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僕が買ったもの、観に行った映画・ライヴなど、要は金を払ったものに対して言いたい放題感想を言わせてもらおうというブログです。オチとかはないです。※ネタバレありまくりなので、注意!

「ダンジョン飯」第7~9話ネタバレ有り感想。ちょっとキナ臭くなってきたか?!


ダンジョン飯」をですねー、毎回楽しみに観ているのですが、今回感想を書くあたり、つまり7話からくらいですね、なんとなく、こう、ちょっと、キナ臭くなってきたというか、「おや?」と思うようなところも散見されるようになってきました。

なんというか、なんとなく「黒さ」みたいなものを、その兆候みたいなものを感じるようになってきたような気がします。

なんというんですかねー、このダンジョンと言いますか、この「世界」と言いますか、なんか闇がありそうで、なんか香ばしくなってきましたねー。エグみを感じるというか。

そんな、第7~9話の感想です。

PV

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第7話

冒頭、いつかの回で財宝に擬態する虫に全滅させられたパーティが、なんか怪しげなパーティに蘇生してもらう場面から始まります。

で、怪しげなパーティの一人が全滅の原因は擬態する虫にやられたことを隠してしまいます。曰く「死体は多い方が良い」。

どうも死体を蘇生させて、その謝礼金で儲けているらしいんですね、このパーティ。そういう「職業」があるという設定もなかなか細かい。ダンジョンは危険な上、蘇生技術があるのなら、それで商売するというのもありそうな話です。

そういうことを生業としているわけですから、擬態する虫にやられたパーティに自分たちを全滅させたと疑っているパーティ(つまりライオスたち)に復讐させよう、という腹なのでしょう。

その後、虫にやられたパーティは再びライオスたちのパーティに先んじて且つ全滅させられていました。一体どうやって先回りしたのかはわかりません。ここは一つ謎ですね。そういう、何かワープ的な術を持ってるんでしょうか。

そして、今回の舞台は地下湖水。なかなかロマンあるダンジョンです。

センシはここでもマルシルの水上歩行魔法を拒絶し、「飼い慣らしていた」と豪語する水の上を歩ける馬のような魔物に乗ると言います。

しかし、ライオスの懸念通り、魔物はセンシを背に乗せたまま水中へと潜り、センシを食おうとします。センシ曰く「背中に乗るのを待っていた」。そういう獲物の取り方なのでしょう。いや、やはり魔物恐るべし。相手を油断させておいて食う、というのは捕食方法としてはめちゃエゲツないですね。

ライオスは「魔物は何を考えているのかわからない」と言うのですが、それはそのまま我々の現実世界の動物にも当てはまるように思います。

最近はインスタとかで野生動物との和気あいあいとした動画とかがよく投稿されていますが、なんせ相手は野性ですからね、いつ牙を剥いてくるかわからない。なんか、このアニメの異世界は、やはり現実と地続きな感じがします。すごくリアル。

そして今回の料理はクラーケン! タコヤイカですかねw そしてそこに寄生していた寄生虫! いや毎回思ってるけど、来るとこまで来たなぁw

クラーケンはあまり美味しくなかったそうですが(デカすぎるから大味だったのかも)、巨大寄生虫(ちょうどウナギくらいの大きさ)の蒲焼きはめちゃ美味かったらしいです。

しかしまぁ。なんというか、人間というのは不思議な、強いもので、最初グロいと思っても、一度その美味しさを知ってしまうと、後はもう美味そうにしか見えなくなるんですねー。

以前、橋本愛が主演した「littele forest」という映画で、鴨をさばいて料理する、というシーンがあったんです。もちろん、そこでグロいとか気持ち悪いとか言って「文句言ってる」奴は食う資格なし!だとは思います。

しかし、それはそれとして、どうしても「可哀想」とか「グロい」と、感覚的には思ってしまいます。それはまぁ仕方がないことだとも思うんですよね。

でも、その映画を見ていたら、ある時点から、もうその捌かれていく鴨を「食材」としか見れなくなってしまったんですね。

そして感想としては「可哀想」から「美味そう」になってしまいました。まぁ、なんというか…そういうもんですよ。

そしてまた、今回ちょっと魔法に関してセンシはマルシルに歩み寄り、そしてまたダンジョン内の生態系の奥深さに感動するのでありました。

第8話

今回はマルシル回で、前半は魔法魔術学校でのファリンとの出会い。

で、今回マルシルがファリンとの馴れ初めを話す際、魔法魔術学校始まって以来の才女だったことを明かします。やっぱり優等生だったんですねー。それっぽい描写はこれまでにも散見されました。

しかし、いかんせん「自称」なので、すかさずチルチャックから、「始まって以来」は言い過ぎだろ、と突っ込まれます。でも、それに対して割とガチで怒ったので、まぁ、多分事実そうだったのでしょう。

一方ファリンは、いつも泥だらけで、授業をサボる落ちこぼれということでした。しかし、授業ではマルシルを凌ぐほどの成果を挙げてしまいます。気になったマルシルは色々と教えてもらうことになります。

実はファリンはダンジョンに足繁く通っていたのだそう。それは「勉強のため」というよりは、好きだから。楽しいから行っていたのでしょう。いわば「趣味を兼ねた実践」ですね。自然と身についたフィールドワークというか。

その感じはなんとなくセンシっぽくもあるけど、センシはいささか男っぽい求道的なところがあります。対してファリンの場合は、そのような肩肘張った、気負ったところはなく、実に自然にダンジョンに溶け込んでいる感じ。

それは頭デッカチだった(今でもそうだが)マルシルにはかなり刺激的だったよう。秀才と、ある意味での「天才」の出会いというのは、なかなか面白い。

それにしても、マルシルが言う、「ダンジョンを作る」という発想がまた面白いですねー。実際この世界では、魔術学校でもダンジョンの作り方を学んだり、ダンジョンとは「作るもの」であるらしい。そして今、ライオス一派が潜っているダンジョンはマルシル曰く実によくできていると言います。

それは「狂人の所業」だと。ダンジョンが「人工」を基本とするなら、このダンジョンは「自然」なのでしょう。設定厨にはたまらない作品ですね。

そして後半はマルシルがウンディーネに襲われ、一騎打ち。しかし、朝の身支度中だったこともあり、武器である杖がない。そんな中、なんとか奮戦するのですが相手が強力すぎました。深手を負い、パーティの連中に助けられて撤退。

そして今回の料理は、そんなマルシルを元気付けるために、前回の水棲馬の焼肉。これがまた、もう、ホントリアルで美味そう! マジで焼き肉食いたくなったもん。あと馬刺し。

そして最後に、その匂いにつられて(?)、マルシルを裏切った筋肉オバサンがいるパーティが現れます。次回、波乱の予感。

第9話

今回はパーティの金銭的な世知辛さについての回、だと思います。

前回のラストからの続きで、裏切り者の赤髪マッチョおばさんが所属するグループが合流。

なんというかこのグループ、さすが裏切り者が所属しているだけあっていけ好かない。リーダーが考古学的にダンジョンを研究している学者らしいんですけど、まー何というか、インテリだかなんだか、金持ちだかなんだか知らないけど、エリート風を吹かせてきます。いけ好かない

怪我人(マルシル)を前にしても、交換条件を出せ、と治療を突っぱねます。それでいて、実はそんなに役に立たない。ウンディーネくらいわけない、と言いつつまるで歯が立たなかったりします。そのくせ人使いが荒い。まー最悪ですね。

ただ、蘇生術は使えるらしく、そういった蘇生系の術には長けている模様。そして、センシは蘇生術のことを魔法の中で一番嫌っているそう。なんとなく、その思想はわからんでもないですが、いや、冒険に置いては蘇生術は結構重要であるような気もします。

そして、そのやり取りの中でまた新たな情報が出てきます。学者曰く「このダンジョンの中では魂が体にくくりつけられて離れらない」んだそう。もっと言ってしまうと、死が『許されていない』とも。

なんだか、逆に闇の深さを感じてしまいます。

そんな感じでまぁひどいパーティなんですけど、その代わり、働きに関してはそれ相応の対価で応じるところもあります。ライオスが調査を手伝えば、その報酬としてマルシルを治療したり。

ただどうやら、この世界、しかもパーティの間では仕事と報酬というのがことのほか重要であるらしいです。

チルチャックがファリン救出に付き合うのも、実は現金後払いだったとか何とか言ってました。つまり、報酬が出るからであって、決して情で動いているわけではなかったんですね。ショック。

だからか、裏切り者の赤髪マッチョおばさんを見ても、マルシルと違い、ライオスは実にサバサバとしたものでした(いや、おまえの妹を裏切ったも同然なんだぞ。まぁ、いいけど。いや、よくないか)。

逆に言うと、マルシルがこの世界では異常なほどに情が深いとも言えるかもしれません。実にエルフらしくないw いやあ、やっぱ俺、一番好きだなあ、マルシルのこと。やっぱそこは「ワンピース」大好き人間ですからね。仲間の絆は金や打算じゃなく、情で繋がってなくちゃダメでしょう。特にこういう冒険モノでは。打算で繋がってる奴に背中預けられるかよ。

ただ一方、こうも言えると思います。マルシルとファリンはどうやら深い友情で結ばれているようなので、救出の対象がファリンでなかったとしたら、マルシルも動かなかったかもしれない。

で、今回の料理は魔力切れを起こしたマルシルが魔力を取り戻すため、ウンディーネを飲むという…。

飲みますか!アレを!

いやあ、マルシルもさすがにライオス一派だなぁw

というわけで、なんとかウンディーネを捕まえて火で沸かして討伐。なんとお湯になったウンディーネをシチューにして食べるという、実に美味しそうなものでした。なるほど。

その甲斐あって、無事マルシルも魔力を取り戻し、ファリン救出の旅は続きます。

 

 

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アニメ「ダンジョン飯」第4~6話ネタバレ有り感想。ダンジョンの中のリアルな生活!!

ダンジョン飯」にすっかりハマッてしまって、毎回楽しみにしております。

正直最初は全然興味がなかったんですけど、実際観てみましたらば、これがすごくよくできてる!

まさに前言撤回! 掌返し!

今回は4~6話の感想を書いてみました。徐々にダンジョンの深層へと潜っていくわけですが、それとともに食材(!)もなかなかにしてエキセントリックなものになっていきました。

そして、世界観もより深くなっていってる感じです。

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第4話

今回はセンシがゴーレムを畑にしているという変態回。まさにセンシの料理変態ここに極まれりw

なんか途中、音楽とかもほのぼの路線で演出していたのですが、実はものすごい変態的なことしてるし、その演出が実はかえってその変態性を浮き彫りにしているのが笑えるw

それにしてもセンシは、ホント、なんていうか、ああ言えばこう言うw 屁理屈の達人である。

その表情の読めないギョロ目のポーカーフェイスと押しの強さも相まって、本当は言い負かされているのに、言い負かされている感を感じさせない。そんな感じで口論に勝ち続けてきたような人である。実に厄介です。

しかしその生活力、料理の腕前は確かだし、センシなりのこだわり、生き様は説得力があります。

センシは魔法が嫌いだそうなのですが、「なんでも便利にしてしまうと、それと共に失うものが必ずある」ということらしいんですよね。なんとなく、それは今の世の中にも結構当てはまる感じがするし、もっと言っちゃうと、その繰り返しを人類は続けてきたのやもしれません。

また、センシがなぜダンジョンの中での生活にこだわるのかというと、そうすることによってダンジョンの生態系、もっと言ってしまうとダンジョン内のシステムを崩すことなく維持することができる、のだそうです。まさに現地主義。郷に入っては郷に従え、です。

それに、こういう視点を入れることによって、非現実一点張りだったファンタジー世界にリアリティを入れることもできると思います。地下へ潜っていくスタイルといい、どことなく「メイドインアビス」を思い出してしまいました。

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そして後半はドワーフ族とのいざこざ的な話になるのですが、暴力一辺倒のドワーフ族のおっさんが息子に「歴史の勉強」と称して、都合よく解釈された迫害の歴史を語り、自分たちの暴力を正当化するシーンがあります。

それに対してマルシルはことごとく言い返していきます。様々な種族が集えば、文化、思想も違うし、必ず軋轢は生まれる。そういったことも、それぞれの、それぞれなりにいささか都合良く捻じ曲げた歴史解釈がなされるのもまたリアル。

このアニメはダンジョンの中に生々しい生活を持ち込む、ということが根本的なコンセプトなのかもしれません。その象徴が「食」だったのではないでしょうか。食とは生命の基本なのだから。

そういうところ、コンセプトの段階から実によくできた作品だと思います。

 

第5話

今回は遂に昆虫食! 来ましたねぇ。『現実』世界でも話題の昆虫食。当然、この作品が取り上げないわけがない。

しかも、ただの昆虫ではざいません。なんせ、そこはダンジョン。金銀財宝に擬態するという虫で、このアイデアも秀逸。

早速センシは食える虫と食えない虫で選別するのですが、最後にチルチャックの、食えない方は捨ててもいいか、という問いに、よい、と答えます。チルチャックは捨ててしまいます。そりゃそうです。

しかし、その捨てていい理由とは、「本物の財宝は食えない」から…。

飯バカここに極まれり!

あまりのことに思わず笑ってしまいましたw

後半はゴーストを退治した時に使った魔除けの聖水がシャーベットになっている、という甘味でした。

ただ後半はどちらかというと、ライオスの妹へのそれぞれの思いを描いた感じ。

そして、今ここにいない人を悔いたり、憧れたりしても仕方がない、今いる人たちで苦境を脱するしかない、という人生訓的内容でした。

こういったストーリーを挿入してくるあたり、なかなか作品に深みを感じます。

実はこういう物語を読んだり観たりする人の心理って、何かを教えてもらいたい、というのがあるという話を聞いたことがあります。わかります。僕も、そういった啓蒙的な台詞とかシーンとか出てくると、はた、と膝を打ってしまったりしますし、そういうシーンに出会えると、何か嬉しいような気持ちにもなります。

そういった無意識的な欲求に応えられる作品が名作になったり、支持を得たりするのでしょう。

第6話

今回は、言ってみれば「地続きの前後編」といったところでしょうか。夕食と寝床をどこにするか、ということがテーマで、前半はライオス、後半はチルチャックが主役の回。

ライオスは相変わらず食に対するこだわり、食への欲求がすごすぎて、呪いの絵の中にある食料に目をつけてしまいます。

これにはさすがのセンシも呆れ気味なところから、いかにライオスが変態かということがわかろうというものです。

そして、呪いの絵の中に入るのはいいものの、絵の中とはいえ、状況的にとても食事をするような雰囲気ではなく、なかなか食えません。

三枚目にしてようやく腹一杯、美味しく食べられるのですが、絵の外に出たら腹持ちが全くなくなってしまうという案の定の展開。ライオスは全くバカで変態です。

しかし、絵の中がそれぞれ一つの世界として繋がっていて、それぞれに劇的な状況であり、その世界を生きる人々の人生を想像させる作りが、実は地味に良かったですねぇ。

最後、その絵の世界の登場人物であるエルフ(多分魔法使い)に、ライオスが怒られてしまうというオチまで用意されていました。

後半は宝箱に擬態するミミックという魔物とチルチャックの因縁の話。

鍵を開けるのが専門のチルチャックが、らしくなくミミックのいる小部屋に閉じ込められるという話でもあります。

なんせチルチャックは開錠専門なので強いわけではありません。そしてこの作品におけるミミックはヤドカリとかカニの化け物なので非常に強いです。

そんな大ピンチの中、戦闘的には無力であるチルチャックが罠の知識を総動員して対抗する、というなかなか知的な戦闘展開で、ある意味非常に王道的冒険モノ展開が楽しめました。

もちろん、最後はこのミミックを蟹よろしく茹で上げて食す。今回もまた、実に美味しそうでした。


 

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アニメ「ダンジョン飯」第1~3話ネタバレ有り感想。設定も作画も丁寧、キャラも魅力爆発!!


ある日、「PONTSUKA!!」を聴いていたらですね、「ダンジョン飯」がアニメ化されるにあたり、BUMPが主題歌を担当することになった、という話が出てきまして。

「へー」なんて思って。「ダンジョン飯」自体は知っていたのですが、なんとなく異世界ゆるゆる生活系のまったりした、毒にも薬にもならない感じの、最近流行りのそういったものなのだろう、と全く興味がなかったんですね。

でも、BUMPのメンバーは全員が大ファンだという。ふーん、だったらまぁBUMP主題歌だし、主題歌のチェックだけでも損はないから観てみるか、と思ってたんですね。

そしたら、僕の友達みんな知ってて。しかもみんな面白いっつってる。

なんかすごい悔しくて。俺だけ完全に置いてけぼりにされてる感じで。

これはイカン!と思い、早速アマプラで観てみたのですが、なるほど、これは面白い!

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第1話

先ず思ったのが、意外と(失礼!)異世界、ダンジョンの世界観がしっかりと作り込まれている、練られている、ということですね。

ここらへんの作りがしっかりしていると、物語の世界を割とリアルなものとして感じることができるので、物語に入っていきやすい。そして登場人物とかにも感情移入しやすい。

そうなってくると、登場人物と一緒に、なんかちょっと異世界を「旅している」感覚にも浸ることができて、ちょっとしたアトラクションのようにも楽しめて、実に楽しい。

で、ダンジョンって結構危険なものじゃないですか。名うての戦士じゃないとおいそれとは近づけない、みたいな。でも、この作品って、もちろんそういう側面はあるのですが、割とポップにダンジョンに潜っていくんですねw その軽い感じが、逆になんか、良い。

というのも、そういう軽いノリでみんな入っていくから、ダンジョンの中にも街みたいなものが作られて、文化が形成されているんですね。文化が形成されるということは、生活が生まれるということです。

この物語の肝は「ダンジョンの中の食生活」、しかも「自給自足」です。だから、そういった生活感を醸し出すことが必要不可欠だと思うんです。そういった状況設定、世界作りも非常に抜け目ない感じがするし、やはり「異世界」を、なんというか肌で感じることができる(いや、実際もちろんできてないですよw でも、そんな気分に浸れる)。

そして、物語中にも言及があったのですが、魔物なりの生態系も形成されているんですねー。自給自足、ってことは狩りということです。キャッチアンドイートを観る者にリアルに感じさせるためには、魔物といえど生物、その生物がどんなものなのかを細かく設定する必要があるはずです。

なぜなら、どういった魔物(生物)であるかによって、調理法、そして味や触感まで決まって来るわけです。だから、ここの設定が「ざっくり魔物調理しましたー」では面白味がゼロになってしまいます。こういったところを丁寧に作り込んでいくところが、実に素晴らしい。

そしてあとは、キャラの魅力ですね。一話にして(これから増える可能性も大ですが)メインキャラ四人がそれぞれキャラ立ちまくり。やっぱり面白い作品はキャラクターですよね。

で、第一話の方なのですが、冒頭でいきなり魔物(レッドドラゴン)にやられてしまうので、夢オチ冒頭か、と思ったんですけど、そんなことはなく、主人公の妹がいきなりそのレッドドラゴンに食われてしまいます。

こりゃ一大事!となるところで、実際そんな感じではあるのですが、しかし割とポップに蘇生できる世界観らしく、緊急事態と言いつつ、のんびりした空気が漂っています。消化されるまではまだ余裕あるかー、といった感じw …どんな世界観だw

でも、そののんびりした感じが結構良かったし、やはり調理の感じが実に良い。作画も丁寧だし、料理場面もすごく美味しそう!(魔物だけど)

設定が細かく作り込んでいる上にキャラも立ってる。そして作品の雰囲気も良い。そんな感じで、今後の展開が楽しみになってきたので、継続視聴することに決めたのでした。

第2話

今回は、基本的には、キャラの魅力が炸裂したような話でした。もちろん、このアニメ(漫画)の肝でもある料理の魅力は言わずもがな、なのですが。

今回は前後編に分かれておりまして、前編はマルシル、後半はチルチャックがメインのお話し。そこへセンシが絡んでくる、という展開ですね。

先ず、マルシルなんですけど、基本的には金髪エルフでエメラルドの瞳を持つ美人です。大体9割方辛い目に遭っていますw 性格的には真面目だけど明るく外交的ですごく可愛い。僕、この人大好きです。

でも、役割としては、リアクション担当w そして、なかなかのポンコツw 金髪エルフで真面目で明るいのにリアクション担当にしてポンコツw しかし、そこが良い! そこがツボ! それに、設定的にはすごく強いらしいし。

で、このマルシル。真面目なだけでなく、多分優等生だったんでしょうね。多分魔法学校みたいなとこがあって、そこで成績優秀で、だから強くもあるんだろうけど。

このエピソードでは、野菜が欲しいということで、引っこ抜くと金切り声を上げて大変という草(名前忘れた。確かハリポタにも出てきたと思う)を取らなきゃいけないんだけど、そんな感じで普通に引っこ抜いてしまうと大変なことになってしまいます。

だからマルシルは参考書の通りにやろうとするのですが、急のことなので準備が足りない。そこへセンシが叫ぶ前に狩ってしまって、バンバン取っていく。その方法は正規の方法ではないのですが、センシは逆にマルシルと違って、多分叩き上げ。経験に裏打ちされた合理的な方法で効率良く事を進めていきます。

そんなセンシに焦ったマルシルは大蝙蝠を使って引っこ抜こうとします。引っこ抜くこと自体には成功しますが、なんせコウモリは飛びますからねw 運悪くマルシルの元に飛んできてしまって、マルシルは金切り声をまともに浴びてしまいます。

でも、その後の展開がなかなか良くて。結局、切らずに引っこ抜いたマルシルのものの方が美味しかったんですね。それ見てセンシが、自分は合理的に過ぎたかもしれない、と反省するんです。

教科書通りの優等生なマルシルの方が遠回りながらも質の良いものを提出し、叩き上げで経験豊富なセンシの方が合理に走り過ぎてしまって量は取れたものの質は下がってしまった。

この対比って、普通は優等生と叩き上げが逆のようにも思うのですが、よく考えたら、こういうこともままあることなのかな、とちょっと思ってしまいました。

で、後編はチルチャックが主役回って感じだと思うんですけど、より変態性が前面に出てくるのはセンシの方だったりします。

チルチャックはハーフフットということもあり、見た目一番子供ですが、本人曰く子供ではないらしいです。鍵開けや罠を見破るスペシャリストですが、その風貌とは裏腹に、実はすごい職人気質。自分の仕事に口出しされるのを極度に嫌います。

しかし、センシの食に対する貪欲さ、変態性はチルチャックのそんな気質を凌駕してしまいます。その押しの強さに折れるチルチャック。しかしこのセンシは本当に変態です。なんせ罠の仕掛けを使って天ぷら作ろうってんですからw

そんな感じで一見するとチルチャックが押されまくってこの回の主役の座を奪われてしまったようにも見えますが、チルチャックはその風貌とは裏腹に、このパーティではツッコミ担当の毒舌ガイの皮肉屋。そんな料理変態・センシに対し、ツッコミまくり毒づきまくり。まさにチルチャックの本領が発揮されていると言って良いでしょう。

そんな感じで今回は三者三様、それぞれの立ち位置でその存在感を存分に発揮した変態回でありました。

第3話

今回は一話ブチ抜きのワンエピソードでした。今回の主役はこのアニメの主人公でもあるライオスです。これまでも主役ならでは存在感を発揮してきたのですが、今回はライオスの回です。

もうね、ホント変態www 一番のバカwww これで結構強くて、ダンジョンに対する知識も経験も豊富ってのがまたツボ。いや素晴らしい。

だって、鎧食おうとするんですよ! 鎧ですよ、鎧。鉄ですよ、テツ!

アホでしょwww さすが変態パーティリーダーwww

ただ今回、ライオスの変態性も炸裂し倒してて、そこも面白いのですが、個人的に一番ツボだったのは魔物ですね。

なんせ今回の魔物は「動く鎧」と思わせといて、実は「貝のような未知の魔物」!

どういうことかというと、鎧を貝殻に見立てて、それぞれの個体(軟体動物)が各々人間の体の部位を担当して鎧を動かしてたってんですから。だから、言ってみれば、貝とヤドカリを混ぜた感じなんでしょうかね。

この発想力はすごいと思います。少なくとも、僕はこんな創造上の生き物、見たことありません。

なるほど、考えたなぁ。

そして、当然調理するのですが、もちろん貝のようで、めちゃくちゃ美味そう!(このアニメ、料理シーンが本当に秀逸です!)

基本的には牡蠣ですかね。お吸い物とかも作っちゃったりして、魚介類が大好きな僕としては、それはそれはもう美味しそうで、たまんなかったですね。

思わず自分も食いたくなっちゃったんですけど、絶対に食えないんですよね。だって、あれはアニメの中にしかいない生物だから…。

でも一瞬、自分も食べたい!と思わせるくらい、設定も作画もしっかりしていて細かい。

いや、ホントよくできてるな、このアニメ。


 

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イワクラ「特撮大百科」のガイガンはガイガンフィギュアの決定版!!


ガイガンが好きです。

めちゃカッコいいですよね!

そして、僕は10cm未満くらいの怪獣フィギュアが好きです。

ただ、何でもかんでも集めるのではなく、「これは!」と思うクォリティのものだけを集めたいんですね。

で、随分前にイワクラという会社から発売された特撮大百科と銘打ったシリーズのガイガンがありまして。

これが、もうめちゃくちゃクォリティ高いんです! そこらのソフビは完全に越えてるし、なんならガレキくらいのレベルに達しています。

それをですねー、ずっと欲しかったんですけど、先日、遂に購入しました!

やっぱね……良い!

 

 

エポックメイキングなデザイン

ガイガンの何がいいって、そのカッコ良さですよ! とにかくデザインが良いんですよね。

一説によると、このガイガンから怪獣デザインが次のフェーズに移ったらしいですね。

確かに、ガイガン初登場である「地球攻撃命令ゴジラガイガン」の公開は1972年の3月。ウルトラマンAの放映開始が1972年の4月。

ちなみに、去年はガイガン生誕50周年で、各所で結構ワイワイやってましたね。

で、怪獣デザインなのですが、それまで、つまり「帰ってきたウルトラマン」までは、主に恐竜などをモチーフとした、とちらかというとリアルめ、つまり実在した生物からそれほど逸脱しないデザインが主流だったと思んです。

それが変わったのが「ウルトラマンA」だと思います。振り返ってみると、Aからはかなり大胆なデザインが増えた気がします。

言ってみれば、ガイガンから「何でもアリ」なデザインに移行したのではないでしょうか。それまで、これほどトンガったデザインの怪獣って、なかったと思うんです。

そんな、後の怪獣デザインの「基準」となった、エポックメイキングであるかもしれない怪獣、それがガイガンなんですね。

ひと頃離れてしまっていた

そんなカッコいいガイガンなので、当然幼少の頃は超大好きでした。なんというか、エキセントリックな派手さの中にもスタイリッシュさを感じていたと思います。

それにしてもシビれるデザインですよね。腕は鎌、極めつけは胸の回転カッター。全身まさにこれ凶器。実に悪意に満ち溢れています。近寄れない感じですよね。実際、うかつに近寄ったアンギラスは回転カッターで血まみれにされています。ヒー。

でもですね、一時期離れてしまっていたんですよね。

その頃は、やはりリアルめな怪獣の方がいいんだ、って思ってまして(まぁ、怪獣と言ってる時点でリアルじゃないんですけど)。初期東宝怪獣とか、初代~帰ってきたまでくらいの怪獣に惹かれてたんですね。

今でもそういった好みの傾向はあるけど、当時はそれがもっと強かった。そんなんだから、そういうのとは違い、エキセントリックなデザインであるガイガンは「なんかちょっと違うな」と思ってしまっていたと思います。

あと、メカゴジラとかもちょっと違うかな、って感じでした。「ロボットであって怪獣じゃないよな」とか、多分そんな感じ。とにかく実在の生物っぽくないものはちょっとアウトな気分の時期があったのです。

でも、しばらく間が空いて、改めて見てみると、やっぱカッコいいんですね。サイボーグってのがいいですよね。その半分メカとか、フォルムとか、それこそ、その後のメカゴジラへの布石のようでもあります。


でも、メカゴジラは後の平成シリーズとか、果てはハリウッド版、はたまた「RERDY PLAYER ONE」にまで出てきて、その活躍は世界に広がっていったのですが、ガイガンはというと、そういった意味ではパッとしない。ファイナルウォーズに出てきたのもデザインはクソみたいなものに変えられてしまっていたし…。

でも、その後、自主制作のCGでめちゃくちゃカッコいいガイガンが出てきて、話題になりましたよね。あれはホントかっこ良かったなぁ。

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フィギュアの存在を知る

そんな感じで、ガイガン熱が再燃してきたわけですが、そうなってくると、当然欲しくなってくるのがフィギュアです。最近のはソフビにしても食玩にしても、フィギュアは出来がいいですからね。

ただ、ことガイガンに関しては、なかなかクォリティの高いフィギュアがない。

もちろん、30cmとかの大きいサイズになってくるとクォリティの高い(値段も高い)の多いですけどね。でも僕が欲しいのは大体6~7cmくらい、せいぜい10cm未満のものなんです。

これくらいのサイズのフィギュアもなかなかバカにできなくて、例えばアートワークスのアンギラスなんかは、30cmフィギュアすら霞むくらい、めちゃくちゃよくできているし、酒井ゆうじ氏の「ゴジラ名鑑」「ゴジラ全集」シリーズなんか、もはや伝説の域に達しています。

ただ、ガイガンのフィギュアでそういうのは、なかなか見つけられなかったんですね。

そうなってくるとターゲットになってくるのがHGなのですが、これがなかなか良いのがない。最近のHGはクォリティが高くなってるのですが、ことガイガンに関しては微妙なものしかない。

そんな感じで、ガイガンフィギュアはずっとスルーし続けてきたんですけど、どのタイミングだったかは忘れたのですが、ネットで見つけたんですね、めちゃくちゃハイクォリティなガイガンフィギュアを!

それが、イワクラというメーカーから発売されていた「特撮大百科」というシリーズのガイガンだったわけです。

ただですねー、それ見た時思ったのが「そういやあアキバ行った時、こんなのあったなぁ」でしたw その頃はガイガン熱が下火になっていたのかなぁ。或いは、ガイガンはなかったのかもしれないですね。ま、とにかく見つけたわけですよ、ハイクォリティガイガンを!

自分が知る限りではNo.1のクォリティ

このイワクラガイガンなのですが、もう、とにかくね、フォルムが素晴らしい!

顔の造形から、全体のシルエット、そして腕を振り上げたポージングまで全てがカッコいい! 特にすごいのは鱗の感じですね。この凹凸、立体感が実に素晴らしいです。

あとね、色が全体的にくすんでるんですけど、これが逆に良いんですねー。結構、他のガイガンフィギュアって、色が鮮やかだったりするんですよね。でもそれが、逆に安っぽくなっちゃってるんです。

そこへいくとこのガイガン。くすんだ色合いが非常に重厚感を醸し出していて、めちゃカッコいいです。


ただ、少しデカいかな。だいたい高さ8cmくらいですかね。僕は高さをだいたい揃えたいんですけど、この大きさだと僕が持ってる他のフィギュアとは微妙に揃わないんですね。

ゴジラ全集が6.5~7cmくらい。HGもそれくらい(最近のはちょっとデカくなっちゃってますが)。だから、このガイガンだけちょっと大きくなっちゃってる。

ただまぁ、劇中でのサイズ比ということであれば、むしろ丁度いいんですけどね。ゴジラより頭一つ近く大きくなるから。それにまぁ、サイズ感という観点からすると、大体同じくらいであることには変わりないですからね。

ま、とにかく、買って改めてわかったことですが、このサイズではこれ以上のガイガンフィギュアはないですね! もう、最高。


 

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「ゴジラ-1.0」ネタバレ有り感想。俺が観たゴジラ最恐! ゴジラを使って「映画」を撮った!!

絶対観なくてはいけないと思っていた「ゴジラ-1.0」を観てきましたー。

いや、凄かった。素晴らしかった。

僕の中では「シン・ゴジラ」越えましたねー。あっちはあっちですごく好きだし、スゲエ良くできてるなー、と思うですが、それくらい、今回の「ゴジラ-1.0」が良かった、ということです。

IMAXレーザーで観たんですが、それがまた更に良かったことに後から気づきました。

いうのも、IMAXレーザーだと冒頭のゴジラが原寸大で見れるらしいのです。どうりで迫力が半端なかったわけだ。

というわけで、感想です。

 

やっぱり怪獣映画はIMAX

やはりIMAXだと迫力が違いますねー。

こういうCGをふんだんに使ったSF系の映画はIMAXに限ります。山崎貴VFXゴジラはめちゃくちゃに迫力ありました。

特に冒頭の大戸島に現れたゴジラが一番怖かった! なんでも、冒頭でも言った通り、原寸大だったそうです。そりゃ怖いはずだ。こんなに怖いゴジラは初めてでしたからね。

おそらく、VFX的に、またゴジラという怪獣の演出的にも、ここに一番力を入れていたのではないでしょうか。

というのも、先ずゴジラのサイズが小さい。小さいっつってもデカい。どういうことかというと、リアルなデカさなんです。

人が最も脅威を感じる大きさって、身長10m、せいぜい30mらしいですね。だから、50mのゴジラは実はデカすぎちゃって、背筋も凍るような怖さにはならないんです。

過去ゴジラの影響たくさん

ここらへんは「シン・ゴジラ」を参考にしているように思います。「シン・ゴジラ」は最初の方は小さく、だんだんと大きくすることで、怖さの持続を演出していました。

もちろんゴジラだから、最終的には大きくしなくてはなりません。多くの観客はそれを期待しているからです。50m以上の大きさがなくてはゴジラである意味がない。でもそうすると怖くなくなってしまう。

大きなゴジラを怖く感じてもらうためには、最初に人間が最も恐怖を感じる10mのサイズを見せておけばいいわけなんです。最初に植え付けられた恐怖は、トラウマ的にその後の巨大すぎるゴジラを見ても身の毛がよだつようになる、というわけです。

ちなみに、「ゴジラ-1.0」では「シン・ゴジラ」だけではなく、過去の様々なゴジラ映画へのオマージュがそこここに見られました。それは日本版だけでなく、ギャレゴジへも及んでいましたねー。典子が銀座で電車の中から初めてゴジラを見たショットなんかは、ゴールデンゲートブリッジで子どもたちがバスの中からゴジラを見たショットに酷似していました。

冒頭ゴジラが怖すぎた!

で、この大戸島のゴジラなんですが、「シン・ゴジラ」に比べて、観客への恐怖の植え付け方が格段に上であったと思います。

大きさもリアルな恐怖を感じるものだったのですが、何より怖かったのは下から見上げるカットばかりだったから。間違っても俯瞰でなんか撮らない。これにより臨場感と、なんというか「体験感」が出てくるのです。

俯瞰にしてしまうと一つ冷静になってしまうというか。そんなことはさせないわけです。

それにもちろん、ゴジラの大きさを強調するため、というのもあります。

また、ゴジラの存在感の演出もあると思います。ゴジラとは人間が見上げることしかできない存在。絶対に敵わない存在。そういうことをこれでもかとばかりに見せている。

間近で真上に見上げるゴジラは、IMAXの映像、音響もあって、それはもう本当に怖かった。今まで見たゴジラの中で背筋が凍るほどの、割とリアルな怖さを感じたのはこのゴジラが圧倒的に一番でした。

ちなみに、この時のゴジラの足は恐竜でもありました。しかし、後に銀座に上陸したゴジラは昔ながらのゴジラの足だったと思います。おそらく、大戸島では観る者に恐怖を植え付けたかったため、できるだけリアル志向にしたのでしょう。どうしても、昔ながらのゴジラでは着ぐるみ感が出てしまい、「恐怖する」というわけにはいかなかったかもしれないからです。

あと、世界市場も視野に入れていたと思います。特に欧米史上。というのも、欧米人にとって、科学的知見というのが特に重要だからです。だから着ぐるみ風の足では、彼らにとっては一気に笑いの方への振り切ってしまい、恐怖へとは繋がらないのです。だから、この時のゴジラは科学的知見に立った「リアルな」恐竜の足でないといけなかったのでしょう。

ゴジラに背負わされた業

そしてこの「大戸島ゴジラ」は敷島に業を背負わせる。

敷島が20mm砲を撃たなかった(撃てなかった)せいで、橘を除いた整備隊を全滅させてしまうのです(いや、撃ったところでわからんけど)。

そのことが後の敷島に呪いのように付きまとい、映画全体を覆うこととなります。だから敷島は典子と結婚することもできず、女の子の父親を名乗ることもできません。

これはおそらく、第1作「ゴジラ」の裏設定である、ゴジラとは戦争で亡くなった人たちの亡霊である、ということを踏襲しているように思うのです。

ゴジラとは、大戸島で敷島が見殺しにした亡霊である。また大戸島の夢に何度もうなされる敷島の姿を見て、イーストウッドの「アメリカン・スナイパー」の主人公・クリスを思い出してしまいました。

抗って、生きろ

思えば映画前編では、敷島は他人よりも自分の命を優先させてきたように思います。特攻から逃げ、ゴジラから逃げ、結果論ではあるけれど、典子の犠牲の上に命を救われた。

ただ、それについて、僕は攻める気にはなれません。むしろ生物として自然な姿のように思えます。

そして、野田は「この国は人の命を粗末にし過ぎた」と述べました。このセリフがまた凄かった。あ、言っちゃうんだ、って思います。なんていうか、日本って人を資源にしか見ていないところがありますよね? それはお上だけじゃなくて民間でも。甲子園なんて、すごくわかりやすい例ではないでしょうか。

ラストではゴジラへ特攻するつもりだった敷島はパラシュートで脱出します。これは橘が仕込んだものなのですが、爆弾の安全装置を外したと同時に作動する自動のものではなく、操縦者が手動で作動するものでした。つまり、特攻するつもりだった敷島は自ら生きることを選んだのです。パラシュート脱出を無線で確認した橘が安堵して涙を流すのもまた良かった。

この映画のキャッチコピーは「抗って、生きろ」。まさに、テーマがそこにあったのです。

シン・ゴジラ」との圧倒的な差異

このテーマは先の大戦へのアンチテーゼだけではないと思います。更に言えば、山崎貴は秋津に「情報隠蔽はこの国のお家芸」とまで言わせました。

これは現代にまで通じる批判であり、その意味でこの映画は反戦だけに止まらず、現政府へも批判しているのです。

ここに「シン・ゴジラ」との圧倒的差異があると思います。

シン・ゴジラ」も「ゴジラ-1.0」と同じく、第1作「ゴジラ」のリブートを狙って作られたものでしょう。しかし、「シン・ゴジラ」には第1作「ゴジラ」のような恐怖、迫力はあるけど、批判精神が、ないとは言わないけど、希薄。

いやむしろ、批判すべき国におもねっているシーンすらありました。国会議事堂に集まったデモ隊を非常に批判的に描いていたのがそれです。

あそこで表現したのは、国のために一生懸命頑張っている与党、官僚に罵声を浴びせる無知な大衆、といったところでしょうか。

あのシーンは明らかに反原発デモに対する批判なのでしょうが、あのシーン自体実に取ってつけたようなものだったような印象を受けました。物語上、あれを挟む必然性が何にもないんですよね。

原発には反対する理由はあるけど、ゴジラ対策をする政府に大衆から批判が集まるはずがないからです。

物語全体を通しても、あまりにも無邪気な官僚礼賛が貫かれていますが、むしろそういうところは現実からは乖離しちゃってるよなぁ、というのが正直な感想です。国は何もやってくれないから、と主に民間が中心となってゴジラと対峙する「ゴジラ-1.0」とは全く対照的なスタンスなわけです。

思うに、それがオタクの限界なのだと思います。庵野秀明はオタクの代表のようなところがあるように思います。そしてオタクとは、どういうわけか権力者に従順であろうとする。

聞けば、「シン・ゴジラ」は海外では全く受けが悪かったらしいですが(僕個人的としては、思うところは散見されたものの、全体としては大好きな映画ではあります)、理由の一つに人物が描けていない、というのがあるらしかったです。

しかしそれと共に、この批判精神の欠如というのが大きかったと思います。ゴジラといえば、それはつまり反戦であり、批判精神の象徴なのです。

もっと言っちゃうと、映画をはじめ、舞台、音楽、小説、絵画など全ての芸術表現は権力者への監視、という側面も古くから担ってきました。

それなのに「シン・ゴジラ」はそれとは真逆の、権力側からの視点で描いているわけだから、そりゃ批判精神などあろうはずがない。むしろ精神的にはプロパガンダに近い。だから、海外の人が見ると、「これは映画ではない」ということになってしまったように思うのです。

それに比べ、山崎貴は実に強烈で容赦のない批判精神を見せつけました。ここが一つ、大きな差となっているように思うのです。

ゴジラは手段

また、ドラマ性という点でも、割と丹念にドラマを描いていたように感じました。言ってみれば、山崎貴ゴジラを使って映画を一本撮ったんだと思います。或いは撮ろうとした。

ゴジラが目的ではなく、ゴジラが手段。思えば、ここら辺が他のゴジラ映画と一線を画するところで、あの「シン・ゴジラ」ですらゴジラが目的だったと思います。ゴジラが手段だったのは、第1作「ゴジラ」がそうだったように思います。

あと、「エンタメゴジラ映画」の原点にして一つの到達点となった「キングコング対ゴジラ」もゴジラを手段として使った映画だったように思います。

あれは東宝お得意の社長シリーズやサラリーマンシリーズにゴジラ、そしてキングコングまでをも引っ張り込んでしまった喜劇映画だったと思うんですよね。怪獣映画というよりは、喜劇映画の範疇。

だから、ゴジラ映画最高の観客動員数を誇ることができたのだと思います。怪獣映画ではなく、ちゃんとした「映画」なのです。ちゃんとした映画だから、怪獣オタク以外の層にも訴求することができたのだと思います。

怪獣映画『だから』ドラマが必須

また、そうすることで逆に「怪獣映画」が「怪獣映画」足り得るんです。

映画を丁寧に作るということは、人を丁寧に描くということです。そうすると、ゴジラという鬼神がより怖く、時には崇高に、その存在の異常さが絵空事ではなくなる。怪獣を描くときは人や人の生活を丹念に描かなくてはいけないんです。

そうやって作らないと、単なる絵空事になってしまい、そうなると怪獣は一つも怖い存在ではなくなってしまうので、子どもやオタク以外の人には単なるごっこ遊び、おふざけにしか見えないんですね。良い例がハリウッドの「キング・オブ・モンスターズ」です。あれ褒めてるのガキ(肉体的にも精神的にも)しかいないですからね。

まぁ、怪獣は子どもに人気あるから、子どものために作るのなら、めちゃくちゃに怪獣に強さインフレ起こさせて、怪獣プロレスに終始するのは間違いじゃないんでしょうけど……。

ベタな展開があるも、容赦もしない

まぁ、時折ベタな展開もありますが、そこもまたマスを相手に戦ってきた山崎貴らしい強かさだとも思います。

本来なら、典子も生かしてなかったと思うんですけど、そこはやはりマスを意識したのかもしれないのかな、と。だってやっぱり主人公の相手役が生きていたら、嬉しいでしょ? 割とひねくれた人は「ご都合主義しやがって」って言うと思うけど(それはそれで全うな意見なのだが…)。

ただまぁ、YouTubeで色んな考察動画を見たら、典子が生き残った理由には、とんでもない原因があるようで…。もし、それが本当なら、山崎貴がこのラストを「創作者としての甘さ」と、反省していたのですが、その反省、ウソじゃんw

で、それはそれとして、また、テーマが「抗って、生きろ」だから、やはり典子もまた、大怪我を負いながらも生きなければならなかった、というのもあったのかもしれません。

「抗って、生きろ」ということであれば、敷島の物語以降の人生への暗示もあるように思えました。なぜなら彼はゴジラ放射能火炎の後の黒い雨を浴びているのだから。

彼はあの時、被爆したのです。今回の放射能火炎の威力は過去最大なのではないでしょうか。あれはつまり、原爆なのだと思います。ゴジラとはつまり、生きる核兵器

ゴジラ反核の映画でもあるけど、それを「これでもか」とばかりに描いたのは、今回の山崎貴が一番かもしれない。とにかくこの「ゴジラ」での山崎貴は容赦がなかった。

キャストも最高

また、物語を支える役者陣も良かったと思います。

ただ、神木隆之介の役はどことなく吉岡秀隆を彷彿とさせてしまい、吉岡秀隆が若かったらやってたんだろうなー、と思って見ていました。

若い頃の吉岡秀隆は世間と齟齬のある、悩みを抱える青年役をやらせたら右に出る者はいなかったからです。

と、思ってたら、出てきたアー! まさかの出てきたアー! 吉岡秀隆アー!

あまりにもビビッて、めちゃくちゃ嬉しかった!

事前情報を仕入れないと、こういうサプライズがあるのでやめられない。その後も、吉岡秀隆神木隆之介のツーショット結構あって、もう最高だった。この二人の並びはすごく良かったですねー。

あと、結構、演技がクサいとか、大げさとか、舞台的とか言って批判してる輩も多く見るのですが、全然わかってないですね。

怪獣映画の場合、演技は大げさなくらいが丁度いいんです。

なんせ、相手は怪獣ですからね。圧倒的な絵空事

そこで、例えば是枝裕和的な自然な演技にしてしまうと、そりゃもう怪獣の場面が浮きまくると思うんですよね。

だから、舞台的な、大げさな、非日常的な表現にしていかないと、逆に整合性というか、親和性と言うか、そういうものが取れなくなっちゃうと思うんです。

だから、あの演技的に過剰な演出は正解だったと思いますよ。

ただ、逆に言うと、やはり映画というメディアは舞台とは全然異なるのだなぁ、と一部のそういう意見を見ると、改めてそういう思いを再確認するのでした。

これはおそらく、映画はカメラでグッと寄れるから、より「現実的」なんですよね。対して舞台は、下手すりゃ、座席の一によっては役者までの距離がめちゃ遠くなってしまうので、「自然な」演技をしてしまうと届かない。下手すりゃ、何言ってるかわからない。だから、大げさに、デフォルメして演じないといけないんですよね。

ゴジラも強けりゃ、人間も強い

それでタイトルにある「-1.0」。色んな意味が込められてるそうですね。

その中で一番僕が響いたのは、第1作よりも前の時代を描いたから、という意味。

思えば、初めて戦前を舞台にゴジラが登場したゴジラ映画でした。この発明はやっぱすごい。そしてまた、ある意味での不文律を破るという、禁じ手に踏み込んだのも、なかなかの心意気ですよね。

そしてまた、日本の復興の早さにもまた、この映画で気づかされました。戦後のあの惨状から、わずか二年ほどで街や人が綺麗になっていく。ゴジラの強さもそうだけど、人間の強さをもまた、すごく力強く描いているように思えました。

ゴジラは殺せない

あと、今回のゴジラは第1作「ゴジラ」以来、ゴジラを殺したゴジラ映画だったなぁ、と思いながらエンドロールを見ていたんですよ。

でも、生き返る描写があった。

第1作の時は、なんせ初登場だったので、ゴジラはまだスターではなく、観客の感情移入もなかったと思います。

でも今日、ゴジラはスターであり、アイドルであります。観客の感情移入は十分すぎるほど得ています。世界の大スターですからね。もう、大谷ですよ。

だから、マスを意識する山崎貴には、ゴジラを殺すことはできるはずもなかったのでしょう。

そしてまた、ある意味、ゴジラもまた、「抗って、生きろ」なのかもしれません。

ただ、これも先程の典子の生還と繋がっているらしく、もしそうだとしたら「シン・ゴジラ」ばりのラストショットの恐怖なんですけど。

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