読書の愉楽

本の紹介を中心にいろいろ書いております。

白井智之「ミステリー・オーバードーズ」

 

 

ミステリー・オーバードーズ (光文社文庫)

 

  この人、気になっているんだけどなかなか読めていないのだ。特殊で異常な設定の中で華麗なロジックを展開するゲテモノ美食ミステリとでもいうべきスタイルはぼくの好みなのだが。でもこの人の本で読んでいるのってデビュー作の

「人間の顔は食べづらい」

だけなんだよね。

 で、今回は短編集。ラインナップは以下のとおり。

 「グルメ探偵が消えた」

 「げろがげり、げりがげろ」

 「隣の部屋の女」
               
 「ちびまんとジャンボ」

 「ディティクティブ・オーバードーズ

 以上五編ね。内容的にはまともなのは一つもないんだけど、ミステリとしてのロジックはしっかり構築されていておもしろい。耐性のない人はダメなんだろうけど、平山夢明読めちゃう人はノー・プロブレム、どうぞお読みください。

 本書はテーマとして食に関する作品で統一されているってことだけど、嫌悪をしめすのに手っ取り早いのってビジュアルか、そんなもん食う?ってやつじゃないの?映像で見ていても、例えば「クレイジー・ジャーニー」とか動物捌いて内臓や血が出ているところとか、その血をそのまま啜っているところなんか観ると、うわ!ってなっちゃうもんね。普段われわれが生活していく上でであうことのない事が突然目の前にあらわれると、驚き衝撃嫌悪恐怖ってのがいっしょくたになってインパクトを与えてくるもんね。

 そういった意味でこの人の描く世界はおよそわれわれの一般的な人生では決してであうことのない衝撃の光景が展開されるからおもしろい。内容的な説明はこの際省いちゃう。興味ある人は実際読んでみてインパクトをダイレクトに味わってほしい(笑)。まあ、普通の人じゃ到底思いつかない衝撃の光景が見れちゃいます。

 ぼく的には、こういうのに耐性できちゃっているんで嫌悪はほとんどなくて、もうただただおもしろいばかり。あんなもん食っちゃうの?そんなことしちゃうの?と楽しんで読んじゃいました。

 でも、最初にも書いたとおり、この人それだけじゃないからね。こういった特殊な状況のもと展開されるロジックは完璧なのです。ま、辻褄あってるけど動機的にそうなる?ってとこはあったりするけど、でも計画と偶然のバランスも無理ないし、特殊状況ゆえのロジックも完璧だし、なかなか侮れないのであります。

 でもね、今回一番楽しみにしていたラストの「ディテクティブ・オーバードーズ」があんまりだった。これも特殊状況下での完璧ロジック作品であり、多重解決ものでもあるのだが、少し助長で退屈だったのだ。それまでの短編は小物ながらなかなか面白かったんだけどね。だから、最後の最後でちょっと評価落ちちゃいました。こんどは長編読もうかな。

キミ・カニンガム・グラント「この密やかな森の奥で」

この密やかな森の奥で (二見文庫 グ 11-1)

 本書の巻末に作者のおすすめ本が載っている。本書を気に入った人は、これも読めばきっと気にいりますよとの作者からのメッセージだ。未翻訳のものもあってちょっともどかしいが、この巻末に載っている本のタイトルを見て、それを読んだことがある読者なら『ああ、そういう感じなんだな』と本書の傾向を見当できる。

 斯様に、本書の作者はやさしい人柄なのである。本書を読んでいる間、そのやさしさがずっと邪魔をしていた。様々な岐路につらなる選択が何回か描かれる。自分ならどうするか?考えても決して答えはでてこない。主人公であるクーパーの選んだ道は尊くなにものにも代え難いものだったが、イバラの道でもあった。贖うという言葉には二つの意味合いがあるが、クーパーの選択は、その二つをなぞらえるものだった。とてもおもしろく、先へと読ませる物語だが、すべての配置がピタっと収まっているわけではない。クーパーのリフレクションが数多く描かれるゆえ、本書をハードボイルドと位置づけしているみたいだが、ぼくはそうは思わない。予定調和というか、御都合主義というか、常に物語全体を覆っている作者の温かい目が、サスペンスを盛り下げ、必要ない安心感を与えてくれる。

 クーパーは、アフガニスタンからの帰還兵で、数年前に起こしたある事件から逃げて山奥のキャビンで一人娘のフィンチと自給自足の生活をしている。だから、世間から完全に身を隠している状態だ。年に一度(年に一度!!!)、同じ帰還兵で親友のジェイクが補給物資を届けてくれることになっている。交流は、このジェイクと隣人だという詮索好きで少し怪しいスコットランドという男だけ。

 いまでもアメリカの田舎では、このような自給自足の生活をしている人はいるだろう。自然と生き物に詳しく、文明から隔絶された生活。クーパーとフィンチは、そういうわれわれから見ればとても不便な生活を、しかし謳歌して楽しく幸せに暮らしているのである。その二人と時々隣人の静かな生活の中に不穏な出来事が起こりはじめる。 

 先にも書いたとおり、ぼくは本書をハードボイルドだとは感じなかった。温かい目は始終注がれていて、そういう安心して読める物語が好きな人には、いいかもしれない。文体もとても細やかでやさしい(何箇所か誤植があったのが気になったが)もので、文体からいえば、ジュンパ・ラヒリのほうがよほどハードボイルドだと思うのである。最後は、そういう風におさまるだろうなと思っている着地点であり、またそれが不満でもあった。次が出ても、もういいかな。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス「シェイクスピアの記憶」

シェイクスピアの記憶 (岩波文庫 赤792-10)

 

 とっても短いので、鶴橋に食べ歩きに行く電車の中で全部読んじゃった。でもね、短いといって侮ってはいけないのです。なぜなら、これ書いてんのボルヘスだもんね。ちなみに鶴橋でいっとう旨かったのは、ブタのホルモンの鉄板焼きね。これ、最高!!
 
 というわけで、本書なのである。ここには短いながも、四つの短編が収録されていて、タイトルは以下の通り。

 「一九八三年八月二十五日」

 「青い虎」

 「パラケルススの薔薇」

 「シェイクスピアの記憶」


 すべて幻想譚である。といって、そこには色濃く現実が反映されているみたい。ぼくはボルヘスの熱心な研究者ではないので、彼の軌跡はほとんど知らないのだが、でもこれらの短編から受ける憂いや屈折や悲しみや驚嘆には、地続きの共鳴を感じることができる。ここには一見幻想的なシチュエーションを描きながらも、それにオーバーラップするようにまるで薄く向こうが見透かせるようにボルヘスの決して目を合わすことのない姿が重なっているように思えてならない。

 彼の文章は、反復する。ある事柄に関して逆説的に解説し、同じ意味をさらになぞってゆく。それは必要ではない文章のはずだが、確かに存在するし、彼は意図的にそれを繰り返す。それは循環であり、長い長い螺旋を昇ったり下ったりしている行為にも似た酩酊を誘う。そこには迷宮が存在し、読者は無意識のうちにどんどん扉をくぐって元に戻るように夢の世界に彷徨う。  

 それは身についた技法であって、そこに計算は感じられない。だから自然に入りこみ、迷ってしまう。それはボルヘス的な円環迷路だ。膨大な知識と、歴史の中で産み落とされた多くの断片。そこに遊ぶ彼は苦悩しながらも生き生きとしている。その恩恵にあずかりながら読者はひとときの幻想を彷徨うのである。

 ボルヘスの語る幻想は、やはり円環なのだ。ありきたりでさえあるモチーフの中に、縮小された完成した世界を置き、その中で延々と巡る反復が描かれる。記憶の曖昧さ、夢の不条理さ、歴史の壮大さ、様々な要素がボルヘスによって組み合わされ解き放たれる。彼の素っ気ないのに劇的な幕切れが好きだ。なぜか、そこには驚きと共に温もりが感じられるから。

森見登美彦「シャーロック・ホームズの凱旋」

シャーロック・ホームズの凱旋

 モリミー久しぶり。いつ以来?ていうか、万城目学は、色々読んでいるんだけど、モリミーは一冊しか読んでないんだった!!

というわけで、本当にお久しぶりのモリミーなのだが、これがなんだかイマイチだったのだ。

 ホームズ譚は一応全部読んでいる。もう30年以上前のことだけどね。だから素地はあるんだけど、本書を読むにあたってそれはあまり重要なことではない。ホームズとワトソンがいるってことを知っているだけでいいんじゃないの?本書ではいろいろ聖典の登場人物が登場しているけど、基本主要二人が分っていればオッケー。

 で、内容なのだが舞台はヴィクトリア朝京都。そこの寺町通221Bにいるホームズは事件を解決できないスランプに陥っていた。だから、ホームズは事件を担当しないのである。事が起こらず、様々な登場人物が出てくるが、その出し入れだけで物語が進行し、ホームズよどうした?と戸惑いしかない。それが様相を変えるのが物語中盤以降、ここでロンドンが出てくるのである。

 いや、これ以上はネタバレだから書くことはできない。本書のたくらみをバラすことは御法度だ。作者の意図がよくわからないのだが、世界が裏返る。最初からヴィクトリア朝京都なんてありえない設定で、なんの説明もなく当たり前のように始まったホームズ物語の世界に亀裂が入って、現実がニョキニョキ顔を出してくる感覚とでもいおうか。そんな崩落した世界で、主人公はホームズではなくワトソンなのだと気づく。ホームズ譚の記述者としての役割をまとった彼は、ホームズ唯一の理解者でもあり、変人なのに天才的な探偵がただ一人心を許す親友なのだ。確かにホームズは孤高の人ではない。事件の仕組みを一番最初に紐解く存在ではあるが、彼にはワトソンというバディが必要なのである。だから二人は惹かれ合う。まるで夫婦だね。

 あっちとこっちの世界が交錯し、物語の位置づけが二転三転し、読者を翻弄しながら世界を行き来するワトソン。喜びと悲しみを味わい、同時に読者もその気持ちを反芻する。ワトソンの懊悩は、そのまま作者モリミーの懊悩でもあるのだろう。ぼくは、モリミーの熱心な読者ではないので、そこまで気持ちはシンクロしなかった。本書がイマイチの印象だった第一の要因だ。

 あり得ない設定で始まったホームズ譚は、紆余曲折を経て大団円を迎える。みんなが集うのはヴィクトリア朝京都。あり得ない世界だけど、これが本当なら素敵だなと思う。ゆるやかな時間、晴れた空、みんなの笑顔、ワトソンとホームズがいる暖かい春の午後。

インドロ・モンタネッリ「ローマの歴史」

 

ロ-マの歴史 (中公文庫 モ 5-4)

 ローマ史?高校生の頃世界史で習ったっけ。カエサルカリギュラ、ネロ、マルクス・アウレリウス・アントニヌスくらいは、名詞として知っているけど、それ以上でもそれ以下でもない。まったくローマ史については無知蒙昧なのであります。

 でもね、そんなぼくがなぜか本書を読んでみようと思ったわけ。理由なんてありませんとも。突然、読もう!と思ったのだ。

 雰囲気としてのローマはもちろん頭の中にあった。白いトーガ、彫の深い顔立ち、筋肉質な身体、公衆浴場。いや、「テルマエ・ロマエ」だけの情報じゃないですよ。あの漫画以前から、そういう認識は頭の中にあったからね。あと、剣闘士や競技場ね。いや、「ベン・ハー」や「グラディエーター」だけの情報じゃないですよ。なんか、墓穴掘っているみたいだけど、本当にこういうイメージはもともとあったのである。

 で、本書なのだが、ぼくみたいなまったくの素人が読んでもおもしろいんだからたいしたものだよね。最初は、読み始めてすぐ興味なくす感じなんじゃないかと思っていたのだが、いやいやそんなことないんですよ。

ではなぜこんなローマド素人のぼくでもけっこう面白く読めたのかというと、それは本書の語り口にあると思うのである。作者のモンタネッリ氏はイタリアのジャーナリストで、それまで物々しい語り口で綴られていたローマに関する歴史書を見習わず、平易でくだけた文体でローマの歴史を繙いたのだ。だから、千年以上も続いたローマの歴史にぼくみたいな無知蒙昧が接するにはもってこいの本だったわけ。

 ま、とにかく簡単に人が殺されてしまうのには感心した。皇帝は殺されて代わっていくのが普通だもんね。長い歴史の中では、様々な皇帝があらわれたわけなのだが、賢帝もいれば愚帝もいて、その盛衰はかなりドラマチック。有名なカリギュラ(本書ではカリグラと記述)やネロなんてぼくでも知っている残酷無比な印象のある皇帝が本書を読んで少し認識が変わったのも新鮮だったし、ガリア戦記で有名なカエサルクレオパトラとチョメチョメしていたってのも知らなかったし、そしてなにより一番知りたかったのがキリストと同時代に生きた人々の関係性がわかったのが、すごくスッキリした。ハドリアヌスマルクス・アウレリウスなんて賢帝の生涯もわかったし、ハンニバルやアレキサンドロス大王の位置づけもある程度理解できた。いまでは世界的なキリスト教新興宗教として迫害の道を歩んできたってことは理解していたけど、なんか、その神話的な話がもっと身近に感じられたのが良かった。

 知るって、なんか、ワクワクするよね。

雨穴「変な家」

 

変な家 文庫版

 取っ掛かりの謎は魅力的だ。奇妙な間取り、余計な空間、導線を無視した部屋の配置。よくよく見ればおかしな所ばかりなのである。その奇妙な間取りの家を購入しようか迷っている知人の依頼でこの物件を調べることになった筆者は、これまた知り合いのミステリマニアの不動産屋さんの栗原氏とこの変な家に隠された謎を解明するのだが…。

 謎の設定はおもしろく先に進めさせる吸引力はあるが、いかんせん探求と判明のみの本筋だけの進行なのが軽い印象を与える。真相もおよそ現実味がなく恐怖を感じる前に少し白けてしまった。解説で明かされる最後の最後の真相も、うまく閉じているようでそうでもなかった。

 この変な家のことをネットで公表したことによって、新たなキーパーソンと繋がり、そこから劇的に謎が解明されてゆくのだが、物語の筋を追うのに性急で、展開がかなりご都合主義的な印象をあたえてしまう、そうしないと、次に繋がらないから、これは仕方のないことなのかな。でも、そこに工夫があったらもっと奥行きが出たのにと思わずにいられない。

 真相にしても、因縁を絡めた狂気を感じさせるところまではいっていない。過去の出来事が腐臭をともなって立ち上がってくるような恐怖を期待していた身にとって、これは少し弱かった。これならまだ

小野不由美「残穢」

のほうがおぞましかったのではないだろうか。

 狂気は恐ろしい。信じる力は、何よりも恐ろしい。

春日武彦「屋根裏に誰かいるんですよ。  都市伝説の精神病理」

を読んだ時に心底そう思った。それをうまく描けたら、それほど怖いものはないなと思うのである。

 それにしてもミステリ好きの不動産屋の栗原さんて何者(笑)。名探偵すぎるでしょ!!

野田サトル「ゴールデンカムイ」

 

ゴールデンカムイ 全巻 1-31巻セット[完結] コミック

 とうとう大団円まで読み切ってしまった。久しぶりに漫画にのめり込みました。読み切りはたまに読むけど、この巻数(31巻)を読み切ったのはいままで生きてきて初めてのことだ。

 ま、そんなたいそうな話じゃないんだけどね(笑)。当初は、たまたま映画観る機会があって、見終わったあとも、なんで土方歳三が生き残ってるんだ?とかそもそも刺青で金塊の場所を残すってどゆこと?とかモヤモヤする部分が強調されてイマイチの印象だったのだけど、時間が経つにつれてでもあの映画なかなかエネルギッシュで面白かったよなと思うようになり、いっちょ読んでみるかとなったのである。

 映画はこの物語のさわりの部分、漫画でいうと二巻までのお話を描いているのだが、これが原作にかなり忠実に映像化されていて驚いた。で、三巻目からがまだ見ぬ未知の部分だったのだが、北海道の大自然を舞台に繰り広げられる物語は、新鮮な驚きに満ち満ちていたのである。アイヌの文化、北海道独自の自然(生態系の境界線であるブラキストン線なんて知らなかったー!!!)特に目を引くのがアイヌの食文化で、主人公杉本佐一と行動を共にするアイヌの少女アシリパが披露する野生動物の調理法は馴染みのないものなのにも関わらず、目を奪われ、ちょっと食べてみたいと思ってしまうくらいだった(リスのチタタプ食べたくなるよねー!)。

 あと、登場人物の多彩さも目をみはるものがあって、土方歳三などの歴史上の人物しかり、独自のキャラも(変態率高めだけど)際立っていてそれぞれがちゃんと役割こなしているのも素晴らしいし、それぞれのチームがくんずほぐれつして昨日の敵は今日の友なんてのが横行して物語がうねっていくところなんか最高なのであります。

 また、ギャグセンスも一頭抜きんでてて、シリアスと笑いの緩急があまりにも巧みで惚れ惚れしてしまうのである。特に脱獄囚の一人で、杉元・アシリパコンビと常に行動を共にする白石の役立たずっぷりは、お決まりなのに毎回笑ってしまう。しかし、この男、誰にも真似できない脱獄の天才なのであります。

 とにかくサスペンス、アクションにおいてもまあ息をつかせぬとは本書のためにある言葉かよってくらい決まっていて、ため息出ちゃうくらい。過去のいろんな作品の名場面を本歌取りして、物語を盛り上げているところも興趣つきないところだし、この作者かなり引き出しの多い人なんだと驚くこと請け合い。ほんと素晴らしい体験だったと思うのである。

 でも、このフィーバーは終わった。大団円なのだが、いっぱい人が死んだ。話の中で語られる『これはまた別の話』っていうのがいくつかあったけど、その物語に出会う日はくるのだろうか。ああ、ロスってるぅぅぅぅ。