「いいね」と「いいなぁ」

「何してるのー?」って聞かれた時に「○○している」って答えたときの返答が「いいね」なら共感でうれしい。

 

だけど「いいなぁ」って言われると、身構えたくなっちゃう。

 

「素敵だね」と思われるのはいいけど「うらやましい」と思われるのは怖い。

投影

よく「人は鏡だ」という表現を聞くけど、今日なんとなくぼーっと考え事してたら腑に落ちた事があったので書いてみる。

 

たまに私の事を、私が考えてもいないネガティブな事を考えているかのように捉える人がいる。ズルい事、卑怯な事を考えているとの決めつけをされたり、怒りに捉われているのではないか?という決めつけをされたりする事がある。実際はそういう状況じゃない場合でも。

そういう人と関わる際には、私の事をまだよく分かってくれてないからなのかな?もっと距離が近くなったり、理解が進めばそんなに悪いやつじゃないってことに気づいてもらえるものだと思ってた。

 

でも違う気がしてきた。

 

私が考えてもいないネガティブな発想を口に出す人は、自分が私と同じような状況に立ったら、そのネガティブな発想に陥ってしまうのだと思う。そういうネガティブな心の持ち主なんだと思う。自分がそう考えざるを得ないので、ネガティブに考えない私の発想が理解できないのだろうと思う。

 

あまり長い期間、このような決めつけをされていると「私が気づいていないだけで、そういうネガティブな発想を私は持っているのかな?」とか思い込まされてしまう。そうなると、自分のポジティブさ、善良さへの信頼がゆっくりと崩れてしまう。自己評価が低くなり、自尊心がじわじわと溶かされてしまう。

 

決めつけをする人と離れてある程度の時間が経って、この事にはじめて気づいた。一緒に居て、決めつけられている間は気づかなかった。

 

他人に対するネガティブな決めつけをしない人、ってのはたまにいる。長く一緒にいるパートナーのような存在としてはこういう人を選ぶ方が幸せになれるような気がするな。今度は明るい発想の人といたい。一つのフィルタとして意識しよう。

ポジティブな人というのは、家族や友人に愛されて育ったのだろうと思う。私がポジティブでいられるのは、親に愛されたからなんだろうな。親と同居している時には知らなかったけど、ずっとどこかで感じていたのだろうなと思う。