ショコラ日和

海外文通を通して、世界の友達と井戸端会議しています。

大型犬

我が家の子犬、(2歳までは大型犬は子犬!)1歳半、
バーニーズマウンテンドッグで44キロ!
まだまだ肩もお尻も子犬らしい。
(成犬のオスはもっとがっしりしてくる、と獣医さんが言う)

短めのリードを手にぐるぐると巻き付けて散歩をしていた。
雨上がりの夜、雨が止んだ瞬間に少しでも散歩にと歩いたとき、
近くの公園で「こっちに来ないで!」と叫ばれた。
まさか私に言われているとも思わず公園に入ると、
「キャー!!」と。
1mはあるような伸縮性のリードの柴犬が我が家のバニちゃんに
吠えながら向かってきた。
(この吠えながら飛びかかる柴犬をうちの愛犬が噛んだら問題だろうし、
この柴犬から愛犬を守るべく私が柴犬を蹴っても問題で…
正解は何だ?うちの愛犬が噛まれるだけっていう一択?と
脳内でフルスピードで考えた)

愛犬をお座りさせようとして踏ん張ったところ
(ほかの犬や人に出会うとお座りさせて通過を待たせたりする)
ぬかるみで足が滑って尻餅を私が付いた。
手にはぐるぐるのリードのまま。
「やめてーーー!リードを放さないで~!!!」と
甲高い叫び声の柴犬の飼い主の女性。
いまだかつて、公園で愛犬のリードを離したことなんて
一度もないですけれど。44キロの子犬のリードを公園で放す人が
いると思うか?その甲高い声は余計に犬を興奮させる、と
犬を飼っているのに思わないのか?と、
水たまりに尻餅をついたまま(怒りと呆然として)無言の私に
「来ないで~!!リード離さないで~!!やめて~!!」と
言いながら柴犬のおばちゃんは私と愛犬の前を横切って去って行った。
出口、反対側にもあったけれど…なぜ横切った?長いリードのままで。

しかも、捨て台詞が「大型犬なら腰にもリードつけて!」と。
伸縮リードで吠え続ける柴犬のおばちゃんに言われたんだけれど…と
泥まみれの私が帰宅して家族に告げたところ、
こどもたちは「あぁ、あの柴犬のおばちゃんやろ?」と有名人だった。
「うちの柴犬が興奮するから、ここの通りを歩かないで。」とか
「道路の反対側を歩いて!」
(リードが長すぎて道路まで柴犬が出てくるから)
と言ってきたそうで、すごい人だった。

それでも、夫が「大型犬だから、威圧感や恐怖感を与えることは理解できる」
というので、首輪とリードだけではなく、ハーネスと腰ベルトも
買ってつけることにした!
それでも、「大きいから怖い」と言われる。
まぁ、大きいから…。
ここ数週間で、「大きいから怖い」と言われ続けて、
「どうなんでしょう?」とざっくりと獣医さんにワクチン接種ついでに
我が家の愛犬の性格等について聞いてみた。

私の実家の柴犬は予防接種に4人がかりで押さえこみが必要で、
母が一人で動物病院に行ったときは、「一人で来られたら困る!」と
言われたほど暴れるわ、凶暴だわ、噛みつくわ…。
我が家のバニちゃん、診察台に抱えて乗せるときに二人いるだけで、
動物病院で噛むことはおろか、唸ることもなく、吠えることもなく…
「バニちゃん!」と呼ばれてルンルンで診察室へ入っていく。
「上手に育ててますね。体型もちょうどいい!賢い!」と絶賛された。

そして数日前、家のチャイムが鳴り、「お宅の犬のうんちちゃうか?」と
3ブロック先にうんちが放置されている、と。
ウンチが大きいから大型犬=お宅、という図式で。
夕方の散歩をこどもたちにお願いした時のうんち放置?
そんなこといままでなかったのに?と思いつつ、うんちを拾いに行くと
我が家のバニちゃんのよりは小さいような…臭いも違うような…
でも、そうか、大型犬は周辺でここだけって思われているから
大きめウンチは全部、我が家の落とし物という疑惑の目で見られるのか!
おじいさんは「大型犬なら昔は訓練に通わせたものだけれど…」
お宅は訓練もさせてないんだろ?と暗に言われた。
訓練したところで、うんちを犬は拾わないと思うけれど…。

愛犬が1歳の頃、ドッグトレーナーをお願いしようとしたことがあるけれど
「訓練が入りそうな犬ではない」と言われ、そのまま。
大型犬だし、訓練させておかないといけないのか?
うちのバニちゃんは訓練が必要なのか?と
警察犬訓練所に問い合わせの電話をかけてみた。

「訓練を受けさせようと思ったきっかけは?」と電話で聞かれ、
「大型犬は怖い、というご近所さんの声があるので」と話した。
散歩量は?と聞かれ、平日は朝1時間、夕方1時間、
週末は天気が良ければ早朝に畑に2時間、朝散歩1時間、昼から畑へ2時間、
夕方散歩に1時間…(ほぼ出ずっぱり…ともいう)
それ以外は寝ています…と言うと、「でしょうね」と言われた。
「それだけ運動すれば足りてます…」と。

「お困りごとは?訓練でどうしたいですか?」と聞かれた。
お困りごと…無駄吠えも特にせず、攻撃的なわけでもなく、
凶暴性も感じず(実家の柴犬の方がすごかった!)
散歩もリードをピンピンにして、ヒーヒー言いながら散歩をするわけでもなく
(実家の愛犬は引っ張っての散歩が常だったので)
私の歩行速度に合わせてゆったりと歩いてくれる。
(走らない散歩の快適さに感動した!訓練せずとも…)
家の中では常に”ヒール”(横にくっついて歩くこと)で。
こどもたちは”ストーカー”と呼ぶけれど。
問題行動なんて正直、見当たらない。

「訓練、いらないかもしれませんね。」と訓練所の人に言われたけれど、
「とりあえず、一度、来てみてください」ということで行くことになった。

獣医さんに1歳半での訓練所は遅いと思いますか?と聞くと、
「大型犬は2歳までは子犬って言われるくらいに幼いから大丈夫だと思う。」
(警察犬や作業犬にさせるのではなく、家庭犬のレベルの訓練ならば
という条件つきで)
ということだったので、我が家のバニちゃんが訓練所で体験訓練して
どうなるのかちょっと楽しみ。
ちなみに、バーニーズは本当は大型犬ではなく”超大型犬”で
英語では"giant big dog"になる。
ジャイアント・ビッグ・ドッグ、
和製英語っぽい嘘くさい英語!…でも、本当に使われている。

『犯罪は予測できる』

犯罪機会論、という言葉を数日前に知った。
犯罪を未然に防ぐ、という考え方で、”予防歯科”みたいだと思った。
予防歯科、虫歯になることを防ぐこと、フッ素塗布など)
現在は犯罪原因論が主流のようで、どうしてその人は犯罪を犯したか、
に着目されるという。
それは半分正解で、半分正解に永遠にたどり着けない気がする。
同じ環境で、同じ条件の人なんて存在しない中で、
その人の犯罪を犯すまでをいくら突き詰めたところで意味がないのでは?
まるで「あなたは、なぜ今日、宿題を忘れたのか?」と聞かれる子どもと同じで、
「忘れた」ことを追及しても意味を感じられない。
犯罪機会論は犯罪者を生み出さないようにするシステム作りに
近い気がする。

この頃、新聞で見かける「コーヒーをRを注文してLを注いだ」、
という事件。あれは窃盗になるらしく、
中学校の校長先生が懲戒免職になっていた。
コーヒーの窃盗で懲戒免職?そこに常習性があったとしても
コーヒーで懲戒免職になるのか!?と驚いた。
その一方で、疑問に思った。
「また、このコンビニコーヒーの窃盗?」と新聞を読んでいる私が
思うくらいならば、コンビニで働いている人たちには日常茶飯事なのだろう。
それなのに、なぜシステムを変えないんだ?と。
コーヒーRとコーヒーLの機械を対角線に設置することや
R専用カップは黒色に、L専用は白色に、と明らかにわかるようにすること
(注文した人だけでなく、周囲から一目瞭然にすることで抑止力になるのでは?)
犯罪者にさせないシステムづくりがもっと簡単にできそうなのに
そのシステムを作らず、窃盗しやすい環境を作り続けているのでは?と思った。
”犯罪機会論”はそういった”犯罪の機会”について考えている。
性善説ではなく、性悪説でのシステムづくりが根幹。
私自身は性善説を信奉しているけれど、”魔が差す”こともわかる。
魔がさしかけた時、抑止力に働くシステムがあれば、機会、場所、システム、
どれかひとつでも欠けていれば犯罪者にならなかった人は
たくさんいるのではないか?

『犯罪は予測できる』

犯罪機会論について、犯罪や防犯の常識が実は全く事実と異なること
などがたくさんでてくる。
防犯カメラは役に立たないこと、(防犯カメラを気にせず犯罪をする人がいる!
防犯カメラが抑止力になっていないという現実に驚いた。)
イラストでよく見るわかりやすい”不審者”、サングラス、帽子、マスク…
ではなく一般に溶け込んでいること(考えれば当然!ピンとくれば110番
恰好をしている人なんて、見たことない)
人通りの多いところは傍観者効果で、結局誰も見ていないこと…
つまり、私たちの知っていた”防犯”はほぼ間違いだったってことか?!と
衝撃を受けた。

 

『赤ちゃんはトップレディがお好き』

『赤ちゃんはトップレディがお好き』

 

仕事一筋で共同経営者目前のキャリアウーマンの元に
従妹の遺児がやってくる。
今までと同じように仕事はできず、担当していた仕事は男性に奪われ、
バーモントの田舎で一旗揚げる話。

1987年、ほぼ40年前の話なのに、古いところは登場人物たちの
服装と髪型だけ。
キャリアウーマンが子どもと仕事の二者択一を選ばされる。
男性はどちらも得ることができるけれど、女性が選ばされ
そしてキャリアを捨てて去っていく。
いまリバイバル作品を作っても、なんの古さもなく、
なんの改善策もなく…このままのストーリーで十分通用する、
40年前の映画なのに。
というところが、一番、ショックを受けるところだと思う。
呆然としながら観た。

40年前の女性たちはこの映画をどのような気持ちで観たのだろうか。
キャリアを捨て去った、追い出された会社から、
再オファーがあって、一旗揚げた女性というハッピーエンドストーリー
だったのだろうか。
約40年後の私は、なーんも変わってない…と憂鬱な気持ちで観たけれど。

疲れる本が続いたので、気軽に楽しめる映画を!と思ったのに
ズドーンと気が滅入った。
40年…進化なしを目にしてしまった。

 

間違い

太郎の高校から18時過ぎに電話があった。
「A高校の1年D組担任の佐藤です。」と深刻そうな声で。
入学して1週間で担任から電話があるって、なに?と動揺していると
先生は続ける。
「お母さん、太郎くんから今日のことを聞いていますか?」と。
えぇ?!太郎から報告を受けるような、
高校から自宅に電話があるようなこと?
暴力行為?喫煙発覚?万引き?
ほかになにがある?
どれもうちの太郎がするように思えないんだけれど…
(”うちの太郎ちゃんに限って!”ということではなく、
あの太郎が暴力行為なんてできるわけもなく、喫煙もしないだろうし、
万引きせずとも太郎は守銭奴でお金もある…)
「朝の登下校で…」(年に5人はその高校の生徒が救急車に乗る、という
交通路の多いところを通る高校)
という先生の話に「交通事故ですか?」と聞くと、
「いえ、違うんです」と先生。
簡潔に用件だけをさっさと話してください!と思いながら聞いていると
なんてことはない、登校中に自転車で一人こけて、制服のズボンが破れた、と。
・・・それだけ?
制服が破れたっていうことを伝えてくださったんですか?と
頭の中で暴力行為、万引き、喫煙、各種犯罪にトラブルを想像した私は
拍子抜け。
「入学してまだ1週間なのに、ちょっと修復が難しい大きさの穴で…」
と言われて、我に返る。
いや、そうよ、それ!7回も着ていない新品の制服のズボンじゃん!
帰宅途中の息子に電話で穴の大きさを聞くと(帰ってくるのが待ちきれず)
「中学校の制服に開いたズボンの穴くらいで、たいしたことはない」と。
あぁ、そうか、たいしたことはないならよかった!と思ったけれど
中学校のズボンは3年着た結果、それ7回しか穿いてないズボンです…。

そんな電話を受け取った数日後、電話が鳴った。
「山中さんか?」と。「ええ、そうです」と応えると
「お宅の駐車場なんだけれど…」と、おじいさんが駐車場を語る。
隣の車がこっちに寄せて駐車するのをどうにかしてほしい、
という話で…
「はい?うちの駐車場ですか?」と聞くと、
「そうや、おたくのやろ?B市や!」と。…B市は近隣だけれど、
そんなところに我が家の駐車場はない。
「それ、間違えていませんか?」と聞くと
「お宅、A市もB市もC市も駐車場もっている山中さんちゃうんか?」と。
どうやら不労所得でがっぽりの山中さんがいらっしゃるようですが、
「残念ながら、その山中さんではないですね。間違えてますよ」と伝えると
「そうか」と残念そうに言っていた。
いや、私も残念です。同じ苗字でそんなお金持ちがいたとは…。

2件の電話でダメージを受けていると、高3の娘が実験結果の考え方が
まとまらない、という話をしてきた。
結果を見ての考え方がそれぞれ違う、と。そういうことはしばしば起きる。
先日、我が家の夫が後期高齢者の飲み会に”若者”として参加してきた。
長老は86歳のおじいさんで、「最近の男は奥さんの尻に敷かれすぎだ!」と
お酒が入って言い始めたらしい。そして夫に言ったらしい。
「86年も生きていれば人を見る目には自信がある。
山中さん!あんたの奥さんはやわらかい、やさしい、今時めずらしい女性だ。
あんたは奥さんをきちんと操縦できてそうだな!」と。

夫は「やっぱり86年生きてても人を判断することは難しいんだな。」と
メイさんを”やさしくて、人柄のやわらかい、扱いやすそうな奥さんだって”と
楽しそうに言っていた。酔っ払いめ!
いやいや、「やっぱり86年生きている人は人間の本質がわかるんだわ。
私の優しさや柔らかい人間的本質を見抜かれているなんて!」と私は思った。
今年はこの言葉で生きていけそう。
「優しくて柔らかさがにじみでている」そうなので。

 

春の怪談


夏にはまだ先なのに、すでに鳥肌が立った怖い話がある。
こどもたちの学校への送迎をたまにする。
土地柄なのか、3人とも違う学校に通っているけれど、
どの学校へ行こうとも墓場がある。
お寺があったり、火葬場や葬儀会場を通ることもある。
最初は怖い~と思っていたのに、慣れというものは怖いもので
何とも思わなくなってきた。
娘に至っては、待ち合わせに「〇〇家の前」というので、
そんな家の名前を言われても…と思ったら、墓場の前だった。
・・・そんな待ち合わせ場所は嫌だ。

夕暮れに部活帰りの子たちが墓場の横にいた娘を見て
「おい、お前見えたか?!」と確認しあったらしい。
ちょうど一人しか見えない位置だったようで(多分、死角に入っていた?)
「いや、見えない。なにが?」という会話の後で
猛スピードで自転車が駆け抜けた!なんていう話も聞いた。
顔が青白すぎて幽霊に間違えられているじゃん!という
弟からのツッコミにも娘は気にしていなかった。
「高校の先生が、お金をもらわなくてもやりたいと思うようなことを
仕事にすると毎日が楽しいぞ、って言っていたけれど、
これ(幽霊ごっこ)かな?」と言う高3の娘に不安になった。
模試の結果にも不安が…。

私の愛車はすでに年季が入ってきているけれど、
アイサイトがついている。(多分、超初期の!)
いろいろとご丁寧に教えてくれて、自転車の高校生を避けて
車線を越えると「ピピピピ!はみ出し注意!」といった具合に。
知ってる!わざとなの!と愛車に文句を言っている。
それでも、アイサイトがあれば夕陽がまぶしいときに
人間の代わりにきちんと危険を察知し…と思ったら
私の愛車が初期のアイサイトだからか私が夕陽がまぶしい時は
「ピピピピ!カメラ不良」となるものなので、つい
あんた、使えない子ね…と毒づく。

そんなちょっと残念なアイサイト、
結構な頻度で「ピピピピ、前方注意!」と言う。
なーんにもないところで。
最初にそれに気づいたとき、故障か?と思ったけれど
よくよく考えると同じような場所で「前方注意」となる。
な~んにもないのに。
あるとき、気づいてしまった…。
火葬場や墓場の前を通るとき、葬儀会場の前を通過するときに
「ピピピピ、前方注意!」って、でる。
いやいや、私には何も視えませんけれど…と。
しかも、それが毎回ならば、ここは何かを誤感知しているのだろうと
思えるものを、毎回ではないことがまた怖い。
「ピピピピ、前方注意!」となるたびに、
「今日はなにかいるのね!」と、ぞぞぞぉ~!とする。
私の愛車のアイサイト、何を感知しているんだ?
”前方注意”と促されたところで、右へ避ければいいのか
左へ避ければいいのかもわからないので、
ひぃ~!と思いながら進む。

そんな話を夫にした後、夫が私の車で出かけた。
「前方注意って、表示、出たで。」と、帰ってきた夫が言った。
墓場で?
葬儀場前で?と聞くと、
「よく交通事故がある交差点と踏切。」
ゾゾゾゾ~!
愛車のアイサイト、何を感知しているのか知らないけれど怖すぎる…。

『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」』

”ベーシックサービス”という言葉を目にした。
ベーシックインカムは聞いたことあるけれど、”ベーシックサービス”は
初耳だったので調べてみると、
「医療、介護、教育などのサービスを収入の多少にかかわらず
すべての人が使えるようにする」という提案らしい。
財源は?と、すぐに思ってしまうけれど、ちょっと興味があったので
発案者の本を読んでみた。

『ベーシックサービス 「貯蓄ゼロでも不安ゼロの社会」』

著者の経歴、ラサール高校→東大→慶応教授、
母子家庭で「母と叔母が借金にまみれながら学費を捻出」という経歴に
そうか、だから”ベーシックサービス”なのかと
すでに本を読んだ気になってしまいそうになった。
私の経験では、高学歴(大卒と言う意味ではなく高い偏差値の大学卒)の
人々は往々にして自分の学歴や学力を”自らの努力で得たもの”と
思っている。
いや、それは確かに正しい。でも、完璧ではない。
親の世帯年収文化資本といった環境要素も大きいし、なによりも
”運”も大きい、と私自身は年々、思うようになってきている。
大黒柱を大学卒業するまで失わなかったこと、
不景気の中でも大黒柱が失業しなかったこと、
(上記の理由で大学を去った友が数人いる…
私立大学なら同窓生による奨学金もあるけれど、国公立大学にはない、と
教授たちが言っていた時、衝撃を受けた。…20年前の話だけれど)
それはもう”努力”ではどうにもできない”運”があった。
彼らと私の違い、それはもうただの”運”だと思った。
ただの幸運。
その一方でただ不運に見舞われなかっただけの人たちが学歴がない人を
”努力しなかった”とみなすことに私はどうにもやるせない憤懣を抱えていた。
いつ不運に見舞われるかもしれない、と私は怯えているので
ベーシックサービスという考え方には賛同できる。

本書で出てきた「恥ずべき暴露」(shameful revelation)
哲学者、ジョナサン・ウルフの言葉で、生活保護申請者が
申請に際し、いかに自分が貧しく、弱い存在であるかを告白しなければ
いけない感情を見事に言い表している、と出てくる。

最近ではお店などでよく見かけるようになった女子トイレに置かれている
”生理用ナプキン”。
我が家のこどもたちの中学校では”保健室の先生に申告すればもらえる”
と子どもたちが言っていて、私は「はい?」と呆れ、
ママ友たちに「どう思う?!」と、同じように怒るだろうと思ったら
「それでいいんじゃない?」と言われて驚いたことがある。
えっ?そうなの?「生理中なのにナプキン忘れました!」レベルから
「経済的に困窮を極めていて今月はナプキンを買えそうにない」レベルまで
先生に報告するの?
なんのために?ナプキン1つか2つもらうために、そこまでの
自分の状況を語らせるの?そこに違和感は感じないの?と驚いた。
生理用ナプキン、1枚3000円するわけでもないのに?
そのナプキン1枚に払わせる精神的代償に見合っているのか?
話を聞いて、その後の対応を学校は何かしてくれるのか?

ベーシックサービスとはなにか、の入門書に最適な一冊。
とても読みやすいやわらかな文章。
この本を入り口に多くの人が政府に求めるものは?
自分の幸運さや公平さとは?について考え始めるだろう。

性別

中2になった息子が「書類に不備があった!間違えている!」と
憤りながら帰ってきた。
えっ?もしかして、またやってしまった?
子どもたち3人の生年月日をよく間違える…。
太郎の生年月日に花子の生年月日を書いたり、
次郎の生まれ年を花子の生まれ年にしたり、
花子の生年月日に太郎の生年月日を書いたり…
「もう誰も合ってない」と子どもたちに呆れられる。
こどもたちが小さい時の健診票に出生時刻まで正しく書けていた。
「誕生日を間違える親なんて、信じられない!」と思っていたのに
いまはもう「誰一人あってないから」とこどもたちが自分でチェックする。

そんな私が書いたこどもたちの書類、戻ってきた?
生年月日、チェックしたんでしょ?と中2の息子に聞くと、
「生年月日ではないところが違う」と。
まさかの自宅住所?(3年前に引っ越したので)と確認、
まさかの電話番号?(3年前に引っ越したので)と確認、
合ってる。
生年月日も!
どこが問題なの?と聞くと、「ココ!!」と息子が指さした先は
まさかの性別。”女”に〇をつけてた。
・・・あら。
でも、これ心臓健診の問診票で、性別により心臓の位置が違うわけでも
心臓の数が違うわけでもないのに
性別を記入させる必要があるのか?というところから
ちょっと聞きたい!と言ってみたけれど、息子は
「間違いをさっさと認めて修正して」と冷たかった。

そんな”性別”、春から高校生の息子の入学説明会で生徒指導の先生が
制服について話していた。
「わが校でも女子生徒がスカートかズボンを選べるようになっています。
男子生徒でもスカートが着用したい場合は‥‥検討します。」

息子とは違う高校に通う娘の高校も制服にズボンが導入され、
ズボンを選んでいる女子生徒も多く見かける。
「男子生徒のスカートも検討する」という発言に生徒指導の先生の年代の
限界を垣間見た気がした。
男子生徒のスカート着用は”検討”案件なのか?と。
「制服にはスカートとズボンがあります」でよかったのでは?
そこに”性別”による区別をする必要があったのか?と
ずっと心に引っかかっている。だからきっと中2の息子の性別欄も
誤記入したに違いない…ということにしたい。

私ならいろいろと引っかかって、結構、厳しい高校生活を送ることになる、
と思っているので息子の高校生活を心配していた。
「クラスに同じ中学校からの人は一人もいない」という状況の中、
すでに教室でグループは出来上がっていて(同じ中学校出身の?)
「お弁当を食べる相手がおらず、椅子もなく、校舎をさまよって
お弁当を食べることなく昼休みが過ぎた」なんていう状況に
息子と同じ中学校出身の友達がなっているという話に心配で仕方がない。
毎日、息子が帰宅すると「Bくんはお弁当食べれたのか?」と
心配で息子よりも先にBくんのことを聞く。
「今日も校舎をさまよったらしい」と聞くと、お弁当が詰まったままの
お弁当箱を夜に見るママさんの気持ちを想像し、私が泣けてくる。
初日は「教室でがんばれ!友達を作るんだ!」と伝えていたけれど、
3日目にもなると、「一緒にお弁当を食べてあげなさい!」にした。
ランチタイムに見知らぬ校舎をさまよう新1年生の心細さを
想像するだけで泣けてくる!お昼になると息子ではなくB君の心配をしている。
他人の私でこれなら、Bくんのお母さんはどれほど心配だろうか…と。

まさかうちの太郎も同じ状況なのか?と聞くと、
太郎は出来上がったグループの中で一番大きいところへ初日から
入れてもらったらしい。
「友達を作るのに効率良いやろ?1日で10人や!」と。
その10人の中でまた別の中学校の友人を紹介され…と倍々ゲームらしい。
楽しい高校生活を送ってほしいと心から思う。
自分のこどもたちだけではなく、すべての高校生たちに。