朝焼け

オタク大学生

手紙2

もう推せないから推しじゃないしオタクじゃないんだけど好きな人って言ったり推しって言ったり表記揺れてて気持ち悪いですね。適当に書いてます。

 

好きな人へ

 

こんにちは。お元気ですか?元気だと嬉しいです。私はQOLの低下を日々感じていますが何とか生きています。

 

最近は入試も直前期となり、体はあまり動かないけど心ばかりが急いて胃を痛めたりしています。いややることはちょっとずつやってるつもりなんだけど、成果が出てる気がしないというか形にならないので時間だけが過ぎていくという感じです。

昔から0か100でしか物事を考えられず、高校1年次の担任に「あなたは完璧主義だよね」と指摘された時は正直はあ?と思っていましたが大学受験や大学生活を経てひしひしと感じています。やるなら完璧に、できないなら全くやらない、過程なんかどうでもいい結果しか認めない、完全に悪い意味での完璧主義(完全主義)です。私の認知の歪みの話はどうでもいいんですが。

 

考えることが多すぎてつらいのでまたラジオを聴き始めました。ずっとにこにこして聴けるのでとても精神に良い感じがします。放送当時そこまで一生懸命に聴けなかったのでブロマガも読めておらず、今になって購入して読んだのですがこれまたとてもにこにこしてしまう内容ですね。お誕生日Tシャツ2018存在していたのか…ととてもびっくりしました。この頃はSNSの更新もなおざりになっていましたものね(嫌味言うな)(ブロマガ購読者のためだけの内緒事項にしてたのかもしれないし…)。

今も好きな人のことを思い出します。先日、将来に繋がるけど大変なバイトに応募した時も好きな人がライブのパンフレットに書いた「変化を恐れずチャンスを掴んで。でもマイペースで。」という旨のコメントを思い出していました。好きなエピソードとかイベントでの様子とか「こういうお芝居が好きだったな」とか、思い出せないことも少しずつ増えてきているような気がするけどまだ思い出せることもたくさんあって、その度に元気が出るような気がします。でもその思い出せる記憶がどれだけ私の都合の良い好きな人像になっているのかわかりません。大好きだったから、今の価値観で見た時嫌いになりたくないから(倫理観という点では信頼しているところもあるし、好みは変わってないから大丈夫な気もするが)今までの映像や音声を視聴できていないことがフィルターを強化していそうな気がします。

思い出したり出演作に触れるとどうしても「もう少し応援していたかったな」と思ってしまうんです。過去の良い思い出にしたいのに、後悔も寂しさも全部置いていきたいのに、また何回も好きになって悲しくなってしまいます。思い出せば元気になれるけど思い出さない方が多分悲しくならないんでしょうね。感情の面で折り合いのつけられない日々はまだ続くようです。忘れられたらいいのにね、いや忘れたら私の人生なんてないようなものだし…「ここぞ」を好きな人で乗り切った2年間だったので…あと普通に忘れたくないし…

 

どうにもならない生活はまだ続くようですがお元気にされているでしょうか。家族の影響でニチアサを観ることも増えましたが、セイバーはクライマックスですね。ゼンカイジャーも面白いですよね。ゾックス・ゴールドツイカーを観て笑っていたらいいな。というかニチアサの撮影場所は私の地元が多いので聖地巡礼に来なさいよ。良い街です。でも来なくていいです。良い街だけど何もないので。

好きな人が健やかであるように、あなたの選択が正解であるように願っています。どういう選択をしても好きな人の勝手だしどの選択も応援してるし私には何の関係もないけど、選択が正解じゃないと納得できないとちょっとだけ思っているのかもしれません。私は私の考えていることが何もわからない。

私には祈る神も仏もいないけど、好きな人の人生がより良いものでありますようにお祈りしています。私も私の人生を頑張ります。

 

またお手紙(極めて個人的なブログです)書きます。好きな人の出演作に触れるたびにいろいろ考えしまって(それも毎回似たようなことを考えて)アウトプットしているのでまた発作的に書くかもしれません。どうでもいいけど大量に買ったのに送る相手をなくしたレターセットどうにかしてください。またお手紙(私の個人的な生活に関する記述は一切ない感想レター)書きたいなあ。

 

今悩んでいる志望動機で書きたいくらいの文量をあっさり書いてしまって若干ショックでした。

 

では、また。

手紙

推しさんへ

こんにちは。お元気ですか?推しさんが元気だと嬉しいです。私はなんとかやっています。

最近は本格的に大学院受験の勉強を始め、毎日ウンウン唸りながら机に向かっています。

特に英語に関しては、高校時代ちゃんと頑張っておけばよかったな、進学を決めていたのだから大学に入ってからも継続して勉強しておくべきだったなという気持ちに苛まれています。

できることなら高校入学直後に戻ってやり直したい、なんなら卵子からやり直したい。

こんなことを言ったって仕方がないことはわかっているけれど思わずにはいられない日、自分の現在地を受け入れられない日がたまにあります。

人生は選択の連続で、何かを選ぶということは他の選択肢を断つ、退路を断つということであると聞いたことがあります。「本当にこれでよかったのだろうか」という悩みは人生においてつきないと思うけれど、その選択を正解にするために生きていくほかないんだと思います。

この道じゃなくてもできたこと、この道じゃなかったらできたことたくさんあるけど、多分この道じゃなかったらできなかったこともたくさんあります。私が推しさんのオタクになったのもその一つなんじゃないかな。

今までうまくいかなくて後悔していることはこれからの私が正解にしていくから大丈夫なので、推しさんと出会えたこの道が大正解だったと胸を張って生きていきたい。

推しさんも推しさんが選んだ道を推しさんが思う正解にしていってほしいです。「この選択をしてよかったな」って思えるような人生を送ってください。推しさんがご自身の人生を大切にしてくれたらとても嬉しいです。たまに、ちょっとだけ声優やってた時のことを嬉しい記憶として思い出してくれると嬉しいけどこれは私のエゴなので無視してください。

今日も勉強とバイト頑張ります。推しさんも自分の心を大事にしながら生きていてください。推しさんがどこか遠くで頑張っていると思うと私も頑張る力が湧いてきます。

今も大好きです。遠くの地で応援しています。

では、また。

オタクより

 

推せないからもはや推しではないし推してないからオタクではない、好きな人を好きな人間の話

昨夜、フィットボクシングによる太ももの筋肉痛がひどく、湯船に浸かるためにしゃがむだけでもヒーヒーいいながら入浴していた時、突然川越にいる好きな人の画が頭に浮かんだので、好きな人が川越を散歩する映像をいつ振りか分からないくらい久しぶりに観た。

 

好きな人が廃業を報告してから1年以上、廃業してから1年近く、最後のお手紙を書いて応援に一区切りつけてから11ヶ月?(1月末までお手紙を受け取ってくれるとのことだったので、1月発売の新曲を待ってからギリギリに書いて出した)になる。

廃業してから、「好き」を強めてしまうのが怖かったり単純に忙しかったりして全く声を聞いたり映像を観たりしていなかった気がするくらい本当に記憶がない。最後に声を聞いたのは機種変したせいでパソコンから取り込んだ曲が全部消えてしまい、曲を入れ直している時にたまたま触っちゃって曲が流れ出してちょっと聞いたくらいだった気がする(すぐ止めたから全然聞いてない)。ここ最近は今年放送された某ドラマにどハマりしていた影響かTwitterでつぶやくことも少なくなっていた(新規の情報がないので当たり前ではある)。

 

自分でも飽きてしまったのかなと心のどこか小さい部分で不安に思っていたけど、映像を観たら全然好きだった。色褪せない好きだった。

声が、歌声が好きで彼を見つけて、人柄で応援することを決めたが、今でも声も人柄も好きだと思った。話し方も話すことも相槌も嬉しそうに楽しそうににこにこ笑うのも全部今まで好きだったように好きだった。

散歩が趣味の彼が本当に楽しそうに川越を歩いて買い物をしてヨーヨーを釣って食事をしている様子が大好きで、かつてイベントの開場前に配られたアンケートに「川越を散歩する映像が大好きです」という旨を書いて出したらイベント内のコーナーでアンケートを読まれた思い出も含めて川越を散歩する映像が好きだ。好きな人が川越の日本一長い麩菓子を買ってにこにこしたり、大吉のおみくじを引いたり、ビールを飲んで顔が赤くなったり終始かわいくて観てる方が健康になる映像が流れ続ける。低予算でロケやってんな!という感じもある映像だけど、好きな人が楽しそうにしていたらそんなこと気にならなかったし、今観ても些末な問題だと感じる。どこを切り取っても最高で、何回観ても同じ大きさの気持ちで好きな人が大好きだと思わせてくれる。「お仕事なのにこんなに楽しくていいんですか!?」と笑う顔が愛おしかった。

 

私は好きな人を応援していた当時「推しが辞めるまでは応援し続ける」と決めていて、それは想像していたよりずっとずっと早く達成することになってしまった。本当に本当に悲しかったけど、好きな人が決めたことは好きな人が決めたというただ一つの理由で絶対正しくて、その決断の正しさを守りたかった。「だからその決断を間違いにするなよ」とか「オタクは推しが引退したら気持ち良く見送らなきゃだめ」とかいうわけでは全然ない。私はそうしたかったしそう思いたかった。でも声を聞いたり映像を観たりするとやっぱり今でもなんで、と思ってしまう。どの仕事も真摯に取り組んでいたしお芝居だって上手だしこれからもっと伸びていくんだろうなと思っていたし、先程も川越の街並みについて解説するシーンを見てナレーターもいけるじゃん!と思っていた、今更。フィットボクシングも彼がインストラクターの声やってくれたらバリバリやるのになーとかも考えていた。

違う道に行くことを応援したい気持ちとずっと声優をやっていてほしかった気持ちの間にいて、1年近く経っても全然気持ちの整理なんてついてないけど、好きな人が好きで、今も好きで大切で、それでいいと思える。逆に1年も新規の情報がないのに好きでいられて(執着が)すごい!とすら思う。すごく久しぶりに川越を散歩する好きな人を観て当時と変わらず好きだと思えたことがとても嬉しかった。当時何か頑張らなきゃいけないことがあった時いつも好きな人の声や言葉を思い出して頑張っていて、廃業してから時間が経っても好きでいられているということは今も彼は私の心のそばにいてくれているということだと思ったし、それは救いになると思った。ずっと好きで大切にしていられるものがあることはとても嬉しいし幸せなことだ。これからもずっと私の一部になってそばにいてくれるんだろうと思う。

 

「今どうしてるんだろう」とふとした時に思う。感染症が流行って、いろんな人たちが大変な思いをしていて、私はバイトがちょっと休業したり(補償は出してもらえた)オンラインで授業を受けたりするくらいで済んでるけど、彼はどうしてるんだろう。先日通話していたフォロワーに「廃業前に次の仕事先決まってたらいいけど廃業後に仕事探してたら明らかに影響受けてるよね……心配……」などと言っていたくらい心配している。できるだけ影響を受けず元気でいてくれるといいなと思う。本当にこれに尽きるけどこれが一番難しいんじゃないかなという気もしているけど、本当に身体的にも精神的にも健やかでいてくれることを願っている。星野源さんのSUN、「祈り届くなら 安らかな場所にいてよ」を地でいってる。どうか幸せで安らかでありますように。遠く離れてもあなたを応援しています。ずっと大好きです。

手紙の話

ちょうど2ヶ月前の近況報告記事でガーデンスケイプLv1410って書いてたのに今Lv2100なんですが。2ヶ月でLv600進められるって相当暇すぎませんか?

 

バッティングセンター型コミュニケーション - 愛と喝采の日々

日頃拝読しているこちらのブログを読んで私も書いてみたいなあと思ったので、形式を倣いながら推しへの手紙記事を書きます。

 

  • 便箋、封筒、筆記具

初めて手紙書きたいなーと思った時に買ったレターセットがお気に入りで、通販でまとめ買いをして同じレターセットをずっと使っています。罫線が少ないので1枚あたりの量は書けないんですが紙がしっかりしていて大きめの花柄を使ったデザインがかわいいです。

封筒の外側は真っ白なんですけど開けると内側に便箋と同じ柄が印刷されているのがめちゃくちゃかわいくて好きなんですが、これ推しに伝わっているのだろうか、封筒の内側まで見ているのだろうか、そもそも封筒まで手元に渡っているのだろうか……

筆記具はSARASA黒ボールペン0.5を使っています。個人的にボールペンでもシャーペンでも太さ0.5が一番字を書く時に安定する気がします。

 

  • 宛名

事務所に郵送する時は事務所の住所と「○○(推し)様 ファンレター係 御中」を書いています。様に御中ってくどいと思うけど推しの名前を呼び捨てで書くなんて無理だ!と思って様をつけています。届けばいいんです。

プレボに出す時は「○○様」と書いています。

 

  • 書き出し

「○○さんこんにちは。」で書き出して、イベントのプレボに出すなら「□□(イベントのタイトル)のご出演おめでとうございます。」、イベント後日事務所郵送なら「先日の□□お疲れ様でした。」で始めています。これに時候の挨拶まで書いたらくどいかなと思って書いていません。書いた方がいいんですかね…?

出演されたアニメの感想を書いて郵送した時は時候の挨拶を書いた気がします。

 

  • 内容

出演作やイベント、雑誌などの感想を書いています。一度インタビューでの一言が解釈の一致をした上に良すぎて、嬉しさが爆発した文章を書いてしまったことがあるのですがさすがに申し訳なかったなと思いました。一言を拾われて何行も書かれる気持ち…

余談なんですが私は推しの言葉が大好きです。出演された作品や演じたキャラクターへの深い理解と思いが込められていて好きです。丁寧に言葉を選びながらお話されている印象があるのでとても素敵だなあと思っています。そういうところも尊敬しているし見習いたいです。

あと「ここがだめだった」とかは一切書きません。事務所の方からしっかり指摘されていると思うので、オタクの手紙にそんな要素は必要ないと思うからです。ただでさえお仕事して疲れているのにオタクからも悪いところを指摘されたら余計疲れるじゃないですか。推しが好きでオタクしてるので推しの好きなところをたくさん書きたい。

 

  • 締め

「読んでいただきありがとうございました。ずっと応援しています。」で締めています。あと春の花粉症とか暑さ寒さとか季節柄のことも含めながら「お身体に気をつけてくださいね」とか書きます。体大事に!

「無理しないで」と「頑張れ」の話 - 朝焼け

この記事でも言及したように「頑張ってください」はペンを持つ手が言うことを聞かなくなっても書けない(口が裂けても言えない)し「無理しないでくださいね」も最近は書かないようにしています。実際これらの言葉について推しがどう思ってるかなんて知りませんが。彼が読んで良い気持ちになることを書けたらいいなあと常々思っています。

 

  • 頻度

今年は毎月1通は書こうと思って年を迎えましたが初っ端1月は出せませんでした(有言不実行)。2月以降は郵送プレボ問わず月イチで出しています。最近は毎月1回はイベントがあるのでその度に出してる感じです。

 

  • 手紙の長さ

長いです。平均4、5枚1300字くらいだと思います。最長7枚2000字弱でした。やばいな…

前述にありますが便箋の罫線が少ないのでどうしても枚数は増えてしまうんです…言い訳です。以前は3枚くらいで済んでいたと思いますがなんでこんなに増えてしまったんだろう。申し訳ないので抑えたいです。推しと事務所の方ごめんね。

 

  • 下書き

何日かかけてiPhoneのメモ帳でバーっと下書きして1日寝かせた後推敲して便箋に清書しています。失礼な表現になっていたり同じ言葉を何回も使っていたり読みにくい箇所があったりすると嫌なので、なにがなんでも下書き段階で推敲するようにしています。推しに過不足なく気持ちを伝えたいですし、こんな長文を読んで手間をかけさせた上に嫌な気持ちにさせていたら嫌なので時間はいっぱいかけたいなあと思っています。

 

  • マイルール

項目ごとに気をつけていることを含めて書いているのでそこまで書くことがないな…

字を綺麗に書く。推敲をする。読んで嫌な気持ちにならない、嬉しくなるような内容を書く。

あとこれは普段から気をつけていることなんですが、意味の認識がちょっとでも不安な表現を使おうとする時は絶対辞書を引くようにしています。間違った言葉の使い方で嫌な気持ちにさせるのってしょうもない。

これはどうでもいいけど推しの名前を書くのが死ぬほど苦手なので練習してます。

 

 

言葉の力って凄まじいものだと思っています。

私は重い性格なのでポジティブなことでもネガティブなことでも言われたことはずっと覚えていて一喜一憂していますし、自分の発言を思い出しては毎日深夜に反省会をしています。そして手紙は物体として残る分強い力があると思うんですよね。私が友達から手紙をもらった時何回も読み返すタイプなのでそう思うだけなんですが。

あまり「お手紙受け取りました」と発信しない推しですが、読んでることには読んでいるんだなと思うシーンはたまにあります。またイベントで自分のメッセージが選ばれたことがあって、目の前の推しがその場でそのメッセージを認識したことで私の言葉って推しに届くんだと強く自覚しました。推しに届くと分かっている以上推しに向ける言葉には全力を尽くしたいです。あと「推しを大好きなオタクがここにいるぞ!」と推しと事務所の偉い人に知ってほしい。

リンクを貼らせていただいた記事の方は手紙を「バッティングセンター型コミュニケーション」と例えていらっしゃいましたが、私はなんだろう。うまいこと思いつかないので保留します。何か適切な例えを思いついたら教えてください。

 

冗長でつまらない記事だなあ。こんな感じでとりあえず終わりにします。

また何かあったら書きます。

近況

  • ガーデンスケイプ

9月頃に友達がやっていた影響でガーデンスケイプを始めた。

真面目な性格が知れ渡っているので「はっさくならこういうちまちましたの続くかもねー」と言われて調子に乗ってちまちましていたが、案の定今日まで続いている。今Lv1410過ぎくらい。

イベントに縛られない生活ってこんなにも快適なんだなあ〜と思う。ローテにもガシャにも縛られず悠々自適にちまちまパズルゲームをする生活。庭を作っていくのも楽しい。

ポケ森もメリヤスを愛でながらちまちまやっているが、やっぱりイベントがある(貰えるアイテムがめちゃくちゃ魅力的だから余計イベントについていけないのがしんどい)から気が向いた時にやる感じになっている。でも最近アプデがあってめちゃくちゃやりやすくなったから続きそうな感じはする。

ソシャゲは無理なく、苦しまない距離感でやるのが適切なんだなあと改めて思う。

 

  • 運転免許

昨年末から今月頭にかけて普通運転免許を取るべく教習所に通っていた。正直バイトを辞める口実だったし大学には電車で通っているのでまだ免許は必要なかったが、暇な時期なんて今くらいだしなと思い入所した。

学科を受けるために朝から晩まで教習所にいる日も多く、また運転がうまくできず苦痛で仕方なかったが、なんとか卒業することができた。

好きな教官もいたがそれ以上何も思わなかったし仲良くもならなかった。教習所マジックなんて教習が精神的負担にならずに心の余裕がある教習生に許された期間限定の娯楽なんだと思う。

あと高校の友達に卒業以来会うことができて本当によかった。元気そうで嬉しかったし教習所きっかけでちょくちょくLINEもしている。

今月半ばに学科も受かって免許取得できたがびびってまだ運転はしてない。しないとどんどんできなくなりそうな気もする。

 

  • 大学院訪問

大学入学前より大学院進学を希望している。昨年の秋頃に将来が不安で仕方がない時期があり、大学の教授に相談したところ「大学院行って話聞いてみる?」との提案をしていただき、先日行ってきた。

対応してくれた院生は編入生であり内部進学だったため、編入生ではなく外部進学を考えている私にとって正直そこまで参考にならなかった。しつこいくらい卒論と修論の話を聞いて、あと実習や私生活の話を聞いた。就活が一番気になっていたのでそのことを聞いたら苦い顔をされて申し訳なかった。その後施設の案内をしてもらい1時間ほどで解散した。

どの院もこんな感じなのかは分からないが、学部生のうちに院試の勉強のほかにやっておくことがわかって不安が大分ましになった気がした。適当にやってたら大学卒業なんてすぐなのでこの春から気持ち新たに頑張ろうと思う。

 

  • 茶道

相変わらず週1月3でお稽古をしている。

春は木曜が全休だったから良かったが、秋は1限があったので1限だけ出て猛スピードで帰宅しお稽古していた。また春からどうなるんだろうと心配している。

かつて国文学部志望だったのだが、茶道やっている時だけは国文にしておけばよかったなーと思う。季語や掛け軸が全然わからないし読めない。でも新しいことを知るのは楽しい。

あと、70代のおばあさんたちと一緒にお稽古していて、おばあさんたちはいろんなことを話してくれたり私に優しくしてくれたりするので楽しい。でも健康なおばあさんたちとはいえ高齢者特有の病気の話になることが多く、その度に「私より早くいなくなってしまうんだな」と寂しくなって帰宅後毎回鬱々としてしまう。

血が繋がっているわけじゃないけど私が赤ちゃんの頃から私を可愛がってくれていておばあちゃんのようなものなので孝行できたらいいなあと思う。

先日先生が「はっさくちゃんがしっかりするまで死ねないねえ」と言ってくれたので信じてお稽古頑張りたい。

 

 

日がな推しのことを考える生活をしているので次は推しのことも書きたい。