頭のもやもやを吹き飛ばす

ニート、セルフビルド、そして野菜作り

悩みを書き出せ

頭がすっきりしない。いつももやもやしている感じだ。なんだろう。

きっと、いままで鬱積したものが積もりすぎて、脳が要領オーバーなのかもしれない。

悩みを書き出すと、ちょっとはキャッシュメモリーの空きができるかもしれないので、書き出そう。

① 社会的地位がない。何の仕事してるのって聞かれると答えに窮する。

② 収入が少ない。これも①と類似。

③ 何を軸にして生きるか決められず、フラフラしている。研究、農業、日本語教師、不動産賃貸。どれも中途ハンパ。

④ 外国語ができない。英語がいまだに聞き取れない。中国語も聞き取れない。モンゴル語もできない。

⑤ 株で負ける。上昇トレンドに乗れない。早めの逆張りで損している。

⑥ コミュニケーションが苦手。利害関係のある人とうまくやるのが特に難しい。

⑦ カンジダが治らない。

⑧ 昔の友人や知り合いに、自分の現状を知られたくないので、会いたくない。

⑨ 研究で、自分の能力不足を感じて、いまだにそれを引きずっている。

⑩ せっかくつながった人間関係も、持続できなくなる。

⑪ 金がない。

⑫ いまだに親に甘えている

⑬ 理解が遅い。

⑭ 自分のことを話すと、相手の興味でもないことだったのに、と後悔する。

⑮ 人をうらやましく思うことがある。

⑯ 漢字の読みの間違いを人の前で言ってしまい、恥ずかしい思いをする。

⑰ いやなことばかり思い出す。

⑱ 奨学金の借金、親からの借入れがある。

⑲ もういい歳なのになにも成し遂げず、そしてしてない。

⑳ 小心者。

とりあえず、これくらいか、今思いつくのは。

いわゆる高学歴ニートの自分

 ”高学歴ニート”、”高学歴ワーキングプア”って言葉、最近聞かなくなりましたね。

高学歴ワーキングプア  「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

高学歴ワーキングプア 「フリーター生産工場」としての大学院 (光文社新書)

 

 私は、まさしくそれです。”高学歴”ねぇ。ほんとは全然頭良くないです。

2010年に農学の博士号とって、研究やめました。生物の生態学なんてやってたから、ほんとにつぶしきかない(笑)。

今回はブログの初めなので、ざっと自分の軌跡を書いてみます。

 

凡人の自分は、日本で最も頭がいいって言う大学の大学院まで行ってました。結局、だれでも行けちゃうんです。その後がきついので、これはワナです。まんまとそのワナに嵌ったわけです。研究者になれるかな~などと甘い考えを抱いて、ダラダラとその生活を続け、同世代が稼ぐ中で学費を払い研究生活、やたらと欝っぽくなりながらも、引くにひけなくなり、結局博士号とってから、”もうこんなの嫌だ~”って、もうだだっ子のようになって、やめました。頑張って続ければ、一応研究員にはなれたみたいですが。なにもかも捨てたくなったのです。

 

 そのとき、すでに31歳。もう一般企業への就職も無理だし、欝っぽいし、研究関係の人たちと離れたいのもあり、中国に飛びました。これも逃げです。私の人生、いつも逃げ。誰に追われているのかわからんけど、逃げ切るしかない。まぁ、追い詰められて死にたくなるより、逃げればいいって考えもあるんです。どこまでも甘い自分。

 

2011年、中国の内モンゴル自治区というところに行きました。なんでそんなところ?というと、私のようなだめ人間と付き合ってくれる奇特な彼女の出身地だったんです。こんなだめだめな私なんかと付き合うなんて。感謝だなぁ。

 

中国で中国語学びつつ、公認会計士の勉強しようという無茶な計画を立て、行きました。しかし、それを3ヶ月くらいやってみて、”この歳になって、もう勉強は無理!”となり、たまたま日本語教員を募集しているのを見つけたので、大学で2年間、教鞭を振るうことになりました。

日本語教育なんて右も左もわからない。でも、いきなり大学の教壇に立たなければなりませんでした。そのときは、結構ビビリました…。が、二年やって、学生からも結構慕われ(しかも女子大生ばっかり)、おっ、これは自分の天職か?と思いました。一方で、”給料が安くて(月給9~10万位)、このままの生涯賃金考えると、ちょっと情けないな~”、中国の食べ物、水、空気がおいしくないし危ないし、”ここはちょっと人間の住むところではないなぁ”っていう思いがムクムクっと大きくなり、思い切って日本に戻ることにしました。これが2013年7月です。

 

日本に帰ると、自分でまずは家を建てるぞ!ってまた無謀な計画を立てます。160万で超ボロボロの家を購入。セルフビルドに取り組みました。73歳の大工のおじいさんに教えてもらいながら、一からボロ家を”ビフォーアフター”張りにリフォームしました。

 この計画は完遂しました!

ボロ物件でも高利回り 激安アパート経営―入居率95%を誇る非常識なノウハウ
 

 それから、アベノミクスの恩恵で、大学院の時からやっていた投資で利益が得られ、これにプラスして、両親からの借り入れもして、ボロ物件賃貸業も始めました。基本的に全て自分の手でリフォームし、1年間で、自分の家と、なんとか生活できる最低限度の収入が得られるようになりました。これが、2014年8月。

 

奇特な彼女と2013年末に結婚しており、2014年7月から新居でようやく2人の生活を始めました。そして、その7月に、即刻子供を授かりました!。あ~、早まったか?。まだ、安定した生活なんて遠い状態で、子供を作ってしまい、ほんとすみません。”こんな将来の見えない生活で子供なんて考えられない”などという夫婦が多いというのに、”なんとかなると思いますよ”という根拠のない楽観から、つくってしまいました。これで、「仕事をしなければまずいと自分を鼓舞できる」と、逆にモチベーションを上げる要素として考えている自分はやはりだめ人間です。それでも、子供は絶対にちゃんと育てます。

 

もう一般就職するのは無理。宅建、簿記2級、日本語教育の免許は持っているけど、どれも雇われてやろうとは思いません。以前から、農業に興味を持っていたので、それしかないと思い、どうしたら農家になれるかを考え始めました。

自然農法 わら一本の革命

自然農法 わら一本の革命

 

 大学のころに、”わら一本の革命”の考えに感銘し、いつかは農業をやってみたいと思ったのを思い出しました。しかし、福岡正信を踏襲して、やっている人は、どうもネットで調べてみてもいない様子。やはり、自然農法は無理なのだろうか、それでもその発展手法はないのだろうかと調べて、”奇跡のりんご”がどうも現実の農業と折り合いをつけたものであるということが分かってきました。

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)

奇跡のリンゴ―「絶対不可能」を覆した農家 木村秋則の記録 (幻冬舎文庫)

 

 頭だけで考えるより、とりあえず行動しながら考えてみるかってことで、近場でこの”自然栽培”というのをやっている農家さんのところにボランティアでお手伝いに行くことにしました。

以上、2015年1月現在、高学歴ニートの確変継続中であります。