casspatt’s diary

🐰イギリスでボランティアしてきました🦔

ボランティア前にWorkaway

ボランティアを始める前に湖水地方でWorkawayをした。

申し込みは日本にいる間にコンタクトして、ホストから承諾をもらっていた。

仕事はガーデニングというか、草むしり。

結構な急斜面で、ブラジル人の若い男性2人と共にちまちまと

掃除をした。

そこは広大な干潟が広がる地域で、高台にある草むしりをする庭から見る景色は幻想的だった。Workayerの宿は道路に面した決してきれいとはいえない小屋。次から次と宿代を節約したい人が泊まるのだから仕方ないのかもしれない。小屋には洗濯機がないので、ホストのガーデニング会社で一度洗濯をさせてもらったのだが、会社はとてもきれいだった。何とそこは日本でガーデニングのプロジェクトをしていて、Workawayも募っているらしい。車の送迎やお世話をしてくれたのはやや仏頂面のポーランド人男性だったが、見ず知らずのWorkayer達をきちんと送迎してくれたり、食料の補充をしてくれた。もう少し宿がきれいだったらまた行きたいな。社長さんからまたおいでと言われたんだった、忘れられていると思うが連絡してみようかな。

カナダ留学回想とドイツでの失敗

先月、職場と相性が合わず離職。時間ができたので、コソコソとブログを再開します。

渡航の準備が楽しいのは、参考情報が得られる検索サイトのおかげだ。

私がはじめてカナダに留学した時は、ホームステイ先や図書館のパソコンを使って友達にメールをするだけ。一人旅をしたくて、現地の学校近くの旅行会社に行って航空券を取ってもらった。10月のバンフとカルガリー、最終日にバンクーバーの3つのユースホステル泊まった。バンフの凍った山道を一人で自転車に乗った。頭の中はお花畑で、ワクワク仕方ない。北海道じゃだめかと言われるとだめ、どうしてと言われるとすごく解放された気になる。日本はやっぱり窮屈だし、カナダの自然の方が大きくてキレイなんじゃないか、珍しいし。そんな浅はかな理由でも若い頃はいいと思う。日本に帰ったら、現実とちゃんと向き合ってまた頑張る、その切り替えができればいい。

ところで、カナダと福岡間はエバー航空を使った。旅の最後は台湾で自分の体と同じ大きさくらいの荷物を背負った日本人女性と隣になり、疲れていてもペチャクチャ話ししながら帰国した。エアカナダにそんなバックパッカーはいない気がする。当時は写ルンですで写真を撮っていた。1000キロほど離れた実家にそれらの写真が残っているはずだ。

しかし、時代が変わって、ネットを駆使していざ海外へ!しかし自分だけで旅や生活ができるというのは違うと思う。自分だけでビザ書類の準備は日本で一人でできますよという意味だ。私のような者は人の助けなくては、異国では過ごせないし、多分帰れない。

2018年の正月、ドイツのホテルで数万円入りの現金を忘れた。空港行きのバスに乗って気付いたものの、戻る時間はなく凍りついた。空港で電話だけして、帰国してからホテルにメールをした。送金ではなくそのままクーリエで送ってもらった。発送費が一万円近くするしっかししたクーリエを選んだ。ホテルには梱包を頼んだ。現金はまず手元から離れたら戻ってこないし、ちょっとしつこくホテルにメールでお願いして、お礼のメールも当たり前だがした。来年、またこのホテルに泊まろうと思っている。

昨年のノーフォーク地方滞在について、今更でも次回から書こう。

 

f:id:casspatt:20191018150914j:plain

お世話になったミュンヘンのホテル

 

イギリスのボランティア先との出会い

 日本で仕事をしながら、イギリスのボランティアの受け入れ先探し。当時はWワークをしていた。一つの仕事しかない日は日本橋Wifiがあるイートインで一杯飲みながらスポンサーリストを見て、応募できそうな会社のHPから応募していました。その間、日本の職場で後につながる出会いや学びはあまりなく、軍資金のためと割り切っていました。

 受け入れ探しから半年が経った頃、とある宿泊施設にメールをしてみました。すると担当者から連絡すると返信が・・!返信はとても嬉しく励みになります。でもそれから連絡が無くて催促しました、返事が遅い場合は再度聞いてみないと進みません。たまたまクリスマスシーズンと重なり半月くらい待ちました。先が見えない中、正月早々からオランダ経由でドイツとチェコへ。同じ大型連休のゴールデンウィークは高い旅費をかけて海外へ行けなくても、大晦日か元旦出発だと安めだと思います。

 旅行から帰って来ると返事が来ていました。Application formがいくつか添付されていました。前に提出しても即断られた所もあったし、どうなるかわからなかったけれど、健康診断の結果を添えて返信しました。その検診をした日本のクリニックでは英訳版は作れないと言われました。ボランティアの採用担当者に相談したところ、日本語版に自筆のメモを添えてOKにしてもらいました。そもそも健康診断書はビザセンターの申請時にも不要でした。

 ただこのホテルはクリスチャンの団体だったので、日本で英語のクラスを受けていた教会の牧師の証明が必要でした。メールで正直に牧師とはそんなに親しくないので出してもらえそうにないと答えたら、意外にも無くてもいいという事に。たまたま担当者は全く面識のない私に寛容に申し込み手続きを進めてくれました、幸運は時々ふとやって来るものです。

スポンサー探し

 2017年から始めた受け入れ先探し。渡英まで1年弱の月日を要しました。それまで大学で1年間、英語関連の科目の単位を取っていました。その後引っ越して、ボランティアエージェントに話しを聞きに行ってみました。日本ではおそらく2社しか取り扱っていないイギリスでのボランティアプログラム。渋谷にあるT社は申し込みをしていない私にも電話でいろいろとヒントをくれました。実は私がボランティアに行っている時に、日本とイギリスの警察の登録の必要性について聞いたところ意見をいただきました。もし、費用がかかってもエージェントを通した方が安心であれば、親切なT社をおすすめします。一方、C社は問い合わせても全然情報をいただけませんでした。

 

f:id:casspatt:20190427170937p:plain

GOV.UKのビザスポンサーリスト、2000ページ近くあります。

 YMSもTier 5の一つです。チャリティーワーカーと大きく異なる点は、YMSはスポンサー無しで、ふらっとその国に年単位で住めてしまいます。私がいたホテルのボランティアは南米人が多かったのですが、彼らの国はイギリスとYMSの提携をしていません、というかできません。日本や韓国などの先進国の若者だからイギリスに最長2年間も滞在できます。チャリティーワーカービザの場合は年齢を明記しない点が素晴らしく、滞在期間は最大1年+2週間くらいです。東南アジア出身者が介護分野でドイツで働いているニュースを最近よく見かけますが、イギリスだけにそんな大盤振る舞いはしないと思います。

 私は自分で興味あるキーワードを考えてスポンサーを検索していました。YMSの対象年齢を過ぎるとエージェントが大金を掲げて、ご丁寧にホームステイまで付けてくれますが、ビザの手続きはYMSとあまり変わりません。鍵となるスポンサーを自分で探し、Brexitの影響はビザの申請をする段階で、調べれるだけ調べて慎重に進めればいいと思います。

 他の方のブログで知ったMilton Keynesの障害者施設はロンドンに比較的近くて、ホームページも洗練されていてとても魅力的でした。メールで問い合わせたところ10日程で返事が来てうれしくなりました。結局そこは労働(拘束)時間が長いという情報があって申し込みませんでした。私が行ったボランティア先も遅い時で22時過ぎまで働いてました。ボランティアになぜそこまで・・!と韓国人のボランティアと日々ぼやいていたのも懐かしいです。そういう点ではエージェントを通して比較的楽な滞在先を選ぶ方がいいのかもしれません。

帰国から半年経って

2018年にイギリスのホテルでボランティアをしていました。スポンサー探しからビザ申請まで日本のエージェントは使いませんでした。ボランティアビザは2018年の前半の情報です。昨年から始まったHome officeから面談のような電話が始まる直前にビザを取りました。最近のビザの情報も調べれる範囲ですが書いていければと思っています。

仕事の内容はホテルのサービングと館内の掃除、ボランティアが足りていた時期は簡単な草むしりもしました。夏の繁忙期はひっきりなしに団体客が来て、マネージャー、スタッフはもちろん、このホテルに長く携わるTrustee(管財人)と呼ばれるイギリス人のご老人もほぼ毎日様子を見に来てはゲストリレーションをしていました。そしてゲストとお別れの際に紹介されるボランティア達もやる事は盛り沢山でした。若いボランティアばかりで体力面ではカバーしてもらっていましたが、決して楽ではありませんでした。

イギリスにいるうちにブログを書けばよかったのですが、当時はなかなか連休も取れず、さらに帰国してすぐ仕事を入れてしまい、気付けば半年経ってしまいました。

ボランティア先は映画の「本能寺ホテル」のような美しい建物と、違う世界で育った人達。半年間、この海辺の田舎町で日本人に会う事はありませんでした。

 

f:id:casspatt:20191018182905j:plain

Norfolk地方の海岸