綺麗になる魔法

美容室に行った。実に半年ぶりだった。癖の強い髪の毛は四方八方に伸び盛り、まるで山に生える雑草のようだった。「お化けみたいだよ。」なんて母に言われた。毎日「早く切らなきゃ・・・」と頭の片隅で考えつつもお金がなくて行けていなかったのだが、ボーナスの時期が目の前に見えてきて、ようやく財布の紐が緩んでくれた。

なぜだか私は美容室に求める理想が高い。施術はもちろんのこと、心地いい内装でなければ嫌だし、働いている美容師さんの服装もお洒落であることが理想。

半年間もサロンに行かず、めちゃくちゃな髪をしていた女のくせに、何をそこまで完璧を求めているんだと自分でも思う。それでも、半年に一度の特別な日だからこそ、という表裏一体の思いがそこにはあるのだ。半年に一度しか美容室に行かない女にとって、高いお金を払い美容室に行くということは、まるで「美人になる魔法をかけてもらう」ような感覚なのだ。必然的に、美容室に求めるものも多くなる。必ず私を綺麗にしてもらいたいと行った要望。

それでも、私ももういい歳だ。身なりくらいはまともにしよう。髪が無法地帯のアラサーは想像しただけでしんどい。とりあえず、1ヶ月から2ヶ月に1回は美容室に行くことにする、という決意。

魔法をかけるための呪文くらいは自分で唱えなければ。あとは美容師さんがやってくれる。今日もしっかり綺麗にしてくれた。ありがとうございます。

 

3年目OLの心情

語彙力を増やしたい、表現力を増やしたい、自分が考えていることを言語化したい、のでとりあえず、書く。という口下手野郎の決意。毎日更新が目標。

最近めったり仕事に対するやる気がない。仕事の試験を明日に控えているけれど全然勉強をしていない。この前の試験も、合格点の半分も取れずに落ちた。3年前の私なら、この状況に焦ってヒステリックになっているだろう。けれど、あのお先真っ暗なような焦燥感もない。それは、最近やっと社会人であることに対して免疫がついてきたからだと思う。別に試験も落ちても大丈夫だ。くそ上司に怒られるだけだし。完全なる開き直り。でも本当に、「3年は勤めろ」という言説はあながち間違っていないのかもしれない。仕事を覚えてある程度ルーティーン化出来てきたし、後輩がぼちぼち出来てきて上司の叱責はそちらに向けられるようになったし、仕事が出来ないやつだと知れ渡って期待されなくなってくるし、職場の嫌な部分も見て見ぬ振りが出来るようになってくるし、なんか色々と楽だ。「3年は勤めろ」って、根性論ではなく、人生サボりマンからのご厚意のメッセージだったのかも。私は環境に適することが非常に苦手で、慣れるまでに1年はかかる。もし会社を辞めていて、また新しい環境で一から始めることになっていたら、やばかっただろうな。この2年間は仕事が嫌で、この土地が嫌で、毎日毎日死にたくてしょうがなかったけど、ようやく楽になった。あの死にたい2年間があったから、これからどんなに辛いことがあっても大丈夫そう。夜は空けると知れた。3年目の私は、大嫌いな労働を片目で見ながら、好きなことを全力でしていく。独身彼氏なしの20代後半は、きっと楽しい。 

私の好きな映画

グラン・トリノ

「渋い」の一言。こんなに「死」に理由があっていいのでしょうか。

②百八円の恋

「生きよう。」と思える映画。辛くて死にたくてどうしようもないときは、ビール飲みながらこれ観ておけば、なんとか明日一日だけは生きれそうなメンタルが戻ってくる。

③空はいつでも最高密度の青色だ

恋愛描写が一切出てこないのに、なぜか恋がしたくなる。今までで観た映画の中で一番の恋愛映画。

④ウォールフラワー

愛しい人間たち。欧米のこじらせティーンエイジャーこそ最高。登場人物が全員生きづらそうな人間。きっと50歳くらいになったら人生楽しくなってきそうな感じの。あとエマ・ワトソンの部屋が可愛すぎる。

⑤スウィート17モンスター

ヘイリー・スタインフェルドが最強にブス可愛い。普段は「女のいい部分を全部集めました!かっこいい女代表!」みたいにキラキラに歌っているのになんでこんなにブスになれるの。すごすぎる。

 

適宜追加予定

春だから

今月から、会社の規定でジャケット着用が義務付けられた。金融機関の営業の仕事なのでそれなりに綺麗な服を着て仕事をしたいと思っている。しかし薄給ということを理由にして必要最低限の服しか持っていなかった。GUの黒いカーディガンとか、着回しすぎてテロテロになったスーツとか。今回のジャケット着用義務化はまあそれなりにいい機会かと思い、仕事着を新調することにした。

 

久しぶりのデパートだった。やはりワクワクする。なんたって、そこには今年の流行があるのだ。全部可愛い。全部欲しくなる魔法。

 

もう一つ手に入れなければいけないものがあった。腕時計だ。就職の時に買った腕時計は気に入っていたのだけれど、2ヶ月ほど前の飲み会で無くした。その後は地元の雑貨屋で購入した腕時計を使っていた。ベルト部分も安っぽいし、文字盤も30mmほどと大きい。全く心に響かないものだったけど、安いし、仕事につけていくものだからなんでもいいやと思って買った。そうしたらやはりすぐ壊れた。安物買いの銭失いの体現。

 

腕時計を買うことは憂鬱だった。私はプライベートでは腕時計を付けないので、必然的にそれは仕事用になる。仕事関連にお金を出すことが嫌だ。無難なもので済ませようと、並んだ腕時計達を物色していた。

 

「新しい腕時計欲しいな。春だから。」

可愛らしい声だった。

振り返ると、私と同世代くらいの女性がショーウィンドウを覗いていた。

仕方がなく腕時計を買おうとしている私からすると信じがたい事実だが、この世には、「春だから」という理由で腕時計を新調する女の子がいるらしい。

 

「春だから」この言葉を聞いたとき、なぜかすごくどきどきした。

 

春になったから、という理由で何かを新調できる女の子は、きっと軽やかで可愛げのある女の子だ。新しく訪れる季節に合った靴で、スカートで、ブラウスで、毎日を過ごすその子の春はきっと、楽しいのだろう。

 

かく言う私も、腕時計に出費することに乗り気でないながらも、どこかでワクワクしていた。なぜ心惹かれる時計がこんなにあるのか。無難なもので済ますのではなく、可愛い時計が欲しいという欲がむくむくと湧いてきた。やはりデパートは魔法の場所らしい。

 

結局、女の子なら誰でも知っている人気ショップでピンクゴールドの時計を購入した。色味が私の肌に馴染む。ブランドロゴも可愛いし、文字盤も小ぶりで好みだった。春らしい腕時計だ。

 

予算の3倍くらいしたけれども気にしないのです。春だから。

休日が嫌いだ

待ちに待った休日なのに、気分が浮かない

母には、「あんた、休日機嫌悪くなって嫌だ」と言われた

なぜだか最近分かった

時間ばかりあって、自分の感情と深く向き合ってしまうからだ

東京にいる友人がどんなに楽しい生活をしているだろう、とか

会社の先輩は彼氏と過ごしているのだろう、とか

自分はなんでこんなにつまらない人生を送っているのだろう、とか

他人を恨む気持ちが積み重なって、土曜日の夕方にはすっかり気分が滅入っている

それなのに平日が大嫌いで、日曜日にはちびまる子ちゃん症候群を発症している

私は、365日の、どこに逃げればいいんだろう

そう悲観しながらも、解決策は分かっている

休日の娯楽でも、平日の労働でも、どこかしらと向き合って、自分の居場所は自分で作らなければいけない

 

旅の戯論

インドの小さな村にいた。世界一美しい大地の一番高い丘の上で、夕日が遠く沈んでいくのを見ていた。今までに見たことがないほどの大きな夕日。

 

その場所では、家と外の境界線が曖昧だ。

私は一日の大半を宿の外のベンチで過ごし、旅人らと語らった。

うまくいかない人生が集まっていた。

けれど、うまくいかない現状を受け入れるほど素直ではなくて、

何かを求めていた。

そして、みな、その何か、を掴みかけていた。この不思議な国で。

ひとりが言った。

「インドに呼ばれてきた。」

 

母が何気なく言った言葉が頭から離れなかった。

「インドに行って亡くなった友人がいる。2人ね。原因不明の体調不良で。」

私は、冗談、にでも、心のどこかで、期待していた。

「インドにだけは行かないでね。」

インドに呼ばれた。

 

美しいものを見た。

思い出にならないでほしいと願った。

大地が赤く焼けたこの光景を、少しとして色褪せず、私の中に残ってほしい。

こんなに美しいものが世界にあるなら、生きていてもいいかもしれない

そう思った。

 

それから半年。

その光景は部屋の壁に飾られているが、私に見向きもされない。

私の願いも虚しく、そこは思い出となった。

まるで、私ではない別の人が経験していたことみたいだ。

夢のようだった。夢を見ていたと言われた方が現実味がある。

それほどに、旅の記憶は儚くて、自分のものではないみたいに輝いている。

そしてまた私は、ほんのりと死を頭に思い浮かべながら、生きている。

生きていてもいい、と思ったのは、本当に自分だったのだろうか。

 

旅とはなんだろう。

最近考える。

旅がしたい。

けれど私にとって、それは、非現実の枠を飛び出ることはない。

旅の記憶は、あまりにも、儚い。

だから、いいのだろうか。

「インドに呼ばれている」なんて、失礼な戯論を言えるくらいには。

 

陰日向

私にとって、「友達」は私の全てだった

自分のことが大嫌いな私だけれど、唯一好きなところがある

最高な友達を持っているところ、だ

私にとって友達は、生きがいだった

だから、友達と離れて地元に戻ることは、大きな不安だった

地元の、数少ない友達も、もうみんな東京で暮らしている

友達が生きがいだった私が、今や友達なしで日々を過ごしている

 

辛い

死にたい

無理だ

 

ひとりになった私は、常にこういった言葉が心に浮かんでくるようになった

私には元からこういった負のエネルギーがあったけれど、友人たちがそれを払拭してくれていた

 

離れてから2年になる

それでも、2〜3ヶ月に1回は会うようにしていた

そうすれば、生きる気力がもらえると知っていたから

友人たちにとっては、私と会うことなんて、日常の1コマだったと思う

けれど、私にとってそれは生きる糧で本当に大事な瞬間だった

 

そんな私が、最近、友人に会いたくない

時の流れがそうしてくれたのだと思う

 

彼らと会うたびに、知らない彼らが増えていく

彼らはそれぞれ個々の生活を積んでいく、私の関わらないところで

そんな風に思える覚悟が、ようやくできた

 

辛かった

本当にこの2年間辛かった

20歳半ばにもなってこんなに死にたいと思うなんて想像できなかった

今でも死にたい

それでも、この状態に慣れた

 

私は、私なりに、生きていく

友人たちが、自分自身の生活を積み上げていくのと同じように

私はきっと、人よりも下を向いて歩いていくことになると思う

今までは、友人たちの輝かしい背中についていけばよかった

だからこんな私でも少しは前を向いて歩けた

けれど、前を進んでくれるような友達はもう側にいない

 

依存しない

羨ましがらない

楽しくなくてもいい

下を向いていてもいい

歩いていく