推しがDVDを出しました

(これを書いていたのは2019年1月とか2月辺りです。下書きに残っていた記事のパッションが自分の事ながら面白かったので今更ですが放流します。)

 

 

 

91日振りです。

91日も空くと年が明けるし自己を取り巻く環境も変わってくる。会社を辞めたり、新しい縁と悪い縁の総取っ替えが起きたり、人に対しての自分のスタンスを見つめ直したり、結構楽しく生きたと思う。

 

投稿はしていなかったけれど変わらず自分にできる範囲で応援はし続けている。

記事を更新するまでに至らない程度の揺れは日々あったものの、一個ヤバイ出来事があったのでこうして文字を打ち込んでいる。着地点はなく、誰かに見られるということも特に意識しないまま、あ、こいつオタクだという事だけが分かる文章が以下続くので気を付けて欲しい(読む人が万が一居たらの保険をかけておく)。

 

うだうだ言いましたが、長文ですし読みにくいです。読み終わってからクソオタク文法にクレームは付けないでくださいね。あとこれは推しのネガキャンでもなければ愚痴でもないです。

 

 

先日、推しがDVDを出した。タイトル通りである。

結論から言おうとしたが、一言で表すには余りにも乱暴で、且つ自分の複雑な心境を未だ結論付けられていないことに気付いた。一体あれはなんだったんだろう。

 

ある日突然の外国行ってきますツイートからそれは始まった。訓練されたオタクは写真集かDVDか、とある程度予測が付いたんだと思う。あー前に修行と称して外国行ってたな、それか??と頓珍漢な考えでいた私は本人による後日の「DVD発売します!」ツイートでオッフ………とちょっと頭を抱えた。何故なら大体脱ぎが入るからだ。いや見たこと無いんだけどイメージ。よくツイッターで見るもん、水滴る上裸の写真。別に脱ぐ必要があれば別だが雑に消費されるだけの推しの裸見たくないです!最遊記はありがとう!だがうら若き少年少女が肌色で売る時代はさっさと終われ!私が好きなのは田村心の人間的な部分とか演劇の話をし出すとちょっと青臭くてポエミーになるところであり裸ではない!脱ぎに頼ると番組が弱くなるって某妖怪ウォッチのお兄さんが某SHOWROOMで言ってた!てなもんで、若手俳優の個人頒布物でありがちな上裸とかベッドでおはようとかそういうのが無理な私は真っ先にそこの心配をした。脱ぎは要らぬ、要らぬのだABP.incよ。頼むから脱ぎだけは要素に入れないでくれ。

 

そして迎えた対面イベント初日。奇しくも私の地元だった。地元のCDショップに田村心が居る。それはもう喜んだし、嬉しかったし、普段の数百倍人間も世界も素敵に見えた。イベントが始まる前に黒壁からぬっと出てきて「おはようございまーす。今日はよろしくお願いします」と赤チェックのクソダサセットアップ(わたしの主観。すみません)で出て来た時は脳の処理能力が落ちてしまった。多分「これでチェキ撮るん?」が2割、「スタッフみたいにぬるっと出るな」が3割、「始まる前に元気に挨拶が出来て偉い天才」が3割、「突然の推し出現に着いていけない」が16822463166542684割って感じ。きみは、その、なんだ、通り魔か?

 

内容は割愛しますが、それはもう優しく可愛らしく男前で素晴らしく、本当に同じ人間かと思うほどにうつくしい生き方をしていらっしゃるお方でありました。今も何一つその想いは変わっちゃいません。いませんとも。

 

問題はその後帰宅して見たDVD本編

なんだあのクソダサい出来は!?!?!!!?!?!!!!?!?!!!?!?!!!?!!

 

若手俳優界隈全然知らんし田村心以外のDVDを買ったことがないんだけど比較対象が無い状態でも脳に直接「これはダサい」と流れ込んできた。取り急ぎ制作会社に伝えなければと本気で思いオブラート10000枚くらいに包んだクレームという名のご意見を送った。形容すると「今まで動画制作も関わらず碌にその俳優の事も知らない人がパソコン教室に1ヶ月通ってパワポで作った動画約80分」って感じ。終始笑ってた。映ってるのが推しで良かった。一番心配してた脱ぎはまぁ無かったけれどこの感じのままシャワーシーンがあったらギャグでしかない。回るマゼンタのゴシック体で【筋トレの成果!】なんてテロップが出ようもんならきっと私はもうありとあらゆる言葉をオブラートに包まないままご意見メールを送っていただろうと思う。大人になれよ、自分の思い通りに事が進まないからと喚くのが許されるのは五歳児までだ。

 

それでも制作会社へのヘイトは止まらなかった。逆に私が面白おかしくツイートでもして、そこそこバズって、関係者の目に止まって次回から制作会社が変わればいいのになと本気で思った。あまりにもオタクを舐め過ぎている。売上全額が推しに行くなら良い、でもきっとそうではない、このクソ編集をした会社に利益も入る。許し難かった。だがしかし、人間の本性が出るのは「自分に正義があると思い込んでいる時の言動」だ。人の感性は十人十色千差万別であり、この私がテニミュDVDのパンフレットに載ってるキャストの私服よりクソダサいと思っている編集は、誰かにとっての神編集かもしれない。私の正義は本物か?誰にも分からない。

 

それでも制作会社へのヘイトは止まらなかった。毎日どうしてと頭を抱えた。だが既に購入済みの予約券がある。購入してしまった予約券が手元にある。推しに会える上写真が撮れる。行ったよ。行ったさ。増える虚無円盤はほとんど開けずに今もある。DVDのイベントなのにご本人に感想も伝えられず、内容にも触れられず、応援している旨のみを伝える悲しさ。推しの前で嘘をつける自信がなかった。きっと私は下手だから上手く笑えないし、きっと推しは聡いから察してしまう。真心を込めて話してくれる推しには本心で向き合いたかった。

結果として、これは一体なんだったんだ、の感情だけが残った。いつでも一生懸命で前を向いていて素直で真っ直ぐでキラキラしていて、消費されるだけの存在であってはならないはずなのに。

私だけでない大勢の人が大事にしている推しを、こんなにも雑に扱われた事が苦でしかなかった。あ〜オタクのお気持ち表明終わり!

 

まぁ被害者ヅラして書いてますけど1番の被害者は推しだと私は思っているし、そんなにボロクソ買わなきゃいいじゃんと私も思う。でも中身見たの買った後だったんすよね〜〜!!!!やり場のない怒りはここに、建設的な意見は制作会社に。てな感じでした。vol.2に続くの文字見て絶望したの私だけじゃないよね。そうだと言って。

 

シーグラスになろう

推しが昨日誕生日を迎えたのではてブロを開設した。

(風が吹けば桶屋~レベルで因果の薄い関係)

 

 

 

 2年。

昨日は奇しくも、私がこの界隈に足を踏み入れてから2年目の記念(?)日だった。友人宅で開かれた某舞台のDVD鑑賞会に参加し、ハマり、その勢いで作った、今はもうあまり稼働していないツイッターのアカウントが唐突にそれを知らせてくれた。かつ、1年前に読んで甚く感動したはてブロに、突然再会した。あの後どれだけ探しても見つからなかったのに。

例え因果がどれだけ薄かろうと、それらをこじつけ「運命」と呼ぶのがオタクの得意技である。故に、思い立ち、アカウントだけ作ってあったここに、記事を投稿した。

 

この2年のROM生活での出来事をアウトプットする場所が出来た事が、ただ単純に、うれしい。これまで、孤独な生活を送っていた訳では決して無いが、自身の本当のおもいを声に出す機会もまた無かった。

 

相手に伝えたいことは、ありがたい事に今の所全て手紙で伝えられているので、此処は「伝えたい」に該当しない事柄を私の言葉で綴ろうと思う。

例えばインタビューでの一言から考察する人物像(本人には死んでも言えない。何故なら本人だからだ)。例えば答えの出ない疑問(果てのない殴り合いはなぜ生まれるのか)。例えばこの界隈の苦手な言葉について(名詞として使われる「推し」と「現場」という言葉が苦手だ)。例えば好きな所(恵まれた環境に居る事を理解し謙虚な姿勢を崩さない所。実は青臭いボキャブラリーを沢山隠し持って居る所。写真を撮る時のピース。反り過ぎる親指。笑った時アーチ状になる目)。

プレゼンもいつか書きたい。先述の、甚く感動した記事というのは、spiさん推しの方が書いた記事だった。いつか、このツールに慣れた頃にでも紹介したい。

私が抱いたあの気持ちを、誰かに抱いて貰えたら嬉しい。「この人はこんなにも素敵なんだ」と満ち満ち溢れるエネルギーが、応援している俳優さんの評価に繋がったなら、涙を流しながら踊る。

 

ただ、ひとつ自分語りをすると、わたしは「この言葉を受け取って、相手はどう思うだろうか」「手紙で私の名前を見る度眉を顰めてはいないだろうか」と、悪いことをした覚えもないのにうだうだと不安になる時が結構な頻度で、ある。相手をそういう性格と評価している訳では決してない。きっと、沢山届いているだろう手紙の送り主も覚えていないのが普通だし、それでも好意を向けている人からの評価は得てして気になるし、且つ元々のマイナス思考の影響もあり、兎に角怖いのだ。

 

これからの記事は、そんな人間が綴る言葉で構成される。

 

2年間は総評としてはあっという間だったが、ここが殺伐とした空気を纏う界隈だと理解するには十二分だった。山程、マイナスなワードを見かけた。ツイッターにいると否が応にも押し寄せる濁流に、疲れてしまった。

 

インターネットという広大な海は、私が何を書いても受け入れてくれる。だがそこで泳ぐ人が居る事を忘れたくない。砂に潜むガラスの欠片にはならない。なぜ今改めてこれを宣言するかと言うと、かつての私は確実にガラスの欠片だったからだ。その事について、いつか書くかもしれないし、書かないかもしれない。でももう二度とそうはならない。

 

一発目の記事だからこそ書こうと思った。鋭利なガラスの欠片も、海に揉まれるときれいなシーグラスになるんだぜ。なんて。

他人に対する高尚な語り掛けなど到底力不足で出来ないけれど、己に対してなら常に「お前はそれで良いのか?」と問いかけていたい。

そんな宣言代わりの投稿を初っ端に据えておく。