シェール100完走記
シェール100 (2021/11/6-7)
距離160km,累積標高7500m
コロナにより、マイルの大会は激減した。
僕自身も2020年のUTMBが中止になったことで、大会へのモチベーションが下がっていった。興味の矛先も、クライミングなど新しい山のアクティビティへと向かっていった。
そう、コロナは様々なものを奪っていった。
鍛えられた肉体も、その一つだ。
例外なく僕も、走る距離がどんどん減っていった。
ふくらはぎは細くなり、腹回りにも肉がついてきた。体型はみるみる変わっていった。
自分は、まだ、マイルをやれるのだろうか。
そんな気持ちでいた頃に、友人たちと大好きな六甲山で100マイルレースをやることになった。
その名は、シェール100。
六甲の摩耶山にあるシェール道を巡る、一周32km×5週の周回コースだ。レースディレクターはいっちー。気持ち良く走れる上に、コンビニと自販機と公衆トイレ多数の素敵なルートを描いてくれました。
レースが無いならば、自分たちで100マイルレースを作ればいい。
ロゴのデザインは盟友ポジトロンの土井ちゃん。
LINEでデザインをお願いしたら、秒で素敵なロゴを仕上げてくれた。最高か。
2021年11月、その日はやってきた。
朝7時30分に新神戸駅に集合。手作りのゼッケンをつけて
4人でスタート!(7:45)
■1周目 目がマジ
最初は摩耶山への急登。天狗道を4人でパックになって登っていく。
一気に体温は上がり、程なくOMMのコアフーディを脱いでTシャツに脱ぎ変えた。
まだ一週目、無理をせずに登っていくと、程なく掬星台のピークに出た。
朝の光が降り注ぐ神戸の街、美しい。
登り切った掬星台ではほとんど休まずに、すぐにシェール道をパックになって、紅葉の萌える森の中を駆け下りていった。
シェール槍へと続くシェール道。この道は明治時代に神戸にいたドイツ人のシェールさんから名付けられたとか。
下り切ったところに看板があったが、泥で埋もれて「シェ」しか読めなかった。
俺たちの河童橋を渡る。
ここからは、なだらかな林道をだらだらと登って下る走らされるパート。紅葉の中をしばらく走ると再度公園に到着。
ここには自販機とトイレがあり、一周に2回通る補給ポイントになっている。コースは途中にコンビニと自販機が多数あるので、補給に困ることはない。ここまでで結構汗をかいたのでトマトジュースで塩分補給をする。
その先の鈴蘭台のローソンは、シェール100のオアシスだ。かき揚げそばを温めていると、いっちーが「先に行くわ」と早々に出て行った。目がマジだ。急に火がついたらしかった。
僕たちはかき揚げそばで補給をして、鈴蘭台高校の脇を通って菊水山へ登っていく。菊水山は西側から登ると階段地獄のえげつない急登だが、今回の北側からのルートだと、意外なほどスッと登れてしまう。
花崗岩のテクニカルな下りを降りきると、すぐに鍋蓋山へ登り返していく。
重い。身体が重い。
まだ一周目だというのに大丈夫なのだろうか。ずっしりと重い身体を一歩一歩引き上げて、ゆっくりと登っていく。やはり登る力が弱っているのだろうか。既に足腰に乳酸が溜まりはじめた感覚もあり、不安になる。
まさに鍋蓋の形のような、最後まで緩やかな山道を登り続けて、ようやく鍋蓋山の山頂に到着。
ここからは再び再度公園に下り、疲労感を感じたのでネクターをぐいっと飲んでひと休み。再度公園を出ると大師道を通って諏訪山方面へと向かうのだが、ここから先は神戸市街地へと向かっていく、下り基調の走れるルートだ。このようにシェール100のコースは全体的に走らされるパートが多く、気を抜けない絶妙なコース設定になっている。
うねちゃんが「今で5時間半だよ。ペース速すぎるんとちゃう?」と言う。シェールのコースは試走したときにゆっくり周って7時間くらいだった。飛ばしていたつもりは全く無かったが、先行したいっちーに触発されて、思いのほかペースが上がっていたのだろうか。少しペースを落として神戸市街地へ向けてゆっくりと下っていく。
真昼の市街地は暑かった。北野を抜けて新神戸へ戻ってきた。13時45分到着、1周目のCTは約6時間。
■2周目 血ぃ出てないって
新神戸のコンビニで少し休んで、14時には2周目に突入した。長い摩耶山への登りも、おすすめコンテンツの話をしながら登っているとあっという間に着いた気がした。陽が傾いてきた掬星台の広場に座ってクロワッサンをミルクティで流し込んだ。あっという間に身体が冷え始めたので、早々に下りはじめる。
長いシェール道の下りを走っていると、あたりはみるみる薄暗くなってきた。再度公園を早々に抜けてローソンへ向かう。夜間パートの前にカレーメシとハニーチキンというパワーメニューでがっつり補給をして、鍋蓋山へと登っていく。
そして1日目の夜がやってきた。真っ暗になったトレイルを、1周目の登りでうねちゃんが落としたサングラスを探しながらトレイルを行くと、あった。親切な人が柵にかけてくれたらしかった。
菊水山の頂上へタッチして、狭いトレイルを下っていると、後ろですごい音がして砂煙がもうもうと上がった。振り返るとうねちゃんが転倒して、座り込んでいた。
「顔から血、出てない?」「大丈夫」「血出てる気がする!」「大丈夫やって」
顔面からいってしまったようだったが、無事でよかった。
再び登り返して鍋蓋山。すっかり暗くなった神戸の夜景がクリアに見えた。
学生時代を過ごした第二の故郷でもある神戸の町。あの頃は六甲山に自分の足で登って夜景を見るなんて、想像も出来なかったけど。
再度公園で軽く補給を済ませて、真っ暗な諏訪山のトレイルを慎重に走って神戸の町へ再び降りた。
長いロードを走って21時30分頃に新神戸到着。2周目のCT、約7.5時間。
■3周目 牛丼食べたい
本格的な夜間パートが始まる前に、新神戸のファミマで生絞りグレープフルーツジュース、シュークリーム、ドーナツ、コーヒーを補給する。スイーツ男子か。
ゆっくり休憩して、22時頃に3周目スタート。そろそろ疲れが溜まってくる頃だが、なるべく余力を残して4周目に入りたい。4周目にさえ突入することが出来れば完走は出来るはずだから。
ペースを上げ過ぎないように、うねちゃんと話をして気を紛らわせながら摩耶山へと登っていく。
意外にも早く掬星台の広場へと到着することが出来た。
するとそこには、多くの若者たちの群れが。そう、土曜の夜の掬星台は、夜景を見に来る恋人たちが集まっていたのだ。
そして掬星台から穂高湖までの下りのロードは、恋人たちの車で大渋滞だった。
駐車場待ちの列をなした車の横を、駆け下りていくヘッデンを灯した二人組。冬の山中でいかれた奴らがいると思われたことでしょう。
シェール道の下りで、左足に違和感を感じる。蟻の一撃は早めに対処するに限る。座って左足の爪にテーピングを巻いた。
夜の河童橋。こわい。
真っ暗闇に浮かび上がってきた再度公園は、当たり前だが誰もいなかった。うねちゃんの眠気が辛そうで、座ったまま缶コーヒーを飲みながら寝ている。
少しだけ休憩をして鈴蘭台へトレイルを登り始めたところで、早くもトレイルを下ってきたいっちーとペーサーの井上さんに会ってテンションが上がる。いっちーはすごい汗をかいていて、眠そうだった。
いっちーと別れて先へと進み、夜のオアシスローソンに到着。
外は寒かったのでシーフードヌードルを食べようとお湯を入れていたら、店主の女性オーナーが店内で食べるよう勧めてくれた。なんていい人なんだ。人の少ない店内で縮こまってカップヌードルをすすらせてもらう。
再び登りはじめる。底冷えする深夜の菊水山。
次の鍋蓋山の登りで、次第にうねちゃんが遅れ始める。眠気でもうろうとしているようだ。話をすることで眠気を紛らわせてきたが、さすがに話すことも無くなってきた。新神戸に着いたら何を食べようか、そんな他愛もない話をしながら最後のトレイルを走っていった。4周目がスタート出来るかどうかで、完走が決まる。吉野家で補給をしてから元気に4周目に突入しようと思っていた。
新神戸到着は朝の6時。3周目のCTは、約8時間かかった。
■4周目 蟻の一撃
楽しみにしていた吉野家は、無情にも閉まっていた。
仕方なくファミリーマートで冷やしそばを食べたが、酸っぱいものが上がってきてオエッとえづきそうになる。それなりに固形物を摂取してきたつもりだったが、ここへ来て胃腸がやられてきた。吐きそうになったうどんを無理やり胃袋に押し込んで、朝6時頃にスタート。いよいよ100マイルっぽくなってきた。
新神戸をスタートして布引の滝に着くころには、あたりが薄明るくなってきた。しかしうねちゃんの眠気はピークに達したようで、更にペースが落ちて坂の途中で止まり始めた。申し訳ないと思いつつ、ここで登りは先に行かせてもらった。
朝日がトレイルに差し込んでくる。身体に力がみなぎってくる。
掬星台の広場に着く頃には、すっかり陽が登っていた。
掬星台からロードを気持ちよく下っているときに、ついに蟻の一撃によりダムが決壊した。右足の甲に感じていた違和感、たかが甲だから大丈夫と高を括っていたのだが、それは遂に激痛へと変わり、まともに走れなくなってしまったのだ。
今回のシューズはアルトラのオリンパス。トルデジアンで履いたものと全く同じ型のものをこのレースで初めて下ろしたのだった。トルで大丈夫だったからと思ったのだが、100マイルの鉄則「初めてのギアは絶対に本番で使っちゃだめ」は本当だった。なんでやっちゃったんだろう。
考えた末に、右足の甲の当たる部分のヒモを外して靴紐を通しなおして、圧迫感を無くしてみた。
これでようやく痛みがマシになったので、明るいトレイルを駆け下りていく。降り注ぐ陽光からエネルギーをもらっている感覚があった。
シェール道の下りにはいくつか渡渉ポイントもあるが、昼間に渡るのは気分も変わって楽しい。
結び変えた靴紐もいい感じ。
下り切ってから再度公園までのアップダウンでは、暑くて水切れしそうになったが、僅かに残った水をちびちび舐めながら進んでいく。紅葉がきれいだった。
ようやく再度公園の補給ポイントに到着。
ザックをおろして水分補給
その先のローソンでは消化の良さそうな天津飯を補給。なんとか吐かずにのどを通ってほっとした。なぜかふと背後にうねちゃんが猛スピードで追い上げてきている殺気を感じたので、早々にスタートする。
鍋蓋山の登りは暑かった。
再度公園から諏訪山への下りでは、また右足の甲に痛みが出てきた。右足の靴紐を更に緩めると、今度は左足の指の付け根が痛くなってきた。はい、100マイルあるある「痛みの連鎖」ですね。かばう動きが別の部位のダメージにつながるのよね。知ってたよ!
諏訪神社の脇を抜けて
降り立った新神戸の町も暑かった。たまらず日陰を走る。一日で一番暑い時間帯に新神戸の駅へと戻ってきた。
13:30分到着。4周目のCTは7.5時間。夜間の3周目よりもペースを上げることが出来た。
■5周目 槍を見たかい
吉野屋は開いていた。それほど食欲は無かったが、通過儀礼ということで牛丼を注文。しかし案の定、半分くらいしか食べられなかった。
午後2時、最終ループスタート。暑かったが、走れるところは頑張って走る。布引の滝も輝いて見えた。
5度目の掬星台への登りは、もちろん両足は疲労で重くきつかったが、これで終わると思うと嬉しくもあった。
そして最終ループにはご褒美が待っている。5周目に入った走者だけが、シェール槍のピークを踏むことが出来るのだ。何人たりともこの権利を放棄することは出来ない。これってご褒美なのか?
そしてどうせシェール槍に登るなら、明るいうちに登りたい。なるべくペースを落とさないように維持しながら天狗道を登り切った。
俺たちのエナジードリンク、伊藤園の1日分のビタミン。何度飲んだことだろう。
右足の甲の痛みを抱えながらロードを下り、穂高湖へ。湖畔のトレイルを周ってシェール槍へと向かう。疲れ切った身体に、急に縦方向のクライミングのムーブは本当にきつかった。
そして、ついにシェール槍のピークを踏む。仁王立ち。
陽が沈む前にピークを踏めて本当にうれしい。
Have you ever seen the spear?
Yes!
夕暮れのシェール道を下り
再び夜が訪れた。最後のローソンの補給も軽く済ませて、菊水山へと向かう。
そして5回目の鍋蓋山。
最後のトレイルは右足も痛みがピークになっていたが、もうこれで最後だと思うと、足がもげてもいいからと走っていった。
次第に幻覚が見え始めた。遠くにライトを持った男が歩いている。こんな時間に人などいるわけがない。はいはい、幻覚さん来ましたねーてな感じで受け流す。
最後のトンネルを通ると
ついに新神戸の町が見えた。最後くらい歩いてもと思ったが、最後くらい走ろうと思い直し、新神戸に向けて北野坂を駆けていく。
新神戸が見えてくると、いっちーがコンビニの前で待っていてくれて、嬉しかった。
「新神戸まで行かなきゃだめ?」「最後まで走るでしょ」「トレイルランナーの端くれとしてがんばるよ」
最後は少し腰くだけになりながらも、走って新神戸の駅に駆け込んだ。
21:30 新神戸到着 5周目のCTは7.5時間。最後までタレずに走りきれたのはよかった。いっちー、サプライズのビールありがとう。
1周目 OUT7:45 IN13:45 CT6時間
2週目 OUT14:00 IN21:00 CT7.5時間
3週目 OUT21:30 IN5:30 CT8時間
4週目 OUT6:00 IN13:30 CT7.5時間
5週目 OUT14:00 IN21:30 CT7.5時間
FINISH TIME 37:45
以上がシェール100マイルの顛末だ。
取り立てて語るドラマもないまま、痛みを抱えて、機械のように周回を刻みながら、気付けば六甲の夜遊びは終わっていた。
フィニッシャーズキャップ
身体は覚えていた。
登りは、四本足で登ることを。
下りは、着地の衝撃を臍で抜くことを。
一定の出力を維持すれば動き続けることを。
眠気には仮眠ではなく集中力が効くことを。
身体が重いと感じても、必ず復活の時が来ることを。
身体は覚えていた。100マイルの走り方を。
100マイルなんて、やりたい時にやればいいんだよな。
急ぐべからず、されど休むべからず
ーゲーテ
#シェール100
トルデジアン200マイル完走記2019 ⑤林道同盟結成 エピローグ(セクション7)
セクション7
Ollomont(287.2km)〜Courmayeur(338.6km)
林道同盟結成(別名顔パン同盟)
途中足のトラブルはあったが、目標16時の2時間前になんとか Ollomontへ到着できた。一郎さんと一緒にまずはビールで乾杯をする。駆けつけ3杯じゃないが本当にお替わりをして3杯一気に飲んでしまった。それだけ暑かったのだ。
ほろ酔い気分でドロップバッグを担いで、とりあえずシャワーへ向かう。暑かったしさすがに汗臭さが気になってきたので、最後のセクション前にテーピングも剥がしてリフレッシュしたかった。シャワーを浴びて(ここはお湯が出た)身体を拭くとスッキリした。その足でマッサージに向かい、テーピングの貼り直しをお願いする。どこか異常が無いかと聞かれたので右腿の痛みを伝えたが、炎症を起こしている部位はマッサージをしないと言われてしまった 。
マッサージが始まってすぐに気絶したように寝落ちする。一瞬記憶が無くなるとすぐに起こされた。足を見ると右膝にテーピングをがっちりしてもらっていた。足をぐるぐる巻きにされていたが、果たして靴を履けるのだろうか。
そのままマッサージコーナーの横の簡易ベッドで横になった。2時間ほど寝ると、夕暮れになったのか気温が急激に下がって、アラームが鳴る前に寒さで目を覚ます。周りは靴を履いたまま寝ている人がいたり、野戦病院状態だった。
身支度を整えて、イタリア版カップヌードル(しょうゆ味。クリームよりこっちが正解)フルーツポンチを食べる。
18時過ぎにOllomont出発。制限時間は明日の18時なので24時間ある。ここまで来れば完走は出来るはずだという確信が湧いてくる。若岡さんとゴールで会いましょう、と約束をして出発をした(顔パンLV.6 目が開いてないのを笑顔でごまかす)
夕陽のあたる山々を見ながら登って行く
アイベックス先輩!下りを教えてください!
20時30分 Rifugio Champllon到着。
山小屋の中はすごい賑わいだった。地元の人たちがワインを飲んで大宴会をしている。居酒屋か。
地元の女性グループも楽しそうにワインを開けている。週末に山小屋で宴会。なんて素敵なんだ。それとは対照的に手前でボロ雑巾のように眠るTOR選手達
突然ふるまってもらった子羊のソーセージのトマト煮込みはハーブが効いて激ウマだった。これ今回のレース中で一番美味しかったもの
一緒に宴会したいところだが食後のカプチーノを飲んで出発
21時45分、Col de Champillon(2709m)到着。あとはラスボスのマラトラ峠を残すのみだ。
今宵も満月が眩しい
しばらく山を下ると、眼下にえらく騒がしいエイドPonteille Desotが見えてきた。23時到着。
ここのエイドはすごかった。私設エイドなのだろうか。地元の屈強な男たちが肉をがんがん焼いている。
牛肉と豚肉にポレンタ、イワシの丸焼きをトッピング。ボリュームがすごい!
テーブルには赤ワインどーん!ここまでビールは結構飲んだが、もう最後のステージ。ここでこのワインを飲まないと一生後悔する気がしたので、ぐいっといただく。
う、美味い
ワインを飲んでくつろいでいると、日本人選手の常田さん、鈴木さんがやってきた。
「ここから先は単調な林道が10kmくらい続くので、1人だと眠気に襲われる。一緒にパックで進みましょう」
そう常田さんから誘ってもらい、ここから先は3人で一緒に行くことにした。
急遽結成した林道同盟。3人で夜の林道を進んでいく。
常田さんも鈴木さんもTORのリピーターだった。鈴木さんは1年目は完走、昨年はなんと300km過ぎで水あたりのためリタイアという凄い経験の持ち主。そして今年はUTMBから続けてTOR参加らしい。そして常田さんに至っては、今年のPTL(290km)を2週間前に完走してからそのままTOR参加(うそでしょ)。日本人女性でこの連戦は史上初めてらしい。
全くみんなどうかしてるぜ。
下らない話をしながら進む林道は楽しかった。常田さんのPTLの経験談や、鈴木さんのリタイア話、そして世界は狭いものでお互い共通の友人がおり、そのエピソードで爆笑しながら進んでいく。
100マイルをやる人たちは、ユーモアがあるとつくづく思う。絶望的な状況の中でさえ、それを笑い飛ばせるメンタリティの強さがある。
僕はこういう人たちのことが、本当に、好きだ。
“Retain your sense of humor.”
ユーモアの精神を忘れるな
これは僕が初めて100マイルをアメリカで走った、CCC(Cascade Crest Classic100)の合言葉だが、100マイラーの精神性を本当に良く言い表している言葉だと思う。
ある人はこの言葉を聞いて、“Humor”はHumanが語源なので、人間らしさを忘れるな、とも解釈できると言っていた。
僕たちはこの長い旅を通して、まるで山の中を動き続ける動物のようになっている。だが、クソきつい時こそ笑え。笑え。目の前の馬鹿みたいな現実を笑い飛ばしてしまえ。
人間らしくあることを忘れるな
顔をパンパンに腫らした林道同盟達は、ここまでの行程であったTORの珍エピソードをお互いぎゃははと笑いながら、また途中で眠そうに右へ左へ蛇行しているランナー達の事を笑い飛ばしながら進んでいく。
ここまで旅を続けてきて、彼らと出会えて、TORは壮絶な冒険というよりは、壮大な喜劇みたいだなと思っていた。人生はクローズアップで観れば悲劇だが、ロングショットで観れば喜劇になるとでも言うように。
長かった林道も話をしているとあっと言う間に過ぎて、Saint -Rhemy Bossesに到着。午前1時50分。
「サンレミ着いたら寝るぞー!」と言いながらここまで走ってきた。トルデジアンリピーターの常田さんによると、ゴールするのに最適な時間は最終日の午後であって、午前中はゴールに人がいないので寂しいとのこと。よってここでゆっくり寝て時間調整をして午後にゴールをしようという事になった。教会の2階にあるベッドへ直行する。
1時間30分のアラームをセットして寝る。即効で寝落ちするが、アラームが鳴る直前で自然に目が覚める。ショートスリープが身体に沁みついてきたらしい。テントに戻り最後のマラトラアタックに備えて腹ごしらえをしていると、先行していたはずの鵜野さんがいた。どうやら夜の林道で知らずに追い越していたらしい。 眠気で谷底に落ちそうになっていたと笑っていた。みんな顔をパンパンに腫らして楽しそうだ。
全員顔パンLV.7
4時過ぎスタート。途中で装備を整えながら4人パックで進む。
3人のスピードに着いていけなくなったので、先行してもらう。 座り込んで靴ひもを結び直す。今回のシューズはアルトラのオリンパス。新しいオリンパスの完成度は本当に素晴らしい。厚底なのに足裏感覚もあるし、グリップも優れている。この靴が無ければ完走は難しかったかもしれない。
最後の夜が明ける
マラトラ目指して朝焼けのトレイルを進む
途中エイドかと思ったらただの牛舎だった
朝日キター!
明け方の山は官能的だ
このフラッグをいくつ越えて来たことだろうか
マラトラへ向かう登りは急ではないが、6日目の疲れた身体には長くてきつかった。空を見上げながら早く小屋に辿り着かないなあと、のろのろ登り続ける。
7時50分、ようやく朝日に照らされたRifugio Frassati(2537m)到着。
へとへとになって椅子に座りこむ。鵜野さん、常田さん、鈴木さんは既に到着してくつろいでいた。小屋の中に差しこんでくる強烈な朝日を浴びながら、朝ごはんにパスタのトマトソースとハムをいただく
最後のカプチーノ
最後のマラトラ峠は、あとわずか400mアップだ。夢にまで見たマラトラを、あのポーズで越えよう。
マラトラ峠へ続くトラバースが見えてきた。遠くの斜面に続く踏み跡が見えるだろうか。
トラバースを横切って、最後の登りへ。 上の方に何か見えてきた。
振り向くと、ここまで登ってきた道がみえる。クールマイユールからの長い道のりまでが見えるような気がした。
長い登り。もうあまりプッシュは出来ないが、ジェルを入れて、身体中の力を振り絞るように、一歩一歩、登っていく。
最後はロープの急登
そしてついに
Col Malatra到着。9時42分。標高2936m。319km地点。やっとここまで来た。夢にまで見たマラトラ峠を、万感の思いを込めて、いま踏みしめている。
さあ、クールマイユールへ帰ろう
まだまだ長いトラバースは続く。下り始めると、クールマイユールから登ってくる人たちと時々すれ違う。「Bravo! Bravissimo!」、「Grazie!」
時間は大丈夫、ゴール出来るよ、と言ってくれる人もいて、喜びが湧き上がってくる。
Malatra(2325m)エイドに到着。10時34分。 再び気温が上がってきたのでガスウォーターで水分補給をしっかりする。
そこから先はまたちょっとした登りがある。でもこんなのマラトラに比べればなんてことはない登りだ。登りきるとそこには
出たーグランドジョラス!死の山!長谷川恒男がこの北壁を登ったのか
おおー!マッターホルン!でかい!!
マラトラ峠からの下りは長かった。長い下りでまた足に痛みが出てきてしまい、いよいよ抑える事が出来なくなってきた。途中で歩きも入れながら下ったため、結構な時間がかかってしまった。
ふらつく足取りで駆け降りていると、岩場で派手に転倒する。起き上がる。右肘から真っ赤な鮮血が滴り落ちている。自分に血が通っていたことを、久しぶりに思い出す。
上出来だ。300km過ぎまで無傷で来れたのだもの。こんなのは、思い出の些細な勲章みたいなものだ。
いつまでたっても小屋に着かないので次第に不安になってくる。制限時間は大丈夫だろうか。次の小屋までの距離表示を見ると意外に長くて焦ってくる。走ったり歩いたりを繰り返していった先に、ようやく最後の山小屋の屋根が見えてきた。
最終エイド、ベルトーネ小屋(1975m)13時30分到着。下り基調なのに前のエイドから実に3時間もかかっていた。
エイドで補給をしていると、突然名前を呼ばれてびっくりする。 一郎さんだった。「日本人選手みんなあっちにいますよ」
行ってみると、鵜野さん、常田さん、鈴木さんだけでなく、 日本人ランナーやTor des Graciers(450km)を3位で完走した小野さんたちが全員集合して、陽光のテラスでビールを飲んでいた。もう打ち上げかよ
ここまで来ればもう完走は確実だ。僕もテラスでビールをいただく。ぐび。トルデジアン最高か
睡眠不足で腫れ上がった顔を見て、若岡さん、一郎さんやみんな嬉しそう。(顔パンLV.8)
眼下にはクールマイヨールが見える。 さあ全員でウイニングランだ。
みんなと一緒に写真などを撮りながらトレイルを下っていく。当然両足はめちゃくちゃ痛い。
Graciersを3位で完走した小野さんが飛ぶように下っていくのを見て、化け物だと思った。
途中で足が痛くて着いていけなくなったので、 マイペースでゆっくり下っていく。330kmの旅の終わりを、ゆっくり噛みしめるように。
ようやく見覚えのあるクールマイユールの町に降りてきた。
スタートゲートが見えてくる。万感の思いでその横を通過する。ただいまクールマイユール。
クールマイユールの商店街の両側には、 人々が昼下がりのカフェで楽しんでいる。お茶を楽しむ人達に声をかけられながら最後のウイニングランを楽しむ。
「Bravissimo!」、「Grazie! Grazie!」
沿道の人たちからも祝福されながら、最後のストレートを走る。石畳の細い商店街の先にゴールゲートが見えた。
グラッツェ、イターリア!
147時間34分
6日と3時間34分
330kmの旅が終わった
Epilogue
ゴールでは類くんたちが待ってくれていた。 しばらくビールで祝杯を上げる。その後は受付会場まで戻ってドロップバッグを受け取り、担いでホテルまで戻った。ゴール後のこの行程がアップダウンもあり、エクストラステージみたいで何気にきつかった。
ふらふらになりながらホテルに着いて、シャワーを浴びる。数日振りに鼻をかむと巨大な血の塊が出てきて鼻血が止まらなくなった。イタリアの乾燥恐るべし。
ゴールした日本人選手で打ち上げをしようと言っていたが、 シャワーを浴びてベッドに横たわると立ち上がれずにそのまま就寝する。
その時類くんが撮ってくれた写真がこれ。死亡寸前かよ。
翌朝起きると両足がまるで象の足のようにパンパンに腫れていた。サンダルに足が入らない。
朝ごはんのビュッフェ。 しばらく山で新鮮な野菜が食べられなかったので、 サラダが異常なまでに美味かった。
表彰式へ向かう。完走者が全員が名前を呼ばれて前に出て、 フィニッシャーTシャツを着て祝福を受ける。なんとも言えない幸せな時間だった。
表彰式の後は、クールマイユールの名店「トンネル」 のピザで打ち上げ
夕刻のバスでミラノへ戻る
グラッツェ、クールマイユール!
今回の旅は330km、ひたすら山を動いてきた。登りは犀の角のように、下りは山羊のように。
食べる。体が動く。疲労して石の上に数秒横たわる。起きる。ゆっくり歩き始める。ウェアリングは研ぎ澄まされてゆき、気象条件により考えなくとも自動的に変更されてゆく。補給も淀みなく自動的に行われれ、淀みなく排出されてゆく。
限界まで来ると少しの仮眠をとる。起きる。また身体が動く。陽が沈む。陽が登る。思考が混濁する中で何かを思い続ける。
この繰り返しの何と美しいことか。
ただ動物のように、ただ淡々と。トルデジアンとは究極の挑戦というよりは、究極の生活であり、生きることそのものの、丁寧な確認作業のようなものだったと思う。
純化された、ただの生活。
それはいまや最も得難いものだ。
それを求めて、僕はいつかまたこの町を訪れるような気がしてならない。
了
トルデジアン200マイル完走記2019 ④腫れ続ける顔 破壊される前腿(セクション5〜6)
セクション5
Gressoney(205.9km)〜Valtournenche(239.0m)
顔は腫れるがキャラバンは進む
Gressoneyは巨大な体育館のライフベースだった。目標到着タイムは21時だったので、ここで初めて2時間の貯金が出来たのだった。若岡さんにまずは寝ますと伝えて体育館の奥へ行くと、簡易ベッドは空いておらず、体操競技用の分厚いマットレスしかなかった。仕方なくその上で横になって1時間の睡眠をとった。
マットのすぐ横には別の選手が寝ていたりしてあまり深くは寝られなかったが、それでも1時間は寝られたように思う。起きてFacebook を見ると友達からものすごい量の応援メッセージが書き込まれており、元気をもらった。
充電池を入れ替え、足にワセリンを塗り、着替えを済ませるとフードエリアへ向かった。テーブルには若岡さんと一郎さんがいて、日本人ランナーのサポートをしていた。一緒に混ぜてもらって休憩をする。(顔パンLV.3)
一緒に席についてカレーメシを食べる。久しぶりに日本語で会話をしながら食べる日本の味はたまらなく美味しかった。サポートのブドウをお裾分けしてもらった。 体調大丈夫ですかと聞かれて、咳が出るんですと言うと、若岡さんがハーブののど飴をくれた。これがその後の咳を止めるには大変効果があり助かった。
夜9時45分、Gressoney(1329m)をスタート。
この先はセクション5、大きな山を二つ越えるが、奇数パートなのでそれほど大変なセクションではないはずだ。
夜の町を抜けてしばらくはフラットなパートが続き、山道へと入っていく。
夜11時30分、Rifugio Alpenzu(1788m)到着。Rifugioは山小屋の意味で、ここも小さな避難小屋だった。中に入って有料のカプチーノを注文する。普段はカプチーノではなくコーヒー派なのだが、本場イタリアでカプチーノの魅力に気づいてしまった。普段だったらぜったいにやらないけど、ふわふわの泡の上に、砂糖をふりかけて、泡を混ぜずにそのままジャリジャリの泡と一緒にコーヒーを飲む。疲れた身体にはこれがたまらなく美味しかった。後半は山小屋に着く度にカプチーノを飲むのが楽しみになっていた。
小屋を出てまた夜の山を登りはじめた。 ところがこの単調な登りでこれまでで最も強烈な睡魔に襲われることになる。夜も4日目にもなるのだから当然かもしれない。
眠気は止まらないので、たまらず独り言をしゃべる。頭に浮かぶ前の喉から湧き上がる意味の無い言葉が口から自動的にこぼれ出す。自分の意識とは別に言葉がぼろぼろと口から流れてゆく、まるで自動口述だ。
いくらしゃべったところで睡魔は止められなかった。次第に身体が重くなり、動かなくなる。ヘッデンが照らすトレイル脇にある巨大な岩が、気持ちよさそうなベッドに見えてくる。たまらず脇にある大きな岩の上で横になった。
岩は冷たかった。いくら眠くてもこんな岩の上で寝られるわけがない。
ヘッデンを消して、目を閉じて十数えてみる。横になっている脇を他の選手が負い抜かして行く気配がする。その音を聞きながら十数えきると、立ち上がってみる。身体がさっきより動くのがわかる。また登り始める。しばらく進むとまた睡魔で身体が動かなくなる。岩の上に横になって十数える。立ち上がる。また少しだけ身体が動く。
こんな事を何度も繰り返しながらよろよろと山道を登っていった。
もー
Col Pinter(2776m)に深夜2時に到着。眠気と闘いながら長い時間をかけてようやくGressoneyのライフベースから1300mを登り切った。
そこからは1200mの長い下り。さすがに下りでは眠気を感じている暇はない。既に200kmを越えているので下りはストックで足を節約しようかと思って試してみるが、かえってブレーキがかかるような感覚がしてダメージになりそうなので、やはりポールを使わずに滑るように下るようにする。相変わらず下りでは前の選手を追い抜かせるので、遠くに見える先行選手のヘッデンを目標にしながら、近づいては抜かすゲーム感覚で進んで行った。
午前3時47分、セクション5の二つの山の谷間にあるChampoluc(1556m)エイドに到着。エイドの中では多くのランナーが机にうつ伏せになって寝ていた。奥に仮眠所がありそうなので、ここで少し眠ることにする。女性スタッフに聞くとベッドがいっぱいなので少し待てと言われて、机に突っ伏して10分ほど寝ていると、女性が起こしてくれた。朦朧としたまま2階の仮眠室に連れて行かれ、1時間で起こしてもらうよう女性にお願いをして深い眠りについた 。
午前5時、あっという間に1時間が過ぎ起こしてもらって階下へ降りると、ベッドが満員なせいか大勢のランナーが机にうつ伏せになって寝て いた。
机だけでなく床にそのまま寝ている選手もいる。明け方のエイドの野戦病院感が半端ない。場所があればどこでも寝たくなるその気持ち、わかるよ。
眠気も取れて、第5セクションはあと一つだけ山を越えれば良いと思うと少し気分も楽になった。エイドで食事を済ませて出発する。
ようやく朝焼けだ
祠の横を通りすぎる
前方の山が朝日を浴びて輝く。なんて美しいんだ。
後方を振り返ると雪山が広がっている
朝日が美しい。天国だろうか。
さあ今日も登るぞー
林道のような幅の広いルートを登って行く。調子に乗って動画を撮りながら林道をずんずん登っていたら、途中でマーキングが無くなってプチロストする。慌ててGPSを見ながら不整地を越えて元のルートへ戻る。
Rifugio Grand Toumalin(2535m)到着。午前8時50分。
小屋の前には巨大なカウベルが並んでいた
この時点での順位。398位らしい。ずっと400位過ぎだったので悪くないペース
綺麗な山小屋の中で朝食をいただく
カプチーノうまー
カプチーノを飲んでいると日本語で突然話しかけられてびっくりする。ノースフェイス鵜野さんたち日本人チームが続々到着してきた。
この先にマッターホルンが見えるはずーとか言いながらみんなでワイワイ。
さあここからコルまではもうすぐだ。 登りは遅いので一足先に小屋を出る
下の方に見えるのがさっきの小屋
9時50分、Col di Nanaz(2773m)到着
雪山をバックに
あとは下ればライフベースだ。 あの先に見える尖ったのがマッターホルンだろうか。
快晴のトラバースを走り
眼下に町がみえてきた
お?あの尖ったやつは?
おおお!?
マッターホルン どーん!
11時49分 6番目のライフベースValtournencheに到着。239km地点まできた。
ここValtournencheは、マッターホルンの裏側から登山道の起点になる美しい町であった。
セクション6
Valtournenche(239.0km)〜Ollomont(287.2km)
破壊される前腿 蘇る変態
Valtournencheに着いたのは昼間だったが、目標タイムは15時だったので3時間も貯金がある。その次の長い長いセクション6の偶数パートに備えてたっぷり寝ようと思っ た。
とりあえず生ビールと生ハムとトマトだ。特にトマトの塩バジル和え、最高!
居酒屋トルデジアンで一杯やるとすぐに体育館へ移動。マットレスが沢山並んでいる体育館は、涼しくて快適だ。横になってすぐに眠りについた。
2時間半寝るとアラームで目が覚めた。 足にワセリンをたっぷり塗る
体育館の横では壇上で皆が横になってマッサージを受けていた。魅力的だったが今のところマッサージを受けるほど大きなトラブルはないのでスルー
朝ごはん。夕方だけど。日本でも手に入りにくい希少なカップヌードル味噌味を持ってきたのだよ。ふふふ。
ここからは根性パートなので、 寄せ書きをしてもらったTシャツを着て気合を入れる。(顔パンLV.4)
午後4時半、Valtournencheを出発。
塔のある美しいValtournencheの町を抜けて
マッターホルンの背面を守る町よ、さらば
トレイルを登って行くと、MTBの集団が降りてきた。みんな楽しそうに山で遊んでいる。アウトドアが生活に根付いている。素敵だなあ。
そして陽は再び沈んでいく
巨大なダムの横を登り
一つ目の山小屋、Rifugio Barmassaに到着した。
カプチーノジャンキー
再び登る。牛の群れがいっぱい
牧羊犬が牛を見張っていた。犬のボス感がはんぱない。
第5セクション最初のコル、Fenetre d’Ersaz(2290m)到着。19時42分。
太陽は沈みそうで沈まない
20時、Vareton小屋に到着
牛乳がうまー。味が濃いね
小屋を出るとさすがにあたりは暗くなっていて、5日目の夜がやってきた。第6セクションは大きな山は無いがだらだらしたアップダウンが長く続くコースだ。
ここでさっきのライフベースで持ってきた秘密兵器を投入する。それはヘッドフォンだ。僕は山で音楽は聞かない。音楽は好きなのだが、山ではこれまで聞く必要も感じなかった。念のためとヘッドフォンをドロップバッグに入れておいたのだが、これが眠気と闘わなければならない5日目の夜にすごい威力を発揮した。iPhoneにジャックを差して音楽を流す。あたりの情景が鮮明に立ち上がってきた。身体に力が漲ってくる。
左手に、明るいライトのようなものがあった。眩しくて思わず目を細めたくらいだ。見上げるとそれは満月だった。巨大な真円の光は眩しく、帽子の束で光を遮らなければならないほどだった。
Fenetre du Tsan (2736m)到着 22時12分 第6セクション最初の大きなピークを越えた事に安堵する。
そこから下ってRifugio Lo Magia(2007m) 23時20分到着。フードの奥には4つのベッドがあって疲れた選手たちが爆睡していた。みんなぎりぎりのところで戦っているんだな。
小屋を出ると再び月光に照らされたトレイルを登って行く。
朧げな光に照らされた道を往く。
途中で暗闇の中から水の音が聞こえてきた。
さらさらさら。するするする。
音は次第に存在感を増していく。
暗闇の中のどこかはわからないが、僕のすぐ傍のどこかに、水が、あるらしい。結構な水量がすぐ横を流れている。
突然、月の光に照らされて水面が浮かび上がる
そこには大きな川が、流れていた
その水面の美しさに、しばし心を奪われて茫然と立ち尽くす
しばらく川と並行して登っていくと、大きな平原のようなところに出た。月明かりに照らされた平原。平原の中央に大きな川が流れている事が、目ではなく、身体で、五感で、わかる。
月の光に照らされた平原。そしてせせらぎ。なんて美しい。芳しい緑の薫り。きっと昼間見たらもっと美しいのだろうけれど。
見えないが美しい風景。それはまるでおとぎ話のように現実離れした美しさで立ち上がったのであった。
Rifugio Cuney(2656m)到着。午前2時。259.8km地点まできた。
そこからはまただらだらとした細かいアップダウンが続く。 音楽を切り替えて眠気をごまかしながら進む。
Col Chaleby(2693m)を越えて
Bivacco R.Clemont(2705)到着。5日目の夜の午前4時。選手達は狭い小屋の中で肩を寄せ合って休む。
言葉は通じないが、みんな仲間だ。言葉なんてなくても、それぞれが考えていることがわかるような気がする。
スープパスタにチーズを入れて流し込む
Col Vessona(2788m)。午前4時半。ようやく前半最後のピークだ。
ここから、あと1400mだけ下ればOyaceのエイド。そこから残りひと山を越えれば、セクション6は終了だ。
だがこの下りで、状況は一変した。
それは、264kmから274kmまでの区間、わずか10kmで1400mを一気に下るパートだった。それほどテクニカルな下りでは無かったが、ここでついに感じた事のない違和感を右膝の内側に感じ始める。
これまでだって、何度でも違和感は、起こってきた。でも、身体と対話し、身体の使い方を変える事で、なんとか対処をしてきたはずだ。だが、いまそこにある違和感は、みるみるその姿を現して襲いかかってきた。
違和感はあっと言う間に痛みへと変わり、慌てふためいて右側をかばって走っているうちに、ついに左の腿にも痛みが出てしまった。
「TORは下りが大変だ」その話なら何度も聞いていた。累積獲得標高24000m。実に富士山8回分。エベレスト3回分。それはつまり、エベレスト3つを下り切らなければ、ゴールへ到達しない事を意味する。
前腿がやられて後ろ向きに下ったという話を聞いていたが、自分はこれまで前腿がやられたという経験は無かったし、ここまでは下りで他の選手を抜きながらスムーズに下れていたので、完全に舐めてしまっていた。
これが「前腿が終わる」 というやつなのだろうか。痛みはまるで暴動のように雪だるま式に膨れ上がり、激痛へと変わり、一歩一歩激しい痛みに耐えなければならなくなってしまった。
がくんとスピードが落ちる。どうする俺。痛み止めを飲むしかないのか。
しばらく痛み止めを使った事はない。痛みの半分以上は脳の錯覚だと思っていたし、 脳への信号の入れ方を変える事で痛みを回避することが出来た。
だが今目の前にある痛みはそんな抽象的なものではなく、容赦なく目の前に立ち塞がって、僕が進むことを拒否していた。
Oyaceまで行けばマッサージを受けられるかもしれない。GPSで距離を確認するが、まだ相当距離はあることを知り絶望する。
途方にくれてとぼとぼと山道を下る。当然歩きではなかなか距離が進まない。激痛がはしる。途方にくれる。 こんなにも次のエイドが遠いなんて。急に完走に霞がかかりはじめた。激痛に耐え、思考を痛みに支配されたまま山道をとぼとぼと下る。
ダメ元でいつも身体を診てもらっている先生にメッセンジャーを送った。
「下れなくなりました」
すると数分後に返信があった。
「椅子はありますか?」
ちょうど途中にベンチがあったので、腰かけた。しばらくすると動画が送られてきた。
「これできますか?」
先生の動きをまねして、椅子に座ったまま、上体を屈めてみる。ごく簡単な動作だ。
「はいできました」
何本か動画が送られてきた。左右の足を交互に上げてみたり、 腿を右手で押して左手で引く、といった簡単な動きを、動画を見ながら忠実に何度か繰り返した。マッサージではない。ただ足を上げ下ろしするだけだ。
「できました」
「できたら、早歩きする感じなら走れます。 下りは蛇行したらいけます。」
本当だろうか。
立ち上がってみる。驚くほどすっと立ち上がれた。 足踏みをしてみる。痛みはない。少し歩いてみる。
あれ、痛みが消えている
ついさっきまで一歩毎に激痛が走っていたのが、嘘のように消えていた。もちろん完全に違和感が消えたわけではない。多少の痛みは残っている。だがさっきまでの激痛は明らかに消えており、軽くジョグしてみると、走ることも出来た。
「すごい、あんなに激痛だったのに、下れるようになってきました」
人間の身体は不思議だ。時々医学では説明のつかない事がおこる。痛みが出るのは炎症を起こしたところから放出された化学物質が神経に信号を送っているわけで、それを消すには鎮痛剤で信号をブロックする以外に理論的には方法は無いはずだ。だがしかし、いくつかの簡単な身体の動きを繰り返しただけで、現実に、痛みは、消えていた。
しばらく下ってみる。途中で少し痛みが強くなってくると、座って例の動作を繰り返す。するとまた下れるようになる。その動きを何度も繰り返しながら、復活して走れる喜びに羽が生えたような気分で下っていく。
午前8時13分 Oyace(1360m)到着。足を痛めたせいで下り切るのに4時間近くかかってしまったが、何とかここまで辿り着くことができた。そして何より痛みをコントロールする術を身に着けた事が嬉しい。
フルーツポンチの生ハムで栄養補給
鵜野さんや常田さんも合流。あと一山がんばろうと励まし合う(顔パンLV.5 もう目が開いてない)
Oyaceに着いたらマッサージを受けて休もうかと思っていたが、折角調子が上がってきたのでこのままの勢いで最後の山を越えてライフベースまで行ってしまいたかった。9時過ぎに出発。
あとはCol Brisonを越えれば最後のライフベースだ。 雲一つ無いトレイルを登って行く。
牛のいるエイドでほっと一休み
飛行機雲が見える。コルはまだまだ見えない
後ろを見ると鵜野さんが来ていた
飛行機雲の向こうに、ようやくコルが見えた
鵜野さんと一緒にCol de Brison(2508m)到着。12時10分。
山頂は大勢の選手でにぎわっていた
絶景!
あとは1000m下るだけ。Berio Damonというテントのエイドを越えてゆく
気温がぐんぐん上がっていく。もうすぐ着くはずと思いきや町に降りてからがまた長かった。長い道を走っていると、ベンチでビール片手にくつろいでいるおじさんがいる。一郎さんだった。
長かったー!しんどかったー
知った顔に安心をして思わず文句を言いながら一郎さんとエイドへ向かう。14時前に最後のラ イフベース、Ollomont(1396m)に到着。暑かったし長かった。でもついに最終ライフベース、287km地点まで来たんだ。
トルデジアン200マイル完走記2019 ③居酒屋トルデジアンはじまる 溜まっていく睡眠負債(セクション3〜4)
セクション3
Cogne(106.2km)〜Donnas(151.3km)
居酒屋トルデジアンはじまる
Cogneに着いたらハードなセクション2で疲れた身体をぐっすり寝て癒すつもり だった。そのために睡眠を削ってここまで来たのだ。想定では4時間の休憩時間をとっていた。だが現実はそう甘くはなかった。
トルデジアンで楽しみにしていた事の一つに、ライフベースでのビールやワインが飲み放題という事があった。ビールはサーバーから注ぎ放題!
しかも充実のハムとチーズ!
ビールにハム&チーズとトマトって、居酒屋かよ!
寝酒にビールを飲んでぐっすり寝ようと思っていた。食事を済ませると睡眠部屋へと移動した。ベッドが沢山並んだ部屋の前には女性の係員がいて、何時間寝たいかを聞いてくれた。「2時間」と言って案内されたベッドに横たわった。
ところが、なぜか寝つけない。腹式呼吸をしてリラックスをしてみるが、焦れば焦るほど眠れない。これだけ身体が疲れきっているというのに、なんで眠れないんだ!
そのうち乾燥した空気と土埃のせいか咳が止まらなくなった。これは周りの選手も同様で、暗い仮眠所の至る所では乾いた咳が響いていた。
こうして30分以上悶々と過ごしたが、どうにも寝付けないので、 時間が勿体ないと思ってシャワーを浴びることにした。
シャワー室は泥だらけの選手で溢れていた。シャワー室は扉もなく、上から水を浴びるだけの簡易なものだった。石鹸とタオルだけを持って順番を待って入ったものの、なんとお湯が出ない。色々と蛇口を押したり引いたりしてみるが、水しか出ない。仕方ないので水風呂を浴び、震えながら風呂場から出た。時間はかかるわ寒いわで散々な目にあった。この時ライフベースでシャワーを浴びるのはもうやめようと思った。テーピングも貼り直そうかと思ったが、時間が勿体ないのでそのまま乾かして貼り続けることにした。
ベッドに戻ってダウンを着て身体を温めて、足にワセリンを塗ったりしていると2時間が経過したので、ドロップバッグを持って仮眠室を出た。
計画通りに眠りたい時に眠ることがこんなに難しいなんて。寝た方が良いのはわかっている。しかし思い通りのタイミングで寝られないストレス。もうこうなったらぎりぎりまで動き続けて、どうしようもない睡魔に襲われたタイミングで寝るしかない。
寝られずに時間だけ使ってしまったブルーな気分で食事をとり、深夜1時35分にCogneのライフベースを出発した。4時間近くいたのに眠れないなんて、まったく、なんてこった。
Cogneを出てしばらく行くと私設エイドがあってコーヒーを振る舞ってくれていたので、エスプレッソを頂く。
しばらく登るとGollesのエイド。寝る場所がある事を期待していたが、完全に外のエイドでがっかり。ライトアップはきれいだったけどね。
途中で類くんと一緒になり夜の山道を登っていった。3時間ほど登っていくと小さな山小屋に着いた。Rifugio Sogno(2534m)。温かい山小屋の中にはなんと、待望のソファと毛布があった。たまらず座り込んで、ちょっと寝るから先に行ってと類くんに伝えて、耳栓とアイマスクをして毛布をかぶって座ると、あっという間に寝落ちした。
50分ほどソファで仮眠すると目が覚めた。頭がずいぶんスッキリしているのがわかる。ここは標高2500mにある小屋で、防寒のレインウェアを着た選手が山小屋に次々と入ってくる。朝7時、空が白んできた頃に小屋を出た。雨かと心配したがガスっているだけで大丈夫だったので安心する。さあ3日目唯一のピークへ向かおう。山小屋よありがとう。
そこからは霧の山道を登っていく。
三日目は「ボーナスステージ」と言われており、 大きなピークを一つ越えるだけのイージーセクション。
だが上の方は雪混じりのトレイルだ
Col Fenetre(2827 m)到着。午前8時前。
さあここから2500mを一気に下る長い長い下りだ。
今回のウェアリングは、アウターにはノースフェイスのレインのシェイクドライ、ミッドレイヤーにはAnswer4のパワーグリッド、防寒ダウンの代わりにノースフェイスのベントリックストレイルジャケットを持参した。雪道の登りでは全部を着こんで防寒対策していたが、ここまでの道中でも下りの方が汗ばむことがわかっていたので、下り始める前にトレイルジャケットを脱いだ。
雪混じりのなだらかなトレイルを下る
エイドと思いきやエイドでない小屋
荘厳な風景の中をひたすら往く
Rifugio Dondena (2151m) 午前9時到着
カウンターには沢山のお酒が置いてある
安定のエイドメニュー
再び下る
下りでは身体と対話をする。少し違和感を感じる箇所があれば、身体の動き方や使い方をちょっとだけ変えてみる。すると違和感が無くなったり、それが移動したりする。これはどう?うんちょっと違うかな?じゃあこれは?うん大丈夫。そうしたやり取りを通して、ある時すぽんとスポットに入ると、本当に気持ち良く下れる状態がやってくる。身体が完全に自然と一体化する。僕はその瞬間がたまらなく好きだ。
こんなに長い時間身体と対話をしたのは初めてかもしれない。
エイドではない、ただの小屋があったり
トレイル脇には巨石があったり
トレイル上に牛が歩いていたり
いっぱいいるなー
ひたすら走って下りの中間地点、Chardonney(標高1450m)に到着。テントの中でチップのチェックと食事をする。
そこからは石畳が美しい小さな町を抜ける。
教会のある手前で地元の少女たちが談笑していたり
湧き水(飲めない)
湧き水(飲んじゃだめ)
マリア様
5kmくらい行くと市街地の中のテントが見えてきた
Pontbosetエイドに到着。午前12時半。
生ハムをパンに乗せて食べる。
そこからはまた吊り橋を渡ったりアップダウンのあるトレイルに入 った。
しばらく下り続けると、ようやく川の流れる町に降りてきた。
もうすぐDonnasだ。
いや待てよ。ドンナスには気を付けろと、みんな言ってたな。下ってから町に着くまでが嫌になるほど長いと。いくつか町を抜けなければならないと。
ドンナスは、やっぱり遠かった。
川を渡り
町に入り
談笑するおばあちゃんたちの横を抜けて
美しい町を抜けると
あれ、ロードに出たw
道路の横を走らされる
おートルデジアンの名物スポットきたー!
Yeah!
雨が激しく振り始める中、延々と進んでいく
しばらく走らされて、ようやくエイドが見えた
151.3km地点のDonnasには15時前に到着。目標タイムは15時なのでここも予定通りぴったり。なかなか貯金は作れない。
トルデジアンには途中でポスターにサインをするところが多くある。記念に名前を書いてライフベースに入った。
セクション4
Donnas(151.3km)〜Gressoney(205.9km)
溜まっていく睡眠負債 止まらないビール
ドンナスに着いたら、今度こそしっかり寝ようと思っていた。ここまでの所要時間は51時間。 睡眠は山小屋での座った状態の仮眠で、合計で2時間も寝ていない。目は血走ってくるわ、栄養不足もあってか舌や口の中に口内炎は出来るわで、かなり身体はぼろぼろになってきていた。
Donnasの仮眠所は2階にある静かなベッドだった。横になって2時間後にスマホのアラームをセットすると、昼下がりの涼しさの中ですぐに眠りに落ちた。
2時間後に目覚めた。ようやくまとまって眠れたという安堵感と充実感。すぐに空腹感を感じたので、急いで着替えて足にワセリンを塗り直すと1階の食堂へと向かった。
安定のカップヌードル(現地版、このクリーム味はあまりおいしくなかった)
生ハムとチーズとヨーグルト。 トマトに塩を振って食べたのがめちゃくちゃ美味かった!
ノースの鵜野さんと再会。日本人に会えるとホッとする。この頃から顔がむくみ始めているな。(顔パンLV.1)
午後6時頃にDonnasを出ると、雨は上がっていた。
程なくDonnas名物の悪魔が現れた。意外な事に悪魔は女性だった。一緒に写真を撮る。
石畳を抜けて高台に登っていくと
Donnasの町を見下ろせる展望台に出た。 綺麗な町だったなあ。
三日目の夜に突入する頃、Perlozという小さな町の エイドに着く。カウベルと子供たちが大歓迎してくれた。
ここフレッシュなオレンジジュースをがぶ飲みする。このジュースを飲んだ後、口内炎が劇的に良くなった。やっぱりビタミン補給は大事ね。
町には楽団もやってきた。本当に町を上げて応援してくれているのが嬉しい。ここから先の第4セクションは、また24時間近くかかるタフな偶数セクションだが、一歩ずつ諦めずにクリアしていこう。
2時間の睡眠が効いたようで、夜の闇でも登る足取りは力強い。
午後11時前、Sassa(1398m)エイドに到着。 炭酸水をボトルに補給して先へ進む。今回のレースでは、 終始エイドで炭酸水をボトルに入れて飲んでいた。 炭酸水は胃腸にも良いので、 今回胃のトラブルが全く無かったのは炭酸水のおかげかもしれない 。
昼間ならば景色が綺麗であろうトレイル。
夜のトレイルは心細いが、TORのマーキングの旗は遠くからもライトを反射して明るく光るので、ロストの心配はほとんど無い。
有名なコーダ小屋(2224m)に到着。深夜1時半。 ここが巨人の旅の中間地点だ。ようやく折り返し地点、169kmまで来たのだ。
ここから先は未知の領域だ
ヨーロッパの山小屋は内装も洒落てる
そこからは再び延々と夜のトレイルを行く。 地図に出ていない小さなコルを越えたり、細かなアップダウンが続く。
夜の変化の無い道にも飽きてくる。Barma小屋はまだかな。
2時間寝たとはいえ、既に3日目の夜だ。やっぱり明け方になると眠さと疲れが出てくる。重い身体を動かし続けてげっそり疲れてきた頃に、ようやく遠くに小屋の光が見えてきた。
Rifugio della Barmaに午前6時前に到着。 ここは本当に綺麗な小屋だった。 生ハムを席に座って食べていると、強烈な睡魔に襲われて、座ったままいつの間にか眠りに落ちていた。
気付くとあっと言う間に1時間が経っていた。 仮眠を取るのは睡魔を感じる明け方前がベストのようだ。今回は良いタイミングで寝ることが出来た。
目覚めると日本人の女性が休んでいて、ここはどこ? もうわけがわからないです、と疲れた顔で言っていた。大丈夫ですよ、ペースは悪くないのでこのまま淡々と行けば間に合うのではないですかと励ました。
目覚めに山小屋でエスプレッソを頼む。こうしたメニューは有料だが、色々頼めるのも山小屋の楽しさだ。
小屋の外に出ると日が昇っていて、可愛いワンちゃんがいた
夜でわからなかったが山小屋の脇には美しい池が
朝焼けの絶景の中を登り始める
遠くの山頂に朝日があたる。と思ったら路上で寝ている人が。大丈夫なのかおい!
林道のようなセクションもある。走りやすい。
明るくなったトレイルを登って行く
休憩しながら歯磨きタイム
ワンちゃんと一緒に登る
普通のハイカーさんもいる。 ヨーロッパは山歩きが本当に文化として定着していると感じる
Col Marmontana(2350m)到着。午前9時。
振り返ると雄大な景色が広がっていた
川のほとりのトレイルを歩いて
Lago Chiaro(2096m)エイド到着
クラッカーやクレープをいただく。
日本人で胃をやられて顔が蒼白の選手がいた。 もう関門に間に合わないかもしれないと言っていたので、折角良いペースで来ているので絶対大丈夫、諦めずに行きましょうと声をかけた。
またそこからは登りが続き
マラトラ峠みたいなCrenna dou Leui(2340m)を越えた
振り返ると、チベットの魔除けの旗ルンタの向こうに、これまで辿ってきた山々が見えた
やっとエイドステーション、Col della Vecchia(2184m)に到着
ここのエイドで椅子に座ってサポートの女性と記念写真を撮っていた(顔パンLV.2)
すると、何やら良い匂いがしてきた。
こ、これは
噂の石焼肉じゃないか!
おじさん2人が石の上で焼いているのだが、焼きあがるまで食べさせてくれる雰囲気ではない。でもこれを食べずに先へ進むと一生後悔しそうなので、焼き上がるまでしばらく待つことにした。
焼肉といえば、、、
TOR BEER!(なんと無料)
焼き上がるのを待ちながらプシュ
ようやく焼きあがった焼肉を頂きました
そこからの下りは、 大きな岩がごろごろあるガレ場のテクニカルなパートだったのだが、 ビールを飲んだせいかぴょんぴょん下れた(大丈夫か)
絶景!最高か!
ほろ酔い気分でご機嫌に下りを走り切って、Niel(1573m)エイド、午後2時到着。
TORのポスターが貼ってある。どれもかっちょいい。特に今年10周年記念大会で行われたTor Des Graciers(450km)のポスターは迫力があるね!
長くてきつかった第4セクションもあと大きな山を一つ越えるだけだ 。ここからあと800mアップだ。他のランナーに続いてひたすら登る。
途中で羊さんがいっぱいいる
まだまだ頂上は見えない
こういうガレたセクションもトルには多く見られる。個人的にはこういうガレ場は下りなら大好物だ。
頂上はまだかなー
なんか旗が見えたよ
ついた―!Col Lazouney(2400m)
思わずチュッ
あと1000m下ればライフベースだ。
沢のようになっているトレイルを下っていく
果てしないトレイルを往く
遠くに、おかしな動きの選手が見えた。よく見ると、後ろ向きで下っている。TORの長い下りでついに足が売り切れたのだろうか。
4日目を迎えて、巨人たちはついに牙を剥き始めたようだ
近づくとそれは中国人の女性だった。本当に辛そうに、後ろ向きでゆっくりと坂を下っていく。横をパスして追い越し下ったが、やっぱり気になって引き返して声をかけた。
「ペインキラー(痛み止め)のパッチを持っているけど、使ってみない?」
「痛み止めの飲み薬のこと?」
「いや、貼るほう」
「いらないわよ」
「あともう800mくらい下ればライフベースだ。 そこでマッサージしてもらったら良くなるから、がんばって」
「足が痛くてつらいのよ!」
彼女は怒ったように答えて、また後ろ向きで下りはじめた。
僕もまた下りはじめる。彼女を怒らせてしまったのだろうか。なんだかすごく悲しい気分になってきて、ちょっと涙がにじんてきた。
疲れているせいか、ちょっとした事で気分が落ち込んだりする。情緒不安定になっているのかな。こんなところでブルーになっている場合じゃないのに。
Ober Loo(2075m)エイド到着。午後6時前。 カウベルの大歓声で迎えてもらって、気分が持ち直す。ライフベースまではあと6kmだ。
まるで終わりが来ないように思えるトレイルを下り続けて、午後7時過ぎ、ようやく205.9km地点のGressoneyのライフベースに到着した。ベースの前ではなんと若岡さんが待機してくれていた。併走して一緒に体育館に入る。
長かったセクション4がようやく終わった。
トルデジアン200マイル完走記 2019 ②突然雪山かよ!−15℃から3000mの頂へ(セクション1〜2)
セクション1
Courmayeur〜Valgrisenche (50km)
突然の雪山かよ
「トレ!ドゥーエ!ウーノ!ゼーロ!」
大歓声の中、330kmの旅が始まった。 スタートゲートをくぐり、ゆっくり広場に出てからクールマイユールの石畳の商店街へと入っていく。両脇からはカウベルを持った観衆が大歓声で応援してくれる。町中が多幸感に溢れている中を、笑顔でハイタッチをしながら進んでいった。
「Allez! Allez!」
すぐに町を抜けると応援の続く舗装路を下り切っていく。
だらだらと登ると程なくトレイルの入口に辿り着いた。
小雨が降ってきたのでトレイルへの渋滞で待つ間にレインウェアを着る。そしてトレイルを登っていくと、次第に雨足は強くなり、雨は霙へと変わって道の両側を白く埋め尽くしていった。
日本で練習していた時よりも心拍が上がりやすいと感じた。 初日なので高度順応が追いついていないのかもしれない。まだ序盤なので心拍を上げすぎないように、MAXでも155くらいまででセーブしながら登って いく。
みるみる雪で白く覆われたトレイルを、一列になって登っていく。すると黒い牛たちが並走するように登り始めた。牛は、僕たちと一緒に登るのが楽しくてたまらないとでもいった風に、 ぴょんぴょんと雪道を駆け上がっていく。牛は時々トレイルを横切ったりしていたが、そのうち急斜面になると足場の良いトレイルに入ってきて、僕たちと一緒に行列をなして登っていくことになった。
クールマイユールを出発して1時間ほどで−15度の雪山を登っている。
その事にまだ、現実感が掴めずにいる。
牛は本当にマイペースなやつで、時々トレイルで休憩して止まったりするものだから、僕はおしりを小突いて、先へ進めと促す羽目になった。
そんな牛人が一体となった行進は雪道を登り続けていき、ようやく一つ目のピークCol Arp 2571mに辿り着いた。
トルデジアンのコースは基本はコル( 山頂と山頂の間の稜線の低いところ)を超えていくという設定になっている。山頂ではないから楽と思うかもしれないが、このコルが標高3000m前後あるので、越えるのも一苦労だ。
山頂に着くと、一緒に登った牛も山頂で一休みしていた。
ここで下りで滑らないようにクランポン(軽アイゼン)をシューズに装着する。
持っている防寒具を全部着込んで下り始める
泥混じりの雪道を駆け降りていった。なぜか牛も一緒に下っていく。お前ら家に帰らなくていいのかよ。
しばらく高度が下がるとあっという間に雪は路面から消えて、走りやすい緩やかなトレイルになっていった。
最初のウォーターエイドに到着。コーラと水を補給して、すぐに出発。
実はここから12km下り切った先が最初の関門エイドLa Thuileなのだが、ここの関門時間が17時30分だ。トルデジアンの関門の中では最初のこいつが意外にタイトなので気を付けなければと思っていた。
トレイルからロードを下っていくのだが、この12kmは意外に長く感じた。序盤なのでペースを上げたくはなかったが、万一最初の関門で引っかかったら、もうそれは悲劇以外のなにものでもないので、ロードでは前のランナーを抜きながらペースを上げていった。
ロードを下り切って再びトレイルに入り、しばらく進むとようやく一つ目の関門エイド、La Thuile(標高1458m)に到着。16時30分。関門の1時間前に着いたので少しホッとする。
エイドはフルーツがいっぱい。まだ身体は元気なので軽く補給を済ませてスタートする。
世界のアドベンチャーランナー若岡さんと
ノースフェイスの鵜野さんと
鵜野さんと雑談をしながら一緒にロードを走っていく。ほどなくトレイルに入ってポールを使いながら登っていったが、鵜野さんがポールの先にゴムをつけているんですね、欧米ではつけない人が多いんですよ、と教えてくれた。日本ではトレイル保護のためつける事が推奨されているが、実際の自然へのダメージはさほどでもなく、ヨーロッパで売られているポールにはゴムがついていないらしかった。
ポールのゴムを外してみると、なるほど土のトレイルでは尖った先端のグリップが効いてとても登りやすくなった。レース前半でこの情報を教えてもらえたのは助かった。
気持ちの良いトレイルを登っていく。
しばらくすると山の上に美しい湖があった。
山上の湖の脇を通るトレイルを登っていくとRifugio Deffeyesという標高2500mの山小屋に到着。19時06分。アルプスは日が暮れるのが遅いのでまだ明るい。
山小屋のすぐ脇には小さなテントがあり、エイドになっていた。簡単に補給を済ませるとすぐにスタートする。
羊の群れの横を通り
次第に日が暮れてきたトレイルを登っていくと
Col Haut Pas(2857m)到着。
コルから先を見渡すと、遠く町に明かりの光が見えた。
さあ、いよいよナイトセクションのはじまりだ。
薄闇はやがてあたりを包み、 暗くなったトレイルをヘッデンを灯しながら下っていく。
しばらく下るとPromoudというエイドステーションに到着。 その先には無数のヘッデンの列が山の頂を登っているのが見えた。
次のコルまでは800mアップ。そこそこの登りだ。
前後のヘッデンの量を見ると、自分がどのくらいの位置にいるのか何となくわかる。自分の後にもヘッデンの列が続いているのを見ると安心はするが、自分がいま登ってきた山道を振り返ると、その前の山から下ってくるヘッデンは既にまばらになっていた。
あのまばらなあたりが最後尾だ。という事は自分の位置は真ん中よりはかなり後ろの方で、あまり余裕も無いことがわかる。やはり次のエイドではゆっくり寝ている時間は無いかもしれないな、この頃からそんな事を考え始めていた。
夜11時にセクション1の最後のピークCol de la Crosatie(2829m)を通過。
そこから1300mのトレイルを一気に下りきると、町に出た。ところがなかなかライフベースには着かず、しばらくロードの脇にあるトレイルを走らされた後にようやく50 km地点にある一つ目のライフベース、Valgrisenche (1800m)に深夜1時34分過ぎに到着した。到着目標は深夜 2時だったので、ここまではほぼ想定タイム通りだ。
セクション2
Valgrisenche(50km)〜Cogne(106.2km)
巨人たちの洗礼 三つの3000m峰を越えて
Valgrisencheは坂を登った上にあるライフベースだったが、数多くのランナーで溢れていた。ドロップバッグを受け取ったが、60Lの容量がいっぱいになるまで荷物を詰め込んだせいで黄色のバッグは膨れ上がり、重すぎて肩にずしりと食い込んだ。休憩ベンチのあるところまで持って上がるのも一苦労だった。
よろよろと坂を登って、ベッドがある部屋の手前の小部屋のベンチが空いていたので腰を下ろす。ドロップバッグを開けてみたが、あまりにも大量の荷物が入っていたので、一体何から手をつければ良いのか、バッグを前に途方に暮れてしまった。頭が上手く回らない。とりあえず携帯をコンセントに差して充電して、靴を脱いでワセリンを塗り直し、靴下を変えてみた。そこに計画性など無く、思いついた事をとりあえずやってみたのだった。
予備のジェルを入れるとザックもパンパンに膨れ上がり、重くて気分が 憂鬱になった。そうこうしているうちに、あっという間に1時間が過ぎていった。
「セクション2が一番キツいので、 最初のライフベースでは少しでも寝ておいた方が良い」 と聞いていたのを思い出したが、眠気は全く無かったし、自分の順位も後ろの方であることがわかったので睡眠をとるつもりは無かった。 しかし日本人ランナーが奥で寝ますと言って睡眠部屋へ入っていくのを見て、気持ちだけが焦り、ライフベースで寝る練習のために10分だけでも横になろうと思ってベッドのところに行った。なんて行き当たりばったりなエイドワークなんだ。
当然目は冴えて全く眠れず、少し横になっただけですぐに起き上がり、出発の準備を始めた。
ドロップバッグを預け直して食堂へ行く。そこには類くんがいて、2時間ほど寝たと言ってスッキリした顔をしていた。寝てない自分に更に焦りが募る。
エイドの食事はハムやチーズが充実していた。
トマトパスタを食べようとしたが、マカロニパスタにホールトマトの缶詰をかけただけの簡易なもので、酸味に吐き気を催してほとんど食べられなかった。こんなにパスタが不味いのは想定外だった。仕方なくパンとハムをサンドして食べて、身支度をしている類くんより少しだけ早くエイドを出発した。午前3時31分。エイドの滞在時間は丁度2時間だった。
エイドの奥から出て一つ目のコルに向けて1000mの登りを行く。夜の登りは足取りも重く、長くて寒いトレイルで疲労感を感じながら登っていくと、一つ目の山小屋のChalet Epeeに到着。温かい紅茶を飲んだが、ここでさすがに眠気を感じる。 狭くて温かい山小屋の中は人で溢れていたが、机にうつ伏せて寝ている人も多くいた。椅子は埋まっていたが階段の下に座れるベンチを見つけたので、そこに座ってアイマスクと耳栓をつけて少しの仮眠をとる。
座ったまま40分ほど寝るとかなり頭がスッキリしたので、山小屋を出て先へ進んだ。
次第に山の上の方から明るくなってくる。
朝になると身体に少しずつ力が戻ってくるのを感じる。
午前7時過ぎ、Col Fenetre(2840m)へ到着。
トルデジアンは2、4、6の偶数のセクションがキツいと言われている。中でも第2セクションは24時間近くかかると覚悟した方が良いと言われていた。その理由は3000m級の山を三つ越えなければならない区間である事なのだが、その3ボスのうちの一匹目をいま攻略した。朝焼けと相俟って気持ちが前向きになっていく。
Col Fenetreからは急な下りだったが、 調子も上がってきて前のランナーをどんどん抜かして下っていく。トルデジアンは下りでは足を節約すべしというのが定説だったので、なるべく足に負担を少なく、重力を味方につけながらも地球と喧嘩をせずに下るイメージで、なめらかに下っていった。
多くのランナーを抜きながら
教会のある綺麗な町に出て
午前8時17分、第2セクション最初の大エイドRhemes- Notre-Dameに到着。目標は9時だったので、途中で寝た割にはほぼ時間通り。
登りをゆっくり行った分を下りでかなり巻き返せたという事なのだろう。これ以降、登りは無理をせず抜いてもらい、下りで抜き返して帳尻を合わせるというのがレース運びのパターンになっていった。
綺麗なエイドで補給と軽食を済ませてスタート。本日二匹目のボス (1200mアップ)に向けて、雄大なトレイルを登っていく。
朝のトレイルは所々にある渡渉が凍っており、 油断してずっこける場面もあった。
黄色いTORの旗を追って登って行く。 その先に蟻のように続く選手の列がわかるだろうか。
二つ目のコルは後半特に急な登りになっていてきつかった。2500mを超えると明らかに酸素が薄くなって息が上がる。 徐々に高度順応してきている感じはあるが、やはりきつかった。
11時20分、Col Entrelor(標高3002m)到着。 きつい登りをやっつけた達成感があった。
コルの先を見ると、簡易な給水所があった。 トルデジアンは山頂付近のコルにこうしたベースをヘリで設置してくれているため、登りで水をかなり使い切っても安心して進むことが出来る。
ここからなだらかなトラバースで高度1300mを軽快に下り始める。
すると何故か急に、突然胸が締めつけられるように、理由も無く感情が高ぶってしまい、涙が止まらなくなった。悲しさとも辛さとも違う、突然の涙に、自分でもびっくりする。
ヒック、ヒックと嗚咽を上げながら走っていく、気味の悪い日本人。 おいおい、まだ二日目で泣くなんて早すぎやしないか。睡眠不足で情緒不安定になっていたのだろうか。
13:30、Eaux Rousseエイドに到着。 標高が下がるにつれて気温はぐんぐん上がり、汗ばむ陽気になっていた。
エイドには類くんがいた。お互い元気にここまで来れている事を喜ぶ。水分とフルーツをしっかり補給してエイドを出た。
さあいよいよ本日のラスボスにして、全コースの最高峰、ロソン峠を目指すのだ。
長いトラバースを登って行く。
途中にあるこんな水場は、外国人ランナーはガブ飲みしているけど、日本人は絶対飲んじゃだめ。お腹を壊すからね。
遠くに見えるはGrand Paradiso(4061m)
気の遠くなるようなトラバース道が続く
遠くにコルらしきものが見えてきても、期待しちゃだめ。登り切ったらその先にまた峠が見えて、という絶望感を何度味わったことか
「二日目が一番きつい」と事前に聞いていたので、相当覚悟をして登っていたので心が折れなくてよかったと思う。
それにしても4時間以上登り続けているのに全く頂上が見えないってどんなスケールなのよ!
次第に雪道になっていく。さすが3000m級だ。一体いつまで登り続ければ良いのだろうか。
コルは、あのあたりだろうか
午後6時30分過ぎ、トルデジアン最高峰、標高3299mのCol Loson到着!
登ってきた雪道の向こう側には夕陽が見えていた。
そしてここからは高低差1700mのなだらかな下り(鬼か!)
気の遠くなるような長い下りを走り切り、真っ暗になった市街地に出て、街中でエイドの場所がわからずうろうろ迷う場面もあったが、21時46分に第二のライフベースCogneに到着。想定タイムは22 時だったので、色々帳尻合わせてここまでも予定通りだ。
気が遠くなるほど長かった第2セクションが、ようやく終わった。
トルデジアン200マイル完走記 2019 ①プロローグ
トルデジアン Tor des Geants (2019/09/06-2019/09/15)
場所:イタリア北部アオスタ州クールマイユール
プロローグ
330kmの巨人の旅。世の中にはそんなレースがある事を知ったのは4年前、近所のランニングショップで偶然パンフレットを見た時だった。当時はまだ100マイル完走を目指している途中で、自分には遠い世界の出来事だと思っていた。そして今、そのパンフレットを手にイタリアへ旅立とうとしている。こんな日が来ようとは夢にも思わなかった。そして夢は今、現実になろうとしていた。
Tor Des Geants、巨人の旅。イタリアのクールマイユールを起点に、北部アオスタ州の山々を巡る壮大な旅。距離は330km、つまり200マイル。累積獲得標高は24000m。実に富士山8回分、エベレスト3回分を登るというよくわからないスケール感だ。
気になる制限時間は150時間、つまり6日と6時間だがこれも長いのか短いのかよくわからない。こんなクレイジーなレースに出たことのある変わり者が周囲には意外にいるもので、いろいろアドバイスを聞いてみたものの、結局わかったことは「 長すぎるレースでは想定外の事が必ず起きるから、やってみなければわからない」ということだけだった。
スタート地点のクールマイユールまではジュネーブ経由で行くのが 一般的だが、値段と移動時間を考えてミラノ経由のエアチャイナで行くことにした。エアチャイナは北京経由で乗り継ぎも短いためロストバゲージが心配ではあったが、羽田発の夜便で出発できる手軽さと、ミラノまで 9万円台という安さに魅かれて決めたのであった。いつもなら海外のレースは荷物紛失が怖いので全て機内手荷物で持ち込むのだが、エアチャイナは手荷物の重量が厳しく、北京乗り継ぎでストックを没収されるという噂を聞いたため、手荷物には万一のロストバゲージに備えてレースに出られる最低限の荷物を持ち込み(シューズとザックとヘッデンとリチウムバッテリーとレイン)、その他の荷物は飛行機に預けることにした。
これがドラマの始まりだったのだ。
9月5日(木)は仕事を早めに切り上げて、羽田空港21:00発 のエアチャイナで出国。一緒に行くのは同じランボーズの類くん。エアチャイナの機内は思ったよりも快適で映画も充実、 食事も心配していたほど酷くは無かった。
だが、恐れていた事態は、やはり起こった。
北京での乗り継ぎは確かにタイトだった。小走りにターミナルを走りミラノ行の便に飛び乗った。そして6日 の明け方にミラノマルペンサ空港に着いた時、いくら待っても僕たちの荷物は、コンベア上に出てこなかった。
LOST BAGGAGE.
ある程度予想してたとは言え、それが実際に起こってしまったという事実が、うまく目の前の現実と重ならなかった。
トルデジアンやれんのか、俺。
落ち着け。誰を責めても仕方ない。最後のバッグが排出された事を確認すると、近くにいた係員にバッグが無い事を伝えた。係員は手慣れた様子で僕たちが行くべきところを教えてくれた。その窓口の名前は、LOST&FOUND
窓口には数名の同じくロストバゲージした人達が並んでいた。 自分たちの番が来たので窓口の男性に、北京経由の便で荷物が届かないこと、現在荷物のある場所を確認してほしいこと、 自分たちはクールマイユールで山岳レースに出るため明日には荷物がどうしても必要であることを伝えた。
窓口の男性はしばらく端末を操作して、僕たちの荷物は北京にあること、クールマイユールまで荷物を届けるには48時間かかること、よって明日荷物を受け取りたいのであれば、24時間後の明朝に空港へ来て、明日の同じ便で届く荷物を受け取るのがベストな方法であることを、冷静かつ機械的に教えてくれた。
トルデジアンの受付は、翌日7日にエントリーして8日の正午スタートのため、明日の朝に荷物を無事に受け取る事が出来れば、その足でクールマイユールに行き夕方に受付を済ませて 何とか翌日のスタートには間に合う。これ以上悩んでも仕方が無い。僕たちは急遽ミラノでもう一泊して翌朝クールマイユールへ移動するプランに旅程を変更する事にした。
そうなるといまやるべき事は一つ、ミラノ観光だ。トルデジアンはレースに一週間もかかるので、ミラノは観光する時間も無く素通りするつもりでいた。アクシデントをラッキーと思って楽しむしかない。早速バスやホテルの変更をして、 今夜のミラノのホテルも予約をして、類くんとミラノ市街地へと向かった。
ドゥオーモ前で浮かれるロスバゲ兄弟(身軽!)
ナヴィリオ地区のアペリティーボ(ハッピーアワー) でお腹いっぱい
急遽Booking.comでとったミラノ空港近くの宿は、ホテルと思ったらタクシーで着いたところが真っ暗な住宅街の中の看板も無いただの民家だったので焦ったが(Airbnbかよ!)、インターフォンを押すとおばあちゃんと家族に温かく迎えてもらえて快適な一夜を過ごしました。
そして翌朝の同じ時刻にミラノ空港へ。 果たして僕たちの荷物は届くのか。
窓口の係員がとんちんかんな対応をするというハプニングもあったけど、まあそれもイタリア流。荷物のレーンに行ってみると、あったー!
24時間遅れで荷物を無事回収。これで問題なくレースに出られると一安心。ただバスで現地入りすると夕方になってしまい、そこから受付を済ませて翌日のレースの準備をするとなると時間に余裕が無いし、睡眠時間に支障が出るかもしれない。 そこで急遽空港のレンタカー屋へ行き、ミラノからクールマイユールへの片道レンタカーを借りる交渉をして、時間を節約する事にした。
ミラノから高速道路を北上でぶっとばす。
途中でドンナス付近を通過。レースで3日目に通る予定の町だ。どんな気持ちでここに辿り着くのだろう。
高速道路の途中のインターで昼食をとる。 搾りたてのオレンジジュースが美味!
そして昼過ぎには遥かなるクールマイユールへ到着! 車もあるので受付会場すぐ横に乗り付けて、受付へ。
たくさん貼ってあるポスターにテンションはいやがおうにも上がる !
グッズも盛りだくさん!イタリアらしくビビッドでかっちょいい!
しばらく順番を待つと、受付けが始まった。今年はなんと、リストにあった必携品の装備チェックが無くなり自己責任になった。もちろん標高3000mを超える難コースなので、チェックが無いからといって装備を持たないような人はそもそも出るに値しないという考えなのだろう。
夢に見たトルデジアンの黄色いドロップバッグをもらう。
トルデジアンのドロップバッグは60Lの大容量で、途中約50kmごと6か所あるライフベースをこのドロップバッグが追いかけて くるというシステムだ。 必要な荷物は全てこのドロップバッグにぶち込んでおけば良い。なんて素晴らしい仕組なんだ。
ただこの時には調子に乗って色々荷物をぶち込んだ結果、痛い目を見ること になるとは思わなかった。
無事にゼッケンをもらい、類くんとアルプスをバックに記念撮影!グレーのキャプリーンの上着は参加賞です。
受付を終えた後は車でスタート地点に行ってみた。浮かれまくるロスバゲ兄弟。
宿へチェックイン。Hotel Pavillonは多くの日本人ランナーが泊まる定宿だ。
バルコニー付きの部屋で快適。しかもレース中は荷物を部屋に置いておいても宿代がかからないという素晴らしいシステム。朝飯のビュッフェも美味しいし最高でした。
部屋でレースの装備を準備。
ジェルはいつもの粉飴のグレープフルーツジュース割りを作る。トルデジアンは長いレースなのでジェルはほとんど不要という前情報ではあったが、僕は結構な量の自作ジェルを準備しておいた。結果は大正解。それくらい登りでジェル投入してプッシュしないといけないところが多かった。
荷物準備が一段落したので、 類くんとクールマイユールの町へ散歩に出かける。
石畳の素敵な商店街は、 山岳リゾート地らしく数多くのアウトドアショップが並んでいた。 しかもトルデジアンランナーは全品25%引き!良心的だね。
パタゴニアもトル一色!
広場にはトルデジアンの写真が飾られていた。 これもテンションあがる!
すっかり観光気分で散策をした後は、受付会場のパスタパーティーへ。
ただ食事の開始は21時頃になるとのことだったので、早めに切り上げて近所のハンバーガー屋へ。ボリューム感があってとても美味しかった!
その夜は23時頃に就寝。
翌朝はしっかり寝ようと思っていたが7時頃に目が覚めて、ビュッフェで食事をしっかり食べる。 最終の荷物確認をしてテーピングを済ませた。マイル腰対策のテーピングもばっちり貼ったので、巨大なドロップバッグを担いで受付会場へ向かう。
ドロップバッグを預けるカウンターでは、 天気予報では初日が最も天気が荒れそうとのことで、 ドロップバッグからアイゼンを出すように言われる。 はいはいもちろんザックに入れてますよ。バッグを預けて身軽になったら、いよいよスタート地点へ。
スタート会場はすごい人で溢れていた。
大音量でU2のWhere the streets has no nameが流れ、U2なんて全然好みじゃなかったのだけどなぜか イントロに気分が高揚して泣きそうになる。
100マイルはスタートラインに立つまでが勝負だと言うが、今回は本当にそうだと思った。
ここに立つまでに本当に色々な事があった。そして直前のロストバゲージ。ぜんぶ乗り越えて僕たちはここまで辿り着いたんだ。
あとは全部出し切ってくるだけだ。全身全霊でこの330km、7 日間の旅を楽しもう。
行ってきます。
おんたけ100マイル2019 未完走記(156km地点でDNF)
2019年のONTAKE100は156km地点、最後の下りでDNFとなった。
身体が活動停止状態となり、全く走る事が出来なくなってしまったのだ。(小難しい表現をしているが、要するにただのマイル腰)
自分自身の100マイルとしては初めてのDNFとなった今回。あと少し、最後の10km身体が動いたならばゴール出来たのにという悔しさは、もちろんある。
だが、制限時間24時間という厳しい関門を通過するために、いつもよりハイペースでプッシュをし続けて、自分の持てる力を出し切った結果だから仕方がない。
このブログは「完走記」だが、敗北の中にも何か拾えるものがあるのではないかと思い、おんたけの苦闘の記憶を残そうと思う。
松原総合運動公園は雨。エントリーをすませてバンガローで雨音を聞きながら仮眠をとった。
午後20時スタート。雨のロードを走る。第一関門までが厳しいタイム設定と見ていたので、そこそこのペースでプッシュして進んでいった。ほどなく林道の登りに入る。ストックを使って身体を押すように登って行った。
今年は逆回りにコースが変更になったことで、最初に大きな山を越えなければならない。
最初のピークにつくのが想定では2時間半くらいと思っていたが、思いのほか早くにピークに到着して、長いロードの下りに入った。下りは飛ばす人が多くてかなり抜かれてしまったが、そこは焦らずセーブしながら長い坂を下り切って第一ウォーターエイドに到着。
なんとここで早速エイドが水切れ!ポリタンク2つはさすがに足りないでしょ。さすがのOSJクオリティだと笑ってしまった。
ボトルにはあと300mLくらい残っていたし、雨で気温もそこまで高くなかったので、水をセーブしながら次の関門まで進むことにする。
ここから先はだらだらとした林道の登りに入る。雨足も強くなってきた。水たまりが川のような渡渉になり、諦めてザブザブと進む。
降りしきる雨の中、ようやく第一関門に到着。ずぶぬれのテントの中で皆が着替えている。空腹を感じたのでクロワッサンを二個食べて、しっかり水分補給をしてスタートしたのだが、その間だけで一気に身体が冷え切ってしまった。
寒い、寒すぎる。
レインの下をドロップバッグに入れてしまったことを後悔しながら、雨の登り坂を無理に身体を動かしてプッシュすることで、身体を温める。UTMFの雪に比べりゃマシと自分に言い聞かせながら。
そこから先はチームの瑞穂さんと一緒になりながら、進んでいった。瑞穂さんとは、下りで置いていかれて、登りで追いつく、というのを何度も繰り返すことになる。自分は登りが苦手で下りの方が好きなのだが、瑞穂さんとはそれが入れ替わるのが面白かった。
50 kmのウォーターエイドを超え、雨の林道を進んでいくと次第に夜が白んでいった。
途中で距離調整のためなのか盲腸のような片道2kmの折り返しコースに入る。戻りでランボーズのメンバーとすれ違い、自分がそれほど悪くない位置にいることを知って少し安心をする。
いつもの自分のマイルのレース展開に比べると、今回は明らかにオーバーペースだ。だがその結果、これまでのエイド通過で1時間以上の貯金を作れている。
このままある程度のスピードを維持しながら巡航すれば、完走は出来るはずだ。40kmくらいから左膝に少し違和感を感じるようにはなっていたが、このままペースを緩めずにしっかり走ろうと、この時には心を決めていた。
中間地点、86km地点エイド到着。関門時間10時のところ、8時30分頃到着。100kmに出ているメンバーと会って、元気をもらう。ドロップバッグを受け取って、急ぎで冷やしうどんをかきんだ。
8時45分頃スタート。まだ貯金は1時間以上ある。さあここからが勝負のループのはじまりだ。
第一ループの下りは本当に長かった。
下りが得意な瑞穂さんがぐんぐん先へと走っていく。前半は下りで足をセーブするようにしていたが、ここまで来るともう気にもしていられなくなっていた。
うんざりするようなガレた下りを走り切ると、ロードのだらだらとした、走ろうと思えば走れるくらいの、いやらしい斜度の登りが現れた。
ここで自分ルールを決める。ガードレールのあるところだけは走り、無いところは歩くというマイルールに従って登っていった。
嫌になるほど長いロードの登りが終わると林道に入り、必死に登り続けると、遠くにまた瑞穂さんの背中が見えた。
2人で登っていくと、後ろからリタイア者を乗せるハイエースが追い越して行き、その先の林道で止まった。頂上の第三エイドに戻ってきたのだ。
11時40分頃、二度目の第三エイド到着。約20kmのループを3時間でクリア出来た。瑞穂さんがいいペースだねと喜ぶ。
二度目のエイドは100kmと100マイルのリタイア者で溢れていた。同じチームのメンバーも送迎の車を待っていた。夜の雨に低体温症でやられたようだった。
僕と瑞穂さんは手短にコーラの補給を済まして、再びスタートした。
そこから先の下りはまたもや瑞穂さんに離されてしまい、100kmの後半の選手がゆっくり下っている合間を縫うように、抜いていった。
次の第四関門は14時だ。遅くとも13時30分には着いておかなければ、その先のゴールが怪しくなる。ランナーを抜かしながら再び谷の底まで下り切る。ゼッケンの写真を撮ってもらい先へ進んだ。
その先114km地点エイドの駐車場では皆座ってそうめんを食べていたが、時間に余裕が無いのでスルーしてすぐにロードの登りに入った。
登りは全歩きしないように、走っては歩くを繰り返しながら、長い登りを行く。
13時20分、118km地点であり最後の第四関門到着。
無事に最終関門を通過したと言うのに、安心感は全く無かった。あれだけがんばって走ってきたのに、ループで少しずつ貯金を食いつぶし、残りは40分しか余裕がなくなっていたのだ。全くなんて関門設定だ。
もう補給するものも無い。顔に水をぶっかけて、その先へと向かう。
エイドの先も長い登りだった。100kmのコースで見憶えのある長い坂を必死に登る。ここまできたらゴールしたい。ガレた林道を必死にちょこ走りで登っていく。細かい登りと下りを繰り返す、これぞおんたけというようなコースを、徐々に高度を上げていく。
ようやくピークに来たかと思いきや、少し下るとまた長い登りが始まった。
あの角を曲がると下りになるのか・・・まだ。次の角か・・・まだだ。
何度もこの葛藤を繰り返しながら、走る座禅は続いた。ようやく林道の下りが始まった時は、心底ほっとした。
ガレた林道を走る。登りで時間がかかりすぎたので、ペースを上げて下る。心拍が上がるがもう気にしてはいられない。走る。ただ走る。
息を荒げて最終エイドにたどりつき、椅子にぐったりと座りこむ。16時20分、133km 地点に到達。
あと1ループ。残された時間は3時間30分。
確かブリーフィングで最後のループは5時間は残した方がいいという話があった。残り時間は4時間30分。やれんのか俺。
正直ここまでプッシュし続けたのに残り時間を削られ続けて、かなり心も疲労していた。
だが最終エイドには瑞穂さんがいた。行けますよ、そう言って彼は先にエイドを出て行った。
ここでレースを止められたらどんなに楽だろうと思う。
今思えば、この時点でかつてないほど気持ちを折られていたのかもしれない。
くたくたになった身体をしばらく休め、16時40分頃、最終ループをスタートした。
少し坂を登ると、胸が締め付けられるような息切れがした。
数歩登っては息を整え、また登っていく。
登っていくと坂の上からは多くのランナーが諦めて引き返してきた。身体はもうカラカラになってしまっていたが、下りのランナーとすれ違うと、なにくそという気持ちが湧きあがってきた。
ここで坂を引き返せば、楽だろう。でも、引き返せば完走確率はゼロだが、進めば完走できる確率は一気に上がる。
いまここで怪我もしていないのに来た道を戻るという選択肢は、やはりない。
関門で切られたとしても、僕は先に進む。
うんざりする林道の登りを登っていると、後ろから女性ランナーが追いついてきた。千鶴さんという、MBにも何度も出ている強い人だった。
なかなか厳しいですねえ、と僕が言うと、でも私行けると思っているんですよ、と彼女は言った。
彼女は驚くほど正確にコースを覚えており、僕は先ほどからいつになれば周回からもとのコースに復帰できるのかともやもや考えていたが、彼女はあと数度のアップダウンとピークを通過すれば、時間的には19時には先ほどのエイドに戻れるはずだという事を、驚くほど論理的に組み立てて、僕に説明をしてくれた。
疲れ切っていた身体に、スイッチが入ったようだった。
登りも再び走りを混ぜながら、ポールで身体を押し上げながら必死に進んで行った。
がむしゃらに登りを行くと見憶えのある繰り返すアップダウンからようやく最後のピークにたどり着いた。最後の峠をようやく越えた。林道の下りが始まった。
下りはじめは18時20分頃。前回も下りは40分程度だったので、しっかり走り切れば、19時には最終エイドに着く。制限時間の20時にはゴール出来るはずだ。
喜びが胸にじわっと広がった。
だが、甘かった。
林道を下り始めて少しすると、身体に異変を感じた。
腰が横にくの字に折れたように曲がってしまい、元に戻らない。走ろうとしてもうまく走れない。それはUTMFの最後の下りでも発症した、いわゆる「マイル腰」だった。
ここまできてマイル腰だなんて、こんな事ってあるだろうか。
あと走って下りさえすればゴールは出来る。何とか身体を引きずって、無理やり走ってみる。しかし数歩走ると上半身と下半身の動きがバラバラに連動しなくなり、動けなくなってしまう。痛みは無いのに、走れない。まるで自分の身体じゃないみたいだ。
ストレッチをしたり、ポールをザックにしまって腕振りをしたり、身体の動きを変えるなどの工夫をしてみたが、一度ブレーカーの落ちてしまった身体は、完全にその動きを止めてしまった。
陽の落ちてきた林道をとぼとぼ歩く。歩きながらヘッデンに陽を灯した。
18時40分。既に完走するのは難しい時間になってしまっていた。
ここへきて降り出した雨は、容赦なく振り続け、僕は再びレインウェアを羽織った。
歩くことすら困難になった身体を引きずりながら林道をゆっくり進み、ようやく遠くに最終エイドの光が見えた。
到着してDNFを告げる。
19時40分最終エイド、156kmの旅が終わった。
レース後
・初めてのマイルDNFは、今もほろ苦く僕の中に残っている。しばらくは敗北の味を嚙みしめよう。
・もちろん悔しいが、限界までプッシュして先へと進んだので後悔はない。最終ループで引き返さなくて本当に良かった。
・しかし最終ループに入る前に一度気持ちが完全に折れていた。その後の千鶴さんの言葉で復活したが、メンタルをぽっきりとやられたのは初めて経験だったかもしれない。ゴールに間に合わなくても仕方ないという思いもどこかにあったように思う。
・205人出走、完走者58名、完走率28%。参加資格がおんたけ100kmを14時間以内で走る事を考えても、完走には相当な力量が必要。
・ではどうすれば完走出来たのか。腰の対策は別として、ベースとなる走力が必要。おんたけを完走するには、ロングの峠走でスピードを身につけなければならない。そういう意味でスピードの無い自分には苦手な部類のレースだった。
・マイル腰、130km以降でしか発症しないので対策が難しい。だが光も見えている。まずは腰にテーピングをして緊張を取ること。そして抗重力筋をケアすること。特に後者は日常生活の中で緊張をとる癖をつけている。
・トルデジアンは連続してプッシュをしないので腰はあまり心配していないが、油断せずにいこう。絶対に完走してやる。うん。