A Better Place To Pray

I'm singing out my revolution song like nothing else matters

4月19日 日曜日

相変わらず12時過ぎに起きる。

Amazonプライムビデオで『スーパーサイズミー2』を観始めるも何とも集中が出来ない。

内容はおもしろい。ファストフード店の話で、監督本人がファストフード店をやる話らしい。ちなみに『スーパーサイズミー1』というのか、今観てる『2』の、これは『2』というのが正式名称ではなくて「ホーリー・チキン」というのが正確なそれらしいけれど、とにかく前のは観てない。なんかビッグマックの話だというのはうっすら知ってるのたけど。

マーケティングというのは物語作りをすることなんだなあと思う。不思議な話だけど、商売というのはこういうファストフードみたいなもの‥‥、

あ、そう言えば、映画の字幕ではファストフードはFFと訳されていて最初何なのか意味が分からなかったのでファイナルファンタジーファイファンの話でもしてるのかと思った。

えーと、とにかくファストフードみたいな商売というのは、相対化して物語を作る商売らしい。小説だと文芸誌とか読んで「この傾向だな」とかやっても意味がないのは当たり前な気がするけど、ファストフードのようななんて言うのだろう、コモンセンスだと常識って意味だから違うくて、その簡単に普及出来るようなシステムで画一的にやる商売というのは、物語が必要で、その物語は同業他社の持っていないものである必要があるらしい。

ひたすら同業他社をドライブスルーとかで回るシーンは胸焼けがした。そして、とにかくファストフードの食べ物はチンケで不味そうだ。「キッチンの洗浄剤のような味がする」だとか言ってて気持ち悪くなった。揚げ物をファストフードで食べるのは結構怖くないか。

こうやって書いているけど、どうにも集中出来なくて農場を手に入れるところくらいで観るのを辞めてしまった。とにかくひよこがかわいい。また明日見ようと思って閉じた。閉じたけど、ウォッチリストみたいなのに入れてなかったのを思い出してまた開いてウォッチリストに入れた。そうしないと、またエロいのが観たくなるかもしれない。

本を読む気もしないし、気になるのはアルベート・カミュの『ペスト』のことだ。

Albert Camus 『LA PESTE』

ペスト(新潮文庫)

ペスト(新潮文庫)

Amazonも相変わらず入ってねえ。ジュンク堂も休みだ。

ってことで、最寄駅前にある小さい本屋へ行ってみることにした。むかし、そこで『スヌーザー』を買っていた。

2008年6月21日の土曜日は雨の日だった。夜から降っていた雨が午後くらいから上がっていた。地面は濡れていたし晴れてもいなくて空は頑丈で重厚な鉛色だ。たまたま金曜日から地元に帰ってきていた。その日は『スヌーザー』の発売日だった。ベックが表紙の号で、テレビが終わった後に画面に流れっぱなしになるような模様の前で髪の長いベックが不遜に写っている表紙だ。『モダンギルト』の頃だ。『スヌーザー』を買って帰ってきたら家の庭の花壇で子猫が鳴いていたので家に来てもらった。それがべえちゃんだった。正確には後のべえちゃんだった。べえちゃんはオディレイという名前にしたのに、半年後帰ってきたら名前はべえちゃんだった。

本当に小さな本屋だ。地元の本屋さんって感じのやつだ。しかし、この出掛けるとなると決死隊のような気分になるのは滅入る。もちろん、決死隊なんてことの体験はないので決死隊がどんなものかは知らないけど、とりあえず外出に生き死にが掛かってる感じはとてもする。だから「出掛けたい!」と思ってもまごまごして、悩む。本当に悩む。

でも、『ペスト』が読みたかった。Albert Camus『LE PESTE』、新潮文庫、銀色の背表紙、カミュのペスト、早く欲しい、無いんだろうな、とか思い浮かべてたら出掛ける決心はついた。

どうしようかな、電話で在庫を聞いてみようかな、どうしようかな、歩きながら掛けようかな、と考えてたら本屋だった。営業していた。

正面の入り口から入るのは恥ずかしいので傍から入る。ドキドキしながら新潮文庫の海外作家棚に行ったら棚にはなくて「おわっ、、、」と俯いたら平積みされていた「(おわっ!!!)ある!!」と声に出してしまった。急いでレジをした。カバーもしてもらわなかった。袋が薄くて透けているので写メしてTwitterに流す。嬉しい。買えて嬉しい。嬉しい。嬉しい。決死隊。鼻で浅く息をする。人から離れる。人が通らない道を選ぶ。

帰ってきてベースが欲しくなる。ラルクのせいで。とりあえず晩飯を食べてから読み始める。めちゃくちゃ訳文が硬い。あたまに入ってこない。なんかこのオランの街についての解説みたいなのが、うーーー。何回も同じところを読む。う、寝てしまった。新潮文庫でこういう古いものを読むときは大体いつもこうなる。

これもまた一興と思って読むと物語が始まってからはときんときんにおもしろい。だけど、負荷をかけ過ぎたのかあたまが重くなってきて、というか、さっき微妙に眠たくなってうつらうつらしてしまったのが中途半端で、こういうときあたまがぐわんと重くなる例のやつだ。もちろん、こういう些末なことでも「コロナかな?」と過ぎる。決死隊だ。日々、なんかとっても決死隊だ。

4月18日 土曜日

起きたら12時を過ぎていた。最近休みだとこうなる。3度寝くらいを経てそうなる。

ちびちび読んでいた鴻上尚史の『ほがらか人生相談』を読み終える。いい本だった。相談者が実践できそうな具体的なアドバイスを必ずしているところがいい。

「相談13」では筆者が持論や体験談を述べるのではなく「病院へ行きませんか」と優しくアドバイスしていて、質問とか答えることの重みみたいなものを感じるけど、それもやはり「具体的に行動できるアドバイス」だった。

この連載に出会ったのがツイッターで流れてきた「相談24」で、これを読んで「これは津村記久子の小説に教わったことだ」と思って鴻上尚史の書いたものが読みたくなった。

この本は欲しかったのだけど色々と記憶のなかで他の読みたい本に押し込められてて、ブレイディみかこと対談をしていたNHKの番組を観ながらiPhoneジュンク堂の在庫検索から取り置きをして買った。そういえばNHKの番組を観て同じように取り置きをして買ったのがECD『他人の始まり 因果の終わり』だった。

ブレイディみかこも『子供たちの階級闘争』の帯に津村記久子のコメントがあったので津村記久子と繋がっている。

鴻上尚史というと、小山田咲子を思い出す。というか、順番的に小山田咲子→鴻上尚史だ。

円環という物の考え方が昔からとても好きだ。

何かから始まって色々巡ってまたその何かに戻るみたいなの。とても好きだ。「強くてニューゲーム」とかとても好きだ。興奮する。

『群像』の2020年5月号がとても欲しいのにどこでも売り切れている。津村記久子の小説が読みたい。今の時期にどうもピッタリっぽい内容。何かの拍子にAmazonの在庫が復活してないかとか調べてしまう。もうなんか売り切れたっぽい。諦めつつも断続的にAmazonで調べてしまう。そのついでに津村記久子の持ってない本がないかと無駄に調べる。当然のようにそんなものはないので欲求は不満になって、長編が連載されている『小説推理』のことが浮かぶけども調べるほどには至ってない。

保坂和志の『読書実録』ももりもり読んでいる。

Amazonプライムビデオを観ようと思い立った。アプリを開くと、どうにもVシネマみたいなものが目に付いて女の看護師さんがバーンと出て「なんかエロそうだなあ」なんて思ってとりあえず観た。するといきなり病室でセックスが始まって大爆笑してしまった。いかんいかんと思って『劇場版 トリック』を観た。途中で15分くらい寝た。これは高校生のとき、友達と映画館で観たはずだ。『トリック』が深夜に再放送されると分かると「よっしゃああああ!」ってポーズするくらいには好きだしど真ん中の世代です。

「ああ、亀から水出て良かったなあ」とか余韻に浸ってたら「エロって言ったら万引き家族もなんかエロいシーンがあったよな、テレビでやってたときそのシーンだけ観たよな、女子高生みたいな格好してなんかやってたよな」って思ったので『万引き家族』を観た。これならエロくてもなんか大爆笑とかはしないんだろうなと思ったので観ることにした。にしても、一度エロいものを観るとどんどんエロいものをAmazonプライムビデオも推してくるから困る。エロいものは大好きだからだ。困る。下ネタになると頭の回転が2.5倍くらいになるし。

万引き家族』についてはツイートしたこれが一番のクリティカルヒットな感慨。

「たぶん、生きてるなかで生きてることについてはたぶん意味のある言葉というか他人に意味だけを伝達する言葉では語れない。で、俺はそもそも語ろうと思わない、みたいなことがあるから、人生みたいな言葉が嫌いだし、小説は言葉を使うけど小説は言葉を意味の伝達としては使ってない。」

で、エロいオススメを振り切ってアニメの『ジパング』を観る。これでも大爆笑してしまったので、2話まで観てやめた。なんなんだろう、この主人公、馬鹿なのかな?って思った。

あしたは友達にオススメされた『スーパーサイズミー2』を観ようと思った。

あと、やっぱりカミュの『ペスト』ほっすいいいいい。Amazonは在庫ないんだよね。電書でもいいけど、本の重みを感じながら読みたい。月曜日に在庫いっぱいあるみたいなので駅前のジュンク堂行こうかなあと思案。

NHKの100分de名著の『カミュ』回のテキストも注文したんだけど、入荷がないので発送日未定。これも手持ち無沙汰になるとマイページから確認してしまう。これは最悪電書でいいかなあ。

新年の幕開けはインフルエンザとパワプロアプリ。積読は増えるのみ。

あけましておめでとうございます。

って、これっていつまで言ってもいいんすかね。一応、2020年、令和2年、っていう年になって初めての記事の書き出しに便利なんで書きましたけど。

この前、14日の火曜日に30年くらい世話になってるかかりつけの町医者に行ったときにも診察室の前で軽くカジュアルに悩んで言わなかったんですけど、未だに時間を持て余してるときに思うんですよね、「言うべきだったかなあ」って。むしろ、言うのが失礼だ、アホっぽくなる説ってのがあるじゃないですか、14日くらいに新年の挨拶するの。なんなんですかね、こういう思考回路。

 

こうやって書いてて思うというか気付くんですけど、2020年って字面、ネガティブな気持ちしか湧かないですね。全部オリンピックのせいにしたいですけど、どうもそれだけではないような。2020って字面はもうそれだけで馬鹿っぽいといか、2020って形のメガネとかしてる奴には絶対に出逢いたくない。

令和に関しては書類とかそういうときに一切使いたくないですけどね。ホント、元号とかキモいって思うんで。

無駄に元号を使いたがる人とかホントに苦手だし、そういう人に限って中田なんとかって芸人のYouTubeとか大河ドラマとかを好んで鑑賞して「日本ってのはなあ!」とか言ってたような気がした2019年でしたけど。教養ってそんなもんなんですかね。

 

個人的には年明け早々にインフルエンザに罹患したのでまあまあ悪いスタートですよね。インフルエンザA型でした。

4日の土曜日の夕方、久しぶりに出た熱が38度5分で膝から下が完璧な関節痛と筋肉痛っていう、みごとなインフルエンザ症状で。検査されずとも自分で診断下せるレベルでした。iPhone持つのも辛くて寒気もすごかったので、39度いってたかもしれんですね。まあ、次の日の夕方にはには36度5分まで下がったんですけどね。

ワクチン打つのマジ大事。

それでも火曜日くらいまで身体ダルダル。咳が一切出なかったのも助かりましたね。

マジ、ワクチンは大事。

イナビルの使い方を間違えたけど。処方された麻黄湯はあんま効かなかったすね。処方された薬がマジシンプルで、イナビル、麻黄湯カロナール、以上って感じ。普段掛かってない総合病院だからですかね。近医の掛かりつけなら抗生物質とかもっと出てるはず。院内薬局を持つ町医者恐るべし。抗生物質から胃を守るための胃酸を抑える薬とかまで出ますからね。今年はあっさりインフルエンザへのプレッシャーがなくなりました。そこはまあいいことですね。

 

今年はまったく人に会う気分でもなかったので年末年始はひたすらひとりで過ごしました。テレビも観ないので紅白もなんもかんも知りません。正月気分、お盆、ゴールデンウィーク、誕生日、クリスマス、ホントにこういう世間がやんややんや盛り上がることにまったく興味がないので、年越したときは例年通り風呂入ってたみたいです。みたいってのは、ようわからんからです。いつのタイミングで年越したのか。

 

何してたかというと、大体が音楽聴いてるかパワプロアプリで、あと王将に行ったりしてました。

年末年始は開いてない店舗が多いので検索して定期で行ける範囲の王将へ行きました。そうしてたらインフルエンザになったんですけども。

 

パワプロアプリがホントに面白くて、パワプロアプリ用のTwitterアカウントを作ったりYouTubeに動画を公開したり。

全然課金してないし、まだやっと1年ってところなんで、イロモノ的な投稿しかできないですけど、大きなガチャ来たらそれだけで楽しいしガチャ動画とか上げていきたいですね。

聴いてる音楽もパワプロの音楽ですからね。

去年にiTunesで買ってからヘビロテ。ラルクかこれしか聴いてないレベル。2018の主題歌ホント好き。

 

アプリで使われてるBGMも網羅されてて、それもすごくいい。元々、パワプロのBGMが好きだったのでこのアルバムはすんごいありがたい。全力学園のテーマからの流れ、二日酔いとか39度の熱に勝てる。「負けるな!!!!」

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そうそう。年末年始のガチャ。通常の冴木さんが二枚当たったんですよね、PSR。厳密に書くと一枚はガチャ券からなんですけどね。SR45の通常冴木さんはいるんですけど、PSRの通常冴木さんはいなくて。王子冴木さんは持っててこれも今回のガチャでPSRが出て開放が進んで46になりました。冴木さんが初のPSR50のキャラになりそうです。バナー内確定とか選択券とかでしっかり狙いたいですね。

 

今はマントルやってます。

南と闇野入りのデッキ。南ちゃんハマると大変にお強いです。これ、SR39の南ちゃんなんですよ。37の技術ボナ4です。40の技術ボナ8が開放できてなくてもここまで出ます。

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浅倉南さん、尊い。。。。。

固有も強いですよね。このタッグの固有が浅倉南に付いてるのは、達也と和也のなんかみたいなことへのオマージュなんですかね。甲子園は何がなんでも連れて行きましょう。

電車で連れて行くんじゃないですからね。

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手持ちこんな感じなんですよね。

挑戦者猪狩守はSR45で覚醒も完璧なんですけど、どうにもこのデッキだと筋力足りなそうなのでPSR50のフル覚醒を借りてます。

それでもデッキパワーが全然足りてないようで、PSR50の必要性を感じます。せめて常設キャラだけでも、50にしたいです。この中なら堂江と闇野ですよね。堂江はPSR持っててSR45とSR43を持ってるのでなんとかPSRを開放したい。SR45の限界をひしひしと感じてます。凡才センスなしだと17,000点出してSS7しか作れてないですからね。PG先発マジで作りたい。。。。

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書いてたらマントルやりたくなったんでこの辺で。

 

 

 

 

 

 

 

 

雨が降らなかったね🤣🤣🤣🤣🤣

これから

 

雨が降る

 

雨が降る

 

雨が降る

 

雨がHulu

 

一日中そう言われてきて、降らんかったやないか。

なんかここまで書いてここに書くのが面倒になったので、終わり。

 

 

2019年 3月9日 土曜日

 

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かんなみたいにね 命を削ってさ 情熱を灯してはまた光と影を連れて

進むんだ」(出典、Mr.Childrenの終わりなき旅)

ここが橋本環奈のセリフに聞こえてしゃーない。

ちなみに橋本環奈さん、この曲のリリース時、まだこの世に生を受けていません。

 

‥‥‥‥‥‥‥

 

混むのに階段近くのドアに密集して固まる人たちの話とかします

 

電車。なんかホームに着いた時の停車位置が改札へ続く階段に近いところに乗りたがる人たちがいて、そこだけぎゅうぎゅうにひしめいてていつもそれを見るとおもしろいなと思う。同じ車両の別のドア付近はガラッガラなんですよ。あれ、なんなんですか。たった数メートルの効率さのためにあのドア付近の空間で昼の11時に満員電車ごっこしてひしめいてるんですか。乗り換え駅でもないのに。

 

小学生の頃、年中日陰になっててじめじめしてる中庭に緑のマットが置いてあったんだけど、何かの拍子にそれをひっくり返すと真っ白な蛆のような虫マットの引いてあった地面いっぱいにうごめいてて、もんすごっく興奮したんだけど同時にめっちゃ気持ち悪くもあって。故にそれは今も鮮明な記憶なのだけど、人間も変わらんのだなと。

大学を卒業してからは意識的に、

「電車に乗り遅れるから走る」

「車両を動いてまで少しでも効率的に動けるポジションへ移動する」

「急いで人を押し退けてまで席を確保する」

だとかそういうことについて絶対にあくせくしたくないなと思ってるんですよね。最近はそれをしてる人を見るだけでMPのようなものが減ります。

 

そんな光景を見て上記様の感慨をぶん回してたら、

                                                         かすかにアメイジンググレイスが聞こえてくるの。

電車は鉄橋を走ってるからその轟音みたいなのでかき消されてるんだけど集中するとたしかに聞こえてくんの、優しく、とてもやさしーーいアメイジンググレイスが。

     「ああ、俺、死ぬんだわ。今からなんかの発作が起きるんだわ」

って。ここは廃仏迎えがこない(出典、ここは退屈迎えに来て否、迎えが来たんだわ、と。そしたら鉄橋超えたらハッキリ聞こえてきやがるし、なんか怨霊、否、音量も増してきた感じあって、

                      「うああああああああああああ」

                          隣のばあさんの着信音でした。

 

最後に。梅田から阪急電車の特急乗ろうとしたら、ボックス席の窓側が空いてんのに通路側座ってる人がいて、「あ、淡路とかですぐ降りるんだろうな」って「すんません」と断って窓側を拝借したら、そのおばさんは俺が降りた茨木市でも降りなくて

               「何故、窓側に詰めずに座ってたんだ?」

       「また、この世の中に新しいルールが爆誕してるのか?」

と不安になってます。

2019年 3月8日 金曜日

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目が悪い。視力が悪い。視力検査のランドルト環の裂け目が全然見えない。そして、乱視だ。

大阪には赤信号が青信号に変わるまでどれくらい掛かるのかわかるように信号機の両端にメーターのような細かい点が縦に連なっているものがある。その点の数が減って来るともうすぐで青信号だ。しかし、あれが見えない。いや、見えるんだけど、見えたことにはなっていない。例えば、点があとふたつだとする。でも、それがよっつに見える。それは見えていることにはならないだろうか。

 

揺れる電車に合わせて男女の俯いた頭がふたつ前後に揺れている。ゆっくりとヘッドバンキングをしているようでどうにもおもしろい。男の足元にはギターか何かのケースが置かれている。

 

新聞紙を広げる若い女の子がいる。

ヘッドホンをしている。

音漏れをしていない。

彼女は何かの業界紙を読んでいるようだ。まあ、これも定かではないんだけれど、広告の打ち方でなんとなくそう当たりを付ける。

内容は見えない。

目の前で読んでいるんだけれどもちろん内容は見えない。見出しも見えない。

かろうじて「自立」と読めたと思ったのだけど、目を細めて更に乱視をなんとかすべく片目、右眼で見たらそれは「日立」だった。また棒線が増えたのだった。

今度は、人間を右眼で見たらそれは人間のままだけど、左眼で見たらただの名刺だったりするかもしれない出典、安部公房「壁」)

その木なんの木気になる木、小林亜星、それを聴いて小林亜星に負けたと思ったキダタロー箕面原発浪江町、先週やってたEテレのドキュメンタリー、野球が好きだったおじさんが故郷を原発のせいで追われ、どんどん生気が失われていく様に言葉が無くなる。

混んだ電車で新聞をたたんで読む女子を見るというのは初めてだった。いい景色だった。

 

ソローキンの『ブロの道』がとにかくおもしろい。衝動買いしたんだけど。

こういう時間が欲しいから小説を読むのだということを噛みしめるように読む。

ロシア帝政からソ連になった雰囲気が主人公視点で滲み出てるのに惹かれて読んでたんすけど。

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

ブロの道: 氷三部作1 (氷三部作 1)

 

 

則本が手術という見出しに職場で思わず声を出してしまった。

そして、阪神打線の悲惨さには何も声は出ずとも今年もあかんやろなという感慨に3分くらい浸ってしまった。

 

 

2019年 1月 13日(日曜日)

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目の前にだれも座ってないのがとてもいい。

 

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ザ・ベッドタウン的風景

 

生きるって意味

19歳のぼくにとって生きることは「未来」のためにあった。しかもそれは「輝かしい未来」である。「輝かしい未来」にとっては過去なんてものは気にもとめていないどころか、邪魔なものでしかなかった。ぼくはそれを語る人たちのせいで人生という言葉の意味を「過去」として捉えていたのだ。だからその言葉が大嫌いだった。

しかし、これがだんだんと「今」という意味に変わってきたことにぼくはとてもわくわくして生活している。

ECDの音楽はECD自身のリアルタイムを歌っていた。それは整理されてはいなかった。簡単なわかりやすい結論を残した作品ではなかった。だからぼくは惹かれたのだ。保坂和志は過去を消えてしまうようなものとしない、「花ちゃんは死んでない」と言い出している。あの年賀状、最高だと思う。

というか、過去、現在、未来という区別がどうでもよくなったのだった。人生とは「今」という意味なのだ。「今」という瞬間に過去や未来がぶつかってきて常にボコボコ出てきてる感覚で、だから「今」には過去も未来もある。

そういえば、ツイッターを始めた09年ころ、「メタメタなツイートをキレキレッに投稿する」とか言われてたツイッタラーがいた。音楽クラスタとか言われてた、インディー好きな奴らの界隈に確かメタルが好きな方で「汚っ酸」とか呼ばれいる人が二人くらいいた。多分、当時で歳は30代中盤超えくらいだったんじゃないか。で、彼らの言うことは20代の発言が並ぶ中では確かにキレのあるというかとにかくメタだった。みんなまだ青い中で、簡単に言うと「俺が安倍を嫌いなのは俺が嫌いだから」的な音楽に感する評論家めいたツイートが並ぶ中でも彼らにはしっかりとした論理があった。なんというか、ソースやエビデンスのある論理的な話に見えていた。要は若者が陥りがちな自意識にまみれたものではないツイートをしていたように見えたのだ。

30代になって思う。そういう若者の自意識からくるツイートにメタで被せたくなる欲求、「俺はそこ通って卒業してここまで来てここまで考えられるようになったんだよ」的なやつあるけど、なんかきょう不意に「絶対にそれをしたくないな」って思った。それが30代の自意識の発露なんだから。