コロナ禍とオンライン
ご家族はオーストラリアで生活しているらしく、このコロナ騒動でお互い行き来ができないそうです。
幸い、今の世の中、インターネットの発展により、世界中どこにいてもネットを介してテレビ電話のようにコンタクトが取れるので、何とか気を紛らわしているそうです。
少し前なら、国際電話鹿方法が無かったことでしょう。
しかも、今では考えられないほどの電話料金です。
昔は電話代高かったですね!
以前、長距離恋愛してた頃の電話料金は月に30000円かかっていました。
こちらから帰るのはもちろん、相手からかかってくるときはコレクトコールにしてましたから。
話しがそれました。
小島さんのお話しでは、コロナ騒動で実感したのが、仕事のやり方だそうです。
以前は、テレビやラジオの収録など、何があっても現地のスタジオに行かなければなりませんでしたが、今や、PVCを介して自宅出演しているそうです。
別にもう、驚くことではありませんが、今までもやれたのにやらなかっただけなのかなと、お話を聴いて思いました。
もう一つ、小島さんのお話で、仕事のオンライン出演で感じたことがあったそうです。
オンラインでは、対面や、実際に会って話す場合と同じような表情ではいけないという事。
表情は相手に伝わるように大げさに強調してメリハリをつけて話すことに気を付けないといけないらしいです。
そうしないと、怒っているのか、賛成同意しているのか、疑問を感じているのか、笑っているのか・・・など微妙なニュアンスが伝わらないそうです。
もう一つ、直接会うわけではないので、化粧や、服装についてそれほど気を付ける必要が無いとのことでした。
もちろん、ぼさぼさのヘアーや、パジャマ姿での出演などは考えられないですけね。
それにしても、このままこの状況が続くことはないとは思いますが、どうしても、気分がめいりがちになります。
そんな時は、悪いニュースにはあえて耳をふさぎ、目の前にあることを一つ一つ片付けてジあkン我過ごすことも大切です。
とのことでした。
過去10年を振り返る
パーソナルイヤーというのがあって、2020年、私の誕生月10月までの課題は、過去十年の反省と、人間関係のリセットらしい。
心にぐさりと来たのが、人間関係のリセット。
実際悩んでいます。
今の私が今の人間関係をつくったんだと反省してます。
どうだかとも思いますが、こんな私にくっついてくる人間が悪いのか、こんな人間のいる場所に私がいるのが悪いのか・・・
結論は出ないので、とりあえず、この人間関係をリセットしようと思います。
と言っても(あら、弱気!?)明日から顔を合わせないこと、話さないこと、同じ場所を共有しないこと、と宣言しても100%は無理。
けど、常に意識して生活していきたい。
積極的にはどうするべきか?
新しい人間会計を創る(テーマは?)
滞在する場所を変える。
などを心掛けるか?
となると、今後何を軸に生きていくかを考えて、どんな人と付き合うか、どこを訪問するか、を考えないと。
大前研一さん曰く
・時間配分を変える
・住む場所を変える
・付き合う人を変える
という事らしい!
ちょっと自分なりに解釈して、
・時間配分を変える ⇒ (もう少し考えます)
・住む場所を変える ⇒ 毎日顔を出す場所を変える
・付き合う人を変える ⇒ (そのまま!)
そのためには、
趣味を変える、遊ぶ場所を変える
今やっていないが、完全にはやめられないものは何かを考えてみる
(英語、中国語、ギター、大工、WSF、)
金儲けを目的にしない
将来のことを考えない=毎日の積み重ねが将来=今こそが将来
時間の概念の否定
時間の節約、効率化、という常識からの脱出
「時は金なり」とは誰の言葉か?
それはベンジャミンフランクリン
その意味は?
「時間の浪費は人生の浪費」
と言う意味であり、
時間を効率的に使えとか、
あくせく働けとか言う意味ではない
のです。
決して、
自分の時間を節約して、それを会社のためなどに使ってはならない!
時間は自分の人生に使うものであることを現代の人は忘れている。
人は時間を切り売りしてお金に換えている。
時給@@円で働く
月給@@円で会社に拘束される
誰も疑問を感じない
かく言う私もそうやって貴重な時間、貴重な人生を無駄にしてきたことを後悔している。
共産主義対自由主義という対立軸が数十年前に崩れ、自由主義がいちおう勝利した形になった。
しかし、労働関係は、この対立軸以前のごとく悲惨な状況であると言わざるを得ない。
ところが、新しい対立軸が出現した。
これがどう展開するかは不透明ですが、何か大きな変化が起きる予感がします。
これに拍車をかけているのがコロナ騒動。
大きな社会転換の予兆かも?
今日を生きる
今日を生きることが、本当に大切なことを、ほとんどの人が理解していません。
私は理解していても実践できません。
心の底から理解できていないとも言えます。
確かに、言うは易しです。
今日が楽しければいいのか?
今日全財産使ってもいいのか?
明日や、来年のことに準備しなくてよいのか?
・・・
なかなかそう簡単にできません。
明日起きたら・・・しよう。
今日できなかったから明日は完成させよう。
・・・
どのへんで折り合いを付けたら、今日を生きることができるのでしょう。
明日の心配をするのが普通だと思っています。
そうでない人もいるはずです。
普通と言ったのは言い過ぎです。
私はそう考えているというべきでした。
何から改善しようか?
断捨離はどうだろう?
いつか使うから捨てられない。
⇒ 捨てよう!
今度食べるから今日は食べない。
⇒ 今日食べよう!
今安いから買っておこう。
⇒ 今日使わないから買わないでおこう!
これ食べたいけど、お金がもったいない(節約しよう)
⇒ すぐ食べよう!
話せば解決策が見つかる
NHK「100分で・・」
という番組で、ためになる本が紹介されています。
まだ始まったばかりなので、紹介できないのですが、番組進行とともにまとめていきます。
私なりに解釈しますと、悩んでいる人のための本。
もちろん私のための本。
「人の話をただひたすらに聴く」
話しを遮らない
意見しない
自分の経験を語らない
・・・
こういう態度で相手の話を聴く。
すると、話している人が、自然と誤りに気づいたり、乗り越えるアイデアがひらめいたり、勇気が出てきたりするのだそうです。
ちょっと話がややこしくなりました。
つまり、いろいろ悩んでいる私が、誰かに悩みを打ち明けるのです。
彼は何も言わずに私の話を聴き続けます。
彼はひたすら聴くことに徹します。
私は思いのたけをぶつけ、言いたいことを言います。
自分は否定的だという事、後ろ向きな人間だという事、無気力な人間だという事、恵まれてないとぼやくこと、誰かをうらやましいと思っていること、お金が無い事、何のとりえもないという事、誰の役にも立っていないこと、誰からも愛されていないこと、独りぼっちであること、・・・。
それでも彼は何も言いません。
なんのアドバイスも、慰めの言葉も、叱咤激励の言葉も発しません。
かれはただ、私の話を聴き続けています。
すると、不思議なことが起こります。
私にの内側から答らしきものが浮かんでくるのです。
解決方法とか、これからの方向とか、アイデアとか、自分の考え方が間違っていた、とか、・・・・・
そして私は、元気を取り戻すことができました。
だから、私が、あなたの話を聴きます。
ひたすら、私が聴きます。
どうぞ、思いのたけを私にぶつけてください。
コンタクトの方法を考え中です。
ツイッターやブログだと文字しか表現方法が無い。
FBなら音声通話できる
スカイプでもできる
今はやりのオンライン会議システムでも行ける?
Googleでもできたっけ?
携帯はNGですね
秘匿性があって、音声のやり取りができるツールないですかね・・・
感染予防にマスクは有効ではない
前回の記事で、マスクは保菌者が菌をばらまかないためのものであるとお伝えしました。
マスクから空気が漏れているからです。
その証拠に、マスクをつけて、メガネをかけると、目が名が曇ります。
空気が漏れているのです。
保菌者が菌をばらまく範囲を狭くすることはできますが、完全に防ぎことはできません。
剣粉人がこのマスクを使用しても、外気をこの隙間から吸い込むことになるのです。
マスクは、菌の拡散を防ぐためのもではなく、抑制するもの。
マスクは菌の侵入を防ぐことはできません。
感がr方を変えるべきです。