締切期限間近なのに何もしたくない人類共通病について

大阪のどっかで尿意を限界まで我慢しながら撮った写真

 

大変ご無沙汰しております、ぶどう糖ですこんちゃ。

 

およそ1年半ぶりの更新ですが、記事を書く特別なきっかけがあったかと言われるとそういうわけでもありません。

この記事を書こうと思ったのはただの現実逃避をしたいからです。

いまやらないといけないことから目を背けて "今はできなくてもしょうがないんだ!" と自分の脳を誤魔化して、何かに没頭したいがままにこの投稿に至っただけです。これが俗にいう"先送り"が起こる原因なのかもしれませんし、そうでないかもしれません。

「失敗の最大の原因は先送りにある」となんかの本で読んだ気がします(わかりみが深い)。

皆さんも突発的にデスクの片付けをしだしたり、友人の急な誘いに「いけるわ!」とつい返事してしまったり、気分転換に散歩したり、一発ヌいて煩悩を捨ててみたりといった経験があるのではないでしょうか

 

ちなみに、私がなんの作業を渋っているのかといえば、研究室のゼミの準備です、

ゼミとは、研究室によって行う内容が異なりますが、私の所属研究室の場合は、それなりの量の論文をまとめて自分のオリジナルストーリーを組み立て紹介、議論する勉強会のようなものです。

では、なぜ私はそれをやりたくないのか、、

ここは底辺ブログに埋葬される最底辺ブログなので、関係者に絶対に見られない自信がある(閲覧回数は月1くらい)ので、安心して私がやりたくない理由を書けます。

・単純に作業の優先順位が低いから →別件のプレゼン資料作ったり、郵便局行ったり世界救ったりしてる

・発表時に先生陣に詰められる恐怖があるから(その後の関係も気まずい)

・後輩学生にレベチの質問力と理解不能な外国語をぶつけられる恐怖があるから

・そもそも果てしない知的労働がつまらないから →youはなぜ院に。。

・所属専攻全体に公開される(無能が知れ渡る)ため雑クオリティで提出できないから

・自分に都合の良い論文が見つからないから →あってはならないことです

・しかも1週間後には発表内容を忘れるコスパの悪さだから

・当然給与などの報酬はないから →これはしょうがない

・雨ふって天気悪いから今日じゃない →でかい

 

と、やりたくない理由を挙げ出したらキリがないのですが、とにかく今はできる環境にあるけどやりたくないんです!(みんな1ヶ月前から準備するらしいのに、私は一昨日から準備を始めました、え?提出日?明日だょ)

「そろそろやらないとマジやべーな」と少しづつ危機感を抱く日は、すでに過去にあったはずなのに、今何しているかといえば、はてなブログで恥晒しな現実逃避をしてる上、挙げ句の果てには、もう生きてるだけで幸せだよな!と考える境地にいます。どうせ地球もいつかなくなるし!!!

 

はい終わりでーす!!!!

 

 

 

。。。

はぁ、

なんて恵まれた贅沢な悩みなんでしょう、ほんと申し訳ないので、ちゃんと社会に貢献できる人間になろうと思います。

 

ということで(?)、やっと本題に。そんな仕事や勉強、家事などの"先送り"という人類共通病(であってほしい)とは、私たちはこの先どのように付き合っていけば良いのでしょうか。

まず前提として、誰しもが、社会や家庭で無限に湧いてくる悩みや仕事を、常に一人で抱え続けるとそのうち限界がきます。そんなんこないって脳内にスーパーコンピューターが埋め込まれてる人はもう帰って寝てください。
あふれかえった仕事に対して何から手をつけたらいいか分からなかったり、具体的に何をしたらいいか分からなかったりなど、瞬時に適切な作業内容の想像ができない仕事ほど、本能的な自己防衛の結果として先送りをしてしまうのではないでしょうか。

すべきことが先送りになってしまうのは、「大人だから」「私ならこの程度まで仕上げるべきだろう」という自身の心にある理想像が、作業の質(最終的な完成度)を決定してしまうことにあるのではないかと想像します。そのために、じゃあ何から手をつけていつまでに終わらすのかと、考え途中で思考が停止するために、結果として身動きが取れなくなる(正確には動くのが遅れる)ような気がします。

やはり「周りから良く見られたい」「スキルを向上させたい」「期待に応えたい」という気持ちがあるほど、結果として、ある程度クオリティのある状態で見せたい、この難易度をこなせるか試したい、中途半端に諦めたくない、と自身で仕事の出来高を設定しているのかもしれません。なぜそうなってしまうかといえば、これまでの人生経験で、"最低限一人でこなすことで経験値が上がり、周囲の満足度も高く褒めてもらえる"、ことを無意識に知っているので、自分の役割を果たしたことによる達成感による快感が背景にあると考えます。まるでLv.5がLv.30を倒すとたくさん経験値がもらえて褒められるように。

これらは決して悪いことではありませんし、むしろ成長において極めて重要なマインドです。

しかし、こだわりが過ぎることで、志に反してモチベーションが維持できない状況に陥ってしまうのは避けるべきで悲しくも本末転倒です。私たちは知っているはずです。だめだと思ったら、よりレベルの高い仲間と協力して目標を倒すことで、自身も同時に経験値が得られことを私たちは6匹の手持ちポケモン戦略を通じて知っています。目の前の課題に向き合っただけでも評価してもらえることを。

つまり、低クオリティでも途中で関係者から意見をもらう、雑談がてら仲間に状況を話す、悩んでいることを打ち明けてみる、ことが結果的に精神的にらくになります。その時、精神的にらくに感じた時点で、やはり一人で抱え込むことは向いていないと思い知らされます。

余計なお世話ですが、この時に自分の主体性を手放さない(人任せにしない)ことが極めて重要です。ここまではできたがこの程度で完成させて良いか、過去にはどんな対応をしたか、これは必要なのか、そもそもこれお前の仕事じゃね?のように、あくまでもこの仕事は私が舵を握っていることを意識する必要があります。時には、分担してくれたり、過去の資料を見せてくれたり、ここまでで大丈夫と具体的な作業範囲や解決手段を示してくれたりするもんです。

ひとりで一生懸命最後まで向き合う、喰らいつくのは、半分理想論的なところがあり、学校ではそれを讃えるし(むしろそうなれという風潮さえも)、漫画アニメでは主人公格として目立って描かれます。現実には、一人で潰れて自己を見失ってしまう割合の方が圧倒的に多い気がします。受験生の進路とか、大学生の就活とか、社会の協調性とか、家庭の役割(家計のやりくりや育児)とか、

人間の精神的成長は年齢と比例するものではなく、誰だっていつだって成長段階の未熟な部分はあるはずです。受験も仕事も恋愛も育児も老後も死も、全てがみな初めて経験するわけですから。

______

先送りをできるだけ避けるため、意識の持ち方とは別に、精神的な余裕を維持することも重要です。

一時的ではありますが、下記の小手先テクニックで先送りを抑制する、もうちょっと踏ん張ってみるなんてこともできるかもしれません。

太陽にあたる、音楽を聴く、本映画ドラマなどの物語に触れる、友人と話す、少し美味しいものを食べる、数分でも新しいことをやってみる、香りを取り入れる、デスク上や家具の配置を変える、小さなペットを飼う、トイレで発狂してみる、お風呂で大熱唱、とか。

 

私は最近、心の余裕を維持するために、

「いま目の前の仕事は、命を賭けるような人生の晴れ舞台に繋がるのか?ふさわしいのか?」を意識しています

(こう思うようになったきっかけには、好きな歌手グループが引退ライブで泣きながらこれまでの全力をぶつける姿に心を打たれたことにあります)

なので、私のゼミ準備はこれから雑魚クオリティで仕上げに入ります。これで留年させられるわけではないので、無能レッテルを貼られても、人の印象なんてすぐ変わるので、余裕のあるときにレベチな準備と発表をすればいいだろ精神です。

 

---終わりどころの見えない話が続き申し訳ないので、最後に最近の社会をみて(あくまで個人的に)思うことを述べて終わろうと思います---

これまで周りに、引きこもりと自傷行為で現実逃避を続ける学生を何人か見てきました。

社会人でも何らかの精神的理由で長期休暇される方もいました。

特に、学生に多くみられたのは、教員のパワハラ(人間関係)や、この先将来なにしたら良いかわからない悩みが膨らみに膨らんだが故の突然フェードアウトが多かったです。自分は何が好きか、自分の存在意義はどこにあるのか、それが将来に繋がるのか、といった私たちを苦しませる問いかけはいつも突然にやってきて、今すぐ答えを求めらるような圧迫感を与えます。

 

私はあまりできた人格ではないので、家や友人に関わること以外は、いつも最悪辞めればいいやの精神を心がけています。まあそうはいっても、多少の健康が犠牲になってしまうことは仕方ないと許容するわけですし(3年近く切れ痔が止まらないなど笑)、時にはこのレイアウトをもう少しこうして、、とかしょうもないことに夢中になってしまうものです(※このブログもブーメラン)。

何が言いたいかというと、自分が自分ではいられなくなるほどに社会に心までを売る勇気は、残念ながらないということです。

何となくこういう文章を書いている時点で、私も既にメンタルがやられているかもしれませんね汗

このような考え方は、資源豊かな日本だからこそ許されるものなのかもしれません。紛争も現代奴隷も人種迫害も食糧不足も水衛生も伝染病の蔓延る医療格差ともかけ離れた、世界の現状をことばだけで知ったような平和ボケした教育が私たちの基礎になっているからこそ、何をしたらいいか決めなくても問題ない、たとえ目の前の環境を辞めても別の環境で新しい生活を送れるわけです。

平和ボケと言えば、昨今の昆虫食と環境問題を絡めた社会貢献の話があげられます。ある昆虫食ベンチャーの社長は、環境問題の壮大さを語っている手前、昆虫食の在り方を軽いレベルで論じていたチグハグ感を露呈させてしまい、大勢が意見してそこそこ炎上したことも、いかに日本が平和な国か説明できるはずです。(※筆者はこの話題と無関係な人間です)

つまり、世間が建設的でもない話題で盛り上がれる程度を考えれば、小さな社会コミュニティの中で生活が苦しくなるほどに精神をすり減らす必要はないはずです。

いま現在、身近で関係ある人が自分の将来のために身を削って何かしれくれるわけでもなければ、死ぬ時まで共にしたい、尽くしたいと思える方がいるわけでもない、のであれば、ちょびっとづつでも今自分がすべきこと、できること、心が動かされることに時間を使ってみるのはどうでしょう。奥さん旦那さんと一緒にご飯食べながらいつもより少し長くおしゃべりしても良いかもしれません。学生時代の友人に自ら電話してみたり、遊びに誘っても良いかもしれません。自分にとって何が気持ちを揺さぶるのか、自分でいられると感じるのかは、思っているほど、近くにあるものです(彼女彼氏、子供、父母や祖父母、友人、ペット、趣味、仕事?)。自分を自分たらしめるものをもう少し丁寧に生活時間に取り入れてみるように、思考を変えてみるのもアリかもしれません。

私の環境では、みな仕事上の責任を失わないよう動くことが最優先で(当然です)、それ以外は知ったこっちゃないと言わんばかりに不必要に他人の心をエグってくるの個人プレイヤー方が多いので、おかげでドライな判断がしやすいように思えます。むしろ近年では、人情で圧力をかけることがパワハラになることを考えれば、ドライな判断を是とする世の中になるべくしてなった?

 

職場に人たちは基本人間関係においてはドライであると考えていると、本当に私が大切にしたいのはなにで、それはどこにあるのかが見えてくるように思えます。

 

心が落ち着いたのでゼミの準備をしようと思います、、

 

頭の中を一気に吐き出して長文になってしまいました、、

ここまでお付き合いくださった方には心より感謝の気持ちを込めて、ラブを送ります。

肩たたき券1枚分に相当するので、使うときは埼玉県まできてね。

 

はあ宝くじ当たんねーかなー

噂のハースストーン(前夜祭)

こんちゃ。ぶどう糖です。

 

ハースストーン、ご存知ですか??

私は恥ずかしながら、最近知りました。

今思い返せば、即×を押して消してしまう広告シリーズにハースストーンがあったかもしれません。

 

とりあえずその実際の広告を見てみましょう。

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最初にこれを見てしまったのは私の間違えでした、、

うーん。なんとも頭の悪そうな広告でビールも喉を通りません

ゲーム作成時点の会話が浮かびます。

製作者A:ドラゴンはとりあえず炎吐かせとけば神っしょ!

製作者B:それな!

製作者C:これまじ、、アタマ良いヤツがやるヤツでまじやばめヤツっしょ!!

製作者B:それな!

 

もう製作者Bクビでいいだろ。

残念ながらこの広告を見た時点で、私はやらないと決めました。

不動のにゃんこ大戦争スマホのストレージを圧迫しているからです。

 

ですが私も鬼ではないので気を取り直して、、

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ん、ファイヤーボール?

ファイヤーボールって、

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似たような名前があるのはしょうがない。

けど、後発であれば、もう少しインパクトのあるイラストにするような配慮はなかったのだろうか

これじゃ、ライオンが餃子のサヨナラてんさんの自爆シーンとの違いが分からない。

おい餃子のサヨナラてんさんは、6ダメージかよ、

 

でも一生懸命作った人がいると思うと、あまり適当なことは言えません。

私は鬼ではないので、ちゃんとした感想を考えます。

ハースストーンで魔法カードのファイヤーボール(500ダメ)使ったら、敵は何回死ぬのでございますでしょうか?

 

ちなみに、ツイッターでは、

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もう本気で遊んでほしいと考えているのかと疑念に思わせて、あえて興味を持たせるという高等テクニックですね、わかります

これは綿密に計算された文章と画像を絶妙に配置するアインシュタインも想像しなかった掛け算により演出される複雑な暗号であり、そこから導き出される重要センテンスを解読すると、おかあさん明日の天気なに?というメッセージが浮かび上がってきます。

それしか考えられません。

(もう自分で書いてて、褒めたいのかイジりたいのかすらよく分かんなくなってきた。)

 

未だどんなゲームなのか分かっていませんが、知らなくても良さそうです。

正直やらなくても、明日からまた普通の日常を送れるでしょう。

なので、今日はこの辺で失礼しやす。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

あれ?

(なぜインストール画面を開いてるかは聞かないでください)

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このアイコンって、

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青いチャクラと赤いチャクラ?、、、

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どう見てもNAR◯TOのアレですね、

渦巻いてるアレですね。

今始めればサスケとかもらえんのかな、

 

何もひねりのない文章で勧誘する広告、突然煽ってくるツイッター、アイコンに伏せられたうずまき、、そうこれは、

 

神(クソ)ゲーだってばよ。

だって、腹ペコのドラゴンとかもうネーミングセンスどうしたのってくらい心配になるもん。

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本来の、Hungry Dragon

を改め

Starving Fierce Dragon

の方がなんとなく良いのでは

 

危ない、こうだったらいいんじゃないかとか言わせちゃうネーミングをあえてつけることで、

これまた興味を持たせるテクニックにハマるところでした。

ちなみにまだやってないけどこれあれでしょ

初心者でもルールが覚えやすくて、かなりスタンダードな内容で、すでに組まれてるデッキが配布してもらえる王道TCGなんでしょ?ヨクワカンナイケド!

全世界7,000万人のプレイヤーがいるなんて、、、

すごいよね、

 

注:案件ではございません。

 

 

パートさんのハートを3Dプリンターで掴みたい♂

こんちゃ。ぶどう糖です。

暑いのか寒いのかよく分からない毎日が続いていますね。

こんな異常気象下では、人間もどんな服を選べば良いか悩むのに、いつも丸裸で生活している野生の動植物は大丈夫なのでしょうか。

動物でも恒温動物と変温動物とでは、体温の調節機構が違いものの、外の温度変化は少なからず影響を受けていると考えるのが一般的でしょう。最近では、植物も人間のように体温を自ら発熱して調節するやつ(thermogenic plant)も発見されており、生き物の想像を超える多様性に驚かされます。

私は人一倍、寒暖差と可愛い女の子に弱いので、この時期は女の子の厚着と薄着姿が交互に見れることは最高に思うおですが、女の子から浴びせられる温度差には何かとても辛いものがあります。これはこれで私の厚着してる皮が自然と脱げてしまい(体温調節のために!)、この世で最も自然に適応した生物は私ということで今後は、政府や研究者、マスコミからの対応に追われそうな予感がします。

人類の適応進化も、いつかこの辺りまでカバーしてくれると嬉しい限りです(皮だけに)。

 

謎な前置きはさておき、ここ最近、奮闘してることでも書こうと思います。

私の所属する生物系の研究室にも、多様なパートさん(元研究者の主婦さん、生き物苦手なのに何故きた主婦さん、毒舌お嬢様ママ様など)がいますが、実験の補助や実験動物の飼育など、あらゆる面でお手伝いいただいています。

 

日頃、昼休憩などのちょっとした時間にいろんなパートさんと雑談するわけで、宇宙からミジンコまで思いつく限りの話題で盛り上がります。

(今日は遺産相続の話でしたが、、、)

最近では、英語はえっちな動画をみて勉強しろ!と真顔で言い放たれたセリフが脳裏に焼き付いています。

 

そんな研究室で働くパートさんの業務は多岐に渡りますが、必ずしも毎日決まった仕事があるわけではなく、飼育に必要な資材などを自作してもらうこともあります。

(仕事内容はもちろん研究室によって様々です。)

ある日、スペイン人の旦那さんを持つ久保さん(仮名)が、普段、飼育で使う金網(金属の針金のようなやつ)をこの形に加工すると楽になるじゃない!と閃いたようで、業務の隙間時間に数個ほど作成していただきました。

確かにこれまでのやつよりも使い勝手が良さそうです。

しかし、金網を思うように加工するのは容易ではなく、我々素人ではかなりの時間も必要で大きな労力がかかってしまいます。(毎回同じ形を再現するのは特に難しい)

1つ、2つであれば問題ないのですが、You, 大量生産しちゃおうぜ!との流れになり、さすがに20、30必要ともなると負担も大きく、、これからパートさんが作ると考えるとどうにか手伝ってあげれないかと思うわけです。

 

そこで、もともと別の実験で使うために購入された高級3Dプリンターを使って、その形状を模倣して、実験終わりの夜にでも大量生産してみようと考えました。

普段、パートさんにはかなりお世話になっているので、手作業の負担はできるだけ無くしてあげたいものです。(来週、研究の中間審査で、他の作業に浮気している場合ではないのですが汗)

私自身、3Dプリンターを使った経験は、個人的に飼育しているウナギちゃんの隠れ家を作ってあげた1度ポッキリなのですが、なんのひねりもないただの筒を作るので精一杯でした。。

参考書を片手にYoutubeを見て、「半日あれば、それなりの形はいけるっしょ!!」とレッドブル50本分(嘘)の気合を注入するものの、これがまた初心者には厳しい。

まるでいきなりエヴァ初号機に乗せられ、軽やかに操縦して使徒を倒せと言われているようなもんです。

図形に、動いてよ!と言ってもビクともしません。

とりあえず半日、試行錯誤してうまくできない部分は次の日に持ち越しました。

____

そして、動かない図形による精神攻撃も次の日には回復し、ついにプロトタイプが出来ました。

当初の金網の手作業では作れない構造を加えてあげる私の優しさといったら、ザックエフロンがファンの壊れた携帯を買ってあげるサプライズを彷彿とさせるくらいのものを感じますね

 

じゃ印刷スルネ、

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待ちに待った印刷時間、12時間の時を超えまさかの失敗↓。

(白いのは補助的な素材PVA, polyvinyl alcohol で水に濡らすと溶ける素材)

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ビーン

黒い網目の部分がぐちゃぐちゃです。

まあなんでも最初から上手くはいきません。

ということで、めげずに改良を重ねて、プロトタイプ2です。

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ちょっとハニカム構造なんか作っちゃってかっこよくしました。まるでハリースタイルズみたい

超絶怒涛の期待を人差し指に50分かけて集中させ、印刷開始ボタンを貫通。

3Dプリンターは、いつも通りにウイーンと動き出す。

どうしてお前はいつもそんなつまらない音しか出さないんだ、と寒い研究室に一人男の声だけが響いた。

 

そして、印刷おわたアルヨ!

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失敗してました。即停止です。開始1時間で即リタイアとは根性なしです。

ガビーーン がビビビーン

またもぐちゃぐちゃです。

3Dプリンターの印刷設定を少しいじって、もう一度印刷し、帰路につきました。

またも、ウイーンしか言わない。お前はロボットか!と寒い研究室に一人男の声だけが響いた。

 

プリンターはこの記事を書いている今この時もせかせかと働いていることでしょう。

明日に期待です。

 

上手くいけば、手作業なく同じクオリティのものが大量生産できるので、みなさまのお仕事が効率よくできるようになるかもしれませんね。

私はこれを機に3Dプリンターを扱えるようにしたいところです。

それではまた、次作の紹介はあるかもしれないし、ないかもしれないアルヨ!

ウイーン

 

ショートケーキと消毒液

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ショートケーキ

こんちゃ。ぶどう糖です。

 

昨日からめちゃくちゃショートケーキが食べたくて、ついにお尻から10まんボルトが出ました。

 

ショートケーキが食べたいショートケーキが食べたいショートケーキが食べたいしょうどけーきが食べたいしょうどけえきが食べt...

 

ずっと白目をむきながら独りでぶつぶつ言ってたら、気づいたらしょーどくえーき(消毒液)が食べたいに代わり、俺内流行語大賞は「消毒液のパンドラの箱」ということで全て手で書き下ろした小説を100万部発行し、総額5億円の赤字決済で芥川賞の夢が絶たれ絶滅しました。

明日はモモンのみ食べ放題ランチでも行こうと思います。

眠すぎてもはや何書いているのか自分でも分かりません。よろしくお願いします。

それでは、おやすみぼくのピカチュウ

はてなブログに降臨してみた

こんちゃ、ぶどう糖です。

 

挨拶って何を書けば良いのか分からないので、適当に書きます。

うーん。

そういや先日、彼女に言われてハッとしたことがあります。

「人生一度きりって言葉は一番嫌いな言葉。だって、夢や目標もってる意識高い人しか使わないもん。」

確かにそうかもしれません。

> 人生一度きりだから、いろいろ挑戦しないと!

> 人生一度きりだから、時間をムダにしないように心がけないと!

確かにこのような言葉ってちょくちょく目に耳にしたりしますよね

少し個人的な経験や思うところを入れながら、なぜ彼女は嫌いに思っているのか考えてみました。(当の本人は、ただ夢や目標がないからだけだと思いますが、笑)

____

私を振り返ってみれば、鼻水垂らして、分けわかんない事言っていじられることにハマり、うんこで6年間笑い続けた小学生の頃や、お笑い芸人のネタをあたかも自分の閃きギャグとして一世風靡した(のちのバレる<伝説の猫が寝込んだ事件である)中学生の頃の自分は、そのような言葉を一度も使ったことがありませんでした。

高校の時も、体育の授業中に抜け出して、近くの山に生えてるタケノコを引っこ抜いて試合に没頭中の友達に投げたら喧嘩に発展し、先生に怒られてたような頃を思い出せば、偉そうに人生一度きりだから なんて人に言えたもんじゃないです。

当然、性格あっての言葉使いだと思うので、言葉を知っていても自分の個性と一致しないものは使わないわけですよね。

私が、「みんなほんとうに大好きだよ、いつもありがとう、らぶ!!」もしくは「お前ら黙って俺について来いよ」なんて言おうもんなら、ドン引きされるどころか、精神科に連れて行かれるまである気がします。みんなが知っている私の性格とかけ離れた言葉なので、、

しかし、最近では、人生は貴重だから大事に過ごさないと、と、人生一度きりが持つ本来の意味を考えるようになったのも事実です。

それは、とりあえず目先のことをできるだけ頑張れるようになったからなのか、そのおかげでここ数年でいろんな知識や情報を詰め込むようになり、人生や時間の貴重さを感じるようになったからなのか、、

単純に意識たかい系(笑)になびいてそれっぽく言ってる自分に酔ってる?

ですが、他人に偉そうに言ったことはないと思います。

 

少し小難しい話になりますが、、

私たちは生活する環境と交流する人たちが変わるだけで、知識や経験、ボキャブラリーが増えるとともに使う言葉が多様化します。おまけに、単なる単語力だけでなく、言葉の抑揚やあいづちのタイミング、声のトーン、話の広げ方など、様々な言葉遣いが変化することでより複雑な個性が表現できるようになります。一口に成長と言っても差し支えないと思います。

当然、家族に口調や言葉遣い、地元や学校の友達、職場の付き合いなどコミュニティによって流通するフレーズやテンション、受け入れられている私が違うわけです。もっと言えば、相手が知っている"私"を正しく出すことで安心感を与えて、お互いの記憶に刻まれた私を分かち合いながら、最近どう?って話をするわけですね、

コミュニティによって、ここではボケだけど、ここではツッコミ、ここではモブ的な役割分担が異なったりしますよね、5人全員ボケのグループはまだ経験がありません。

仮面を被るかのように"演じている"とは少し違うのかもしれませんが、異なる個性を表現するキャラクターを2つ3つと区別するように持つと、いつかは整合性がつかなくなり、時に「お前ってそんなキャラだったっけw」と言われてしまうような、それまで築いてきた関係に間が生まれることもあるかもしれませんし、意図してそう言われることが快感に思う人も少なくない気もします(男子によくみられる、新学期、夏休み終わりの俺は少し違うんだぜ 的な謎オーラを醸し出す君は要注意である)

これらは受け入れられている私の数だけ、それぞれが独立したコミュニティで私の人格が存在しているように見えます。つまりその数だけ誰かにとっての私が生じてしまうということです。

 

一方で、元々、どの人と接しても同じような個性を表現する人もいます、

・みんなから好かれる

・裏表がなさそう

・自分の意見を持っている

・雑談が面白い、話題に尽きない

・ちゃんと否定できる

ような人は、新しい環境で得た言葉も話し方も、うまくこれまでの自分と組み合わせて「私ver.7」 のようにアップデートするのが得意なのかもしれません。(散らばった個性を常に一つに重ね合わせる習慣がついているのかもしれません)

 

これらが人生一度きり と何の関係があるのか、ということですが、ある時を境に、どこで知ったか分からないけど、相手の人格が変わったように見えてしまう(まるで元から自分が夢や目標を持っていた人間であったかのような)別人格を表現するような言葉が"どことなく"出てくることがあると思います。言葉にはできないどこか悲しい感情を抱くわけです。先ほどの"受け入れられている私"を使って説明すれば、その人が一番自分の欲求を満たせたのだろうコミュニティでの人格を、全ての関係に上書きしているようなイメージです。人生一度きりという言葉は、ただ単に、どのように時間を使うかの一つの考え方に過ぎないものです。時と場と相手を間違えると、違和感満載の怪しい変な人に昇格しかねないように思います。この減少は、言葉が持つ意味の大きさと使っているその人の精神的な成熟度(ほかの言葉の使い回し)に差があるほど、大きな違和感を覚える気がします。彼女が嫌いと言っていたのは、その言葉に本来ついてくるべき内容の深さがその前後に無かったから、そう感じたのではないかと思いました。

確かに、難しい言葉や小洒落た文章を構成すれば、どこか賢そうでコイツ信頼できそうだな雰囲気は出るけど、会話を重ねるほどボロが出てしまうことで浅い残念な人に成り下がってしまうように思います。まあよく一般的な就活面接などでこれが散見されるわけですね、

また、大学のレポートでいろんな記事のコピペを繋ぎ合わせると違和感満載なヘンテコ文章が出来上がってしまうのも、同じ理屈かもしれません、

言葉の意味や文法も間違ってないのに、なぜか不自然な印象を感じ取ることができる"言葉"という生物的機能は、いかに優れた表現手法であるかを実感させられるなと思う今日この頃です。

彼女って偉大だなー

 

それでは、おやすみなさい(笑)