【2024.03】『ロングレンジフィンファンネル運用論とガンダム実物大立像にみる、現代の大仏信仰について』
お台場初代ガンダム、ユニコーン、そして横浜ガンダムと見てきて、ようやく福岡にν(ニュー)ガンダムを見にこれた。
2007年の30周年お台場初代ガンダムの時は股くぐりが出来たが、2017年40周年お台場ユニコーンからは出来なくなり、当然というか横浜ガンダムも福岡νガンダムも無理だった。
しかし、20m超の存在感はやっぱり圧倒的で、ガンダムのことを知らない、通りがかりの一般客も立ち止まっては見上げていた。
それにつけても、この巨大サイズならではの“ただならぬ感”こそ、各地にある大仏が人を惹きつけ、観光地化する根本的な理由と通底しているだろう。
信仰心などなくても、人は大仏などの巨大建造物に畏怖の念を感じ、不思議とつい見に行ってしまうのである。
大仏ではないが、尾道で実物大の戦艦大和が公開されていた時は、短期間で百万人以上の老若男女の見学客が押し寄せたが、行ってみると驚くことに、むしろ女性の方が多かった印象がある。これはマーケティング論としても面白いテーマであるだろう。
それにしても、大仏そのものが美意識と直結していた千年前は、現代人が大仏を見るのとはまた違った感慨もあったかもしれない。
当時最先端のデザインとして、千年以上前の日本人に新鮮だった、仏像をはじめとする仏教への憧憬は、現代人が仏像を見る目線とはおそらく異なるだろう。
しかし、現代工学デザインの一つの最終到達点としてνガンダムを見る我々の目線、そしてそれが巨大化した実像を目の当たりにした、言葉にならないような畏怖感は、確かに重なるのではないかと感じるのである。
要するに、現代人で大仏や仏像見てハアハアする人は限られるが、ガンダムのデザインに心踊らされてしてしまう人は、世界各地にも自分を含めて一定数いると思われる。
時代時代の武器や兵器のデザインは、その時代を代表する機能美の極致でもあるからだ(ちなみに、ガンダムはアニメでありオモチャであるのは重々承知している)。
まあ、このあたりは心の平和や安寧を願って作られた仏像とは異なって、人を殺す道具を賛美するのはバチ当たりかもしれない。
しかし、たとえば古備前の日本刀は、千年経った今でもその美しさと、再現不可能なロストテクノロジーで、人を惹きつけてやまない。
現代の文明が衰退した遠い未来に、発掘されたガンダム実物大立像が、まるで巨大恐竜の化石のように、未来人の好奇心をくすぐるのを想像するのは、少し愉快でもある。
そういえば、このガンダムパーク前で、ナチスSS帽みたいなサイクロプス隊?の帽子を被り、ジオン軍のパーカーを着た、40代くらいの南米系っぽい顔つきの外国人がいたが、話しかけて友だちになっておけば良かった。
自分も、物語としての完成度と、誰でもみれるという間口の広さでは、「0080(ダブルオーエイティ)」が一番と思うからである。
まあそれはさておき、最後にロングレンジフィンファンネルについての「勝手に考察論」を一つ。
⚫️ ロングレンジフィンファンネル運用論を勝手に考察
実は、最初にロングレンジフィンファンネルを装備したνガンダムffをネットで見た時は、あまり好きにはなれなかった。
今まではガンダム実物大立像ができると、割とすぐ見に行っていたものの、それもあって福岡までνガンダムを見にくるのが年単位で遅くなってしまった。
というのも、劇場版の左肩だけにアシンメトリー(非対称)に装備したフィンファンネルと黒のカラーリングの組み合わせが、足し引きしようのない、シンプルにして最上であると思うからだ。青のカラーリングも違和感が半端なかった。
実物を見てみて、ようやくカラーリングはしっくりしたものの、機能的にも「つっかい棒」に見えてしまうロングレンジフィンファンネルは、ディテールはともかく、オリジナルのフィンファンネルの方がはるかにカッコイイ。
とはいえ、現実的に台風対策とかを考えると、マント型の劇場版フィンファンネルはリスクが大きかったのだろう。
しかし仮に、こと実戦での運用に限っては、このロングレンジフィンファンネルという特殊な兵装こそ、アムロが本来必要としていた装備であり、アムロならその性能すべてを引き出していたのではないだろうか。
というのも、アムロがギュネイのギラドーガを撃墜したトリックショットが、ハイパーバズーカを利用して気を逸らした、アムロらしい一撃が大きなキッカケだったことにある。
相手が一瞬気を取られさえすれば、本命の攻撃が生きるからである。
この時、アムロはオトリでハイパーバズーカと損傷した楯をパージしているが、“そういう使い方”を予め想定していたことにまず驚かされる。
となると、まるで遠隔操作できるスナイパーライフルのようなロングレンジフィンファンネルは、アムロにとって願ったり叶ったりの武装だったのではないだろうか。
それに、ゴテゴテするのを嫌ったアムロは、戦闘前の早い段階でロングレンジフィンファンネルを射出して使用していただろう。
フィンファンネルよりも、はるかに大きいジェネレーターを内蔵しているので、無人の遠隔モビルスーツのようなものでもあり、推進剤も多く稼働時間は長い。
つまり、アムロは自身の分身であり、スナイパーでもある移動砲台を手に入れたようなものなのだ。
しかもそれは、相手に認識されない距離でも自在に使用できる点で、最上の切り札(ジョーカー)となる。
となると、アムロなら戦闘前から探知されない最適位置に置いていたはずで、どんな装備より心強かったに違いない。
なんなら、自分が直接戦わなくても、アムロならロングレンジフィンファンネルを単独先行させて、敵の痛いところを狙撃だって出来た。シャアだってサザビーに搭乗する前を狙われたら、イチコロだったろう。
もちろん、それでは物語としてはちっとも盛り上がらないが。
⚫️ 改めてのアムロの恐ろしさ
話は少し戻るが、ニュータイプ同士の戦いは消耗戦になりがちなのを理解して、アムロはハイパーバズーカを遠隔操作できるようにしたはず。
そして実際、バズーカの分離が、予想外の行動だったことに目線を奪われてしまい、ギュネイは一瞬の時間差で放たれたビームライフルの一撃をよけられず、即死している。
まるで達人どうしの剣戟が、素人では理解の及ばない、一瞬で決まるのと似ている。
アムロの恐ろしさは、達人相手にも、“初見殺し”と“ハメ殺し”のダブルコンボを成立させてしまえる、本能としか言いようのない戦闘センスにある。
正規兵でも習わない、よしんば習っても身につけれないレベルの極めて高度な戦闘センスを、自然と身につけている上、それを自身のニュータイプ能力と、これ以上ない相乗効果で使用できるのである。
そして、その気になれば、いつでもそんな鬼畜レベルの戦闘マシーンになれるという恐怖。
「背中にも目をつける」という次元の戦闘を、当然のこととして実行できるのはアムロだけだろう。
ニュータイプ能力では最高と富野監督に言われたカミーユでさえ、そんな戦闘は一度も披露してはいない。むしろ、いつの間にか背後に取り付かれるばっかりだった。
「νガンダムは伊達じゃない」とアムロは言っているが、『連邦の白い悪魔』というアムロ自身の通り名こそ、ダテでも何でもなく、目撃した生き残れた幸運な敵パイロットの本音を、最も過不足なく表現している。
あ、そういえば、νガンダムのロングレンジフィンファンネルと対になる装備で、サザビーの両肩に、メガビームランチャーとしても手持ちサーベルとしても使える兵装が追加されていた。
サザビーの赤色もあって、目を細めればほぼ茹でガニというか、まるでスポンジボブに出てくるカニ店長だったものの、それぞれの追加兵装のサーベルを伸ばして対峙するνガンダムとサザビーはカッコよかった。
アムロが近接戦闘になるまで、そんな重たい武器を装備したままかは疑問があるものの。
でもまあ、なんだかんだ言って、こうやってそれぞれ好き勝手妄想してしまえるのが、ガンダムというコンテンツの面白さであるし、奥深さだろう。2027年のガンダム放映50周年には、どんなことで驚かされるのか、今から楽しみでもある。
それでは最後の最後に写真を一通り。
人間サイズのνガンダムとサザビーのライフルが売り出されたら絶対買うのにな〜。電動ガンを仕込んでサバゲーで使いたい。。
個人的に一番ツボだった、まるでモヒカンなズゴック