雨上がりの夜が好き

本の感想多めです

5/6(洋服・恋愛・ブログ)

・『悪は存在しない』2回目を観ました。土曜日に行って、全然わからんなあと思って水曜日にもう一度行きました。もう一回観たらわかった。これ以上は語りません。

・私は小説が好きで、友達もみんなそれなりに映画や小説や音楽が好きなのに、付き合った人はみんな軒並みそれらに、特に映画と小説にほとんど興味がない人ばかりなのはなぜなのか、ということをぼんやり考えていた。それはきっと、これらが好きな人には私の「底」が透けて見えるからなんだと思う。前にツイートしたことがあるけど、私は映画や小説が好きなんだけど、観る(読む)のがものすごく下手くそで、一回ではほとんど何も読み取れず、5回観て(読んで)やっと他人の1回目に追いつける程度なんです。これは訓練していないことと、芸術鑑賞に対する生まれつきの適性がほとんど無いことに起因するのだと思う。で、それを分かった上で私のことを好きでいてくれる人の存在なんて、私は信じられない。でもいてほしい。いてくれないと、私は一生、心のどこかは孤独なままで恋愛をしなければならないことになる。

 

・さて、こうして私はまた恋愛のことばかりブログに書くわけですが、それはなぜなら、ブログ用の人格において私が明かしてよいと思っているもので1番プライベートなことが恋愛だからなんだと思います。これ以外のことーどこの街に行ったとか、どんな研究をしたとか、どんな人が友達にいるとかーは、私は書けないし書きたくない。これがなぜかと言われれば、ネットリテラシーのこともあるだろうけど、それ以外にもあると思う。これもやっぱりさっきの問題と同じで、自分の「底」を見られたくないからなのかもしれない。

 

・久しぶりに友達と古着屋に行きました。新年度になり且つ恋人と別れてからさっぱり服に頓着がなくなり、あんなに嫌がってたパーカーやジーンズを平気で友達と会う時に着ていけるようになってたんだけど、服によって精神状態を引っ張り上げることが必要だと認識されてきた。明るい服を着ている方が気分が明るくなるというのは少し本当だと思うし、服に頓着しないのはあんまり良くなさそうだと思った。ので、これからは少し積極的に古着屋に行こうと思います。

 あと、久しぶりに会った友人に服のことで頼られて、なんか少し新鮮だった。自分もかつて大学に入りたての時に、個性的な服を着てた知り合ったばかりの友人を頼ったことがあったけど、あの時彼はこんな気持ちだったのかもしれないと思った。全く何も分かっていない自分と、自分より更に何も分かっていない友人が一緒になって云々唸り、自分が肯定した服をすぐに肯定される恐怖。でもなんだかんだきちんと似合うものを見つけてあげられてよかった。

 

・毎週ブログを書くようになって、ブログとの距離感に戸惑っている。前みたいに書きたいことがある時だけ書いていた際は、自分をどこまで出すかのコントロールはかなり容易で、内容も取捨選択ができた。それに長期更新してなかった時は、正直ブログのことなんて忘れていた。でも今は生活の些細な感情を「これは書いてもいいかもな」「これはショボい」とか判断しているし、それゆえに自分を出す許容ラインも緩くなっている気がする。例えば今週、エクセルシオールに行ったら何も言ってないのにプラストローが出てきたのと、ミルクレープがとても美味しかったのが嬉しかったのだけど、次の瞬間には「ブログに書こう」と脳内決定が下された。

 こんな調子で、生活に多少は張り合いが出ているのかもしれない。なにかの良さを掴もうとして行動することは確かに増えた。先週のゴーゴーカレーだって、ブログに書けるかもと思わなかったかと言えば嘘になる(でもゴーゴーカレーのロースカツは本当に美味しいです)。

 

・自分の孤独を他人で埋めようとしてもどうしようもない、みたいなことを友人にも言い、ブログにも確か書いたと思うが、そう書いた割には自分自身がまったく実践できていない。これが今の最大の課題。たぶん、まず研究をとことんやってみることから始まるだろう。
今週は以上!

4/28(映画・ゴーゴーカレー)

※日曜連載シリーズ3回目です

まず、メモ

ゴーゴーカレーのロースカツがめちゃくちゃ美味しい。感動して、1人で食ってたのに声出ちゃうくらいよかった。肉は薄めなんだけど衣も薄めでめちゃくちゃサクサクしている。ゴーゴーカレーってあんまり見かけないので入ったことがなかったんだけど今まであのロースカツカレーを食べてないのは損してたと思う。

 

・オモチャンが週5更新になったのとても嬉しい。娯楽の時間を全てオモチャンに費すようになりました。本当に素晴らしいです、感謝。

 

では、本文。

 

 濱口竜介監督の新作『悪は存在しない』を観ました。映画に対する苦手意識がある自分が、唯一全部観ようとしている監督が濱口竜介で、今回も公開後すぐに観に行きました。インタビューで監督が言っていたように今回の物語は、境界線の対岸に位置するとされるものは存外両立しているという話だったように思う。そのあり方は排他的ではなく、かといって共生とかでもなく、ただ混在しているという話。途中までは混在しているからこそ共生へ開かれているのだ、というメッセージにも見えた。だが最後の数分があまりに劇的だった。最後の数分は、こちら側とスクリーンの中の間で我々が勝手に共有していると思い込んでいた合理性が崩れ、映画の論理が突っ走っていくような印象を受けた。私が今までで一番分からなかった濱口映画は『不気味なものの肌に触れる』なんだけど、今回の作品もそれと同じか、それ以上に分からなかった。強いていうなら、今回の方が途中までで主題を捕まえられたと思っていた分困惑が大きかった(『不気味なもの』は初めから主題がぼんやりとしか分からず、最後でさらに困惑したので)。

 

 濱口映画について、濱口以外の映画をほぼ全く観ない私が語るのは非常に烏滸がましいのだけど、人と人との心の距離感というのは声のトーンや身体の位置取りに如実に現れるもので、逆に声のトーンや身体の位置取りを変えると心の距離感も変わってしまうということを非常に率直且つ素直に撮っていることが好きな理由だと思う。某商業映画の外側で起こった騒動はまさにそれを象徴していたし、『ハッピーアワー』『親密さ』ではこの部分をとても丁寧に扱っていた。また先ほど挙げた『不気味なものの肌に触れる』も、この過程で親密さが行き過ぎてしまうところを切り取ったものであると私は捉えている。

今週は以上!

4/21(友情と性愛)

※日曜連載シリーズ2週目です。書くことって溜めておくと結構あるもんですね。

まず、メモ。

・豆電球のうち、円柱形に近い形をしたものを「ナツメ球」と呼ぶらしい。ナツメというのは植物のナツメの実のこと。言われてみれば形が似てる。(堀江敏幸『未見坂』所収の「なつめ球」から。)
入道雲のこと「わたがし雲」って言うよね。入道雲は、雨をもたらす雲なので、見ると雨降ったらやだな、と思ってたけど、確かにわたがしに似てて美味しそう。

 

ここから本文です。

 最近、性愛と友情の違いについて考えている。まさにそれが理由で、先日恋人と別れたからなのだが、基本的に恋人になる人とは、性愛の前に友情を感じられた方がよいのだと思う。むしろ、友情を感じられれば、性愛の感情はそこまで必要ないかもしれない。これはなぜなら、「惚れ」という感情が友情に比べて一過性で且つ繊細であるためである。ならば、恋人であっても友情ベースで、それに加えてセクシュアリティの対象としても良いな、と思う人と付き合った方が長く、うまく続くのではないか。
 むしろ、友情ベースではなく「惚れ」ベースでしか関係性を築けない場合、「惚れ」の気持ちが消えた後はサービス精神(規範と言ってもいい)で恋人関係をやっていかなければならなくなる。だが、サービス精神はいつまでも続かないし、例え相手の人格が悪いわけではないにしても、友達として良いと思わない人に笑顔を向けたり気にかけたりし続けるのは、自分の心が削れていく。

 当然ながら、そんな関係は長く保たない。これが長く保たないから、今まで自分は年単位で恋人と続いたことがないのだろう。はじめから、まず友人としても良いなと思う人間を選んだ方がよいのだ。次の相手とは上手くいくといいなと思う。本日は以上!

www.shinchosha.co.jp

4/14(新たな生活/響け!)

 ※宣言した通り、毎週の日曜にブログを書く試みをしてみます。理由は記事の更新が遅過ぎるのを改善したいのと、もう少し素直に書いてみようと思ったからです。

 

 そうは言っても書くことがない。先週から講義が開始され、就活が一旦落ち着いてきている。連日あった就活セミナーが週1−2になり、その代わりに講義の予習などが割り込んできた...のだが、採ったのはほぼ全てB4の時潜っていたもので、メンツも先生も変わり映えしない。ずっと一緒に勉強してきた後輩と変わらず顔を合わせ、その他のメンバーも概ね知り合い。その後輩とは先週から勉強会を開始したが、もはや何冊目かわからないくらい彼とは勉強会をしている。

 ただ、去年のスケジュールにプラスで就活となるとかなり重い。演習の予習と筆記試験の対策を両立しなければならない。その上自分の研究まで。自分の時間を大切にしたいが、どこまでできるかはわからない。しかし、働いて家事もしている同年代はもっと大変なわけで、私だけが弱音を吐くわけにもサボるわけにもいかない。最近分かったが、寂しさの原因の多くは自分が頑張っていないということにあり、自分が頑張ればだいぶ寂しさは軽減される。そう思って夏インターンへの応募と、研究発表日程の決定を行いました。6月がかなりの忙しさになりそうです。

 

 見たもの。『響け!ユーフォニアム』の3期が放送開始しました。響け!が本当に好きなので嬉しい。先輩たちがもういないのは寂しい。でも、前に出て話してる彼女らが、本当はそこまで変わってはいないけれど、きちんと大人の顔をして喋っていて、それがいい。

 

 とりあえず以上。また来週。

 

4/5(生活について)

 日々が無為に過ぎていく。中途半端に投下した努力は中途半端な結果にしか結び付かず、しかしそれ以上の努力をする気にもなれない。自分が一体どこを目指したいのか、何が欲しいのかについて道に迷っている。親しい友達と会ったり話したりする機会が一気に減って、それをラジオや小説で埋めようとして、うまく行ったりいかなかったりである。

 

 堀江敏幸さんの『なずな』を読んでいる。まだ乳幼児の弟の子供を預かり保育する過程で人との繋がりができ、記者として活動するうちに街の歴史や開発計画に詳しくなっていくという筋書きだと思う。乳幼児が家にいると生活の全体を改変せざるを得なくなり、同時に物を見る視点も変わるということが、堀江さんの丁寧な筆致で見事に描かれている。関係ないようである話をすると、堀江さんはある特定の技術を持った人の身体様式や語彙の体系に対する観察眼が非常に鋭いと思う。それが『なずな』でも存分に発揮されている。

www.shueisha.co.jp

 

 『マンスーン・ヤスミノの音声放送』を聞いている。1年目はサブカルの話ばっかりしてた気がするのだが、今聴いている50-65回のあたりは生活の話の割合がかなり高くなっている。2人の身体や家の話をずっと聴いている。面白いけど、心の穴を埋めるには少し物足りない。 

「音声放送」に関する記事 | オモコロ

 

 今の私には人間関係が明らかに足りていないのだが、もう一つ足りないものがあるとすれば生活だと思う。生活をして、心だけでなく自分の身体や衣住を管理・ケアすることで獲得される感覚が自分にはほとんど身についていないような気がする。これは、『なずな』を読んで感じたことであり、同時にヤスミノが散々怠惰自虐をしながらも毎回動画には綺麗な服を着て出ているし、(当たり前だが)家のことをきちんと気にかけていることからも感じたことである。以上!