癌じゃなかった

ある日、会社で仕事してて、ふと首筋の後ろを触ったら小さな膨らみがあった。

枝豆一粒くらいで少し硬い。

なんだろうと思って検索したら、どうやらそれがリンパのあたりの異変だとわかった。ただ、その時は細かく読むほど時間がなくて、その夜落ち着いてからもう一度ちゃんと検索して色んなサイトを読んだ。

その結果、最も悪いケースで悪性リンパ腫というもので、軽いもので疲労からくる一時的なものだとわかった。その違いは簡単には判断できないと書かれていたが、要約すると、軽いものは柔らかめで動く、悪性のものは硬くて動かない。あとは悪性だと急に大きくなるともあった。ほかにも、忘れてしまったが形にも色々書いてあった。

それらを総合的にみて、自分の症状は悪性よりの特徴があった。押しても弾力はないし、動かないし、急にできた。

そこで改めて悪性の場合のリンパ腫という病気について調べてみた。血液のガン、とたいていのサイトには書いてある。何年での生存率とか、治療方法とか、、自分で思ってたものよりかなり大変な病気だとこの時初めて知った。

37年間一度も現実味を感じたことのない「生存率」「癌」という言葉が、じわじわと自分事として頭をめぐり、それに連れて段々と不安も増していった。

このまま不安を持ったままでは仕事もままならないと思い、そのあたりを専門に扱っている病院を探し、数日後に検査に行った。

いつまでも若いとまでは思っていないが、それでも当時まだ37歳。きっと疲労のせいだろうと思いながら。

ところが、病院の診察で院長先生がそのリンパの膨らみを触るなり真顔になった。

少し硬いね、と言った。

そして、そのまま首筋やら後頭部を触診しながら、一つじゃなくてリンパに沿っての膨らみが二ヶ所できていて、後頭部にも複雑な形の瘤のようなものができていることも教えてくれた。

その場でエコー検査をすることになり、先生の言う通りの首筋の枝豆二つを改めてエコーでも確認した。

院長の判断は、どちらとも言えないけど、まずは抗生物質で一週間様子を見て、もし治らなければ大学病院で精密検査をしようということだった。癌でなければ、薬で小さくなるはずだと。

それからの一週間は、寝起きから一日中、気がつけば首筋を触るようになっていた。少しでも小さくなっていればと思いながら。

ところが、毎朝毎朝祈るように触ってみるが大して変化はなく、ついに一週間が経った。

全く小さくならず後頭部の瘤と首筋の膨らみも全て大きさはそのままだった。

このときはもう気持ちは真っ暗だった。精密検査とは、病状を確認するためであって、そこまでいったらもはや病名は確定しているのだろうと勝手に思い込んでいた。

この時の2,3日間は、本当に人生について真剣に考えた時間だった。自分にとって大切なものはなにか、家族はどうするか、自由が残り少なくなったとしてどう生きるか、そんなことを今更考えた。

元々30歳になった頃から、死ぬまで仕事をしていたい、何かしら社会と関わりながら働いていたい、必要とされていたいと思っていて、それを目標にキャリアを築いていこうと思っていたので、ある意味で老後を考える必要がなくなったわけで、ここだけはすんなりと決められた。

できないことなど何もない、今のこの仕事、この会社で動けなくなる瞬間まで身を投じようと。

ブラックな社畜と言われればそれまでかもしれない、けど自分がこの世に何かしら貢献ができ、名を立て、それにより家族や仲間が自分を誇らしく思えるとしたら、それは今までやってきたこの仕事の延長だろうと。

今更リゾート行っても気分など晴れないし、ゆっくり過ごすなんてむしろ拷問でしかない。自分と自分を信じてくれる人の誇りのために、死ぬまで働くんだと決めた。そうなるともう土日だの深夜だのなんてどうでもいい、やりたいことやるべきことと、それに必要な時間と残された時間を見比べるしかない。回り道をしている暇もない。

あとは最後の最後まで親孝行をしようと、実家に戻ることも考えていた。ただ、どうしても親にこの症状のことは話出せなかった。

 

そうこうして、診察の日になった。

院長はやはり難しい顔をしたままだったが、少しポジティブな言い方で、大きくはなってないね、と言った。

これだと、まだどちらとも言えないなと。

勝手に確定と思い込んでいただけに、少しだけ救われる思いだった。

違う薬でもう一度様子を見て、それでも変わらなければ、精密検査にしようと。

この頃、ちょうど自分の状況を正確に理解しようと、色んなキーワードで何度も検索して似たような症状の人の記事を読み漁った。ただ、ネットにポジティブな記事はなかなか見つからなかった。唯一救われたのがツイッターで、同じキーワードで検索したときに、同じ症状の人が「疲労でよくできるやつ」と言った軽い調子でツイートしていた。

そうして、願うように過ごした2回目の薬治療を始めた4日目の朝、膨らみが小さくなったのを感じた。

その翌日には、さらに小さくなり後頭部の腫れも引いていき、3回目の診察に行くときには、もうすっかり跡形もなく、院長からもこれならとりあえず大丈夫とのことで、この診療は終わった。

 

ただ、ネットのいくつかの記事では、膨らみがなくなり診察で特に問題なしと言われてから、半年後に同じ症状がでて、悪性が進行していたという記事もあった。

それもあってこれを書くまでに1年という時間をおいた。

 

あれから1年以上経って、いま特に同じ症状はない。

今思えば、詳しい人からすれば、何を大袈裟にと思うレベルのことだったと思う。ただ、あの時の不安との折り合いや生き方を考えぬいた覚悟は、自分にとっては本当に良い経験となった。

この文は、その大切なことを忘れないために、備忘録として残しておきたかったことが一つ。

そしてもう一つが、あの時どんなにポジティブになろうとも、どうしてもネットで「リンパの腫れが硬くて、動かなくて、急に大きくなって、それでも何でもなかった」という記事を見つけられず不安になったので、せめて自分はここにその一例を残したいと思ったこと。もちろんこうした症状がでれば必ず病院で検査をするべきことも付け加えつつ。

なお、あれから健康診断は年に2回必ず受診することにしています。