この先、わたしの生きていける場所ってちゃんとあるんだろうか。
人見知りは慣れだというけれど、慣れるどころか失敗経験を重ねるたびに、舌も頭も錆びついていく。そしてまた外への壁は厚く厚くなっていく。

特に人に誇れる能力があるわけでなし、せめて人並みのコミュニケーション技術の習得と、パニックにならずに情報処理して行動にむすびつけることができるようにならないと、私ほんとにのたれ死んでしまうかもしれない。

絵ではお腹はふくれないのだ。
・・・それ以前に、肥大し続ける劣等感は確実に私の中の絵の意欲を奪い去りつつある。黒いぽっかりしたものが、頭を覆っている。数年前に描いたものが自分の手によるということが、とうてい信じられない。

それでもなんとか壁を壊さねばならないのだろうか。わたしの人生はそれほどの努力をしてまで継続すべきものだろうか(と、たいした努力もしてないくせにうそぶいてみる)。
好きなものはたくさんある。大事なものもほんの少しある。けども、別にそこにわたしがいなくてもいいのではないか。

わたしは、ふわふわ空中をただようひとつの大きな目玉になりたい。ただずっといろいろなものを見ているだけの、大きな大きな役立たずの目玉に。役立たずではあるけれど、少なくとも人に迷惑をかけないものに。

ひとつの線路がほしい

思わず顔をしかめてしまうくらいまぶしく
どこまでも遠く
沿線の駅はすべて無人駅で
でも常に こちらをみないお客たちであふれていて
彼らの声はすべて波とあぶくの音にしか聞こえず
私は一人で 長い車両の電車に乗っている

そういうひとつの線路がほしいな と ふとおもった

常に創作に頭を置いておくこと
目に映るものに敏感であること

・・・という生き方に痛いほど憧れているのに、
実際の自分の生き方と来たらどうしようもなく世俗的だし、ストイックでもなんでもないことにがっかりする。

年々、絵から遠ざかって行く自分をどうすることもできない。
そしてそれ以外のことで身を立てていく度胸もなければ、意欲もない。

頭の上のほうの屋根の一部がごっそり抜けおちて、そこからの雨水でどんどんどんどん、自分の中が腐って行くのをただじっと見ている。
修繕は、しない。