気ままに生きる男の気ままな日常

非正規雇用で気ままに生きている男が気ままに綴っています。

私は「非学者」でありたい(初心者を見下すという行為について)

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先日、何気なくTwitterを眺めていたら、とある歴史ファンのアカウントにて、ある言葉について意見が交わされていた。その言葉とは「非学者論に負けず」である。言葉の意味としては……、

 

無学な人間は、筋道の通った論議に対しても、言を左右にして、なかなか屈伏しようとはしないことをいう。学問のない者に、道理を説いても無駄であることのたとえ。

 

情報・知識&オピニオン imidas 会話で使えることわざ辞典より引用

 

 ……要は、「知識の無い人は理屈が理解出来ないのだから、相手にするな」ということだ。言葉自体は一理あると思うし、件のアカウントにて交わされていた意見も、大体が言葉の成り立ち等、当たり障りのない健全なものだった。

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私は「ネガティブ」を肯定する

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私は「夜」が好きだ。夜桜や満月の美しさは言うに及ばず、夜の人や車の通りが少ない街中をドライブしていると、自分を取り巻くあらゆる呪縛から解放されたような清々しい気持ちになれる。夜の静寂の中で思索に耽ったり、読書をしていると心がとても落ち着く。「夜」には昼の明るさや賑やかさには無い魅力が沢山ある。

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障害や特殊性は個性ではない。自然に存在するものなのだ。

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「障害は個性」……これはよく聞かれる言葉である。要は障害というものを忌避するのではなく、その人独自の個性として肯定してあげようという趣旨の言葉である。障害のみならず、私のような一般的な男性とは少々離れた性向を持つ者のような、所謂「障害ではないものの周囲とは違う特殊な人」に対しても、似たような言葉で、その特殊性を個性として肯定しようという風潮がある。

 

しかし私は思う。障害や特殊性を特別な個性として扱おうとする考えそのものが、すでに差別のような気がする……と。

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特殊な者は特殊な世界で生きるしかないのか? 「特殊な凡人」の存在は許されないのか?

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ここに二人の男性がいる。

 

一人は、こう言った。

「僕は繊細な作業は出来ないが、物を持ち上げたり、体を動かしたりすることには抵抗はありません。否、むしろ好きです」

ある者が、こう返した。

「そうか。そんなに好きなら重量挙げの選手やスポーツ選手を目指したらどうだ?」

彼は答えた。

「いや、そのような高みを目指す能力や情熱はありませんが、それを活かした単純労働ならば出来ます」

返した者は思った。

「それもまた善し」……と。

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中性的な存在への憧憬。性別が絡む行事が苦手……。

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去る2月14日、バレンタインデー。それは私にとって、何事もなく過ぎ去るはずの日だった。しかし、同じ仕事場の年配の女性から、それは手渡されてしまった。……チョコレート……。その瞬間、私は思った……、「ああ、やはり私は、男なのだ」と……。

 

 

 

私が自分の性別に疑問を感じるようになったのは、性同一性障害といったような、先天的な理由によるものではない。明らかに後天的な理由による。

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小学生……それは原初にして究極の存在

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小学生とは、無邪気なものである。

最近の小学生はませた子が多いので、どうだか分からないが、僕ら世代(30代)までの小学生は無邪気だった(少なくとも僕の周囲はそうだった)。

 

小学生の価値観は、実にシンプルだ。

 

“食べたいときに食べ、飲みたいときに飲む。やりたい事をやり、やりたくない事はやらない”

 

……実にシンプルだ。

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僕は「普通の人」恐怖症……

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当たり前なことだが、この世には様々な性格の人がいる。

笑顔の素敵な明るい人、よく怒る粗暴な人、憂いを帯びた暗い人、楽天的な人……等々、十人十色、千差万別である。

 

もちろん、人間とは多面的な生き物だ。一概に「この人はこういう性格だ」と言い切ることは出来ないし、そもそも僕はそういう短絡的な考えには嫌悪感すらある。

だが僕の経験上、人間は多面的ではあるが、ある一面が程度の差はあれど前面に出やすくなる傾向があるように思う。喜怒哀楽……育った環境や出会った人の影響で、どの面が一番強く出るかは人それぞれだが、必ずどれかの面が出やすくなるものなのだ。

 

しかしこの世には、その喜怒哀楽の感情が全く均等に表出するタイプ……所謂「普通の人」と呼ばれるタイプの人がいる。僕は、この「普通の人」というのが、大の苦手である。

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