カフェオレの泡

浮かんでは消えていく泡のようなもの

【読書日記】2024.5.25(土)

文芸誌を読んでいると、小説なのかエッセイなのかわからない作品に出会うことがときどきある。
単行本の場合、これから読む本がどちらかわからないなんてことはまずない。
文芸誌の場合、そこに書かれているのがタイトルと著者の名前だけで、それがなんなのか明示されていないことが多い。
まあその時点で小説なのだろうけれど、読み始めてみると、特に一人称で書かれたものは、もしかしてエッセイなのかな? と思ってしまうことがあるのだ。

そんなときに思い出すのは、小山田浩子さんの「全部私小説だと思って書いている」や、「目の前のひとつひとつを信じて書いていけば小説になる」という文章だ。
読み進めているうちに、小説でもエッセイでもどちらでも構わないなという気がしてくる。

【読書日記】2024.5.23(木)

11年前の今日、大谷翔平選手がプロ野球初先発を果たした。
なぜそれを覚えているのかというと、その日、長男が生まれたからだ。
大谷選手が二本の刀を研ぎ、日本から海外へ活躍の場を移し、いまや世界一の選手となったその間に、私の息子は11歳になった。
おめでたいことだ。


【読書日記】2024.5.22(水)

今日は『新潮 2024年6月号』から川上未映子「わたしたちのドア」を読む。
こちらも「春のみみずく朗読会」用に書き下ろされた新作。

春は、すべてが青くなりすぎるまえに夜がくる。

読むと、あの日の川上未映子の朗読が脳内で再生される。

人は急に、いなくはならない。いなくなる人は、長い時間をかけて、じつは少しずつ自分のなかからいなくなっていて、いなくなった自分がどんどんふくらんで、最後はそれに押しだされて、自分でもそうとは知らないうちに、本当にいなくなってしまう。

川上未映子「わたしたちのドア」

優しい慈愛に満ちた声で語り掛けてくれるようだ。

【読書日記】2024.5.22(火)

定休日。
二度寝をして、11:00頃まで寝てしまった。

昼食をとり、買い物に行く。
野菜を買い込む。
ズッキーニもあった。
珍しくローズマリーも買った。

次男がミスタードーナツを食べたいと言っていたので、久しぶりに行ってみる。
平日の昼間はさすがに空いていたので、スムーズに買い物できた。
リクエストされていたものもあったのでよかった。

家でごろごろ本を読んでいるうちにうとうとして昼寝。
そうこうしているうちに小学生ふたりが帰ってきた。

今度は長男と娘を連れてホームセンターへ。
長男はプラスチック用の接着剤を買っていた。

娘は併設の百均でキラキラしているシールを買っていた。

【読書日記】2024.5.20(月) 「夏帆」。聞く、読む。

文芸誌『新潮 2024年6月号』を読み始める。
巻頭、村上春樹の新作短編「夏帆」を読んだ。
これは3月に開催された川上未映子との朗読イベント「春のみみずく朗読会」のために書きおろされたものだ。
運よく私はこの朗読会に参加できたので、この書きたてほやほやの新作を本人の朗読によって聞くことができた。
その体験があるものだから、この作品を読んでみると、脳内には村上春樹の声で再生されることになり、贅沢な読書体験となった。
行って良かったとあらためて思った昼のひとときであった。

【読書日記】2024.5.19(日)

課題本『モモ』で読書会を実施。
あれやこれやと話が出る中で、「今を生きる」とはなにかについて考える。
「今ここ」ってなんなんだろうね。
わかるようでよくわからない。
わからなくてもいいけど。