【このブログ】自分を見つめた1年の話【オワコンですな】
去年1年ばーっとたくさんの物事を見てまわって、自分を見つめ直した。
自分探しなんて出来る訳がなく、在る自分を見つめる旅だった。
その中で少しでも心が揺れ動いたキーワードをかき集めて眺めて、共通するテーマを抽出してきた。
※抽出:複数の具体から抽象度を高めたものに昇華させる 的なやつ。
(自転車やヒッチハイクで行った地域の人、物、事/PSでの気づき/東村山や長岡で楽しそうに働く大人たち/大三島の暮らし/高橋博之さんのことば/訪ねた生産者の方たち/友人との語り/地元への思い入れ/…and more )
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(地方と都市の関係/自然/食/命/人の暮らし)
そこからさらにもう一段階抽出して、浮かび上がったのは「狩猟」だった。
(これらのテーマが欠けずに関われることは何か?/テーマと自分の距離感はどれくらいが丁度いいか?/縁を感じたか?…などをふまえて考えた。)
これを再度具体にもどすと、趣味としての狩猟よりも、「獣害対策」、「採取する暮らし方」としての狩猟。
来月、狩猟免許の試験を受ける予定です。
そして同時に今年はMAKERS UNIVERSITY というNPO法人ETIC. 主催の起業家育成の私塾の3期生として、実践に移していきます。
https://makers-u.jp/
動けば動くほど今大学で自分がやるべき事とはかけ離れていって、なんだかやるせない気持ち、やっちまったなーって感じはあったんですが
大学で見聞きしたもの 大学生活の中で出会った人たちからは多くの面で影響をもらっているので、決して無駄ではなかったなと思っています。
短い期間に色々やりすぎて、各方面への関わり方が中途半端になったり、もっとやり切れる所が思い返せてしまったりすることが多いのが大きい大きい反省点。
今年は何を、誰と、どのように、なぜやるのかを明確に定めて、関わってくださる人にこちらからたくさんgiveできる人になりたい。(横文字嫌いだけど言葉が見当たらない。)もらってばかりは嫌だ。
半期だけ大学に復学し、名古屋で死んだように生きている高室は今こんなことを考えています。
火曜は東京に行き久しぶりにPSの人たちに会えるのでとても楽しみです。
ハンセン病について学んだ話:東村山編その1
この旅もあっという間に15日目
群馬の山の上ではまだ桜が楽しめます。
この記事が4記事目なので、三日坊主の大きな壁は超えた(と思いたい)高室です。
4/25から4/30の6日間、東京の東村山市に滞在していました。
今回はそこで感じたことについての記事です。
ブログってどんなテンションで書けばいいのかまだ分からず、文体が定まっていません。
楽な書き方を模索するため、今回はである調にしてみよう。
多摩全生園に行ってきた
4/26と4/27で、東村山にある国立療養所多摩全生園に行ってきた。
園内の食堂の人手が足りないということで、お手伝いするためだ。
全生園ではハンセン病の後遺症を持つ人が入居しており、診療を受けながら偏見や差別のない環境で生活している。
とても広い敷地のなかに生活に必要なほとんどの施設が存在している。
ハンセン病とは
つい先日までの僕のように、ハンセン病について何も知らないという若い世代の人もいると思うので、簡単に説明を引用する。
ハンセン病はらい菌による経過の慢性な感染症です。感染しても発症するとは限らず、今では発症自体がまれです。また万が一発症しても、急激に症状が進むことはありません。初期症状は皮疹と知覚麻痺です。治療薬がない時代には変形を起こすことや、治っても重い後遺症を残すことがありました。そのため、主に外見が大きな理由となって社会から嫌われてきました。現在では有効な治療薬が開発され、早期発見と早期治療により後遺症を残さずに治るようになりました。
(国立ハンセン病資料館HPより引用 http://www.hansen-dis.jp)
現代の日本のような生活においてはまず感染することはないようだ。
全生園の患者さんも大半は後遺症の診療を受けている方で、新規感染や再発を含めて今もなお治療している患者さんは日本に10人程度だという。
食堂で働きながら何人かのお客さんと話をしたが、どの入居者の方も心優しい方ばかりであった。
過ちの歴史が認知されなくなることの怖さ
全生園の敷地内には国立ハンセン病資料館があり、休憩時間をつかって見学をしてきた。
驚愕したのは、戦争が始まって以降の、ハンセン病患者へのあまりにもひどい扱いだ。
文明国には癩(らい:ハンセン病の古い呼び名)は国の恥だと差別された。
戦争に貢献できない体の弱い者であることからも差別された。
1931年、ハンセン病の治療法が確立されていなかったこの時代においては患者を隔離するのが有効とされており、患者を強制的に隔離しようという思想のもと「癩予防法」が制定された。
療養所に隔離された患者は非常に劣悪な環境での生活を強いられ、きつい労働に従事させられた。
その前後には、警察も動き社会ぐるみで患者を駆り立て療養所に隔離しようという「無癩県運動」が全国に広まった。
国がこのように大きく動いたことも、国民にハンセン病への恐怖心を植え付け差別を強くさせた要因のひとつだろう。
終戦後にはハンセン病に有効な治療法が発見されたにも関わらず、強制隔離による対策は続いた。
1953年には患者が働くことや療養所入園者の外出も禁止された。
やっと らい予防法が廃止されたのは、1996年になってのことだった。
印象に残ったエピソード:見せしめ的な消毒
(5/4追記)
資料館で学んだことの中でとくに印象的であったのは、無癩県運動においての強制連行の方法についてだ。
官も民も一緒になって患者をしらみつぶしに探し出し、見つかった患者の家には、白い予防服と長靴を履いた役人たちがやってくる。
彼らに療養所まで強制的に連行されるのだが、患者が歩いた跡を真っ白になるまで消毒しながら移動したという。
さらに患者の家までも真っ白に消毒されたそうだ。
このような扱いを受けると、あそこの家はハンセン病患者が出たと村じゅうに知れ渡り、強く差別された。
家族は患者を必死に隠したそうだが、少しでも疑いがあると周りの住人から役人に通報されるのだ。
社会全体が敵になる恐ろしさと、見せしめのように周りに晒されることの残酷さを思うと、とても辛く感じた。
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一連のハンセン病の歴史とそのむごさを現実感を持たせて説明するのは極めて難しいので、少しでも多くの人に、一度ハンセン病資料館に足を運んでもらいたい。
僕はなにより、この歴史を強く認知していなかった自分が恐ろしかった。
僕ら以降の世代には、学校の教科書には軽く出てくるものの、ハンセン病について知る機会がとても少ない。
お世話になった食堂のおばちゃんが「このままだとハンセン病の歴史は忘れられていくだろうね」と言っていたのが、とても悲しかった。
ひどく人権を侵害された多くの患者の方たちの苦しみを、なかったことにしたくない。そこから学びを得て、同じようなことが再発しない社会にしたい。そう思った。
ハンセン病が文化遺産になるかもしれない
食堂のお手伝い2日目に運良く、ユネスコの方、ハンセン病の国際機関の方と全生園の入居者の方達の英語通訳を介した対話の場に、同席することができた。
彼女らは今、日本の国立ハンセン病療養所を世界文化遺産に登録しようと動いているらしい。
詳しい内容について言及するのは避けるが、両者ともとても時間と熱量をかけ、通訳の方が追いつけなくなるくらいの密度で対話していた。
たくさんある療養所のいくつかをピックアップして文化遺産に登録するのはどうかという懸念に対しユネスコの方は、「ある1点にまず光を当てることで、他の点にも注目が及び、議論が起こるきっかけにしたい。」と話していた。
特に全生園には、出産を禁じられていた患者の方達が、代わりに何か未来に残せるものをつくろうと1本ずつ植樹した、「人権の森」が象徴的だという。
過ちの歴史を後世に伝えるという難しい課題に対し、とても素晴らしい取り組みだと思う。
また全生園を含めた公立の療養所は、その象徴にふさわしいと思う。
今後の動向に期待したい。
自分個人としても少しでも周りの人にハンセン病への認知を広げるようなことをしていけたらと思うし、この記事も多くの人に読んでもらえると嬉しい。
(蛇足ですがこの出来事は生きた英語を聞く楽しさを思い出し、ちゃんと勉強し直そうと思えるきっかけになりました…。)
今日中に新潟入りを目指して進みます〜
茨城の学生と会い尊敬した話
旅6日目、現在僕はつくば市にいます。
つくば市には一昨日から滞在していて、筑波大学をちょこっと見学したり、NIMS(物質・材料研究機構)の一般公開を見に行ったりして楽しんでいます。
ホルモン屋「小寅」にて語り合う
昨日、筑波大学3年の渋谷直樹くんとご飯を食べながらお話してきました。
彼、そこらの普通の学生とは一味違います。
渋谷くんは昨年度まで茨城大学に在籍しており、水戸をフィールドに、「食」をテーマに数多くのプロジェクトを主催してきた、とてもアクティブな学生なのです。
大学で茨城のことを勉強したのがきっかけで、地域の中で新しい活動を生み出す楽しさに目覚めたという。
「こんな場や活動があったらいいな」だけで終わらず「ないなら作ってしまおう」と動くクリエイティブさが彼の凄いところ。
さらに渋谷くんはとても人当たりが良く、人を惹きつけるのがとても上手です。
大学1年の活動し始めのころに苦労して繋がった人との出会いを大切に、たくさんの人たちと関わりを持って活動を展開しています。
今まで、幅広いステークホルダーとの助け、助けられの実績・過去があるので、現在の彼のどの活動もいち学生とは思えないくらい影響力や規模をもったものとなっています。
今回僕が日本の地域を周る旅をするにあたって、色々な人に会いたいという投稿をFacebookにしたところ、それを見た方が渋谷くんを紹介してくれたのでした。
経験豊富な渋谷くんを前には恐れ多くて話し始めた当初は少し緊張しましたが、非常に話しやすくて会話が弾む食事となりました。
彼の行動しながら学んでいくところや人を巻き込んで楽しい動きを作り出すところを見習いながら、次に会うときはお互い成長した姿で、もっと熱く語り合いたいですね。
焼肉の写真はバッチリ撮っていたが、肝心の本人達の写真を1枚も撮っていなかったことに気づき少し後悔。。
自分を語ることの効果
渋谷くんと話していて、少し自分に驚く瞬間がありました。
というのも、今まで悶々と自分が悩んでいたテーマについて喋り出すと、今まで自覚すらしていなかった感情や考え方を口にしているときがあったからです。
きっと自らの喋っている文脈を自分で聞きながら必死に頭を回していると、無意識下に言語化が上手くいった、なんてことなんじゃないかと思っています。
頭の中を整理できるという意味でも、人に自分のことを語るって大事なことだなと感じました。
渋谷くんがとても聞き上手だったのが大きいですね。
1番の収穫だったのは、僕にとって最も重要になってくるのは「何をやるか」よりも「どこでやるか」でありそうだということです。
今まで住んだことのある地域にそれほど強いこだわり、帰属意識が持てていない僕には、強いモチベーションになるのは「どこの(+誰の)ためにやるか」ということになりそうだと思ったからです。
何をやるかというのは地域の資源を活かすように柔軟に対応していきたいと思うし、「どうやるか」をこだわることでどんなことにも楽しさを見出す自身はある。
そこで今回の旅は
①各地域の文化・産業・人に触れる
②どこであれば自分の活動意欲がより得られそうか
ということを指針に進んでいきたいなと固まりました。
悩んでいたことが一歩前進し、少し晴れやかな気持ちです。
B・B・B
そして6月2日、渋谷くんが現在企画しているイベント「茨大バー・バル・バール」が行われます!
茨城大学周辺の飲食店で、お得に美味しいお酒が飲めちゃうイベントです。
はしごして新しいお店を開拓したり、新たに出会った人と楽しく飲むにはうってつけではないでしょうか。
近郊の人は是非参加してみてはいかがでしょうか?
【詳細】
Facebookページ:https://m.facebook.com/ibadaibbb
Twitter:@ibadaibbb
今日は明日からの東村山ツアーに向け、東京に戻ります!
水戸の農家さんに出会った話
旅2日目、3日目で水戸→大洗→鉾田→鹿島と移動しました。
優しい方々に恵まれ、比較的順調に進めています。
どんな道に立っていれば車が止まってくれやすいかなど、ヒッチハイクのコツも少しだけ分かってきました。
この2日間で印象的だったのは農業についてです。
茨城県は農業産出額が全国二位の農業大国。
車の中からの景色も広大な田畑が多く見られました。
そんな中水戸から大洗への移動で車に乗せていただいた、田中さんがトマトやお花の栽培をしているとのことだったので、お願いして見学してきました。
トマト「キャロルスター」
田中さんの奥さんは祖父の代から農業をされているとのことでしたが、ご主人は三年前に脱サラし、トマトを作り始めたそうです。
少し驚いたのが、トマトを農協に出荷するだけでなく、独自に販路を広げて販売もされていること。
Facebookや口コミで、直接買いたいというレストランやマーケット、個人客と繋がったそうです。
TPPが騒がれるなか、競走が激しくなると農協から自立した農家さんも増えるのかな?と農業については不勉強ながら考えました。
お土産にとトマトを1袋いただきました。道中大事に少しずつ食べていますが、すごく甘くて美味しいです。ありがとうございます!
ユーチャリス、クリスマスローズ
この2つ、どちらもお花の名前です。僕は今回初めて聞きました。
クリスマスローズは2、3年かけてやっと花が咲くので、とても根気がいるお花だそう。
ユーチャリスは最近は結婚式などで使われる高価なお花。
田中さんの祖父が日本で初めて自家栽培を始めたという。
当時お米を作っていたが歳をとるにつれ出荷が辛くなり、転作を考えていたところユーチャリスの存在を知った。
ユーチャリスの栽培はとても難しく、日本ではまだ栽培している農家はいなかった。
田中さんの祖父はそこに目をつけ、アマゾンから球根を取り寄せ栽培を始めた。
試行を重ね栽培を成功させた田中さんは、今では日本有数のユーチャリスの生産者となっています。
しっかりと周りを洞察して選択をすること、新しいことにも積極的に挑戦することの大切さを学びました。
鹿島を歩いていたときに見かけた農家の方の写真。農のある暮らしっていいなあ、と感じました。
鉾田市の深作農園で喉をゴロゴロ。
今日は明日人と会う約束があるので、つくば方面を目指します。
日本の地域に触れる旅を始めました
初めまして。高室航と申します。
愛知県立大学の3年生です。
詳しい自己紹介などは追々していこうと思います。
この度、今年度の前期を休学して、旅を始めました。
日本の色々な地方を訪れ、そこの産業や文化に触れるための旅です。
得た気づきを発信するため、あとから振り返るためにブログを始めてみます。
三日坊主の上級者なので、期待半ばで見守っていただけると嬉しいです。
旅を始めた経緯
大学2年の夏まで、僕は大学卒業後の進路についてまったく考えていませんでした。
専攻のスペイン語をそこそこに身につけて、それをそこそこに活かして就活して、そこそこに有名な企業に入るんじゃないかなー、なんて他人事みたいに考えていた。
しかしある時をきっかけに自分がどう生きたいのか真剣に考え始めました。
自分はどういう人間なのか。どういう過去を生きてきて今にいるのか。
しばらくして、ひとつのことに気づきました。
日本の田舎が好きだ。
趣味の自転車でのどかな土地を走ったときの幸福感が強く印象に残っていた。
この気づきを出発点に、僕は大学卒業後、地方で働きたいと思うようになった。
しかしまだ、どこで、何をしたいのかが決まりきらない。
そこで、かろうじて見えてきていた僕の強い関心は、「いかに地域の魅力でお金を生み、魅力に還元するサイクルを回すか」ということみたいなので、この疑問をテーマに日本を旅してみることにしました。
たくさんの人に会ってヒントを得たいです。
なんか今まで細分化、具体化して考えようとしすぎていたけど、結局は自分が挑戦してみたいことって
— Wataru Takamuro (@bici3134) 2017年4月17日
①地域の魅力を価値として提供する
②その対価としてお金を得る
③得たお金を地域の魅力に還元してサイクルを回す
この3つなのだと思う。
【1日目】ヒッチハイクと人の優しさ
初日の今日は夜行バスで名古屋から東京へ移動してから、旅スタート。
人との出会い、思いもよらない寄り道を大切にしたいのと、お金がないので移動はヒッチハイクです。
人生初の試み。
最初は浅草付近の国道でスケッチブックを掲げても一向に車は止まってくれず、無謀な挑戦だったのかと、少し心が折れそうになりました。
しかし場所を高速のインター手前に移し再開すると、10分程度で1台止まってくれました。
初の成功、飛び跳ねました。
東京への買い物帰りというご夫婦に茨城県土浦まで乗せていただきました。
道中はご主人が営業の仕事で全国を周ったときのことを聞かせていただきました。
ありがとうございます。
その後も水戸を目指すも、苦戦。四月にしては強い日差しに疲れコンビニで休憩をし終えると、2人の若い女性に話しかけられました。
「あの、ヒッチハイクしてますよね?見かけて戻ってきたんですが…」
予想外のタイミングで成功です。わざわざUターンして戻ってきてくれました。
しかもご自宅は土浦あたりだというのに、ドライブだと言って水戸まで送ってくれました。
本当に頭が上がりません。ありがとうございます。
後部座席にいたまだ2歳くらいの息子さん、れんたろうくんが可愛くてほっこりしました。
ヒッチハイクをすると人の優しさが染みますね。
直接は恩返しできないかもしれないけど、僕ももらった分以上に人に優しくするのがお返しかな、と思っています。
僕が儘に生きる
僕はまだ"自分"というものを見つけられていない。
いつも様々な迷いや悩みから、自分のありたい姿を見失ったまま進もうとする。
僕が僕の心の欲するままの姿でありたい。
しかしそれは我が儘な生き方であっていいという訳ではない。
生業となる仕事や土地を探す、
僕が儘に生きる道を探す、
そんな過程を残していくブロクになればいいなーと思います。
頑張って続けます。
旅の間、携帯の充電が気がかりですが…。
千波湖にいた白鳥。めちゃ人慣れしてた。
明日は水戸の産業を見て周り、大洗に移動できるといいな。