Too much money

What would you do with your $50 billion?

Buy a BMW or a Mercedez? OK, go ahead! Would you like to build a mansion? OK, go ahead! Still you'd have $50 billion after that. Because the expenses are too little to count. Amazing!

As you can see, it is not easy to spend that big money for ordinary poeple. It is even hard just to imagine. Don't you think?

Spending money is a joy as we can get what we want by money most of the time. The issue here is the one we want, what we really want.

Getting that big money is very hard but spending it is harder than that. Definitely!

For riches, money can be something unpleasant. For poors, it can be something to chase.

I’m back!

It's been a long time.

Many things have happened to me for just a year. Everything has completely changed. Am I just dreaming? How can you tell I'm just dreaming or not? What is real? What is dreaming? Is there any differences?


Anyway, I'm writing this blog now. At least I'm thinking I'm writing this blog now. But I don't know what I'm trying to write about.



One thing completely sure is that I'm now really free, free from most exsisting values. Really? um... I'm not sure but I feel so.

今の私

ちょっと前に「夢か現か」というエントリを書いた。
それが6月1日だから、「わくチャレ」を開始する前なのだ。どうやら「わくチャレ」をはじめる前に、すでに変化は始まっていたようだ。そしてその変化を「もたらしていたもの」が私を「わくチャレ」に導いたというのが顛末のようだ。

以前から始まっていた変化が「わくチャレ」によって顕在化し、自分自身にも認識できるようになったということだと思う。

そういう形で時間軸をさかのぼって行くと、それまでは関連のない出来事だったと思っていたことが、みな関連していたのだと感じるようになった。それらは偶然ではなくて、必然で、そのタイミングも完全で、何一つくるいのないものに見える。

そして冒頭の「夢か現か」という感覚が「私は今、生きているの?」という感覚へと拡張していった。その違いは何かと言えば、夢は覚めるが死んだ人は生き返らないということだと思う。

自分自身の変化。目の前に次々に起こってくる驚くべき現実。過去の出来事の必然性と完全性。それらは、あまりにも神秘的で従来の考え(そう、それはまさに考えなのであるが)ではうまく理解できないのだ。

「神」という概念を持ち出すことに抵抗を持っている私(正確には私の左脳)は、より受け入れやすい「死」の概念を用いて、この理解不能の状況を理解しようとしているようだ。「わくチャレ」の中で、認識できるようになった変化は、ある種、川を渡ったような感じなのだ。そう、その川が「三途の川」ではなかったかということだ。

もしそうなら、私は今、「死後の世界」にいるわけだ。「生きていたとき」と何が違うのかといえば、目の前に次々と展開される現実が、驚くようなものばかりということだけなのだが。

己を知る

これ、面白いみたい。
http://www.neutra.go.jp/diagnosis/

仕事 どんな仕事でも自分がリーダータイプ
性格 やればできるのに目移りタイプ
恋愛 仕事より恋に燃えて、キャリアを逃すタイプ
特に向いている職種は?
グラフィックデザイナー、コピーライターなど業界のカタカナ職業系、ミュージシャンなどのアート系、飲食や販売系のショップを始めるなら、必ずマネジメントが得意な人とチームを組むこと。どんな分野でも、会社に就職する場合はかなりのストレスになるので、ストレスの発散方法を工夫してください。
絶対に攻めのタイプ。
逆に攻められると弱いので、逃げる傾向にあります

内向性(ディフェンス型)
1■□□□□
外向性(オフェンス型)
5■■■■■ どんな仕事でも自分がリーダータイプ
自分が主導権を取れる場合は、人に言われなくても自分で仕事を見つけてどんどん進めるリーダータイプ。しかし、実はあなた自身の好みが重要。嫌な仕事を割り振られたり、大嫌いな上司がいるだけで、さっさと転職する傾向があります。自分がほんとうは仕事ができる人間であることを、あなたは十分に知っているはず。それが実現しないのは運が悪いと思っていませんか。もし、自分のスキルを高めたいなら、飽きっぽい自分の性格を自覚して少しだけ好きな分野の組織でがんばってみてください。呑み込みは早いので、すぐに自分のスキルが高まるはず。既存の組織では嫌なことが多いはずなので、独立も考えておくこと。そうすれば、自然と道は開けてきます。自信をもって進んでください。

やればできるのに目移りタイプ
考え方はポジティヴでいつも前向きだし、ほんとうは気配りもできて、服装や身だしなみもちゃんとしてて、仕事もばっちりなのに、なぜか「もう、いいや!」と目移りして投げ出すことが多いタイプ。その気になれば、周囲とも協調できるし人気もあるはず。義理と人情をうまくコントロールできるけど、根気、努力、忍耐が大嫌いだから、ついつい自分の興味のあるものだけに限られてしまいます。やりがいのある仕事に恵まれているときはまったく問題ないのですが、それが見つからない場合はだらだらとフリーターを続けてしまうかも。フリーターでもテキパキと仕事ができてしまうから、重宝がられてなかなか抜け出せないのでは? そろそろ腰を据えて、資格にでも挑戦してみてください。あなたはモノ覚えもいいはずですから、その気になれば絶対ゲットできます。もともと会社に守ってもらおうという気もないでしょうから、最初から独立するのもいい方法です。

仕事より恋に燃えて、キャリアを逃すタイプ
前向きで仕事もできるのに、恋となったらまっしぐら。恋と仕事を天秤にかけると、どうしても恋愛をとってしまうあなたです。ただ、とても賢い人なので、見た目としてはスキがないでしょう。女性の場合は同じ年代の男性たちはちょっと持て余すかも。あなたから見ても、同世代の男性たちは幼稚に見えるかもしれません。恋多き女性ですが、結婚願望はあまり強くないでしょう。でも、目移りするタイプですから、あんまりハデに立ち回ると痛い目に会いますよ。少しおさえ気味で、ちょうどいいかもしれません。男性の場合はモテますがわりと理想が高いため、あなたが納得できない女性が多いと感じるでしょう。そこで恋愛経験は豊富なのですが、気がつけば中年ということも。まぁ、それでもあなたの場合、どうにでもなりますからまったく心配はありません。

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適性・適職診断結果について
この結果は、50の問題に自己申告によりお答えいただいた上で行動特性に基づいて判定しており、あなたの人物像を断定するものではありません。その時の気分や状況によっても違う結果が出る事がありますので、あくまでも、1つの参考として捉えて下さい。

ケンタッキーブルーグラス

「一人前になるには五十年はかかるんだ。功をあせるな。悲観するな。もっと根を深く張るんだ。根を深く張れ」
棋士升田幸三

庭に蒔いたケンタッキーブルーグラスの種はチャンと芽を出した。石ころだらけだった庭から石を取り除き、ホームセンターで買ってきた土を入れて整地したのが4月の末だっただろうか。水をたっぷりかけて発芽を待っているとやがて新生児の頭髪のようなか弱い芽があちらこちらに出てきた。その後は一日一日明らかに芽がのび、その数が増えているのが分かる。

1ヶ月以上たった今ではその葉は力強さを感じさせるほどたくましく週に1回の芝刈りでは足らないほどになっているのである。葉の伸び方もすさまじいが、見えない土の中では同じように着実に根を張っているはずだ。いずれはその根によって未だ土が見えている我が家の狭い庭をケンタッキーブルーグラスが被い尽くす日がくるのだ。

さー、根を張ろうじゃないか。

夢か現か

あれから一年が経つ。もう一年かと思うわけだが、考えてみれば社会人になってから二十年が経つわけだ。さらにはこの世に生を受けて四十年余り。なんとも早いものだ。

夢か現か
視界がおぼろげになる夕暮時の街などをひとり歩いていてふと、こんなことを感じたことはありませんか?「自分は本当に今、ここに居るのだろうか?実体なのだろうか?」と。私達が見ることによって認識している世界。それは本当にそこにあるのでしょうか?こんな経験はありませんか。ある朝目覚めると、とても鮮明に見たばかりの夢を覚えている、というよりはむしろ夢の中での出来事の方が本当だったような気さえする。現実を信じますか?それとも夢の世界?夢か現か。あなたはそこに境界線を引くことができるでしょうか。

ふと考えるとこれまでの四十年余りは、私にとって一体なんだったのだろうかと思う。まさに夢のごとく過ぎ去っていった。夢のごとくと書いたのはそれが現実だったということを意味しているわけだが、それは本当に現実だったのだろうか?今となっては現実か夢かを区別することにさして意味はないし、その必要もない。あるのは今の自分だけだ。

そして何よりの関心事はこれからの事だ。