言語遊戯

小説や詩や雑文やら言葉との戯れ( `ー´)ノ

だれだれの引用とかwww

だれだれの引用とか、大いなる権威が言ったこととか、もうどうでもいいんだよね。

 

そんなこと、世界中の大天才、思想家、著述家が正論を言い尽くしている。

 

じゃ、なぜ、そんな正論が世の中で通用せず、悪が表立って、弱者が蹂躙されているのか?というのが問題じゃないかと思う。

誰も戦争状態が悪いというのは分かっているはず。

それを誰かが行うのは利権、お金が欲しいからだろう。

 

お金のために、殺戮や暴動を煽っている勢力がいるという背景をなぜ指摘しない!

ほぼ民衆から生じたデモみたいないものは、アラブの春で、大いなる嘘として分かったことではなかったか?

 

だれだれが言っている!権威あるものが言っている!そんなことで大衆や無知な人々は、大きな気分になって、自分もその波の中の中心にいると勘違いするのかもしれないけれど、何かを国や誰かに求めることはその人が大いに暇だからやるのだろう。

一日一日が生きるのに精いっぱいな毎日の中で、何かを変えようなんて思うことさえもしない、できない、それが現実なんだと思う。

 

我々が知っている物語では、ダークヒーローを倒す正義の味方がいるんだけれども、世界中の独裁者が、国民を弾圧しようが、虐殺しようが、誰もそれを止める術を持っていないのをネットの記事やニュースで見れば、絶望するほど感じてしまうし、かといって自分には何もできず、いやはや日常でさえ、ふつうに過ごすことが精いっぱいなのに、どうして知りもしない他人にユニセフやら募金など、感情移入できるのだろう?いや、感情移入はできるさ、でもそれは、自分の中のヒロイックな部分に酔いしれているだけはでないのか?俺はこれをしていることで満足だ的な自己満足なのではないのか?

 

近くの人には感情移入できる、いやしていると錯覚しているだけなのかもしれない。遠くの人種も違う、国籍も違う人間に、どうやって何をできるのか?自分が満ち足りないのに、何を他人に対してできるのか?この狭苦しい、みみっちい自分を思うと悲して虚しいが、多分、これから先も自分は何もしない。悔しいが世界なんか変えることができない。自分自身も変えることができないのに。どうして他人や他者が存在する社会を変えること、一滴でもいい波紋を与えることができるだろう?なんてこと思いつきもしない。

20歳のころは自分の手で世界や自分自身を変えることができると思っていた。だが、挑戦してすべてうまくいかなかった自分は、40歳を超えて、ああ、やっぱり勘違いしていたんだなあと思った。自分の器がこんなに狭くて、能力も無く、手持無沙汰であることに。

ニーチェ、ジョンスチューアート・ミル、ハイデガープラトン、(世界の名著的な本ほとんど)や、カール・ポパー、いろんな哲学者や文学、歴史書をたくさん読んだけど、それを引用して何かを書いたとして、何かが変わっただろうか?

ただただ、ああ、正論だな~とそう思うだけで、社会では、世界では、いまだにこの正論はほとんど使われず、悪が蔓延っている。

誰もその悪を取り除くことはできず、解決策は今までの手法では対応できないのではないかと思う。

ブレイクスルー。それを突破できる、思考法。

そう、もう誰かの権威を引用するのではなく、だれだれの経験をシェアする時代。

それが世界をよりよくすることであると信じたい。

モンゴル帝国がプラットホームになって世界史を急激に推し進めた~キュレーションの時代

ツイッターでよく見かける佐々木俊尚さんの著書。

 

面白かった。言いたいことは分かった。

時代は変わるということ、マスコミは死んでいるということ。

これは分かってる。だって、ブログの記事とかをTVで読むだけでニュースとかやってるもんね。これじゃ終わったと言っても当然だよ。

 

新聞の広告収入も織り込みチラシばかりのような気がする。

 

地方紙取ってるけど、ほとんど同じ広告ばっかり。

 

もうネットに取られてるんだよね、広告収入は。

すでに、パソコンの売り上げが激減し、若い世代はパソコンが使えないという。

 

スマホがあれば検索なんかできるので、ワードとかエクセルとか使えないらしい。

 

大学生もレポートを今頃手書きで書くようだ。キーボードも打てないらしい。

 

まぁ、もうちょっとすれば、キーボードなんかも要らなくなるだろうけどね。

 

閑話休題

 

プラットホームの定義

 

第一に、圧倒的な市場支配力を持っていること。

第二に、非常に使いやすいインタフェイスを実現していること。

第三に、プラットホームの上でプレイヤーたちに自由に活動させる許容力があること。

 

これはまさに現代のインターネット。

 

モンゴル帝国

 

第一に、圧倒的な軍事力でユーラシア大陸のほとんどを支配した。

第二に、大陸間接税と代用通貨による利便性の高い通商システムをつくった。

第三に、文化や宗教、言語への不干渉主義をつらぬき、各民族が独自の文化を発展させることをみとめた。

 

 

 

 

 

Eブロック 第一回

小湊めぐまは、動揺を隠せないほど狼狽していた。

>>Eブロックを調査しろですって?

 

車は猛スピードで自動運転をしている。道路の舗装はあまり良くないが、ホバークラフトのように、浮き上がって走行しているので、道路の状況によって衝撃を受けることはほとんど無い。

 

Eブロックの調査を命じられたのは、今年採用3年目で主任に任じられた小湊めぐまと、課長補佐の加手島真である。

小湊めぐまは、小学校はバレーボール部、中高は憧れの先輩が陸上部だったという理由で入部した運動大好きな、大卒で25歳の女性である。一緒に同行する彼女の直属の上司、新人の時からの教育係の加手島真は、35歳。小湊と高校が同じということもあり、先輩後輩の関係でもあるのだが、気の強い小湊めぐまにいつもタジタジな加手島であった。

 

>>瀬木川課長と山川田くんの連絡が付かなくなってから、2週間・・・表向きは彼らの調査なんだけれども・・・

 

そう思いながら、操作をしない運転席に座る加手島は、西郷丸局長から、極秘に任務を受けていたことを思い浮かべていた。

 

局長室に、小湊めぐまと加手島は呼ばれ、瀬木川課長と新人の山川田がEブロックに調査に行ったのはいいが、連絡が付かなくなってから2週間も経ち、埒が明かないので、再度二人の捜索とEブロック調査の命令を受けたのだった。

あまりの急な命令とEブロックという場所が場所なうえに、小湊めぐまは絶望的な顔をしていたうえに、急に吐き気を催したようで、失礼しますと言って局長室を退室していったのであった。

 

>>大丈夫か?小湊くんは・・・しかし、まぁいい。実は瀬木川君、今回の件は、極秘任務が実はあるのだ・・・これは小湊くんには言わないでくれ。

 

そういって西郷丸局長が録音した無線の音声を聞かしてくれた。

 

その声は、新人の山川田の声であった。

 

>>本部、本部、応答願います・・・誰でもいいです、助けてください。やばいです。

 

最初は全く聞き取れない声だった。なぜ、ボソボソ喋っているのか?西郷丸局長が音量をアップしてようやく聞き取れた内容だった。

 

そして次の瞬間。

 

>>うわあああああああ~うぎゃ~あああああ

 

その大絶叫のあと、バリバリ、ゴリゴリ、何かに骨ごと食われているような音で無線は途切れていた。

 

あまりの衝撃にしばしの沈黙が続き。

 

>>こういう現状だ。二人が生きている可能性は皆無だろう。しかし、彼らの生存が認められない以外、我々は調査しなければならない。警察や軍を使いたいのだが・・・君も知っての通り、警察はAブロックまで、軍はCブロックまでしか、行政権は発動できないことに我が国では国会で決められた。皮肉なことに、海外では軍の行使はできるのに、国内ではCブロックまでしかできない!

 

そう吐き捨てるように西郷丸局長は言った。

 

>>仕方がないが、我々、南日本州K県Aブロックの仕事になってしまうのだ。

 

深呼吸をしながら、西郷丸局長は極秘任務を瀬木川に命令した。

 

案山子の憂鬱 第一回

その晩、奇跡が起こった。

 

案山子は、稲妻をその目で見たのだった。

いつも見ているおじいさんとおばあさんの農作業姿ではなく、確かに稲妻を見たのだった。

そしてその稲妻を見た瞬間から、案山子は、自分の体が自由に動き、思考もできることに気付いたのであった。

 

案山子は本来、案山子であるべきだった。いいや、今でも案山子であるに違いないが、案山子は人間的な心、体を持った、完全なる案山子へと変貌したのであった。

自由を手に入れた案山子は、雨を感じることができた。激しくなる雨に叩きつけられながら、思った。

>>コレガ雨。ハジメテノ雨ダ・・・

おもむろに、案山子は体を括り付けている縄を外そうともぞもぞと動き始めた。足を縛っている縄はしっかりと固定していて動きそうになかったが、幸い、右手の縄はただ引っ掛けていただけだった。

その縄を外し、左手、両足と外していくと十分自由になった気がしてきた案山子は、喜びのあまり雄たけびをあげた。

 

案山子が案山子として存在していた田園風景は失われつつある昔の日本だった。農業は本来、自然破壊であるが、田舎の農村は、破壊を緩やかにすることにより、自然の治癒力と平衡しながら、自然を破壊することなく、共存を図ろうとしていた。

 

大規模農業はその均衡を破ろうとするが、小規模農業は、破壊と治癒の融和により、プラスマイナスゼロを保とうとしている。そのコンセプトは、自給自足。つまり、足るを知るだ。案山子が育った環境は、まさにその農業がおこなわれている地域。現代で言えば、限界集落。その限界集落の高齢の農家の家で生まれた。生まれたという表現がおかしいなら、作られた、創造された。そう、案山子は過疎の村の高齢なる老婆より創造されたのだ。旧約聖書で神が人間を創造したように、案山子も老婆によって創造されたのだった。

 

 

 

 

 

 

はじめまして

はじめまして。相楽独帆と申します。

年齢非公開、性別不問と言っておきましょうwww

 

昔は小説や詩やらいろいろと書いていまして、ノートも数冊あったのですが、処分するのももったいないし、匿名でネットで公開していくことにします。

尚、未完成の作品ばかりなので、悪しからず。

 

最近は小説をあまり読んでいません。映画ばっか見ています。

オススメはロッキーファイナルですwww