ベル山田のブログ

長めに書きます

はじめに

平成30年の大晦日、ブログを始めることにした。

SNSにちょくちょく日記を書いているのだが、見て下さっている方々から「長すぎる」と言われることがあり、確かになんでもない日記をだらだらと書くのはSNSにはあまりそぐわない方法なのかもしれないと感じていた。また、そのSNSを退会してしまった方から「ブログで書いてくれれば自分もまたおまえの日記が読めるのに」と何度か言われたことがある。うれしいことだ。そんなわけでブログを始め、日記をつけることにした。

これまでもweb上に日記を書くことは続けていた。

最初は簡易HPサービスを使った。2000年頃だろうか。自分で<hr>たらなんだらと打ち込んで改行したり文字色変えたりしてこつこつやっていた。サービスが終了したようで、今ではもう見ることができない。

2ちゃん型の掲示板を借りて日記をつけていたこともある。今でものぞける。これはいい思いつきだった。当時は動画や画像の貼り付けは必要としていなかったし、しようとも思わなかった。URLを貼り付ける程度のことができれば用は足りたので、非常に便利に使えた。今でも何年に一度か書き込むことがある。誰も見ていないが。

次がmixiだ。長いこと使った。最初はネットでつながった方々と遊んでいたのだが、次第に実社会でつながりのある方々が参入し、それはそれでおもしろかったのだけれど、この辺りから「好き勝手には書けないな」というやり辛さが強く感じられるようになってきた。

facebookが流行し、そちらに移った。mixiは今では入ることさえできない。パスワードを忘れてしまったのだ。長いこと書いた日記を見ることができないのは辛い。

facebookにも何年も書いているのだが、やはりミクシに書いていたときと同じようなやり辛さを感じるようになって久しい。そもそも実社会でのつながりを増やすためのツールなのだから当たり前だが、また、うっかり実名で始めてしまったものだからこれまた当然のことなのだが、どうしても地元の方々とのつながりが増えてしまう。大人になって、滅多に会うことのなくなってしまった旧友との交流は楽しくもあるのだが、好き勝手に書くことにはどうしても慎重になってしまう。

「お前の書くことにそんな影響力とか、独自性とか、そういった価値があるものかね。自意識過剰なのではないかしら」と思われる向きもあるだろう。俺もそう思う。でも見られるのが嫌な気持ちは確かにあるのだ。あるんだから仕方ない。だからできるだけ知らない人のいるところで、俺の書くものを読みたがってくれる人にだけ書きたいのだ。

しがないサラリーマンであるところの俺が人様に喜んでもらえるような、何か役に立つようなことを書けるとも思わない。40数年生きてきて、ただ年齢を重ねてしまった独身男がせめて文字だけはこうしてキーボードを使って打てるものだから、なんでもないことを、長々と書き記すのにこちらを使わせていただく。書いたものは、誰の反応が得られなくても俺があとで読み返す。でも反応があると嬉しい。反応があるといいな。

こちらのブログを使わせていただくことを決めたのは、漫画家の渡辺電機(株)先生のブログがこちらにあるからだ。先生とは一面識もなく、深く先生の作品を読み込んだことがあるわけでもないのだが、twitter経由でたまたま目にした先生の日記に心惹かれた。エロでグロでナンセンスで自虐的で破壊衝動に満ちていて、それでいて静かな海を眺めているような、そんな落ち着きが感じられる文章だ。まだ読み切れていないのかもしれない。もっと読みたい。

書き始めたのは平成30年だったが、とうとう年を越えてしまった。あけましておめでとうございます。こんな感じで目的もオチもなくダラダラと書きます。よろしくお願いします。