おおきな「わたし」を想像するー"大我大欲"

社会の範囲とは、「わたしたち」という言葉が指す範囲だ。

それは今まで、民族だったり、文化だったりと、「唯一」であり、「統一」されたものだった。でも、"共通前提"が失われ、「社会の分断」が叫ばれる今、なすすべはないのだろうか。

人はアイデンティティを社会の中で見つける。

社会が曖昧なものになった今、アイデンティティもそうであるのか?

 

空海の遺した「大我大欲」という言葉を知った。

この言葉を前提知識のない僕の頭で、しかも今までの文脈に沿って解釈するとこうなる。

「社会という大きな範囲からおりてきて、我を定義するのではなく、我という小さな単位からはじめて、社会を想像するのだ」

「わたし」から「わたしたち」へ。

想像力の手をさしのべることで、人は共感し、小さな「わたし」が「わたしたち」へと大きくなっていく。「わたしたち」は決して画一的なものではなく、グラデーションや凸凹や、その他いろんな不協和音や摩擦を含み持つ。

ただ、その違和感も「まぁ、ええやん」と笑いとばせるユルさと寛容さを持ち合わせる。そんな社会の再構成法を、ぼんやり夢見ている。