壁はなかなか…

崩せませんね。

 

100kgという数字。

今はとりあえず、99kgで維持ですがここからなかなか落ちない。

最近は、時間ができたときはノルディックウォーキングをして、約3kmを目安に歩いていますが、これも効果が出るときはぐっとでるのですが、気を抜いちゃっているのか98kgになったと思うと翌日は、100kgになっていたり…。

 

ほんとここが壁ですね。Drにも言われたとおりです。

 

ここを超えればまた、次はしばらくうまく波に乗れそうなのですが。

 

ただ、体のサイズ?ジーンズなどはゆるくなっているようで、今日はウォーキングしてたら落ちてきちゃって…。

また、明日からベルト使用になります。

 

あんまりベルト使うの好きじゃないから、本当はちょうどいいサイズのジーンズを履いていたいのですが、しばらくは仕方ないですね。

嬉しい現象だし。

修正完了?

リバウンドしたと思って、ちょっと気合いれた?わけでもないのですが、とりあえず体重は99.5kgまで修正されました。

 

体質なのでしょうか?

糖質オフを始める前からそうだったんですけど、トクホ(特定保健用飲料)を飲むと、注意書きでは「お腹がゆるくなることがありますので、飲み過ぎには注意をしてください。」っていうような注意書きがあって、1日1本を目処にってなってるんですけど、自分はその真逆でもともと胃腸が弱いからなのか?

飲むと、便秘になります。

 

ここしばらく、なんとなく甘さが欲しいときにトクホのメッツコーラやペプシのキングオブゼロなどを飲んでいたからなのか、かなり溜まっていたようです。

 

 

いっきに出て、2kgヘリました^^;

 

 

なんかいい方法ないかなぁ。

ちょっと考えちゃいますね。

 

 

まあ、とりあえず再びがんばります。

ひとつの決断

今日、朝 一緒に仕事しているNにある決意を話した。

 

ここ数年、長野県の行動援護従業者養成研修をみんなの協力を得ながら続けて来る中で、講師であったりインストラクターとしてやってきた。

今となっては、当たり前のように行われている研修。

 

でも、この行動援護研修、実はある特定にサービスに対しての考え方ではなく、もっと広いサービスの中で必要な考え方で、そもそもの目的として障害に関わるすべての人が必須の研修にしたかった。

 

それが、今回実現することになり、国の研修として「強度行動障害者への対応」という形で研修が必須になろうとしている。

 

当然、この研修になるにあたり、自分たちがチームとしてやってきた内容をさらにブラッシュアップしたものが国の研修としてスタートすることになっている。

 

 

その中で、自分たちが行なっている県内の研修も一つの節目になる。

 

 

そして、まず最初の国の研修はどうも県から推薦された者が受講する形になるらしい。

 

 

当然の流れでいけば、自分は対象になる。いや、してもらいたいと思っている。

しかし、そこで色々考え一つの答えを出した。

 

今、この行動援護研修以外は、ある一つの集まりが中心となり長野県の研修が運営されている。

そこに反抗するわけではないが、自分はそこに交わる事なくある意味独自に範囲を広げ今は、長野県内2箇所の事業所の協力のもと長野県内の研修をカバーしているまでになっている。

 

 

しかし、今までは行動援護というサービスに特化したものであり、またこれはサービス管理責任者という立場の方には交わることのない研修だったので、なにも問題はなかった。

 

今度、この強度行動障害の研修は、この研修を受講した上でサービス管理責任者の研修を受講する流れになっていく。

そう、言ってしまえば一番最初にこの研修を受けたものが様々な分野の責任者であったり現場に出て行くことになってく。

 

 

そうなると、今まで交わらずに来ていた研修とどうしても交わらなければならなくなる。

 

 

色々考え、自分は長野県の推薦が必要ならば、今までの県のやり方だと公募をした中からふさわしい人を推薦しているが、今回はそうではなく、県から受講してほしいメンバーを選抜してほしいと伝えてほしいと、Nに相談をした。

Nは、現在 県の人材育成部会という研修などを執り行う県の自立支援協議会の部会のメンバーなので。

 

 

これで、自分が選ばれなければそれはそれとして受け止めるつもりでいる。

 

 

もし、選ばれなければ当然悔しい結果だが、それは仕方ないと思う。

検査結果

さてさて、今日は通院でした。

 

結果は、体重は2kgマイナスでしたが、中性脂肪が前回の通院の時にまだ結果がでていなかったのを教えてもらって、3月末の通院のときに約半分まで下がってました。

 

今回は、それでももう少し下がってますね。

Drも予測でしたが、肝機能の数値は体重の減り方からみても、もうそろそろほぼ成城範囲内になっていると思う。って(^^)v

そして、A1cは今回は6.5と正常範囲にもう少しってところまで来ました。

 

それにしてもすごいですね。

ますます、糖質オフ生活にはまりそうです。

 

糖尿病の方って、昔病院でなぜか糖尿病教室に入れられて話を聞いたらかなり苦しい食生活を強いられていますが、みんなこの方法にすればいいのにって思うぐらい自分にとってはストレスがないですねぇ。

 

確かに炭水化物から離脱に近い状態にしないといけないので、辛いと言えば辛いのかもしれないですが、1日1回 がんばった自分へのプレゼント的に食べれば問題ないですねぇ。

最近は、3食抜いていることもしばしば。

 

仕事がら出先でお菓子なんてもらってしまった時は、3食糖質オフで過ごしてますが、そんなに苦にならなくなりました。

 

 

飲み物もここしばらくは、糖質オフの飲み物が中心ですが、もともとそんなに色々飲む方ではないし、お茶、ブラックコーヒー、そして甘いものやお腹が少し減っているときなんかはペプシのキングオブゼロかキリンのコーラで、甘い感じと炭酸を摂取してしのいでます。

 

もともと、コーラ好きだし。

ガマンしてないってことろでは、ラッキーなのかも。

 

通院は、結果良好なのでこのまま薬も変更なく言って、6週になりました。

さぁ、そろそろ暖かくなって気温も落ち着いてきたので、ウォーキングなんかも始めていきますよ。

家で親を看取る

NHKスペシャルを見た。

親を看取るということについて…

自分は、もう両親共に亡くなってしまったので、今更こんなこととも思うのだが。

この番組を見ていて、常に考えている事について再び考えてみた。

 

母親は、以前はてなの日記で書いていた頃、突然(実際には突然ではないが)発覚した末期のがんにより発覚してから数週間というスピードでこの世を去った。

この時は、後悔というより何もしてあげられなかった気持ちでいっぱいだった。

でも、自分の悩みはこの事ではない。

正直な話、母親が亡くなった時の喪失感はすごかった。

やはりこの人から生まれてきたという気持ちは一生消えないのだと実感した瞬間でもあった。

 

しかし、そこから実は父親に対する苦悩が待っていた。

 

父親は、もうその時すでに脳梗塞を起こしたあとで、実はもう何年も前に医師から「長くてもあと3年でしょう。」と余命宣告まで受けていた。

今でもあの時母親が初めて「お父さんが死んじゃうんだって。どうしよう。」と真剣に落ち込んでいる姿を見ていた。

しかし、それから約15年父親は生きた。

これは、余命宣告がいい加減だったということではなく、きっと彼のがんばりなのだろう。

そして、絶対後からなくなるって思っていた母親が結果的には先に亡くなるという事態が起きてしまった。

 

母親は、比較的健康なほうで病気という病気はほとんどかかったことがないくらいだっただけに、自分も完全に安心していたところもある。

 

しかし、ちょっと調子悪いからと言って病院に出かけて行って、母親はもう自分の家に生きて帰ってくることはできなかった。

 

父親も正直びっくりする事態だった。

偶然、デイサービスにかよっていた日の出来事で、急遽ショートステイが始まった。

 

そう、あの日から父親もある意味家に帰ることが難しかった。

 

母親が亡くなって、しばらく家で一人暮らしをしてヘルパーをうまく使いながら生活していたが、やはり脳梗塞の後遺症でもある脳血管性認知症がひどく、自分も仕事の前と帰りに寄るようにしていたが、約1ヶ月したところで難しくなってしまい、やむなく再びデイサービスを利用していた施設にお世話になることになる。

そして、ケアホームを体験するがそこには馴染めず、最終的には世話になっていた老健で最後まで過ごすことになった。

 

特養に空きがなかった事も、ある意味幸いだったが、慣れた場所での生活。

最初は、それでいいと思っていたが、1年、2年と月日が流れると自分の中でも葛藤が起き始めていた。

自分は、偶然にも妻の家で住んでいたいわゆるマスオさんという状態で、母親が亡くなる直前に、実はその敷地内に自分の住居を建てる契約をしたばかりだった。

 

本来であれば、母親がなくなって父親だけになれば実家に戻って同居という選択もあったと思う。しかし、それはお互いに望まなかった。

自分にはすでに子どもがいて、この地域に馴染んでいた事も同居することができなかった理由の一つだ。

あと、自分は実家の近くで働いているので、何かあってもすぐに寄れるという安易な考えもあった。

 

しかし、結果的にはみきれず、老健にお願いすることになってしまった。

 

老健は、さらに実家より職場に近かったので安心できたし、急な呼び出しにも対応できた。

でも、老健で生活した父親の5年間は本当に本人の望む5年だったのだろうか?

今でも、それは違うと思いながらも結論は出ない。

 

だからって、自宅で生活もさせられなかった。

父親と話をして、老健に行くことに承諾してくれた父。

そして、最後まで文句を言わずに過ごしてくれた5年間。

 

でも、本当にそれでよかったのか?

きっと、一生悩むことだろう。

 

そして、自分が同じ立場になったとき、きっと自分は父親と同じ行動をするだろう。

 

 

自分が歳をとった時、この日本がどうなっているのかは想像がつかない。

でも、娘たちに同じ思いをさせたくないという気持ちをなんとか実現したいと、少なくとも今は思っている。

 

それが、きっと父親に自分がした行動の償いになるのだと信じている。

自分勝手だけど。

0.1tの壁と低血糖

本日、と言っても200gだけですが、とうとう0.1tの壁を破りました〜!!

\(^o^)/

 

99.8kgです。

 

まぁ、すぐに戻ってしまう可能性を秘めた体重ですが、1日500gずつ減っていたころのようには最近はいかないですが、それでも1週間でおよそ1kgぐらいのペースで落とせています。

 

 

ただ、糖質オフで気をつけないといけないことを…気にはしていたのですが、本日やっちゃいました。

 

 

糖質オフをするってことは、早い話血糖値が上がらないんですね。

なので、糖尿病の方には向いていると言えるのかもしれないですが、おもしろがって糖質をずっとオフしつづけると血糖値がさがりすぎて「低血糖症」を起こしやすくなります。

自分は、糖尿病の薬は飲んでいないので突然血糖値が落ちることはないのですが、徐々におちてきていて、今日…起こしてしまいました。

 

実は、今痛風の発作が右膝に来ていて、結構昨日の夜から歩くのが辛い環境だったんです。それもあって、食事もほどほど(ほとんど食べなかった)に、薬を飲んでされには痛み止めなども飲んで、上の娘の学校の送迎からそのままさらに、歩くのがしんどかったので食事も補充せず、床屋で髪の毛を切ってもらっていたら…。

 

とつぜん、顔面蒼白。

気持ち悪くなって、トイレに言ってみたが吐き気おさまり。

結局、偶然床屋に「ブドウ糖」があったのでもらった所回復しました。

 

いや〜、びっくりしました。

 

実は、生まれて始めて低血糖になりました。(そう経験することではないですね)

まぁ、仕事がら周りは時々低血糖になる方もいるので、状況はわかっていたのですが、自分でもびっくりです。

 

 

糖質オフをするときは、低血糖には気をつけましょう。

低血糖をそのまま処置しないと、意識障害を引き起こして最終的には命を落としてしまう人もいるようです。

 

 

とりあえず、その後は昼に少し糖質を補給して、事無きをえていますが、なんか一日調子悪かったですね。

 

やっぱり、急激なダイエットは命が危険になるリスクがあることを実感してしまった。

少しペースを落として、もう少し糖質を補給するタイミングを増やしたいと思います。