右利きになりたい
わたしは左利きだ。
生きてきて、世の中の左利きへの扱いみたいなものに、なんでだろ〜〜と、思うことがたくさんあったけど、私はその辺の人とは違うんだぜ!みたいな謎の嬉しさみたいなものもあって、自分が左利きであること自体はそんなに嫌じゃなかった。
最近だと、改札が右側にあるの嫌ですよね、と同族(と、ここでは左利きの仲間たちのことを呼ばせてもらおう)に言われたけど、他にも最近思ってる左利き不便シリーズを挙げると、
・一般的な財布は右利き用の向きになってる
・キッチングッズの注ぎ口とか、便利系ピーラーの向きとかは右利きを想定されている
・とにかくボールペンのインクがまだ残ってるのに出なくなる率が高い。文字を書くときのペンの向きと書く方向によるものなのか、右で書いたら出ることが多い
・文字書く時に手が擦れて滲む、手が汚れる、多分文字書くときのノートの段差が右利きの人より気になる。
そもそもペンの正しい持ち方ってあれ右利き用なのでは?と思う 文字がとにかく書きにくい〜〜
今の仕事では、医師の介助につくことが多くて、先生が右でセッシ持って右で受け取るから、私も右でセッシ持って右で渡してる。本当は左の方がやり易いけど右でやったほうが総じて早い…右の器用さがないのでたまに綿球を落としてしまう…😢
便利なこともあって、特に仕事で活躍してるやつだと、パソコン見ながら文字書きたいとき、マウス操作しながら左で書くとかできる。けど本当はマウスも左にあったらもっと楽にPC操作できるのかな?とか思ってみたりする。
目立つものって別に無くて、左利きで暮らして行けないことは全然ない。でも、幼少期から当たり前に左でやってきたことが、実は右だったらもっとスムーズにストレスなくできてること、めちゃくちゃたくさんあるんじゃないかなって最近思いながら生活してる。
こういうのが、知らないうちにストレスになっちゃってる場合が多々あって、「別に暮らしていける、役立つ場面もある」みたいなちょっと諦めモードみたいなスタンスに、自分でムカついている。
左利き向けの商品も、左右関係なく使える商品ももちろんたくさんある。けどもう、あ、これ左利きだと無理なやつだ…といちいち虚しくなるのが最近とてもつらい。
右利きでも不便なこともたくさんあるかもしれなくて、そもそもこの世の中が生きづらいだけなのかもしれないし、「左利きだから」不便なわけじゃないのかもしれないけど、それを実証するためにも、わたしは、右利きでも、文字が書けるようになる大作戦を決行します!
わたしの記憶
ずっと大事にしていた宝物がある日突然なくなってしまった(けれど別に宝物として存在していただけで、ただずっと引き出しの奥の方にしまってあっただけ(ただそれだけで私の根幹を支えてくれていたことに違いはないのですが)みたいな日のことをまだ若干引きずっているような気がする 無くなったと気づいた日にはもう完全に無くなっちゃってて、ずっとみてなかったから、本当はいつからそこにいなかったのかなんてわかんなくて、本当はもうずっと、いなかったのかもしれなかった
「音楽を聴いてる時に、この歌詞本当にいいなって思ったり、このメロディー絶対いつでも覚えておいて困った時にすぐ思い出して奮い立たせちゃお、とか、本を読んで、ぐっとくる言葉が出てくると、その辺のメモ帳とかTwitterの下書きに書き込んでおいたりなんかして、あとでグッときた言葉集作っちゃお なんて考えて過ごしてたら、あっという間に月日が過ぎちゃったりなんかしてて、この前ライブ行った時にも、同じようなこと思ったのに、いざというときにはあんまり覚えてなかったり、そんなこと思い出す余裕なんてないんだけど」
常に持ち歩いていたり、常にそのことを覚えていたり、特別に好きだったりしないことだって、
実は私の真ん中の方の気持ちを支えてくれていて、その力に、いつも気が付かないうちに勇気をもらっているんだろうと思う
できたら、記憶の全部をいつでも取り出せるように綺麗に引き出しにしまっておけたら良いんだけれど、そうじゃなくてもちゃんと私の中に残っていると信じたい
いつまでも焦ってるんだよって気持ちを人に話してみたら、生きてるだけで十分だよって答えてくれて、ありがとうって思ったし、本当にそうだし、自分の生活だけで精一杯なんだよって思ったけど、頑張ることをやめてみるみたいな方向ではなくて、私はまだがんばったその先に何かを得たいんだよなって思ってる 胸がぎゅっとなる感覚が嫌いじゃない
きせつ
昨年、母の還暦のお祝いをしたとき、久しぶりに家族みんなが揃った。
その時に、亡くなった父方の祖父が、私の名前を輪と書いてりんという名にしようとしていたことを知った。私の知らないわたしが誕生したし、輪って漢字も素敵だと気に入った。
そもそも私の名前は、母が付けてくれたものだ。小雪がちらつく日だったらしい。
昔は、ひらがなの名前で漢字がないことを不思議に思っていて、友達の名前の由来とか聞いてると、漢字に意味があったりして、いいなーって思ってた。自分で漢字を考えてみたりもしていたけど、今となっては我ながらひらがなの名前をとても気に入っている。ひらがなは何にでも自由に変身することができる気がする。
私がもし秋に生まれていたら、秋子(あきこ)になるかもしれなかったとも聞いたことがある。
それからわたしは秋になると、知らないはずの秋子さんのことを思い出してしまう。私は秋が大好きで、暑い夏が終わる頃が、一年で一番に季節の移ろいを感じられるような気がして楽しい。冬に向かっていく感じが、切なくて好きだ。切なくなる理由はわからないけれど。
結局私は、冬に生まれて、だけど冬子にはならなくて、ゆきが降っていたからゆきのになった。おかげで、冬が好きなだけではなくて、雪が降るとうれしいというおまけ付きのプレゼント貰ったような気がしてる。
春が来るの待ち遠しいから、冬が好きだし、待ち焦がれてた春が来たらうれしくて好きで、夏は暑くて嫌だけどアイスがおいしいから好きで(むりやり)、秋が過ぎたら冬が来るのが好きだから秋が好き。
ことしも一年、がんばるぞー!
大人
3月、仕事がとても忙しかった。
前職は、トイレに行く時間も、水を飲む時間も勿体ないくらい、一分一秒が惜しい程に忙しかった。そして、仕事終わりはいつもとにかくお腹が空いていた。
3月の帰り道、私は空腹に耐えきれず、駅のホームの自販機で粒入りのおしるこ缶を買った。けど、粒が全然出て来なくてイライラしてコーンポタージュ缶も飲んだ。やっぱり出てこなかった。だけどなんか、嬉しくなった。わたしは、甘いとしょっぱいを繰り返す贅沢さを知っている。しかも、粒入り缶の2本買い、大人になったなあと思った。
冷凍スポーツドリンク
わたしは基本のんびりしているが、結構せっかちオガワの面の方がでかい
先日、久しぶりに『冷凍スポーツドリンク』を持っている人と会ってテンションが上がった。そうそう体育祭とか、部活の練習のときにおかーちゃんが持たせてくれたあれのことです。たまにレモンのスポドリが入ってた日はちょっとテンション上がった記憶がある 中が銀色になってるペットボトルホルダーとかも懐かしいよ〜
あの冷凍ドリンク、お茶はいいんだけど、思ったよりも溶けないしある程度とけてから飲まないと最初の方濃〜〜〜くて、最後の方うっす〜〜くておいしくないのに、まあ待てなくて溶けるたびに飲んでしまう しかもキンキンに冷えてるから、幾度となくお腹を壊してきた。最後の方、ペットボトル叩きつけてシャカシャカの氷にして口の中負傷するくらい必死に飲もうとするときもあった しまいには最後までおっきい氷のまま溶けずに帰路に着くこともあった 一方で、いつのまにか全溶けしていてもはや何がなんだかわからない、生理食塩水のほうがまだおいしいんじゃないかと思うほどうっっすいあじの謎水になって私たちの喉を潤して(潤してくれているのかもわからないほどおいしくない)くれるときもあった
わたしは本当は楽しみを最後に残しておきたいタイプなのにせっかちなので、いい具合に溶けるまで待てない自分がイヤだ。けれど振り返ってみると、あの冷凍スポーツドリンク飲む時の、まだ溶けてないタイミングで飲む時の、最初の一口のあのあま〜い味は、紛れもなく幸せを感じる瞬間であった。初めにあのうれしい甘さを味わっていると、残りが確実に薄くなってしまうことに悲しくなるけれど、それもそれで愛おしい時間だ。せっかちな行動の結末にがっかりするばかりではない。
凍っていないただのスポーツドリンクがずっと一定の味であることも当たり前だけどすごいなって思う
安定した暮らしと、自分の本当にやりたいことと、熱量と、我慢強さと、がんばりと、がんばっていないことと、こなせてはいるけれどちゃんと向き合えていないことと、たくさん考えることはあるけれど、どんな選択をしても間違っていることなんかないし間違いじゃないと思えるくらいにはやっていきたいな。続けることの素晴らしさも臆病さも、挑戦することのすごさも、不安になるみじめさも、残されてしまったさみしさも、諦めることの強さも、全部、守れたらいいと思う。
と、冷凍スポーツドリンクを久しぶりにみただけなのにわ〜ってなってたまらなくなった。
コンビニに売ってるからみかけたらぜひ買ってみてね、熱中症にはならないぞー!
オワリ
キラキラを纏う
キラキラしているものにいつまでもあこがれがある 私の好きなキラキラは、ピカピカしてて、カラフルなやつ
先日、人生で初めて爪を塗ってもらったときのお写真を、うれしくて載せちゃう💐
ずっとあこがれていたあいさつ…
欲張って左右全然違う感じにしてもらい、なりたい自分を詰めてもらった 黒地にキラキラもかわいいし、緑にお花もかわいい… カラフルもキラキラもずっとときめいていたいな…
憧れを憧れのままとっておくことも素敵だと思う瞬間が増えたけど、やりたいことはなるべくやりたい 「あこがれ」とか「かわいい」とか「なりたい自分」とかまだずっと言ってて、未だにキラキラしているものに永遠に憧れつづけていること、もしかしてもうダサい??と思うときもあるけど、堂々とアピールしていきたい うれしいから!
ついつい足元をみてしまいがちな毎日でも、がんばろ〜ってなるね!がんばろ〜〜
マルハニチロのチーズハムカツ
サクサクした食感って、うれしい
https://www.maruha-nichiro.co.jp/products/product?j=4571268298714
マルハニチロのチーズハムカツって食べたことあるだろうか 弁当によく入っていた
昔、姉が自分のために簡単なごはんをつくっているのを見るのが好きだった じゃがりこをお湯でぐちゃぐちゃにしてマヨネーズ混ぜて食べたり、2日目のひじきの煮物をご飯に混ぜておにぎりにしたり、自分じゃ思い付かないような食べ方を目にする度に、わたしは姉のことを天才だ!と思っていた
そんな中でも、チーズハムカツを食パンに挟んだハムカツサンド!これがまじでうまい この前すごく久々にチーズハムカツを見かけて思い出した マヨや追いチーズをしたくなってもそんな気持ちは絶対に抑え込んで欲しい チンしたあとにトースターでサクサクにするのは欠かしちゃいけない ちなみにパンは薄切りの方が好みだ
そもそもこのチーズハムカツ、一個でちょうど食パン二つ折りにしたときにぴったりの大きさなので、多分これは開発部の人がそういうことを想定して作った、おすすめの食べ方なのかもしれない これぞ病みつき オガワのお墨付き
好きなごはんって、もちろんその味や見た目がすきなことはあるけれど、その食べ物にまつわる思い出も含めて好きなんだと思う 思い出の食べ物を食べている間だけはあの頃に戻れてしまうような錯覚に陥る 実際、私の好きな食べ物にはそういう食べ物が多い 普段朝ごはんは食べないけれど、ハムカツサンドを食べるために、明日は早起きをしよう 朝ごはん何食べよ〜って思いながら寝る夜はうれしくて大体深く眠りすぎて朝起きれない たまには、そんな日があってもいい