「ありのままの自分でいる」ことをがんばる

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 「ありのままの自分でいる」ことをがんばる、「なぜかできてしまうこと」を大切にする、すごく大事なことだと思いながら読みました。

 

P163

 僕は大学生の頃まで、自分のことがとても嫌いでした。・・・

 ある日友達から、「なんでそんなに心開かないの?」と聞かれ、自分でも衝撃でした。そうなのか。だから自分には、友達はいても親友はいないのか、と気がつきました。なので、自分の「心を開けない」部分が特に嫌いでした。だけど、心の開き方がわからなかったんです。それから心を開いて話ができるようになるまで、2年くらいかかりました。なので、僕が人に心を開いて素で関われるようになったのは、社会人になってからです。ずいぶん葛藤したのを覚えています。

 そして、です。取り繕うのをやめて、心を開いて素で関わるようになったら、超楽なんです。人付き合いが。あんなに大変だったのに。これにはびっくりしました。ある日気づいて、びっくりしました。後からわかったのですが、「ありのまま」で生きる。素の自分で生きることが、一番幸せにつながる。これ、お釈迦様もキリスト様も同じこと言ってるらしいです。「人の幸せ」を追求すると、必ずそこにいくのだとか。お釈迦様でもキリスト様でも大仏様でもいいけど、もっと早く言ってよね。

 じゃあ、ありのままで生きるために、どうすればいいかっていうとですね。わかりません。そこまでは(笑)。

 それは、人それぞれなんだと思います。一つわかるのは、「ありのままの自分でいる」ことをがんばるということです。誰かと無理に関わったりしない。そのままの自分を大切にする。合わない人は合わない。その分、合う人、わかってくれる人をとにかく大切にする。そんな感じです。あるいは、訓練でもあります。みんな少なからず、筋トレはしたことあるよね。あれと一緒です。

 ・・・

 ありのままで生きる重要さが、もう一つあります。「成長」の定義についてです。僕が抱いている成長の定義があります。それは「生まれもった自分の武器を自覚し、生かせるようになること」です。

「生まれもった自分の武器」です。新たに身につけたものじゃないんです。

 繰り返しますが、知識や技術を身につけることも大切です。でもそれは、鎧でしかありません。鎧はあったほうがいいけどね。でもそれ以上に、生まれもった武器が重要です。それは、みんなにも必ずあります。生まれつきよく笑う。生まれつき人見知りしない。生まれつき慎重。大雑把。きれい好き。完璧主義。なんでもいいです。要は、訓練もしていないし、頑張ってもいないけど「なぜかできてしまうこと」です。これです。これなんです。これを見つけてください。

 この「なぜかできてしまうこと」を自覚して、生かせるようになることを、僕は「成長」と捉えています。

 魚がどれだけ一生懸命努力して陸で走れるようになっても、生まれつきなぜか早く走れるチーターにはかないません。逆にチーターは、どんなに努力しても、魚に水中で勝てません。努力は、自分に合った環境を選ばないと報われないんです。

 だから、生まれもったものじゃない部分を一生懸命伸ばして鎧にしても、本当の「成長」につながらないんじゃないかと思うんです。自分の「なぜかできてしまうこと」を大切にすることは、自分にとっての適した環境で生きることです。そうして、自分の生まれもった武器を生かせるようになれば、もう大丈夫です。あなたは自分のことを好きになれます。自分のことが好きなら、世界のどこにいても、幸せになれます。

 ・・・ゴールを間違えないでね。前述の「若者へのメッセージ」でも言ったけど、みんなのゴールは勉強ができるようになることでも、立派な人間になることでも、安定した職場に就職することでもないからね。みんなのゴールは、自分の生まれもった武器を自覚して、生かせるようになって、自分を好きになることだからね。

 抽象的な話ばかりになっちゃったけど、頑張らなくてもできることを大切にして、それで勝負してください。そうすれば、あなたは誰にも負けません。

目の前の人を幸せにすること

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 ほんとに大切だなと、印象に残ったところです。

 

P80

 Part1の最後に、もう一つ、大切な話をします。何かを始めたいと思っている人、今を変えたいと思っている人には、ぜひ聴いてほしい話です。

 えんがおは僕が25歳の時に設立しました。当時は意外と怖さはなくて、なんかいける気がしたし、別に失敗しても死にはしない、と思っていました。何より、周りの大人に恵まれました。この人たちが周りにいてくれるなら大丈夫だろう。そんな感じでした。

 ただ、それなりに批判もありました。・・・ダイレクトに言われることは多くはなかったですが、そういう声は聞こえてきたり、察したりしますよね。

 ・・・

 ・・・批判にも、正しいものもあったり、まったく根拠のないものもありました。時々、少しだけ傷ついたり心が折れそうになることもありました。そしていろいろ考えた結果、自分にできることは「目の前の人を幸せにすること」しかないと思ったんです。タスクフォーカスって言うらしいです。自分のやるべきことに集中する。批判は気にしない。

 とは言っても、批判的な声に左右されることもなかったわけではありません。あの人はああ言っているらしい、と気にして方向性を変えようとしたこともありました。でも、その時ついてきてくれる仲間たちも一緒に傷つき、悩んでいることに気がついたんです。

 そうなんです。リーダーが批判を気にしてブレてしまうと、ついていく仲間たちも一緒に気にするし、傷つくんですね。その時に、やめようと思いました。自分たちのやるべきことをやる。批判は気にしない。応援してくれる人だけを大切にする。結構振り切っているように聞こえるかもしれませんが、当時はそんなふうに割り切って進みました。結果、それが良かったように思います。

 ・・・

 面白かったのは、その方向性で進んで、しばらく経った頃、少しだけ、僕らの活動で喜ぶ人がはっきりと見えてきて、クラウドファンディングで150人の支援者から135万円集められたり、「次世代の力大賞」という賞をもらえたりしたあたり。批判の声が、圧倒的に聞こえなくなりました。

 ・・・

 良くも悪くも、社会は結果主義なのだと思います。結果を出してから、それまでの過程を語れる。他人に対しては結果を求めなくてもいいけど、何かを変えたければ、自分に対しては結果主義になること。その「結果」とは、・・・自分たちの活動で「誰が幸せになったのか」です。これにつきるんです。

 そこまで行けば大丈夫。たとえいろいろ言われても「でも、ここにいるおばあちゃんは喜んでる。とりあえずそれでいいや」と思える。

 ・・・批判を気にしすぎてしまうのは、自分の活動で喜ぶ人を、自分の中でまだ明確化できていないからです。遠くの誰かが批判したってしなくたって関係ないです。あなたの喜ばせたい人が喜んでいれば、それでいいんです。

 ・・・

 それでも、結果を出す過程で批判され、苦しむこともあるかと思います。そんな時は、誰か同じような挑戦者に話すことをおすすめします。

 大丈夫です。「今を変えようとする人」は少なからずみんな、批判を受けた経験があります。同じ苦しみを通っています。そんな時は、ぐちりながらビールを飲んだっていいじゃないですか。必要なら僕に連絡ください。一緒に飲みましょう。

 

P112

 そうして生活支援事業・世代間交流を行っていくうちに、補助金の話をもらえたり、寄付の話が出てきたりしました。この辺はまさに、僕らの活動で喜ぶ人の顔が見え始めてきたことで出てきた効果であり、成果であると思います。そこからはただただ、その積み重ねと繰り返しでした。まとめます。

 

①目の前のニーズを拾う。それが自分たちのもつ性質と合っているかを確認して、できそうならやる。

②やる時はなるべく多くの人を巻き込む。つくる段階から巻き込む。

③壁にぶつかって凹む。ビールとレモンサワーを飲む。

④とにかく相談する。

⑤その活動で誰が喜ぶかを明確化して、発信する。

 

 ・・・もう、これですよ。これ以外ないと思います。僕が言いたいことなんて。・・・本当にただこの繰り返しでした。その結果が、地域食堂であり、シェアハウスであり、グループホームなんです。

 

P252

 なんでそんなにあっちこっち手を出すんだろう?って思いますよね。僕も思います。でも、「高齢者の孤立」に向き合い続けてわかったのは、高齢者の孤立は、高齢者とだけ向き合っていても解決できない、ということです。孤立の問題の根底には、たくさんの課題が詰まっています。その一つひとつと「ニーズ先行型」で向き合うと、自然といろいろなことへの対応が必要になってくるんです。なので、5年目からは法人のミッションを一つ加えました。

「人とのつながりの力で、あらゆる社会問題と向き合う」

 ぼくたち一般社団法人えんがおは、人とのつながりの力で、目の前にでてきた声一つひとつに向き合える組織を目指します。これは、言葉だけ聞くととても大変なことのように思えますが、たぶん大丈夫です。課題は多くても、それ以上に「集まる資源」が豊富になります。世代を超えたつながりには、そういう力があるんです。

 そうやって、できる範囲で少しだけ無茶をしながら、ごちゃまぜのまちづくりを進めていきます。

 子どもが自由に過ごす。保育士さんと、学生やおじいちゃんおばあちゃんがそれを見守る。お父さんお母さんは少しゆっくりお茶飲みして、悩みをおばあちゃんに聞いてもらうのもいいですね。シェアハウスの若者やグループホームの利用者さんがそこに遊びに来て、子どもと一緒に遊んだり、みんなで一緒にご飯を食べたりする。学校が合わなくたって、自分が好きになれなくたって、ごちゃまぜの関係の中で、「自分」を発揮できる。世代や障がいの有無にかかわらず、みんなが「日常的に」、自然に関わり合う空間です。

 どうです?ワクワクしました?

 しますよね。ワクワクする景色、見えますよね。そんな景色、実際に見てみたいですよね。僕もです。

 自分が見たい景色を見る方法は、二つあります。一つは自分でつくること。もう一つは、つくってる人を応援すること。どちらも「つくる」です。

 僕は、まだまだ心が弱くて、未熟で、失敗を重ねてばかりいます。せっかく集まってきてくれて、応援してくださっている方々にも、自分が思っているようには関われず、後悔や反省を繰り返しています。それでも、僕の周りの環境は、世界一である自信があります。一般社団法人えんがおは、始まった時からずっと、環境に恵まれています。自ら道を切り開いたというよりは、次から次へと必要なものが集まり、道が開かれていって、その道を歩かせてもらっているような感覚です。

 この道を歩かせてもらえる幸せを考えれば、これからくるであろう困難や逆風にも、臆せず立ち向かえます。失敗もまだまだするでしょうけど、その度に何かを学んで、みなさんに「助けて」とお願いしていきます。

 そうして、周りにいてくれる人たちと一緒に、一日一日を丁寧に生きていこうと思っています。

ごちゃまぜで社会は変えられる 地域づくりとビジネスの話

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 素晴らしい!と思うところがたくさんありました。

「これからの街づくりのキーワードは『混ぜる』と『シェアする』ですね」という言葉、大事だなーと思いました。

 

P48

 生活支援事業が根幹の事業で(収入の根幹は別です)、地域の人が集まるサロンや宿泊所を運営している話をしました。他にも、地域サロンの道路向かいにある空き店舗も借りていて、地域居酒屋(週に一回みんなでご飯)を運営しています。

 地方だと、一人暮らしの高齢者で、車の運転が可能な人もよくいます。・・・でも基本的には毎日一人でご飯を食べています。そこで、週に一回くらいみんなでご飯食べましょう。そういうところが苦手な男性の方も、週に一回くらい一緒にお酒飲みましょう。そんな場所です。

 空いている日は「シェアキッチン」にして、いろんな人に使ってもらっています。二階の使わない3部屋をレンタルオフィスにして、企業さんに入ってもらっています。なので、関わる人の数がどんどん増えていきます。これからの街づくりのキーワードは「混ぜる」と「シェアする」ですね。一つの用途にこだわるのではなく、いろいろな「あり方」を混ぜたり、シェアしていくことが重要です。

 こうして活動していくうちに、学生はますます集まってきてくれるようになりました。この辺りから、活動体験の学生が年間延べ1000人くらいに達します。その中には、もっと運営に関わりたい。参加者ではなくて、えんがおのプロジェクトの企画から一緒にやりたい、というような素敵な学生たちが出てきました。彼らを「えんがおサポーター」として位置づけ、一緒に企画などから運営するようになって、小さなコミュニティのようなものができてきました。すると、自然と出てくるニーズが「シェアハウス」です。別にシェアハウスをやろうとはしていなかったのですが、目の前のニーズに応えていく「ニーズ先行型」の組織なので、そのニーズに応えるべく、空き家を探しました。

 ・・・

「・・・この辺りに、使わせてもらえそうな家、ないけ?(栃木弁)」

 とおばあちゃんたちに言いました。半日で話は広まり、一か月後、また大きな一軒家を寄付してもらいました。そうしてできたのがソーシャルシェアハウス「えんがお荘」です。安い家賃と、水光熱費などの生活費を折半するので、生活コストが抑えられます。その分、バイトをせずに自分のやりたい活動ができる。そんな魅力があります。

 ここまでの道のりが、3年半くらいですね。振り返ると、学生と高齢者を中心に、時々子どもがいたり、悩める社会人の方がいたり、けっこう楽しいコミュニティになっていました。そのコミュニティを見ていながら、僕は日に日に「ごちゃまぜ」の良さに気づいていきました。

 いろいろな世代や立場の人がいること。それが、お互いにできないことは助けてもらって、得意なことで支え合うことにつながる。「誰かの役に立つ」ことで、自分に自信をもち、少しずつ自分が好きになる。そんな景色を見せてもらったからです。

 

P64

 それぞれのコミュニティには「オセロの角」ポジションの人がいます。もちろん、人には上下なんてないし、みんなそれぞれ大切です。でも、コミュニティや組織の中で何かしたい、と思った時に「押さえておくと進みやすい人」が必ずいます。「この人が言うなら仕方ないか」となる人。いわゆる、そのコミュニティで影響力のある人。

 これが、僕の言う「オセロの角」ポジションの人です。

 何かを始める時ややりたいことがある時には、意図的にこの「オセロの角ポジションの人」を巻き込んでおくことが大切です。特に目新しいことをやるには、10人が10人賛成することはほぼないです。誰かが「事故でもあったらどうするの?」「〇〇になったらどうするの?」といって止まってしまうこともしばしばあるでしょう(その意見が悪いとはまったく思いません)。

 オセロで言ったら、自分が目指す色が白だとして、数人は黒になりますよね。それで、その時に角(影響力のある人)が白でいた方が話が通りやすいですよね。これは話で聞くとすごく当たり前に聞こえるかもしれませんが、これを逆算してスタート時から意識することは少ないと思います。

 だからこそ、何かを始める時、変えたい時には最初に意識してください。自分のやりたいことにとって角のポジションは誰か。その人はどんな人で、何を望んでいるか。どうしたら自分の目指したい方向性を応援してくれるか。地域でも家庭でも会社でも、同じことが言えます。全員賛同は難しいからこそ、影響力のある角のポジションの人からの応援は、なるべく早くもらっておくといいです。

 ・・・次は、大切な人から「応援される方法」について話します。そしてこれは、どの環境でも使える、人間関係の超大切な話です。

 

 それは、ずばり「相談する」です。これだけ。

 

 イメージしてみてください。あなたが何か地域を盛り上げる活動をしたいとします。例えば、地域で「全世代ごちゃまぜの運動会」を開くとしましょう。何から始めますか?

 多くの人は、たいていチラシをつくって配ったり、挨拶して回ったりします。「運動会やるのでよろしくお願いしまーす」みたいな感じですね。しかし、これだと相手からしたら「行ってみたいけど勇気が出ない」「応援したいけど、どう応援したらいいかわからない」「そもそも誰??」が本音だと思います。ここで重要となるのが「相談」です。

 まず最初に「相談」してください。必殺のセリフは「運動会をやりたいのですが、どうしたらいいと思いますか?」です。「運動会やりますので、よろしくお願いします!」ではダメなのです。

 ・・・

 えんがおでも、何か始めるときには必ず相談することを心がけています。つい最近面白かったのは、飲み会の席でのこと。商工会議所の方に、「街中にベンチを増やしたい」「ベンチ設置数日本一!のような場所をつくれたら面白いと思う。どう進めたらいいでしょう」という相談をしました。

 すると、「市内の大きな通りなら目立つ。えんがおだけではなくて、商工会議所やまちづくり会社も巻き込んでやったほうがいい」と教えてくれました。確かにそれは面白そうかも。と思っていた翌日に電話が。「商工会議所内部と、まちづくり会社に話を通しておいたから、動いて大丈夫だよ」とのこと。仕事早や。

 どうでしょう?もちろん、商工会議所の方が地域のそういった活動を応援する気持ちをもっている方なのは大前提です。出会いに恵まれました。ただ、「ベンチ増やす活動します!よろしくお願いします!」であった場合と「ベンチ増やしたいです。どういうふうに進めたらいいでしょうか?」の場合の違い。イメージ湧きますでしょうか。

 これは、僕の経験上の話でもありますが、たくさんのうまくいっている人の話を聞いていて、気づいた共通点でもあります。

 ・・・自分たちだけでは、何かを変えることはできないみたいです。全部の意見を聞く必要はないけれど、「相談をする」という行為が大切なのだと思います。

 

眠れなかった大泉洋

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

 こんなに同じ何かを大事に思えるというか、こういう関係性は幸せだなーと思いました。

 

P74

水曜どうでしょう」のレギュラー放送の最終回は、バイクでベトナムを縦断するというものでした。ゴールのホーチミンが近づき、まもなく旅が終わるころ、大泉洋がこんんなことを言いました。「この番組は、これで一度終わるんだから、もう終わることはないよ」と。

 ぼくは当初、何を言っているのかよくわかりませんでした。彼が言った言葉の意味を知るのは、番組をやめてしばらくたってから。彼の口から「あの時は本当に眠れなくってさぁ」と聞かされたときです。大泉の言う「あのとき」とは、彼に番組終了を告げたときのことでした。

 その日、ぼくは他番組の収録でHTBに来ていた大泉を編集室に呼び出しました。二人きりになり「ちょっとさぁ」と、なにげなく話を切り出しました。

「どうでしょうをさ、まぁいったんやめようと思ってさ」

「あーそう」。大泉の反応は、予想外に淡々としたものでした。逆にこっちが少し焦って「いや、完全にやめるわけじゃないから、あくまでも『いったん』だから」と、何度も「いったん」を繰り返し、最後には「もうあれだ、もしかしたら来年には再開するかもしんないから!」と、ちゃんと別れを告げられないダメな男のように、終始言葉を濁し続けていました。

 でも大泉は冷静に「藤村さんもさ、どうでしょう以外にもやりたいことあるだろうしね、いいんじゃない」と、物わかりのいい女性のように落ち着いていました。でも実はその夜眠れなかったことを、彼は告白してくれたわけです。

 彼はこの番組のことが本当に好きだったし、絶対に終わってほしくなかった。だから精いっぱいおもしろいことを言って、番組が終わらないようがんばってきた。でも「いったん終わらせよう」というぼくらの空気を感じ始め、いつそのことをハッキリ言われるのかと不安でたまらなかった。心の準備はできていたものの、やはりその日は眠れなかった。

 そして、いよいよ最後の旅が終わろうとしたときに言ったのです。

「この番組は、これで一度終わるんだから、もう終わることはない」。

 この言葉には「これで自分はもう終わりを恐れてドキドキすることはない。あとはまた番組が始まる日を楽しみにしているだけでいい」という気持ちが込められていました。

 その意味を知って、ぼくは「これで本当に一生この番組を続けられるな」と思いました。難しいことなんてなにもない。これからは無理をせず、自分たちがやりたいと思ったときにまた集まって旅に出る。ただそれを繰り返していくだけで、ずっと「水曜どうでしょう」という番組は作り続けることができるだろうと。

 ベトナムの旅を終えてから、いつのまにか十三年もの歳月が流れました。この間、いくつかの旅に出て、「水曜どうでしょう」はまだのんびりと続いています。この番組は本当に、出演者とスタッフが一生続ける、日本で初めての番組になるだろうと思います。

幸せとか人生とか豊かさとか・・・

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

 この辺りも印象に残りました。

 

P42

「幸せだなぁー」って思うときって、いろいろあると思うんですけどね。

 ・・・

 私の中にも忘れられない幸せなときってのがありましてね。うちは三人子供がいるんですけど、一番下の子が幼稚園で、上の二人が小学校ぐらいの時でしたかね。秋の日曜日。子供たちはどっかに出かけたかったんでしょうけど、雪虫も飛び始めて、そろそろ庭の木を冬囲いしなきゃいけなかったんで、カミさんと二人で軍手をはいて、今日は庭仕事しようってことになったんです。

 準備しながら子供たちに声をかけてね、「おーい冬囲いするから手伝えー」って。でも子供たちはテレビに夢中でね、「うーん」なんて生返事だけでちっとも動こうとしないんですよ。

「まったくしょうがねぇなぁ」なんて言いながらも、まぁ実際のところおとなしくテレビを見ててくれた方が仕事ははかどるんで、別にそれでよかったんですけどね。

 ・・・

 どのくらい時間が経ったんでしょうかね。黙々と作業をしてたら、なんだか視線を感じて家の方を見たんですよ。

 そしたら、いつからそうしてたのかはわからないんだけど、窓辺に子供たちの小さな顔が三つ並んでてね、ニコニコとこっちを見てるんです。

 ・・・

 カミさんも気付いたらしく、二人で作業の手をとめて窓辺に並んだ子供たちの顔を見てたら、三人がうれしそうにこっちに手を振るんです。小さな手を振りながら「見てたよー」って。その瞬間「あぁ幸せだなー」って思ったんですよね。

「幸せだなぁー」って思う時って、それはたぶん、瞬間なんですよ。時間にしたら一分もないぐらいの瞬間。でもそれで人はじゅうぶんに幸せを感じられるんですよね。

 一番上の子は、もう来年社会人になります。一番下の子も、もう高校生です。

 みんな、あの秋の日の一瞬のことなんか覚えてないんでしょうけど、でも、私はあの日、窓辺に三人の顔が並んだあの瞬間を思い浮かべるたびに幸せな気持ちになれるんです。

 幸せって、きっとそんなことなんだろうなって思います。

 

P80

水曜どうでしょう」の企画で四国八十八ヶ所を回ったことがあります。・・・

 ・・・

 ・・・ぼくらは結局三回も四国八十八ヶ所を回りました。そして今でもまた回りたいと思ってます。不思議なものです。

 三回も同じところを回っていると、好きなお寺さんや好きな風景が出てくる。「またあそこに行きたいな」と思ってしまう。そのためだけに同じことを繰り返したいと思ってしまう。またもう一度、余計なことを考えず、ただ回るだけの作業に没頭したいと思ってしまう。

 四国を回っていて思ったんです。こういう感じで人生を過ごせたらいいなって。最初はハツラツと元気いっぱいで、その後に長く苦しい修行があって、やがてゆったりとした穏やかな日々があって、そしてゆるやかに最後に向かって行く。ただ目の前のことだけを考えて、ただそこにある道を行く。

 でも「もう一度行きたい」と思えば、すぐにでもイチから始めることができる。よく「人生は一度きり」とは言うけれど「そんなに焦りなさんな」「また始めたいと思うのならスタート地点はすぐそこにありますよ」って、そういう優しい言葉を掛けてくれているような気がしたんですよね。

 四国八十八ヶ所、これは本当にオススメです。

 

P161

 僕はテレビ局の社員ですから基本的には番組を作って放送していればそれでいいんです。でも「水曜どうでしょう」という番組は本当におもしろくて、放送するだけじゃなくDVDという記録媒体に残しておきたくなった。

 ・・・

 番組関連グッズも、まず最初に「作りたい」という衝動があって、でも売れなければ困るから、盛んに番組のホームページなどで宣伝活動をする。そうするうちに「金儲けのためにいろいろ作っている」みたいに言われることもありました。でもそれはまるっきり逆なんです。DVDもグッズも「作り続けるために金儲けをしている」のです。

 ・・・

 世の中には「お客様の要望に応えて」作り出されたモノがたくさんあります。それはモノ作りの基本で、正しいことです。「作りたいから作ったモノ」でも、必要とされていないならば誰の生活も豊かにはしません。

 でも、「今こういうモノが売れてます!」みたいなマーケティングに踊らされて、それを「お客様の要望に応えて」という言葉にすり替えて、作り手の愛情が注がれていないモノが世の中に溢れていないでしょうか。「何はともあれ安さ!」という行き過ぎたコスト意識が、作り手にも客にも蔓延し過ぎていないでしょうか。それこそが「金儲けのためにやっている」ことに他ならず、作り手も客も豊かさを逆に失っているように思います。

「客が喜ぶモノを作る」のではなく「作り手が自信を持って作ったモノが客を喜ばす」ことの方が、双方の生活を豊かにし、それが最終的にお金儲けにつながる。僕はそう思っているんです。

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

水曜どうでしょう」のディレクター藤村忠寿さんのエッセイです。

 藤村さんが大事だとか、いいなと思うことは、なにか心に響きました。

 

P21

 先日、萩本欽一さんと一緒に食事をする機会があったんです。あの「欽ちゃん」ですよ。「今テレビでおもしろいことをやっている人と話をしたい」ということで、「それなら藤村くんたちでしょう」と、ある人が僕と嬉野さんを紹介してくれたんです。

 ・・・

 聞けば欽ちゃんは、たまたまテレビをザッピングしてて「水曜どうでしょう」を見たことがあったらしいのです。「なんだろうコレ?」と気にはなっていたと。「北海道におもしろい番組がある」という噂もチラッとは聞いていたと。

 そして今回、僕らと会うことになって初めてDVDをちゃんと見て「あー!この番組かぁ!」って、ようやくすべてがつながったらしいのです。その感想が・・・「キミたちはテレビのこと本当に好きなんでしょー」っていう言葉で、それはテレビマンにとっては最高の褒め言葉で。

 そして欽ちゃんは席につくなり「あの番組はさぁースタッフと出演者が信頼し合ってるのがわかるんだよねー」「あの番組はさぁー勇気があるんだよねー」「あの番組はさぁー東京の笑いなんだよねー」と続けざまに「水曜どうでしょう」の本質を突いた言葉を簡潔に語ってくれて。

 それから僕はずっと欽ちゃんの隣で話を聞いて、バカ笑いをして、欽ちゃんは僕の隣で身ぶり手ぶりを交えながら、ほとんど食事にも手を付けず、ウーロン茶二杯だけでなんと!四時間も話し続けて。それは七十歳を超えた人とは思えない熱情で。

「そうなんだ、この人の熱情が日本のバラエティーを作ったんだ」って心から思えて……。あーもう全然!文字数が足らない!

 次回も欽ちゃんと食事をしたときのことを書かせていただきます!

 

「欽ちゃんと一緒に食事をしたときの話」二回目です。

「キミには師匠みたいな人はいるの?」って聞かれたんです。「いないですねぇ」って答えたら、欽ちゃんは「ボクの師匠はハトなのよ」って言うんです。鳥のハトですよ。

「窓の外にハトがいてね、もっと近くで見たいと思って……」。それで窓に近いところにエサをまいてハトをおびき寄せたんですって。そしたらある日、目の前までハトがエサにつられてやってきて、欽ちゃんとバチっと目が合ったんですって。

「ハトはびっくりしたと思うよー。でも、うわぁ!って驚かないんだよね。ボクの顔をじっと見ながら、そのまんまパクパクとエサを食べ続けて、それからなんとなーく離れていったんだよね」「本当はものすごく驚いてるくせにさー、しらばっくれてパクパクやってんだよねー」「役者がさ、驚いた芝居をするとすぐにうわー!ってのけぞるじゃない。それよりもボクを見て、どうしていいかわかんなくなってエサを食べ続けてるハトの驚き方のほうがおもしろいよねー」

 そう言って欽ちゃんは、僕の前でハト師匠の驚き方を実演してくれました。僕が「欽ちゃん!」と大声で言うと、欽ちゃんはサッとこっちを向いて、表情のない顔で口だけパクパクさせながら僕をじっと見るんですよ。しばらくミョーな間があって、無言のままサッと顔をそらす。「ちょっと欽ちゃん!」ってまた言うと、おんなじことを何回でもやってくれまして、もうそのたんびに笑い過ぎ、しまにはお店の人に「他のお客様もいらっしゃいますのでもう少しお静かに」なんて、欽ちゃんと二人で怒られちゃったりして。

 ・・・

 欽ちゃんは、初めて会った僕らに、そういう話をたくさんしてくれました。僕も、自分なりの番組に対する考え方を話しました。すると欽ちゃんはね、僕にこう言ったんです。

「そういう考え方をボクも知っていればなぁー!もっとおもしろいことができたのになー」って。

 こっちはもうその言葉に感動してしまって。欽ちゃんは、お笑い界の大御所なんかではなく、今も前のめりでおもしろいことを考え続けている人でした。

 僕の心は今やすっかり欽ちゃんファミリーです。

成瀬は天下を取りにいく

成瀬は天下を取りにいく 「成瀬」シリーズ

 

 いつもお世話になっている方の出身校が、この小説の舞台になっているそうで、面白いから読んでみて、と貸してくれました。

 タイトルにもなってる成瀬さんが、すごく魅力的でした♪

 小説の一部を紹介してもよくわからないかもしれませんが(;^ω^)、雰囲気が伝わるかなと思う部分を書きとめておきたいと思います。

 

P154

「成瀬さんはいつからかるたをはじめたの?」

「高校に入ってからだ」

 成瀬さんは三回の大会で初段、二段、三段とストレートで上がってきたという。

「きのうがB級デビューだったが、さすがに厳しかった。もっと上を目指すには、美しい取り方を研究しないとだめだな」

 成瀬さんは素振りをするように手を動かした。

「成瀬さんの目標は?」

「わたしは二百歳まで生きようと思っている」

 かるたにおける目標を訊いたつもりだったのに、壮大な目標を聞かされて面食らう。冗談かと思って表情をうかがうが、いたって真剣そうだ。

「さすがに二百歳は……大変そうだね」

 否定するのもよくないかと思い、率直な感想を述べた。

「昔は百歳まで生きると言っても信じてもらえなかっただろう。近い将来、二百歳まで生きるのが当たり前になってもおかしくない」

 成瀬さんは生存率を上げるため、日頃からサバイバル知識を蓄えているそうだ。

「わたしが思うに、これまで二百歳まで生きた人がいないのは、ほとんどの人が二百歳まで生きようと思っていないからだと思うんだ。二百歳まで生きようと思う人が増えれば、そのうち一人ぐらいは二百歳まで生きるかもしれない」

 唐突に、成瀬さんが好きだ、と思った。認めた、と言ったほうが正しいだろうか。もっとそばにいて、もっと話を聞いていたい。このままずっと、ミシガンが琵琶湖の上を漂ってくれればいい。視界の隅で結希人が俺たちの方にスマホを向けているのが見えたが、構っている暇はない。

「成瀬さんは、好きな人いるの?」

 仮にいなかったとして、俺に勝機はあるのだろうか。今日中に広島に還らなくてはならないし、頻繫に会いに来るような財力はない。

「それはつまり、恋心を抱く相手がいるかという質問か?」

「うん」

 成瀬さんは「はじめて訊かれたな」とつぶやき、顎に手を当てて何やら考えている。

「そのような質問をするということは、西浦はわたしが好きなのか」

 我ながらカッコ悪すぎて、奇声を上げて琵琶湖に飛び込みたくなった。回りくどい質問などせずに事実を伝えたらよかった。

「ごめん、なんでもな……」

「この短時間でわたしのどこに惹かれたのか教えてくれないか」

 成瀬さんが俺の目を見て尋ねる。

「だれにも似てないところかな」

 考える前に口から出ていた。少なくとも、これまで俺が出会ってきた女子の中に成瀬さんのような人はいなかった。成瀬さんは「なるほど」とうなずく。

「しかし大津にもわたしに似た人はそうそういないはずだが、好きだと言われたことはない。おそらく西浦に引っかかる何かがあったんだろうな」

 成瀬さんは再び視線を遠くに向けた。もっと気の利いたことを言うべきだったのだろうか。さっきは心地よく感じられた沈黙も、今はじわじわ俺を責めているような気がする。

「一周してきたけど、すごいね」

 結希人が興奮気味にやってきた。助けに来てくれたのか、単なる偶然か。

「西浦にもほかの場所を案内しないとな」

 成瀬さんは何事もなかったかのように立ち上がり、階段に向かって歩いていった。