さっきぃの休息所

大学生になり、今までの生活が一変する中で、自分が感じたことや悩んだこと、経験したことなどを綴っていきます。

【近況報告】修士一年後期前半振り返り

 

「後期前半」とかいう意味不明なタイトルお許しください。

 

弊学は10月から後期が始まるという二学期制を採用しております。ということで、10月から現在11月22日までの怒涛の日々を振り返りつつ、自身を賛美し、自己肯定感を上げていきたいと思います。

 

【四大イベント】

 10月半ばから11月半ばまでの約一か月間に、実に4つの大きなイベントがありました。以下がそれらになります。一個一個振り返ります。

 

 

奄美大島での現地調査】

 修士一年は「自主企画」という名の単位を取らなければならず、学生は「三日以上のインターンへの参加レポート」か「自身の研究とは異なる研究のレポート」を提出する必要があります。我々の研究室では例年後者を選択します。今年も例にもれず、後者の研究の一環で沖縄列島の島国へ現地調査をすることになりました(内容は割愛しますが、沿岸域の測量みたいなものです)。

 

 ホテルなどの手配などもありますので、準備は9月から進めていましたが、当日になっても大量の不安を抱えたままでした。以下がその主たる不安です。

  • 普段は教授が経験者兼運転手として同行するが、今回は参加できず、引率が未経験者になった。
  • 唯一の経験者が博士の留学生。ただ日本語は話せない。
  • 我々は全員英語が話せない。
  • したがって、何をすればよいかという具体的なイメージがつかめないまま当日に。
  • 同期が指示をしないと僕の求めるクオリティの仕事をしない。
  • なので、難しい機材の担当を引き受け、僕が全員に指示を出す立場になる。
  • 難しい機材はデータも取り出すのが難しい上、そもそも言うことを聞かない。サポートセンターも対応がずさん。

 特に唯一の留学生である学生は機嫌のアップダウンが激しく、想像通りにならないと態度に出て大変です。そういう面からも、晩御飯の場所や空き時間のレジャーも含め、様々なことを決めておきたいのですが、経験者がいないので見通しも立たず…という絶望的状況でした。

 こういった不安は見事的中し、空港でのいざこざなどで留学生の機嫌は悪くなる一方でしたし、初日と二日目は地獄でした。

 ただこれを地獄と感じているのはおそらく僕だけです。なぜなら同期はそういうことに気が回らない人間だから。

 

 相談もできず(初日の夜に引率の研究員に相談に乗ってもらいました)、ちゃんと十分なデータが取れているかもわからないというふわふわした状態のまま、このイベントは終了しました。

 久々に本当につらい時間でした。

 

【台湾での発表】

 10月25日~10月28日は台湾でゼミが開かれました。これには我々の研究室からほぼ全員が参加し、修士以上の若手中心で研究発表をしました。

 

 正直以前のシンガポールに比べ、外国に行く緊張感や発表への緊張は少なかったですし、研究発表の内容もほとんどシンガポールと同じでした。ただ、つらいポイントは主に3つありました。

  • 奄美大島から帰って(18日)すぐ準備をしなければならなかった。
  • この短い準備期間の間にシンガポールの学会の内容にプラスで何かを加える必要があった。
  • 英語の発表なので、原稿を再度覚える必要があった。

 特に一週間で何か研究成果を追加しろと言われたときはさすがに終わったと思いました。すぐに担当教員と相談し間に合わせましたが、担当教員にもたびたび質問しましたし、無理をかけたなという思いです。ただまあ、ふたを開けてみれば無事何事もなく終わることができたので、今振り返ってもいい経験になったなと思います。

 

 一応夜に少しだけ観光の時間もありましたし、いい旅になりました。

 

【横浜でのワークショップ】

 11月7日~11月9日は横浜でワークショップが開催されました。私の研究分野(に近い分野)の大御所先生が3人も同時に来日されるというお話を事前に伺い、「これは(知らない人たちだけど)参加しておこう!」と参加したものです。

 当初、先生方の講演を聞くだけかと思っていたのですが、登録してからポスター発表があると聞き、戦慄しました。しかも英語です。ポスター発表自体はじめてですし、ポスター発表は原稿を作成したら何とかなるものでもないので、口頭発表よりある意味質が悪いイベントです。なので、台湾から帰ってすぐにポスター作りに取り掛かる羽目になりました。

 

 ただこちらのワークショップは私にとって非常に身になるイベントになりました。特に、近い分野の研究者(修士や博士学生)とコミュニケーションをとって「あぁ、研究頑張ってるのは自分だけじゃないんだな」と実感したり、様々な方が自分の研究に興味を持ってくれているところを肌で感じたりしたことで、研究へのモチベーションが爆上がりしました。博士進学確率が2%から10%に増加しました笑

 

 準備は苦しかったですが、参加してよかったなと切に感じています。

 

【京都での学会】

 ここまで怒涛の日々を送ると、自分の中でもレベルアップした実感がありました。なので、この学会もかなりフォーマルで研究人生の中でもかなり大きなイベントの一つなのですが、「日本語の学会」というだけでかなりハードルは低くなっていました。

 

 11月15日から11月17日まで三日間に及ぶ大きな学会ですし、スタッフとして朝から働きつつ、自身の発表の準備もするというのは非常に体力的に苦しかったですが、特に大きな事故もなく無難に終えることができました。この結果は大きな自信につながる結果です。というのも、普通の大学生なら「一年で最も大きな超えるべき壁」のような場所を、片手間で(もちろん全力で準備しましたが、精神的な意味で)終えることができているというのは、研究者レベルが上がっているからだと思うからです。

 

 自身のレベルが上がったことを実感したことで、より研究へのモチベーションも上がりましたし、「これが人生で進むべき道だな」という納得感も得られました。

 

【おわりに】

 実はこれらの準備と並行して、もう一つやっていたことがありました。そう、就活です。夏に逃げていた分、この期間に冬インターンの申し込みをしなければなりませんでした。就活については別途語りますが、無事一つインターンに合格しましたし、先ほども述べたように、歩む道のようなものも明確になったので、就活についても進歩が大きかった一か月だっとと感じています。

 

 ひと段落ついて、研究と就活に専念できる時期になったので、せっかく灯った心の火を絶やさないようにしていきたいなと思っています。

 

 長々と文字ばかりすいませんでした。(画像を乗せると特定されそうな具体性の話だったので…)

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第3話】

【3-1】発表当日

 いよいよ発表の日になりました。

 この発表のために、受験期でさえやらなかった英語の勉強もずっと続けてきました。授業もある中必死に準備しました。この苦しい4か月を早く終わらせたいという気持ちでいっぱいでした。

【3-2】朝食はなし、会場に到着

 実は、しれっとこの日は朝食なしでした。先輩が「食べなくていいんじゃない?」と言っていたのが大きな理由ですが、正直僕も「食べる時間があるなら準備したい」と感じていたでしょうし、これでよかったと思います。

 前日コンビニで買っていたチョコパイをほおばって、ホテルを出ました。

 

 会場には7時半に到着しました。かなり早いですが、開始が8時15分なので仕方ありません。

 会場は昨日の下見の時とは違い、しっかり準備が整っていました。部屋ごとに、正面には登壇者用PCとチェアマン用の席、プロジェクターがおかれていました。席はざっと150以上はあったと思います。びっしり並んだ空席をみて、これから登壇するという実感がぐっと湧いて、震えが止まらなくなりました。落ち着きが無くなったといった方がいいかもしれません。

 

 

 続々と参加者が入室してきました。我々の先生や、他大のよく知る先生、その生徒など、日本人も非常に多かったのですが、日本人同士以外はほぼ英語で会話が繰り広げられていたので、とても肩身が狭かったです。

 他大の生徒の方とも話すのですが、両者とも今日発表なので、どこか会話に100%集中できていない感じでした。正直この「話す相手がいないけど一人で座ってるわけにもいかない」みたいなふわふわした状況もかなりしんどかったです。

 

【3-3】ほかの人の発表が始まる、ひたすら出番待ち

 8時15分、発表が始まりました。ここからはひたすら出番待ちになります。僕の出番は11時50分、めちゃくちゃ後半です。この約3時間半のあいだに、先輩方の発表も入っています。

 ここで、僕のとれる選択肢は2つありました。一つ目は、「会場を出て適当なスペースで発表の練習をする」、二つ目は、「ひたすら自分の出番までほかの人の発表をきく」です。僕は後者を選択しました。というのも、やはり発表の雰囲気がわかっていないと、自分の発表が浮いてします可能性があるからです。

 発表を聞いていると、二つ良い事実を見つけました。一つ目は、意外と質問を聞き取れなかったり、英語のコミュニケーションでトラブルがある人がいるということです。日本人学生はもちろんですが、他の国の人でも「Sorry, I don't follow you」と言っていたりして安心できました。二つ目は、プレゼンの最初に笑いをとっている人なんてほとんどいないということです。先生から事前に「最初に笑いをとるものだ」と吹き込まれていたのでそれが当然なのかと思っていましたが、全くそんなことはなく、まじめな発表ばかりでした。

 ですが、そういう安心はありつつも、この3時間半は基本苦行でした。自分の発表の心配で手いっぱいになり、他人の発表なんて聞けるはずもなく、(ダメなことなんですが)ずっとスマホでカジノの記事を見ていました。

 

【3-4】闇に電流走る

 のこり1時間半ほどになってきたところでふと、一つのアイデアが浮かびました。それは「意外とカジュアルな学会なので、最初に『英語できないんですよ~』と言っておけばうまくいくのではないか」というものです。雰囲気を良くしておけば、暖かいムードになって、仮に質問を聞き取れなくて焦ってしまっても大丈夫な雰囲気になるのではないかと考えました。

 そこから1時間、前口上を必死に考えました。最終的に考えついたのは「私は修士一回生です」「多分このセッションで僕が一番若いです」「お手柔らかにお願いします」という案と、「私は修士一回生です」「この発表が人生で最初の発表になります」「優しくしてください」という案です。これをぐちゃぐちゃとミックスしようと画策しました。

 

【3-5】いよいよ出番が

 ついに私の出番がやってきました。壇上に立つと、案の定多くの人が座っているのが目に入りました。声が震えたりはしなかったと思ってたのですが、あとから録音していた発表を聞いていると、最初めちゃくちゃ震えてました…。檀上での足の震えが尋常じゃなかったのだけは覚えています。

 開口一番、紹介してくれたチェアマンにありがとうと伝えた後、こう切り出しました。

 「I'm ~~ from Kyoto University Japan.」

 「I'm the first grade of master」

 「This is my first presentation in my life」

 「So please be kind to me or please be gentle」

 この「in my life」のところで爆笑と温かい拍手が起こりました。その後の「kind to me」のところも笑いがおこり、即席の作戦は無事成功しました。

 

 そのあとは覚えていた原稿をすらすらと言っていくだけでした。どうしても覚えられなかったところもあったのですが、持ち込んでいた原稿を読んで乗り越えました。

 

 質問は結局その場では意味がわからなかったのですが、同行していた同じ研究室の留学生に「ここのスライドを説明すればいいんだよ」と声をかけてもらえたので、何とか乗り切ることができました。

 後々質問の内容を聞くと、あまり日本語でも説明できなかったところでしたので、仕方ないと思って割り切っています。

 

 発表が終了した後、その質問者の方がもう一度私のところにきて、懇切丁寧に疑問点を伝えてくれました。うれしかったのですが、その一方で、英語ができなくてすみませんと心底思いました。

 

【3-6】解放飯

 4か月の苦行から解放された後の昼ご飯は大事ですよね。僕と同期と一緒に日本食を食べにいきました。選ばれたのはまぜそばでした。

 

 後ほどまた触れるかもしれませんが、シンガポールってめちゃくちゃいろんなところに日本食や日本語があるんですよね。天丼や海鮮丼など、けっこう選び放題でした。

 日本ではめったにしないのにサイドメニューも頼んだりして。

 満喫しました!

 

【おわりに】

 今回の発表、私は大成功といってもいいと思います。英語ができない割にはよくやったと。やればできるんだという自信にもつながりましたし、日本の学会なんかこわくないという無敵感も手に入れました。

 その一方で、英語ができないことで、いろんな人と交流する機会を失ってるなとも感じました。義務感ではなく、危機感として「英語やらなきゃな」と思える発表になりました。

 

 何はともあれ、いったんは解放されたわけで、ここからは120%観光になります。次回は訪れた観光地を写真とともにダイジェストでまとめたいと思います!

 

 

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第2話】

【2-1】二日目の始まり(発表まであと一日)

 二日目が始まりました。ツインルームなので起床時刻は同部屋の先輩に合わせていましたが、特にストレスはなかったです。確か八時半か九時かに起床しました。

 

 この日の予定で決まっていたことは、「会場を視察すること」「会場で登録を済ませること(三時~五時の間)」「夕食をこの日に合流する先生ととること」だけでした。つまり、原稿を何も覚えてない状態で、準備にどれほど時間がかかるかもわからない中、原稿準備以外の予定が盛りだくさんという状況でした。

 

 一応同じ部屋の先輩も発表の日がかぶっていたので、「どっかで発表の準備したいですねぇ」とやんわり言っていたのですが、具体的にどこで何時間できるのかわからず、朝から不安でいっぱいでした。

 

 会場視察は徒歩で向かいました。京都ほど暑くありませんでしたが、湿度が高いため不快感はそれ以上でした。

 

 

【2-2】会場視察終了→朝飯→ホテルで缶詰め

 会場視察は意外とあっさり済みました。というのも、まだ設営段階で、入ったりできるところがなかったからです。

 

 その後、「Ya Kun Kaya Toast」というところで朝食をとりました。後から知ったのですが、先生曰くシンガポールにしかないのでオススメとのこと。

 余談ですが、ここで現地のおっちゃんに絡まれてインスタとフェイスブックを交換し、いろんな話をした後、「観光地に車で連れてってあげるよ」という約束をしましたが、怖すぎたので色々理由をつけて後日断りました。車は怖すぎますって。先輩がいてよかった。

これがAセット。何が挟んであるかはあんまりわかりませんでしたが、まあまあおいしかったです。卵は卵でした。

 

 その後は一度戻ってホテルで作業タイムに入りました。この時間、今振り返ると3時間ぐらいなのですが、非常に集中できまして、とてもいい時間でした。この時間でほぼ、原稿の修正や暗記ができたという感じです。先輩も「めちゃくちゃ集中できた」とご満悦でした。よかったです。

 ただ一点課題だったのは、どう修正しても15分を超えてしまうところでした。言いよどみやフリーズしてしまうことろが多いのが原因です。最終的に練習や原稿の修正でカバーしましたが、この段階ではまだそれが不完全でした。

 先輩はここには映っていないデスクで、僕は手前のベッドで作業しました。まじで今年一の集中叩き出しました。「ホテル缶詰+誰かが同じ空間で作業している」という環境が良かったのでしょうか。今後に生かせそうです。

 

 

【2-3】遅めの昼食は大ギャンブル

 さて、三時頃になり、登録のためにもう一度会場へ向かうのですが、その前に遅めの昼食をとろうという話になりました。そこで立ち寄ったところが、地元民が利用するフードコートのような空間でした。

 

 シンガポールの町並みはおおむね非常にきれいなのですが、ここはザ・東南アジアといった汚さで、正直発表前に利用するには気が引ける場所でした。

 魚のスープの店に決めたのですが、並んでいる途中、床に置かれた汚水(多分消毒液)の入ったバケツから大量の皿が取り出され、床の上のどろっどろのタオルの上に置かれるというところを見てしまいました。

 味自体は悪くなかったのですが、これを見てしまったので、全然のどを通らなかったです。


【2-4】登録のためにもう一度会場へ→観光!?

 登録を済ませ、参加証を受け取り、このあとホテルへ帰るのかなと思いましたが、先輩は「このままマーライオンを見に行く」とのことでした。僕もめちゃくちゃ迷ったのですが、これからほぼ行動を共にする先輩がこのタイミングでマーライオンを見に行くということは、他のタイミングではもう訪れないということになります。ホテルに戻って準備をしたい気持ちをぐっとこらえ、先輩についていきました。

 

 あとから聞いたんですが、マーライオンってがっかりスポットらしいですね。ただ僕は「はぇーデケェー!」ってなったので純な心の持ち主なのかもしれません。

 札幌時計台に比べたら、これぐらい全然がっかりじゃないですよ…

 

【2-5】夕食後、最後の追い込み

 夕食は特に何のイベントもなく終了しました。ただ一人40ドルは高いです…割り勘なのかよ…

 

 何はともあれ、無事ホテルに戻って、最後の追い込みにとりかかりました。同居人の先輩にも「準備をしたい」と伝え、快諾していただけたのがよかったです。先輩が寝たいのに自分が起きて勉強するわけにはいかないのでね…

 

 心底思ったのですが、先輩が同日発表でほんとによかったなとおもいます。そうじゃないと色々大変だったと思うので…

 

 0時ぐらいまで作業した気がします。10分におさめるために何度も修正・反復しました。

 

【おわりに】

 この日にも強く思ったのですが、自分は「この時間に自分が何をやっているかわからない」という状態がかなり嫌だということに気づきました。きっちり予定を決めておく必要はないのですが、この日はこれとこれを何時ごろにするというのが決まっていた方が、準備の時に安心だったなと思います。

 僕がM2になったら、もっとそういったことを先生などにはっきり聞きやすくなると思うので、以後は事前に調べていきたいと思います。

 

 次回はいよいよ発表編です!

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第1話】

【1-1】出発当日(発表まであと二日)

 いよいよ当日。関空特急はるかの始発に乗ります。自宅を出たのは朝5時です。事前にタクシーを呼んでいましたが、それが来るのかすら不安でした…

 

 ちなみに、発表の準備はどの程度進んでいたかといいますと、スライドは完成、原稿はほぼ完成で暗記は全くしていないという状態でした。そのため、関空特急でも暗記作業をしなくてはなりませんでした。

 

 

【1-2】関西空港

 関西空港到着が7時ごろでした。その後すぐ先輩と合流し、キャリーケースを預ける列に並びました。どうやら「チェックイン」という手続きのようです。ただ、この列がほんとに長い…結局一時間半並びました。

 

 ただどうやらアプリを使用し、事前にチェックインしておくと、スムーズに手続きができたみたいです。

 

 その後すぐに保安検査場へ。とてもスムーズに進みました。ベルトもスリッパも脱がなくてよくて、パソコンとバッテリーが入った袋を外に出しとくだけでした。

 

 そしてそのまま出国審査へ。これがほんとにスムーズ。パスポートをかざして顔写真をとられるだけの無人ゲートでした。日本人だけ優遇されてました。

 

【1-3】マレーシア行きの機内

 選ばれたのはマレーシア航空でした。

 ほんとは通路側だったんです。でも、横の二人組にすさまじい東南アジアなまりの英語で「席変われ」的なことを言われ、こんなことになってしまいました。

 

 このまま一回もトイレに行かず、6時間フライトを乗り切りました。

 

 ちなみに機内食はこんな感じでした。

 機内食を尋ねられた際、「Japanese~~fish or ~~~chicken?」と聞かれて意味不明でした。結局二回ほど聞き返した末、「Japanese or U.S.style?」という謎の二択を迫られ、U.S.styleを選択しました。 

 

【1-4】クアラルンプール国際空港の乗り継ぎ

 乗り継ぎ時間はなんと1時間。かなり難しいと思いきや、意外と余裕でした。

 

 ただ一つだけ問題が。保安検査をもう一回受けたのですが、先ほどはオッケーだったベルトとサンダルの金属部がめちゃくちゃ引っ掛かりました。

 世界で基準は統一してほしいものです。

 

 あとトイレの手を洗う水の流し方がわからず、横の日本人が教えてくれました。暖かいですね。

 

 ここで周りが外国人ばかりになり、すさまじい緊張に襲われました。。。

 

【1-5】チャンギ国際空港

 ついに到着しました。

 到着後は入国審査と荷物ピックでした。ただ今回も入国審査は非常に簡単でした。まず改札のようなところでパスポートをスキャン。その後、二個目の改札で指紋をスキャンし顔写真を撮りました。ほんとにそれだけ。色々と調べて用意してた分、拍子抜けでした。

 

 意外と写真がなかった。。。

【1-6】晩御飯

 初日の晩御飯は中華でした。

 抜群にうまかったんですが、一つだけ燃えるように痛い料理がありました。ただ、今回のシンガポールで3回中華を食べて、この一回目が一番安かったのですが、これが一番おいしかったです。変に観光客に合わせた味にしていないのがポイント高かったですね。

 

 ちなみに、シンガポールのビールで一番有名なTigerはいまいちでした。中国のチンタオビールはおいしかったです。

 

【おわりに】

 初日に様子を長々と書きましたが、これには少し理由がありまして、初日の入国が本番並みに不安だったからです。

 

 たかが入国ですが、成功体験は書き記しておきたいのでご勘弁を。。。

 

 次回は発表までを書きます。まだ発表しません!しばしお待ちを!!

 

シンガポール国際学会記~英語力0でも愛想で乗り切った話~【第0話】

現在8月3日朝7時、関空特急で家路についています。長編にはなりますが、4泊6日の大冒険になったシンガポールの国際学会の模様について綴っていきます。

この記事はこんな方にオススメです。

  • 海外に不安のある方
  • 英語が話せない・聞き取れないのに国際学会がある方

 

また、本記事はシリーズ形式に致します。以下目次です。

【第0話】準備編

【第1話】入国編

【第2話】発表前編

【第3話】発表編

【第4話】発表後・出国編

【第5話】海外渡航を通して感じたこと

 

【0-1】何が不安だったのか

僕は過去2回、海外に渡航しています。

一度目は15歳、学校のプログラムでカナダに向かいました。僕以外全員海外経験があり、非常に辛かった記憶があります。二度目は17歳のとき、こちらも学校のプログラムでアメリカに行っています。これらの話はざっくりこの記事でお話しています。

bearlv1.hateblo.jp

この2回に共通するのは「しっかりとした引率がおり、仲間が大勢いた」ということです。しかし今回、団体行動はするもののチケット予約やホテル予約など、全て自身でおこなう必要がありました。心配だった点は以下の通りです。

  • ちゃんと飛行機のチケットはとれているのか
  • 事前にやる必要がある手続きは終えられているのか
  • 飛行場での度重なる検査場をくぐり抜けられるのか

課題や学会準備で忙しくしつつも、入念に調べて臨みました。

 

【0-2】いよいよ準備

さて、海外に行くにあたり、「キャリーケースに何を詰め込むのか問題」はかなり重要ですよね。これはほぼ国内旅行と変わらずでした。念の為シンガポールで必要なものを事前に調べましたが、服さえあれば現地でも揃うなという印象です。
一番あって良かったものはサングラスです。日差しがもう形容し難いぐらい強かったです。
あと入れておくべきだったものは洗顔と身体を洗うゴシゴシするやつですね。国内旅行でも使うと思うので、買っておくのはありだと思いました。

また、手荷物に何を入れるかも重要ですよね。数少ない経験の中で、「金属系は別のカゴで検査しないとダメ」というのは覚えていましたので、バッテリーなどはすべて一つのポーチのようなものに入れました。

ちなみにこれ。

www.ichizawa.co.jp

これがよくて、パスポート含め貴重品全部ここに入れておけばとても安心ですし、何より便利でした。

あとはアクセサリーなどは極力つけずにスーツケースに入れといたのもよかったです。

 

あとは、様々な書類を紙媒体で用意しておいたのも安心材料になりました。入国時に必要な申請書や飛行機チケット控え、パスポートのコピー、被保険者証などを用意して、手荷物に入れていきました。

 

なにはともあれ、準備のおかげでほぼ滞りなく出入国出来ました。備えあれば患いなしですね

 

 

 

 

 

 

 

 

TOEICとかいうゴミカス試験に対する所見

 

TOEICを批判する内容ではありません。

 

最初にTOEICと自分の全3回の付き合いを振り返り、その後TOEICという試験に対する自身の思いを綴っていこうと思います。

 

1.TOEICとの全3回の戦い

第一回:2021/12/19

学年で言うと、学部3年の冬になります。院試がちらつき始め、TOEICで実力試しをした際の結果です。何の対策もせず、大学受験の知識だけで受けてみました。案の定時間が足りず、最後の20問ほど全部"B"に塗りつぶしたのを覚えています。

 

第二回:2022/04/24

大学院入試で必要となる英語のテスト結果提出のために受けたものです。英語の勉強はPart5の問題120問程度で、あとはTOEICのテクニック本をやりました。テクニックだけで100点伸びるんだ、と驚いた記憶があります。また、英語の勉強をやっていた期間、他の勉強では得られない多大なストレスが溜まり、英語がより嫌いになった回です。

 

第三回:2022/04/24

就活で使用するかもと思い、就活そっちのけで受けた回です。相変わらず英語の勉強は進まなかったのですが、

  • 3月から英単語の勉強はしており、少しだけ語彙が増えていた。
  • 7月の学会に備え、ドラマなどでListeningの勉強はしていた。
  • 1年研究室にいて、少し英語が身近になった。

こういった変化から、前回とは違う回でもありました。Listeningが30点上がっており、少し自信につながった一方で、全体の点数は5点しか上がっておらず、いろいろ思うことがある回でした。

 

2.TOEICに関する所見

 これらを踏まえたうえで、TOEICに対して色々思うことがありました。

 一つ目は、「TOEICの勉強は”TOEIC対策”であって"英語の勉強”ではない」という点です。Listeningを見ると、「英語の勉強・インプット→TOEICの成績上昇」は成立すると考えられます。一方で、「TOEICの勉強→英語の能力向上」にはつながらないなという実感があります。あくまで僕の英語のモチベーションは「外国人とのコミュニケーションができるようになる」ところにあり、「テストの点をあげる」ことではありません。3回受けてようやく、「英語の勉強が嫌い」なのではなく「TOEICの勉強が嫌い」であることに気づきました。なので、効率が悪くても、「英語が話せるようになる勉強」を続けていき、その結果がテストの点につながるべきかなと思います。

 二つ目は、TOEICは点を上げるにはあまりにもコストがかかりすぎるという点です。TOEICはその性質上、TOEICならではの問題に対してTOEIC専用の対策しなくてはなりません。しかし、TOEICの勉強を大学受験同様手厚くやろうとすると、膨大な費用が掛かります。問題集や過去問は非常に高額なうえ、試験自体も高く頻繁に受けられるものではありません。したがって、「高額なお金を払って、得られるのはTOEICの点のみ」というのはあまりに非効率だと思います。

 

 ただ一方で、「今まで試験には無敗なのに、TOEICは人並み以下で終わるのか?」というストイックな自分からの叱咤も聞こえてきています。なのでこれからは、

  • 引き続き英語の勉強は無理のない範囲で続けていく
  • TOEICはその英語の勉強の延長で点数が上がればラッキー

という気概で向き合っていきます。

 

 ようやくTOEICの呪縛から解放されると思うと嬉しくてたまりません。

 

 こんなもんクソくらえや!

 

7月末に開催される国際学会について思っていること

 

どうも、授業中ですが最後列を確保できたのでちょっとつぶやきを。。。

 

今回は、7月末に開催されるシンガポールでの学会について、思っていること(主に心配事)を書いていこうと思います。

 

1.英語が話せない

 まずは何といっても学会発表でしょう。多分発表10分質問5分とかだと思うのですが、この「質問5分」のためだけに3月中旬から英語に取り組んでいます。

 思えば英語からは逃げ続けてきた人生でした。中学3年生まではある程度授業にはついていけてたのですが、高校一年の春に英語の知識がすっぽりなくなる、記憶喪失のような出来事に遭遇しました。自分でも気づいていなかったのですが、高校一年の春、K先生に当てられて「environment」を「えんびろんめんと」と呼んで赤っ恥をかいたのを今でも覚えています。中学生まではそんな基礎単語絶対覚えていたのに、本当に不思議な体験でした。

 そこからはだましだましで定期テストを乗り切り(赤点もとったので騙しきれてないんですが)、高3を迎えました。受験勉強では、数学と理科を徹底的に対策し、英語はセンター対策だけの勉強でした。今思うと超ギャンブルだったと思います。中でも一番きつかったのが「単語勉強」です。単語帳がほんとに嫌いで、予定を立てても他人を巻き込んでも全く進まず、きれいな本だけが増えていきました。模試で「fridge(冷蔵庫)」が出てこず、「thing which keeps food and drink cold」と書いてでっかいバツをもらったのはいい思い出です。

 とにかく、齢22にしてようやく英語と向き合ったような人間が、国際学会で質問に答えるのなんて無理中の無理なんです。

 希望があるとすれば、過去に二回ほど、自身の研究トピックについて英語で議論が起こった時がありました。そのとき、発言はできませんでしたが、なんとなく何を議論していたのか理解できました。その上振れが引けるように、耳と語彙を鍛えないといけません。

 

2.海外が怖い

 今までの海外の機会は、高校一年の春と高校二年だけ、それぞれ一週間程度で、すべて先生の引率がついていました。ただ今回は、いろんなことを自身でやらなければならず、経験不足が如実に出ています。

 研究室の人間が皆グローバルすぎて、めちゃくちゃ言い出しにくいのですが、ほんとに海外怖いです。特に税関。いや全部。

 トラブったときに乗り越えられる知識も語学力もない。かといって事前に調べてもコロナを挟んでいて参考にできる情報が少ない。ほんとに心配でなりません。

 

3.この機会の位置づけ

 この学会は、自分の中でただ「国際学会の参加」だけが目的ではありません。これからの海外モチベーションの増減にもかかわってきています。

 今まで、「優秀な人間はみな英語がペラペラで海外モチベが高い」という固定観念がありました。それのせいで、自分も無理して海外を見据えて色々やってますが、正直別に海外で活躍したいとか微塵も思ってません。というか、二回しか行ったことない海外に「活躍したい」とか「活躍したくない」とかないでしょ。今回のシンガポールはそういう意味で、「自身が海外に対してどういうモチベなのか」を確認できる最初の機会だと考えてます。

 もし、ここでモチベが上がった場合、僕は今よりももっと英語について前向きになるでしょうし、留学生とかとも積極的に交流する人間になるでしょう。一方で、「別に日本でよくね?」となった場合、海外旅行で困らない程度の英語を学ぶ程度にとどまるでしょう。

 

4.とにかく今はひたすら準備

 そんな不安まみれのシンガポールなので、学会も入念に準備する必要がありそうです。想定質問や原稿作成だけでなく、豊富な専門用語や海外のルールなど、準備できるものは全部頭に詰め込んで臨みたいものです。