航海士は旅にでる

新しい旅人の在り方『航海士×旅』を提唱する男

船乗りを辞めたい人達に伝えたいことがある【仕事・辞めたい】

息子が船辞めました

当たり前のように暴力

何も知らないで入ってきたお前が悪い

船には昔からのルールがある

ここは奴隷船なの?

私の子どもは使い捨てか?

(とあるツイートを身バレしないように改変して引用しました。)


偶然、TLで以前の働いていた業界に対する悲痛な思いが流れてきた。私も船乗りを辞めた身として痛いほど共感できる部分が多々ある。

船を辞めたその後もSNSを通してこの業界を覗いていたのだが、

船乗りの若者が労働環境の不満を訴え、消えていく。そして、先輩船乗りは『またか…』と言い新人を見送る。

(今回のツイートでもまたか…という思いがあった。)

そのような出来事を幾度も目の当たりにしてきた。

その都度、この業界は耐え難い現状にあると痛感してしまう。

きっとこのエントリを読んでる人も船を辞めたか、辞めたいと願う人が多いだろう。

『船を降りたいと苦しんでる船乗り』

『船を去った後も自分自身に悩む人たち』

そんな方々にどうしても伝えたいことがあって、今回のエントリを書かせて頂きました。


(現役船乗りの方へ)
もし、現役船乗りの方がこれを読んでいるのなら『辞めた若造が偉そうに語るな』、『船の世界舐めんじゃねぇ』と私に対して不快感を催すかも知れません。あらかじめご了承下さい。

自分を否定しないで欲しい

船乗りたるもの、漢たるもの弱音を吐くな!

船乗りとしてもがき苦しんでいる君たちは、この仕事に誇りを持ち、弱音を吐く暇があるなら仕事を覚えようと前向きに取り組んでいるだろう。

だが、皆も知っての通り『海の世界は』厳しい。

船内という閉鎖的な環境で外部との接触は絶たれ、孤立する。無視や暴言の日々は猛毒のように身体を蝕み、気付けばどん底まで精神、身体を壊していく。

他の船員の方と仲良くすればいいのではないか?と外様の人たちは思うだろう。

しかし、船内には『船員高齢化による価値観の壁』、『高ストレスな職場での人間関係』など新人船乗りが超えないといけない"逃げ場のない"多くの障壁が存在する。

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”生涯を通しほぼ海の上で生きてきた人たちと衣食住を共にし、共同生活することの難しさ"、"過酷な仕事のため睡眠不足で船内がピリついた雰囲気の中で新人が働くことの辛さ"は想像を絶するものがある。

もちろん全ての船乗りがこのような事態になるとは限らない。

だが、決して珍しい状況ではないだろう。

そして、『船乗りたるもの、漢たるもの弱音を吐くな!』と教えられ続けてきた若い船乗りは限界まで耐え抜いてきたある日、ポキっと心が折れてしまう。

船乗り、漢失格だなと感じ、辞めたのが悔しくて、腹が立って、自分のことが嫌いになるハズだ。

でも、決して自分を否定しないで欲しい。

相性が悪かっただけの話なんだから。

ダイバーシティ(多様性)

ここで勘違いして欲しくないのは、私のように船の世界がダメだった人もいれば、ちゃんと適応できる人たちも一定数存在するということだ。

それはひとえに『人間関係』が上手くいった人達である。

この世界を去る大きな要因である『人間関係』を乗り越えさえすれば、船の世界で生き残る確率が大幅に上がる。

恥ずかしながら私は人間関係に躓いてしまった。

理由は船の上だけに存在する『価値観』や『常識』が私の想像に絶するものであったからだ。私が今まで経験して来なかった"それ"は船員の方と私が過ごしてきた環境の違いから来ていたのかもしれない。

船員(船員というと主語が大きいが私が会ってきた)方は中学からすぐに船の世界に入り、生き残ってきた年配の方が多かった。それに対し私は、学生経験を経てこの船の世界に入った。

船の世界に入るには、漁師上がりだったり、水産高校出身だったり限られている。

一般大学から船に来たという経歴は他の船員さんからすると、まるで自分達の常識の外からやって来た『異物』のように思えたに違いない。どこの船でも大卒が何故この世界に入ってきたのかと理由を聞かれた。


だからこそ、過ごしてきた経歴からここまで価値観の違いが露になって、コミュニケーションが取れなくなる事に驚いた。

船員さんの話す内容は『酒、タバコ、女、博打、喧嘩自慢』というものだった。振る舞い方や態度も今まで私が出会ってきた人達とは一線を画してきた。

今まで経験してきたこととの差異が、物理的にも精神的にも閉鎖的な空間という生活と相まって特にそう感じたのかもしれない。

『酒、タバコ、女、博打、喧嘩自慢』というものは、世間では決していいイメージがないが、高ストレスな環境下に身を投じている船乗りにとっては大切な息抜きである。それ自体を批判するつもりは毛頭もない。

ただ合わなかっただけなのだ。

環境の違いからか、今まで私が出会ってきた人達と違いどのように接していいかわからず辛かった。

共通の話題、価値観が存在しない。

これらを乗り越えて人間関係を良くする、社会性や人間性が私にはなかった。

そのためか船内生活では浮いていた。自分の居場所がここではないように感じた。

世の中には色々な人々が存在していて、相性が合わない人達との共同生活の難しさを社会に出て初めて直面した。


棲み分け

私が辞職を決意した要因の1つに以下の言葉がある。

酒・タバコ飲み、話すことといえば女、博打、喧嘩自慢、ライトやナイフやスパイキの自慢。面白い話は同じこと何回も話すし何回も初めてのように聞く。
自分含めてそういう人が多いのも事実だけど、なにかこう、船員にしか無いような心意気というか男気というか、絆、粋、そういうのがあると思うんだ。

内航船業界で影響力のある人物が私に対して言及した呟きだ。

世の中には、この価値観を大切に想っている方もいる。だが、私はこの価値観に居心地の悪さがあった。

大半の船乗りがそうではないが、こういう雰囲気があるのは事実である。

特に商船大学と言ったエリートではなく、乗船履歴が浅く、無資格、内航船の私はしばらくはこのような環境にあたることが多いだろう。

私はこの雰囲気がダメだった。船の生活に適応できなかったのだ。私が未熟で社会性がないのが事実大きな原因である。

しかし、世の中には船乗り以外の仕事が沢山あるのも事実だし、仕事によっては業界の特色があり雰囲気が違うのもまた事実だ。

船を去った後は、派遣の仕事をした。定職に比べたら給料も低いし、安定はしていないが人間関係は楽だ。そして、業界によって雰囲気というものは大きく異なることを知った。

船を去った時は、ダメなやつだと自己否定ばかりしていたけど、ただ相性が悪かっただけだと気がついたんだ。

だから、少し苦手な価値観の中で心が折れただけで絶望しないでほしい。

多種多様な人の数だけ価値観も多く存在するんだ。

相性が悪かった価値観と棲み分けして、新天地を探すのも一つの手段だと私は伝えたい。

船を降りた人に伝えたいこと

長々とした自分語りを読んで下さりありがとうございます。

船を辞めた人の多くが最後に労働環境の改善を求めるツイートをして辞職します。

だけど、船乗りの働き方改革に自分の大切な時間を使わないで欲しい。

変えようと努力している人達には申し訳ないのだが、今まで変わらずにいるから人手不足の現状に直面し、衰退しているのだから。

船の労働環境を変えるには自分の人生の多くを費やさないと変えるには難しい。

その代償を払って変えたいと思う信念があれば別です。

でも、多くの人はそうではないはず。

それならば労働環境を変えるより、自分自身が働く場所を変える、自分が心地よい職場に帰属した方が自分自身の幸せに繋がると私は思うんです。

だから決して、

過去に囚われ船の不満を終えるだけの人生だけは過ごして欲しくない。

船を去った人達が心機一転、活躍できる職場を見つけられることを祈っています。

おわりに

この文章では、まるで船乗りの方の印象を悪くしてしまうような書き方になってしまいましたが、大半の方が立派な方だと存じ上げております。また船を辞めた方にもそれぞれの理由があり、責任があることも重々承知しております。

このエントリが決して歪み合いの要因としてではなく、船を去った者達へのエール、ベテラン船員と新人船員の相互理解のために、はたまた願わくは、海運業界の更なる発展のために読まれることを心から切望します。本当にありがとうございました。

宜しければ拡散お願い致します

船乗りと自殺について【仕事・辞めたい・ストレス】

離職率の高い仕事

一般的に船員は離職率の高い仕事だと言われている。

なぜ離職率がこんなにも高いのかと言うと、海技教育機構のデータによれば、1番多い転職理由に『人間関係がうまくいかなかった』が挙げられる。

目指す人達にとっては周知の事実で私もこの事を理解してこの道に進んだ。

初め、私は人間関係について悩む事はないだろうと感じていた。

なぜなら今までの人生で人と揉めるようなことは少なかったし、寮生活や世界一周でのゲストハウスを通じて共同生活がどういうものか、ある程度理解していて自分がどの位適性があるか把握していたからだ。

しかし、その思い上がった自信はすぐに崩れ去った。

孤立

ある船では孤立して頭が狂いそうだった。

船という閉鎖された環境で職場の人しか話し相手はいない

だけど、職場の人とのコミュニケーションといえば無視か罵倒であった。

他愛ない雑談もなく、無視と罵倒だけの生活をすると思考がめちゃくちゃになって自分が壊れていくのがわかる。

船員の5割以上が50歳であり、歳が近い人が居なかったのも孤立した原因の1つかもしれない。(日本内航海運組合総連合会調べ)

皆が談笑している居住スペースでも、ムカつくから向こうへ行けと言われる。

そうすると、居住区にも居られなくなり自然とその場に居づらくなるのである。

仕方ないので外へ出て船尾の方に出てロープワークの練習をする。人がいない船尾が唯一の落ち着ける場所だった。

実はかつて、この船尾にずっといる私以外の船員さんが居た。その時は入社したばかりでどうして他の船員さんと交流しないのかと疑問に思っていたが、今になってみると痛いほど気持ちがわかる。

その彼がどうなったのかと言うと、他の船員さんに馬鹿にされながらも働いていたが、最後は仕事でミスをしてしまい、次の日に船を降ろされクビになった。

未来の自分を見ているようで辛かった。

(船の世界では今日からクビといわれて 、船を降ろされるのも珍しくはない。能力がないと生き残れない厳しい世界である。)

海を眺めていると

船員養成校で自殺・失踪 7月に3人、練習船で訓練中: 日本経済新聞

ここに船員養成校で3人が自殺、失踪したという記事がある。私は彼らの気持ちを少しだけ理解できるような気がする。

船尾にいるとふと海に飛び込みたくなる時がある。

別に死にたい訳ではない。追い詰められ、居場所がなくなり、逃げ出したくなっただけなのだ。

ただ、船には逃げ道がない。常に海を囲まれているからだ。当たり前のことで頭では理解できても、どうしてもここから離れたいと思った時に海に身投げしたい気持ちになるのだ。

私と船員学校の生徒さんの違いは、海に身投げすることを踏みとどまったか、踏みとどまっていないかの違いだけなのである。

家、ついて行ってイイですか?船乗り出演回の内容・まとめ


6月13日、テレビ東京で放送されている『家、ついて行ってイイですか?』で内航船員の方が出演されました。世間に浸透していない船内生活がよくわかる放送回だったので当ブログにて紹介させて頂きます。

出演者
街で終電を逃していた方々
【MC】
ビビる大木、矢作兼おぎやはぎ)、鷲見玲奈(テレビ東京アナウンサー)

番組概要
終電を逃した人に、タクシー代を払うので「家、ついて行ってイイですか?」とお願いし家について行く完全素人ガチバラエティー。誰もが皆、一見フツーでも、ぜんぜんフツーじゃない人生ドラマを持っている!そんな素敵な市井の方々の人生譚を覗いていきます。

(テレビ東京公式引用)

家ついて行ってイイですか?


山口県周南市のお店にて船長と出会う番組スタッフ。

船は仕事兼生活の場所であり、衣食住の全て、社会が詰まっていると語る

徳山港へ

番組スタッフ「この船はいくらくらいなんですか?」
船長「6億円」


船内の様子

船上生活


船に乗っている間は買い出しの機会が少ないために大量の食材が冷蔵庫に詰まっている

常に移動する船では毎回チャンネルを場所毎に合わせている


温水器がついており24時間入れるお風呂

普段は閉めているが気分転換に開けている窓



洗濯物は温かいエンジン場で干している

船員室


船員の部屋は6つある

乗組員は5人乗船している

奥さんと相談して内装を決めたこだわりの船長室

緑色のステッカーの中には救命胴衣が収められている

救命胴衣

収納スペースが多く確保された作りになっている。製造は太陽造船所。

休暇の周期が2,3ヶ月のため大量の衣類が置いてある

書類等を書く事務室は検査上必須である

息子さんの部屋


自由時間は映画を観て過ごしている


操舵室



操舵室のハンドル
着船時や大きく舵を切る時に使う

自動操舵装置


居眠り防止装置


航海灯のスイッチ

航海日誌
変針点(岬や灯台)の通過時間や気象など記録している

デッキへ


積荷はタンクに貯蔵されておりバルブ操作で荷役作業を行なっている

ペン倉庫
サビ打ちやペン塗り等の甲板作業も船員が行う

質問タイム


Q、船に乗って何年目になりますか?
A、今年でちょうど40年目

Q、一回の航海で何日間旅をするんですか?
A、今、1番長いので2日

Q、船長になったばかりの最初の出向先は?
A、多分、千葉の五井だったと思う

父親が倒れたため、真一さんが23歳で跡を継いだ

Q、大変だった航海はありますか?

A、若い時に、茨城県鹿島に向かう途中で霧がかかって逃げても逃げても相手の船が来るわけよ、すぐ近くを船が通っていてその時は足が震えてたまらんかった

自然相手に仕事をやらないといけないから馬鹿にしたら命を落とす

Q、奥様はいらっしゃいますか?
A、家が熊本県の天草にあるんでそこにいます。9月から9ヶ月間ずっと休暇なし。ゴールデンウィークはちょっと休みだったので一晩で熊本に帰ってきた。毎日みたいに電話してる。

Q、奥様に対して思う事とかないですか?
A、健康でおってくれたら
それでいいかなと思っている

Q、海に出てることを何か言われたりしない?
A、結婚してすぐの頃は寂しいというのもあったし、子供が小さい頃に帰っていくとどこの変なおじさんが来たのかなって。

Q、今後も船長を続けていく?
A、いずれは息子に交代


Q、息子からみてお父さんはどういう感じですか?
A、率直にいうと怖いですね。毎日怒られてますね。

Q、船のお仕事は興味あったんですか?
A、小さい頃から船乗ったりして、父親の仕事する姿みてて憧れがあったので、いつか自分もこういう風に仕事したいなって思ってて。父の存在が1番大きいですね。自分の父親みたいになるのな一番の夢。

Q、次の出航はいつですか?
A、明日

内航船の生活や船員さんの想いが伝わる良い放送回でした。船の世界に興味ある方は是非実際の放送をご覧下さい。

2019年3月、僕は北極へ向かう


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札幌でも発表しましたが、来年は素人の若者たちを連れてカナダ北極圏の海氷上を歩く長距離の遠征を行いたいと思っています。

昨夜も「僕も行きたいです、私も行きたいです」という若者が5人も集まりました。本当に皆んなが行くのか、行けるのかはこれからですが、私自身言い出した手前、いよいよやらなくてはいかんなと気持ちを新たにしました。

(北極冒険家荻田泰永のブログから引用)

有名な北極冒険家の講演会に影響された人達がいる。

僕もその内の一人だ。


荻田さんとのメール

この講演会の半年程前の2017年10月23日、冒険家の荻田泰永さんにメールを送っていた。

これがその時のメールの内容

南極にむけて準備中のお忙しい中メールを送ってしまい申し訳ありません。

荻田泰永さん初めまして。私はいいじま と申します。今年で23歳で船乗りをしております。

TVで荻田さんを知って以来、著書である北極男などを通して冒険というものに興味を持ちました。

元々、異文化に対する好奇心が強く学生の頃に短い期間ですが世界一周や留学などしていました。荻田さんはお話しを聞いた時に僕の好奇心に火がつきました。

私も北極に訪れてみたいです。

荻田さんのHPの『なぜ北極に行くのか? 2011年』の荻田さんがやりたい事を拝見しました。近い将来に若者を連れて北極を歩きたいという考えを知りました。よろしければこの企画をやる際は私も連れてって下さい。北極で生き抜く知恵を学ばせて下さい。

突然のメール失礼しました。
いつか会えるのを楽しみにしています。

この時の荻田さんの返信は、

・北極に若者を連れていくというのは具体的には決めてないが将来的には必ずやろうとしていること。
・ガンガンいろんなことをやってみましょう

というものだった。

憧れの人からのメッセージが来て嬉しかった。

あわよくば若者を北極に行くプロジェクトに参加したいなと考えていたが、具体的に決めてないとことで勝手にこの計画はまだ先のことそうだなと感じた。

計画

今もあまり変わらないがこの頃の僕は悩んでいた。

北極にいきたいが今の仕事はどうしよう?

まず北極にはどうやって行くんだ?

冒険のスタイル、技術習得はどうするか?

予算は…?

まずは北極について知る必要があるなと感じた。

極地関連の書籍を読んだり、ネットで情報を集めたり、荻田さんにメールを送ったようにその道の第一人者に聞いたり、時には日本極地研究振興会を訪れたりした。

人に会うには交通費や時間がかかったり、好きなことをするって労力や金が必要だなと感じた。

情報収集しながら北極冒険の計画のことを色々と考える中で、

予算は150万くらい、レゾリュートを拠点として生活すること、仕事は退職することを決めた。

なぜそう決めたかというと、荻田さんの過去の活動を参考にしたからだ。

彼は冒険家の大場満朗さんと北極を訪れた後、一人で毎年北極へ訪れている。

今では極地冒険の第一人者だが、昔はアウトドア経験がなくバイトで150万ほど貯めてレゾリュートで経験を積んでいた。

僕もこの方法で経験を積みながら北極に慣れていこうと計画していた。

理想は北極経験者の方と一緒に過ごす事で極地での技術を学びたかったが、縁がなければ最悪一人でレゾリュートに滞在しながら耐寒トレーニングをする予定だった。

講演会にて

仕事を辞め、時間に余裕ができた僕は実際に荻田さんに会いに行った。

これが1回目の講演会の時

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そして、2018年4月26日の講演会

荻田さんが若者を北極に連れて行こうとする計画を建てていて、もう志願者がいることを知った。

半年前に連絡したときに、まだこの計画は先になりそうだなと判断して一人で北極行く計画をしている僕にとって衝撃的だった。

咄嗟に僕もこの計画に参加したいと思い舞台に出た。

この時の事が、ブログの最初に書いたことである。



2019年3月、僕は北極に行きます

僕は北極に行きます。

これは僕が勝手に宣言しているだけです。

まだ荻田さんの計画は具体的に決まっていないし、志願者が多ければ参加人数も減らされ、もしかしたら僕はこの計画には参加できないかもしれません。

それでも敢えて宣言します。

元々一人で北極行く計画をしていたからというのも理由の一つですが、宣言して目標を掲げることで自分自身が頑張って行動できると感じたからです。

正直な話、体力や技術、正社員を辞めたことなど不安なことだらけです。

一部の方からいい歳なんだから夢ばっかり語ってないで正社員に戻りな等の助言も頂いたりもします。

冒険以外でもこれからの将来のことを考えると夜も眠れません。

それでも、

ネガティブなことを全部含めてもやっぱり北極に行きたいのです。

もしよければ皆さんも応援お願いします。

オリラジ中田敦彦の俺の持論『絶対に失敗しない謝罪の極意論』


皆さんはテレビ朝日系列で放送されている「俺の持論」という番組をご存知でしょうか?

人は誰しも自分だけの意見・主義・主張…つまり「持論」を持っている!時としてその「持論」は常識を覆し新たな価値観を生み出す可能性が!…この番組は切れ者タレントたちが自己流の分析をもとに“持論”を主張するプレゼンバラエティ番組です!

(引用 テレビ朝日公式HP)

このテレビ番組でオリエンタルラジオ中田敦彦さんが『絶対に失敗しない謝罪の極意論』というものをプレゼンしました。

最初は笑ってみていたのですが、この謝罪の極意論が日常生活で役立つな!と感動したのでブログにてまとめました。

普段から謝罪する機会が多い方は是非参考にしてください笑


人はなぜ謝るのか?

人はなぜ謝るのか?

前提条件として謝ったがない人間は存在しません。

人は誰しもミスをします。

それではなぜ人は謝るのでしょうか?

人は何かを取り戻すためにために謝罪します

そう、それは

信用です

人は失敗したとき、悪気はなかったんです、次こそは頑張りますと誠意を伝えて信用を取り戻します。

これに失敗して火に油を注いでしまっては関係が断裂してしまうのです。

だからこそ、謝るときはミスすることができないのです。

謝罪を失敗しないためには4つの鉄則があるようです。



鉄則.1 早い

鉄則その1は早いです。どういう意味かというとタイミングの話ですぐ謝ることが大事です。

謝罪が早いと遅いとでは受け手側の印象が違います。早い方と遅い方の印象の違いを比べてみましょう。

謝罪のタイミングが早いと行動が悪かったと気づき謝っていると印象を受けます。それに対し謝罪が遅いと周囲の批判に耐えかねて謝っているように受け取られます。

この印象差はものすごく大きく例えるなら自首と逮捕です。

悪いことをした場合、すぐに認め自首するのと最後まで否認して逮捕されるのでは違いますよね。実際に裁判では自首と逮捕では判決が違うのです。

その位悪いことをした場合はすぐに非を認め謝ることが重要なのです。

鉄則1はミスしたらすぐ謝る

鉄則2 隠さない

ミスをした場合、なぜこうなったか説明する必要があります。

説明する時に大事なことは隠し事をしないことです。ここで隠し事をした場合、誰も信用をもう一度与えようとは思わないのです。

世間では一方的な謝罪が多いです。SNSやブログで長文を載せる。自分のレギュラーのTVやラジオで質問はさせるけど仲間内のため厳しい質問ができない。記者会見を開いたが質問禁止。

このような一方的な会見を行うと何か隠したいことがあるのではないかという印象を受けます。

謝りたいという人がこういう恰好できたらどう思いますか?

信用できないですよね笑

信用してもらうためにも洗いざらい全部話す環境が大事なのです。

鉄則2. ミスをしたら隠さない

鉄則3. 罰を課す

鉄則3は罰を課すことです。

ペナルティがない社会であればミスはし放題。ミスではなく故意であっても咎められないのです。

実は責任の取り方は個人の自由ではないのです。

私にとっての責任はこれですということはできません。

大人の責任の取り方は「謹慎か罰金」の二つしかないのです。

法律においてもでもそうです。大きい罪を犯した人は刑務所に入ります。その行為を広く見ると日本社会からの謹慎です。

交通違反などの軽微な違反に関しては、罰金を課せられます。

法律は大きく見たら「謹慎か罰則」の2種類でできているのです。

このことから大人の責任の取り方はこの2種類をしっかりしないと許されないのです。

鉄則3. ミスをしたら自分に罰を課す

鉄則4. 復帰する

全ての罰は復帰するためにあります。更生して戻ってくるためにあるのです。

人間は社会の中で生き続けます。

例えば、会社で横領をしてしまい逃げるように会社を辞めるとします。次の会社にいっても横領の事実があると信用されないのです。

実は人の信用というのはリセットできないのです。過去の過ちというのはたとえ隠していようが遅かれ早かれ分かるものなのです。

過去経歴に嘘をついて次の場所に行くこともできず、過去の経歴をいうこともできず、逃げるということは信用をリセットすることにはならないのです。

鉄則4. ミスしたら投げ出さず復帰する

以上がオリエンタルラジオ中田敦彦さんが提唱する謝罪に失敗しない4つの極意でした。

是非皆さんも参考にしてください。

登山家栗城史多が伝えたかったこと

5月21日、登山家である栗城史多さんがお亡くなりになった。

なにかと話題に事欠かせない方だったため、私の気になる方の1人でもあった。

彼の死の報道に胸が空く思いと同時に

命がけの挑戦をしてまで彼が伝えたかったことはなにか?

と気になった。

そこで彼が生前語っていた事や、関係者の言葉をまとめながら彼の思いを書き記したい。

栗城史多さんとはどのような方か?

まず栗城史多さんとはどのような人だったのか迫っていきたい。

彼の評価についてだが、賛否両論がある。

そのことについてはこちらのurlを参照して頂きたい。

bunshun.jp

こちらを読むと、彼の評価は支持と批判の真っ二つの分かれていたことが分かる。

一般層には支持され、登山関係者には否定的にみられることが多かったようだ。

なぜ登山関係者から好意的ではないと評価されたかというと彼の実力とやっていることの乖離が生じたからである。

登山のような冒険活動が危険なのは周知の事実だが、彼のやろうとしていることは度を越していて無謀と判断されたために批難されているようである。

私のような登山関係者でないものに彼のやったことが無謀だったかの是非はわからないが、なぜ周りから危険と言われるような挑戦を行ったのか、何を伝えたかったまとめてみる。

栗城史多が伝えたかったこと

www.youtube.com

『僕の本当の夢はただエベレストを登ることじゃない。否定という壁を少しでも失くすことでこの山登りを通して役立つことが出来たら…』

栗城史多

今の日本ではこの「否定の壁」というのがたくさん存在する。

とある講演会で彼は子供たちに夢を尋ねた。夢を語る子供に対してその場に居合わせた大人がお前の成績では無理だと否定してしまった。

このような場面は決して珍しいことではない。

誰しも社会に出て現実に直面する。夢を叶えることの難しさを身体で知っている。

現実を知っているがために自分や他人の夢を「否定」してしまう。

この「否定の壁」を壊すために彼はエベレスト挑戦という冒険を共有したのだ。

彼の冒険の共有とは失敗と挫折の共有である。

実際にエベレスト挑戦も今回で8度目であり何度も挫折している。


(今回の冒険も生放送で共有するはずだった)

彼の挑戦は無謀かどうかは置いといて、目標に向かって諦めず挑戦は私達に「否定の壁」を壊す勇気を与えてくれのは確かである。

否定の壁を壊すため彼は挑戦することの大切さを身を呈して教えてくれたのだ。

彼の伝えたかったことは挑戦する人の背中を押すような素敵な教えだった。

この教えが素敵なものであると感じれば感じるほど、彼が亡くなったことへの悲しさが膨らんでいくばかりである。

もし彼が登山関係者の声に耳に傾けていればまだ挑戦は続いていたのかな、もっと多くの人に彼の伝えたかったことが広まっていたかなと想像してしまい切なくなった。

荻田泰永トークイベント参加レポート

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2018年4月8日。

荻田泰永さんのトークイベント『北極冒険家が見た、南極大陸』に参加してきました。

荻田さんといえば、クレージージャーニーにも紹介されている北極冒険家。先日、日本人初「南極点無補給単独徒歩」の偉業を成し遂げました。

今回のトークイベントの内容はこの時の冒険がメインです。


Bar De 南極料理人MIrai

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JR関内駅から徒歩3分、こちらの可愛らしいペンギンの看板の見えるお店がイベント会場 Bar De 南極料理人 Miraiです。

Bar De 南極料理人 Mirai
横浜関内レストラン&バー「 Mirai(みらい)」 - 横浜・関内・吉田町で多国籍料理と南極メニューをご提供する「レストラン&バー Mirai(みらい)」。

Miraiのシェフ・篠原洋一さんは、世界一周×9回+南極越冬×2回、70カ国200都市を回った調理人。
旅行好き船好きが集まるダイニングバーです。

篠原さんの経歴すごいですね。シェフとして世界を周るという生き方憧れます!!

僕はトークイベントの後の懇親会にも出席したので篠原さんの料理も頂きました。

荻田さんのお話と南極料理人の方の料理が味わえるなんて贅沢な気分です笑
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トークショーの内容

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なぜ北極冒険家の荻田さんが南極へ挑戦したのかというと冒険性を高めるためです。

音楽で例えると

ロックミュージシャンが音楽性を高めるためにクラシックといった違う種類の音楽を学ぶようなものです。

普段と違う南極冒険を通して、北極にも応用が効く経験や技術を習得することができるのですね。

特にトークイベントの中で興味深かった話が

『極地での汗処理』です。

極地では汗の処理が難しく

登山によく使われるゴアテックス(防水透湿性を持った素材。

外からの水を遮断しながら汗は外に逃がしてくれる)だと透湿する前に汗が凍結するという問題がありました。

そこで荻田さんが考えたのは

アウトドアには向いてないとされるコットン製品の起用です。
(速乾性がないため、低体温症になりやすいから)

本来ならアウトドアに向いてないとされているコットン製品ですが
南極の環境、白夜による日差しの強さ、風により乾きやすくなっているのです。

そのおかげでコットンで汗を吸わして、蒸発することで汗処理をしているのです。


冒険というのは問題に対して考え、試行錯誤している姿に感動しました。

他にも自分で装備を作るという話からも、冒険するために思考、創意工夫する荻田さんの内面が伺えているみたいで好きです。

荻田さんのお話を少しだけ紹介させて頂きました。

詳しいお話は是非、講演会で起き聞ください。