システムエラー

神様が定めた最大でも50年くらいで死ぬくらいの人間の寿命とかいうシステムを、人間は病気(システムエラー)を1つ1つ解決しては着々と延命措置をしただただ惰性で長生きするだけの生命体に退化させてしまった。

病気とは一体なんなのか分かっていなくて悪魔やら天罰の仕業だという考えに囚われ神に祈りを捧げていた時代のことを本気で美しいと思う。

私は、何の宗教が正しくて、何の教えの通りに生きていいのか、正論ばっかで溢れたこの世界では決めることが出来ない。

人間は完璧じゃないからありふれた人生を、生命活動を、色濃く短く終えて次の世代のために全うするだけで良かった。とっととダメ人間でもいいから遺伝子をバトンタッチするだけで良かった。

私は私の存在意義がわからなすぎる。

誰かのために生きる、というふわっとした概念をそのままストレートに説けば子供を産んで育てることであって。

このカスみたいな現代でもそれぐらいすれば私がこの世に生まれた意味みたいなものを残せるんでしょうけど。

…………………嫌すぎる!

その選択肢を採らなきゃいけないくらいならとっとと死にたい!

医療だとか科学だとかを進歩させた、長く健康に生きることを美学とする人間たちからしたら私自身がこの世界のシステムエラーみたいな存在だ。

人間は開始地点(赤ん坊)と終了地点(年寄り)に近づくにつれて性別という概念から遠のいていく。

その中心が人間の性別を獲得する地点であり、その性別に生まれた意義、即ちこの世に生まれた意味を獲得する地点になる。

その年齢は人によって様々だとしてもやはり20~30代といったところなんだろう。

そのことを思うとより人間が延命措置をし続けていることが愚かだとやはり思う。

性別、生きる意味、それらを全部獲得した後の惰性みたいな人生が長くなっていくことを怖いと思わないのだろうか。

私は怖い。かなり怖い。

もう私は20歳になってしまった。

私は小さい頃からこの考えを持っていて、本気で好きな人にでも出会えたら変われるかもしれないという他力本願な期待を抱いてここまで生きてきたが今のところこの考えが変わる様子はない。

私はこの世に絶望している。

有り合わせの日々

最低な人間のこと 記憶の中で溢れて殺してやると思った。未だに思えた、6年前のことですが。僕はまだまだいける。そう思った。

 

他人のために臓器をぶち破ってでも得たい幸せってこの世の感情の中で最大級のスケールですよね。

私にはわからない、他人軸の幸せのことなんて。

明日には人類が滅亡して地球丸ごとなくなってたって別に構わん、終わったあとの世界に馳せる未練などない。
みんなでいっせーのーせで世界の終焉を迎えられたらそれ以上に素晴らしいことはないな。
未だに厨二病みたいな思想ぶら下げた僕も今年で20になりました。

ハングマンズノットの結び方を習得するくらいには明日のことなんてどうでもいい。それを活用する日は、まあ、来ないでしょうけど。

20220122

いくら心の性別が自由な時代になっても意味無いよ

 

人に認めてもらう必要性を感じないですね 誰かの役に立ちたいからという理由では意欲が続かないのはその所為 これまでの自分がしてきたことが無駄じゃなかったと思いたいから経験や知識を昇華させている 憧れている人自体でも、自分からかけ離れた理想像でもなく、私は私になりたいです

言葉の暴力があるなら目に見えない正当防衛はあるのか

嫌われてもいい、と、人を傷つけてもいい、は区別すべきだけど僕が傷ついた場合返す言葉に正当防衛も何もあるのだろうか なんにせよ僕っておかしいかなって切り出しで憎まれ口を言うもんじゃないね、分かり合いたいなんてエゴだから。人と分かり合えたことなんてないです。反省

 

小さな衝突なんてさほど重大なことではないと分かっていても、コミュニケーションとはそんなことの繰り返しだから、人間全てを無視するのは難しい 伝わって欲しいことは案外真正面ではない部分にあったりするのに、言葉尻とか、ニュアンスとかそういう概念が邪魔をして、反って齟齬が起きてしまう。

 

2021_8月

融資するということ

これは、幾ら自身の正当性を主張したところで結局は自分自身の問題なのだと思う。他人の所為にしない事、慎重に判断する事、間違えてしまってもそれを繰り返さない事、全部当たり前であり、故に上手く意識出来なくなってしまう。

毎日はつまらなくとも日常を守っていたい僕は勉強代だなんて割り切れないね。

だからそれなりに納得出来る方法を探す努力だけは自分の為にする。これは誰に何と言われても譲らない。他の常識なら妥協するけど、やるせなさだけは何となく消化したい。僕は器用ではないけど、馬鹿ではないから出来ると思う。

優しさなんて日頃から発揮するべきものだと決まっているわけではないし、責任を取ることの反対は逃げることだとも思わない。

少し思慮を巡らせたり、自分の為にけじめをつけたり、毎日を調整する。そういう当たり前のことを常に学習していたい。

ほんとに、よく思うしよく言ってるけど、僕は自分の心の性別は認められても、体の性別が許せないから、自分が死んでからの世界のビジョンが何もないです 幸せになるために責任を追わなきゃいけないなら、生ぬるくていいから自由でいたいです

それでも僕はみんなの方が先に死ぬ可能性が高いことが悲しかったりする 小動物が好きだけど、彼らは簡単に死んでしまうから全部無駄な足掻きだ。僕以外みんな死んでひとり取り残される未来が確約されているんだ 僕は確実に将来性のない思考の人間なのにこれから先たくさんの死をただただ眺め続けなきゃいけない

7/27

必死に努力しても選ばれないで生きてきた。
誰かに認められたくてそうしていたわけではなくて、その時のわたしがその時出来ることをただやりたいようにやってきたけどなんでも器用で簡単に選ばれる側で僕が得意だと思っていたことの1番すら奪う人間と僕が別の世界にいるような気がしてしまうことや適当にこなして何も得られなかった人間と僕は結局同じと見なされていると感じ取れることが、そうしたいからそうしたという自分自身への最大の侮辱でした。僕はきっと見放されているわけでも、もはや期待されているわけでもないのだろうけど。「そうしたいからそうする」ためには、どうしたらいいか、既にどんどん簡単ではなくなってしまっていて、もしあの時評価されていたら、あの時諦めなければ、という気持ちになってしまうな。