19歳、女、スカートを1着も持っていない。
はじめに
タイトルの通りだ。自分はスカートを一着も持っていない。
自分はどうしようもない大学一年生だ。性別は女。それは身体的にも、自己の認識という意味でも。
親からは言われる。「何でスカート穿かないの?」「お前はケツがデカいんだからジーンズは似合わない、スカートにしろ」「スカートとカワンピースなら楽でしょ」
親戚からも言われる。「もっと可愛い服着たら」「女の子らしい服を着た方がいいよ」
うるせ。
自分の着たい服を着る、それでいいじゃないか。着たくもない服着て、何が楽しいんだろうか。買いたくもない服買って、金が無駄になるだけじゃないか。
と、思ってきたし今もそう思っているけど、ふと考えた。
何で自分は、スカート穿くのが嫌なんだろう、と。
考えたことがなかった。感覚的にスカートのことを嫌っていた。
ということで、折角なので今回は、自分なりに『自分がスカート嫌いな理由』を考えてみた。その結果をここに書いてみる。
考えてみた
スカートと言うと、女性の服である。……というのは自分の考え、認識で、ちゃんと正しいことなのか不安になったので調べてみた。
以下、引用である。
大方合っていた。良かった。
そう。女性用の衣服なのである。主に。
誰もその事実に対しておかしい、とは言わないと思う。制服だって女子は(ほとんど)スカートだし、スーツもそうだし、逆に男性服売り場にスカートはない。一般的な考えとして、スカートは女性の服だ。
自分は多分、それが嫌なんだと思う。
つまり、スカートを穿くのは女性だ。スカートを穿けば「自分は女性だ」とアピールすることになる。それが嫌なのだ。
もう一度言うが、自分は性別は女だ。それは身体的にも、自己の認識という意味でも。
自分は自分のことを女だと思っているし、それに違和感はない。けれど、女性だと思われるのは嫌なのだ。
「女性だ、と思われたくない」とは
女性と思われたくないというよりは、女扱いされたくない、と言うのが正しいと思う。
女扱いされるって、色々な意味があると思うし、人によって言葉の響きも違うと思う。
- レディーファースト、で入口の扉開けてもらえるとか、先に部屋に入らせてもらえるとか。
- 女には力がないから、と男が荷物持ってくれたりするやつ。高校のときとかあった、そういうの。行事で重い荷物運ぶときとかに担任が「男子行け」って言うシーン。
- 女なんだから、と家事の手伝いさせられること。親戚で集まった時に色々動かされること。それが出来ないと「女の子なのに気が利かない」とか「女の子なんだから動きなさい」と言われること。
- 女なんだから、大学出たらそこそこ働いてその後結婚して子供産んで家庭に尽くせ、と言われること。
絶賛実家暮らし中、今年立て続けに親戚に不幸があって集まることが多かった、という状況にある私は、上記の『女扱いリスト』の下ふたつをよく言われた。今も言われている。
いや、女なんだから家事やれって何?男もやれや。
何で親戚で集まった時に従兄弟は動かなくても怒られないのに、自分は怒られる?クソ理不尽だなぁと思う。
女は仕事に一生尽くしちゃいかんの?自分は少なくとも今は、生涯の伴侶も子供も欲しいと思ってない。
女であるだけで、嫌なことばっかり起きるし、嫌なことばっかり言われる。
女であることは不幸だと、自分は感じているのかも知れない。
考えてみると、女で良かった、って思った時ってあんまりない。
レディースデーあるだろとか言われるけど、いや毎週水曜って。今まで学生やってた自分はあんまり恩恵に与ったことがない。まぁ土日にそんな割引サービスなんてできないだろうけど。
生理はめんどいし辛いし。
それこそ持久走の距離が短くなるとか、重い荷物運んでもらえるとか、そんなことくらいだ。それも高校生までのイベントで、大学生、社会人になればそういう場面も少なくなる。
自分は、女だし、女でいることに抵抗はないけど、社会一般の女として見られるのが嫌なのだ。そう思われた時に良い扱いをされたことがない。嫌な思いしかしていない。だから、社会一般の女というカテゴリーから逃げたがっている。その感情が表れた行動の一つが、スカートを穿かない、持たない、ということなのだろう。
そういえば
お気づきの方もいるかもだが、自分は、一人称が『自分』だ。真面目な文章を書く時は『私』にするけれど、こういう文の時は大抵自分だ。ツイッターとかでもそう。
実生活ではどうかと振り返ってみたけれど、そもそも普段一人称を口にすることがあんまりない気がする。けど多分ちゃんと「私」と言っている、と思う。文脈とか雰囲気によってふざけて「おれは」とか「おいらは」とか言ってる気もする。ツイッターでもそう。
ピンクとか淡い色があんまり好きじゃなくて、そういう色の服やグッズはあんまり持っていない。
振り返ってみると、「そういえば」と、スカート以外にも女らしさから逃げている節があった。自分が思っている以上に自分は、女だと思われたくないらしかった。
残念な事実
昨今、LGBTだとか色々言われるようになり、性別の自認だとかが話題になっている。
制服の件がいい例だろう。性自認的にスカートが嫌な子はズボン、ズボン嫌な子はスカート穿いていいよ、とする学校が増えてきているとか。
この文章を読んでくれた方の中には、「こいつ、LGBTなんじゃないか?」と思った方がいるかも知れない。
何度も言うけれど、自分は自分のことを女だと思っているし、それに違和感はない。恋愛対象も男なので、多分LGBTの中には属さないんだと思う。ただ純粋に女だと思われたくない人なんだろう、私は。
けれどここで残念な事実が一つあり、それは、自分が彼氏いない歴=年齢、さらには人を好きになったことがない歴=年齢だということである。
自分の恋愛対象が本当に男なのか、自分でもはっきり分かっていない。正直、女の子とセックスしろって言われたら出来る気がする。
だから自分がLGBTなのか否かが分からないし、そうなると自分のこの『女扱いされたくない病』が何が原因で発症したものかが判断できない。(この言い方、すごい誤解を招きそうというか、一部の人から怒られそうな表現だ。自分はLGBTに詳しくありません。いや、詳しくないならその名称を使うなという話だけれど。ここまでに様々失礼な発言があったかもしれません、許してください)
ともかく、自分は何なのか、考えだしたら分からなくなってきた。もしLGBTとか性自認とか、そういうのに詳しくて、かつこの文章を読んでくれた人がいたら教えてください。
結論
今わかっているのは、自分は自分の性別に違和感はなく、けれど女扱いされるのが嫌だからスカートを穿いていない、ということだ。
ぐちゃぐちゃな文章だったと自覚しているが、この結論に至れた、自分で自分の行動の要因を知れただけでもよしとしよう。
分かったけれども
多分自分はこれからも「スカートを穿け」とか、「女の子らしくしろ」って言われるだろう。でもそれに対する自分の考えをはっきり言える自信はない。言えない。
クソ田舎で育って、今もクソ田舎に住んでいて、親もその親もクソ田舎育ちの自分は、そういう、異端みたいなことを言うとどういう目に遭うかよく分かっている。
田舎の人は基本的に、異端を認めてくれない。コレは偏見だと言われるかもしれないけれど、実際そうなのだ。
このコロナ過で、田舎に帰省した人がその地域の人からめちゃめちゃ叩かれたり、その人の家族が誹謗中傷されたり、という話をよく聞く。あまりの地元民からのいじめに自殺してしまった人がいる、なんてことも聞く。その真偽はさておき、自分は「あぁ、有り得るな」と思う。マジでそうなり得る環境が田舎にはある。
コロナにかかったもそう、LGBTだとカミングアウトするのもそう、私が「女扱いはヤダ」というのもそう、異質な存在は認められないのだ。
信じられない人は一回田舎に行くといいと思う。
とまぁ、こんな感じで、自分が今この環境で生活している以上、自分がスカートを嫌がる本当の理由は家族、親戚には話せそうにない。そうなると結局、嫌な言葉たちからは逃れられないということで。
きっとこれからもそういうことを言われるたびに、「うるせ」と思いつつ、でもこれからは「だって女扱いされたくないから」と、心の中で小さく弁明することになるのだろう。何だか余計辛くなった気がするが、もう元には戻れないのでしょうがない。
終わりに
自分は女だけれど、スカートを一着も持っていない。出来ればそのことに関して何も言われたくないし、言われたとしても自分の考え、感情を率直に吐き出せるようになりたいけど、多分それは無理だ。
ということで自分はこれからも、このことに関して、嫌な思いをしながら生きていくんだろう。スカートは女性のものという常識が覆らない限りは、もしくは私と同じような考えの女性がものすごい大勢現れてトレンドにならない限りは、もしくは親や親戚全員がこの世からいなくならない限りは。勘違いして欲しくないが、自分は彼らに死んでほしいと思っているわけではない。
これは、「○○だと思っていたけど、これからは○○で頑張っていく」とか「○○という考えにすることで人生変わった」みたいな文章ではなく、特に面白さも救いもない、どうしようもない19歳の女の現状を綴っただけの文章だ。
嫌な思いをする瞬間が少しでも減れば、と思う。
だって自分は、これからもスカートを穿きたくないし、女扱いされたくないから。
おわり