時分の花

 

グーグルグラスについては早くも二転三転の模様ですが、来るべきウェアラブルデバイス時代に向けてのマイルストーンとなる事は間違いないでしょう。

 

ユビキタス」という忘れ去られて捨て置かれた言葉も(笑)、再び脚光を浴びるかも知れません。

 

グーグルグラスの音声認識動作がどの程度安定するのか、瞬きへの反応、将来的には網膜認識や視線反応型インターフェイスがどのように組み込まれ実現して行くのか興味は尽きません。

 

現在のタブレットデバイスにおけるモバイルコンピューティングの革新的な進捗は、ほんの4、5年前には想像できなかったくらい進みました。

 

ウェアラブルデバイスの展開はタブレットデバイスやスマートフォーンを統合してモバイルコンピューティングの革命になるのかも知れません。

 

ですが、

これは同時に多くの問題もはらんでいます。

 

グーグルグラスを例にとるとグラス上の撮影範囲は言葉を変えるのならばグラスにも見えている事になります。

FB や Twitter その他SNS等との連携を考えると一歩間違えば自身も他者もプライバシーを守られなくなる可能性もあり、秘匿保全という社会ルールの根幹を揺るがす事態も引き起こしかねません。

 

これは、意識下にあっても無意識下であっても危険性が残るという意味では変わりませんし、逆に言えば変わらないところが恐ろしいとも言えます。

 

 

わたしは前職で大型公共交通機関向けの保守を担当していた事があり、例えば自動車にたとえてみたらイメージしやすいと考えました。

 

自動車をデバイスと考えますと、マニュアルで軽重量エンジン出力も高くなくサスペンションもタイヤの性能にもそれほど頼りきらない時代から、

エンジンがどんどん高出力化しそれを補うためにサスペンションもタイヤも性能をあげ、それらを補完するために強靭なシャシーが必要になり、総体的に重量が嵩んで行き、

そして今度はこれらを安全に運転するためにブレーキ、エンジン出力、サスペンション、タイヤの向き、荷重バランス等を別の意味での「モバイルコンピューティング技術」で制御していくという具合、

言わば技術革新して行けば行くほど人間の手には負えなくなり、それを人間が制御するために技術革新しなければならないパラドックスが若干の恐怖をもって目の前に大きな影を落として行くという状態でしょうか。

 

なんと例えたらいいのか、可愛い猫を飼い大きくなったら虎のように手に負えなくなって、それでも安全に飼いたいので牙を抜いて爪を削って太いロープで縛りつけて、というような、違和感、一種滑稽で奇形的な違和感を感じます。

 

 

自動車だけではなくわたしたちが今ある生活を教授する上で看過できない環境問題も含めて、技術革新は大きなパラドックスを生み出し、

これから展開されるであろうウェアラブルデバイスとモバイルコンピューティングの融合は素晴らしく快適で革新的な生活様式を生み出すと共に大きな不安も生み出すのであろうと思います。

 

 

問題の本質は、それを人間がどの程度の範囲で使用するのか、機械制御や電子制御でどのくらい人間の使用範囲を狭められるのか、

果たしてそこには性善説が成り立つのか性悪説が成り立つのか、にあるのだとは思いますが。

 

個人的には・・人間はコントロールしきれない、のかなぁと思ってしまったり・・。

 

 

 

さて、時分の花。

 

これは世阿弥が風姿花伝の中で表現した言葉で、幼少期に持つ時にハッとさせるような可愛らしい表現は誰しもが出し得るものであり、その時だけに限られた花という意味です。

 

対して、真の花。

 

これは修練を重ね時分の花を乗り越えて咲く花、ただ若く美しい時の花ではなく、芸の極致に通じる道でもあり、課題であり目標です。

 

 

ウェアラブルデバイスとモバイルコンピューティングの融合は、敢えて言うなら「時分の花」です。

 

革新的で美しいものは、一瞬巷間席捲するのだと思いますが収束も早いものです。

それはまるで「ユビキタス」という言葉のようにも(笑)。

 

本当に成熟し人間社会の文化として残るのかどうかは、修練を重ねて利用して行く事が、人間にできるのかどうかだと思います。

 

フォークソング歌手の岡林信康の曲「わたしたちの望むものは」で表現されたような文化の矛盾が、解決されるのかどうか、

 

時分の花の美しさが凶器とならないように慎重に受け止めるべきではないかと、思います。

 

 

青春

 

 

 

初春にあたり自身の思いを新たにし、心に刻み始める事にしました。

 

青春。

 

わたしは不惑を迎えようという歳であり、青春などという言葉を口にするのも面映いのではありますが、今になって初めて青春の意味、青春の素晴らしさ、青春の美しさを思い返し、老齢になろうとも人の心に青春の火はともり続けるのだという事を確信しています。

 

 

サムエル・ウルマンという人が「青春」という散文を残しています。

 

第二次世界大戦終戦後、1945年9月27日に昭和天皇が日比谷のGHQ訪問の際マッカーサー元帥とツーショットで撮られた写真の背景にこの散文が写っていた事でも有名です。

 

 

 

YOUTH

 

Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.

 

No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals.

Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.

 

Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.

 

 

you are young as your faith, as old as doubt ;

as young as your self-confidence, as old as your fear;

as young as your hope, as old as your despair.

 

So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.

 

When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.

 

 

 

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。

優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心,こう言う様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。

理想を失う時に初めて老いがくる。

歳月は皮膚のしわを増すが情熱を失う時に精神はしぼむ。

苦悶や、狐疑、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く「驚異えの愛慕心」空にひらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思想の対する欽迎、事に處する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

 

人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる

人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる

希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる   

 

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、偉力と霊感を受ける限り人の若さは失われない。

これらの霊感が絶え、悲歎の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを固くとざすに至ればこの時にこそ人は全くに老いて神の憐れみを乞う他はなくなる。

 

 

 

青春、という言葉を口にする時、何を思うでしょうか。

失われて行く儚さでしょうか。

それとも、失われる事のない力強さでしょうか。

 

わたしは日々とある販売店でお客様の応対をしています。

 

いろいろなお客様に接して感ずるのは、人間のもつ若さ、心にある青春とは、年齢には関係がないのだなぁという事です。

 

逆説的に言うと、

 

「せっかくの若い時代を老齢な感傷に浸って過ごしている」

 

若い人にも接するという事です。

 

ー希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちるー

 

失望絶望が生ずるのは希望があるからこそです。

そうであるのなら、希望を捨てる必要はないと思いますし、進んで若さを捨てる必要もないと思います。

 

わたしは年頭にあたって、

生きて行く事は苦しみの毎日ではあるのだけれども、

「生きている限り希望を捨ててしまわないように」

過ごして行こうと思いました。

 

 

いつも心に、太陽を☆

 

 

橋本拝