川崎病から六年が経ったよ

川崎病の子を持つ親がお話しできること

川崎病闘病記(3/3)退院後の生活~6年後

3歳の発症から早くも6年が経過しました。インターネットの情報ではここまで記載されていることが少なく、一つの症例として読んでいただければ幸いです。


退院後~半年後
2ヶ月ほどかけて、毎週の通院が2週間おきとなりました。ワーファリン・アスピリンを毎朝飲ませる苦労は続いていました。毎日、あの手この手で多量の薬を飲ませるのが一苦労でした。すっかり元気になっていましたが、ワーファリンにより血が止まりにくいので、公園にあそびにいくのもひやひやでした。このころ、幸いなことに、エコーで少しずつ動脈瘤が小さくなっているとのことでした。ですが、カテーテルで検査をしないと今後の予後は分からないとの説明でした。

 

幼稚園への応募
3歳ということで、来年からの幼稚園への応募が始まりました。問題は、飲み薬ワーファリンによる、出血リスクがあることでした。隠すこともできないので、幼稚園の下見の際に説明をして回りました。川崎病は珍しい病気ではなく、幸いにも私の地域の保育士さんも理解しているようでした。ワーファリンを飲み続けて入園というのは例がないようでした。朝晩の服薬のため、幼稚園で薬を飲むこともないので、幸いにも私の地域では入園に理解が得られたと思います。

退院後の発熱
退院して1年ほどは、風邪を引いて40度近い熱が出ると、目の充血や湿疹を確認してしまったりしています。川崎病は再発することもあるので、数日間、子供に高熱が続くと再発ではないかと病院へ連れて行ったりしています。闘病を思い出すと、少し目が赤いだけでも心配になったりします。病院では念のためのエコーの検査が行われます。

 

カテーテル検査
カテーテルの放射線被ばくを気にして最後まで賛成できませんでした。しかしながら、エコーで見る限り動脈瘤はよくなっていたので、飲み薬を終わらせるかどうかの判断をするために受けさせることにしました。子供はすっかり入院慣れしていたので、3日間の入院も苦ではありませんでした。結果、若干の拡張が残るほかは、ほとんど動脈瘤がなくなっているとのことでした。幸いにして、飲んでいたワーファリン・アスピリンはなくすことが出来ました。

 

2年目以降
小児循環器科の先生とは、6年のお付き合いになります。定期検診は3ヶ月に1回から1年に1回になり問題ないことを長期的に見ていくこととなります。川崎病の病歴があると、小学校の心電図検査では必ず再検査の判定となる仕組みがあり、少なくとも年に1回は6年前の闘病を思い出させられます。

 

改めて6年間の川崎病との付き合いを振り返ってみて、今元気になっていることを感謝するしかありません。川崎病に携わる医療関係者の皆様や、親族・友人に支えられたと思います。川崎病で苦労していなければ、今、平穏に暮らせていることを感謝できていなかったでしょう。私の健康に対する感性は変わったようです。

 

子供は小学生になり、外で体を動かすより、読書とテレビゲームが好きな真面目な子になりました。川崎病が子供の人格形成に影響を与えているかどうかはなんともいえませんが、ワーファリンを服用していた時期に外で走り回る時間を奪ってしまったからだろうかと思うこともあります。このあたりは、川崎病に出会う運命であり、個性として本人が選び取ったと考えるしかありません。

 

こちらを読んでいただいている皆様のお子様が、今まさに闘病中かもしれません。その不安に少しでもお役に立てれば幸いです。引き続き情報を広げていきたいと思っています。最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

川崎病闘病記(2/3)入院生活

入院生活
点滴・注射・エコー・飲み薬などなど3歳児にとってはつらいことが多かったと思います。子供ながらも精神的にも鬱憤としていたと思います。好き嫌いも激しくなってしまい、最後にはご飯しか食べない状態に。入院につきあう私は今後どうなっていくのか本当に不安でした。情緒不安定な入院中の長男は妻への後追いが激しくて、妻が病院で過ごす時間がどうしても長くなります。妻は生まれてすぐの二男に授乳することもできなくなり、実家でおばあちゃんがミルクをあげていました。
小児循環器科にはたくさんの子供たちがいます。自分たちより後から、どんどん川崎病で入院しにやってきます。ほとんどが、グロブリン治療後、数日の入院で元気になってすぐに帰って行くのを見て、つらい気持ちになることもありました。逆に、先天性の心臓病で酸素タンクを手放せない子、川崎病から弁膜症に発展し人工弁手術を受けた子もたくさんいらっしゃいます。病気に向き合おうとする親の姿勢には、覚悟のようなものが伝わってきました。

 

闘病生活
川崎病は治療をする医師だけでなく、それを支える親や家庭や仕事などなど多くの人が子供に向き合っていくことになると思います。私は2つの病院を転院することになりましたが、自分を責めてしまうことがありました。「もし、早めに県立病院へ連れて行ってマイコプラズマ関係なく、早めにグロブリンをはじめられれば・・・」「一日早く入院させてもらっていれば・・・」今後、後遺症を持ちながら大人になっていく息子のことを考えると辛くて、私自身が情緒不安定になることもありました。ですが、自分だけで抱え込まず、任せてストレスをためないように闘病していくことが子供のためにもなると思います。

川崎病闘病記(1/3)川崎病発病~動脈瘤発覚

ここからは、私が体験した「動脈瘤を伴う川崎病」の症例をお伝えします。

川崎病になったときの様子

3歳になる長男を連れて妻が次男の里帰り出産のため、沖縄の実家へ戻っていました。無事、二男が生まれた2週間後、長男に40度近い高熱が出始めました。熱が上がり始めて湿疹が出始めました。そのころは、麻疹やおたふくかぜを疑って、近くの小児科へ連れて行きましたが、診断は「まだ、初期でまだ何の病気かよくわからないので経過観察してください」とのことで様子を見ることになりました。このとき後に続く状況に陥るとは思っていませんでした。

 

2日後、熱が下がらず再び小児科へ連れて行ったところ、「溶連菌感染」を疑って検査されましたが陰性。入院が必要かもしれないと地域の総合病院へ紹介されました。総合病院では、「マイコプラズマもしくは、川崎病」との診断でした。目の充血はあったものの、舌の赤みとリンパの腫れがなく、咳も出ていたので抗生物質を使ったマイコプラズマの治療が進められていました。

 

入院2日目、抗生物質が始まって湿疹が少なくなり目の赤みも引いてきました。でも、熱が38度から下がらずに、先生としても判断が難しい状況となってきました。熱さえ下がれば、このままマイコプラズマで終わらせられるとの見通しだったようです。心臓の変化を調べるべくエコーも行われましたが異常が見つからず、系統の違う抗生物質の投与が行われました。後から考えると、マイコプラズマ疑惑でグロブリンが遅れ、動脈瘤につながってしまったのは残念ではなりません。

 

翌日も熱が下がらず、エコーで心臓異常もありませんでした。4時間おきに3歳の子供は座薬で熱を下げられ、日に日に元気をなくしていきました。血液培養検査でも有意な原因は分かりませんでした。

 

熱が出て一週間が経過し、不全型川崎病として治療が始まりました。血液製剤グロブリンの同意書は初めてで、事の重大さを改めて感じたのもこの時です。グロブリン投与後、びくともしなかった高熱が解熱してきました。ここでついに川崎病であったことが判明しました。

 

動脈瘤が発覚
グロブリンが始まって解熱したため結局入院はマイコプラズマ疑惑の期間含めて2週間で退院しました。ですが、家に帰った後、目の赤みが再度始まり、微熱が出るようになりました。心配に思い退院2日目、病院へ連れて行きました。

エコー検査が行われ血管の拡張が見つかりました。熱も下がっていたので、入院することなく自宅へ帰りました。さらに翌日、熱が上がり始めたため再受診。エコーでは動脈瘤の拡張がひどく、総合病院で手に負えないとの判断となり、沖縄県内で唯一心臓手術が可能な県立病院へ入院することになりました。循環器内科でエコー検査の結果、確認できる冠動脈のほとんどの部分で多発的な拡張が見つかり、最も太い左側で7ミリ・右側5ミリの動脈瘤が発覚しました。先生からは「命に関わる状態」との説明があり、大阪にいた私に先生からスカイプを使った説明がありました。私は仕事をすべてキャンセルし、沖縄の病院へ向かうことを決め、その後2ヶ月に及ぶ病室付き添いとなりました。治療は、再入院後直ちに二回目のグロブリン治療が行われました。

 

その後の病状
グロブリンで解熱した後も巨大瘤で血栓が出来やすい状態だったため、点滴や飲み薬で血栓の防止のための治療が続けられました。入院して1カ月ほど経ったところで、点滴で血栓防止をコントロールしていたのですが、退院できるように飲み薬(ワーファリン)への切り替えが始まりました。結果、2か月ほどの入院で退院しましています。

はじめに

医師から告げられる「川崎病」の病名に不安になって、インターネットを苦労して検索して情報収集されている方も多いことかと思います。日本だけで年間10,000人以上の幼児が川崎病を発症しており、多くの子供が入院での闘病生活を強いられています。医療の発達により、治療・検査方法が確立してきたとはいえ、原因は完全には究明されておらず、未だ心臓の後遺症・心筋梗塞などのリスクは解決されていません。それだけに、インターネットの情報にアクセスできる親が陥る不安は深まっていきます。

 

私も、川崎病を発症した子供の親でした。心臓障害にまで発展し、不安な日々を過ごしました。子供の退院後、少しでも自分の体験をシェアしようとブログを公開していましたが、より手軽に読んでいただけるように、6年経った近況を追加し、電子書籍へ編纂したのが本書となります。これからも、一人でも多くの人が川崎病へ立ち向かっていくため情報を発信していきます。

 

私は医療従事者ではなく、私がお伝えできるのは、インターネット・文献で読んだ知識のまとめと、患者の親としての体験です。これから記載していくことは、川崎病の病状については個人差がありこの事例がそのまま適用されません。治療については、医療従事者の皆様から情報提供をお受けになり、ご判断いただきますようにお願いいたします。

心臓障害の精密検査

心臓の異常確認のため以下のような検査が行われます。

・胸部X線(レントゲン)
ここでは、一般診療や健康診断などでも実施される単純撮影のことを言及します。X線は人体を通り抜けますが、骨のように通り抜けにくいところがあるため、通り抜けたX線を画面に写すと濃淡ができ、体内の様子を知ることができます。肺の検査として用いられることが多いですが、同時に心臓も映るので、心臓弁膜症、拡張型心筋症や心筋梗塞など、心臓が拡大する病気が見つかるきっかけにもなります。川崎病で後遺症のできやすい冠動脈の病変をとらえるほどの精度はなく、心臓の全体像を確認する検査として用いられます。

・心カテーテル
冠動脈の状態を最も忠実に知ることのできる検査です。カテーテルと呼ばれる管を足や手の付け根から静脈づたいに挿入して冠動脈まで達した段階で、液体の造影剤を注入し、X線で観察します。血管の内側で造影剤が広がるため、血液の流通状態を忠実に観察することが出来ます。
この検査は、カテーテルを体内に挿入するため全身麻酔を使います。また、前後に入院が必要となります。カテーテルの挿入中や心臓でX線を使うため被ばくの線量が高くなり、検査メリットが認められる場合にのみ実施されます。
デメリットがあるものの、最も忠実に血流状態を知る手段として、CTスキャンやMRIが普及した今も引き続き利用されています。

・CTスキャン
心カテーテルによる検査は、被ばくと入院の手間がデメリットとなるため、最近ではCTスキャンによる検査が行われるようになりました。CTスキャンは輪切りで体の断面を幾重にもX線で撮影します。複数のレントゲンデータをコンピューターで解析すれば、3次元の立体として見ることもできます。
これまで、CTスキャンの性能では、長時間息を止めて撮影することが必要でしたが、近年、128列・256列・320列を一度に撮影できる装置が開発され、子供でも利用できるようになりました。心カテーテルに比べ被ばく線量が少なく低侵襲性の検査として今後、川崎病の子供への利用が期待されています。

・MRI
MRIはMagnetic Resonance Imaging(磁気共鳴画像)の略称で、磁石の間に人が入り磁力に班の吹田共鳴した体内の電波を受信して画像化する診断装置です。CTスキャンと同様に、MRIも技術の発展とともに解像度と撮影時間が上がり、冠動脈の検査に利用出来るようになりました。心カテーテルやCTスキャンと違い、X線(放射線)を使わない検査方法として、今後、川崎病の子供への利用が期待されています。

・心筋シンチグラフィ
冠動脈に異常を確認する方法の一つとして、心筋への酸素供給状態を評価するのが、心筋シンチグラフィです。放射性同位体(微量の放射線を発生する物質)を注射や点滴で送り込み、心筋にこの物質が取り込まれた際の、放射線量装置で検出します。安静時のほか、運動時の心筋への酸素供給状態を図る際にも有効で、ルームランナーで運動を行ったり、意図的に薬で心拍数を高めた検査が実施されます。

川崎病による心臓障害について

川崎病の心臓障害
・冠動脈の拡張、動脈瘤
心筋へ血液を送る動脈(冠動脈)に障害が生じることがあります。3歳の幼児の場合、通常冠動脈の太さは2mm以下ですが、3mm以上の拡張を動脈瘤と呼びます。さらに拡張が進み、8mm以上の動脈瘤を巨大瘤と呼びます。また、複数の動脈瘤が数珠つなぎに発生する症状を多発性動脈瘤と呼びます。統計によれば、5~10%の患者に冠動脈の障害が報告されています。

・心筋炎、弁膜炎
冠動脈以外に、心筋や心臓の弁に異常が報告されています。聴診器による診断で雑音が聞こえると、これらの合併症が疑われます。

心臓障害の原因
詳しいメカニズムは総て解明されていませんが、川崎病は免疫が暴走することによって起こる膠原病の一種とされています。白血球などの免疫が自身の血管を誤って攻撃することで血管の壁が脆くなり、血圧がかかりやすい冠状動脈に障害が出やすくなると考えられています。

急性期の巨大動脈瘤
巨大瘤が冠動脈に発生すると、血液が滞ることで、血管中に血の塊(血栓)が出来やすくなります。血栓が心臓へ酸素を送る冠動脈の血流を阻害し心筋梗塞に発展したり、脳へ流れることで脳梗塞となる危険があります。また、巨大瘤の拡張がさらに進展する場合には、血管そのものが破裂するリスクもあります。これらによる最悪の事態を避けるため、血栓防止に向けた治療が行われますが、毎年数人の急性期致死が報告されています。

心臓障害の後遺症
小さな拡張や動脈瘤は数か月~数年の長い時間かけて、元の状態に戻ろうとすることが知られています。これをリグレッションと言います。6mmを超えたあたりから完全に元通りにならない傾向にあり、その場合、動脈瘤がその後も残り、また、冠動脈が狭くなり、心筋梗塞に発展する可能性があります。
血栓防止や心筋梗塞のリスクを下げるため、血液をサラサラにする薬の服用を継続したりや外科的な血流確保が行われることがあります。

急性期の治療

急性期の強い炎症を可能な限り早期に鎮静化させ、心筋梗塞や後遺症に発展するリスクのある動脈瘤を作らないよう治療が行われます。

アスピリン療法
川崎病が知られるようになってから、最も最初に確立された治療法です。一般的にバファリンの主要成分として知られており、血管の炎症を抑える効果があります。また、血中の血小板に作用して血液をサラサレにする効果があり、血栓防止に貢献します。後ほどふれるグロブリン療法が確立されてもなお、アスピリンが並行して処方されます。

免疫グロブリン療法
アスピリンだけでは動脈瘤の発生を抑える効果が十分ではなく、25%程度の患者に、血管異常が認められ、さらに強力な抗炎症作用のある治療法が必要でした。1984年に小倉記念病院の小児科医であった古庄巻史氏が、免疫グロブリンを用いた治療法を報告しました。免疫グロブリンは、人間の血液や体液中に含まれるたんぱく質の一種で、主に細菌やウイルスなどの病原体を体内から除去し、感染症から体を守る働きがあります。点滴後、効果があれば1日程度で急性期の症状が緩和され解熱に向かいます。現在のところ川崎病の治療において最も成果を上げている治療法であり、90%以上の患者に投与されています。これにより、動脈瘤などの血管異常に発展する患者は10%以下となりました。

免疫グロブリンは、輸血血液から特定の免疫成分のみを抽出した血液製剤であり、未知の病気の原因を除去しきれてい可能性が排除できません。(肝炎など既に判明しているものは除去済み。)治療にあたっては医師からのインフォームドコンセントと保護者同意が前提になります。発症後、速やかに投与するほうが血管異常に対する成績がよく、川崎病の早期診断が重要とされています。不全型川崎病で、川崎病の確定が難しい状態となり、結果的に血液製剤のリスク認識と相まって投与が遅れた事例もあります。

ステロイドパルス療法
免疫グロブリン療法ですが、残念ながら、患者の15%程度で効果が不十分であることが報告されています。その場合、ガンマグロブリンの再投与に続いて、ステロイドパルス療法と血漿交換が行われます。
ステロイドパルス療法では、ステロイドを静脈にゆっくりとした速度で点滴します。ステロイドは、体内で作られるホルモンの一種で免疫、炎症も強力な作用があり、アレルギーなど多くの難治療の病気で効果を上げています。反面、ホルモンバランスを崩す可能性があり、医師の管理下で適切に利用する必要があり、回復にも時間がかかるとされています。従来川崎病に対するステロイド投与は禁忌とされていましたが、近年再評価されつつあります。

血漿交換
血液は血漿と白血球や赤血球などの血球で構成されています。血液に含まれる血漿が川崎病の血管炎に関係していることが分かっています。そのため、患者の血漿を輸血由来の正常な血漿へ置き換えるのが血漿交換療法です。血液から血球と血漿を分離させるフィルターを持つ装置を通して、少しづつ時間をかけて交換していきます。
グロブリンと同様に、輸血を使うために未知の病気の原因に対するリスクは排除できません。

川崎病新たな治療法
ガンマグロブリンにより血管異常は減少しましたが、動脈瘤の大きさ別にみると、中程度・巨大瘤の発生頻度は引き続き同じ水準であることが問題となおり、原因究明と治療法の改善に向けた取り組みは今なお続いています。

・RAIS Study
血液検査結果・年齢などから、ガンマグロブリンが統計的に効きにくいと予想される患者にステロイドとグロブリンを併用する取り組みです。臨床実験で有意な結果を残しています。

・好中球エラスターゼ阻害剤(ウリスタチン)
白血球から発生する炎症を引き起こす酵素を阻害する薬を併用することで、防衛医大などの研究グループが有意な結果を報告しています。

・抗サイトカイン
急性期において炎症性サイトカインと呼ばれるたんぱく質が増加していることに注目し、これを阻害するインフリキシマブという薬を投与するものです。難治性の川崎病に効果が認められ、国内でも利用が検討されるようになってきました。