ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part7
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
今日はティファニーの歴代デザイナーの中でも、20世紀のジュエリーの歴史にその名を残す天才として一目置かれている『ジーン・シュランバーゼー』について書いていきましょう。
自然界にインスパイアされた彼のデザインは、今でも想像力あふれるハイジュエリーの象徴的存在ですね。
高級ジュエラーとしてのティファニーの地位をいっそう高めたデザイナーといえる彼の歴史を書いていきます。
ジーン・シュランバーゼー(1908-1987)
フランス時代
ティファニーの天才ジュエリーデザイナー、ジーン・シュランバーゼーは、1907年にフランスのアルザス地方で生まれました。
10代のころには、早くも才能を認められ、彼の卓越した感性と、個性的な趣向を凝らしたデザインは、瞬く間に上流階級で人気を獲得していきました。
著名なデザイナー、「エルザ・スキャパレリ」の下でアクセサリーデザイナーとしてジュエリーの制作に携わっシュランバーゼー。
極めて精巧にデザインされ生き生きとした輝きを放つそのジュエリーは、当時最も多くの称賛を集めていました。
グラフィカルで遊び心に満ちた作品を発表し続けたエルザ・スキャパレリ。
作品の中で彼女が多用した派手なピンクのカラーリングは、その後パリに根付くことになり、いつしか「ショッキング・ピンク」と呼ばれるようになった。
ティファニーとの出会い
第二次世界大戦後にアメリカにわたりティファニーとの運命の出会いを果たします。
1956年、アメリカでティファニーの会長に才能を発見され、ティファニーが彼の会社を吸収する形でティファニーに入社し副社長となるのです。
創設者の初代チャールズが亡くなって54年、息子のルイスが亡くなって23年後のことです。
同年にニューヨーク本店に自身のサロンをオープン。
そこに数多くのセレブリティやスターが訪れ、彼の作品を愛用したことで、さらに評判を呼ぶことになります。
その顧客リストにはジャクリーン・ケネディ、ヴォーグ誌の伝説的エディターのダイアナ・ヴリーランド、エリザベス・テイラー、 オードリー・ヘップバーンらが名を連ねていました。
天使、鳥、花、タツノオトシゴ、ヒトデなどといった自然の象徴をモチーフにして、多様な色彩と立体感が特徴的なジュエリーを多数発表していきます。
戦後の新しい雰囲気ともマッチングし、ジーンシュランバーゼーのジュエリーは見る人たちの心を豊かにしていきました。
上品でありながら目立つジュエリーを求める新興富裕層のために素晴らしいカスタムジュエリーを創作したのでした。
また、彼はエナメルジュエリーを復活させたことでも有名です。
ゴールドにエナメルのブレスレットとイヤリングは1950年代に最も人気のあったステータスシンボルです。
世界中のスタイリッシュな女性たちに愛されてきたエナメルバングル。
ジーン・シュランバーゼーは、19世紀のバイヨンエナメル術を再発見しました。
バイヨンエナメル術
K18の金箔の上にエナメルを階層化する、とてつもない時間と熟練された技術が必要とされる技法
1977年 ジーン・シュランバーゼー、フランス政府から国民栄誉賞を受勲。
シュランバーゼーは1970年代半ばまでティファニーで活躍し、1987年に80歳でこの世を去りました。
シュランバーゼーのポリシー
シュランバーゼーはジュエリーの制作過程において、素材となる宝石の候補を選定し、決定するまでの道のりを大きな喜びとしていました。
彼のジュエリーの大きな特徴は、アシンメトリーなデザインと、印象的なカラーストーンの使い方。
彼は、そのジュエリーが身につけられた時にどのように見えるかを計算し尽くして、最も美しく輝くようにデザインしました。
宝石を生かしたジュエリーが多いのは、そのためです。
そのジュエリーを着けることで、どのようなインパクトを与えられるかを、彼は考え抜きました。
その結果到達したのが、独特のボリュームとバランスなのです。
シュランバーゼーのジュエリー
【バード・オン・ア・ロック】
シュランバーゼーのデザイン画を元に1995年制作
「ティファニーダイヤモンド」を使った至高のブローチです。
【勇者のブローチ】
ヴォーグの伝説的編集長、ダイアナ・ヴリーランドのオーダーでデザインした逸品。
古代の戦利品のモチーフですが、ダイアナはこのブローチをとても気に入っていたとのこと。
【フルール・ドゥ・メール・ブローチ】
ハリウッドの伝説的女優エリザベス・テイラーが所有していたブローチ
1960年代にデザインしたエッグペンダントをベース に、卵形のストーンをゴールドのリボンで紐掛けしたようなデザイン。
ころっとしたフォルムが、胸元に遊び心と優しい表情を加えてくれます。
【16 ストーン リング】
シュランバーゼーを象徴する作品であり、ティファニーの歴史のなかで最も高い人気を誇るリングのひとつ。
50年以上にわたり、世界中のスタイリッシュな女性たちに愛されてきたエナメル バングル。
彼が生み出したバングルをヒントに多くの作品が世に生まれましたが、オリジナルだけが持つ気品と風格に並ぶものはいまだに存在しません。
ジャクリーン・ケネディが愛用していたこのエナメルバングル、ジャクリーンの名前から「ジャッキー ブレスレット」と呼ばれている。
ジャッキーがシュランバーゼーのジュエリーを手にしたのは、実はこのブレスレットが初めてではなく、息子のジョン・F・ケネディ・ジュニアの誕生後、ルビーとダイヤモンドがあしらわれたシュランバーゼーのベリーのクリップを、夫のジョン・F・ケネディから贈られている。
【コンク クリップ】(1951年)
海の生き物に対するシュランバーゼーの独特な解釈を示す好例。
【スター アンド ムーン ネックレス】
シュランバージェのスター ムーン ネックレスは、まさに光の星座。
5.29カラットのセンター ダイヤモンド、そしてその周りには586石ものダイヤモンドが施され、澄んだ星空のようにきらめきます。
(PT×ダイヤモンド)¥378,850,000(参考価格)
シュランバーゼーはティファニー製品に署名を入れることが許された4デザイナーのひとり。
残りの3人は、ペレッティとピカソ、そして建築家としても有名なフランク・ゲーリーです。
自然の神秘を、魅惑的で美しいジュエリーで表現したシュランバーゼー。
彼の幻想的な作品は、今もなお世界中のジュエリー愛好家から絶大な支持を得ています。
シュランバーゼーは顧客の一人一人に似合うようなジュエリーをデザインすることを大事にしました。
新しい顧客がやってくると、彼はその人に完璧に似合うものを創り出すために、その人の好み、ライフスタイル、迷信、身体的特徴などを徹底的に研究したと言われています。
その唯一無二のクリエイションの真髄は、時代を超えて、現代のティファニーの匠たちに確実に継承されています。
一人一人に合ったデザインを考えてジュエリーを作りだすという点では、オーダーメイドジュエリーを作っている当社と同じポリシーなんだなと思います。
偉大なジュエリーデザイナーに近づけるよう日々精進あるのみですね。
長文読んで頂きありがとうございました。
自分に合ったジュエリー、お探しの方はBlue Net Jewelryのホームページを是非ご閲覧ください。
お客様の納得のいくジュエリーにたどり着けるよう頑張らせて頂きます。
エンゲージリング&マリッジリングのセットを販売開始!!
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
エンゲージリング&マリッジリングのセットでの販売を開始しました。
結婚を前に一番悩むものの一つでもあるエンゲージリングとマリッジリング。
結婚式や新婚旅行、新居への引っ越しや出産を控えている方など。
このタイミングでお金がかなり必要になるのはみなさんご存知のとおり。
しかし、お金がもったいないからといってエンゲージ&マリッジリングを諦めてしまうのは本当にもったいない!
このときにしか味わえない気持ちを二人で分かち合うため、エンゲージリングとマリッジリングで永遠の愛を誓いたいというのが本音でしょう。
そこでBlue Net Jewelryではリングの3本セットでの販売を開始しました。
3本セットだからできる格安販売になります!!
エンゲージリングのダイヤモンドは平均より少し大きめの0.3ct。
他店でもセット販売はしていますが、気を付けて頂きたいのはマリッジリングの幅と厚み。
エンゲージリングは普段から付けるわけではないので華奢なものでも大丈夫ですが、マリッジリングはこの先の生活でずっと付け続けていくものです。
プラチナは粘性が強く日々の暮らしで少しづつすり減りますので、幅も厚みも薄いリングは強度的な心配が生まれてきます。
Blue Net Jewelry では幅、厚みともにしっかりしたものを意識して作っています。
安くで売っているからこそ品質が良いものを提供したいと思っております。
今回はこのデザインの3本セット!!
エンゲージリングとペアマリッジリング。
250,000円(税別)
かなり破格のお値段ですので是非この機会にご購入をお考え下さい。
気になった方は下記ホームページよりご連絡ください!
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ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part6
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
今日は、ティファニーは『ジュエリー以外でもこんな物を作ってた!』という色んな業績について書いていきますね。
アメリカを代表するブランドになったティファニーは様々な分野から注文を受け、米国史の重要な節目に立ちあってきました。
南北戦争時代には式典用の剣を製作。
議会勲章やドル紙幣のデザインを担当する。
またホワイトハウスで使用される陶器、各国から訪れる要人たちへの贈品、ファースト レディのためのジュエリーも、大統領からの依頼を受けデザインしてきました。
出典:www.tiffany.co.jp
南北戦争直前、使える武力を持たなかった北軍に対し、ティファニーはヨーロッパから多くの刀剣、銃を調達し提供しました。
そしてジュエラーらしく、ファラガット提督やグラント将軍、シャーマン将軍に宝石をちりばめた剣を献呈。
日本でもおなじみのミニエー銃の改良型であるエンフィールド銃を収めていました。
さらに戦時中は装飾品は売れないので、代わり手術道具などを提供。
これら国への貢献により、徴兵制度に不公平感を持つアイルランド人が暴動を起こしたときも軍に店を守ってもらうことに成功します。
そして南北戦争が終わった後は、余った銃を日本の明治維新の際に長州や薩摩という雄藩に高額で売りつけたというものも興味深い話です。
戦争が始まると刀剣や銃、手術道具を販売し、戦争が終わったら銃を必要としている日本に高値で売りつける。
その時代時代に適応する力に長けていた『ティファニー』。
国内だけではなく世界情勢に目を向けて成功し、その時に得た潤沢な資金をジュエリーに充ててまた成長する。
経営者として素晴らしい戦略ですね。
出典:wedding.25ans.jp
1861年、第16代アメリカ合衆国大統領エイブラハム・リンカーン大統領は就任を前に、妻のメアリーにティファニーのシード・パールのネックレスを贈りました。
『シード・パール』
2mm以下の小粒の真珠の総称。
中世からルネッサンス期にかけては、ダイヤモンドよりも貴重なものとされていました。
出典:hbol.jp
1880年代にティファニーがデザインした合衆国印章は、現在も米ドル紙幣に使用されています。
出典:www.tiffany.co.jp
第三十六代大統領 リンドン・B・ジョンソン大統領とレディーバード夫人のために、ティファニーはホワイトハウスの食器製作をデザインしました。
トロフィー作製でスポーツ界へ貢献
出典:www.tiffany.co.jp
30年以上にわたり、ティファニーは全米オープンテニスの優勝トロフィーを製作。
出典:www.tiffany.co.jp
NFLスーパーボウルのヴィンス・ロンバルディ・トロフィーは、1967年以来ティファニーがデザインと製作を担当しています。
完成まで72時間かかり、トロフィーは毎年一つずつ作られるため優勝旗などと違ってトロフィー返還の義務はありません。
出典:www.daily.co.jp
ティファニー社の職人が200時間以上の時間をかけて制作した、WBCの優勝トロフィー。
ボールを中心に「世界に広がる野球」をイメージして作られました。
通常、レプリカを使用するが、WBCトロフィーは本物を使用しています。
重さは30ポンド(約13.6キロ)と、ズシリとした重さである。
出典:www.tiffany.co.jp
ポロ・チャンピオンシップのトロフィー、トリプル・クラウン。
出典:www.tiffany.co.jp
初めは1909年にインディアナポリス500のために製作を依頼されました。
ティファニーのトロフィーは世界最高峰の代名詞でもあり、スポーツの頂点を極めた者に贈られる最高の勲章と言えるでしょう。
出典:rockinon.com
MLBで有名なニューヨークヤンキースのロゴもティファニーのデザイン。
もともとは殉職したニューヨーク市警の警官に贈る名誉勲章メダルのデザインとして作られたものでした。
元ニューヨーク市警察署長が球団オーナーの一人だったことから、のちにヤンキースのロゴマークに採用されることになったのです。
出典:wondertrip.jp
出典:matome.naver.jp
NYマンハッタンの玄関ともいうべき巨大ターミナルであるグランドセントラルステーション。
天井全体がティファニーブルーでとても綺麗ですが、実際ティファニーが手掛けたのはグランドセントラルステーションの正面の外壁にはめ込まれている時計。
しかもこれは世界最大の大きさのティファニー時計です。
時計の文字盤の部分がステンドグラスでできています。
ルイス・コンフォート・ティファニーの作品です。
歴代大統領との関わり
上の文に書いた以外にも歴代大統領とティファニーは大きな関わりあいがあります。
第35代ケネディ大統領
初めて息子が生まれた際にティファニーの名デザイナー、ジーン・シュランバーゼーにベリーブローチを作らせ、妻であるジャクリーン・ケネディはそれを長年愛用していた。
第44代オバマ大統領
2013年にエリザベス女王の載冠60年の式典に出席した時に1950年代のティファニー製シルバーコンパクトを贈ったというエピソードも紹介。
第45代トランプ大統領
ニューヨーク本店の後ろにそびえ立つ58階建てのトランプ・タワーは、ティファニーのビルの7階建てから上の空中権を37年前に約10億4500万円で購入。
そして目の前のセントラルパークが見渡せるすばらしい眺望を手に入れていれた。
ティファニーは他にも、黒船で日本を訪れたペリー提督の身につけていた装飾品など、歴史的な人物へ製品を提供し、アメリカ近代史を飾ってきました。
アメリカが生んだ最高峰のジュエリーブランドである所以が国との関わり合いで分かるような気がしますね。
長くなったので今日はこの辺にしておきます。
ティファニーについて勉強して、ジュエリーのことがもっと好きになりました。
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ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part5
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
今日はティファニーの創業者チャールズ・ルイス・ティファニーの息子であるルイス・コンフォート・ティファニーについて書いていきますね。
一般的に2世は大成しないといわれますが、ティファニーの2代目は独自の道を歩むことで成功をおさめ、煌めき溢れるデザインで世界中を虜にしました。
1848年にティファニーの創設者であるであるチャールズ・ルイス・ティファニーの息子として生まれます。
陸軍士官学校を出た後、家業である宝飾店への経営参加を拒みニューヨークやパリで有名な画家たちから師事を受ける。
初めはティファニー社への就職を嫌がっていたんですね。
出典:www.tiffany.co.jp
アール・ヌーヴォーの第一人者として活躍
1870年代半ばからガラスの製造・工芸に惹かれ、アール・ヌーヴォーの第一人者として知られ、主にステンドグラスやモザイク加工のガラスランプの製作などにおける芸術家として名を馳せました。
19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパを中心に開花した国際的な美術運動。
「新しい芸術」を意味する。
花や植物などの有機的なモチーフや自由曲線の組み合わせによる従来の様式に囚われない装飾性や、鉄やガラスといった当時の新素材の利用などが特徴。
ルイスは、自らが生み出した壮麗なジュエリーだけでなく、ステンドグラスのランプや窓のデザインで才能を発揮したことでも広く知られておりいます。
現在も、美術館、銀行、病院、ホテルのロビーなど多くの場所に色鮮やかな光をもたらしています。
出典:antique-tableware.com
1882年には、ホワイトハウスの内装の設計を行うなど、芸術家として優れた成果を挙げていきます。
出典:www.tiffany.co.jp
出典:antique-tableware.com
「教育 イェール大学」 1890年
出典:numero.jp
また、ティファニーはエジソンとも交流があり、1890年代になると、いち早くオイルランプから電化されたランプへとデザインを変更しています。
ティファニー社の顧問に就任
父、チャールズが死去した1902年、ルイスはティファニー本社のアーティスト・ディレクター部門顧問に就任。
そして彼はニューヨーク5番街の本店内にアート ジュエリー部門を設立し、そこで彼独自のジュエリーや装飾品の製作を行いました。
ルイスが手掛けた作品
出典:www.tiffany.co.jp
上から、
ファヴリル ガラスのパフューム フラスク
ルイスが開発したティファニー ファヴリルガラス。
玉虫色に輝く手吹きガラスの、このうえなく美しい作品です。
ブラック オパールのネックレス
インドのデザインに着想を得たネックレスを飾るのは、ブラック オパール、ダイヤモンド、エメラルド、そしてサファイヤ。
ドラゴンフライ
ブローチ1904年に製作されたこのブローチをはじめ、20世紀初頭にかけて人気を博したドラゴンフライ。
オパール アンド ゴールド ブレスレット
多彩な大きさの石の万華鏡のようなきらめきが、優雅に流れる光の川から立ち昇ります。
バタフライ ブローチ
「プリカジュール」技法を用いた、まるで本物のような羽根。
ステンドグラスを思わせる光沢をたたえます。
ローレルトンホールの建設
同じ頃、ティファニー氏は、ニューヨークの東南部ロングアイランドに、自身の邸宅であるローレルトンホールの建設を行います。
「月桂樹の館=ローレルトン・ホール」
これは、1902~1905年の間に建設が行われた大規模な建物で、84の部屋をもつ8階建ての建物でした。
引き継いだ莫大な遺産の殆どをつぎ込んだとされ、72万坪もあったという。
この建物は、ティファニー氏の美的な理想が具現化された究極の建築物であり、彼の持つ芸術性が遺憾なく発揮された優れた建物です。
残念ながら、ルイスの死後の1957年にローレルトン・ホールは火災にて消失してしまいます。
現在は取り壊されてしまったのですが、建物の一部である4本の柱がメトロポリタン美術館に保存されており、現在も見る事ができます。
そして1933年、ニューヨークにて85歳でルイスがこの世を去ります。
芸術的センスだけでなく、時代を読み取る先見性にも優れていたルイス。
芸術を限りなく求める姿勢とその作品は今でも世界中で愛され続けています。
才能があるのはもちろんですが、その才能を発揮するための努力を怠らず、その想いを芸術作品に昇華していく姿勢が素晴らしいですね。
僕にも才能があると信じてセンスを高めていきたいと思います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
僕のセンスを詰め込んだジュエリーは、こちらからご覧ください。笑
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ティファニー!世界のスタンダードを作り続ける青の使者!ハイジュエラーの代名詞!part4
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
今日はティファニーを語るうえで欠かせない存在の『ジョージ・フレデリック・クンツ』という宝石学者について書いていきます。
出典:heritage-aj.com
クンツは世界各地に自ら足を運び、今日も高い評価を受ける珍しい宝石を発見した宝石学者です。
世界で最も著名な鉱物学者、宝石学者であると同時に、1907年から亡くなるまでティファニーの副社長を務めました。
クンツとティファニーの出会い
クンツは10代にして、4000点以上の鉱物を収集していました。
1879年、20歳そこそこのクンツは自身の住むニュージャージーで集めた美しい宝石を袋に詰め、単身ティファニーの本社に乗り込み、創業者チャールズ・ルイス・ティファニーとの面会を求めたのです。
クンツは机上にトルマリンを広げ、「アメリカにはまだ発見されていない宝石がたくさんある」と魅力的に語りました。
それを受けたチャールズは「費用は気にせずに、美しいと思う宝石を全て届けなさい」と言って、クンツに大金を手渡したのです。
これが、後に世界的な宝石学者になるジョージ・フレデリック・クンツの物語の始まりです。
「ティファニーダイヤモンド」のカットの指揮
前回も述べましたが、「ティファニーダイヤモンド」とは1877年に南アフリカのキンバリー鉱山で発見された287.42カラットの原石をティファニーが購入して128.54カラットのファンシー・イエローダイヤモンドにカットした逸品です。
この石のカットを指揮したのもクンツ博士でした。
クンツはまだティファニーに入社したばかりで23歳という若さでしたが、宝石への熟練した知識が認められ重大な任務を任せられる事になったのです。
この石は標準的ブリリアントカットである58面よりも24面多い82面にカットされています。
オードリー・ヘップバーンが映画「ティファニーで朝食を」で着用したことで、世界でもトップレベルの有名なダイヤモンドとして知られていますね。
アメリカ政府のためにも働き、数々の賞を獲得。
1883年~1909年には、米国地学調査のために宝石担当の特別エージェントを務めました。
1900年には米国国勢調査の中の宝石に関するデータ収集を監督しました。
クンツは1889年のパリ万博でアメリカの鉱物展示とティファニー宝石コレクションの双方を担当し、ティファニーコレクションで金メダルを、北米の真珠に関する論文で銀メダルを、その他の論文で特別賞を受賞。
弱冠33歳での快挙でした。
その後、米国水産委員会のために真珠を調査し、数回の国際博覧会で米国鉱山省の代表を務めました。
実は...宝石はカラットという重量単位で大きさを表すのが国際的なルールですが、このカラットの制定にもクンツは中心的な役割をはたしたと言われています。
ピンク色が美しい宝石『クンツァイト』の発見
クンツはカリフォルニアのサンディエゴへの旅行中にスポジュミンという鉱物のピンクの変種を発見しました。
発見された当初はトルマリンと判断されたものが、クンツ博士の調査によって
新種の石であることが判明しました。
クンツ博士に因んで、クンツァイトという宝石名になっています。
出典:www.gstv.jp
【クンツァイト/リチア輝石】
クンツァイトはマンガンイオンによりのピンクの彩色を放ちます。
含有する不純物によって、透明・白・桃・薄紫・紫・黄・緑など様々な色を示します。
含有物及びその色によって、桃色や紫色のものはクンツァイト (kunzite)、黄緑色や緑色のものはヒデナイト (hiddenite) 、黄色のものはトリフェイン (triphane) と呼び分けられています。
他にもこのような宝石もクンツ博士によって発見されたものです。
出典:www.rejou.jp
【モルガナイト】
モルガナイトは淡いピンクで薄いパパラチアサファイアのような色をしているベリルです。
ピンク系のベリルはなかなか発見されなかったのでとても珍しがられたこの宝石もクンツの採掘の中で発見された宝石です。
クンツの宝石採集には多額の費用が必要で、アメリカの大富豪JPモルガンがスポンサーについていました。
そのJPモルガンがこの薄ピンクの宝石を見て非常に興味を持ったことからこの宝石はモルガナイトと呼ばれるようになりました。
出典:annwuyn.seesaa.net
【モンタナサファイア】
クンツがアメリカを飛び回って宝石探しをしていた初期の頃、モンタナ州で発見したサファイアです。
1800年代の後半から終わり頃までの間、大量のサファイアが採掘されています。
透明度が高くスッキリした淡い色合いのモンタナサファイアはクンツ博士によって「コーンフラワー色のサファイア」と認められ、世界的認識を得ます。
90年代に全盛期を迎えましたが、産出量が減少し現在は枯渇して閉山されています。
受け継がれる意志
クンツは50歳を過ぎた1907年から亡くなるまでの間、ティファニーの副社長を務めました。
それから50年以上の時が流れた1968年、ティファニーはタンザナイトという宝石を発見し発表するなど、クンツの死後も冒険心にあふれるクンツの精神を受け継いだティファニーの宝石学者が活躍しています。
幼いころから宝石に魅せられ続け、まだ見ぬ宝石を求め宝石を心から愛したクンツ博士は死してなおティファニーの根幹に生き続けているのですね。
長文読んでいただきありがとうございました。
Blue Net Jewelry 青柳惣太
秋の新作ジュエリー 販売開始。part2
こんにちは。
Blue Net Jewelryの青柳です。
引き続き秋の新作を載せていきますね。
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