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『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』

※ネタバレ注意

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』を見てまいりました。アカデミー賞4部門受賞のニュースもありつつ、個人的にも夢や幻覚や狂気とか自我の不確かさなんかをテーマにした作品が大好物なこともあって、もともとの期待度はかなり高かったです!www.foxmovies-jp.com


『フォックスキャッチャー』の予告編も相当~意味不明な感じだったけど、これもけっこう意味不明です。


映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』日本版予告編 - YouTube

あらすじ(公式サイトより)

映画シリーズ終了から20年、今も世界中で愛されているスーパーヒーロー“バードマン”。だが、バードマン役でスターになったリーガンは、その後のヒット作に恵まれず、私生活でも結婚に失敗し、失意の日々を送っていた。

再起を決意したリーガンは、レイモンド・カーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら演出と主演も兼ねてブロードウェイの舞台に立とうとしていた。

ところが、代役として現れた実力派俳優のマイクに脅かされ、アシスタントに付けた娘のサムとは溝が深まるばかり。しかも決別したはずの“バードマン”が現れ、彼を責めたてる。

果たしてリーガンは、再び成功を手にし、家族との絆を取り戻すことができるのか?


観る人を選びます。

ほぼワンカットの長回し。緊張感を極めるドラム音。しゃべりまくったり、殴りまわったりする登場人物たち。時折、何の脈絡もなく発揮される主人公・リーガンのサイコキネシス

振り回される。

タランティーノなんかも振り回すタイプではあるものの、爽快感があるので気持ちが良いんだけど、「バードマン」の場合は主人公はじめ、登場人物ほぼ全員が躁うつ気味の情緒不安定なので、振り回されながら「こいつら、大丈夫か…?」という不安な気持ちを絶えず抱かされます。情緒が安定しているのは、主人公の友人でプロデューサーのジェイクくらいじゃないかしら。あとは全員メンヘラ。奇妙といえばとても奇妙です。それで話が成り立ってしまうのが、監督の手腕ともいえる。振り回されるのを楽しむか、そうでなければ強い意志を持って臨むしかございません。


それは悲劇であり、美しくもあり、そしておかしくもある

映画を観た後で感じた第一の印象は“人生讃歌”でした。登場人物たちの情緒不安定をもたらす要因は強烈な“エゴ”。リーガンもまた、過去の栄光を取り戻したい、という野望があってこそ、無謀ながらもブロードウェイの舞台に立つわけです。その姿は、愚かで、哀れで、美しく、おかしくもある。

4/4発売のキネマ旬報がちょうど「バードマン」で、監督のアレハンドロ・G・イニャリトゥのインタビュー記事だったので少し引用します。

この映画の主人公は、一つ一つの出来事を乗り越えながら、人生の意味に疑問を抱き、真の人生を求めていく。(中略)だから様々な出来事を乗り越える内容を、今までとは異なったアプローチの仕方で、より軽く、ユーモアを入れながら、でもアイロニーはなしで描いたんだ。皮肉ももう疲れたし、むしろ退屈で怒りを感じるくらいだからね。もっとも同じ人生のある出来事、疑問に対して、心底真面目に向かい合うと、自ずと答えは生まれると思う。それは悲劇であり、美しもあり、そしておかしくもあるんだよ。

イニェリトゥが一番笑い飛ばしたいのは「自分の内側にある、強大なエゴ」だという。「時に自分ほどの天才はいないと思うのに、20分後には、いいや自分はダメだ。お終まいだと落ち込む。何とも厄介だよね。でもこの両極端な思いを支配している“エゴ”を映画にしたら、面白いんじゃないかと思ったんだ」


ラストの意味とは

舞台上で拳銃による自殺未遂によってケガをしたリーガンはベッドの上で目を覚まし、舞台が大成功をおさめたことを家族に知らされます。そして、誰もいなくなった後、病室内のトイレで目の前に現れたバードマンに別れを告げ、直後に窓から外に飛び出すのです。部屋に入った彼の娘は、室内に父親の姿が見えないことを不審に思い、窓から外を見て、驚きと安堵の混ざった表情を浮かべます。

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各所でラストシーンの意味について色々と論じられており、特にこの映画に対して否定的な意見のほとんどが、あのラストシーンについて意味が分からない、というものでした。

私自身は、彼が死んだとは全く思わず、むしろ人生を乗り越えた彼が、バードマン(=過去の栄光でありながら、同時にずっと自分自身を縛り付けていたもの)の力を借りずに飛び立つことができたという、象徴的なシーンだと感じました。

劇中、リーガンは誰もいない時にちょくちょく念力で物を動かしたりしてはいたのですが、どこでこの能力は発揮されるんだろうと思っていたらまさかのラスト。空を飛んだのが事実かどうかとか、脈絡があるとかないとか、気になる気持ちは分かるけど、どうでもいいんです。リーガンが、自分自身を縛り付けていたものを乗り越え、人生と家族を取り戻し、そして自分の力で羽ばたいた。それこそがあのラストの意味だと思いました。


まとめ

『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』は、“エゴ”に苦しめられた男が“エゴ”を乗り越えた先で、真の人生を得る人間讃歌の映画です。ほぼワンカットの長回しに、情緒不安定な登場人物たちには振り回されますが、振り回されまくってこそ、ラストのシーンはより味わい深くなることでしょう。


勢いでリーガンの舞台の原作にもなっている村上春樹訳の本を購入。これから読みます。

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

愛について語るときに我々の語ること (村上春樹翻訳ライブラリー)

 

 

雑記/李白「月下独酌」

明日から週末にかけて天気が悪くなると聞き、慌てて千鳥ケ淵の桜ライトアップに走りました。桜を見ずして春が来たとはいえまい…!

真ん中やや右上辺り、桜の花びらに混じって一目でそれとは分かりませんが、月です。欠けた月。川面に映る桜と、月と、とくれば、西行の有名な和歌「願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ」が連想されますが、大学時代にクズながら専攻していたのは漢文だったこともあり、ひとり酒を飲みながら見る月に思い浮かぶのは、漢文学生にとって王道の李白・五言古詩の「月下独酌」。

李白といえば、国語の教科書でもおなじみ。中国唐代、特に盛唐と呼ばれる8世紀に、杜甫と並んで中国史上とくに高名な詩人で、杜甫が“詩聖”と呼ばれていたのに対し、彼は“詩仙”と呼ばれました。お酒が大好きで、のびやかで奔放な詩を数々と生み出しておいます。「月下独酌」もその一つ。

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花間一壼酒 獨酌無相親
舉杯邀明月 對影成三人
月既不解飮 影徒隨我身
暫伴月將影 行樂須及春
我歌月徘徊 我舞影零亂
醒時同交歡 醉後各分散
永結無情遊 相期遥雲漢

花の間で酒壷ひとつをかかえ、友もいないので、独りで酒を飲む。
杯をあげて明月をむかえ、自分の影法師も数に入れると、三人の仲間が出来た。
しかし月はもともと飲むことを解しない。影はただ、わたしが動くにつれて動くだけだ。
だがまあ、月と影とをお相伴させて、楽しみをぞんぶん味うのは、まさに春のうちにかぎる。
わたしが歌うと月もさまよい、わたしが踊ると影もふらふら踊り出す。

正気のうちは、こうしていっしょによろこびあっているが、めいていしたあとは、ばらばらになってしまう。
しかし、月と影とわたしの三人は、人間ばなれのした遊び仲間のちぎりを永久にむすぶ。
落合う約束の場所は天の川のはるか彼方である。

(武部利男「中国詩人選集・李白」)

科挙も受けずに推薦で官人となった彼は、生涯、大好きな酒を飲み、詩を読みました。最期は船上で酔っぱらっている最中に、水面に映る月をつかまえようとして溺死したそうです。

酔狂にしろ、寝るときの夢にしろ、はたまた薬にしろ、夢と現実とが交錯する世界観は大好きです。まさに幻想。

ところで、中国文学には天、あるいは鬼神という概念があり、「鬼神」という漢字からは、日本人の感覚ではまるで地獄の王様のような印象を受けますが、幽霊や妖怪や神といった、人間以外の未知なる存在すべてを包括した言葉です。「天」の概念については、学生時代の論文のテーマにしたこともありましたが、私には奥深すぎて、その一部にさえ触れられなかったなあ。

今、再び中国詩の幻想世界に触れて、心をはるか遠くの長安へ、時空を超えて飛ばしてゆきたいものです。

 

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