blacksmilesurfのブログ

『旦那の悪口は糞の役にも立たない』 『妻である仮面』は自分でつけたんだからいつでもどこでも自分で取れる!外せる!捨てれる!

自分の幸せを追求する足かせ

子供が居る人は、自分の分身である子供達の幸せをまず一番に考えてしまう。

周りからも離婚はかわいそうだと諭されたりするから余計に子供が…子供の気持ち…となる。

特に私みたいに旦那が、誰から見てもパーフェクトに見える形だと、離婚したいなんて口にした日には、なんたるわがままビッチだと非難の嵐。

さっさとスパッと離婚に踏み切る夫婦は大概、離婚しないとどうしようもない所に気持ちも立場も追いやられて、揉めようが養育費を払われなかろうが、明日から生活どうしよう状態だろうが、とにかく離婚する。

子供達の為に、仮面夫婦でも、口利かなくてもいいから両親揃ってなんとかやっていきなさいよ!
私はあなたの倍生きているから私の言うことに間違いはない!

私は離婚のむねを伝えた姑にこう言われた。
この言葉は完全に私の心を凍らせた。

こんな事を平気で人に向かって言えてしまう人っていうのは、現代の人として人生を生きていない戦国の幽霊みたいな人だ。

旦那、過保護万歳。

親は子供が、誰が決めたか分からんレールを踏み外さないように、体裁を取り繕う為に、家族は必ず揃っていなきゃいけないんだ、孫に会いたいという自分のエゴを押し付けるためにいるんではない。

世界を敵にまわしても、ただ自分という人間を世界一愛してくれる存在としているのだ。

私はそう信じてる。

バカ娘の私を、必要あらば時に突き放し、叱り飛ばし、門前払いをし、テメーのケツをテメーで拭かせ、
間違いを犯し反省して前を向いていれば、ただ黙ってご飯を食べさせてくれるわたしの両親。

何が悲しくて、大事な娘に悲痛な生活に歯を食いしばれ!親になったんだから自分の人生を捨てろ!と言うのか。

私はそんな風に育てられた覚えはない。

テメーのケツはテメーで拭いてきたんだ。

自分の子供達くらい、テメーで育ててみせるさ!

続く…

洗脳とは恐ろしい

人からされる洗脳、自分で自分を洗脳。

私はタブルパンチを自ら自分に打っていた。

忘れもしない。
中学の修学旅行で東京タワーに登って見た景色。
「あたし…アリンコみたいにちっさいな…」と自分の存在の小ささ、
悩んでる事の小ささに衝撃が走ったのを鮮明に覚えてる。

海外旅行へ行った時も、
世界はなんて広いんだ!私のちっぽけな夢なんて私がやろうと思ったらいとも簡単に叶う!
なんだってできる!
やるかやらないかだけだ!
と、心底思った。

そんな広い視野で世の中を見ていたはずの私が、
結婚して出産して、
小さな街のアパートに閉じ込められたら、
窓から空を見上げ、スーパーへ買い出しに行き、
公園で我が子を遊ばせ家事をし、
旦那の帰りを待ち、食べさせ寝る。
の繰り返し。


それが『私の人生』といわんばかりの洗脳をかけて、
友達と会うことすら、躊躇していた。

どうせこの監禁生活をずっとしていかなきゃいけないなら、
もう一人我が子が欲しい!

相手は一人っ子、私は三人兄弟なので、
どうしてもこの子には私のように、
血の繋がった頼れる兄弟をつくってあげたかった。

二人目が産まれたら、
洗脳は加速を増して、マイホームにまで手を出した。

しかも同居。

私の両親は猛反対していたけど、
あれよあれよと同居生活が始まり、

我が子を預け、
少しづつ外に出れるようになり、
それなりに息抜きができるようにはなっていたが、
家に帰りたくない気持ちは前にも増していた。

どこにいくの?誰と?何時に帰るの?

それを子供ではなく、
姑に聞かれるストレスは言わなくても分かっていただけると思う。

この時も、私は全く分かって無かった。

自分でその環境に居ること、
それを自分で決めたんだってこと。

そこに心が無くとも、
『家族』が揃ってる事にこだわり、
子供達を中心に考えると、
そう決めて生活していたのは、

他の誰でもなく、
『私自身』だったということ。

続く…

子はかすがい

嫌よ嫌よと思っていても、毎日はやってきて過ぎていく。

我が子の成長、可愛さ愛しさ…

この生活をしていくことにただ必死だった。
少しづつ自分の置かれている現実を受け入れるようになっていた。

相手は、家の事も育児も全くと言っていいほど手伝おうという気は無かったが、

『結婚は忍耐』
結婚するっていうのは所詮こんなもんなんだな…と自分を納得させるしか無かった。

親や祖父母からの、
『旦那が真面目に元気で働いてくれるから生活できるんだよ。感謝しなさい』
『女は家を守るもの。旦那が仕事の事だけ考えれるように、居心地いいように努めなさい』

あの頃は自分をとことん洗脳した。
そうしないと消えたくなるから。



いい意味でも悪い意味でも、子供はどんな夫婦をもつなぎ止める。


私はある時、相手からこんな言葉を聞かされた。

「俺、性格悪いから普通に付き合ってたら絶対に振られてたなー。半年持たんかっただろうなー。」

そうだろうよ。
自分で自分を性格悪いなんていいのける神経の奴なんてろくなもんじゃない。

他人様には、どんなに厚い皮を被ろうと、取り繕ろおうと、口を開かずして笑顔でその場を乗り切ろうと、

同じ屋根の下、年がら年中共に生活しなければならない私に向かってその言葉、思考は、失礼極まりない。

「俺は性格が悪い」なんて、親にだって言うもんじゃない。知らんけど。

それでも、その自薦他薦問わぬ性格悪いやつとの間に授かった我が子を産んだ私は、
子供にとって唯一無二の「お父さん」を簡単にさいならー!とは出来なかった。

相手の生い立ちを知った私の、
父親を知らない父親』を、私なりに背負ってしまったから。

父親を知らないんだから、どうしたらいいのか分からないんだよ…という、周りの声の疑問が、私の中でどうにも消化されなかった。

『やらない後悔より、やった後悔!』

ひとつでも後ろ髪引かれるような気持ちが残っているうちは、違う。

相手を見切るには色々とまだ早い。

この子の父親なんだから…


続く…

妊娠中の監獄と産後の監獄の大地獄

妊娠が分かってから、あれよあれよと事が運び、心だけ完全に置いてきぼり。

親の意向で仕事も辞め、妊婦としての一人の時間はただひたすら恐怖だった。

出産の恐怖なんかではない。

なぜか常に孤独を感じて、これは現実じゃないと思う恐怖。

それはマリッジブルーだの、マタニティブルーだのというカテゴリーでくくられてヨシよする世の中の風潮。

そうなんだ、それを患ってしまったわけだと納得!
いや、…んなこと全くもって出来なかった。

おかしい!なにかがおかしい!!
なんだこの感情は!!

当初、結婚することになり、私が長年借りているアパートに、そのまま身一つで転がり込まれ、一緒に住むようになった相手(旦那)と、
家具家電、全てを自分で揃えて快適な一人暮らしを満喫してきた『私のテリトリー(家)』に、
二人で生活することになったのだが、

この違和感は一体なんなんだ!!

しょっちゅう来ていた友達も来なくなり、
大好きなサーフィンも酒もタバコも出来ない体になり、
気心知れた長年の付き合いの仲間達と当たり前に遊びに呑みに出掛けることも、パタリとできなくなった…

皆に会いたい…
私は皆と居たいよ…涙

てか、こいつ(旦那)は一体なんなんだ!!怒
誰なんだお前は!!怒

完全に脳内から心まで蝕まれていた。

自分の家に居るのにホームシックになるという摩訶不思議現象。


臨月には、出産の緊迫感より、緑の紙が夢に出てくるくらい、息が詰まって窒息死しそうだった。

無事に産まれ里帰りするも、まさかの実家でも息が詰まって、早々にアパートに逃げ帰った。

はじめての妊娠、出産、この心の叫ぶ違和感。
今思えば、私はどこにいても、誰が居てくれても、何をしてても、それは周りや環境が原因ではなくて、
私自身が完全にショートしていたからだったように思う。

親も訳が分からずただ私に怒る。
だって、自分ですら分からなかったんだから。

産後1ヶ月、完全に寝不足と体調不良で、ほとんどこの時の記憶が飛んでいる。
完全に引きこもりというか、心の監禁だった。

「これ、刑務所に入ってる方がマシなんじゃないのか…」とすら思った。

産後から、久しぶりにはじめて外に出た時の空の美しさ、太陽の眩しさすら、嫌悪感いっぱいで見ていた。

「パッと消えたいな…」
そんなことばかり考えていた。

続く…

子をみごもり産み育てる人生の大イベントの幕開け

忘れもしない、妊娠発覚。

付き合って2ヶ月の彼とは(旦那)もちろん性行為をしていた。

私は台湾旅行を控え、ウキウキしながらも少し悶々としていた。

元々生理不順は当たり前田のクラッカーだったけど、この時ばかりは旅行中の生理は嫌だなと意識しだし、思いたったら即で、産婦人科へ行った。

「生理がこないんです。」

「妊娠の可能性はありますか?」
「ありません。」

「じゃぁ生理を起こすお薬出しますから飲んで下さい。」

たったそのやり取りで診察室を出ようとした瞬間、先生が
「ちょっと待って!やっぱりお腹のエコー見ようかな!」
げ!めんどくせー高くつくやん…(-_-;)と思った。

お腹のエコーが画面に映ってすぐ、先生がいきなり叫んだ。
先生はかなりのパニックでアワアワしながら
「ちょっと!妊娠の可能性は無いって言ったよね??これ!見て!赤ちゃんがいるよ!」

「(°Д°)(°Д°)!!!」

二人とも完全に固まった…

頭が真っ白になるという経験はまさにこうゆうことをいうんだと思った。

この時この先生の心臓は床に落ちたんじゃないじゃないだろうか。と思う。

先生の声はもぅ私の耳にはところてん状態だった。

あ…てことは台湾にいけないのかな…という言葉が私の口からポロリと出た。


私は、好きで好きでそれなりに時間をかけて付き合ってお互いを知り、
相手の家族とも家族になりたい!と、将来の事をしっかり考えた結果、この人との子供が欲しい!と、きちんと自分の気持ちが固まった上で子作りするものだという気持ちできちんと生きていた。

なのに!なのにだ!!
付き合ってたかだか2ヶ月のまだどんな人なのかつかめても居ない人との、
まさかのはじめての妊娠を、信念とは裏腹に喜んでいる自分がいた。

そう、あの時の私は妊娠したこと、
『自分のお腹に命が宿った事』だけにただ喜んだんだった。

この時私は26歳。
元彼とは、将来への価値観の違いで私から別れたくらい、私は自分の人生を自分で確かに歩んでいた。

いつかは子供が欲しいと思っていた。
いつかは結婚もできればいいなとも思っていた。

なんの前触れもなく、突然その時がやってきた。

相手からの恐ろしいあの言葉を聞くまでは、
私はただただ授かったこの命を育てていくことに未来を見てた。

続く…

自分の態度を振り返る

そもそも、『旦那を愛して居ない』のに、
このご時世『結婚して妻になる』ということが私自身あまりしっくりきて居なかった。

愛の原点はとてもシンプルで、
愛する人に喜ばれたい、ただその自分の想いが原動力で全て動く。
見返りなど一切求めない。

私は何をするにも『妻だからやらなければいけない』
何を言われても『妻だから耐える』
やりたいことをやれない事も『妻だから我慢しなきゃいけない』

そこに『私の心から動く思い』はない。

そんな生き方をしていると歪みが出るのは当たり前。

常に不機嫌で、ネガティブ思考全開。

自分が発しているネガティブパワーに気付く事も無くただ相手を憎み、嫌い、
それを態度だけでなく、言葉にも出さずにはいられなかった。

自分で自分を嫌っているのに、そんな自分に執着してくる相手に、もぅただ嫌悪感しか無かった。

遂には『なんで私はこの人と一緒に居なきゃいけないんだろう』という訳の分からない思いと葛藤する。

友達に会えば息を吐くように愚痴が出て、自分の口から出てくる憎悪いっぱいの言葉に、自分が驚いてしまう事もあった。

『妻という仮面』を嫌々つけて生きるという選択をしたのは、
他の誰でも無く『自分自身』なのに、その事に気付きもせず、
ただ相手を恨みながら生活してきた自分を振り返ると、
なんだか笑っちゃうというか、お疲れ!と言ってあげたくもなる。

よくもまぁ、相手はこんな私に10年も我慢してきたよなぁ…と。

凄い忍耐力の人だと、尊敬すらする。

その反面、私の『勘』はひとつの違和感を持っていた。

(この人は、私や子供達を愛してるから一緒に居たいんでは無いな。
自分の身の回りの世話をしてくれ、めんどくさいこと、わずらわしい事を管理してくれ、責任を投げていれば自分は楽だから。
仕事から帰って衣食住のある場所をただ守ってるだけ)

この私の勘は、生活を共にしてきた私にしか分からないだろう。

認めるのにはとても苦しく、時間がかったけれど、裏を返せばそれは『自分』だった。

(そこに愛は無くとも、衣食住のある家を提供して貰い、不自由なく暮らせるお金を運んできてくれ生活ができる。家事育児さえやっていればいい)

自分で自分を叱咤するのは、なんとも心をえぐられる思いだった。

でも、ここをしっかり乗り越えなければいけない。

これは自分を否定している訳ではなく、自分で自分の間違いを認める大切な事だから、きちんと自分自身が飲み込んで納得しなさいって。

『妻という仮面をひとまず取ってみようではないか』

続く…

私の人生を取り戻すstory ~始まり~

結婚10年目…
何度離婚を考えたか数え切れない…

心が荒み過ぎて、自分という人間の本来の姿も分からない。
どんな性格だった?
こんなに作り笑いばかりして顔がひきつってた?
こんなに毎日イライラしてるような人間だった?

親の顔を見たり古い友人に会うと、不思議と確かに私は私なんだろうと思う。

これは、この生活自体が夢なの?
夢ならこの悪い夢から覚めないのはなぜ?

今まで味わった事のないこのなんともいえない感覚…

起きた瞬間から、あれ?私?あ、そうだ…あたしは結婚してここに居るんだ…
毎日毎日ずーーっと心がフワフワフワフワしてて、
地に足が着いてないようなこの感覚は何?

突然の妊娠から一気に子育てに追われて、産前産後見事に鬱にもなったけど、
自分の気持ちにはスポット当てず、フワフワした感覚を抱いたまま、
常に離婚を考えては諦め、頑張ろうと意気込む、を繰り返す

こんなんじゃダメだ!私は母親になったんだ!
もぅこの生活をしていくと腹をくくろう!と、
二人目を作ったり…家を買ってみたり…

どうして??どうして??
かけがえのない可愛い子供が二人も居て、お金にも困ってない、なのにどうして幸せじゃないの?

どうして幸せを感じられないの?
どうして楽しくて笑ってるのに冷めた心はいつも笑ってくれないの?
どうしてここから逃げたくなるの?
どうして出掛ける度に家には帰りたくないと足を引っ張るの?
どうしてすぐ涙が出るの?

答えは単純。
そう、『私が、旦那を全く愛していないから』

でも私は真髄を分かって無かった…。

理由が、

言われた言葉達に自分が物凄く傷付いたから
家事を協力してくれないから
自分さえ良ければいいって考えがあからさまだから
子供達を可愛がらないから
束縛してくるのが鬱陶しいから、、、など、、

違う。全然そんな事ではなかった。

私が、『私の、私自身の人生を自分で生きようとしていなかった』だけだった。

おんぶに抱っこだったのは、私だった。

その事に気付くのに、なんとも10年もかかってしまった。。

でも、大丈夫。私はその事に気が付いたからラッキーだ!と思ってる。

続く…