メメンとモリ

メメンとモリ

 ヨシタケシンスケさんの絶妙なイラストと、絶妙なお話が、ほんとにすばらしいなと・・・読めてよかったです。

 イラストなしで紹介してしまうと味気ないかもですが、とてもよかったので、一話だけ書きとめておきたいと思います。

 

 

メメンとモリときたないゆきだるま

 

ボクは知らなかった。

すべてのゆきだるまに意識がある、ということを。

気がついたら、ボクはすでに、きたないゆきだるまだった。

最初の記憶は、

「なんかみんながボクを見てガッカリしてる」だった。

わかるよ。

「こんなはずじゃなかった」って思うよね。

雪が少なかったんだ。

でも、彼らはいっしょうけんめいつくったんだ。

だれもわるくない。

だけど、だれも、しあわせじゃない。

ボクはどうせすぐとけちゃうよ。

ボクは一体、何だったんだろうな。

こんど、もし、ボクが人間だったら、

世界中を旅してきたないゆきだるまの写真を撮ってまわろう。

ガッカリされたものたちを、探してまわろう。

そして「昔、ボクもきたないゆきだるまだったんだぜ」って、声をかけよう。

「きみは、ボクは、何だったんだろうねえ」。

いっしょに考えながら、とけていくのを見ていてあげるんだ。

ちょっと、たのしみだな。

どんなカメラを、買おうかな。

最初はどこに探しにいこうかな。

どんなゆきだるまでも、ボクは絶対、ガッカリしない。

大よろこびで近づいていったら、みんなきっと、びっくりするだろうな。

きっとうれしいと思うんだ。

ボクがしてほしかったことを、してあげるんだ。

だから、今、ボクがしてほしいことをたくさん考えておこう。

だれかのために。

ボクのために。

たのしみだな…

何をしてあげようかな…

何をしてもらおうかな…

手ぶらで生きる術

手ぶらで生きる術 忘れ上手は生き方上手 (竹書房新書 12)

 昨日に続き、桜井章一さんのエッセイです。

 こちらの本も、印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P39

「なんとなく」というと、感覚だけのあやふやなものであまり良くないものだと思われがちですが、私はこの「なんとなく」を大事にしています。

「なにげなく」という言葉でもいいかもしれませんが、ともかくアバウトでいるという感覚が私にとってはとても大事なことなのです。

 その感覚を意識的に持って「だいたいこのくらい」とか「約このくらい」といったスタンスでいること。なぜなら、なにもかもハッキリさせると「絶対感」になってしまうからです。「絶対感」を持つことは一番ヤバイことで、怖いことなのです。

 たとえば麻雀をする場合、ふつう相手の牌は見えません。しかし相手の打ち方を見て、私には相手がなにを持っているかが見える。もちろん視覚的な意味ではなくて「多分こういう状態だろう」ということが感覚で分かるということです。これは、ある意味では妄想的かもしれません。しかし実際にその妄想がたいがい当たっているのです。

 この「分かる」感覚を、明確に言葉にして説明するのは難しいことです。一つ確実に言えることは、そういう「分かる」という感覚は、この「なんとなく」の感覚で物事を見ないとつかめないということです。

 絶対こうだ、という「絶対感」で進んでいくと、気がつくと足をすくわれていた、ということも起こりかねません。

 カッと目を見開いて一つの事柄を凝視するのではなく、なんとなくボーッと全体像を見ながら、360度立体的な感覚で把握しているほうが、物事というものは理解できるのです。それが「分かる」感覚をつかむことに繋がるのです。

 ・・・

「なんとなく」は、自然を見ると理解しやすいかもしれません。

 木が育つには、水だけでは駄目です。水も必要だけど太陽も風も土も必要になる。そんないろんな要素が必要であるという360度の感覚で見ていくと、中心にある大事なものがすっと浮かび上がってくる。それが「なんとなく」の感覚なのです。

 

P123

 この間、私は家でテレビを見ていました。すると見ていた番組でコロッケが映し出された。それを見た瞬間、私の中に「食べたいなあ」という気持ちが出てきて、その次に「今日は末っ子の家はハンバーグだ」という思いが浮かびました。そしてそれを女房に言った。すると女房は「なんで?じゃあ電話してみる?」と言って末っ子のうちに電話をしました。すると案の定、今まさにハンバーグを食べている最中だった……。

 女房にしてみれば、それが不思議でならない。私にしてみれば、もう金を賭けてもいいぐらい100%間違いないという自信があった。だから自分ではびっくりしないし、「だろうなあ」というくらいのことです。

 ・・・

「コロッケを食べたいな」と思ったまでは必然だけど、そこからハンバーグに繋がり、さらに末っ子に繋がるのは、情報や距離を超えた感覚です。しかし私は瞬間的な感覚で、ハンバーグの匂いまで感じていた。私のすぐ隣で食べているくらいの感覚で匂いがしたのです。そしてそれは上の子供ではなく末っ子に繋がった。

 繋がったんだからしょうがない、のです。私にとっては、この二つの感覚も必然であり、間違いないという感覚です。・・・

 ・・・

 ・・・そういう小さなことと同列上にあるのが、麻雀をしたときに見えない牌が見えたり、相手がなにを持っているのかが分かるようになる感覚なのです。人の命が懸かっているような重大なことを当てていくのではなく、そういう小さなことを当てていくのです。

 みなさんが言う普通の視力、聴力、嗅覚とはちがう、感覚の目、感覚の音、感覚の匂い……。そういう感覚の脳が働くのです。

 ・・・

 ・・・みなさんは私と同じようにコロッケの映像を見て、もし「あ、今日あの人のうちはハンバーグを食べてるな」というイメージが出てきても、単なる自分の空想としてすぐに忘れてしまうでしょう。

 でも、そんなふとした直感的なイメージは、現実の核心をついていることがままあるのです。だから、そんな感覚は大切にしたほうがいい。そしてそれを遊びの感覚で楽しむといいのです。

 そうすると、いざというときに、大きな危険が近づいてもそれを回避することが可能になったりするのです。

 

P148

 あるとき家で鍋を食べていたら、いつもよりなんとなく食事が美味しいと感じました。別に食材がいつもと違うわけでもないし、味付けも同じはずなのに不思議だなあと思った。しかしその理由は、食べ終わって手を合わせて「ご馳走さま」と言ったときに分かりました。その瞬間、自然と私の周りにいる人の顔が浮かんできたのです。道場生や、長年付き合いのある人たち……。

「ご馳走さま」は誰に言ったかというと、つまりその人たちに向かって言っていた。「あなたたちのお陰で食べられました」と、本当に心から思っていました。別にそう思うのが習慣ではありません。習慣ではないけれど、頭に浮かぶ顔を思いながら「こいつらみんなに、食べさせてもらった一食だ」という思いが時おり起こるのです。

 そして「このたった一食すらも、俺はてめえの力で食べれてないんだよな」とも思う。決して自分一人の力で生きているわけではないんだと。

 でも、そこで自分の感性はちゃんとした方向に行っていると安心しました。感性の正しさがそういう気持ちに結びついてご飯が美味しく感じたのですから。

 ・・・

 このような「感謝」の気持ちがあれば、人はみんな五分と五分の関係になるのです。

 言い方を変えれば「持ちつ持たれつ」でもいいかもしれない。これはあらゆる場面に当てはめて考えられることではないでしょうか。

 立場の違うもの同士、お互いに感謝し合える関係を築くことが大切なのです。

究極の選択

究極の選択 (集英社新書)

 桜井章一さんのエッセイを読みました。

 印象に残ったところを書きとめておきます。

 

P37

 南の孤島にある村や、ジャングルの奥地でひっそりと生活を営む集落など、太古の人類さながらの生活を今も続けている地域、そしてそこに生きる人々は、私の思う〝理想郷〟に近い生活を送っていると思う。

 狩猟時代さながらの暮らしをしている集落は当然のことながら自給自足で、いくつかの家族が集まって共同生活を送っているはずである。

 狩りや漁で獲ってきたものは自分のものではなく、みんなで分け合うもの。私たちの社会のような分捕り合戦や独り占めなどはこういった社会には存在しない。

 村人の中には魚を獲ることが誰よりも上手な人もいるだろうが、そういった人は別に自慢もしないだろうし、周りから〝優秀である〟というような評価も受けないだろう。そしてその魚を分けてもらったほうも「ありがとう」とは言わない。そんな社会には、私たちの社会で重要視される〝努力〟も〝向上心〟も無い。

 このような共同社会だと〝悪〟の要素は限りなく少ない。なぜなら、そんな社会には〝善〟の要素も限りなく少ないからである。

 分ける、与える、譲る。そういった感覚が〝善〟としてではなく、当たり前に存在している社会には〝悪〟も存在しない。こういった原始的な社会こそが、私の考える理想郷なのだ。

 

P104

 人の一生は長く生きることよりも「どう生きたか?」のほうが重要だと思うし、私自身、常に〝今〟を大切にして生きてきた。だから、七〇歳を過ぎて、「もう十分だな」と感じているし、自分が一〇〇歳になった姿などはまったく想像できない。

 そもそも、「長生きしたい」とか「どう老後を生きるか」といったことばかり考えず、今を大切に、今を楽しく生きていれば、変な妄想も幻想も出てきやしない。

 もっとも、この社会で今を大切に楽しく生きていくことはなかなか難しい。それは、絶えず将来の目標を掲げることを迫られるような環境にあるからだ。仕事では常に目標が立てられるし、生活では将来予想される出来事や変化に備えていろいろな目標を持たざるをえない。そんな空気に拍車をかけているのがネットやメディアから発信されるおびただしい情報だ。

 このように現代人は非常に頭でっかちな生き方をしているが、頭というのは基本的に過去を振り返ったり、未来を想ったりする機能を持っている。だから、今を楽しむという生き方に変えていきたいのなら、頭を休めて感覚を動かす時間をできるだけ持つようにすることだと思う。

 頭には時計が入っているが、感覚の世界に時計はない。そんな感覚を立ち上げ、どれだけ「生」を味わい、楽しめるか、そこに未来や過去の呪縛から離れるヒントがあるのではないだろうか。

 

P107

 寝たきり状態までいかないにしても、齢を重ね、老いていくと体のいろんなところが動かなくなってくるし、思ったような動きも取れなくなっていく。今の私はまさにそのような状態にあるが、だからといってそのことを嘆いたり、悲しんだりはしない。「あ、こんなふうに体は衰えていくのか」と感じつつ、「では、その中で何ができるか」を考える。

 若いときにはいろいろできる楽しさがあるが、年を取ったら取ったなりの楽しみ方というものはある。

 ・・・

 体のあちこちが故障し、思うように動かせなくなっているが、それでもまだいろいろな可能性が残っている。そんな可能性がまだあることに感謝しながら、一方で「こんなことができなくなっている!」というのが増えていくのをどこかおもしろがっている自分もいる。そんなことを日々感じながら、気がついたら「死」の中にいるというのが、今の私が想う理想の死に方である。

 

P110

 私は道場で原稿を書いているときも、耳では道場生たちの打つ「牌の音」を聞いている。それぞれの発する牌の音を聞いているだけで、その卓ではどのようなことが起こっているのかだいたいわかるし、「今日はあの道場生は調子がいいな」「会社で何かいやなことでもあったのかな」といった道場生の内面も見えてくる。

 何もこれは私だけに備わった特別な力ではない。みなさんはあまりにも〝視覚〟からの情報に頼りすぎ、「〝聴覚〟で見る」という力を閉じてしまっているだけなのだ。

 聴覚は視覚に比べ、意識の深い部分、すなわちより本能に近いところにつながっていると思う。だから、視覚に頼るより、聴覚を鋭くしたほうが、生の世界を純粋につかむことができる。

 

P196

 先にも触れた通り雀鬼会の麻雀は政治色と経済色をなるべく排し、できるだけきれいな水を上手から流していこうとするものである。

 道場生たちが汚い選択を続けていれば、麻雀卓に流れる水は瞬く間に淀み、悪臭を放ち出す。まさに人生の選択も、麻雀における選択も、本質的にはまったく変わらない。

 損得勘定に則った選択や権力を使った選択など、世間に横行する汚い選択はできる限りしないようにすれば、人生の流れもきれいなものとなる。

 そういった選択を続けていれば、選択に「余裕」というものが生まれ、「負けるが勝ち」ではないが「損するが勝ち」という選択があることにも気づけるだろう。

 世間の人々は「得」ばかりを求めているから余裕が無くなり、間違った選択をし、結局「損」をすることになっている。だから時には「今日はこの〝損〟を選んでみようか」と自ら進んで損をすることが大切なのだ。

 たまには「損」なほうを選択してみたらどうだろうか?そうすればきっと「損するが勝ち」の結果があることにも気づき、それまでの間違った選択に積もった汚れを洗濯できるかもしれない。

 

P201

 この私も、七〇年以上に渡る長い人生の中で、いろんな選択をしてきた。

 幼いころから私の選択の基準は変わっていない。

 私の選択の基準、それは、「おもしろいか、つまらないか」。それだけ。

 だから、ちょっと厳しい道でもそっちのほうがおもしろそうならそっちを選んだ。「こっちが得だから」とか「こっちが楽だから」といった基準でものごとを選んだことは正直、ほとんどない。

 

「ありのままの自分でいる」ことをがんばる

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 「ありのままの自分でいる」ことをがんばる、「なぜかできてしまうこと」を大切にする、すごく大事なことだと思いながら読みました。

 

P163

 僕は大学生の頃まで、自分のことがとても嫌いでした。・・・

 ある日友達から、「なんでそんなに心開かないの?」と聞かれ、自分でも衝撃でした。そうなのか。だから自分には、友達はいても親友はいないのか、と気がつきました。なので、自分の「心を開けない」部分が特に嫌いでした。だけど、心の開き方がわからなかったんです。それから心を開いて話ができるようになるまで、2年くらいかかりました。なので、僕が人に心を開いて素で関われるようになったのは、社会人になってからです。ずいぶん葛藤したのを覚えています。

 そして、です。取り繕うのをやめて、心を開いて素で関わるようになったら、超楽なんです。人付き合いが。あんなに大変だったのに。これにはびっくりしました。ある日気づいて、びっくりしました。後からわかったのですが、「ありのまま」で生きる。素の自分で生きることが、一番幸せにつながる。これ、お釈迦様もキリスト様も同じこと言ってるらしいです。「人の幸せ」を追求すると、必ずそこにいくのだとか。お釈迦様でもキリスト様でも大仏様でもいいけど、もっと早く言ってよね。

 じゃあ、ありのままで生きるために、どうすればいいかっていうとですね。わかりません。そこまでは(笑)。

 それは、人それぞれなんだと思います。一つわかるのは、「ありのままの自分でいる」ことをがんばるということです。誰かと無理に関わったりしない。そのままの自分を大切にする。合わない人は合わない。その分、合う人、わかってくれる人をとにかく大切にする。そんな感じです。あるいは、訓練でもあります。みんな少なからず、筋トレはしたことあるよね。あれと一緒です。

 ・・・

 ありのままで生きる重要さが、もう一つあります。「成長」の定義についてです。僕が抱いている成長の定義があります。それは「生まれもった自分の武器を自覚し、生かせるようになること」です。

「生まれもった自分の武器」です。新たに身につけたものじゃないんです。

 繰り返しますが、知識や技術を身につけることも大切です。でもそれは、鎧でしかありません。鎧はあったほうがいいけどね。でもそれ以上に、生まれもった武器が重要です。それは、みんなにも必ずあります。生まれつきよく笑う。生まれつき人見知りしない。生まれつき慎重。大雑把。きれい好き。完璧主義。なんでもいいです。要は、訓練もしていないし、頑張ってもいないけど「なぜかできてしまうこと」です。これです。これなんです。これを見つけてください。

 この「なぜかできてしまうこと」を自覚して、生かせるようになることを、僕は「成長」と捉えています。

 魚がどれだけ一生懸命努力して陸で走れるようになっても、生まれつきなぜか早く走れるチーターにはかないません。逆にチーターは、どんなに努力しても、魚に水中で勝てません。努力は、自分に合った環境を選ばないと報われないんです。

 だから、生まれもったものじゃない部分を一生懸命伸ばして鎧にしても、本当の「成長」につながらないんじゃないかと思うんです。自分の「なぜかできてしまうこと」を大切にすることは、自分にとっての適した環境で生きることです。そうして、自分の生まれもった武器を生かせるようになれば、もう大丈夫です。あなたは自分のことを好きになれます。自分のことが好きなら、世界のどこにいても、幸せになれます。

 ・・・ゴールを間違えないでね。前述の「若者へのメッセージ」でも言ったけど、みんなのゴールは勉強ができるようになることでも、立派な人間になることでも、安定した職場に就職することでもないからね。みんなのゴールは、自分の生まれもった武器を自覚して、生かせるようになって、自分を好きになることだからね。

 抽象的な話ばかりになっちゃったけど、頑張らなくてもできることを大切にして、それで勝負してください。そうすれば、あなたは誰にも負けません。

目の前の人を幸せにすること

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 ほんとに大切だなと、印象に残ったところです。

 

P80

 Part1の最後に、もう一つ、大切な話をします。何かを始めたいと思っている人、今を変えたいと思っている人には、ぜひ聴いてほしい話です。

 えんがおは僕が25歳の時に設立しました。当時は意外と怖さはなくて、なんかいける気がしたし、別に失敗しても死にはしない、と思っていました。何より、周りの大人に恵まれました。この人たちが周りにいてくれるなら大丈夫だろう。そんな感じでした。

 ただ、それなりに批判もありました。・・・ダイレクトに言われることは多くはなかったですが、そういう声は聞こえてきたり、察したりしますよね。

 ・・・

 ・・・批判にも、正しいものもあったり、まったく根拠のないものもありました。時々、少しだけ傷ついたり心が折れそうになることもありました。そしていろいろ考えた結果、自分にできることは「目の前の人を幸せにすること」しかないと思ったんです。タスクフォーカスって言うらしいです。自分のやるべきことに集中する。批判は気にしない。

 とは言っても、批判的な声に左右されることもなかったわけではありません。あの人はああ言っているらしい、と気にして方向性を変えようとしたこともありました。でも、その時ついてきてくれる仲間たちも一緒に傷つき、悩んでいることに気がついたんです。

 そうなんです。リーダーが批判を気にしてブレてしまうと、ついていく仲間たちも一緒に気にするし、傷つくんですね。その時に、やめようと思いました。自分たちのやるべきことをやる。批判は気にしない。応援してくれる人だけを大切にする。結構振り切っているように聞こえるかもしれませんが、当時はそんなふうに割り切って進みました。結果、それが良かったように思います。

 ・・・

 面白かったのは、その方向性で進んで、しばらく経った頃、少しだけ、僕らの活動で喜ぶ人がはっきりと見えてきて、クラウドファンディングで150人の支援者から135万円集められたり、「次世代の力大賞」という賞をもらえたりしたあたり。批判の声が、圧倒的に聞こえなくなりました。

 ・・・

 良くも悪くも、社会は結果主義なのだと思います。結果を出してから、それまでの過程を語れる。他人に対しては結果を求めなくてもいいけど、何かを変えたければ、自分に対しては結果主義になること。その「結果」とは、・・・自分たちの活動で「誰が幸せになったのか」です。これにつきるんです。

 そこまで行けば大丈夫。たとえいろいろ言われても「でも、ここにいるおばあちゃんは喜んでる。とりあえずそれでいいや」と思える。

 ・・・批判を気にしすぎてしまうのは、自分の活動で喜ぶ人を、自分の中でまだ明確化できていないからです。遠くの誰かが批判したってしなくたって関係ないです。あなたの喜ばせたい人が喜んでいれば、それでいいんです。

 ・・・

 それでも、結果を出す過程で批判され、苦しむこともあるかと思います。そんな時は、誰か同じような挑戦者に話すことをおすすめします。

 大丈夫です。「今を変えようとする人」は少なからずみんな、批判を受けた経験があります。同じ苦しみを通っています。そんな時は、ぐちりながらビールを飲んだっていいじゃないですか。必要なら僕に連絡ください。一緒に飲みましょう。

 

P112

 そうして生活支援事業・世代間交流を行っていくうちに、補助金の話をもらえたり、寄付の話が出てきたりしました。この辺はまさに、僕らの活動で喜ぶ人の顔が見え始めてきたことで出てきた効果であり、成果であると思います。そこからはただただ、その積み重ねと繰り返しでした。まとめます。

 

①目の前のニーズを拾う。それが自分たちのもつ性質と合っているかを確認して、できそうならやる。

②やる時はなるべく多くの人を巻き込む。つくる段階から巻き込む。

③壁にぶつかって凹む。ビールとレモンサワーを飲む。

④とにかく相談する。

⑤その活動で誰が喜ぶかを明確化して、発信する。

 

 ・・・もう、これですよ。これ以外ないと思います。僕が言いたいことなんて。・・・本当にただこの繰り返しでした。その結果が、地域食堂であり、シェアハウスであり、グループホームなんです。

 

P252

 なんでそんなにあっちこっち手を出すんだろう?って思いますよね。僕も思います。でも、「高齢者の孤立」に向き合い続けてわかったのは、高齢者の孤立は、高齢者とだけ向き合っていても解決できない、ということです。孤立の問題の根底には、たくさんの課題が詰まっています。その一つひとつと「ニーズ先行型」で向き合うと、自然といろいろなことへの対応が必要になってくるんです。なので、5年目からは法人のミッションを一つ加えました。

「人とのつながりの力で、あらゆる社会問題と向き合う」

 ぼくたち一般社団法人えんがおは、人とのつながりの力で、目の前にでてきた声一つひとつに向き合える組織を目指します。これは、言葉だけ聞くととても大変なことのように思えますが、たぶん大丈夫です。課題は多くても、それ以上に「集まる資源」が豊富になります。世代を超えたつながりには、そういう力があるんです。

 そうやって、できる範囲で少しだけ無茶をしながら、ごちゃまぜのまちづくりを進めていきます。

 子どもが自由に過ごす。保育士さんと、学生やおじいちゃんおばあちゃんがそれを見守る。お父さんお母さんは少しゆっくりお茶飲みして、悩みをおばあちゃんに聞いてもらうのもいいですね。シェアハウスの若者やグループホームの利用者さんがそこに遊びに来て、子どもと一緒に遊んだり、みんなで一緒にご飯を食べたりする。学校が合わなくたって、自分が好きになれなくたって、ごちゃまぜの関係の中で、「自分」を発揮できる。世代や障がいの有無にかかわらず、みんなが「日常的に」、自然に関わり合う空間です。

 どうです?ワクワクしました?

 しますよね。ワクワクする景色、見えますよね。そんな景色、実際に見てみたいですよね。僕もです。

 自分が見たい景色を見る方法は、二つあります。一つは自分でつくること。もう一つは、つくってる人を応援すること。どちらも「つくる」です。

 僕は、まだまだ心が弱くて、未熟で、失敗を重ねてばかりいます。せっかく集まってきてくれて、応援してくださっている方々にも、自分が思っているようには関われず、後悔や反省を繰り返しています。それでも、僕の周りの環境は、世界一である自信があります。一般社団法人えんがおは、始まった時からずっと、環境に恵まれています。自ら道を切り開いたというよりは、次から次へと必要なものが集まり、道が開かれていって、その道を歩かせてもらっているような感覚です。

 この道を歩かせてもらえる幸せを考えれば、これからくるであろう困難や逆風にも、臆せず立ち向かえます。失敗もまだまだするでしょうけど、その度に何かを学んで、みなさんに「助けて」とお願いしていきます。

 そうして、周りにいてくれる人たちと一緒に、一日一日を丁寧に生きていこうと思っています。

ごちゃまぜで社会は変えられる 地域づくりとビジネスの話

ごちゃまぜで社会は変えられる: 地域づくりとビジネスの話

 素晴らしい!と思うところがたくさんありました。

「これからの街づくりのキーワードは『混ぜる』と『シェアする』ですね」という言葉、大事だなーと思いました。

 

P48

 生活支援事業が根幹の事業で(収入の根幹は別です)、地域の人が集まるサロンや宿泊所を運営している話をしました。他にも、地域サロンの道路向かいにある空き店舗も借りていて、地域居酒屋(週に一回みんなでご飯)を運営しています。

 地方だと、一人暮らしの高齢者で、車の運転が可能な人もよくいます。・・・でも基本的には毎日一人でご飯を食べています。そこで、週に一回くらいみんなでご飯食べましょう。そういうところが苦手な男性の方も、週に一回くらい一緒にお酒飲みましょう。そんな場所です。

 空いている日は「シェアキッチン」にして、いろんな人に使ってもらっています。二階の使わない3部屋をレンタルオフィスにして、企業さんに入ってもらっています。なので、関わる人の数がどんどん増えていきます。これからの街づくりのキーワードは「混ぜる」と「シェアする」ですね。一つの用途にこだわるのではなく、いろいろな「あり方」を混ぜたり、シェアしていくことが重要です。

 こうして活動していくうちに、学生はますます集まってきてくれるようになりました。この辺りから、活動体験の学生が年間延べ1000人くらいに達します。その中には、もっと運営に関わりたい。参加者ではなくて、えんがおのプロジェクトの企画から一緒にやりたい、というような素敵な学生たちが出てきました。彼らを「えんがおサポーター」として位置づけ、一緒に企画などから運営するようになって、小さなコミュニティのようなものができてきました。すると、自然と出てくるニーズが「シェアハウス」です。別にシェアハウスをやろうとはしていなかったのですが、目の前のニーズに応えていく「ニーズ先行型」の組織なので、そのニーズに応えるべく、空き家を探しました。

 ・・・

「・・・この辺りに、使わせてもらえそうな家、ないけ?(栃木弁)」

 とおばあちゃんたちに言いました。半日で話は広まり、一か月後、また大きな一軒家を寄付してもらいました。そうしてできたのがソーシャルシェアハウス「えんがお荘」です。安い家賃と、水光熱費などの生活費を折半するので、生活コストが抑えられます。その分、バイトをせずに自分のやりたい活動ができる。そんな魅力があります。

 ここまでの道のりが、3年半くらいですね。振り返ると、学生と高齢者を中心に、時々子どもがいたり、悩める社会人の方がいたり、けっこう楽しいコミュニティになっていました。そのコミュニティを見ていながら、僕は日に日に「ごちゃまぜ」の良さに気づいていきました。

 いろいろな世代や立場の人がいること。それが、お互いにできないことは助けてもらって、得意なことで支え合うことにつながる。「誰かの役に立つ」ことで、自分に自信をもち、少しずつ自分が好きになる。そんな景色を見せてもらったからです。

 

P64

 それぞれのコミュニティには「オセロの角」ポジションの人がいます。もちろん、人には上下なんてないし、みんなそれぞれ大切です。でも、コミュニティや組織の中で何かしたい、と思った時に「押さえておくと進みやすい人」が必ずいます。「この人が言うなら仕方ないか」となる人。いわゆる、そのコミュニティで影響力のある人。

 これが、僕の言う「オセロの角」ポジションの人です。

 何かを始める時ややりたいことがある時には、意図的にこの「オセロの角ポジションの人」を巻き込んでおくことが大切です。特に目新しいことをやるには、10人が10人賛成することはほぼないです。誰かが「事故でもあったらどうするの?」「〇〇になったらどうするの?」といって止まってしまうこともしばしばあるでしょう(その意見が悪いとはまったく思いません)。

 オセロで言ったら、自分が目指す色が白だとして、数人は黒になりますよね。それで、その時に角(影響力のある人)が白でいた方が話が通りやすいですよね。これは話で聞くとすごく当たり前に聞こえるかもしれませんが、これを逆算してスタート時から意識することは少ないと思います。

 だからこそ、何かを始める時、変えたい時には最初に意識してください。自分のやりたいことにとって角のポジションは誰か。その人はどんな人で、何を望んでいるか。どうしたら自分の目指したい方向性を応援してくれるか。地域でも家庭でも会社でも、同じことが言えます。全員賛同は難しいからこそ、影響力のある角のポジションの人からの応援は、なるべく早くもらっておくといいです。

 ・・・次は、大切な人から「応援される方法」について話します。そしてこれは、どの環境でも使える、人間関係の超大切な話です。

 

 それは、ずばり「相談する」です。これだけ。

 

 イメージしてみてください。あなたが何か地域を盛り上げる活動をしたいとします。例えば、地域で「全世代ごちゃまぜの運動会」を開くとしましょう。何から始めますか?

 多くの人は、たいていチラシをつくって配ったり、挨拶して回ったりします。「運動会やるのでよろしくお願いしまーす」みたいな感じですね。しかし、これだと相手からしたら「行ってみたいけど勇気が出ない」「応援したいけど、どう応援したらいいかわからない」「そもそも誰??」が本音だと思います。ここで重要となるのが「相談」です。

 まず最初に「相談」してください。必殺のセリフは「運動会をやりたいのですが、どうしたらいいと思いますか?」です。「運動会やりますので、よろしくお願いします!」ではダメなのです。

 ・・・

 えんがおでも、何か始めるときには必ず相談することを心がけています。つい最近面白かったのは、飲み会の席でのこと。商工会議所の方に、「街中にベンチを増やしたい」「ベンチ設置数日本一!のような場所をつくれたら面白いと思う。どう進めたらいいでしょう」という相談をしました。

 すると、「市内の大きな通りなら目立つ。えんがおだけではなくて、商工会議所やまちづくり会社も巻き込んでやったほうがいい」と教えてくれました。確かにそれは面白そうかも。と思っていた翌日に電話が。「商工会議所内部と、まちづくり会社に話を通しておいたから、動いて大丈夫だよ」とのこと。仕事早や。

 どうでしょう?もちろん、商工会議所の方が地域のそういった活動を応援する気持ちをもっている方なのは大前提です。出会いに恵まれました。ただ、「ベンチ増やす活動します!よろしくお願いします!」であった場合と「ベンチ増やしたいです。どういうふうに進めたらいいでしょうか?」の場合の違い。イメージ湧きますでしょうか。

 これは、僕の経験上の話でもありますが、たくさんのうまくいっている人の話を聞いていて、気づいた共通点でもあります。

 ・・・自分たちだけでは、何かを変えることはできないみたいです。全部の意見を聞く必要はないけれど、「相談をする」という行為が大切なのだと思います。

 

眠れなかった大泉洋

笑ってる場合かヒゲ 水曜どうでしょう的思考(1)

 こんなに同じ何かを大事に思えるというか、こういう関係性は幸せだなーと思いました。

 

P74

水曜どうでしょう」のレギュラー放送の最終回は、バイクでベトナムを縦断するというものでした。ゴールのホーチミンが近づき、まもなく旅が終わるころ、大泉洋がこんんなことを言いました。「この番組は、これで一度終わるんだから、もう終わることはないよ」と。

 ぼくは当初、何を言っているのかよくわかりませんでした。彼が言った言葉の意味を知るのは、番組をやめてしばらくたってから。彼の口から「あの時は本当に眠れなくってさぁ」と聞かされたときです。大泉の言う「あのとき」とは、彼に番組終了を告げたときのことでした。

 その日、ぼくは他番組の収録でHTBに来ていた大泉を編集室に呼び出しました。二人きりになり「ちょっとさぁ」と、なにげなく話を切り出しました。

「どうでしょうをさ、まぁいったんやめようと思ってさ」

「あーそう」。大泉の反応は、予想外に淡々としたものでした。逆にこっちが少し焦って「いや、完全にやめるわけじゃないから、あくまでも『いったん』だから」と、何度も「いったん」を繰り返し、最後には「もうあれだ、もしかしたら来年には再開するかもしんないから!」と、ちゃんと別れを告げられないダメな男のように、終始言葉を濁し続けていました。

 でも大泉は冷静に「藤村さんもさ、どうでしょう以外にもやりたいことあるだろうしね、いいんじゃない」と、物わかりのいい女性のように落ち着いていました。でも実はその夜眠れなかったことを、彼は告白してくれたわけです。

 彼はこの番組のことが本当に好きだったし、絶対に終わってほしくなかった。だから精いっぱいおもしろいことを言って、番組が終わらないようがんばってきた。でも「いったん終わらせよう」というぼくらの空気を感じ始め、いつそのことをハッキリ言われるのかと不安でたまらなかった。心の準備はできていたものの、やはりその日は眠れなかった。

 そして、いよいよ最後の旅が終わろうとしたときに言ったのです。

「この番組は、これで一度終わるんだから、もう終わることはない」。

 この言葉には「これで自分はもう終わりを恐れてドキドキすることはない。あとはまた番組が始まる日を楽しみにしているだけでいい」という気持ちが込められていました。

 その意味を知って、ぼくは「これで本当に一生この番組を続けられるな」と思いました。難しいことなんてなにもない。これからは無理をせず、自分たちがやりたいと思ったときにまた集まって旅に出る。ただそれを繰り返していくだけで、ずっと「水曜どうでしょう」という番組は作り続けることができるだろうと。

 ベトナムの旅を終えてから、いつのまにか十三年もの歳月が流れました。この間、いくつかの旅に出て、「水曜どうでしょう」はまだのんびりと続いています。この番組は本当に、出演者とスタッフが一生続ける、日本で初めての番組になるだろうと思います。