日本に帰ってきた直後に応募したポジションに内定をもらってしまって、8月から就職します。つくばの某独立行政法人の某研究所に所属することになりました。京都滞在4カ月でした。引っ越しは何度経験しても要領よくやることができません。

先週は死ぬんじゃないかと妄想するほど体調が良くなかったですが、今は完全復帰してやっと引っ越しが終わりました。。。未だに京都滞在中ですが、8月2日には既に辞令交付、いつものようにカオスですがなんとか乗りきります。

先日、北山に存在する某研究所のZ研の方々とのみに行った。欧州某国から帰国中のU様と私の奇跡のポジションゲットをなんとなく祝ってもらった(このご時世女性であってよかったと思う反面、今後があに恐ろしい限りである)。久しぶりに会う人たちは全くお変わりなく、先生も益々常人ではなくなっていた、という所に懐かしさを感じた。そして、財布の紐が硬いと有名な彼も今回は我々に奢ってくれるという行動もみられ、これは彼の退職が近づいているからなのか、それとも京都祇園祭の効果なのか、それとも一番就職に遠いと思われた私がポジションゲットという奇跡が起こったからなのかは定かではない。
古都を離れるのは非常に残念だけれども、これから新しい展開が起きるかもしれない可能性に少しずつではあるけれどもわくわくしてきたところ。住む地域が何ですが、面白い人と出会えるといいなーと思っているところ。

疲労がたまっています。なぜか、夏の初めなのにラストスパート、という気分になっています。帰国して3カ月しか経っていないのに。
あることが決まってしまってあと3週間くらいで古都とお別れ。
今日はガクシンの人に電話したら、ケンキュウインという身分はなくなるけれども研究費は引き続き使えるということを聞いた。慌てて、受け入れの先生と豪快にお金を使おうとしていたけれども教えてもらえてよかった。モノを買いすぎても異動するときに持っていくのが大変だ。もうすでに結構大変なことになっているのだけれども。

ここ1週間でいろんな人にメイルを書いた。お世話になった人ばかり。特に次の場所に移るための証明書やら何やらで過去のボスに書類を作ってもらったけど、愛情たっぷりな言葉がたくさん散りばめられていてこれを読むと、頑張らないとなーと思うのでした。私はこの人達に出会えて本当によかったと思うのでした。

先週に日本に戻り、生活の基盤を整えるのに、というか狂った生活時間を調整するのに苦しんでいました。


NZを去り、とーきょーで学会に出席して、いろんな人に会って、研究の話はほとんどしなかったけれども面白い話がいろいろと聞けて面白かった。
スイスでの会議に出席し懐かしい人たちに会って、ディスカッションペーパーのミーティングでは私の最近のネタ(論文化されてない)も盛り込まれるという話になったのでいそいでこのネタを論文化しないといけないけど、集中できてません。

しばらく、『イースターホリデー』ということでドイツに滞在して友人達にあって近況報告して、ベルリンに移った元ボスの研究室を訪問する。広々とした敷地でいろんなことが出来そうな施設ではあるが、場所が非常に陰気だった。旧DDR情緒たっぷりな場所であった。ちなみに技官さんとかは朝7時に出勤して3時ごろには早々に帰宅するというような場所であるらしい。


日本に戻ってから、未だ何事も進んでいないというのが事実である。ガクシンの受け入れの先生と、学会であった偉いポスドクの人と急遽ある学会のシンポジウムを企画して提案したがそれが採択されたというニュースがあったけれども、私は本当にそのネタで発表できるのかどうか心配になってきた。。。さらに7月にはひじょーきんこうしするとかしないとかいう話があったり、初めての経験で面白いのかもしれないけれども、これまで常に下っ端でやってきた私には誰かに何かを教えるなんてできるのか?
さらには、あまり面識のない研究機関の人からある要請があり、困惑していたり。いろいろと情報を仕入れ中であるけれども、段々とその研究機関の人たちがかなり偉いグループだということがわかり初めて私で本当に良いのだろうかという思いがしてくる。

何かと不安でいっぱいの帰国2週間目。日本でこんなに始めての仕事が突然降ってくるとは思っていないので困惑気味。

先週末はダニーデンに行きました。オタゴ半島は本当にすばらしい場所で、また時間を取って訪れたいなあと思っています。
ひとりでうろうろしていた時に、自動車のなかに鍵を閉じ込めたりしてしまって初めてAA(日本のJASみたいなものでしょうか)に電話してきてもらうという去り際1ヶ月ちょっとで初体験をしました。

主目的は、去年もきたH大のK先生たち御一行がやって来たので会いに行きました。3日一緒に過ごし、いろいろと遊んでもらい、丘を歩いたりアホウドリを見に行ったりしました。そしてついでにオタゴ大学の植物生態の研究室のグループのパーティにも連れて行ってもらえました。アラスカからサバティカルで来ていた、“えらいひと”S.C.3世さんも居て吃驚な展開でした。S.C.III世さんは最近は社会学や経済なども考慮にいれた研究を勧めているような論文を最近みたことがあったのだけど、やはり最近はそういう方向に向かっているようだった。自然科学的な研究の基礎がきちんとしている業績もちゃんとある人がこういう方向に進んでもあまり咎められないし、それなりの結果や考察がされているけれども、はじめから“学際や分野横断”な研究を志向すると大変なことになりそうだなーとふと考えてしまったのでした。
オタゴ大のえらい人にも会えて、70代後半なのに未だに高山植物をメインに研究を続けていらっしゃって、現役でフィールドにも出かけてている人が実は私の研究所の同じグループにいる研究者のPhDアドバイザーだったという事実が判明したりしました。NZもそうだけど、定年で退職してもきちんと大学に所属できて研究を続けることができるシステムが存在するのはすごいなあと考えました。優秀な研究者はおそらく90歳になっても優秀なのでそのようなシステムがあることは国にとっても有益なのではないかと考えています。(日本はどう頑張っても67歳くらいですかね?)

K先生たちと歩きにいった“丘”は天気が悪くてガスがかかっていてはっきりいって10m先は何も見えないという条件でした。が初めて純マヌカ林をみました。でもおそらく火山灰の土壌で成長が悪くひょろひょろしたマヌカが5mくらい成長していたり、非常に滑稽な景色が広がっていました。

週末は、“おばちゃん”たちと(私も含め)近くにあるメリノウールやメリノポッサムを原料に服を作っているメーカーの工業直営店に出かけた。結果は再び、おばちゃん熱におされていらない買い物をしたような気がしたが、おばちゃんたちのうち3人は3月にNZを去るので思い出つくりに日本人の絆が深まったという点で有意義だった。


年末年始は、北島にあるトンガリロ国立公園という場所に行っていました。主な目的はトンガリロ山の近くを歩くということで行ってまいりました。結果は非常に楽しいものでした。天気が悪くなるということであったので日程を変更して1日だけ山篭りするという日程でした。
本当は31日にのぼり初めて元旦の初日の出を山小屋でみたいなあとおもっていたのですが、行きの便の都合で実現はできませんでしたが、1日の夕方に山小屋からみた夕やけと月が本当に美しかったです。あ、2日目の夜明けも美しかったですが。

行きは、2日かけて電車で行きました。クライストチャーチウェリントンそしてウェリントンで一泊してウェリントン→国立公園という便でいきました。一日目の電車からはニュージー東海岸沿いを走る電車でアザラシがいる光景などを見つつの旅でした。そしてピクトン→ウェリントン間は船に乗り換え、南島と北島の海峡を遊覧するというもの。
ウェリントンでは、以前宿泊したことのあるMuseumホテルという場所に泊まって近くにあるシンガポール料理屋で食事をしました。

山歩きは、標高1900m近くまで歩くルートでした。火山の山でしかも乾燥している地域なので、途中地球上とは思えない光景に遭遇して、一緒にいった梟のおねえさんと共に“なんだか月面って感じだよねえ(行ったことない)”とか“アメリカ中西部って感じもするよね(これも行ったことない)”という感想をもつような光景がいくつかありました。
日本にも火山の山は沢山あるけれども、それとは異なる風景に遭遇することができて、新年早々非常な経験をしました。
クレーターの色が本当に美しい赤色だったり、エメラルドな色の火山湖は本当に印象的でした。

そして、極めつけは、帰りは飛行機代をケチってウェリントンまで5時間ほどかけてバス行きそしてそこから飛行機に乗りました。エアニュージーの国内線のセキュリティを説明するビデオは世界的にも有名な面白ビデオなので(まだ見たことない。裸のボディペインティングを施した客室乗務員がノリノリでセキュリティ設備の説明をしてくれるらしい)それを楽しみにしていたのですが、案内された飛行機がなんとプロペラ機でもちろんビデオなんて付いていなかった。ウェリントンクライストチャーチ間は日本でいう東京・大阪間に匹敵する重要路線ではなかったんだろうか、と思いつつ、しかも離陸の揺れに怯えつつ帰路に着いたのでした。
まあ、でも今年はなんだか初めから絶好調ですが、これから沈むことのないよう気を引き締めます。が、新年が夏ということでなんだか気持ちが引き締まらないというのが本当のところです。