分がどの位置に居て、どの方向に向かいたくて、なぜそれをやっているのか。

なんで辛いのか。

辛いのを解消したかったら、どうすればいいのか。

とにかく、闇雲に行動していた。

その辺のことを、考える余裕もなかった。

考える癖もなかった。

思考停止していた。

 

2017年1月 博士中退を覚悟して就活を始める

年齢も結構行ってるし、会社は途中でやめてるし、博士も中退になってしまう。

本当は、博士をクリアして、自分がまとなことを成し遂げたと証明したかった。

中退になったら、年齢も行ってるし、まともな企業に入ることは難しいだろう。

だから、中退するのはかなり迷った。

だが、この頭が飽和した状態で研究を続けていくのもまた無理だった。

一旦、研究から離れたかった。

あまり気は進まなかったけど、仕方なく就活を始めた。

正直、会社で鬱になった経験から人付き合いも苦手だし、また会社に行くことに対する不安も非常に大きかった。

だから、今回は大手の企業で優しい人が多くて社員を大事にしている会社だけに絞って就活を始めた。

この時、非常に不安定な状態になっていた。

 

2017年1月 メールを各社に送って就活できるか確認する

大手企業で、良さそうな企業をリストアップした。

職歴もすでにあるので、2018年新卒で採ってくれる企業はほとんどないんじゃないかと期待せずに送った。

結論から言うと、30社ぐらい送ったが、そのうちの半分ぐらいは新卒入社の採用試験を受けることができるという回答を頂いた。

いくつかの会社は中途採用になるという話をもらったが、僕は中途で入れるほどの経験はないので、中途は基本的に避けた。

ただ、新卒というほどフレッシュでもない。

僕は本当に異端児だ。

藁にもすがる思いで、その15社のうち更に10社程度に絞った。

研究も一応やっていたので、このぐらいの数しか受けられない。

1週間まるまる研究室に来ない日を作ると、怪しまれるからだ。

多くの会社はSPIとか玉手箱とかいろいろな形式があって、それの勉強もしなくちゃいけない。

あーしんどい。

続く

 

 

 

 

 

 

 

博士課程入学と就活

久しぶりの更新です。

見に来ていただいていたのに、全く更新できず申し訳なかったです。

最後が2016年なんで、去年ですね。

去年はダイエットしようとしていて、結局今までズルズル来てしまいました。

とりあえず、昨年から何があったか書きます。

2016年1月から4月まで 博士課程入学

生命科学の大学院の博士課程を目指した。

理由は、

  1. 辛い時に先生に支えてもらったこと→その先生のもとで研究がやりたい
  2. 客員研究員までなり、比較的客員研究員の仕事も進んだため研究に自信があった
  3. 修士の時に、卒業ギリギリまで結果が出なかったが、師匠に助けてもらってなんとか結果を出せた。研究が面白いのがわかったときには就職していたので、研究を続けたかった

ということで、某大学の大学院博士課程を受験。

3月に審査があり、研究室の先輩に助けてもらってスライドや発表内容をよりよいものにした。

普通は、博士課程は修士から続けて行くものだが、僕はかなりの異色で修士と博士が違う研究室だ。

そのため、質疑応答では博士課程で研究する内容を聞かれて全くわからず、ボコボコにされた。

すでにその時点で自信がなくなっていた。

正直、審査には落ちたと思っていた。

が、フタを開けると受かっていた。

質疑応答ではほぼ全問答えられなかったし、無理やり答えようとしてめちゃくちゃになったので無理だと思っていたが、なんと合格していた。

そのまま、4月に入学。

 

4月から9月まで 研究に邁進するが壁にぶつかるが学会発表

これまで客員研究員でやっていたこととは全く違うテーマを行うことになった。

そこで、全く新しいテーマで研究の訓練を受けていない自分がいきなり博士課程の学生として研究をすることになった。

テーマは大雑把に言うと、計算科学と生化学を融合したもので、よく分子動力学だの言われる計算系のテーマだ。

実は、修士では研究はしていたものの、いわゆる放置系研究室にいたため、まともに指導を受けられなかった。

結果が出たのは師匠のおかげであり自分の実力ではない。

客員研究員の時は、アプリ開発=研究と思っていたフシがあり、修士の時に結果をなんとか出したことやアプリ開発がうまくいったこともあって、研究もできると思っていた。

これはとんでもない思い違いであったとすぐに気付かされた。

一番教授に言われたのは、

「なぜそれをやるのかわからない」

「あなたが何をしたいのかわからない」

「簡単に意見を変えてはいけない。人に言われたとおりのことをするだけなら博士をとる資格はない」

というふうに言われたことだ。

こちらとしては、無い知識なりに浅い考えで研究を進めていたが、やることなすこと全部否定されていった。

5月くらいには、セミナーの後で自信を喪失して図書館で引きこもってふて寝もしていた。

しかし、そこは踏ん張りつつ、研究を続けていった。

8月くらいまでには、今やっている研究テーマが実は世界的に非常に難しいテーマで、誰も到達できていないことを目標にしていたことがわかった。

4月にテーマを与えられたときには、誰がやっても結果が出ると教授から言われていたのにだ。

都内の文京区にある某国立大の先生にもいろいろ聞いてみた結果、今の僕の研究で結果が出るのはほぼ奇跡だとも言われた。

それを伝えられたあと、教授も考えを改めて非常に難しい課題であるというふうになった。

結局、ネガティブデータしか出ておらず、9月の学会までに出せるデータはまともなものがなかった。

しかし、とにかく研究実績を作るためにこれまでの研究成果をまとめてポスター発表した。

実はこれが人生で初めての学会発表だった。

学会では研究者や学生が集まって、いろいろ話を聞いたり聞かせたりしてすごく有意義だった。

 

先輩から言われた、あなたはエンジニアであって研究をしていない

学会が終わってから、先輩に呼び出された。

学会の様子を見ていた先輩から言われたのは、

「あなたはソフトウェアを動かそうとして必死になっていて、全体の目標を見失っている。

とにかく、インプットとアウトプットだけが重要で、科学するということを意識してやっていない。

ソフトウェアが動くように、あるいは結果が出るようにランダムにピースを持ってきて、はめて動かなかったらまた別のピースをはめるだけ。

どんなピースが合うだろうかという視点がない。

科学的に意味のあることとは、そういうことではない。

ある目標をクリアするため、科学的に意味のある仮説を検証するためには、ソフトウェアにこだわるべきではない。

むしろ、その背景にある原理を理解し、新しい方法を考えるべきだ。

あなたのやっていることはまさにエンジニアだ。」

確かに、言うとおりだ。

私は、目先のことにとらわれて全体が見えなくなることがよくある。

人に言われることに左右されやすい。

自分の意見がない。

それは、自分に自信がないからだ。

自分に覚悟がないからだ。

変えていかないと、結果は出せないだろう。

9月から12月まで 結果が全く出ず、病み始める

論文を読んで、考えられることはやってみたが一向に結果がでない。

そこで、これまで使っていたアプリケーションとはまた別のアプリケーションを使って計算を試みた。

しかし、バグが多くまともに動かせるようになるのにすごく時間がかかり、そもそも計算原理を完璧に理解していたわけではなかったので、闇雲に計算をしているだけの状態になっていた。

計算原理についてはゆっくり勉強を続けていた。

少しづつ、わかっていった。

しかし、新しいアプリケーションを使ってからもう半年経っていて、まともに計算ができていない。

この頃から、6月頃にあった情熱は完全に失せて、研究室にもあまり顔を出さなくなっていた。

通うのがしんどい。

辛い。

辛い。

辛い。

アトピー鬱状態も酷くなっていった。

このあと、2年次に学内全体発表があるし、論文やディフェンス試験もある。

それをあと2年以内にやらないといけない。

絶望的だ。

12月から5月まで 就活

とにかく、精神的に辛い。

なんとかしたくてもどうにもならない。

そもそも、自分は研究に向いていない。

そう思うようになって、就活を考え始めた。

今から、就活は間に合うだろうか。

こんな経歴でも、どこか拾ってくれる会社はあるだろうか。

以前の会社はあまりにもひどくてうつ病を発症したので、会社自体無理だろうと思っていた。

だが、そんなことは言ってられない。

その時に考えたのは、研究するか就活するかの二択だった。

絶望していた俺は、就活に希望があるかもしれないと考えて、就活を始めた。

IT企業に目星をつけた。

研究は一応続けていたので、研究しながらの就活になった。

とにかくしんどい。

太ったのでスーツも合わなくなっていた。

続く

脂肪肝

お久しぶりです。

前回の更新が10月でしたね。

あれから忙しくて、更新しようと思いつつも更新することができていませんでした。

さて、10月後半に血液検査を実施しました。

ダイエットを辞めてしまったので、また悪化していました。

とはいえ、前回のように100を超えた数値ではないですが。

やはり、脂肪肝なのでしょう。

消化器科内科の先生にも診断を受けましたが、これまでの数値を見てもらったところ恐らく脂肪肝だと思いますと言ってました。

ただ、若いのでダイエットすれば肝機能は戻ると言ってました。

早速ですが、血液検査結果です。

血液検査結果

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AST、ALTともに高いです。

40-100までの間は軽度の脂肪肝と言われています。

半年以上この値でしたので、どうも脂肪肝の可能性が高いと思われます。

お酒は一切飲まないので、γGTPは基準値内です。

やはり、食生活なのでしょう。

これまで、ダイエットは結局一度もうまくいってません。

モチベーションが続かなくなります。

そして、最近更に鬱状態がひどくなってきました。

何事にもやる気が出なくなってしまいました。

鬱症状悪化

12月後半から、うつ状態が悪化。

理由はいくつかありますが、何もやる気が起きなくなってしまいしばらく寝たきりになってしまいました。

12月19日からずっと寝続けて、2週間ほど寝続けました。

友達との忘年会には出ましたけど、それ以外は基本外出していません。

1月になってもしばらくこの状態から抜け出せませんでした。

1月最初の出勤日に無理やり大学に行ってから、なんとか立て直すようになりました。

12/28に心療内科診察の時は、BDI2 Testのスコアは、15/63でした。

前回11/30の時はBDI2 Testは5/63です。

薬もしばらく飲んでいなかったので、ひどくなってからまた飲み始めました。

アレロックエビリファイをずっと処方されています。

いくら寝ても眠いし、寝付きが悪いし、夜遅くまで目が冴えてしまいます。

朝起きても布団からなかなか起きられません。

3時間ぐらいしてようやく布団から出られる状態です。

大学まで遠いので、昼から行こうと思うと更に足取りが重くなります。

いろいろやらなくちゃいけないことがあるのに、それが全くできていないこと、大学に行けていないことが重くのしかかり、自己嫌悪、更に外出できなくなるの悪循環でした。

こういう状態になったら、もうぬけ出すには無理やり何か理由をつけて外出するのが一番良いでしょう。

それ以外にこの状態から抜ける方法はないと思います。

アトピー治療について

現状、安定してはいますが、血液検査結果から分かる通り、1000付近を堺にまた上昇し始めました。

うつ状態などもあり、メンテナンスができなくなって悪化したりしました。

今また額の状態が悪化しており、カサカサの状態です。

9月~10月前半が一番良かったのではと思います。

薬はメサデルムとヒルドイドソフトの金剛クリームを体に、額はプロトピックと塗り分けています。

額が酷かった時はプロトピックより一段上のステロイドクリームを塗っていました。

ダイエットについて

実験が忙しかったり忙しくなかったりして、生活リズムがおかしくなってしまいました。

11月後半および12月前半には、泊まり込みで徹夜もしました。

その段階で完全にダイエットという意識はなくなり、食べたいものを食べて実験に集中しようとしました。

その結果、体重は現在測ってもおらず、どれぐらいかわかりませんがまた3kgぐらい太った気がします。

今は実験が一段落して、プログラムの仕事も終わったのでそろそろ再開しようと思いますが、なかなか続けるのが難しい現状です。

2月、3月もまた中断されてしまうようなイベントが待ってるので、、どうなることやら。

とりあえず、体重を測ることと運動から初めます。

食事制限は無理だと思うので(笑)

 

肝臓復活のお知らせ

前回から1ヶ月ほど経ってしまいました。

9月は3日ほどしか休みがなくて、更新する暇もありませんでした・・・

さて、ダイエットの結果と肝臓の結果です。

まずはダイエットの結果からです

9/8(火)が87.00kg

10/07(水)が85.70kgです。

一時期85kgを切っていたのですが、異常な空腹感から鶏肉1kgとインスタントラーメン、バナナ3本など瞬間的に食べてしまい、リバウンドしてしまい一気に86kg台まで行きました。

その後で少しだけ減って、現在85.70kgです。

食事は揚げ物を全て絶ちました。

食事はもやしを多めに取るようにし、カロリーの高い揚げ物は控えて炭水化物を減らしました。

ダイエット中の主食:伝説の唐揚げ粉

主食はタンパク質の多いサラダチキンや、胸肉の皮を外したものを、から揚げ粉をつけて油を一切使わず、電子レンジでチンするだけです。

使ったから揚げ粉で美味しかったのは、オーマイから出ている「伝説のから揚げ粉」です。

 

 胸肉は基本的に、パサパサしていて味気もないし食べにくいです。

そこで、この伝説の唐揚げ粉をつけることで電子レンジ調理した時に肉内部の水分が飛ばなくなり、しっとりとしています。

一工夫することで、おいしく食べられるようになります。

小麦粉の衣は油をつけなければ大したカロリーにはならないので、カロリーが心配な人にもおすすめです。

胸肉に含まれている僅かな油で完璧とは言えませんが、ある程度揚がってしまいます。

油が無いので完全には揚がらないので衣が少しベチャっとしてますが、慣れれば食べられます。

お茶でお腹をふくらませる

それと、多く摂るようにしていたのは鳥胸肉以外ではお茶です。

お茶をとることでお腹を膨らませ、少しでも食べる量を減らそうという作戦です。

お茶を買うと高いので、多くの場合はお茶のパックからお茶を出して飲んでいました。

ダイエットを続けた結果、肝臓は?

さて、血液検査を受けてきました。

8月には常人の4倍ほどの値が出ていた肝臓の数値ですが、最新の結果では安全圏まで数値が減っていました。

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ALTは僅かに高いですが、ほぼ安全圏です。

主治医の先生に聞いてみましたが、一体あの数値はなんだったんだろうとのことです。

少なくとも赤血球や白血球数に問題が見られないため、肝炎ウィルスということはないだろうとわかります。

唯一考えられるのは、やはり揚げ物です。

前回の投稿でも書いたとおりですが、あの食べ方はやはり異常だったと思います。

 

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 それなりの反応が出てもおかしくないとは思っていましたので、揚げ物でここまで数値が跳ね上がるか不明ですが今のところ考えられるのは揚げ物以外ありません。

4,6月の血液検査結果とくらべても、今のほうが肝機能が良い結果になっています。

というわけで、ダイエットのプラスの効果が現れたのかなと思います。

確たる証拠はありませんが・・・

運動は忙しくてほとんどできなかった

9月中は非常に忙しく、一度作業に入ってしまうと手が離せないためそもそもご飯をまともに食べている時間すらないぐらい忙しかったように思います。

帰りも遅く、11時や12時近くに帰ることも多かったです。

それだけ遅いと、もうサイドステッパーを使って運動しようという気にはならないです。

筋トレもやっていましたが、9月後半の忙しさで中断されてしまいました。

作業に集中していたおかげでご飯を食べずに済んだので、ある意味忙しいことはダイエットにつながるかもしれません。

しかしながら、忙しさから開放されると一気にリバウンドする可能性がありますし、実際そうでした。

10月から職場も変わり、時間にゆとりもあるので運動も再開できそうです。

しかし、体を動かさないIT系の仕事は、忙しく体を動かす仕事よりもお腹が空きやすい気がします。

血液検査結果が良かったこともあって、つい4日ほど前から揚げ物を口にし始めました。

もちろん、昼飯だけです。

それ以外の食事では一切揚げ物は摂りません。

さすがに、油物で目が飛び出るほどの肝機能の悪化を見るのはもう懲りました。

これからも可能な限り、油物は控えていく予定です。

さて、翌月はダイエットの目標として85kgを切ることです。

食事量をコントロールするのが難しいため、どうしても運動と組み合わせないと痩せられそうもないです。

運動続くか不安です。。

 

では。

肝臓終了のお知らせ

肝機能障害

血液検査結果を見ました。

8月後半の血液検査でしたが、TARCはかなり下がっていました。

ところが、もっとヤバイことを発見しました。

肝臓です。

思い当たることがあります;

朝飯:揚げ物3個

大学に行き始めてから、ストレス解消と空腹感を満たすために、いつも片手で食べられるものを途中のスーパーで買うわけです。

おにぎりと、揚げ物コーナーにあるもの、特に魚のフライ、穴子、ハムカツ、コロッケなどです。

朝から、揚げ物2~3個、+おにぎりとお茶を買います。

こうなったのも東○ストアが揚げ物コーナーを置いているせいだ!と言いたい。

で、買ったものは片手で食べられるので、大学に行く途中の駅で、立ち食いです(笑)

駅の人たちからすると非常にはしたないかもしれません。

すいませんでした。

でも、食欲が強すぎてとても止められませんでした

これが始まったのが、アレロックを飲み始めてから、だった気がします。

飲みなれしたらいい加減、食べなくなるかなーと思ってましたが、習慣とは恐ろしいものです。

油物がもともと大好きだったので、そのまま食べ続けました。

昼飯:揚げ物定食

大学では、鶏の唐揚げ定食などを食べていました。

時間の都合で朝、駅で食べきれなかった分の揚げ物は昼飯に食べます。

胃もたれ、胸のむかつきなどは一切感じませんでした。

大学の帰り:ファミチキ

大学の帰り、お腹が減ります。

帰りにファミリーマートや、セブンイレブンはどこにでもあります。

小腹がすいたら誰でもコンビニには寄りますよね?

僕の場合、入ったら最後、必ずファミチキをオーダーします。

ファミチキホットの方が若干安いのですが、口の周りが辛いし油っこくなる気がしてファミチキにしています。

土日の昼間:スパゲティ800g or お米2.5合+油+アイスクリーム

土日の昼間は、たいてい家に居ます。

そうすると、無駄に腹が減ってきます。

朝の間、腹が減ってるけど飯作るのが面倒な時はアイスクリームを前菜として食べます。

そして昼になります。

僕は昔から炭水化物と油が大好きなので、それを補充しようとします。

27歳でもう30歳近いですが、スパゲティ 乾燥で500g以上茹でます。

茹で上がると倍ぐらいになってますから、ヘタしたら1kg近いかもしれません。

これに、オリーブオイル+塩コショウ+卵 or パスタ用缶詰 で食べます。

あるいは、スパゲティがないときはお米2.5合を炊きます。

丼に山盛り入れて、ダシの元+オリーブオイルでひたひたにして食べます。

めちゃくちゃ美味いです。

これを3ヶ月続けた結果:肝臓機能障害?+15kg増量

体重を久しぶりに測りました。

87.5kgでしたので、以前の安定していた体重からすると15kgは太りました。

教授や、友達に明らかに太ったねと言われます。

親からは異常に太りすぎだと何度も怒られました。

それでも、食べ続けました。

本当に馬鹿でした。。

急速に異常に太ったのが、1つのサインで、それは体が出しているヤバイぞというサインだったはずです。

それを無視して、食べたいままに食べ続けた結果が出てしまいました。

血液検査結果

 

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ALT, AST, LDH, γ-GTPどれもHで、基準値の2~4倍になっています。

ざっと調べたところ、このレベルだと肝機能障害有りの脂肪肝だそうです。

我ながら、この結果を見た瞬間に血の気が引いてしまいました

あまりにも酷いため、主治医の先生に相談しましたが、翌日緊急採血になりました。

それがつい先日になります。

先日の値は貼りませんが、この値のおよそ半分程度になっていました。

この結果を知らされるまでの間、発狂しそうになっていました。。

少し安心しましたが、全然安全圏ではないため、経過観察になりました。

ただ、良いニュースは、TARCは前回よりも更に下がっており、1900→1000程度になっていました。

アトピーは順調に治ってきています。

ただ、アトピーが治っても今度は肝臓がやられてしまいました

あっちを立てるとこっちが立たず、状態です。

ダイエット始めました

ということで、このまま進んでいくのは自殺行為です。

検査結果は嘘をつきませんから、今回流石に参りました。

これはもう、今までのような生活を続けていたら肝臓が死ぬ

これを痛感しました。

僕は一度痛い目に合わないと真剣に自分のものとして考えられません。

たとえ他人からアドバイスをもらっても、嫌な言い方をされたりするとアドバイスとして受け取らない場合が多いです。

親からはさんざんこのことについて言われていましたが、親からのアドバイスはいつも反発していました。

今考えてみると親が言っていたことは正しかったわけですが、実際そうなってみないとわからないものです。

今まで何度かそういうことがありましたが、今回もこのパターンでした。

さて、本当に肝臓がダメになる前に、肝臓を休ませることにしました。

ダイエット手法について

ダイエット。今まで実は一度も成功したことがありません。

結局強すぎる食欲をコントロールしきれないんです。

ただし、今回は本気でやらないと自分の命がかかってます。

まずは、記録をつけることにしました。

いわゆるレコーディングダイエットです。

僕がTARCを測定したのも、それを励みに治療のモチベーションを上げるという意味も含まれています。

ただ、食欲は薬をつければ収まるものではないので、なんとかして少しでも減らさなければなりません。

食欲を減らす方法として、水モノを大量に摂取することにしました。

特にお茶や水を常に摂取し続けることで、胃袋の迷走神経を刺激します。

そうすると、少しは空腹が紛れます。

それに体内循環も良くなりますから、一石二鳥というわけです。

実際に食べるものですが、バナナ、それからファミチキの油っこいものの代わりにサラダチキンという、鳥の胸肉の更に鶏皮がないものを食べることにしました。

サラダチキンは、1パック200円ですが、ほぼすべてタンパク質です。

多少パサパサしていますが、食べ慣れれば問題ないと思います。

味もしっかりついていて、油の味がなくても塩味が強ければ我慢して食べられます。

サラダチキンは1パック 200kcalで、200円です。ちょっと高いですが、良質なタンパク質が取れるためこれを食べています。

バナナは5本で200円程度です。朝や、小腹が空いた時に食べています。

運動と組み合わせて、とにかく摂取カロリー<消費カロリーにするようにします。

 

運動はするのか?

それから、運動についてですが、まずは僕の場合ものすごい運動不足でした。

大学の往復以外一切運動はしていません。

そこで、続くようにあまり負荷の高くない、スロートレーニング踏み台昇降を組み合わせることにしました。

負荷が高いとどうしても疲れてしまうし、苦しいからです。

スロートレーニングも苦しいですが、披露はそんなにひどくなく、以前は結構続けることができました。

スロートレーニングについては↓これを参考にしています。

 

1日10分〈クイック→スロー〉で自在に肉体改造 体脂肪が落ちるトレーニング (カラダをつくる本シリーズ)

1日10分〈クイック→スロー〉で自在に肉体改造 体脂肪が落ちるトレーニング (カラダをつくる本シリーズ)

 

超回復の概念は日本にしかないエセ生物学だと思いますが、それ以外のトレーニング方法としては間違ってないと思っています。

 

踏み台昇降は、ステッパーを使います。

 ↓これです。

エアロライフ(AEROLIFE) サイドステッパー DR-3865

エアロライフ(AEROLIFE) サイドステッパー DR-3865

 

 30分ほどで油圧のダンパーがものすごい熱を帯びて、抵抗が少なくなるのでそれ以上は使えませんが、集中して30分運動ができるためこれを使い始めました。

できれば毎日やりたいですが、帰りが遅い時はしないこともあります。

できなくても、悔やまない。

できたらラッキー程度で考えておきます。

The feeling goodの本にもありましたが、Shouldステートメントにしてしまうと、「~しなければならないのにできない、できない自分はダメ」となってしまって結局諦めてしまうからです。

結局、鬱病になりやすい人ってこういうダイエットも苦手なのかなと思ったりしています。

日毎に体重は絶えず変動するので、1週間単位で体重は見たほうがいいかもしれません。

上下しながら、全体のトレンドとして下がっていることが確認できればその方法で正しかったということになります。

アトピーブログでなくダイエットブログになるのか?

本当はアトピーを治すつもりのブログだったのですが、アトピーはかなり改善してきました。

今問題なのは肝臓で、それは食生活と運動から来ています。

アトピーの標準治療は食生活や運動が全くダメでも改善していることを僕自身が証明しました。

ただ、肝臓が死ぬと本当にヤバイので、今度はそれを改善することに重点を置いてブログを書いていきたいと思います。

現在の体重と体脂肪率

体重は87.3kg, 体脂肪率は30.3%でした。

3ヶ月でおよそ8kg程度の減量を目指します。

来月の頭には85kg程度になっていることが目標です。

ダメだった場合、都度やり方を見直していきます。

 

ではでは。。

今週の皮膚の状態と精神状態。おかしいことをおかしいと言えない自分の性格について考えてみた。

さて、しばらくやってなかった今週の皮膚の状態と精神状態についてです。

結論から言うと、更に一歩改善しました。

今痒いところは額、頭皮、襟足と、背中の一部だけで、それ以外ほとんど痒みはありません。

たまに手の平が痒い程度です。

東邦大学医療センター大橋病院にも行ってきて、薬の変更があったのでそのことについても書いていきます。

今週の皮膚の画像

さて、例によって今週の皮膚の画像です。

だいぶ綺麗ですが、こういった画像を見るのが嫌な方はブラウザバック推奨です。

画像:左腕

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赤みがあったのがほぼ引いて、少しだけ赤い薄い点が残っているだけとなりました。

陰影の影響で関節が赤く見えますが、特に引っ掻いたりしているものではないです。

画像:右手甲

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右手親指の付け根付近が掻いた後があります。

薬指の先端を少し掻いてしまっています。それ以外はかなり綺麗です。

画像:右掌

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手の平は以前、結構ひどくブツブツができていました。あまり画像ではわからないですが、相当しつこく痒みがあって、無意識に掻いてしまうこともありました。

現在、ほぼそのような痒みのある箇所はなくなっています。

画像:額

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額は東邦大学医療センターで治療を始めてから、まだあまり良くなってない部分でもあります。

頭皮が全体的に痒いのがなかなか引かず、4月から治療を初めてもう4ヶ月経っていますがここだけは治りが悪いです。

医師からは髪をもっと短くすれば治る可能性が高くなるといってました。

髪はあまり短いのは好きではないのですが、もっと短くしたほうがいいのかもしれません。。

 

今月の診察について

皮膚科

現在、状態が良いため1ヶ月に1度のペースで皮膚科と心療内科に通っています。

ただ両方共薬がないとやっていけないため、未だに薬は必要ですが以前のように寝たきりで絶望的な状態を味合わないで済んでいます。

薬は偉大です。

さて、皮膚の状態の紹介が終わりましたが、以前TARCを測定した時は1900程度でした。

今月も2ヶ月経過したので血液検査を実施。

IgE、肝機能、腎機能、TARCを測定しました。

結果は2週間後知らされます。

推測では、TARCが1500台程度までは落ちているのではないかと思われます。

今週の診察で話したことですが、以下のとおりです。

  • 全体的にかなり皮膚の状態は良くなっている
  • 顔の薬のランクを一番下のプロトピックに変更。額と襟足は変わらず、バルデス軟膏(キンダベート軟膏)を塗る
  • 体の方もかなり良い状態ではあるが、薬のランクは涼しくなってきたら落とす。
  • 現在、薬は2日に1回ほど塗っていると申告したところ、状態が良い時はいいけどやはり毎日塗って欲しいとのこと
  • 内服薬はアレロックしか効かないようだ

というわけで、今回一番の変更は顔が良くなったのでステロイド無しのプロトピックについに変更になりました。

今回プロトピックは初めて使いますが、ヒリヒリすると聞いているので少し躊躇しています。

とにかくステロイド無しの外用薬に変更できたのは良かったです。

心療内科

あまり心療内科では話すことがもう無くなってきているのですが、胸の痛みが再発したのでそのことを報告しました。

Beck's Depression Inventory-Ⅱのスコアは2/63と更に改善していました。

皮膚の状態もかなり良くなってるし、研究もある程度起動に乗っているし、お金は少し困っているけどそれでも5月の時に死にたくなる程度ではなくなりました。

事実、今は悩むことがなく快適です。

会社にいた頃は毎日、怒られて、憤慨しているけど表には一切出せずに感情を殺して生きていました。

ポジティブシンキングになる本(当時読んでいたのはマーフィーの法則の本)にすがっていました。

ひたすらいいことが起こるイメージを考えましたが、足りなかったのか、もともと意味なんかなかったのか、何も変わりませんでした。

自体は悪化していく一方で、結局鬱病発症、そして退職は免れませんでした。

さて、心療内科で話したことに戻りますが、以下のとおりです。

  • BDI-2テストで2/63と更に改善したけど、家庭教師を始める少し前の日に胸の痛みが再発し始めた
  • 胸の痛みを少なくする方法はあるのか?→物事の受け取り方を変えていく、あるいはストレスを溜めないようにする(アドバイスのようでアドバイスになっていない・・・)

以前にも書きましたが、今担当してもらっている先生は女性の医師でそんなに年も行ってないと思われますが、とにかくアドバイスが一般的すぎて鬱に陥っている人が解決方法を思いつく手助けになっていません

物事の受け取り方を変えていくと簡単に言うけど、どうすればそれを達成できるのか?

具体的な行動の方針を聞けませんでした。

自分の性格を治したい

もともと、相手の感情に過剰に反応してしまうために、自分がそういうことを遠慮無くズカズカ聞くことは、気心の知れた人以外はなかなかできないのです。

なんだか問い詰めると雰囲気が悪くなりそうで、そうなることが怖いのです。

よく考え過ぎと言われますが、自動思考のためにどうしようもないのです

もし考え過ぎと言われてそれが治せるならとっくに治っています。

相手に言いたいことが言えない、ある意味空気を読む力が強すぎるのかもしれません。

友達との間では別にこういうフィルターは無いのですが、知らない人になると大きな脳内フィルターがかかり、言いたいことが伝えられなくなります。

これは一般的だとは思いますが、自分はこれが相当強い部類で、いわゆる人見知りするタイプなのです。

そして、言いたいことが言えない=我慢してしまうので、それがストレスになります。

相手が自分よりも立場が下でも、言いたい放題言うようなタイプには圧倒されてしまうこともあります。

もっと毅然とした態度にならないといけないのはわかっています。アメリカンな人格にいつもなりたいと思っています。

ですが、それをすると態度がでかくなって、相手が嫌がるんじゃないかといつも低姿勢になってしまいます。

これは、Feeling Goodに書いてあるmind readingからくるThe fortune teller errorが強化されているバージョンなのかなと思います。

相手の心を読みたがる→いろいろ考える(いわゆる自己預言)結果、言える言葉が制限される

ということを永遠に繰り返して強化されていきます。

自分の言いたいことを言うには、預言することをなくす、すなわち相手の心を読みに行くのをやめなければなりません。

つまり、これ言ったら相手が嫌がるだろうな・・・とか思わなければ良いということになります。

これ、自分の性格を治す方針として合ってますか?

心理学に詳しい人がいたら教えて下さい。

おかしいことをおかしいと言えない人

日本人は思っていてもその思いを言葉に出さない人はたくさんいると思います。

特に、上司に対してはそうなんじゃないでしょうか。

会社にいた頃、新人だったため、自分が一番下で全ての要求を何も言わず受け入れなければならないことがありました。

そして、多くの非合理的なことをやっていることに気づきました。

そのことに気づいていても、誰にも指摘することができなかったのです。

おかしいことをおかしいと言えなかった。

非常にストレスになりました。

指摘したら、そのことを理由にまた怒られると思ったからです。

一番下っ端が、生意気なこと言いやがってと。

お局様やその他の上司が高圧的なこともあり、こういったことを相談に持っていく場所がほとんどなく、自分は会社で孤立していました

唯一、同期と人事の人が力になってくれました。

泣きながら、会社に行っていました。

辞めたくて辞めたくてしょうがない。

毎日、そう思いながら1年無理しました。

結果的に、鬱病、そしてアトピーの爆発に繋がりました。

どうしてこのような思考方法になったのか

自分が生まれ持った障害、例えば自分はアスペルガー症候群なのかなと思いましたが、人の話は聞きすぎるほど聞いてしまうので、アスペルガーではないと思われます。

アスペルガー症候群と思われる知人もいますが、明らかにそういう人と自分は違います。

では、それ以外だとやはり育った環境が大きいのかもしれません。

母親がスパルタで、私のやることなすこと、ほとんど全てを否定しました。

父親とも仲が悪く、いつも喧嘩していました。

自己肯定できなくなっていました。

いつも、親の顔色を伺っています。

そして自分のことはいつも嫌いです。

自分は、できないやつだと思います。世渡りも下手くそ、他人に見せる部分はいつも不器用なところばかり、評価はされず、病気もあるし、友達と比べたら今は仕事もしていない状態です。

ただ、幸い友達には恵まれたと思っています。

今でも、こんな自分と一緒に遊んでくれる友達が多くいます。

そして、良き師匠にも出会いました。

その人達には、本当に感謝しています。

ただもう1つ、問題なのが、否定されることから身を守るために異様に合理的な思考を伴うようになったことです。

とにかく、論理の隙があればそこをついて相手をねじ伏せる

そうでもしなければ、負け続けるからです。

でも、この思考、表には出ません。

だから、辛いのです。

相手が言っていることと自分の考えていることが違うとき、僕は相手の感情を優先します。

自分は言うことを控え、相手の言葉が正しいと言います。

そして、自分はストレスを感じます。ここで、相手に自分の考えを伝えられていればと思うことは何百回とありました。

僕の根っこは多分そこにあるのだと思います。

直し方は?

現状、ポジティブシンキング系の本で失敗したことは確認済みなので、あとは認知療法で地道に修正していくことしかできないのかもしれません。

今はまだ本格的に認知療法をしていませんが、やはりこれを改善するにはそういう方法をとる必要があるのかもしれません。

同じような悩みがある方、どういった方法があるのか教えていただければ幸いです。

 

では・・