on the brain

おお。2年以上見ていなかったのね。笑

 

なんだか

ふと思い出したハテナblog。

無性に書きなぐりたくなったので

完全なる自己満でお送りいたします。

 

最近、脳内が整理されない状態が慢性的になっている。。

ほんとに脳を洗いたいと思う。笑

記憶がもたないし、言いたいことがまとまらない

そんな状態がすっごくストレスフル!!

ストレスフルすぎて、ボクシングジムに通い始めました。笑

急に(笑)

 

社畜化がとまりません。

だれか止めてください。

 

何か2年前まで

堅苦しいことを書いていたんだなと感じる。笑

何があったんだ2年ちょっとで…

 

"心が腐っていく"ような感覚がここ2年ほど止まらない。

意地悪な上司とその配下達に出会ってから

腐敗していく感覚が絶えない状態。

 

わたしは人生で初めて

こんなに意地悪な人に出会いました。

衝撃です。もはやカルチャーショック(笑)

でも一部の人間だけなんだけどね。

いい人もたくさんたくさんいるんですよ。

 

なのに、たった一部だけでも、

なかなか心が折れまくります。

 

理不尽というものは容赦がない。

そんな時こそ堂々と対峙していこうと思っていますが、こうも続くとさすがに傷の修復が間に合わなくなってくるーー!

 

それでも明日はくるので

また新しい気持ちで(笑)

闘います。笑

 

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久しぶりに

川の音を聴いたんですよ。

山を観たんですよ。

この感覚、使ってなかった、、!!

と思った今日この頃でした。。。

 

次は何年後に書くでしょうね。笑

ヤンキーと呼ばれた者たちはどこへ?

どこへ行ったのでしょうね。

最近は街を歩く学生のなかにも、仕事で学校へ行っても

ほとんど見かけることはなくなりました。

わたしが出会っていないだけなのか?

 

時代が違うので、ヤンキーと呼ばれたエネルギッシュな生徒たちも

その風貌など、形を変えているとは思いますが、本当に少なくなった気がします。

 

いいとか悪とかではなく、時代の流れを感じるな〜としみじみ。

 

ここ15年で学校の教育や学校の環境がガラリと変わりました。

これは教師の方々も口を揃えておっしゃいます。

 

15年前は

わたしの通う学校は1000人というマンモス校

同級生は300人越え。

まだまだヤンキーの流れが残っていましたが、きっともう風潮の終盤だった気がします。

男子は金髪オールバックにしたり、ハリネズミみたいに髪をたててたり。

短ラン、ボンタン、裏ボタンなどなど。

ドカン?と呼ばれるズボンもあったけどあれはボンタンとなにが違ったの?笑

 

女子は爆発的に流行りだしたプリクラにやたらとひわいな言葉を書いていた気がします、、

 

学生カバンの代わりに流行ったのがショップバック。

スポーツショップのが多かったような気がする。

 

学校環境はというと、窓ガラスはツギハギだらけでキレイなガラスが少なかったような。

盗難もすごく多くて先生たちは大変だっただろうなぁ

また、先生が集団リンチされて休職したり。

そうじゃなくても、生徒たちのパワーにしんどくなったのか

学期ごとに専科の先生が替わったこともよくありました。

 

そんな学校だったので、生徒指導の先生や怖い先生たちは竹刀を持っていたり

教室のなかで生徒に制裁を加えることも。

今はすごく問題になるんでしょうが、その時代はそれが結構当たり前だと思っていました。

体罰は絶対にいけないけれど、世界の仕組みを考えると

現在へ至るに、避けては通れないプロセスだったと思えたりします。

 

そんな学校ではありましたが

わたしはすごく楽しくて、学校が大好きでした。変わってるかもしれませんが。

でも、授業中は1から4時間目までぶっ通しでひたすら寝ておりました。。笑

休憩時間と給食と放課後は元気いっぱいだったなぁ、、

 

まとめ

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夜中に放送されていた、クローズexprode(だったかな?)を観てふと思ったことでした(笑)

 

ケンカは補導の対象となりますし、してはいけないことだというのも理解できます。

でも、あの時期の言葉にならない、言葉にできないエネルギーの高さをもって

拳で語り合うことが少年少女たちの成長に影響する可能性も否めない気がします。

痛みを知って人の痛みが分かったり、面白いことに、ケンカをした相手とは何だか

そのあと仲良くなったり。不思議な時期ですね〜

 

決して暴力を肯定するわけではありません。

暴力はダメ、ゼッタイ。←

思春期のケンカは考えさせられることがあるなーとTV画面を見ながら思いました。

 

 

 

シンプルに田舎の“春”が美しいということ

田舎の“春”は美しい。

日本にいれば年に一度は春が訪れるし

街中にいても春の美しさは十分に感じますが

やっぱり田舎の春は美しい

と思える田舎暮らしでございます。

 

春をかんじるとき・・・

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桜の花を見たり 菜の花を見たり

色付くものを目に捉えるのはもちろんのことですが

それよりも 草木に緑が舞い戻るかのように

木々が芽吹き

ところどころ 色付くさまは

 

まさに「春がきた」と感じずにはいられません。

 

山々が 遠くで 緑付くようす

空の鮮やかな水色と 山を染めていく緑色が

決して交わることはないけれど

お互いを尊重しあっているかのように

そこに見えること

 

桜も梅も見ごろで とってもキレイですが

緑付く木々に 心救われた今日このごろでした。

 

「緑」が意味するもの

時折 わたしたちは「色」というものに意味づけをしたりします。

一般的なところでいうと・・・赤は情熱だったり 黒は染まらないことだったり。

正しいかは分からないですが

裁判官の着ている服が黒なのは 意見に左右されないということや

判決に揺るぎがないことを表していると聞いたことがあります。

 

また 世界的なところでいうと

「国旗」というのは

色に大きく意味付けをして 掲げているものですよね。

 

このように「色」にはさまざまな意味合いが込められていて

非言語的なメッセージが含まれていることがしばしばあります。

 

そのなかでも「緑」という色は

“はじまりの色”と意味付けることができます。

わたしは個人的にこのラベリングがしっくりくるのです。

冒頭で 「春の訪れを 緑により感じる」

ことを並べていたように

「春」「 新年度」「 始まり」 「草木の緑」

という連想が織りなされます。

 

これは聞いた話ですが「藍染め」をするとき、

藍色になる初めの色が「緑」なんだそうです。

緑色を経て藍色になる

まさに「緑」は始まりの色なんだ

と思えたお話でありました。

 

むすびに

最近は仕事に忙さつされそうで

今日はやっと年度末の仕事を終えることができました。

息つく暇もなく明後日から新年度を迎えますが

春を心に感じながら 心持ちだけでもフレッシュさを取り入れようと思います。

 

春は芽吹きの季節であり、動物たちが活発に動き始めます。

それは人間も例外ではありません。

この時期は、変質者が多発しますので気をつけましょう!

 なんかまた話が一瞬で逸れましたが(笑)

こんなところでおしまいとします。

 

はてなブログまったく使いこなせないー

ぼちぼち攻略できますように。

子どもたちへ向けた、「性」のおはなしを終えて思うこと

子どもたちへ「性」についてのおはなしをしてきました。

対象は3歳から18歳、年齢別グループでタイムテーブルを組みます。

まだまだ上手く伝えきれず、、自分のなかでは不完全燃焼のような気がして。

今後のためにも振り返っておきます。

 

一概に「性」といっても性的なことではなく、「性」教育は「生」教育だ。

という師匠から仰せつかった信念のもと、おはなしをしています。

 

わたしたちは生まれながらにして男性か女性か、という「性」をもって人「生」を歩みます。

そしてその事実はほとんどの場合、生涯変わることはありません。

 

 

「性」というテーマはとってもデリケートで、容易に語ることが難しく、数えきれないほど多くの意見や視点があります。

ですが、人が生きていくうえでは切り離せない課題のひとつであり、

人生を考えるうえで、とてつもなく重要なことなのです。

 

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 3歳で出会う「性」の視点   

性教育は生まれたときから始まります。

よく、「こんな小さいのに分かるんですか?」というお声をいただきますが

小さいからこそ、伝えていく意味があるのです。

(もちろん、大きくても伝える意味は十分にあります)

 

とは言いつつ、、、わたしがおはなしとして伝え始めるのは3歳から。

3歳で出会う「性」は、自分の身体を知るということと、身体をキレイに保つ方法を知るということ。

 

自分の身体を知るとは、身体の使い方や構造、その機能のことです。

口はどこについていて、息をはいたりくしゃみが出たり、からいとかあまいとか感じたり。

といったことを、遊びながら伝えます。

感覚をつなげていくこと。今後、身体と心は繋がっているということを知るというためにも、大切なベースとなるのです。

 

まとめ

結果、3歳のことしか書いていませんが、、、(笑)

 

細かくいうと、これは幼児期の前半に伝えていくことです。

年齢に沿った正しい「性」の感覚や知識を育てていくことが重要ですね。

思春期になると、性的なものへ興味がわきますが、それはとても自然なこと。

周りの大人が正しい言葉をもって、伝えれるよう、理解を深めたいところです。

 

 

 

ということで、、、、あぁ、考えを書くのって難しいなぁー。

語彙力を高めるよう精進いたします⁂

【お花見】花よりテキーラ🍹女子

 

今週のお題「お花見」🌸

初投稿にお題を使ってみるというチャレンジ!

こんな大っぴらなブログは初めて使うので緊張しますね。

タイトルで女子と言ってしまいましたが…ギリギリ、、、

というかギリギリアウトかも。ご容赦願います。。

 

花見といえば・・・

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京都に住んでいた頃を思い出す。

イベサーに入っていたので、毎年浴びるようにテキーラを飲んだ…

大学は田舎にあるクレイジーな人たちの集まりで最高に楽しかった。

田舎と言えど、桜は素晴らしくキレイだったと思うけど、、記憶がないもんで

花見より、食べて、飲んで、食べて、飲んで、飲んで、飲んで、飲んで…

リリース!!...リリースの嵐。

回生を重ねていくほどに、リリースする側から–––––リリースを見守る側へ

––––––これが大人になる、ということだと悟った

そんなお花見の記憶…

(笑)

 

|桜

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人の記憶にはたくさんの感覚が含まれている。

桜は🌸、純粋にきれいで、はじまりの香り。

わたしは、さくらの香りを嗅ぐと、ちょっとワクワクと、

ちょっと寂しい気持ちになります。

あわせて、なぜかちょっとだけ胸がキュウっとなります。

30年近く経ったいま、その感覚は以前より薄れてはきているけれど、

それでも、未だにワクワクドキドキキュウキュウなるのは、すごくおもしろい感覚。

そして、それとともに蘇る記憶は、小学校の入学式。

真新しいピンクの、お花がついたジャケットを羽織って、楽しみにしていたランドセルを背負う、あのワクワクとドキドキ。

きっと桜は散っていたとは思うんですが(笑)

なぜか記憶の中では、素敵なイメージに変換されているようです。

 

テキーラの話から一変(笑)なんだか純粋なお話になりました。w

 

|記憶とは

記憶は脳に保存されます。人間の脳は本当に優秀で、かつ未だに解明されていないことがほとんど。

そして記憶には、映像だけではなく、感覚や感情など数えきれないほど多くの情報が含まれている。

でも記憶は不確かで、時に都合のいいように変換されていることがしばしば。

わたしの、桜が散っているはずの入学式––桜のかおり、という記憶のように!

ときに記憶は自分を苦しめるけど、ときにその記憶が支えとなることもある。

一長一短、捉え方一つでなにかが変わるかもしれない、ということですね。

 

|むすび

冒頭でテキーラの話をしていたはずですが…何故か脳の話になりました…。(笑)

奇妙な展開だ。ま、いっか(笑)

初投稿ってこんなんでいいのか?

まだまだ分かってませんが書きたいことつらつらと書いていきたいと思います。

 

明日までの仕事が微塵も終わっていないのに、急にブログを書き始めてしまった。

なんという逃避!恐ろしい限りで。

さ、切り替えよう。

近畿地方で、桜は来週あたり見頃だね。テキーラ担いでお花見にいきましょう!🍾