つなげ“希”動力-人生記録員、伊東勉のページ。

17年9月移籍、社会活動中心の記事を記していきます。

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避けても目に入ってきてしまう「攻撃性と中毒性の強い」もの

 日曜日。昼間は大船渡に行き、帰宅しては週半ば締め切りの宿題に取り組んでいたところです。

 今年に入ってからSNSタイムラインで入ってくるショート動画について何回か記してきました。確かに“目を引き”“爽快感”感じる内容ではあるけども、そのために何か傷つくような感覚を覚えるのがどうにもしんどくて。今日はとうとう限界点を越えてしまい「これ以上つきあってはダメだ」となりました。

 ショート動画だけでなく、例えばSNSのインプレッション・閲覧数稼ぎのために「意図的に誰かを傷つける」表現が多くて、それを無視しきれなくて、どうにも。2、3年前に極度の人間不信に陥り、そこからは回復してるかなと思ってはいましたが、キズは後から襲ってくる部分もあるんでしょうね。だから他の人の意志をそのまま受け取ることができなくなったり、空気を読まない行動したり。「なんもキズを負わない人生はない」のですが、先述の事象は辛いです。

 一朝一夕に解決するわけではないと思うので、一つ一つ積み重ねて対処していくことに。ひとまずは自然にショート動画を回避して、「世の中にはこういうこともある」ことを知るラジオ聴いて(テレビは“動画”同様の事象目にしますので見ることができません)精神の安定に努めます。

大型連休が明け、「個々の尊厳を潰す」やり方を許さない戦いが再開します。

 大型連休が明けました。4月下旬はかなりの高温となりましたが、その後みるみるうちに気温が下がり、木曜日は3月か4月と思わせる天気となりました。天候の変動にも弱い私はそれに祟られ硬直してしまい、思うように動けなくなる始末。おかげで色々進めておきたいものが進行できなくなってしまい、ブログの記事もこの通り空いてしまいました。

 5月1日のメーデー、5月3日の憲法記念日と続いた社会活動で何を思っていたか言いますと、「個々のの市民が人格を尊重され生存が保障される社会にあるかどうか、それを継続できるかどうかが試されている状況だなというのを思い知らされました。もちろんその実現に向かって行動する人もいる一方で、どうにもならないと諦めたり、権威主義に引っ張られたりして『一人一人の人間を生きさせろ』という行動に対して冷たい言葉を発揮する人たちも少なくないです。

 この間、イスラエル勢力によるパレスチナへの虐殺行為が続いていて抗議する声も上がりましたが、それに対して『反対する行為は反ユダヤだそれを禁止する』法律さえ通そうとしている国もあると言います。たしかに、ユダヤ民族は迫害の対象になった経験・箇所もありましたが、だからと言って今のパレスチナで行われていることを是認することができるのか。

 私はできません。

 日本国内でも水俣病救済に関わる行事で患者団体が意見発していたのを無慈悲に打ち切る事態が生じました。最近の行事などでは時間定めてそれに収まるように意見発表してもらうというのが一般的ではありましょうが、わざわざその時間を短くさせたあげくに、主催者である環境省有利な運営をしていることには見向きもしないで『時間だルールを守れ』で患者団体を非難する人たちもいる。

 納得いきません。

 そういう市井の市民の抵抗を押さえつける法律がまたも押し付けられようとしている。地方自治体を国に従属させる地方自治法改定しかり、破綻した人間関係を無理矢理くっつけ続ける離婚後共同親権の話もしかり。怒りすぎて体調悪化させる状況は作らないようにしなきゃならないですが、個々の市民が生きられる状況を壊す政治にはしっかりNOと言い続ける存在で有り続けます。

憲法記念日…現憲法に守られた人間として。

 憲法記念日当日に記事を起こすことができませんでした。岩手県内でも盛岡市で集会が行われていましたが、移動費・行動費が確保できず参加を断念せざるを得なくなってしまいました。

 それぞれの勢力比で言えば…市井の市民の間では護憲派もある程度力を持っていますが、権力を握る人たちの部分では改憲派が力を握っているようで。それでも改憲を許してこなかったのは「権力者に好き勝手をさせない」憲法の性質がそうさせているものと言えましょう。

 だから今の権力を握っている自民党憲法を変えたがる。自分たちの好き勝手にしたいから、今は一時的に引っ込めていますが自民党改憲草案初期案こそが彼らの本音を表すものと言って過言じゃないでしょう。今出ている「改憲4項目」はその序曲にさせるためのもの。個々人の人間が生きるために必要な人権を投げ捨てさせ、権力に従属させるような社会に戻させない。

 近年では護憲派憎しのあまりに、自分たちが存在するために必要な項目にまで難癖し続けている意見も出てきています。

 が、それはご自身の墓穴を掘っているもの。「個々人が権力者の使い捨て付属物」にさせないために今の日本国憲法は死守するべきものです。

5月1日はメーデーの日。「行動」で主体的に社会を変えていく。

 日曜日、所用で県北に行き今週に入ってから所用があったはずですが先方とタイミングが合わず、実行はまだという状況です。

 今日は「労働者の祭典」メーデー

 週末の所要は野球で行ったわけですが、試合を支配したのは「主体的に試合を掌握した」チーム。そこから思うことが多々ありました。

 いまの日本は財界・富裕層勢力が強く、その意を受けた自民党が政権を握り、経済界優位の社会が築かれてきた結果、市井の市民・労働者の権利を後景に追いやられる社会になってします。「労働組合なんて」なんて声がささやかれもしますが、 それを打開して労働者・市民が生きやすい社会がをつくるには、当事者が要求で団結して政策を実現に持って行かせることが必要です。メーデーはその結節点。集会の成功を願い、行動をより活発にしていきたいと考えております。

国政補選、「市民派野党」3人当選。「そんな程度」にするかは行動次第です。

 国政選挙の補欠選挙自民党議員3氏の辞職/逝去から行われたものですが、結果は市民派野党候補3人が当選となりました。この結果を「所詮こんなんかすり傷」で片付けようとする向きもありますが、「今の自民党苛政に黙っていられ」なくて、その活路を「権威主義によらない勢力に力を与える」ことに見出だし、行動したことがこの結果に結んだものです。

 共産党の山添拓さん。論客として注目を集める方ですが、ただ弁舌がうまいだけでなく、要求実現のために力を作ろうとする後援者の循環的な行動が力を生み出している。「議員が頑張った」だけにさせないで動くことが重要だ、というのがこの事からもうかがえます。それは同時に「有権者から浮かせない」ために必要なものでもあります。

 今後、総選挙なども予測される状態ですが、煽りには乗らず「必要と思ったことを世に示し、行動する」ことに注力していきます。

4月28日投開票の国政補欠選挙、東京15区酒井なつみ、島根1区亀井亜紀子、長崎3区山田勝彦各候補に1票をお寄せください。

 タイトルには必要なことのみ記しました。以下に理由。

 4月の補欠選挙は国会審議と並行しながら戦われていますが、東京15区の“場外乱闘”以外は国会審議そのものについての記事がやけに少なく感じます。

 10年前あたり、安倍政権が行っている苛政に対して報道によるチェックは当たり前に入り、たとえ強行することはできても狙った苛政をそのまま実行にはさせてこなかった。その“反対”を嫌がる安倍政権が、以降マスコミに介入・締め付けて権力者にモノを言う行為を否定する雰囲気を作り、10年経った現在では「反対すること」そのものが忌避されるような空気が醸成されています。

 その結果、「実質は財界富裕層優遇の自民党型政治の枠内でしかモノが語られなくなる」事態を生じさせる。悪影響が及ぶ部分があっても「お前らが○○するなら俺は●●」で片づけられて。

 東京15区で起きている混乱に関してはここまでいくつか述べてきましたが、これを利用してより「口を塞ぐ方向」に物事が進みそうになっていることに危惧を覚えます。

 関連して…「安倍政権を“序章”にしちゃならない」と考えて行動してきましたが、最近では積極的に“序章”にしようという動きも激しく、日本国憲法が保障する人権思想を潰しにかかる意見が蔓延ってます。ただ、潰しにかかる意思をどこから起こしているかというと「嫌いな~~に嫌がらせしてやりたい」から来ているのが…。意地悪をして「自分たちは“気持ちよくなりたい”」のでしょうが、壊そうとする対象物と比較して考えてみてください。

 人権思想を壊してきた結果「生きづらい社会」が生じた以上、もう一度作り直すくらいの意気込みで行動する。3つの補欠選挙では「市民・野党共闘勢力が勝つ必要」があるということを申し述べて、訴えをした理由の記述を終わります。

偏屈な思考回路の身ですが、何をもって「市民+野党共闘」候補者を推すか。 

 拙稿も社会活動を扱うブログではありますが、どちらか言うと「他の人が多く扱う記事は任せる」「自分が必要だと思ったことは偏屈言われても扱う」志向です。故に物足りなさや暑苦しさを感じる部分あったりしますが、それでもおつきあいいただいていることをありがたく思っています。

 共同親権、経済安保、さらには先日の「日米共同声明」と岸田政権によって行われている『「米国覇権主義」「富裕層の収奪行為」を正当化し、個々の市民をそれに従属させる政治』は、これまで安倍政権で崩されてきた社会規範をさらに壊す方向に力学が働きます。そこに「左翼の逆張りこそ正義」で難詰する輩もいますが、それこそ「反対のための反対でなにも生まない」ものじゃないですか。

 28日が投票日となる国政の補欠選挙ですが、立候補者での中で誰が「権力者と付随者」でなく、市民の立ち位置からモノを語り行動する議員を増やしていくか。3議席とも自民党議員の辞職あるいは逝去から空いた議席。今回の選挙では「450分の3」なのかもしれませんがそれでも差を詰めていく1歩目にしていきたいということで近年起きている悪癖を変えていく一本にしたいと考えております

【雑感】突然「session(TBS・IBCラジオ)」を聴く気力を失った個人的な理由。急な自分の変化にショック受けています。

 私は基本ラジオ人間で、テレビ番組で積極的に見ると言ったら地元放送局制作のバラエティ番組といくつかのドラマ、スポーツ番組くらい。そのラジオなんですが、今年に入ってから大きく変わったことがありました。

 これまで10数年、夜10時からの部分は周波数を合わせ、昼15時からの放送の時にはYouTubeを利用して聞いていた「荻上チキのsession」は、社会活動するにあたって権力の前に崩されていない貴重な番組ですし、情報の出し方も勉強になる私のイチオシでしたが、2月以降聴く気力をなくしてしまいました。「なんで」言われても…理由あげれば「多忙で疲れてしまって気持ちがついていかない」しか思い当たりません。

 このブログも書く気力をなくす時期を生じる一方で思い出したかのようにガツガツ書く時もありますからそんな類のものとは思っていますが、タイミング悪くある特集に突き当たることに。19日に日本共産党の田村智子委員長との招いてので荻上チキ氏、TBSの沢田記者との対論が行われましたが…この番組は「報道特集」「サンデーモーニング」同様、野党的・左翼的に見られがちですが、その実は『マスコミ・ジャーナリストとして“対象”に対して真摯かつ厳しくあたる性格を有している』だけの話で。それが故に“宿題”に対しての追求はすごかったようです。

 いずれそういう姿勢で向かって来られるということは覚悟していましたが、それが「殴りにかかるネタ」にされるのには疲れを覚えます(※いつものペースでは成文化して語ることはできないので「率直な感想」のみを置いとくとします)。

 社会活動していくからには「矢先を向けられる」覚悟も求められるというのは認識していましたが、一方でこの4年来の人間不信で受けた傷ってのは思ったより深かったようで、「疲れやすい状況」を生じやすくもなっています。急な変化もその現れかもしれません。それを様々な活動に支障来さないように気をつけるとします。

衆院東京15区補選。つばさの党の愚行を「口を塞ぐ」方向に進めさせない。問題切り分けて対処しましょ。

 ここ2回記事にしている東京15区つばさの党候補者の狼藉について弁護士ドットコムが関連記事を制作しましたので下記の通り紹介します。

www.bengo4.com

 つばさの党がやってることは、表面的には全勢力に対して喧嘩を売っていますが、では彼らの行動が最終的にどこに刃先が向かうかというと、市民・有権者と、市民派野党ではないでしょうか。

 第二自民党が維新、第三自民党がNHK党で、そのNHK党から落ちこぼれた勢力がつばさの党。“第三自民党”がどの政策に刃を向けているか言うと、いわゆる社会主義的・共産主義的な政策や、社会権確立から今日まで拡充してきた個々人の人権。襲撃そのものは全勢力に行っていますが、その解決策として示されているのが市民・有権者の政治的自由・権利を奪わせる、というのであればなおさらつばさの党のやってることは許すわけにはいきません。

 この件は①つばさの党の愚行を許さない②同時にそれを利用した野党叩きも許さない③事件を利用して市民有権者の口を塞ぐやり口に誘導させない、で対処するのが必要と感じます。

「選挙/政治活動を壊すほどの妨害行為」が、現時点の強者以外の発意・発言を封じ込めてしまう。危機感を。

 前回も書きましたが、衆院補欠選挙東京15区で行われている「候補者攻撃」。“つばさの党”が他勢力候補者に対して直接的な攻撃を繰り返し、中にはそれを止めようとした議員に対して「私人逮捕」をかます

 こうしてイラつきと憎しみ植えつけて、次は何するんでしょうね。

 一方で、一連の行為を「市民側が権力に対して行っている異議申し立てを封じ込める」方向で解決を図ろうとしている様子にも納得いかないものが。「街頭に出て行う政治・選挙活動を全てやめれば問題解決する」と言い放った方もいましたが、特別な技能がなくても誰でもできる言論活動そのものを封じ込める行為は今の権力者以外の意思を存在させなくすることにつながり危険です。

 自民党がいて、第二自民党といわれる維新がいて、第三自民党といわれる“極下”勢力がいて。今回そういう実力行使をしている“極下”勢力は上記のような社会にさせようとしているわけだから、さすがにこの件に関しては左だ右だ言ってられないのと違いますか。維新勢力の足立康史は「どんなことでも共産党と一緒に行動するのは嫌だ」などと述べていますが、さすがに今回はそうは言ってられないのと違いますか。

 少なくとも「つばさの党」がやってるような妨害行為はそれは違うだろうと申し立てることは必要だと思いますし、そういう出来事を伝える記事にいちいち左翼勢力を貶めるような文言を書く産経新聞のやり方にもイラつきを覚えます。

 ひとまず、よりひどい行為を招かないためにもここで止めていく必要があります。