Women's Sexual Healthについて書くブログ

昼間は医療機器メーカーの会社員が女性のセクシャルヘルスとラブライフ、台湾・日本国際結婚と妊娠・出産について書きます

台湾の産後ドゥーラ「月嫂」(ユエサウ)が素晴らしすぎる話

今回の産後は、台湾からドゥーラさんに来てもらい、1ヶ月住み込みで滞在してもらいました。

台湾では産後ケアセンターに産後1ヶ月間入るのも普通ですが、自宅に専門の産後ドゥーラさん(月嫂)を呼ぶ場合も増えてきているそうで、我が家も今回は上の娘がいるため産後ケアセンターに私が行ってしまうとなかなか大変ということで、自宅に呼ぶというプランで夫と夫の妹さんが考え、準備をしてくれました。本当に感謝です。

なんでもやってもらえて、私は身体を休めることと赤ちゃんの世話、授乳に専念でき、ほんと、まさに神!!のような存在でした。
そんな日々も明日で終わり。明日が最終日です。

やってもらえること↓
○赤ちゃんの世話(沐浴、オムツ替え、授乳など※ミルクの場合)
○毎日三食+おやつの準備 ※家族の分も作ってくれる
○夜中の赤ちゃんの世話 ※夜中じゅう見てくれる。ミルクだったら授乳もしてくれる。私は3時間ごとに授乳のため連れてきてもらってた。
○掃除、洗濯
○食材の買物
○必要に応じて、上の子の世話 ※我が家の場合は通園バス乗り場までの送り迎え

ありがたすぎた。
神すぎる。
食事が毎日美味しすぎる。
これが普通だとしたら、台湾の産後ケアはまじ 素晴らしすぎる。

おかげで睡眠不足にもならず、元気に過ごせています。

そして、日本の産後ケアにも、何かしら発展に貢献したいと、今ひしひしと感じています。

ちなみに、夜中赤ちゃん見て、家事もして、ドゥーラさんはいつ寝るの?24時間体制だし!
→合間の時間でちょこちょこ休憩を取るのですが、それで疲れが取れるの?と聞いたら、この仕事してから身体が慣れてきたと。いやいや、ほんとにとっても大変なお仕事です!


しかし直近ではまず、明日以降が問題だ。
私はできるのか、家事と二人育児。
不安すぎるけど、今回は頑張りすぎずアウトソーシングを活用しまくりたいと思います。

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中藥(漢方)も取り入れた食事。

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こんなに日にちがあるのに、同じメニューが出てこない。

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カボチャの中に牛乳プリン。白きくらげと、棗(なつめ)、枸杞の実のデザート。
そしてイチゴヨーグルトをむさぼる娘。

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早餐 朝ごはん。

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台湾のご飯は、必ず湯(タン)←スープ がある。食事の最後に飲むのが台湾的。

第二子スピード出産 

3月25日(月)5:24に、第二子が産まれました。
予定日は4月12日、一人目のときも38週で産まれたのでまた早めかも、とは思っていましたが、まだ心も物も準備できてなかった〜

忘れないうちに、レポートします。


前日の夜から、なんか尿もれ?破水?でもほんの少ーしだからやっぱり尿もれか??という現象はあったものの、上の子とお風呂に入り、歯磨きし、遊びに付き合い、寝かしつけし、
その後、夫とちょうど真剣な話し合い事項があったためその件を話し合ってひとしきり2時頃まで揉めにもめた後、
布団に入って少し経った夜中3時頃、
「なんかお腹痛いかも」
「痛くなって、また痛み引くこの感じって、まさか陣痛?」 と思い、それから陣痛アプリダウンロード。←遅
3:12 陣痛間隔 9分31秒
3:17 陣痛間隔 5分30秒
トイレ行ったらおしるしあり。

あ、これ完全に病院に電話した方がいいわ、と連絡。
行くことになる。
もうアプリ使う暇ないけど、間隔は3分くらいで痛くなってる感じ。
夫を起こす。
入院用の荷物も、まだ完全に用意しきれておらず、足りなかったものを少し足す。
バースプランもなんも書いてない〜 入院書類も書いてない〜 書き始めるが、なんかそれどころじゃない気がしてきてやめる。
マタニティタクシーを呼ぶ。10分くらいで来るらしい。

夫は、上の子を起こして私と一緒に3人で行くか、後から行くかどうかで迷っている。
後からだと間に合わない可能性もあるので、出産立ち会いたいかどうかで決めてもらうことにし、とりあえず私は先に行くことに。

タクシーまで行く途中も、痛くて立ち止まり歩けず。
タクシーの中での陣痛間隔2分40秒。

病院の夜間救急に着いたのが4:05くらいだったか?
受付に行き、車椅子で産科病棟まで連れて行ってもらう。それから看護師さんの診察。
尿もれか破水かを判定する検査は、破水。
内診するが、子宮口が奥の方に行ってしまっていて触れない、でも柔らかそうで降りてきてそう、とのこと。
内診中に夫から着信やラインがばんばん来てるが、出られない。
「これだけ痛いなら、産まれそうだし入院ですね」と言われる。

LDR室に移動。
この時点で4:20くらい。

無痛分娩お願いしていたので、無痛分娩用の入院着に着換え。
定期的に痛い。
飲み物買いに行きます?と聞かれ、飲み物欲しかったが、買いに行ったらその分麻酔遅れるんじゃ???という疑念がよぎり、「それより先に、色々進めてください」とお願いする。
(結局、出産途中は喉も口もカラカラで、何か飲みたかったが、それどころじゃない。助産師さんが、水道水をコップに入れてストローで飲ませてくれた。)

点滴ルートとって血液とったり、心拍計付けたり、血圧計付けたりする。
痛い。

麻酔の始まる準備はできていて、麻酔科にお願いはしてます、とのことだが、まだ来ない。
(私:以下マ)「麻酔の人はまだですか?」
助産師さん:以下助)「前の人の対応をしているので終わり次第来ます」
まだですかぁーー早くしてねぇーー!


夫、病院に直接電話して私が到着してるか確認したそうで、助産師さんから「旦那さんがお電話欲しいそうですよ」と教えてもらい、ベットから電話。
(夫)「どんな感じ?」
(マ)「入院になった。今、着替えてベットの上で準備してる。」
(夫)「産まれそう?」
(マ)「えーと、、分からない〜ーーあァァァあーーーーーァァ"ァ"ァ"ァ"ーーーーー!!」
陣痛来てそのまま電話対応できず。切れる。

なんか、ますます痛い。
いきみたい感じが出てきてる。

(助)「(マ)さん、なんか赤ちゃん降りてきてるわ。出て来たいみたい。このまま産まれちゃうかも。」
(マ)「えっそうなんですか?」
(助)「麻酔より早く産まれちゃうかも」
(マ)「そのパターンですか?!?!」
(助)「そうですね〜 赤ちゃん出てきたいーって言ってます。」
(マ)「そうなんですかぁぁーーー?」

(助)「このまま行っちゃいましょう!」

(マ)「そうなんですかぁ"ぁ"ぁ"ーーー!?!?!?」

陣痛が来ると、グッと下に押し出される感じが出てきて、痛みに耐えられず声が出てしまう。

麻酔を待って横向きに寝ていたが、もう足を開いていきむ態勢に変更。
心の準備が出来てない!!
もう、全開に痛い。
叫ぶ私。
前回は、もう少し呼吸に集中して静かに痛みに耐えていた気がするが、今回はそんなの関係ない。とにかく、全開で痛い!!!!!
陣痛の合間に、自分で自分を励ます。「頑張れる。頑張れる。」←独り言
「頑張れてますよ〜」ってベテラン助産師さんから言ってもらう。 
陣痛で叫んだあと、「こんな感じで大丈夫ですか?!!?」と助産師さんに聞く。「大丈夫ですよ〜いいですよ〜」
なんかすごい押されてる!力んでる!
「う○ち出てませんか?!?!」と聞く。
「いえ出てませんよ、赤ちゃんが降りてるのを感じてるんですね〜」とのこと。
あと何回痛みが来るんだろう。私は耐えられるか。頑張れるのかーーー???
必死。
必死。
必死。
とにかく叫んで下に押し出す。
「低い声を出してください」と言われる。前回の出産のときも言われたなとチラッと思い出しながら、低く唸り吠える私。
すごいものが降りてきて、挟まってるのを感じる。
(助)「(マ)さん、赤ちゃんそこまで来てますよ〜、頭そこですよ〜」
(マ)「ホントに?!」
(マ)「もうですか??」「もう出るんですか?!?!」

(マ)「心の準備ができてません!!」

(マ)「頭見えるんですか?」
(助)「今見えて、また引っ込みました〜」
(助)「もうすぐですよ〜」

ひたすら、何度か陣痛でいきむこと数回。
(助)「ハッハッハーー、で行きましょう!」
(マ)「ハッハッハッハッハッハーーッ!」

出てきてるんだかなんなんだか、必死。

(助)「ほら、見えますか〜?出てきましたよ〜」

体が出たところ、自分で下を覗き込んだら見えました。
(マ)「わぁ〜〜」
ちゃんと、人間の赤ちゃんが、そこにいました。

「ほぎゃっ!ほぎゃー!」
という可愛い泣き声が。

5:24AM、産まれました。
LDR室に入って1時間。

あとは、胎盤排出を待ち、会陰裂傷の縫合、子宮収縮の確認など、様々な処置。

(助)「旦那さん来られましたが、ちょうど今無理なので、外で待っていて頂きますね。」

処置の間、赤ちゃんを胸の上に抱かせてくれる。
前回は、羊水の汚濁があって呼吸の検査などですぐ新生児室に連れて行かれてしまい、カンガルーケアできなかったので、今回が初めて。
産まれたての赤ちゃんを胸の上で抱っこ。
ちっちゃい。可愛い。

もう、少し口をパクパクさせていて
(助)「おっぱい探してますね〜 あげてみましょうか」
とのことで、咥えてもらうと、もうキュッキュッと可愛い口で吸い始める。
不思議だ、すごい。

縫合などが終わったあと、夫と娘がLDR室で赤ちゃんとご対面。
立ち会いは間に合わなかったけど、これだけ早かったらまあ無理だよね〜。
娘、赤ちゃんと初めてのご対面に、恥ずかしそう。
ひとしきり、ゆっくり赤ちゃんとの家族時間を過ごさせてもらう。

なお、合間にちょくちょく行われる子宮収縮の確認で子宮を押されるのが、大変痛い。
幸せ〜可愛い〜、の合間にも、断続的に激痛続く。


そしてしばらくしてもろもろ落ち着いてから、荷物を持ってLDR室から病棟へ移動となり、病棟で朝ごはん、となったのでした。
夫と娘は、売店で買ったサンドイッチで朝食。


もう、産まれたのか、あっという間だったな、と実感が湧くような湧かないような。
一人目のときも早めだったから今回も早めに産まれるであろうとは思っていたものの、まだもう少し時間があると思ってたし、仕事産休入りしてからまだ2週間しか経ってない。もっと準備しておきたいものとかあったなあ。。
これから新生児との日々が始まります!!


産後の日々も、今回はレポートしたいと思います。

どんどん過ぎていく毎日、記録しないと忘れてく

娘が1歳1ヶ月になり、できることも少しずつ増え、少しずつ余裕も出てきた今日この頃。

 

可愛さはうなぎ登り、毎日心をキュンキュン鷲掴みにされている。

既に、0歳だった頃のことが懐かしく、ちっちゃい赤ちゃんを連れてるママさんを心の中で全力で応援。そして妊婦さんが羨ましく、これから出産が待ってるのね、そして新生児の赤ちゃんとの生活が待ってるのね、と羨ましくも、大変な時間が待っていることを思うと心の中で全力で応援したくなる。

 

断乳も終わり、すでにおっぱいは飲まなくなったけど、やめる前は少し、いや、かなり、寂しかった。この密着している時間がなくなってしまうのかと思うと。

やめたらやめたでまた別のコミュニケーションがあり、寂しくはないのだけど、でも、ひとつひとつ、新しいできることが増えて行く代わりに、卒業して行くことも増えて行く。

成長が嬉しくもあり、寂しくもある。

いろんな感情が入り混じる。

 

保育園に行くようになれば、一緒に過ごす時間も減る。だんだんママから離れる時間も増えて行くし、ママが必要じゃないことも増えていく。

 

日々、ずーーっと子どもと一緒にいて、ずっと何かしらの要求に対応して、ママママと求められていると、ついつい忙しかったり他のやらなければならないことで対応がおろそかになったりすることもあるけれど、

ふと、

「ああ、こんなに抱っこでぴったりくっついてくれたり、ママの存在を求められるのも、そのうちなくなっていくんだよなあ」

と我にかえる瞬間があり、劇的に寂しい感情に襲われる。

今この時がどんなに貴重だろうかって、普段は忘れてしまう。

 

もうすでに、0歳2、3ヶ月の頃、そして5、6ヶ月の頃、それぞれどんなふうに大変だったか、思い出せない。あんなに毎日ずっと大変と思っていたはずなのに、今は具体的にどんな風に過ごしてなにを大変と思っていたのか、その内容や感覚が思い出せなくなってる。忘れちゃうんだね。

 

だから、ちゃんと記録しないと、と思う。

忘れたくないから。

【妊娠出産記⑤】染色体検査、そして不育症外来へ(&最近の雑感)

あっという間に、先日、娘も6ヶ月を迎えました。

妊娠出産記、全然アウトプットできてません!

 

最近実感するのは、

産後、難しいことを考えられないし、本を読むとか、複雑な文章書くとか、全く出来ない。計算や思考をする方の頭が、確実に悪くなっている。。

どうやら聞いたところによると、生まれたてほやほやの赤ちゃんを「生かす」という生命の根幹のところに母として全神経集中している分、複雑な思考とか、論理的考察とかする機能が抑えられて、そっちに持ってかれちゃってる、ということらしいです。

 

※脳は生命を司る脳幹、感情を司る大脳辺縁系、知性・理性を司る大脳新皮質で成っているが、産後は脳幹(生命)と辺縁系(感情)が優位になる分、大脳新皮質(知性・理性)の働きが抑えられる。

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だったら、難しいこと考えられないのも納得!!と自分を正当化してみる。。

 

それに、何か集中してやろうとすると、途中で「うわ〜〜ん!」と泣き声で中断。ひとしきりあやして、さっきまでやってた作業に戻ろうとしたらもう深夜、明日も早朝に起きるのに、これ以上は無理か、、とあきらめる。もしくは、寝かしつけ中に自分も寝ちゃうこと多々あり。

一つのことに集中して取り組む、っていうのが難しいから、どうしても細切れで時間使えるスマホとかになってしまう。

 

育児以外、一切たいしたことができないまま毎日が過ぎていく。。。

 

産後すぐに働いたり育休中に勉強したり資格取ったりする人を、本当に尊敬します。

今の私には出来そうにないで〜す Ψ(´д`)Ψ 

・・・ってばかりも言ってられませんが。。

 

 

さて、2016年1月、2月に時間を戻します。

 

手術(子宮内容除去術)ののち、しばらく経ってから受診した際、染色体検査の結果が出ていました。結果、染色体異常は見られなかった、とのこと。

また、女児だった、ということも分かりました。

染色体異常で流産したのでなければ、他の原因があるのか、それはもはや調べようが無く分かりません。

なにかもやもやしたものが残ります。

 

流産が2度続いたわけですが、私の見てもらっていた病院でも「3度続かなければ特にうちの病院では検査をしてないんです」と言われました。

流産は、2度続くと反復流産、3度続くと習慣流産という呼び方になり、習慣流産は「病気」として検査・治療が必要と言われています。

 

ただ、ネットで調べてみたところ「2度の反復流産の場合も不育症の検査を受けておくことで、(原因探索の結果、何らかの原因がある場合は対策が取れる、という意味で)次の無事な出産の確率は高くなる」と書いてありました。

 

2回は実は良くあることなんですよ、とも言われましたが、とはいえ、当事者にとっては「よくあること」で済ませることはなかなか心情的に難しいというのが本音。

よって、やるべきことは全部やっておこうという思いから、不育症の臨床研究(下記サイト参照)にも参加している研究班の先生がいる、K大学病院の不育症外来を訪れました。

 

不育症について詳しいHPはこち

不育症サイト

http://fuiku.jp/

 

※私が調べていた2016年初旬には、まだこのサイトはオープンしていませんでした。

最近(昨年)出来たんですね。とても分かりやすくまとめられていて、流産について色々と医学的な情報を知りたいとき、とても有用だと思います。私のときもあったら良かったのに!

 

 

  

不育症外来の初めて訪れた際、これからどのような検査を受けるのか、説明を受けました。

ひとしきり説明を受けた後、

「色々と検査をしても、流産の原因が分かる場合もあれば、分からない場合も多々(半分くらいは分からない)あります。それを了承の上検査をされますか?」

と聞かれました。

迷わずYESと回答。

分からなかったらしょうがない、前に進むためには自分たちが納得しておきたい、という理由でこの外来に来たのです。

 

実際の検査の内容としては、

月経周期によらず受ける検査として、

・血液検査(2回)

月経周期に応じて受ける検査として、

・不育症内分泌血液検査

・子宮卵管造影検査

・子宮鏡検査

黄体期血液検査

などがあり、

そのほか、染色体検査も希望があれば受けることができます。

 

 私の場合は、 以前通っていたクリニックで既に受けていた検査もあるため、その検査結果を流用できるものは今回新たに受けることはせず、まだ受けていないもののみ受けることに。

 

 こうして2ヶ月ほどにわたって何度か通院し、全ての検査結果が出そろった後に、最初に説明を受けたM先生の外来を、再度受診しました。

 

全検査結果を確認したところ、大きな異常は見られないが、あえて言うならば"血液凝固”に関する値が、ほんの少しだけ正常値からはみ出ている、とのこと。

だからといって異常というほどでもなく、これが流産の原因かというと、それは分からない。でももし希望するのであれば、次回妊娠した際は、血液が固まりづらくなる「バイアスピリン」を飲むと良い、ということを勧められました。

薬は自費になるとのことでしたが、全然問題ないくらい安かった(数百円)ので、少しでも流産のリスクが減るのであれば飲みます!と即回答。

  

 次の妊娠に備えて薬だけ先にもらって帰って来たのでした。

 

 

 ※実は、染色体検査よりもっと詳しい最新の遺伝子検査も行ったのですが、それについては難しいし書ききれないので、今回は省略。(染色体検査では拾いきれない異常が分かったり、父、母どちら由来か、というところまで分かるとのこと。とりあえず結果は異常なし。)

 

 

 

不育症、という言葉は不妊症に比べてそれほど浸透しているわけではないと思いますが、高齢出産が増えている現在、決して珍しいではなくなっていると思います。

私以外、身近にも、何度も妊娠と流産を繰り返してしまい、理由が分からず大変な思いをしている友人がいます。精神的にもダメージが大きく、身体的にも負担がかかるため、原因を知り、避けることができるのであればどれだけ救いになるだろう、と思います。

 

私の場合は、血液の凝固因子異常(第Ⅶ因子欠乏症)という可能性が浮上しましたが、それ以外にも、子宮の形態異常、甲状腺異常、両親のどちらかの染色体異常、抗リン脂質抗体症候群プロテインS欠乏症、など、原因としては様々な要因が考えられるそうです。

ただ、検査をしても明らかな異常が分からない人は63.3%だそうです。

リスク因子(原因)がはっきりすれば治療をすれば良いし、原因が分からなかった(原因不明で偶発的な流産を何度も繰り返した場合)は、何もしなくても次回の妊娠で成功する可能性は高い、とも書かれています。(サイトFuiku-Laboより)

 

 知ることで、もやもやしたやり場のない気持ちが晴れ、前向きに次へ向かって進むことができることはあると思います。

少しでも必要な人へ、必要な情報が、届きますように。

 

 

 

 

 

【妊娠出産記④】学んだこと

かなり印象に残っている、というか、私にとってものすごく学びになったことがあった。身近な友人の妊娠のニュースを聞いたときのことだった。

 

最初、私自身の妊娠が分かったのとほぼ同じ時期に、友人が妊娠したことを聞いた。「同じくらいだから同級生になるし、色んなことを相談し合えるなー、心強いし嬉しい!」と思った。

すぐに「私も妊娠したんだよ!」と知らせたかったが、前回の(1度目の)流産のこともあり、がっかりさせないためにも、そして心から喜んでもらえるように、「今回は安定期になるまで親にも周りの人にも言うのをやめよう」と夫婦で決めていたので、私のことは黙っていた。

 

それからしばらく経ち、私の2度目の稽留流産が分かってから数週間後。

とある食事会が開催され、身近な親しい友人がたくさん集まっていた。私はちょうどその日は参加できず、夫だけが参加していたのだが、その場で友人から「妊娠したよ、○月頃に産まれる予定だよ」と皆に報告があり、さらに別のもう一人の友人からも妊娠のニュースがあった。ダブルの嬉しいニュースに、「同級生になるね!おめでとう!」とみんなで祝福していたんだよ、と後に夫から聞いた。

そうなんだ、○ちゃんも、●ちゃんも、、おめでとう!という気持ちと同時に、そこに私もいたはずなのにな、どうして私はだめだったのかな、彼らと私は何が違ったのかな、と色々な思いが溢れてきて、その話を聞いたとき外で夫と食事をしていたのだが、店の中で一目もはばからず涙が止まらなくなってしまった。

妬ましいとか、そういうネガティブな気持ちは一切なくて、本当に心からおめでとう、と思っているのだけど、その分、自分自身に対して、悲しくなってしまったのだ。私も一緒に喜びを分かち合いたかった、と。それが出来ない今の自分が、とにかく悲しかった。

居酒屋のおしぼりで涙を拭き、注文を取りに来る店員さんに怪訝な顔を(見て見ぬ振りを)されながら食事を終え、帰り道はまた泣きながらふらふら帰った。ふぇーーん、と子どものように泣く私と手を繋ぎ、困りながら黙って夜道を歩く夫、の図。。

 

 

この経験から、今さら身にしみて分かったのは、1つの素敵な幸せがあるその周辺には、悲しい人も、そっと目立たないようにして存在している、ということ。

 

お披露目されるのは、幸せだけ。誰でも幸せは知らせたい。そして、幸せは、目立つ。おめでとうが当然で、おめでとうじゃないことはなかなか表に出てこない。

そっと静かに、だけど確かに、表には出てこない、語られていない事実は存在している。悲しいことや、大変だったことが数多くある中に、ポッと小さく、幸せの花は咲いている。だからこそその花が、鮮やかに輝いて見えるのだと思う。

 

子どもを授かるのは当たり前のことではない。

子どもがいる家庭はごく普通にあり、結婚したらまるで当たり前にその幸せが訪れるように思われているけれど、実はそうじゃない。

子どもが欲しい、と思って子どもが産まれて来る、、、そんな単純で簡単なことではなく、それってやっぱり奇跡なのだなと思う。

 

 

私は、そういうことを身をもって知ることができて、良かったと思う。

 

人の幸せを心から祝福できて、そして、悲しい、辛い思いをしている人の気持ちも理解しようとすることのできる人間になりたい、と身にしみて思った。

 

 

あまりに個人的なことなので、このことは書くのに勇気が必要だったけれど、何らかの形で残しておきたいとずっと思っていたことだった。

確かに、子どもが産まれた今だからようやく書けたのかもしれない。いつか、何らかのかたちで書こうとはその頃から思っていたけれど、真っ只中にいる時は、人に言うこと、ましてや数多くの人に知られるようなことをする、その1歩を踏み出す勇気はなかなか出せなかった。

 

だからこそ、もっともっと大変な病気のことであったり、辛い経験を公表されている有名人の方、例えば乳がんの闘病生活を公表された小林麻央さんや北斗晶さんなど、どれだけの決意と覚悟が必要だっただろうかと想像もつきません。本当にすごいことだと思う。

日本中に情報が拡散されて、良い意味でも、悪い意味でも、影響力を持っていて、、、自分の知らないところで自分のこと、しかも決して喜ばしくない情報が色んな人に語られることって、すごく恐ろしいと感じるはず。でもそこを越えた大きな決断から、最近では小林麻央さんの言葉に、私も含めてきっと日本中たくさんの人が勇気をもらっているのではないでしょうか。

 

私自身のことはそれほど大きな出来事ではないとはいえ、もし万が一同じ状況にある人がいたら、ほんの少しでも役に立つことがあればと思い、ここに書くことにしました。

 

読んで頂き、ありがとうございました。

 

 

と終わりそうな雰囲気をかもしつつも、まだまだこの先の話、ダラダラ続きます〜。

 

 

 

 

【妊娠出産記③】心拍確認から稽留流産の確定診断まで

この話、どうしたって重めのトーンになってしまうのですが、明るく話すのも難しいので、もう少しだけお付き合いくださいませ!

 

 

2度目の妊娠の確定診断から1週間後の10月19日頃からは、つわりらしきものも始まった。だるさと気持ち悪さがあり、さらに一日中眠い。

 

ちょうどこのとき、勤務する会社では大リストラがあり社内は揺れに揺れていた。しかしそんな大変な中でも、私の方は、2週間後の10月27日の診察で心拍を確認することができた。

病院で、ちっちゃなピクピクっと動く赤ちゃんの心拍を見て私が「良かった・・・!!」と安心し、喜んでいたその同じ日に、入社して1年も経っていない3人の子どもがいる30代の営業社員や、若い新婚の同僚などがクビを言い渡されていた。人生の光と陰が。

 

 

ちなみに、この心拍が確認できた日も、私は風邪で体調が悪かった。

身体がだるく、熱があるような感じのまま会社に電車で向かい、降りるはずだった駅も寝過ごした。

今思えば休めば良かったのに、何でそんなに私は会社に行きたかったのだろうか。忙しかったりアポがあったり会議があったりしたのだが、今思えば大した用事でもない。

 

 

次の診察は出産を希望する病院で、ということで、また紹介状をもらい、前回と同じ総合病院を2週間後に予約した。

 

どうか、今度は無事に育ってくれますように、と祈る日々。

 

 前回の心拍確認から2週間後の11月9日、会社を休んで総合病院へ診察に向かった。気分も穏やかで、悪いことは何も考えていなかった。

今回は新しい女の先生の部屋に通され、まず見てみましょうか、ということで診察。

超音波で見たところ、心拍が見えないという。

「角度により見えづらいということもあるから、来週もう一度来てください」と言われる。希望は捨てたくないけれど、あまり良い話では無いようだ。冷静に先生の話を聞いてはいたけれど、やはり落ち込む。順調だと思っていたし、2週間前には動いているのがかっきり見えたから。まさか止まることなんてあるの??と。

帰り道、「でも大丈夫、きっとがんばってくれる。」という希望と、「やっぱり私の想いが足りなくて、まだ私のもとには来てくれないんじゃないか、まだ色んな面で未熟だから、母親として失格だからじゃないか?」と自分を追い込む系のことを繰り返し、悶々と考えてしまう。

この診察の日の朝は、ふっと急につわりがなくなった気がして、ふつうに食事を食べられた。また翌日も、なんだか身体の調子がふつうに戻って来ているような感覚があった。

先週の身体のだるく重い感じとは、何かが違う。そのことも、生きようとするお腹の中からのサインが消えたことを表している気がして、一層不安に拍車をかけた。

 

実はちょうどこの週末(15日)に、ある資格試験の2次試験があったのだが、勉強も全く手つかずで受ける状態ではなく、その日の朝も起き上がる気力が無く、無断で欠席。受験料2万円は無駄に飛んで行った〜。

 

 翌日の通院で結果が分かるかと思うと怖くていたたまれない。お願いします、生きていてくれますように、と祈る。

 

11月16日、再度通院し、稽留流産の確定診断となる。

 

11月末頃。日が経つにつれ、すっかりつわりも胸の張りもなくなって、おなかに生きていたあの感覚、実感は一切なくなった。

 

11月30日、通院。診察してもらったが、赤ちゃんの成分は前回よりさらに小さくなっていて、次回はとけてしまうかもしれない、とのこと。

 

今回は、自然流産ではなく、手術をすることを決める。

クリスマス前に以前から予約していた沖縄旅行があり、ちょうど旅行と出血が重なると大変だということと、もう一つ、「染色体検査」をするためには手術をして、胎児の成分を清潔な状態で採取する必要があることが理由だった。

 

流産の原因で最も頻度の高いものは、母体側の理由ではなく、赤ちゃん(胎児)の染色体異常で約80%に存在する。一般に流産は妊娠の約15%に起こり、流産の80%は赤ちゃんの染色体異常を合併しており、自然淘汰ととらえることができるそうだ。*

*不育症研究について/不育症研究-不育症治療に関する再評価と新たなる治療法の開発に関する研究-

赤ちゃん側の染色体異常があったのか無かったのか、調べることができるのであれば検査しておきたかった。

ただし検査しても染色体異常がない場合もあり、検査を受けたからといって流産の原因が確実に分かるわけでは無いが、それでも何らかの情報を得られるのであればやれることはやっておこう、ということで染色体検査を受けることを決め、手術の日を12月9日に予約した。

 

 

 

 

 

【妊娠出産記②】2度目の妊娠

前回の妊娠、流産の後は、台湾での2度目の結婚式、新婚旅行、新居への引越し、仕事、語学や資格の勉強、、、と慌ただしい日々を過ごし、あっという間に2015年も中旬を迎えようとしていた。

 

夏を過ぎた頃に、一度自分の身体のチェックも兼ねて検査を受けておいた方がよいだろうと思い立ち、不妊治療専門のクリニックを訪ねた。

 

通常、不妊原因を調べるために行う検査の中から、必要と思われる検査を数度の通院で行った。

*以下、検査の説明はクリニックよりもらった資料より転記

 

(1度目の通院)

【ホルモン検査】

  • プロゲステロン(P4、黄体ホルモン)
    プロゲステロンは卵胞から卵子が排出されたあと形成される黄体から分泌されるホルモン。エストラジオールとともに受精卵の子宮内膜への着床を助けるはたらきがある。受精卵が内膜に着床する時期(排卵後7日目頃)に十分分泌されているか測定する。
  • プロラクチン(PRL、乳汁分泌ホルモン)
    プロラクチンは脳下垂体から分泌され、乳汁分泌を制御するホルモン。授乳中でない女性でもこのホルモン値が高くなることがあり、排卵や妊娠の妨げになることがあるので、正常範囲に保たれているか測定する。
  • AMH(抗ミュラー管ホルモン)
    AMHは卵巣の前胞状卵胞という発育前の卵胞から分泌されるホルモン。卵巣予備能(FSHに反応して排卵する待機状態にある卵子の数の多寡)を推測するために測る。加齢により低下するため、エイジングの指標にもなる。AMHは月経周期のいつでも測定できるが、ピルの内服中、出産直後、授乳中は正しく評価出来ない。 

 

(2度目の通院)

【ホルモン検査】

  • エストラジオール(E2、卵胞ホルモン)
    エストラジオールは卵巣(卵胞)から分泌され、全身にはたらくホルモンだが、子宮では内膜の厚みを増す、子宮頸管粘液を増やすなどのはたらきがある。FSHとLHを計測するときはエストラジオールを同時に測る。また排卵前や排卵後に卵胞や黄体の機能を推測するために測ることもある。
  • FSH(卵胞刺激ホルモン)、LH(黄体形成ホルモン)
    FSHとLHは脳下垂体から分泌され、卵巣における卵胞発育(FSH)や排卵LH)を制御しているホルモン。FSHとLHを月経周期の初めに測ることにより、卵巣(排卵)機能や卵子のエイジングを推測することができる。

クラミジア検査】

 クラミジア性感染症(STD)の一種だが、感染すると卵管閉塞、狭窄をもたらすことがある。現在の感染の有無は抗原検査(頸管粘液検査)で調べるが、過去に感染したことがあるかどうかは抗体検査(血液検査)で調べる。

 

(3度目の通院)

【子宮卵管造影検査】

子宮卵管造影検査は精子卵子の通り道として卵管が閉塞、狭窄(つまってしまたり狭くなったり)していないか、子宮の内腔の形に異常がないかを調べる検査。X線造影剤を用いて検査するため月経周期の7-9日目に行う。検査後、レントゲン撮影した画像を見ながら結果を説明する。造影検査の翌日も後撮影を行う。

 

(4度目の通院)

子宮卵管造影検査の翌日の後撮影

 

以上。

 

検査の負担としては、基本的には血液検査や子宮の粘液を取る検査であまり負担はかからなかったのだが、一つ負担だったのは「子宮卵管造影検査」。造影剤を子宮に注入してレントゲンを撮る、というもので、感じたことの無い違和感とお腹の奥の方の痛みに奇妙な声を上げてしまった。

 

 

ここまでの検査の結果、ほぼどれも問題なかったのだが、1点要注意との話があったのは、「AMH値」。

これは「卵巣予備能」、つまり、「排卵を待っている状態の卵子」がどれくらい残っているか、を推測する値。そしてこの値は加齢により低下していく。

でも私はこれが1.07と低く、クリニックで渡された「年齢別平均AMH」のグラフで見ると、43〜44歳の平均値と同じくらいだった(!!)

「1年くらいタイミング法をやって様子をみて、だめだったら次にステップアップしましょう」というグループと、「1年の間に妊娠出来るよう積極的な治療をしていきましょう」というグループがあるとすれば、後者です。と言われる。

受け止め方が難しいが、やはりショックではあった。

色々とこのAMHについて調べたところ、確かに残りの卵子の多さを示しているのではあるが、この値を「妊娠のしやすさ、しにくさ」と直で結びつけることには、疑問もあるようだった。

要は、値が低いからといって妊娠しづらい、ということかというとそうとも言い切れず、値が高いから妊娠しやすい、とも言えないということのようだった。

(ではどう考えればいいのーー??)

 

・・・ということで、私はあくまで参考値として「私にはあまり時間が残されているわけではないんだな。ちょい急ぎ気味でがんばろー!」という感じで考えることとした。

 

このレディースクリニックに検査のため通うこと5回目。

今度は生理周期に合わせて行う検査の予定があり、次の生理のタイミングで次回検査予約を取っていたのだが、その前の10月10日になんと自然妊娠が判明。10月13日、クリニックで妊娠の確定診断となった。

 

 

一方、折しもこの確定診断が出た日は、会社でも大変なことがあり、大揺れに揺れたXデーだった。

(グローバルの会社全体での大きなリストラがあり、日本も少なくはない人数の社員に、直接リストラ通告が出された。私自身には何か起こったわけではないが、ショッキングな出来事ではあった。)

 

この記念すべき1日は、会社では多くの人が首を切られ、プライベートでは新しい命を授かる、という相反する出来事が起きた日、だった。