神社のお社って神様が常に居る訳じゃなく、その周囲の森にお住まいの入口があると言われるかと思うのですが、区間整理や人の都合で社森が縮小されるケースが近年は多いと思います。
それはそれで時代の流れてあったり管理する人の都合だったり、事情があることは容易に判りますが、なんだか寂しい気持ちになってしまうこともあります。
区間整理のついでにバッサリと全ての木々を社より低い位に短く剪定。
恐らく落雷などを憂いての予防策とは思うのですが、あまりにバッサリカットされすぎて人間なら意図せぬオンザ眉毛、犬ならロングチワワなのにプードルカット、猫なら猫エイズでハゲチョロ毛みたいな、物哀しいと感じる程にバッサリ。
仕方ないのですよ。そう仕方ない、、、
落雷が近くである時に雨の中、無住の社では誰が見に行くかも決めかねるのでしょう。
時代の流れで忘れさられ、拝まれない神仏は人の世から離れて霞世界に消えて行くのでしょう。
人の世に入口があったりしたのは、善く拝まれ霞世界が近かったからであり、不敬になってしまうくらいなら、入口を閉じてしまおうと思われるのは御神佛様方のお優しさでしょうねぇ。
あぁ、あの時にご縁を頂き御分霊を頂いたのは、こう言う流れを予見しての御霊分だったのか?と思うと、御神佛様方は先見の明にて全てを統括されており、私達がいくら案じようが案じまいが、もう道はざっくりとは決められているのだと、この頂けた道を歩みを留めず、ただ邁進するしかないのだなぁ、と染染思いますね。
私の歩みは遅いから人の3〜4倍の時間は見といてくださいね(笑)
なるほど~(笑)
拙庭の無花果で休むケールちゃん。