街の本屋さんの敵はAmazonなのか?
http://www.gizmodo.jp/2013/11/post_13445.html
街の本屋さん助けます…書店がKindleを売ると電子書籍の売上の一部を受け取れるプログラム、アマゾンが発表
を読んで、まとめるための備忘録として
方向性としては、以下で仮定したい。売上データで新たな仮定に。
現状の街の本屋(小規模書店)は、絶滅危惧種。世情が変わり淘汰される種。
本屋の価値としてよく言われることは、大規模書店にも当てはまる。大規模書店の生き残りと、街の本屋の生き残りは異なる。
絶滅した種(街の酒屋、米屋、ふとん屋、路線バス)と差がないなら、電子書籍のリアル店舗は新たな形としてありでは?
(補講:いずれ、大規模書店で見てKindleで買う世界も来る、漫画はTSUTAYAの世界は既に来ている?)
本屋と小売の差
- 発掘、輸入、ルート開拓等が無い
- 再販制度があるので価格差商売ではない
- 本質的にはセレクトショップ、現行書籍を全て収める事は出来ない
- 店舗オリジナルの製品が無い。そこでしか買えない、付加価値の欠如
- 直営店の価値に疑問。UNIQLOは行くが、講談社ストアが本だけなら行くか?
本屋と服屋との差
- 季節モノ、セールなどの、誘引要因が少ない
- 仕入れはどの店も同じ、再販制度で価格も同じ
- 展示方法に難あり?服屋もさほど差は無いが、コーディネート
- お薦めを売り込む手法、カリスマ店員などは欠けている。単価の差か
- 新しいものを買う人、セールで買う人、色味・形・サイズ。GAPの商売-
家電屋と本屋との差
- 店の展示品を買うわけではない。服との差はそこか?
- アフターサービス、高額商品、安心安全を買うための店舗
- 服屋よりも手に取る、カタログの意味合いが強い(本当か?)
- 小規模家電屋はほぼ絶滅、修理下請けは細々。既に小売では無い商売
小規模書店と大規模書店との差
- 売上?敷地面積?定義は?(たぶんチェーン)
- 駅前の小規模と市街の大規模、どちらに行くか
- 街の本屋が無くなって、TSUTAYAの本は撤退してる?
- コンビニの雑誌は売れてる?週刊漫画はどこで買うか
- 手に取れる、新しい出会い、すぐに買える、大規模の勝ち
- 卸の料率は異なるはず。大型書店と小規模書店、差は2~3%か(公式なデータは?)
ネットショップでの本の特異性
今後の小規模書店
- 小規模電化製品店は全滅しなかったか。いずれ通る道か。
- 小規模書店は、大規模チェーン書店との競争に勝ちうるか?
- 小規模セレクトショップも潰れてるがドンドンできている。夢の差?
- 本のセレクト、おすすめの本、小さな店、古本屋のノスタルジーに近いか?
- 出版社は、末端の本屋をどのように見ているか。大規模チェーン書店を優遇?
- PCゲーのおまけ商売が出来ない理由。再販制度が縛るのか。ポイントカードに対してのクレーム。
どうすれば良いか
- 規模、価格、品揃え、大規模書店には勝てない
- "規模"の先鋭化。どこにでもある。駅売りのKIOSK?
- "品揃え"の先鋭化。セレクトショップ、ヴィレッジヴァンガード?
- "すぐに買える"の先鋭化。漫画、ラノベ、雑誌。即日よりも"帰り際"
- 街の本屋の価値、きめ細やかなサービス、図書館のリファレンスに活路?
Amazonとのやりとり。電子化の進んだ世界で
街の本屋に価値はあるのか?
- 街の酒屋と同じく、絶滅危惧種かも知れない
- 商店街とスーパーの関係性と、小規模書店とTSUTAYAの関係性
- フィルムカメラと同じでは。声の大きいユーザは居ても、誰も買わない
- 無くなって困るのは誰か、より便利に使うには、何故使わなくなった?娯楽の増加?
- 手に取れる価値の継続化、チェーン店の"下請け"、フランチャイズ化されない理由は
プログラマのススメ
・はじめに
プログラマーになるなら覚悟を決めよ、と迫るリストが増えてきたので、少し気になって。
凄く具体的に言うと、 プログラミングの入門 を読んだ人から「そんな面倒なのか、イヤだな」と直接言われたからだ。
プログラマーには、10種類しかいない。2進数が読めるヤツと、読めないヤツだ。
なんて、ジョークを飛ばす時代でも無くなった。
個人的には11種類、おっと、3種類に分類できると思ってる。
考えてもみよう。
プログラミング言語といわれるように、これは"言葉"の一種だ。
英語なんかと同じ。
勿論、英語で飯を食っていこうともなれば、それは高度な技術職であって、特殊な職能が要求される。
例えば、通訳とか、翻訳家とか、企業の所謂"英語屋"さんなんかは、英語を使えるだけではなく様々な能力を期待されるし、それを発揮しなければ食っていけない。
でも、じゃあ、辞書を丸呑みするような血の滲むような努力がなければ、英語を使えないのだろうか。
例えば、字幕なしで洋画を見たいとか、世界一周旅行に行きたいとか、もっと言えばロサンゼルスに憧れている人は、そうまでしなければ英語を使って楽しめないだろうか?
僕は違うと思う。
指差し会話帳を使ってアメリカ旅行だって、悪くはないはずだ。
バックパッカーは辞書を片手に、それこそ英語やスペイン語で楽しめば良い。
LとRの発音を聞き分けられなくたって、カタコトを笑われたって、旅行が出来ないことはない。
プログラミングだって同じはずだ。
どのプログラマになるんであっても、最初の一歩はそんなに難しいことじゃない。
だから、気楽に始めてみようよ。
・プログラミング入門
- 0. なにをやるか
- 1. まずは簡単な入門
- 2. そうは言っても動かしたい
- 3. 次から何をしていけば良いか
0. なにをやるか
プログラミングとはなんだろうか。プログラムを作ることだ。
じゃあ、プログラムとは?卒業式で見ただろう。式次第のことだ。
つまり、ヤルべきことが書かれている日程表だ。
じゃあ、プログラミングで最も大切なことがなにか解るだろうか。
"なにをやるか"、だ。
素敵な会場の選び方も、椅子の素早い並べ方も、効率の良いアナウンスも、使い回しできる組織表も、それぞれ勿論大切だろうけど、まず"卒業式をやる"という目的があってのことだ。
だからまず最初の一歩としての心構えは、次のようになる。
「本を最初から読むのを止める」
分厚い文法書を頭から読むのは止めよう。
そういうのは、慣れた人が新しい言語を学ぶときにやるやり方だ。
やりたいことがあって、それをやるために必要な部分だけ読んで、まずやってみる。
そういう癖をつけよう。
(どうせ読まなきゃならないときには、読まなきゃならないんだから)
1. まずは簡単な入門
大切なことは分かった。次は入門だ。
なんでもいいんだけど、とりあえず、キミの生まれた曜日を調べてみよう。
プログラミングの始まりだ。
やること:生まれた曜日を調べる。
わかってることを並べてみよう。
曜日は7つある。月火水木金土日。
一週間は7日で、曜日が一巡する。
一年はたいてい365日だ。つまり、7日で割ると、52あまり1。
2013年1月1日は火曜で始まったから、2014年1月1日は水曜から始まる。
よし、じゃあこのへんで誕生日を2000年の3月27日だったとおいてみよう。
ちょっとズルして、2013年3月27日の曜日を調べてしまおう。水曜日だ。
てことは、ちょうど一年前の2012年3月27日は、火曜日だろう。
これを誕生の年まで繰り返せば良いから……
2013 - 2000 = 13
で、13回さかのぼれば良いかな?
13 ÷ 7 = 1あまり6
1はつまり1順、同じ水曜日。
さらにあまった6日位分はさかのぼるから、火、月、日、土、金、木。
13回さかのぼると、木曜日だ!
なにか忘れてないかな。
そう、「一年はたいてい365日」だ。たまに2月29日が出て、366日になる。うるう年だ。
366 ÷ 7 = 52あまり2
ややこしいけど、うるう年の年は、2つ曜日が進むってことさえ判ればいい。
はてなキーワードにも書いてあるけど、うるう年の判定方法は簡単だ。
4で割り切れる年は、うるう年だ。
でも、100で割り切れる年は、うるう年じゃない。
でもでも400で割り切れる年は、やっぱりうるう年だ。
てことは、2013年から2000年の間に何回うるう年があるか調べて、その分だけ追加でさかのぼれば良いってことだ。
2013年は?4で割り切れないから違う。2012年は?4で割り切れるから……めんどうだね。
例えば、2013年までのうるう年の数って数えられないかな。
2013 ÷ 4 = 503あまり1 …うるう年 2013 ÷ 100 = 20あまり13 …うるう年じゃない 2013 ÷ 400 = 5あまり13 …やっぱりうるう年
4で割った503回 - 100で割った20回 + 400で割った5回 = 2013年までに、488回
じゃあ、2000年も同じように数えてみると、
4で割った500回 - 100で割った20回 + 400で割った5回 = 2010年までに、485回
てことは、3月27日を調べたいんだから、2000年までのうるう年は無視していいはずだ。
2013年までのうるう年488回 - 2010年までのうるう年485回 = その間のうるう年3回
つまり3回だ!
整理しよう。
2000年3月27日の曜日を調べたい。
2013年3月27日は水曜日。
2013 - 2000 = 13。13 ÷ 7 = 1あまり6。
1順して、さらにあまった6日位分はさかのぼるから、火、月、日、土、金、木。
うるう年が3回あったから、水、火、月。
つまり、2000年3月27日は、月曜日だ!
ググって答え合わせをしてみると、どうやら正しそうだ。
さあ、できたぞ。
なにがって?これがプログラミングだ。
キミはコレで、過去の3月27日なら、どんな年の曜日だって解る。*1
つまり、プログラムは、こうなる。
やること:X年3月27日の曜日を調べたい 1. (2013 - X) ÷ 7 = 答えのうち、余りを覚えておく 2. 488 - ( (X ÷ 4の商) - (X ÷ 100の商) + (X ÷400の商) ) = 答えを覚えておく 3. ( (1.で覚えておいた"余り") + (2.で覚えておいた"答え") ) ÷ 7 = 答えのうち、余りを覚えておく 4. 水曜日から、3.で覚えておいた"余り"分、さかのぼる。
3.に少しだけ新しいことを入れたけど解るかな?
一週間で曜日は一巡するから、7で割り切れたら同じ曜日になる。だから商は無視していいんだ。
このプログラムを作るために、ここまで長々と試行錯誤してきた。
これこそがプログラミングだ。
ね、簡単でしょ?
2. そうは言っても動かしたい
何をやるかが大事なのかは分かった。
だから、誕生日の曜日を調べてみた。
でも、プログラミングってもっとコンピュータを使うハズだ、いちいち電卓叩きたくない、というのもまあ解る。
じゃあやってみよう。
好きなプログラミング言語、好きなコンピュータを使って良い。
Googleで調べれば、いまは無料でたくさん情報がある良い時代だ。
自分で調べてやることが、大切だ。
とはいえ、これはガイドなので、少しだけやってみよう。
http://codepad.org/ に行って、左側のLanguage:でPythonを選んでみよう。
そして、さっき書いたプログラムをテキストエリアに貼り付けて、右下のRun codeチェックボックスにチェックが入っているか確かめて、Submitボタンを押してみよう。
Python, pasted just now: 1 1. (2013 - X) ÷ 7 = 答えのうち、余りを覚えておく 2 2. 488 - ( (X ÷ 4の商) - (X ÷ 100の商) + (X ÷400の商) ) = 答えを覚えておく 3 3. ( (1.で覚えておいた"余り") + (2.で覚えておいた"答え") ) ÷ 7 = 答えのうち、余りを覚えておく 4 4. 水曜日から、3.で覚えておいた"余り"分、さかのぼる。 Output: 1 Line 1 2 SyntaxError: Non-ASCII character '\xc3' in file t.py on line 1, but no encoding declared; see http://www.python.org/peps/pep-0263.html for details
おめでとう!キミの初めてのプログラム実行だ!
残念ながら、1行目にNon-ASCII characterが入っていると怒られてしまった。
当然じゃないか!とキミが怒らないで欲しい。
プログラミング言語で書かないといけないというのを体験してもらうとともに、Errorと言って間違っていたらちゃんとコンピュータ側が教えてくれるというのを見せたかったんだ。
でも大丈夫。
Python言語に変換していけば良いだけだから。
Pythonでは、覚えておきたい数字を、"X"などの好きな言葉でおける。*2
あと、その覚えておきたい数字に、覚えておきたい数を入れるときには、
X = 2000
などのように、左側に使おうとする言葉、右側に覚えておきたい数を置く。
日本語は使わずに全部半角英数字にしよう。"ASCII"とかで調べてみよう。
他につかう記号一覧を出しておこう。
加減乗除は、+ - * / 余りだけ知りたいときには、% 商だけ知りたいときには、 //
答えを表示したいときには、覚えておきたい数の前に print と入れるといい。
さ、書き換えてみよう。
X = 2000 amari = (2013 - X) % 7 kotae = 488 - ( (X // 4) - (X // 100) + (X // 400) ) amari2 = ( (amari) + (kotae) ) % 7 水曜日から、3.で覚えておいた"余り"分、さかのぼる。 print amari2
なんだかかなりそれっぽくなったね。
先頭の数字はとってしまった。Pythonは数字を付けなくても上から順に見てくれる。
とりあえず例題と同じく2000年を調べるようにしてみた。
最後の"さかのぼる"ところだけ、数式じゃないから上手く行かなかった。
じゃあ、とりあえず「水曜日から、3.で覚えておいた"余り"分、さかのぼる。」だけ除いて、New pasteに貼り付けて、動かしてみよう。
Outputに"2"と無骨に出るはずだ。水曜から2日さかのぼると、月曜日。あってそうだ。
おめでとう!
プログラミング言語を使って、プログラムを書いて、そして動かして、結果が出た。
もう後はなんだって出来る。
最後に、「水曜日から、3.で覚えておいた"余り"分、さかのぼる。」のひとつのやり方と、少し変な表示の仕方だけ示しておこう。
youbi = ("Wed", "Tue", "Mon", "Sun", "Sat", "Fri", "Thurs") X = 2000 amari = (2013 - X) % 7 kotae = 488 - ( (X // 4) - (X // 100) + (X // 400) ) amari2 = ( (amari) + (kotae) ) % 7 print "%d/3/27(%s)" % (X, youbi[amari2])
Pythonでコレがどんな意味を持つかは、"タプル"、"文字列フォーマット操作"を調べてみると良い。
(ほんのちょっとの差だし、単なる見栄えの問題でしか無いよ)
3. 次から何をしていけば良いか
一番大切な、"なにをやるか"を理解した。
本も最初から読まないように心がけた。
プログラミングも体験したし、実際にPython言語で実行もしてみた。
次はどうするか?
まず、さっきの例題を改良してみよう。世の中には3月27日生まれ以外の人も居る。
ぴったりうるう年に生まれた人も忘れないようにしたり、1873年以前を調べるとエラーが出るようにしても良いと思う。*3
他にも、次のような問題がある。
思いつくままに、気になったものを解いていけば良い。
解き方を"アルゴリズム"と呼んだりする。
「1. まずは簡単な入門」でやったことが、アルゴリズムを自分で組み立てることだ。
いまは調べれば、問題を解くのに効率の良いアルゴリズムを見つけることが出来るだろう。*4
でも、せっかく楽しい部分なんだから、自分でやってみると良いと思う。
そうして小さなホビーを積み重ねていって、自分の「コレがやってみたい!」というものがみつかったら、それを実現するために調べながら作ってみると良いと思う。
文法書を読み始めるのは、それからでも遅くない。
プログラマになるのは難しくない。
ここまで手を動かしてやってみたなら、立派なプログラマだ。
やりたいことをやりたいようにやろう。
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ここまで平易に書いても、きっと「職場にそんな安易なプログラマがやってこられたら困る」と思ってしまう人が居ると思う。
だから、そういう人にも満足してもらえるような本のリストを張って、このポストを締めたいと思う。
きっと、覚悟のある職業プログラマの先輩は以下の本を全部読んでるだろうし、ホビーで楽しくやってきたプログラマにプレゼントするには最適だってことには、賛成してもらえるだろうから。
繰り返しになるけど、初心者は本を買って読む必要はないよ。ググれ。
いずれ自分で読みたくなった時に、読めばいい。*5
「困ったときに調べて解決する」という"癖"は、陳腐化することが無いよ。
Head First JavaScript
このプログラミング入門を全部やって達成感を感じるような完全な初心者が一冊だけ買ってもらうなら、という本。
ヘッドファーストシリーズはゴリゴリ書き込んで実際にやってみるドリルなので、終えると達成感がある。*6
なお、ドリルなのでよくわからないところは自分でちゃんと調べる必要があります。文法書だと思って読むと期待はずれになるので、あくまでも演習問題集だと思ってやりましょう。
珠玉のプログラミング
封筒裏の計算ってヤツが、ほとんどすべての場合で重要だということを説明した本。
言語のチュートリアルを終えた初心者が読むと、かなり力がつくと思う。
演習問題は全部解いて見ることをオススメする。社内勉強会向けかも。
古臭い例題を解くパズル本といったところ。
ライト、ついてますか
解こうとする"問題"とは何なのかを分り易く説明した、まあ、エッセイ集のような本。
気楽に読めるし、大人って面倒だなーとか、コンサルタントって良いなあと思える良書。
箸休めに。
プログラミング言語C
古典。演習問題は全部やろう。
特に、第1章のやさしい入門の24問を全部解ければ、普段のちょっとしたスクリプトを書くのに困ることはなくなると思う。
小さくてコンパクト、そして何より、そのへんのオッサンに聞けば必ず持ってるので借りやすい。*7
これをひと通りやると「仕事でXXXという言語を使うことになったから」と言われた時に、ハイハイとその言語の入門書を読むのが楽になる。
”田舎”と言ったときの、それぞれの"田舎"の勝手な分類
田舎や都会、最近色々な話を読む。それぞれに面白い。
ただ、少しズレが気になる。2つの軸が混在している気がする。
環境と地理だ。
わかりにくいので、環境から話そう。
店長がズバッと定義している。(都会と田舎の比較の話が出るととりあえず絡みつく)
どこに行っても知っている人がいる。どこに出かけても「あそこの店長が来てる」と認識されうる。
つまり、基本的に知っている人しか居ない、知っているものしか無いのが"田舎"だ。
では対義語たる"都会"はどうだろうか。コレも簡単だ。
どこに行っても知らない人しか居ない。どこに出かけても通行人Aのままで居られる。
つまり、基本的に知っている人が居ない、知らないものだらけなのが"都会"だ。
店長はコレを『最大の違い』と表現しているが、これは"田舎"と"都会"の定義で良いと思う。*1
では、地理とはなんだろうか。これはつまり、(「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から)の話が近いのだろう。
徒歩圏内にコンビニがある、電車がかなりの頻度で来る、都心に電車で行って帰ってこれる。これは"都市圏"や"郊外"だ。都心ではないかもしれないが、それに付随する場所。
そこよりも距離があれば、"地方"や"僻地"となっていくだろう。
すると大分スッキリと読み解ける。
たとえば、この(都心住まいの価値とは何か)の場合、chnpkさんは"都市圏"の"都会"と、"地方"の"都会"との比較を話している。これは地理の話だ。環境ではない。
つまり、イオンとは地方に進出してきた"都会"であり、無機質さは"都会"そのものだ。
商店街の売り子さんがそっくりそのままイオンに入り、「あらchnpkちゃん、今日は買ってかないの?」と声をかけられ、次の日職場で「あそこのソフトクリームならミントがオススメですよ」と挨拶されるなら、そのイオンはどんなに合理的でも"田舎"だ。
一方、(地方都市という地獄 あるいは関東圏の「私が住んでるところは田舎だよ(笑」が如何に残酷かについて)では、環境の話が主だ。ただ、chnpkさんのエントリの地理に対して反応している。
mizchiさんが怨嗟の声をあげているのは環境に対してに見える。『買える距離に生きている』、『都会に行こうと思えば行ける』と書いているが、これは地理的な距離よりも環境的な要因で『田舎には選択肢がない』ことへの苛立ちに見えるのだ。
だから、アクセスの便をもって『機会が与えられている』と表現してしまうと、ズレが出る。
まさにそのズレが先に上げた(「私が住んでるところは田舎だよ」を言う立場から)の話であり、これは地理上における渇望の話をしている。mizchiさんの苛立ちが理解されているように見えない。
「環境的には"田舎"で無いはずだ」という苛立ちが、「でも地理的に"都心"より離れてるし」という返答になってしまう。
都心、都市圏、郊外、地方、僻地の順に並べた時の、郊外における都心への憧れを語ってしまうのは、ズレていると思うのだ。
既に上げた通り、店長は鮮やかに"都会"と"田舎"とを表現してみせた。
両津勘吉の居る浅草の商店街は都市圏ではあっても"田舎"であり、pha氏のでかけた先(田舎はオープンワールドRPGみたいだった - phaのニート日記)は、地方ではあっても"都会"だったのだ。人が地方の"田舎"を語るには、周りの人が全て知っている状態になるまで住んでからでないと語れないのだ。
その意味で(大阪「・・・・・。」)は、環境と地理とが複雑に絡み合った味わい深いエントリになっていると思う。
地理的には大都市でありながら、環境的には田舎でもあり、しかし東京という日本の"都心"に対して憧れとは違う何か独特の感情を抱いている。
この分類であれば、(地方都市に住んでヨソ者=「2級市民」として扱われた違和感。)で、もりくちさんがしばらく住んでいたA市は(彼にとって)どういう立ち位置だったのか定義できる。
もりくちさんは"都会"に住むことを望んだのだと思う。"田舎"に住み、その煩わしさも含めて飲み込む合理性は見いだせず、でも"都会"として便利になってほしいと何かをしようとした。その結果、"田舎"に"都会"の流儀が通用しなかったという話に見える。
一級市民や二級市民という単語を、地元市民と仮住市民と置換して読んでみれば、違和感が減ると思う。言っている発言が正しく合理性があっても、何年も住み、これからも何十年も共同体として活動していく人たちが、旅人の提案を受け入れるわけにはいかないのは、ある程度合理性がある。(もりくちさんの今のマンション生活は、おそらく"都会"の中で"田舎"を作り上げる作業なのだと思う。)
ただ、定義上"田舎"の中に"都会"を受け入れさせるのは無理なのかな、とも思う。"都会"に居る知らない人を知ることで"田舎"に近づけることはできても、知らない人がいる"都会"の環境を"田舎"に受け入れさせるのは、相当に困難なはずだ。
都会と田舎との話にまつわるエントリを読みながら、自分勝手に定義し、分類をしてみた。
もしかしたら何の意味もない軸分けだったのかもしれない。
でも、誰かが「俺の住んでるところは田舎でさ」といった時に、それが空気感で造られた心理的な牢獄による絶望を語っているのか、見える位置にぶら下げられるがゆえに飢え続けた三大都市圏への憧れを語っているのかを見極めることは、議論を発散させず度数分布表の区切りについて語ることに繋がると思う。*2
だれしも"田舎"への思いがある。
それが、心地良いマフラーの暖かさなのか、真綿で首を絞める圧迫感なのかは、雪降夜に語るにはふさわしい話かもしれない。
*1:地元、旅先という言い方を好む人もいるだろうから、適宜置換して欲しい。旅の恥はかき捨てと言うのは、旅先だから普段しないことをするという意味の諺だ。逆に言えば、旅先でない地元では、恥ずかしい言動は出来ない/知り合いばかりであるという事を示しているのだ。店長にとって横浜は、程々に旅先なのだろう。
*2:そも田舎とは都市の対義語として生まれ、多分に心理的なものだ。塀の外は田舎、それこそが都市の妙なプライドであり、その裏返しとして都心以外は皆田舎という認識が生じうる。しかし、それら心的な田舎にも様々な区分が存在し、都心からの物理的な距離やその生活圏の不便度合いによって、「その程度の田舎で田舎ヅラしないで欲しい」という不協和音を発することになる。
これは三大都市圏からの距離やコンビニ件数などを勘案して数値化しても解決しない。なぜならば、これは心理的な問題だからである。人はその観測範囲において渇望や絶望を感じ、場合によって(日本的な基準において)明らかな僻地であっても"都会"足りえるからだ。絶対的な基準は当事者には意味を成さない。まさに「サバンナで同じ事言えんの?」である。