しゃぼん玉
週末の夕飯後、キッチンで洗い物をしていた時のこと。
「しゃぼん玉だ」という声がカウンターキッチンの対面から聞こえて来た。
ロッキングチェアーに座る夫は酔った体をゆらゆらと揺らしながら、
うれしそうに行方を追い騒いでいる。
見ると、小さな小さなしゃぼん玉が扇風機の風に乗って
浮き上がったり、降りて来たりしている。
しゃぼん玉が消えて夫が一言、「幸せな時間だった」。
かため
先日、ドラッグストアーで歯ブラシを買おうと
そのセクションに向かうとお爺ちゃんがゆっくりと行き来していた。
そして、とても自然に「かためってのはどれですか?」と尋ねられた。
お年寄りなのに方言ではなく、とても私にとっては普通だった。
さらに「探してもどこに書いてあるんだか分からないんだよ」と。
「そうだよなー、パッケージにこんな小さく書かれても探しきれないよっ」と
つくづく心の中でお爺ちゃんに寄り添った。
こうゆう小さな不便さをなくしていくことが優しい社会なんじゃないかなぁ。
奇跡みたい
愛犬のアトピーの状態が、犬生12年において一番良い。
12年間苦労したのが、完治したのではと思うほどに良い。
1歳の時に発症してから、毎日痒みとの戦い。
色々な部位が傷だらけ、皮がズル剥け、血が滲む事も。
餌を取っ替え引っ替え、体の手入れを毎日し、家の掃除をし、
サプリやシャンプーもいろいろ試し。もちろん薬もずっと飲み続け。
ここ数年は耳を掻きすぎで穴が塞がってしまった。
耳を掻いてできたデキモノを悪性腫瘍だと誤診され、悲しみにくれたこともあった。
その後、病院を変え、何人もの先生に診てもらったところ、
ある獣医から処方された点耳薬が劇的に聞いた。
耳が快適だと全身のかゆみも緩和されたようで、全く掻かない日もあるほど。
嘘のような日々がやって来た。
正直諦めていた。現状維持でしょうがないと思っていた。
しかし、本当に奇跡のようなことが起きる。
生きていると行動してると、幸せが突然降ってくることがあるんだ。
一番のライブ
思い出した話だが、残しておきたい。
人生50年以上の中、私の一番ライブは2014年に見た竹内まりあさんのステージ。
そんなに多くのコンサートを見たわけでもなく、音楽マニアでもないのだが、
心に響く思い出のライブになった。
彼女も音楽のプロだが、結婚後は3回しかライブツアーをしていないし、
主婦の仕事を主にしていた時期もある。
そんな彼女が、すらっとした長身にパンツスーツでギターを抱えて現れたときは
その洗練された格好良さに目が潤んでしまった。
久しぶりのライブで歌い出しに失敗してしまった時には、
隠さずもう一度と最初からやり直してくれた。
声が枯れるほど一緒に歌い、
達郎さんとのデュエットの英語曲は甘く美しすぎて、体が溶けそうだった。
素晴らしい人生の瞬間だった。
いつもの季節に
いつもの季節にいつもの事が出来る喜びに、心から感謝する。
宮崎の山奥から届くシュトレンが私の12月のお楽しみ。
そして、我が家の二人だけの忘年会はふぐで締める。
贅沢だ。
毎日を急がず丁寧に、質素でも美味しい生活を心がけよう。
寂しい想い
同僚が昨日で職場を離れた。上司とのいざこざが理由である。
二人の間に流れた空気や実際のやりとりは計り知れないので、
その理由についてに関しては彼女、上司ともにかける言葉はない。
ただ、私とその同僚との関係に感謝を述べた。
職場に貢献してくれた彼女の仕事に感謝した。
しかし、上司が彼女にかけた言葉は全くなかった。
それはとても恥ずべき行為ではないか?
私の知らぬところで労いの行為があったことを切に願う。