ソウゾウ

 

時間があったのでいろんなことを考えた

 

私は考え出すと、止まらない。 

 

 

わけではない。

 

 

考えれば何かしら自分を納得させる答えが出てくる

ことが多い

 

 

 

創造について。

最近よく聞く言葉であり、使う言葉であり、得意な言葉である

創造力は比較的豊富な方だ

でもそれはなぜ?

どんな時に生まれる?って5分くらい考えた。

 

答えは

余裕がある時、暇な時、何かしたい時。

 

そしてもう一つ大切なことがある。

満足している時だ。 

 

私は満足すると突然退屈になる。

 

はぁ、お腹いっぱい幸せになった。

(3拍浸る)

はい、次、何して遊ぶ?

 

突然退屈になって、何かが欲しくなったり、何かしたい欲求に駆られる。

この満足を破壊したくなる。

この完成した満足感を超えたもっとより大きな満足を求める。

 

そんな時に想像して創造する。

 

そうやって産まれる。

私の変な思考回路や、突然創り出す何かや、唐突に始まるディベート

全部、そうやって産まれてくる。

 

唐突に始まるディベートは、私にとってひらめきの過程ではなく、あくまでもアウトプットにすぎない。創造によって産まれたものだ。私は話しながら根本的な考えが変わることは滅多に無いからだ。

 

 

 

 

空から何かインスピレーションが降ってくるのも事実だが。

それは、それを欲しているからだ。

 

この世界は、欲しいと強く願えば、わりとなんでも集まってくる。

 

それは思考だって同じ。

 

 

 

私は貪欲である。強欲である。

 

 

しかし待っていても神様は気付いてくれない。

 

 

だから私は創造する。

 

愛を知る

 

彼氏が名古屋勤務になった。

 

 

親友には遠距離恋愛は無理だと言われた。

わたしが、彼の元に行くという選択肢がないことを知っているからだ。

 

 

それなのに何故名古屋勤務なの?と聞いたら

「愛を知るためだよ。」

さすが我が彼氏。3年近くわたしの彼氏をやっているだけある。

 

 

それはそうとして、

愛を知ってどうするのだろう。

 

"わたしと遠距離恋愛"

というかなりイージーモードな遠距離恋愛で 

何を知るというのだろう。

 

病みもしない、今すぐ来いとも言わない、会おうと言われたら会う、電話しようと言われたら時間も作る、毎日返信もかかさない、彼が疲れている時は愛を語るし、わたしは疲れない。

 

 

そのかわり、わたしは自由だ。

彼は、わたしとの遠距離恋愛 ではなく、

わたしの自由を心配した方がいい。

 

愛を知るのではなく、

わたしを知った方がいい

 

 

まあ、あのタイミングで愛を知る以外の回答は許されなかったけどね。愛知だけに。

 

 

 

 

 

 

大丈夫、きっとハッピーエンドだから

 

宝玉

 

 

きっと、

大切なものを一つずつ大切にしてきてしまったから、

一つ一つ同じ価値の、持ち運ぶこともできない宝玉を綺麗に大切に何個も愛してしまっているから、

なにもひとつに選べなくて、

最終的に行き着く先は、ただ自分がこの宝玉の前、此処に在ればいいだろうと。

 

 

 

そうして誰のものにもならず、

自分も宝玉の一つにしてしまい、

孤独になっていくのだと思う。

 

 

そうして孤独な私を包み込んでくれる、私の大切なもの達がいて、

 

また私は誰からも離れられず

 

孤独になるのだと思う。

 

でも、これを好き好んでやっているから。

好き好んで大切なものを一つ一つ大切にしてきてしまってるから、きっといい。

 

 

そういえば、この間見たドラマで

「孤独はすばらしいが、
 孤独はすばらしいと
 言ってくれる人が必要だ」

 オノレ・ド・バルザック

 

と言う文章があった。

私は、私に孤独は素晴らしいと言ってあげるしか他ない。

 

 

 

私の愛する人たちへ。

私は孤独であるが、それはあなたたちを愛しているからで、

私が孤独でなくなった時、

それは自分の分身かのように美しい、自分よりも愛するものが産まれた時であるだろうと思うから、

その時は、宝玉から解き放たれ、それと一緒に大切な宝玉を眺めながら、これが大切なものだと教えるのだと思う。

 

 

 

 

美しい世界

 

この見えない、うちに秘める使命感がなければ、

 

もっと自分自身に泥酔して、

恋人に溺れていたと思う。

 

思えば私は何故か世界にこだわっている。

自分の世界。あなたの世界。

私とあなたの世界。

人間が生きる世界。神の世界。

 

 

そしてこの穢れた世の中。

 

 

思えば私は何故か世界征服が夢だと語る。

夢は世界征服。

世界平和を夢見ている訳では無い。

だって、世の中の認識する世界平和は決して平和ではないし、平和とは犠牲であり、平和とは不平等であり、平和とは不可能であるからだ。

 

私が欲しい世界は、美しい世界だ。

全ての均衡が保たれている世界。

 

 

だから私はこの穢れた世の中に向けて、

世界平和という単語を使わない。

 

そしてこのまだ無力な自分に、

地球征服や、宇宙征服などの、固有名詞を与えることも出来ない。

悔しいところだ。

今の私の頭の中は自分の世界、

自分の守るべき世界のことでいっぱいだ。

 

 

世界征服の幅をもっと広くできたらいいと思う。

 

使命感。

 

神から授かった使命であることは間違いない。

こんな使命感を忘れずに持ち続けていようと思う。

どんなに辛くても、

どんなに溺れそうになっても、

 

私の世界征服は、完了させる。

 

時には強欲で、傲慢で、凶器的であったとしても

溢れんばかりの愛を底なしの水瓶いっぱいにしておこうと思う。

 

 

 

 

 そして世界征服が完了したなら、

自分自身に泥酔して、

その美しい世界に愛する人と溺れたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

個性という芸術

 

道端にポロッと芸術が落ちていて、

 

それを楽しめる感性と、余裕を持つ人間が住む世界にしたいし、

 

ファッションは身に纏う芸術と呼びたいし、

 

個性を芸術にカテゴライズできたらいいし、

 

そうしたら個性を極めて表現した人がアーティストになるし、

 

差別という言葉が個性に変わって

個性が美しいものになって

芸術として受け入れられる

 

 

とりあえず、そんな世界にしようと。

 

 

 

 

answer

 

過去も未来も、見たくない。

そんな印象だった。

そんな彼女と

過去と未来、どっちに行きたい?

2年前にそんな話をした。

 

高校生の時に親友と過去と未来の話をよくしたから、その名残で軽い気持ちで聞いてしまった。

幼い私達は、過去の自分や、未来の自分に、言ってやりたいこと、お互いにしてやりたいことを語り合った。 過去の自分や、未来の自分に会えることがさぞ当たり前のように、なにを言うかを丁寧に話し合ったのだ。

そして最終的には、未来の自分なんて、今と全くおんなじ事言ってるよ。だったら過去の自分達を馬鹿にして帰ってこよう。

そんなオチどころだ。

 

過去と未来、どっちに行きたい?

こんな私にとっては当たり前のふざけたような話が、きっと魔法使いの言葉のように聞こえていたのだろう。

 

選べない。

 

すごく真剣な答えが返ってきてすごく驚いたのを覚えてる。

理由は沢山あったけど、今までずっと、過去も未来も消しさって、今の今を精一杯生きてるんだな。そう思った。

過去も未来も行かない。

ではなくて、

行きたくない。見たくないから。

とこんなふうにも聞こえた。

それはそれで新しかったし、その閉ざされた水瓶の中を知りたいと思った。

選ばないという選択肢、選ぼうとしない選択肢、

私にはあり得なかったけど、選ばないという選択肢を持つ、決めつけのない、優しい人だと思った。

そして、きっと答えは考えていないだけ、もしくは、教えてくれないだけで、この先に確実に導き出される彼女のその回答用紙を知りたかった。

 

 

そんな彼女が回答用紙をやっと見せてくれた。

答えのない2択問題の答えを初めて彼女から聞いた気がする。

きっと悩んで出した答えではない。

真剣に考えたものでもない。

過去も未来も自分のものにしたのだと思う。

 

 

彼女は、昔、友達は本と同じだといった。

私のことを愛を教えてくれる本だと言った。

本当は、白紙の本に文字を一緒に綴っていた事に気づいてくれただろうか。

本棚に詰められた過去の本は全て読み終え、未来の本を閉じた彼女は、きっと自分の物語の作者になるのだろう。

最期まで主人公の隣に薔薇を添えてくれたら嬉しい。

そしてこの先、ネタバレをし合いながら生きていけたらもっと嬉しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ハッピーエンドを前提に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼女の模範解答は、私だけのものにしておく。

 

 

 

 

あなたは何色が好き?

 

私は何色が好き?

私って何色が好きそうですか?

 

私が似合う色は、だいたいブルーベースの肌色に合うものだ。

でも、似合う色だからって別に好きな色では無い。

 

世の中の人間の大半は、色でも何でも、自分が似合うもの、自分に似ているもの、自分との類似で物の好き嫌いが分かれるように見える。

逆もある。これ、この人、好きだから、タイプだから、自分っぽい。それだけの感情で似合わないものを無理矢理身に纏ったりする。

 

わかる。気持ちはわかる。

私は、好きなものと似合うものが偶然か無理矢理かわからないが大体同じだ。だから何も考えずに好きなものが似合う。

しかし、そんな事は言っても私が纏うものが私の全てではない。

好きなものの中にも似合わないものはある。それはそれで身に纏う事はしない。

 

好きだから手に入れたい。

自分の感性に似合うものを自分の一部にしたい。

 

薔薇が好きだ。

だから薔薇の似合う女になった。

それだけだ。

自分が薔薇っぽいから薔薇が好きになったわけではない。もし、どうしても薔薇が似合うような容姿でなかったとしても、薔薇の概念を変えるだけだ。

私が薔薇を愛している限り、どんなに年老いても私は薔薇の似合う女でいる。

 

 

好きになったら手に入れるしか無い。

しかし全て自分が纏う必要はない。

手に入らないなら、手に入れるという概念も無くせばいい。自分の一部にしてしまえばいい。

自分の一部であるなにかがそれと合えばいい。

 

 

薔薇が手に入ってもサボテンがどうしても手に入らないのなら、サボテンを一部にしているなにかを探せばいい。

 

 

そして、言いたいことは、自分が好きなものを手に入れろという事。 そして、好きになったものが自分の一部になるのだから、一生手放せないということ。

それは物だけではないって事。

 

 

私は薔薇が好きだ。

薔薇の美しさに溺れたのだ。

きっと一生手離す事はないし、どんなに薔薇が怖くても、一生付き纏うはずだ。

きっと私が死んだ後も、私の仏壇には薔薇が飾られるだろう。

そのかわり、どんなに老いぼれても薔薇が私を美しく映しだしてくれるだろう。

 

 

愛でたし愛でたし