単純・極上の幸せ
うちの子供たちは最高だなあ
という気持ちを、持たないようにしていた。
ほほえんで「良い子たち!」とか、
そんなふうに思ってはいけないと
ずうっと、無理やり、抑えていた。
ダメ出ししてると、「現状に甘んじてない」「がんばってる」感じがして、
どこかで変な安心したんだろうなあ。歪んでたなあ。
フツーに自分ちの子ども、最高でしょ。夫も最高。
周りが何と言おうと、わたしの家族は最高だ~
って、今なら思えるんだ。本当の安心は、こういうこと。
一番近くの人たちのことを、とっても大好きでいられる。
単純極上の幸せ。
これが芯にあって、そこからはじめて、
周りの人たちとの関わりを考えられる。
芯がぐらぐらだと、不安だから、
自分のこと認めてほしくって、とかなんとかで
対人関係むずかしくなっちゃうでっしょ
そういうもんっしょ
ダメ出しのくせ
色々と心の問題を抱えているので、よりよく生きるために。
(今のままの自分でよい、つうかそんなのどうでもよい、と本当に思えますように。)
娘2歳の寝てる間に自分のことについて振り返るとき
感情をできるだけ排してみる。
本日のわたし
・足を組むくせがよく出ている
・髪の毛が伸びていて目にかかるのでヘアピンでとめている
・両腕に脱力あり(今朝のヒステリー発症のせい)
・呼吸がゆっくりだが浅い
・あんこクッキーをつくってよく食べた
・笑顔が固い
・両肩が重い
・娘2歳をずっと触っている
<以下、少し感情を入れる>
・母親65歳からの要求をうまく受け入れられず悔しい、さみしい、情けない
・なのに娘9歳に対しては、要求が多いと気づく
・子ども対するダメだしの癖が大嫌い
・母親65歳、また実姉からのダメ出しをこの世で一番恐れている
あ、ここで気づいた。
亡き父や、母や、姉からのダメ出し、「違うよ」をま~だ恐れている。(もうだれもそんなこといいやしないのに。)
自分が意識の底で「ありませんように」っておびえていることを、
娘9歳にしてしまっている、というのは、どういう仕組み?
なんなの、これ。さいてー